玉井彰の一言 2007年4月 四国の星ホーム一言目次前月翌月

2007/4/30(月) 民主党は女性と若者にアピールせよ!

各世論調査で、安倍内閣の支持率が回復傾向にあるようです。これが参院選に有利に作用するかどうかは疑問です。近年の参院選では、2〜3ヶ月前の政治情勢は参考になりません。

1998年参院選では、橋本内閣「頓死」。2001年は、最低支持率の森内閣から小泉政権へのバトンタッチで自民勝利。2004年は、年金未納問題で民主党に火が噴きましたが、年金国会の審議が進む内に形勢逆転(「人生色々」の小泉発言など)して民主勝利。

毎日新聞の世論調査で、面白い結果が出ています。自民、民主どちらに勝たせたいかを問うたところ、ほぼ拮抗。二大政党的な感性が醸成されてきているようです。

両党の支持の内訳に注目しました。

【本社世論調査:参院選勝利望むのは自民38%、民主36%】(毎日) 
毎日新聞が28、29日に実施した全国世論調査で、夏の参院選で自民、民主両党のどちらに勝ってほしいかを尋ねたところ、自民38%、民主36%、その他の政党18%となった。この質問は昨年12月、今年2月に続く3回目で、過去2回も自民が民主より2ポイント多い結果だった。今回は安倍晋三内閣の支持率が上昇したが、両党が拮抗する状態に変わりはなかった。

ただ、統一地方選や参院補選で「自・民対決」傾向が強まる中、両党とも前回比2ポイント増にとどまり、両党が有権者の期待を十分に集め切れていないことも示した。

支持政党別に見て注目されるのは、公明支持層の動向で、自民と答えた人は29%で前回比4ポイント減だったのに対し、民主が16%で同6ポイント増。ほとんどが公明党を念頭に置いているとみられる「その他の政党」は50%で同4ポイント減だった。

自民支持層の88%、民主支持層の93%は、それぞれ自民、民主と回答。「支持政党なし」と答えた無党派層は民主38%、その他の政党29%、自民24%の順だった。

男女別では、男性は民主45%、自民38%で、女性は自民39%、民主30%と対称的な結果。「民主党は女性に人気がない」との指摘を裏付ける結果となった。年代別で見ると、20代が自民48%、民主23%と自民党への期待感が圧倒的。30代、60代、70代以上も自民が民主を上回った。一方、50代は民主48%、自民25%。40代も民主が自民を上回り、働き盛りの層で民主党への期待が大きいことを示した。

【コメント】
民主党は、40代、50代に支持され、自民党は、若者と高齢者に支持される。そして民主党は、女性に支持されていない。要するに民主党は、もてない中年政党です。こりゃ、なんとかせんといかん。

民主党が気遣っている層から支持されていないという点が問題です。女性や若者に配慮し、「女性の権利拡大」、「格差拡大」・「ワーキングプア」問題に熱心な民主党が、「亭主関白型」「父権型」の自民党に負けています。

「政権交代」が意味するところを一番理解できるのが、40代、50代の男性です。社会的な体験、論理的な思考を前提とすると、民主党に期待せざるを得ないという面があります。

それに対し、冷戦下の思考から脱却できていない高齢者を除く世代では、社会の第一線を担っていない層で、民主党の主張が理解されていないように思われます。どの政党が政権を取るのかについての関心が乏しく、マスコミの影響を受けて、「どっちもどっち」的に「達観」しているのではないでしょうか。

この層に切り込んでいくメッセージを開発しないと、参院選では民主党が勝っても、衆院選は難しいと思います。

民主党の主張に共感する漫画家やイラストレーターを結集して、民主党をイメージできるキャラクターを開発することを提案します。政治色を何倍かに薄めたものにします。

「候補者」を幾つかに絞り、アンケート等で「選挙」をして「代表」を決めます。同時並行的に、「テーマソング」もつくります。「キャラクター」にも、「テーマソング」にも「任期」を設け、固定化を避けます。

新たな国民政党。自民党には語れない未来を語れる政党。そうした民主党を打ち出していくときだろうと思います。


2007/4/29(日) 友近聡朗氏、街宣開始・・参院愛媛選挙区

3年前の参院愛媛選挙区では、連休前にやっと、民主党公認候補が決まった状態でした。自民党は県連のエースが公認候補となっており、自民圧勝の雰囲気。自民42万票対民主18万票からのスタートであろうと踏んでいました。

