ver.1.52(2006.04/02)


 2005年度の萌え特集では、第三世代(1970年代後半より下の世代が中核をなす)以降の被差別オタクや萌えオタクの特徴として、異性(とモテる男性)に関する劣等感や自己不全感・自己評価の低さがみられることを示唆してきた。これらの特徴はオタク趣味愛好家の全てにみられるわけではないにせよ、該当世代・該当タイプのオタクにはかなり多くみられると私は確信している。

 異性やコミュニケーションに関連した劣等感・自己不全感を隠し持ったオタクが沢山いれば、劣等感などの諸問題の解決法を取り扱おうとするサイトが出てきてもおかしくはない。実際、後に“脱オタ系”とまとめられる一連のサイト群は少なくとも1998年頃から誕生しはじめており、後の“脱オタの歴史”に大きな痕跡を残すこととなる。当初、これらのサイトは管理者当人からの遠慮の無い投影を含んでいた為か、オタクを馬鹿にする眼差しが強い等の色々な弱点も抱えてはいたが、電車男まで続く脱オタの歴史の端緒になったことだけは間違いない。今回は、オタクの精神病理とも密接な関連性を持っているであろう、脱オタ(と脱オタサイト)の歴史を追ってみようと思う。



 ・脱オタ系サイトの勃興。服飾への注目

 脱オタとは何か?1998年頃には、幾つかのサイトによって「オタクの服装のヤバい所を変える事によってオタクとしての社会的偏見を回避する方法」が発表され始めていた。これらのサイトは“脱オタ”の代名詞とも言うべきサイト・脱オタクファッションガイドを除いてほぼ全滅してしまったが、初期の脱オタ者が頼りにすべき数少ないHow toを提供していた。

 この頃の脱オタサイトは、主として服装を非オタク達のアベレージに近づける事によって非オタクの目を欺こうという方法論が主流であった。曰く、オタクの服装・衛生面・髪型の不備こそがオタクが叩かれたり馬鹿にされる原因として大きいから、まず見た目を何とかすればオタクとしての社会的偏見を軽減出来るだろう、というのが彼らの目論見であった。脱オタ者達が実際は望んでいる事の多い、異性との交際についてや自己不全感の超克といったテーマは殆ど触れられておらず、もっぱらnerd fassion(アキバ系ファッション)のどういった所がヤバいのかの分析や、それを回避する為の具体的レシピの紹介が主な内容であった。流行の移り変わりや“国道沿いのファッションセンターで扱われているアイテムの変化”によって、往時勧められていた脱オタクファッション※1は、既に2005年の典型的なオタクファッションに堕しているが、時代のアベレージ的ファッションに準じた「装備」を身に付ける事が推奨されている点は、現在の脱オタ方法論(の服飾面のアドバイス)と同様である。



 ・初期の脱オタ方法論・脱オタサイトが直面した問題

 だが、黎明期に提案された脱オタ方法論は、すぐに問題に直面してしまう。21世紀になって第一世代脱オタサイトの多くが閉鎖してしまった頃、それらのサイトで紹介されていた脱オタアイテム達は早くも陳腐化し、当時書かれたテキストの脱オタアイテムで統一されたコーディネイトは「あいつは脱オタくせぇ服装だ」「っていうかオタクっぽいよね」とカテゴライズされるようになってしまったのだ。ことに、無難でローコストとして推奨されているアイテム(無印・ユニクロ・一部の丸井系の服)をコピーアンドペーストするだけに留まった自称脱オタ者程度の服装は、秋葉原に溢れたオタク達の新しい定番として埋没していくことになったのだ。

