上田敏「海潮音」

 
 象

ルコント・ドゥ・リイル




        たん              まんまん
 沙漠は丹の色にして、波漫々たるわだつみの
                    や       うまい
 音しづまりて、日に燬けて、熟睡の床に伏す如く、
               おほ                    つたは
 不動のうねり、大らかに、ゆくらゆくらに伝らむ、
              あかがね                 め ぢ
 人住むあたり 銅 の雲、たち籠むる眼路のすゑ。
 

                     ゑば           から じ し
 命も音も絶えて無し。餌に飽きたる唐獅子も、
             ほらあな
 百里の遠き洞窟の奥にや今は眠るらむ。
            ほとばし ちょうさ  なかば
 また岩清水 迸 る長沙の央、青葉かげ、
 ひよう          や し りん    きりん
 豹も来て飲む椰子森は、麒麟が常の水かひ場。
 

           はせ  めぐ         こくう むち
 大日輪の走せ廻る気重き虚空鞭うつて、
  はがき             いつちよう
 羽掻の音の声高き一鳥遂に飛びも来ず、
                 うはばみ             まろね
 たまたま見たり、蟒蛇の夢も熱きか円寝して、
                      うろこ
 とぐろの綱を動せば、鱗の光まばゆきを。
 

  いつてんは
 一天霽れて、そが下に、かゝる炎の野はあれど、
  ものうつ      せきりよう
 物鬱として、寂寥のきはみを尽すをりしもあれ、
 しわ                            ねりあし
 皺だむ象の一群よ、太しき脚の練歩に、
                          おほすなばら
 うまれの里の野を捨てゝ、大沙原を横に行く。
 

                       くりいろ        つら
 地平のあたり、一団の褐色なして、列なめて、
                                      ひたみち
 みれば砂塵を蹴立てつゝ、路無き原を直道に、
               さまたげ                  ちからあし
 ゆくてのさきの障碍を、もどかしとてや、力足、
  たたら        いきほひ   をち
 蹈鞴しこふむ 勢 に、遠の砂山崩れたり。
 

 しるべ        としかさ
 導にたてる年嵩のてだれの象の全身は
 
 「時」が噛みてし、刻みてし老樹の幹のごと、ひわれ
            おほがしら せぼね
 巨巌の如き大頭、脊骨の弓の太しきも、
             おの        なめ
 何の苦も無く自づから、滑らかにこそ動くなれ。
 

 あゆみおそ
 歩遅むることもなく、急ぎもせずに、悠然と、
 
 塵にまみれし群象をめあての国に導けば、
  すな  あぜ          うが
 沙の畦くろ、穴に穿ち、続いて歩むともがらは、
       すげんやまぶし    せんだつ  あとふん
 雲突く修験山伏か、先達の蹤蹈でゆく。
 

                          ぞうげ   はさ
 耳は扇とかざしたり、鼻は象牙に介みたり、
  はんがん     たど          どうばら
 半眼にして辿りゆくその胴腹の波だちに、
                          けむり
 息のほてりや、汗のほけ、烟となつて散乱し、
                          つど   ゑじき
 幾千万の昆虫が、うなりて集ふ餌食かな。
 

  きかつ  せめ    らんらん  はむし   むれ
 饑渇の攻や、貪婪の羽虫の群もなにかあらむ、
  くろじわがは        はだへ
 黒皺皮の満身の膚をこがす炎暑をや。
     ふるさと
 かの故里をかしまだち、ひとへに夢む、道遠き
  め ぢ                       いちじゆく       さき   くに
 眼路のあなたに生ひ茂げる無花果の森、象の邦。
 

                たかやま              ちようすい
 また忍ぶかな、高山の奥より落つる長水に
         か ば  うそぶ
 巨大の河馬の嘯きて、波濤たぎつる河の瀬を、
        げつや         しろ
 あるは月夜の清光に白みしからだ、うちのばし、
             よしあし  ふ              お
 水かふ岸の葦蘆を蹈み砕きてや、降りたつを。
 

 
 かゝる勇猛沈勇の心をきめて、さすかたや、
 きはみ       をち        くろすぢ
 涯も知らぬ遠のすゑ、黒線とほくかすれゆけば、
 おほすなはら                        かみさ
 大沙原は今さらに不動のけはひ、神寂びぬ。
  みじろぎうと  たびうど
 身動迂き旅人の雲のはたてに消ゆる時。



BACK戻る 次にNEXT
[上田敏] [文車目次]