加えて、年金未納問題で自民党から民主党へと火が燃え移ってしまい、大逆風のスタート。候補者と街頭に立っても、いやーな雰囲気が漂っていました。小泉氏の「人生色々」から追い風に変わってきましたが、連休の頃は、とりあえず街頭に立つか、といった感じでした(結果:自民32万2千票、民主27万3千票)。

今回の参院選では、サッカーで知名度のある友近としろう氏(民主党推薦・無所属)の出馬とあって、自民・関谷陣営は引き締まっているであろうと思われます。中高年層では関谷氏の知名度が上回っていますから、友近陣営としてはこれから、中高年層に向けての訴えかけが必要になってきます。

満を持して、友近氏の街頭演説が開始されたようです。南予・愛南町からのスタート。友近氏の強みは、愛南町にある南宇和高校卒業というところにあります。南予で風雲を巻き起こすことが出来るかどうかがポイント。経済的に苦しい南予は、自民党の岩盤でありながら、自民党政治の矛盾が顕在化している地域です。

(参照)
大洲市議・中野寛之(ひろし)氏の Weblog(4月24日)
友近としろう氏の公式ホームページ 4月24日 愛南町街宣活動開始


2007/4/28(土) 灘町三丁目の夕日

我が町・郡中(ぐんちゅう)は、伊予市の中心部にあります。かつて、国道だった灘町(なだまち)を中心に賑わいがありましたが、御多分にもれず、商店街が衰退してきました。

伊予市の中心市街地活性化は、灘町通り周辺の活性化とほぼイコールです。これまで、伊予市の協力もあって、様々な取り組みをしてきました。毎月第3土曜日に開催している寿楽市もその一環です。

これからのイベント。中心市街地活性化のための施設、手づくり交流市場「町家」の3周年記念イベントが、ゴールデンウィーク(明日以降)に行われます。6月の第1、第2、第3土曜日開催の「ふれあい土曜夜市」は、子供たちに支持されています。7月28日、29日は、伊予市の夏祭り・住吉祭り。1年で一番賑わう日です。

灘町通りと市役所横を通る夕焼け通りとが交差する、灘町三丁目交差点。ここから見える夕日は格別です。昨日写真を撮りに行きましたが、失敗。午後6時30分頃、夕焼け通りの上に浮かぶ夕日は、心を癒してくれます。我が灘町三丁目の夕日。4月下旬と8月中旬が見頃です。


2007/4/28(土) 「分かっちゃいるけどやめられない」だったが・・政治家と弔電

お葬式に参列すると、政治家の弔電が披露されるのが定番です。名前を売る良い機会でもあるでしょうが、自分だけやらないというわけにもいかないという面もあります。出来れば削減したい経費。

【自民県議団「弔電やめます」 選挙区拡大でギブアップ?】(朝日)
統一地方選で改選された群馬県の自民党県議団(33人)は27日、支持者らへの弔電自粛を申し合わせた。30日付で「金のかからない政治に」と新聞広告で公表する。 

とはいえ、8日投開票の県議選までは、「皆がやるので地元紙のお悔やみ欄に載った全員に弔電を打った」と、ある県議。合併で選挙区も広がり、弔電代が倍の月6万円になったと明かす。 

弔電に使うレタックスは最低580円だったが、4月から一律900円に。懐具合に気をもむ先生たちは、今度は告別式に日参する、とか。

【コメント】
知名度のない政治家(候補者)は、羽根の少ない鳥のようなもので、なかなか羽ばたくことが出来ません。政治家というものは、名を売る機会には売っておかないといけないという強迫観念から自由ではあり得ません。

不義理な奴と思われるのも避けたいところです。様々の思惑の中で政治家の弔電が葬儀の定番となっています。内心やめたいのは山々なれどというところですが、1人だけやめるのは難しい。そこで、「皆で赤信号」ならぬ、申し合わせでやめてしまおうということなのでしょう。

「今度は告別式に日参する」となると、もっと大変ではないかという気がします。弔電地獄がなくなったら葬式地獄というのも、何ともはやの話です。有権者の見栄と政治家の思惑。そうした虚飾の上に成り立つ葬儀慣行を打破しなければならない時代に入りつつあります。