 こうなってしまった事にはいくつもの原因があるだろう。

 第一に、「世間で女の子とも付き合いがあるような男性」「雑誌等の流行にも目を通している男性」が身に着けている服装は刻一刻と変化していく、というごく自然の現象を挙げなければならない。“ファッションの流行”というものに他人との差別化の意味合いが含まれる以上、上はプレタポルテから下は国道沿いまで、若者向きのファッションの殆どは一所に留まる事を許されないのが定め。1999年に「無難」だった服装が2005年に「古臭い」服装になったとて、むしろ当然と言えば当然である。かくして更新されない古いテキストに書かれた具体例はたちまち新しい時代の「無難」から外れてしまい、陳腐極まりないオタクファッションに堕ちてしまったのである※2。こうして、比較的安価な定番アイテムを使ったきれいめで無難なカジュアルスタイルは、脱オタ服として揶揄されやすくなっていった。

 第二に、国道沿いの量販店の似非モード化の問題がある。COMME CA DU NERDで指摘されていた通り、2000年前後から国道沿い量販店では定番オタク服が減少しはじめ、代わりに丸井系の綺麗目カジュアルスタイルをスペックダウンさせたような服装が大量に出回るようになってきた。或いは、1990年代後半に丸井などで販売されていたファッションの波が、ようやく国道沿いの量販店まで浸透してきた、と表現したほうが妥当だろうか。

 ともかくもこの現象に伴って、これまで脱オタマニュアルに載っていた服装に丁度よく似た服装が秋葉原や日本橋にも溢れかえるようになった→参考資料。結果として、既存の脱オタファッションの中でも黒や寒色系をメインにした無難なものや、脳みそを一切使わずに脱オタサイトの初歩例をコピーしただけの着こなしは、量販店組のオタク達に埋没してしまうだけの存在となってしまい、もはや秋葉原でさえファッションとしての記号的意味合いを喪失するに至る。これでは、秋葉原の外で「普通だね」といわれるのは覚束ない。

 第三に、2chやインターネットの普及に伴い、脱オタをする人は誰でもすぐに脱オタサイトにアクセス出来るようになってしまい、結果として脱オタを志す者の殆どが似たようなコピー服装に偏ってしまう結果を生んでしまった。「あいつらとは違う」という効果を失ってしまえば、オタクファッションに対する脱オタファッションといえど効果の低下は免れないわけで、脱オタ者が誰もが同じ格好をしていれば揶揄されてしまうのも仕方ない。むしろ画一化した「ほらあれ見てみてよ、脱オタの制服着ているわよ」という惨めな評価すら生み出してしまった。非オタク達が脱オタという現象をあまり知らないとはいえ、こうした脱オタファッションの画一化は審美的にも本人達の自意識に与える意味でも好ましくない現象だったといえよう。不幸に追い打ちをかけるように、当時の擬態オタク服(無印、丸井系)と国道沿いの似非モード服とのファッションのベクトルの向きが同じだったのもまずかった。当時の脱オタ服は、たちまち国道系の似非モード服に埋没していくしかなかったのである。せめて国道沿いと方向性が異なっていたら、少し違った展開になっていたかもしれないのだが。


 ・画一化と陳腐化・不満足の果てに

 もはや、脱オタファッションとして具体的に利用できるものを提示したところで、時代の変化による陳腐化や(誰もがリファレンスする事に伴う)画一化を免れる事が出来ないのだろうか?この疑問に答えきれなかったのか、以後の脱オタ系サイト・blogにおいては「ここのブランドのこの服を買っておけばもう大丈夫」的な言質はあまりみられなくなってきている。一方、服飾に関する方法論やマニュアルそのものは、わざわざ脱オタ系サイトでなければ手に入らないものではなくなり、情報ディバイドとは無縁のオタクならばすぐにでも最新情報にアクセス出来るようになってきつつある。少なくとも服飾レベルに関しては、今後ある程度のコモディティ化(コモディティの意味はこちらをどうぞ)が進む可能性すらあり、脱オタという営為が可能にするのは、せいぜいキモオタ達との差別化程度までに留まってしまう可能性が強い。「人外」から「服装はとりあえず人間のもの」と認識されるようにするのが服飾を通した脱オタの限界になりつつある。

