しばうら
聯合艦隊が芝浦に集合して、昼は多勢の水兵が帝都の街頭に時な
らぬユニフォームの花を咲かせ、夜は品川湾の空に光芒の剣の舞を
舞わせた。
この日病床で寝ていたらたくさんの飛行機が西の空から東へかけ
とんぼ
てちょうど蜻蛉の群れのように、しかも物すごいうなり声を立てて
飛んで行くのが縁側の障子のガラス越しにあざやかに見えた。
このページェントが非常時の東京市民にわが海軍の偉容を示して、
心強さと頼もしさを吹き込むという効果を持ったであろうという事
には少しの疑いはない。
しかし物は考えようである。私はこの百余台の飛行機の示威運動
を病床からながめながら、もしかわが聯合艦隊の航空兵器の主力が
たったこれだけのしかもあまり世界的に自慢のでさない飛行機で代
表されているのだとしたら、なんという心細いことであろうという
気がした。そうして外国映画や絵入り雑誌の挿し絵で見る欧米列強
の飛行隊の壮観を思い浮かべ、一方ではまたわが国の海軍飛行機の
ひんぱん
あまりにも頻繁な墜落事故の記録を胸算用でかぞえながら、なんと
なく暗い気持ちにいざなわれるのであった。
これはおそらくその日の病苦のせいであったかもしれない。
(昭和十年十月十五日)