政治と金にまつわるいかがわしい話の根っこには、社会の意識が反映している部分もあるということは認識されなければならないと思います。


2007/4/27(金) 道徳を教科に格上げすべきか・・教育再生会議の議論

政府の教育再生会議で道徳を教科に格上げするという議論が出ています。それに対して、山崎正和中央教育審議会会長が反対しています。

【中教審会長:「道徳教育と歴史教育は不要」】(毎日) 
中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の山崎正和会長は26日、東京都千代田区の日本記者クラブで講演と記者会見を行い、個人的な見解と強調した上で、小中学校での道徳教育と歴史教育は不必要との考えを示した。さらに、政府の教育再生会議が論議している道徳の教科への格上げにも否定的な見解を述べた。

山崎会長は道徳教育について、賛否の割れる妊娠中絶の是非などを例示して「『人のものを盗んではならない』くらいは教えられるが、倫理の根底に届く事柄は学校制度(で教えること)になじまない」と指摘。「代わりに提案しているのは、順法精神を教えること。『国の取り決め』として教えれば良い」と持論を展開した。

現在行われている道徳教育の必要性を問われると「現在の道徳教育もいらないと思う。道徳は教科で教えることではなくて、教師が身をもって教えること。親も含めて大人が教えることだ」と述べた。

歴史教育についても、稲作農業が日本で始まった時期が変遷していることなどを指摘し「歴史教育もやめるべきだ」と述べた。

【コメント】
道徳を上から押しつけようとしても、効果があるとは思えません。規範が内面化するためには、自問自答の過程が必要です。成績評価がなされる状態では、自分の内面と無関係な知識になるだけではないでしょうか。

成績評価と切り離し、新聞等の記事を教材とし、現在進行形の話題を生徒間で議論し合う方が、自分自身の血肉になると思います。

道徳教育というのは、統治しやすい国民を養成するための手段としての側面があります。現政府は、この側面から道徳に着目しているのでしょう。

しかし、道徳を強調する政治家に限って、自分自身には道徳を適用しない傾向があります。国会議員の「必須科目」として道徳の時間を設け、国会議員自身がどう感じるのかを省みて後に提案すべきでしょう。道徳教育が必要な政治家がやけに目に付く昨今ではあります。


2007/4/26(木) こんな手があったか・・・天晴れ、隠れ天下り

「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種はつきまじ」。大盗賊・石川五右衛門の辞世の句と言われます。下の句を「世に天下りの種はつきまじ」に変更したい気分です。

悪知恵に関しては超一流。なんとしても、生涯所得を5億円、10億円、あるいはそれ以上にする。そうでなければ、死んでも死にきれない。

この志の低さには、脱帽します。ボランティアをやる人など、彼らから見ると別人種なのでしょう。

【国交省OB隠れ天下り…下請け入社、実際は大手勤務】(読売) 
2004年に国土交通省関東地方整備局を退職した幹部職員OB(60)が退職と同時に、同局から港湾工事を多数受注する海洋土木(マリコン)大手「東亜建設工業」(東京都千代田区)で勤務していたことがわかった。

国家公務員法は退職後2年間、関係企業への天下りを原則禁止し、同省の内規でも大手マリコンへの天下りは無条件で禁じているが、OBは中小の下請け会社に就職、東亜の支店に出勤する形をとり規制をかいくぐっていた。同省は、規制を骨抜きにする悪質な行為として、同様の事例がないか調査に乗り出した。

このOBは、同整備局港湾事業課長など、東京湾の公共工事の発注関連部局を歴任し、事業計画官だった04年4月1日に退職。翌2日付で、国交省の承認を受けて、東亜の「協力会社」と呼ばれる下請け業者「たにもと建設」(横浜市)に再就職し、技術部長に就任した。

ところが、たにもと建設と東亜建設工業横浜支店は2日付で、「業務委託契約」(2年間)を締結。東亜はたにもと側に毎月、技術指導の名目で100万円の委託料を支払い、OBは同支店で勤務することになった。

OBは、同支店の土木部長席の隣に机を置き、週3日以上出勤。支店の社員旅行などにも参加し、支店内では「部長」と呼ばれていたという。

国家公務員法は、退職後2年間、退職前5年間にかかわった業務と密接な関係にある企業に再就職することを原則禁止、2年以内の再就職には特別の承認が必要と規定している。

国交省は、東亜などマリコンやゼネコンへの再就職について独自の規制を設け、2年間は例外なく天下りを禁止。その一方、たにもと建設のような中小企業への再就職は、審査をパスすれば承認してきた。