 いや、そもそも第一世代の脱オタサイトは「普通までいけばいいじゃん」という主張に留まっていたわけで(私のサイトの古いテキストもそうだ)、それはそれで一向に構わないのかもしれない。ファッションを通してアドバンテージを積極的に獲得するとか、女性にモテるようにするとかには、よほどのプラスαが求められる筈で、常人についていけるものではない。だが、脱オタの為に丸井に突っ込んでいくオタク達は、コミュニケーションや男女交際における“強さ”を服装に求めがちで、求めすぎて失望したり失敗したり、果ては服オタに化けたりしてしまうこともある。

 脱オタ諸サイトにおいては、異性獲得競争に参入して彼女をつくろうという目標は設定されていなかった。しかし実際に脱オタ者達が望んでいたのは、オタクとして一流を保ちながら服装面で差別されないようになる事ではなく、オタク趣味をかなぐり捨ててでも女の子と仲良くなったり、俯きがちな対人コミュニケーションシーンを何とかする事だったようなのだ。これまでのところ、個々の脱オタ者を実際に脱オタへと駆り立てるのは男女交際を核とした対人コミュニケーションの向上であり、単に人並みの服装に到達しただけで脱オタに満足する人は極めて少ない。キャサリン・ハムネットの『男性も女性も、服を着るのは多かれ少なかれセックスをするためです』という言葉通り、脱オタクファッションもまた異性獲得競争を視野に入れた対人コミュニケーション向上の為の手段であって目的ではなかったのだ。

 その後も、モテたい・自己不全感を何とかしたいという脱オタ実践側の要請と、服飾面を中心に提示された脱オタサイト側のマニュアルとの間には、大きな溝が存在し、埋まらないまま時が流れていった。2chファ板や脱オタ実践blogなどが台頭しつつあるものの、第一世代の脱オタサイトのような「脱オタの総合百貨店」はなかなか誕生しなくなってしまった。それまで生き残っていた従来サイトも、管理者自身が脱オタを成功させてしまったからか飽きたからか、寂れるままに放置され、やがてインターネットから姿を消していくこととなる。脱オタ側が望みがちな『女の子と付き合えるような服装・方法』『服飾だけで優越を示す方法』といった、脱オタ側が脱オタを手段として本当に得たがっているゴールまでをカバーしようとした野心的なサイトは、21世紀に入ってもなかなか出てこないまま時は流れていった。


 ・これまでと異なる脱オタサイト。『脱オタク恋愛講座』

 ところが、これまでの脱オタサイトとコンセプトに違いのあるサイトが遂に現れた。『脱オタク恋愛講座』である。このサイトはそれなりの偏りや問題点も包含しているにせよ、第一世代の脱オタサイトと幾つもの点で異なっていた。しかも、同様のコンセプトで成長した脱オタサイトを2005年10月現在、私はまだ知らずにいる。遂に出てきたのだ!オタクファッションだけに言及しているのではなく、第三世代オタク達の多くが悩んでいる葛藤の解消も包括した総合的な“脱オタク”サイトが!

 このサイトは長所と短所がてんこ盛りのサイト――つまり、個性豊かなサイト、と賛辞を送りたい――なのだが、その特徴を挙げていこう。少し詳しめに。


1.流動的で繊細なファッションの流行廃りを考慮

 ファッションのなかでも変動的で流行り廃りの流れが常に速い部分に関しては、このサイトは「これが安全牌ブランド」といった従来ありがちなテンプレートを提示していない。一見無責任に見える方針だが、これまでの脱オタサイトの推奨服が辿った運命や、服飾の流行廃りの早さ、“すてきな服装”というニュアンスの繊細さを考えると、むしろこれは無難な選択だろう。そのかわり同サイト主催者・moteo氏は、女性からのアドバイス・ファッション雑誌の使用法など、ファッションセンスそのものを磨く方法や可変性の高いファッションにどうcatch upするかについて記述を試みたのである。もちろんこれらの記述は100%完全というわけにはいかず、繊細なニュアンスを多分に含んでいるため、分からない人にはさっぱり分からない部分が多く、テクニックというよりは職人芸という言葉に近いような技能を提示している。だが、“素敵なファッション”という動的で捉え所の無い概念を精一杯記述したからには、これはやむを得ないところだろう。決まりきったアイテムの具体的提示に比べると敷居が高くなった印象は否めないが、ファッションというものの性質を踏まえれば、実際はこちらの記述のほうが現実的である。


