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庄内と遊佐の刺し子
スーザンの旅行記
2003バーミングガム
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プロフィール
スーザン・ブレスコとの出会い
遊佐町とイギリス・アポンエイボンの交流事業「2001ジャパンフェスティバルinイギリス」に参加する事になった私はパッチワークの交流を企画することにしました。1991年イギリスから遊佐町に英語助手として来町していたスーザンがイギリスでパッチワーク教室を開催していることを友人を介して知りました。彼女が遊佐刺し子に興味を持っていることもメールで知ったのです。彼女の紹介でアポン・エイボンのパッチワーク・グループ「ハサウェイ」と交流が実現しました。それからのスーザンと私はイギリスのパッチワーク界にどうすればインパクトを与える作品作りが出来るかをメールのやりとりで話合う事が多くなりました。
スーザンと遊佐刺し子の出会い
スーザンは2000年遊佐町に再来町し遊佐町文化の一つとして小野寺町長から遊佐刺し子を紹介されました。その後イギリスでも遊佐刺し子の紹介をしているのをスーザンのメールと本の紹介文で知ったのです。
私はパッチワークのキルトに遊佐刺し子を入れる事で新しい物に仕上がるのではとスーザンに提案、私はイギリスで行われる「グレイト・ノーザンキルトショウー」への作品出展を決め作品の制作にかかりました。嬉しい事にタイトル「凧絵」がレッドリボン賞をいただいたのです。その作品のベースには日本の遊佐刺し子紋様をキルトにした新しい作品としてイギリスの本ポピュラーパッチワークに紹介されました。
日本でも遊佐刺し子を取り入れた作品タイトル「伝承」が「キルトウィーク横浜2002」で和のキルト部門で入賞したのです。
遊佐刺し子を世界へ
女の文化として脈々と伝承されて来た
「遊佐刺し子」が何故軽んじられているのかを考え始めるキッカケにもなったのがこの頃からです。(私の思い過ごしで有ればいいのですが)。
糸を交差させる事で見事に仕上がる幾何学紋様は「縫い取り刺し子」とは違い素晴らしい文化の一つだと刺すごとに実感するのです。伝承され続けてきた刺し子をパッチワークと融合させることによって、新しい発見となり古い物を一つの技として次世代へもつなげられるのです古い物を大事にするイギリスでは遊佐刺し子の偉大さを理解してくれる多くの人がいるのです。それで次ぎのステップに進む事になりイギリス・バーミンガム国際展示場へと夢を見たのです。モチロンそれにはスーザンやイギリスでの友人達の協力、翻訳にも力を貸してくれた友人が居たからこそ見ることが出来た夢でした。
イギリス・バーミンガム国際展示場へ
日々変化する世界情勢、アメリカのイラクへの出兵、新型肺炎、そんな騒動の中、私の元に「キルトフェスティバル2003」への参加依頼が正式に届いたのです。
行政主導でない地方の町民レベルから生まれた国際交流の仕掛けの一つとして遊佐町の女性文化「遊佐刺し子」がイギリスに根付きヨーロッパ各地へと発展してくれる事を夢みて私たちは8月19日イギリスへ向けて出発しました。8月21日〜24日迄開催される世界の「キルトフェスティバル2003inバーミンガム」では「遊佐刺し子の体験コーナ」と我々の作品を広大な会場300ブースの一つに日本文化の代表として展示することができたのです。その間体験コーナーにはヨーロッパ各地から来たキルター達で日々満員の有様で一緒に参加したピースフる・ハートのメンバー8名も長旅の疲れも吹っ飛ぶ程の感動を貰うことが出来たのです。
おしまいに
イギリス・ウェールズのパッチワークと遊佐刺し子、異質なものを融合させたらどうなるか、から始まり作品を認めて貰うのでなく自分を表現する作品として仕上る事が出来たら、過去において女達が伝え続けた刺し子文化を新たな形で育てながら次世代へつないで行くことが出来るのではと思うのは私の傲慢さなのだろうか・・・・・
荘内日報社で紹介