OBの場合は、「土木工事の技術指導」の名目で、たにもと建設へ再就職が承認されたが、国交省は、東亜での勤務はまったく把握していなかったという。OBは2年後、たにもと建設を退職して同支店顧問に就任、現在も勤務する。

同支店は04、05年度、国交省が発注した東京湾関係工事を計8件(約32億円)受注している。同支店関係者は、「直前まで発注者側にいたOBの力は絶大で、OBがいなければ受注できなかった工事もあった」と証言。委託契約については、社内で「さすがにまずい」との意見もあったが、「ばれることはないから大丈夫だ」との声にかき消されたという。

東亜建設工業広報室は「技術指導のため業務委託契約を結び、OBに来てもらった。受注に結びつく営業活動はしていないはずだが、誤解を生じる契約であり、適切だったかどうか検討する」と話している。

国交省人事課は「誤解を招く勤務形態であり遺憾。同様の事例が見つかれば、やめるように指導していく」としている。

【コメント】
「誤解を招く勤務形態」と言う国交省人事課。「誤解を生じる契約」だと言う東亜建設工業広報室。誰も「誤解」はしてないと思います。天下り規制逃れの隠れ天下りと、隠れ天下り受け入れに対応する工事発注。

国民の活動に規制を加える。規制をくぐり抜ける行為について、あるときは制裁を加え、あるときは黙認するという形で権力を行使している霞ヶ関の官僚組織から見ると、2世3世の坊ちゃん政治家が考えつくような案への対抗策はお手の物です。

今回は下請けですが、全くの別法人で「チャレンジ」してくることも予想されます。「ナントカ企画」や「ナントカ研究所」が官庁に口を利き、顧問になっている会社に利益をもたらす行為等々。

堅固な鉄のトライアングル(政官業)にメスを入れない限り、どうにもなりません。政権交代を極度に恐れる有権者の意識を変革し、先進国における当たり前の政治を実践することなしに、「税金泥棒」の根絶は不可能です。


2007/4/25(水) 公務員に雇用保険を掛ければいいだけの話・・・「新人材バンク」の欺瞞

天下りに伴う官製談合に公引委や司直の手が入る事態が頻発しています。「市場価値」のなくなった公務員を高額で引き取ってもらう替わりに、「持参金」として「引取先」が「親元」から公共事業を受注するという、構造的な贈収賄関係を断ち切らなければなりません。

「そこで」と登場するのが、「新人材バンク」。各省別の天下りを禁じ、「窓口一本化」を図ろうとしています。しかし、天下り温存策であることは明白です。そうまでして公務員の人生をフォローしなければならないのか、いささか疑問です。税金で公務員用のハローワークをつくってどうするのか。

有能であることが根拠となって、極めて高額の給与をもらっているのが高級官僚の皆さんです。真に有能なら、どの分野でも通用するはず。「実はそうではなく、全く使い物にならないから国が面倒見るんです」と言わんばかりのアフターケア。

民間ならハローワークで職探しをするところ、何故国が関与して面倒を見なければならないのかと質すと、公務員には失業給付がないからだという答えが返ってきます。それなら、公務員にも雇用保険を掛ければいいだけの話です。大昔はそういう制度になっていたはずです。雇用保険を掛ければ、公務員の人生設計が柔軟なものとなります。公務員についてだけ、雇用保険という「転職のための黄金の橋」をはずす必然性はありません。

「構造的贈収賄罪」を新設するというのはどうでしょうか。天下り先が天下り後10年以内に公務員の出身省庁から公共事業を受注する行為を犯罪とします。民主党・菅直人氏は、天下り先への公共事業発注を禁じるということを提案されているようですが、ズバリ、犯罪とすべきです。

そういう制約条件を課してもなお、当該公務員の能力を評価して応分の条件で雇用したいという場合は、正当な就職の範疇に属するものだと思います。

(参照)
4月2日【高級官僚の「市場価値」・・「新人材バンク」について】


2007/4/24(火) サラリーマンの立候補・・・退路は断つな

統一地方選挙で、サラリーマンが立候補する事例もありました。まだまだ少数です。議会の人材不足を解消するためには、サラリーマンが退職しないで立候補できる仕組みをつくらなければなりません。

【サラリーマン候補奮戦 「立候補休職」理解なお進まず】(4月23日朝日)
サラリーマンを続けながら、年次休暇などを利用して東京都特別区の議員選挙に挑戦した人たちがいる。当選した1人は「公職についている間は休職扱いをする」という会社の就業規則を利用して、「二足のわらじ」をはき続ける考えだ。