 (以下、外見編からの抜粋。下線はシロクマによるもの)

 またこのサイトは、実際に限定してアイテムを載せてしまった時点でそのアイテムは腐ってしまう、ということを気付かせてくれた。初心者君にとってはアリガタイ存在のアイテムコンテンツもこれはそのまんま買ったのではまったくもってオタクアイテムにしかならないのだ。オシャレアイテムってすっごくピュアな宝石みたいなもので外気に触れて手の内を明かしたとたん輝きを失いただの石ころになってしまう。なんか映画にあったな・・・。

 だからアイテム紹介は最小限にとどめ、出来るだけ個人個人の選択の余地が残るような形で紹介していきたいと思う。それがかえってみんなのためでもある。


 全くもってその通りである。ただテンプレートを真似しただけでは駄目なのだ。意図を含まないコピーアンドペーストは、ファッションではなく、模倣に過ぎない。ここでは触れられていないが、どんなに良いアイテムであっても、そこそこ以上のアクセス数の脱オタサイトに紹介されてしまうと、アイテムがわざわざそこで選択される“狙いや目的”に無頓着な脱オタ初心者にコピーされ尽くされ、そのアイテムは元来の「差別化能力」を失ってしまう。どんなに良質なアイテムであっても、脱オタサイトで紹介されて不適切な運用を受けまくれば最終的に野暮なオタグッズへと堕ちてしまうという危険性を、おそらくmoteo氏は悉知しているし、恐れてもいるのではないだろうか。

 (私のサイトも含めた)これまでの脱オタサイトの服装が“オタクじゃない男性達と同じ服装をして擬態しよう”というスタンスだったのに対して、moteo氏の提示するスタンスは、“擬態じゃ駄目。もっと積極的にファッションを通して差異化をプレゼントしていこう”というものだった。そして、おそらくmoteo氏のそれが正解だったのだ。服飾面ですら紋切り型のコピーしか出来ない男なんぞ、どのみち女性に評価される筈がないという事実を、当然moteo氏は見越しているだろう。モテを志向したサイトならば、そこまで読者に要求するのはむしろ当然といったところか。


2.ファッションを超えて要請されるものへの着目

 さらに脱オタク恋愛講座は、ファッション以外の諸々の要素にも着目している。“オーラ”“デート”“セックス”などといった、服選び以外の分野で異性との交流に要求されそうな様々のファクターに言及しようとしているのだ。

 1.と同様に、これらの要素群についての記述はかなり抽象的で、“ある程度の要領だの何だのを必要スペックとして実は求められている”ハードルの高さが気になるものの、それらについて可能な限りの言及がなされている点は評価出来る。女性を含めた非オタク達と流暢なコミュニケーションを築いていこうとするオタクは、服装以外の様々なファクターも出来るだけクリアしておいたほうが良いわけで、それらをもカバーしようという姿勢は脱オタ者の実地のニーズに応えたものだと考えられる。サイトタイトルもあって、女性とのセックスに偏った部分も多いが、脱オタと男女交際が脳内で重複している脱オタ者が極めて多いことを考えれば、この編集方針はむしろ妥当なものかもしれない。


