梁塵秘抄

『梁塵秘抄』より(参照:岩波文庫,小学館「日本古典文学全集」)

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仏は常に在ませども……(26)
仏も昔は人なりき……(232)
我等は何して老いぬらん……(235)
我をたのめて来ぬ男……(339)
君が愛せし綾藺笠……(343)
遊びをせんとや生れけむ……(359)
我が子は十余に成りぬらん……(364)
我が子は二十に成りぬらん……(365)
舞へ舞へかたつぶり……(408)
恋ひ恋ひて……(460)
恋しとよ……(485)
神ならば……(559)

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ひとりごと
 『梁塵秘抄』の名をはじめて知ったのは、高校時代に読んだ『徒然草』からでした。第14段に「梁塵秘抄の郢曲の言葉こそ、またあはれなる事多かめれ」と出てきます。ただし、実物を読んだのは大学生になってからでした。
 「遊びをせんとや生れけむ……」の歌が、『梁塵秘抄』に載っている「今様」という中世の民衆による「歌謡」(流行歌)のひとつだと知って、他のものも読んで見たくなった、というのがきっかけでした。
 読んでみると、ほとんどが仏教に関係する内容なので、全部が面白いというわけではないのですが、当時(11世紀)の庶民の生活や心情がちらほらとかいま見えて、読めば読むほど味が出てきます。白拍子や遊女、そして傀儡子(くぐつ)と呼ばれた芸人達によって作られ、伝えられた当時の民衆の「歌謡曲」なのですから。
 ここに選んだ今様は、あくまで私の好みで選んだものなので、『梁塵秘抄』の代表作なのかと言われるとちょっと返事に困ります。それから、一応岩波文庫版や小学館版などを参照していますが、そのままだとあまりにも標記が不可能な漢字が多いので、一部を現代漢字に直したり、ひらがなに開いているところもあります。もともとが、かな書きにわずかな漢字で書き遺されていたものに、漢字を当てたと言うことですから、そんなにひどい間違いではないでしょう。くわえて、歌の「大意」も思いっきり感覚的に意訳しているものが多いので、そのつもりで読んで下さい。ここに載っているのは、あくまでも、私というフィルターを通した『梁塵秘抄』です。
 もし、これを読んで『梁塵秘抄』に興味を持った方がいたら、ぜひとも原典を味わって頂きたいと思います。そして、もともとは節を付けて謡われたものですから、ぜひ声を出して、繰り返し詠んで頂きたいなあ、などと思ってもいます。


『梁塵秘抄』について
  • 平安末期、後白河法皇(1127-1192)が編んだ歌謡集。主として「今様」と呼ばれる平安末期に流行した声楽の歌詞の集大成。記譜はなく、その歌い方も伝承されていないので、歌曲の音楽としての面は不明である。
  • 「今様」は、その当時として〈今よう〉、つまり現代ふうという意味で名づけられたもの七五調四句の詞型を特徴とし、独唱者が主として鼓などの単純な打楽器の伴奏とともに謡ったのではないかと推定されている。
  • 歌詞集及び口伝集、ともに10巻ずつがあったと推定されているが、歌詞集の巻1の断簡と巻2、口伝集の巻1の断簡と巻10のみが現存する。
  • 成立年代は未詳だが、嘉応元年までに口伝集の大部分が成立していたと思われる。
  • 現存本では566の今様を長歌(ながうた)、古柳(こやなぎ)、今様、法文(ほうもん)歌、四句神歌(しくのかみうた)、二句神歌などに分類して収載している。口伝集には撰述の事情などが記してある。
  • 平安末期の庶民感覚が生き生きと表現されており,文学史音楽史のみならず風俗思想史上にも重要な資料である。

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