人材派遣会社パソナ社員、浜田浩樹さん(29)は渋谷区議選で1330票を獲得、23日未明、初当選を決めた。「自分のようなサラリーマンが当選できて、よかった」 

もともと政治に関心があり、同社を選んだのも「立候補休職」に理解がある会社だったからだ。4年前は次点で落選。残っていた年次休暇のうち約1カ月分を使って準備や選挙運動にあてた。 

他陣営からは「落ちても戻るところがある彼は『背水の陣』じゃない」と批判されることもあった。だが、浜田さんは「政治に専念したらしがらみも出る。生涯一政治家より、区議の仕事は一個人のいろいろな活動の一部」と反論する。 

パソナの就業規則には「国会議員、都道府県会議員等の公職に就任したとき、その在任期間を休職とする」という規定がある。浜田さんは23日、会社に当選を報告し、今後を相談する予定だ。 

電機メーカー富士通のシステムエンジニアで、1週間の年次休暇で文京区議選に挑戦したのが塩野拓さん(45)。45人中43位で落選。自宅のケーブルテレビで開票結果を確かめ、23日はいつも通り出勤した。 

昨年、長男の通う小学校の統廃合問題が起き、区政に関心を持った。「会社には代わりがいる。教育問題や地域社会にかかわるのは今しかないと思った」 

たとえ1週間でも職場に迷惑がかかると心配したが、同僚が穴を埋めてくれた。当選したら会社の公務休職制度を使うつもりだった。「区議は本来、兼業してやるものだと思う。自分にとっての課題が解決すれば、1期で代わってもらえばいいと考えていた」 

労働基準法は、労働者が「選挙権その他公民としての権利を行使」することを保障し、両社のように就業規則などで社員が公職に就いた場合に休職を認めるところもある。だが、理解がある企業はまだ少ない。 

やはり休暇をとって区議選に出た男性は「選挙が終わってみたら、会社に席はないという雰囲気ではないか」と話した。 

さりとて会社を辞めてしまうと、落選した時生活に困る。その結果、旧来の議員にはない経験や知恵を持つサラリーマンは、政治の場に進出しにくいのが現状だ。 

学校法人に勤めながら堺市議に当選し、公務休職をした経験を持つ都市政治研究所代表の長谷川俊英さん(65)は「法律でもっと明確にすべきだし、復職後も不利益な取り扱いをしてはならないという法整備が必要だ」と話している。 

【コメント】
選挙というのはおかしなもので、他の地域の者が見ると(その地域の人が見ても)、なんでこんなオッサンを選ぶのかと疑問に思うような人が当選します。もう少しましな議会にならないのかと思う方が多数であろうと思います。

しかし、そう言う傍らで、(1)同級生(2)友人・知人(3)地元の人(4)人の薦め(5)戸別訪問をしてくれたから、というような、政策や理念とは関係のない理由で投票行動が行われています。「空しい結果」は、そうした投票行動の「総和」であるということも理解しなければなりません。

当選可能ラインまで「人の輪」をつくりあげていくのが選挙の「王道」であるとすれば、職場とその往復に明け暮れるサラリーマンが被選挙権を行使することは著しく困難です。ある程度の休暇が保障されなければ、きちんとした選挙運動にはなりません。

これは労働基本権の派生的な権利として、法整備がなされなければなりません。圧倒的多数の勤労者が実質的に被選挙権の行使ができない状態にあるということは、民主主義にとって異常事態であるという認識が必要です。

地方議会においては、職業分布(主婦や学生、アルバイトなどを含む)に比例した形で議員が選ばれることが理想です。それこそが、「民主主義の学校」の名にふさわしいと思います。


2007/4/23(月) 引き分けで 喜ぶ自民 桐一葉・・・参院補選1勝1敗

10年前、公明党は野党でした。その頃は、野党共闘に公明党が加わっても、自民党にはなかなか勝てませんでした。

それが今、自公連立で参議院の過半数が危ないという状況に陥っています。しかも自民党は、公明党・創価学会の支援がなければ、まともな選挙を行うことができなくなりました。

