2 骸骨時代
2 骸骨時代
 

1 建峯時代


 (誕生から少年時代、そして東京大学在学時代)
      清沢満之 略年表も参考にどうぞ。)

  1863年(文久3年)6月6日名古屋市黒門町81で、尾張徳川藩の下級士族(足軽頭) の 
長男として生まれる。 父は徳永永則、母はタキ。
  貧困な家庭ではあったが教育熱心であり、小学校時代から成績は抜群であった。語学(英
語)と共に数学や物理が好きであったという。
 
 16歳(1878年)の時、学問を続けるために真宗大谷派(東本願寺)の僧侶となり、本山の英才
教育機関である「育英教校」に入る。

 やがて井上円了(東洋大学初代学長)を先輩として、本山からの命により東京大学に学ぶ。
在学中は、宗教哲学を専攻し、E・フェノロサの影響を受け、成績は常に主席であったという。

 1887年(明治20)東京大学を卒業し大学院へ進むかたわら、第1高等学校(後の東大教養学
部)や哲学館(後の東洋大学)で講師を務める。
 また、両親を東京へ呼び寄せている。
    (この時、真宗の熱心な門徒である母タキは、満之のところへいくのだからと黒髪を絶ったといわれる)

2 骸骨時代
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