3.「劣等感や自己不全感」に束縛されたオタクの精神病理へのダイレクトな接近

 また、脱オタク恋愛講座においては、「見た目だけじゃあどうにもならない、男性としての内面の構築」について色々な事が(やはり曖昧ながらも)書かれている。注意すべきポイントとして挙げられている心構え・勇気・自信・雰囲気・ポリシー等といった要素群は、男女交際において女性側に期待されやすいものの脱オタ者が“それが出来りゃぁ苦労しないよ”と思いたくなる難しいものばかりである。ここのテキストでも指摘したように、第三世代以降のオタクで脱オタを志す男性の殆どは、男女交際やコミュニケーションの分野を中心とした劣等感や自己不全感を抱えている者が多いと思われるが、moteo氏は女性が鋭く見抜きそうな惰弱な心的傾向を改善させる方法論も(抽象的で不十分ながらも)展開しようと最大限の努力をしている。

 内容が内容だけに話が抽象的な部分が多いものの、例えば

とにかく社会人であればまず仕事を頑張ろう。それくらい生活の基盤。ここでうまくいってないと恋愛というより人生が楽しくない。』(これも引用)

 等の具体的提言からも、“男性としての成熟”“劣等感や自己不全感の超克”“自信の獲得”などに通ずる思想が見え隠れする。達成するのはとても難しいが、こうした心的傾向をちゃんと克服しなければ脱オタを本当に完了したと言えない事をmoteo氏は骨の髄まで知っているように見える。また、モテ推進に関する提案に関しても、“脱オタ者自身の劣等感が助長しないような”“負け犬気分がひどくならないような”心配りが行き届いているのに驚く。ただでさえ士気の低い脱オタ気分において、士気を維持して自信を少しづつ育てていかなければならないという課題に、氏はデリケートである。

 (身の回り編より抜粋)
 こうやってこのHPのコンテンツ群みたく外見上や身の回りを固めていくことが本当のモテる方法ではない!ほんとうにモテてる人っていうのは本当に人間性というか経験のハバがひろく人間として男としてしっかりした出来ている人間だ。だからこそ、そういう人間こそ身なりやハヤリのお店の大切さを知っているとも言えるが。

そういう人はたしょうかっこ悪くたってとびきり美人と付き合うことができる、これは本当。それで、じゃあ人間性磨こうと思ったら?ひとりで磨こうなんて大間違い、数多くの人間と出会い切磋琢磨するなかで自分を見つけ出していく。


 こうした発言の一つ一つをとってみても、表面的なコミュニケーションの技術や見てくれだけに拘っていては意味がない事を伝えようと、moteo氏が腐心しているのが伺える。そしてこうした要素の獲得こそが、オタク達が抱えている内面の問題をダイレクトに解決する回答になり得ると思えるのだ。そのうえ彼のサイトが提言するように女性と交際していく事も、ある程度成果が出れば自信や劣等感の克服に役立つ可能性が高い。氏のサイトはモテる為のサイトという事にはなっているし、事実その通りなのだが、モテはもしかするとプロセスであって、“男性としての成熟と幸福の追求”をどん欲に追い求める事こそが隠された目標なのかもしれない。


 (オーラからの抜粋・下線はシロクマによる)
 自分が上だと思う(たとえ年上でも。口調も含め。)
 しっかりとした考え方(人生経験の多さ)
 困ったときは一本気!おれについてこい(でもへんな方向につれてってはNG。スジが通ってなければ。)
 常に見るべきは女でなく前


 脱オタク恋愛講座にはそれなりのウイークポイント色々ある(倫理周りが荒い・若い年代にしか通用しないっぽい等)が、オタクが抱えがちな葛藤に対するダイレクトな処方箋になり得るのはまず間違いない。氏の個人的な経験に基づいてはいても、注意すべきポイントを精神面も含めここまで丁寧に用意しようと試みた脱オタ系のサイトは、2005年10月現在、他には存在しない
 (うちのサイトも2001年頃にやろうとはしたものの、惨めな失敗に終わっている。なお、オタにつける薬が後に続いてくれた!)

