寺田寅彦『柿の種』
短章 その一



 
 蝶や鳥の雄が非常に美しい色彩をしているのは雌の視覚を喜ばせ
 
てその注意をひくためだというような説は事実に合わないものだと
 
いうことがいろいろの方面から説明されているようである。自分の
しろうと
素人考えではこの現象はあるいはむしろ次のように解釈さるべさも
 
のではないかと思う。
 
 周囲の環境と著しく違った色彩はその動物の敵となる動物の注意
 
をひきやすく従つてそうした敵の襲撃を受けやすいわけである。そ
 
ういう攻撃を受けた場合にその危険を免れるためには感覚と運動の
 
異常な鋭敏さを必要とするであろう。それで最も目立つ色彩をして
 
いながら無事に敵の襲撃を免れて生き遣ることのできるような優秀
                        ふるい              よ
な個体のみが自然淘汰の篩にかけられて選り残され、そうしてその
 
特徴をだんだんに発達させて来たものではないか。
 
 戦争好きで、戦争に強い民族なぞの発生にいくらかこれに似た選
 
択過程が関係しているのではないかという気がする。
 
(昭和十年十月十六日)


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