小泉政権という際物(きわもの)で5年半凌(しの)ぎましたが、今夏の参院選がどうなるのか予断を許しません。「ナントカ還元水」が勝つのか、「生活維新」が勝つのか。

昨日の参院補選は、与野党1勝1敗。与党幹部が喜びの会見。それを見て、「桐一葉 落ちて天下の秋ぞ知る」という文句を思い出しました。


2007/4/22(日) 嗚呼、学力テスト・・・文部科学省の権限拡大が進むだけ

国が力を入れて、馬鹿げた取り組みを行うことになりました。全国学力・学習状況調査。多分、弊害の方が多くなるでしょう。仕事らしい仕事のない文部科学省に仕事をつくるという意味合いで理解する方がよさそうです。

【24日に全国学力テスト=小6と中3、240万人対象−43年ぶり実施】(4月21日 時事通信)
文部科学省が、小学6年と中学3年の全児童・生徒計約240万人を対象に実施する「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)が24日、一斉に行われる。学年全員が受けるテストは43年ぶりとなる。学校の序列化や競争をあおる結果を避けるため、同省は全体傾向を示す結果公表に限定し、取り扱う膨大な量の個人情報についても管理に細心の注意を払うとしている。
 
学力テストは、文部省(当時)が1956年から小中高の5〜10%を抽出する形で開始し、中2、中3は全員調査も行われた。しかし、学校や地域間の競争が過熱化し「学力コンクール化」の批判が出たため、66年度までで中止した。
 
学校週5日制など「ゆとり教育」路線で学力低下が問題化し、2004年に中山成彬文科相(同)が「子どもの競争意識を高めることも必要」として、再開を決めた。  

【コメント】
私が小学生の頃、学力テストで愛媛県は、長野県と全国1位、2位を争っていました(と、当時聞かされていました)。ところが、「舞台裏」がありました。

私の体験では、学力テスト向けの補習が頻繁に行われ、最後には解けない方がどうかしているというくらいまでの繰り返しがありました。「先生、こんな詰まらないことはやめませんか」と何度も口から出かかりましたが、先生も嫌々やっているようだったので、結局口には出しませんでした。本番では補習で出たのと同様の問題が出るので、子供心に馬鹿馬鹿しいことをやっているもんだとあきれていました。

子供の方を向かず、ヒラメのように上ばかりを向いている教師に学力テストを導入すると、どういうことが起きるのかは、容易に推測可能です。教育現場に良い意味での競争が起きるとは思えません。ノルマ主義の横行が懸念されます。工夫を加えているようなことは言っていますが、疑問です。

文部科学省の権限拡大と教育における中央集権の強化。そして、教師の心の荒廃。学力テストの日に、出来の悪い子には欠席するよう指導があった、などという過去の暗いニュースを思い出しました。

「改革」のスローガン、「民間でできることは民間で」という話とは大いに矛盾します。日本の実態から言えば、塾や予備校に情報を提供してもらって分析する方が、より良質なデータが得られるのではないでしょうか。

少年野球にスピードガンでの測定を強制するようなことをするよりも、きちんとした投球スタイルを身に付ける指導を行った方が、子供は将来伸びると思います。

むしろ行って欲しいのは、「基礎力確認テスト」というようなものです。これを全部解けば基礎力ありと評価できるテストを(民間で)開発して、全問正解すれば次に進むというやり方の指導です(「公文式」についてはよく知りませんが、そういう感じのものなのかもしれません)。全問正解するまで何度でも「受験」してもらいます。子供が挫折するポイントを少なくすることの方が、全体の学力増進には有効です。


2007/4/21(土) 商店街は内なる衰退原因見つめ、心からの接待を

商店街の衰退を郊外の大型店のせいにするだけではだめであり、内なる衰退原因を見つめることによって、主体的に復活への一歩を踏み出さなければなりません。

鳥取市の事例は参考になります。

【鳥取マチナカ応援隊:「小さなまちのえき」運動スタート 買い物客と交流】(毎日)

◇中心市街地の店舗を“駅”に ファン増やそう
 
客離れに歯止めがかからない鳥取市の中心市街地を活性化しようと、商店主らが19日、「小さなまちのえき」運動をスタートさせた。商店主が街の案内人となり、観光客や買い物客らに情報提供や道案内などをして、もてなす取り組み。企画した澤田しげきさん(58)は「旅の思い出となるような交流を通じて、鳥取ファンを増やしたい」と抱負を語っている。
 
同市街地の商店主や市民が集まって06年5月に発足した市民団体「鳥取マチナカ応援隊」が企画した。運動名の「小さなまちのえき」は、市街地の商店を“駅”に見立てて命名した。
 