 このサイトに続く脱オタサイトが出てくるかと期待はしているものの、未だ新しいサイトは出てきていない。今後の新しい動きに期待したいところである。劣等感や自己不全感も含めた“内面の問題を克服する方法”は取り扱いが難しいと承知しているが、そうした問題に関する総説が新たに出現する事を期待したい。(うちもがんばらなきゃね)



 ・その後と現在、blogや2chに関しても

 脱オタク恋愛講座以降は、脱オタに関してテキストブックとなり得るサイトは殆ど台頭してきていないのが現状である。本サイト“汎用適応技術研究”も脱オタの方法論については殆ど放棄しっぱなしだし、古い時代の脱オタサイトはたいてい潰れてしまった。電車男があれだけ話題になっていたにも関わらず、脱オタ系の新しいレビューは全然みかけない。こうしたhow toの需要は一層高まってくるように見えるのだが…。そんな中唯一、脱オタクファッションガイド書籍という形でこの秋にバージョンアップした。思想的にはwebsiteのものを踏襲しつつも、内容は2005年向けにバージョンアップしているので、新たに脱オタトライしてみる人は、購入してみるのもいいかもしれない。。

 一方、サイトではなく2ch界隈やブログ界隈では、脱オタについての言及があちこちでみられるようになってきている。グーグル先生に検索をお願いすると、目指せ!電車男!脱オタしてモテ男に!などのブログが検索出来るが、ブログという媒体の性質故か、個々の発言は切れ味鋭いものであっても、テキストブックとしてまとまった意見をリファレンス出来るタイプのものはやはり少ない。うちのサイトの症例2症例3に該当するお二人もここここで活躍していたりするが、blogという媒体の性質故か、教科書を作ろうというよりは問題を提起しようというスタンスのようである。blog界隈は私は明るくないので、もしかしたら脱オタを系統的に取り扱う優れた著者が隠れているかもしれない。もし誰か発見したら、こっそり教えてください。


 また、2chでも動きがみられる事にも注目しておきたい。2chでは、脱オタに関するスレッドがファッション板などに存在しており、もてたい男板(鯛板)が毒男板から独立してきている。推奨アイテムの陳腐化の問題や、オタクの葛藤にまつわる問題など、“脱オタ者”が乗り越えなければならない課題はあまりに多く、2ch故に半ば混沌とした展開が続いてはいるが、2chらしい活発な意見交換と貶しあいが続いている。2ch故に糞スレや糞コテなども混じっているものの、時に砂金のような情報が混じっている事もあって見逃せない

 こんな感じで、サイトレベルの総括が少ない分を補うように、2chやblogレベルでは単発だが面白いdiscussionが数多く展開されている。惜しむらくは、それらを束ねて編集する人間がいないという事だろうか。せっかく優れた提言がなされていても、それらを一つの考えにまとめる人間がいない為、2chやblogレベルのテキストは(教科書としては)脱オタク恋愛講座や脱オタクファッションガイドを超えることができないままである。ことに服飾面では、普通に初心者向けファッションサイトを巡ればそれで事足りてしまう印象が強い。



 ・終わりに

 脱オタサイトというジャンルはインターネットの普及期に生まれ、誕生してからまだ10年も経っていない。脱オタという修辞がいつまで生き残るのかはいざ知らず、脱オタに該当するような“異性をはじめとする対人コミュニケーション促進の試み”“服飾の改変を柱にした、異性獲得競争への中途参入”は今後も一定の需要があるだろうし、少なくとも第三世代以降のオタク達においてそういった需要が顕著であろう事に疑問を挟む余地は無い。

 オタク達が持っているセクシャリティに関する願望やコンプレックスを解消する手段として、脱オタという手法はこれからも(彼らにとっては)魅力的な輝きを放ち続けることだろう。それに背を向けて“電波男”に走るか、それとも“電車男”に走るかは個々のオタク次第だが、どちらを選ぶのであってもその方法論が充実したほうが良いに決まっている。少なくとも脱オタ側に関しては、現在もなお方法論・経験の集積は不十分であり、後発の脱オタ者達に示す事が出来る資料やテキストブックは非常に限られている。今後脱オタという方法論に関して十分な経験と方法論の蓄積が期待される。勿論、私自身も積極的にこの分野に提言していきたい&総括的なレビューを試みてみたいと考えている。

今後の、脱オタ界隈のさらなる充実に期待したい。

→これまで登場した脱オタサイトのレビューもみてみる







【※1往時勧められていた脱オタクファッション】

 しかし、このような方法論を丁寧に示しつつも「それが本当にお洒落って言えるのかなぁ?」「つまんないんじゃない?」「むしろnerd fassionというオタク系ファッションの表明なんてどうですか?」という挑発を忘れなかったサイトが、シロクマが今も尊敬してやまないあのCOMME CA DU NERDである。

 脱オタクファッションそのものの陳腐化・服装だけ脱オタして中身はそのまんまの脱オタへの皮肉・オタク達がファッションに託して求めているものについての言及は、現在の脱オタにまつわる問題を予見する内容を多分に含んでおり、主催者ODN氏の先見の明に驚かされるとともに、閉鎖が悔やまれる。





【※2オタクファッションに墜ちてしまったのである。】

 しかし、幾つかの点で往時のサイト管理者を弁護しておきたい。

 まず彼らの具体例はオタクファッションに墜ちてしまったかもしれないが、彼らが提示したもの全てがファッションにおいて役立たずになってしまったわけではない点に注意。特に、具体例ではなくファッション技術の原理原則の多くは、現在でも通用するものが多い。このため、具体例を模倣する以上の技術的な原理原則に敏感だった者は脱オタファッションの陳腐化を免れた可能性が高い。創意工夫や応用を考えずに安価な定番アイテムをコピーアンドペーストした“消極的脱オタ者”達だけが足下を掬われた&彼らの本当の目的にアクセスできなかったわけで、実際に脱オタクファッションマニュアルに書かれている具体例を超えたアドバイスを身につけ服に本当に興味を持つようになっていれば、陳腐化に押し流されずに済んだ可能性が高い。

 それと、当時サイト管理者が提案した“オタクっぽい服からの脱却”に意図されたものは、女の子にモテるだとかイケメンになるだとかいった、脱オタ者達が実際に望んでやまないものに主軸が置かれていたわけではない、という事である。東大恋愛バトルロワイヤルのボランチ(注:リンク先はinternet archive)のように“彼氏彼女ぐらいは作れよ”というメッセージが見え隠れする例はあるにせよ、COMME CA DU NERDや秋葉原に陽は落ちて(inter net archiveから)古い時代のうちのコンテンツなどは、“まずは人権を獲得しよう”“服飾や衛生面で人種差別を受けないようにしよう”といったレベルの脱nerd fassionを謳っていたに過ぎない。現在脱オタ方法論について不備を指摘する人達が求めているような、“自分の容姿に自信を持って、女の子とも付き合って、前向きな自分に変身する”といったメルヘンチックなゴールは設定されていなかったのである。服飾面や衛生面を改善したところでいきなりモテたり人気者になったりするわけではない事や、ファッションという技術単独の限界については、うちでも余所でも嫌になるほど指摘している筈であり、当時のサイトが“脱オタ志望者の真の願望”をカバーしていないと誹られてもそれは仕方が無い。

 なんたって、そこまで凄いところを改善目標にしていなかったのだから。初期の脱オタサイトの多くは、オタクのファッションを幾らか見栄え良くする事・衛生面で極端に不利な者を改善させる事に言及を留めていた例が多い。これは、デートを志して地獄の丸井に飛び込む勇者には物足りない内容である一方、どんなオタクであろうが所謂ブサメンであろうが達成可能な現実的水準を目標としていたという点ではむしろ良心的だったかもしれない。“格好良くてモテモテの男性”は、確かにある程度の素養がなければなれないだろうが、彼らの提示した“とりあえずオタクっぽくない普通の服装”はリソースを投入すれば確実に達成出来るものだったのだから。モテはしなくても服装・衛生面で差別されるリスクを減らす事は可能だ。