駅になったのは、若桜街道や智頭街道、本通り商店街付近の喫茶店や洋服店など18店で、ロゴマーク入りの看板やステッカーが目印。商売しながらのサービスだが、もてなしの心で知りうる限りの街の情報を伝え、訪れた人に「また来たいな」という思いにさせたいという。
 
とっとり政策総合研究センターの調査研究ディレクター、千葉雄二さんは「市街地の商店街の不振はこれまで、郊外型大規模店舗との対比で語られてきたが、客層や商品コンセプトは必ずしも競合しない」と分析。そのうえで、「商店経営者は不振の原因を外にみつけるより、接客態度を見直すなど自らの機能を良くすることが重要。客の声を取り入れながら活動してほしい」と述べ、期待を寄せた。

【コメント】
超高齢社会で必要なインフラが商店街です。このことを肝に銘じて商店街の活性化に取り組まなければなりません。

車社会に対応できる人は、郊外の大型店での買い物が便利です。しかし、車社会に対応できない人にとっては、歩いて暮らせる街が便利です。商店街という商業施設は、高齢社会におけるインフラとして維持されるべきです。

マクロの視点では、郊外型大型店のために必要とされる道路や上下水道等のインフラ整備のための経費が、費用対効果の観点から見直されるべきであり、また、環境負荷を軽減するために、コンパクトシティー(商店街がその構成要素となる)に向けた取り組みが必要になります。

それとともに、ミクロの視点も重要になってきます。商店街衰退の原因は内部にあったのではないか。そういう反省がなされない限り、行政がマクロ的視点からの施策を講じても、商店街の活性化には結びつきません。

笑顔と親切。人と人との温かい繋がりを大切にした、真に必要とされる商業施設になっていかなければなりません。

《独言》
8年近く続けてきた寿楽市伊予市灘町商店街活性化のためのミニイベントです。毎月第3土曜日に行っています。今日(今月)からは会場を元広島銀行(の駐車場)に移して行います。伊予市(土地開発公社)が福祉の拠点を中心市街地につくるために、撤退した広島銀行から銀行の建物と駐車場を購入しました。

町中に公的施設をつくる(郊外から移転させる)ということが、中心市街地活性化策の1つとして、国でも重視されています。


2007/4/20(金) 予断・偏見との戦い・・・植草一秀氏が週刊誌を提訴

一度被疑者・被告人の汚名を着せられると、その後は「あることないこと」というより、「ないことないこと」が無責任に報じられます。水に落ちた犬はたたけ、状態。

そういう報道は売れるからです。広告に1行見出しが載るだけで、万単位で売上部数が伸びるのではないでしょうか。そうなると、中味はさておいての見出し競争になっていきます。

通常、刑事被告人になった人物に反撃可能性はありません。そうであるが故の過熱報道。そのくせ、逮捕者に関する情報については、取材が自粛されているように思われます。

【植草氏、「『水に落ちた犬たたけ』報道許されぬ」と提訴】(朝日)
電車内で女子高校生に痴漢をしたとして東京都迷惑防止条例違反の罪で公判中の植草一秀・元名古屋商科大学大学院教授が19日、週刊誌の記事で事実に反する事柄を報じられて名誉を傷つけられたとして、発行元の4社に計5500万円の損害賠償などを求める訴訟を東京地裁に起こした。 

訴えられたのは毎日新聞社、講談社、小学館、徳間書店。問題とされたのは「現役女子高生が怒りの被害激白! 『植草教授にのぞかれて1万円で示談にされた』」(アサヒ芸能04年4月29日号)など4誌の記事。 

弁護団は「記事は刑事事件とは関連性がないうえに事実無根だ。『水に落ちた犬はたたけ』式の報道は許されない」と訴えている。植草元教授は刑事裁判で無罪を主張している。 

【コメント】
刑事裁判は、被告人にとって予断・偏見との戦いになります。裁判官は予断・偏見を持つことなく、白紙の状態で裁判に臨むことになっています(予断排除の原則)。

しかし、裁判官も人の子。報道が過熱すれば、嫌でも「情報」は目や耳に入ってくるでしょう。そこから生じる予断と偏見から自由であることは極めて難しいと思います。

加えて我が国の場合、裁判官が警察・検察を過剰に信頼する傾向があります。99.99%の有罪率が、真に警察・検察の優秀さや捜査の精密さを表したものかどうかは疑問です。近時の無罪判決続出が、その傾向からの脱却を意味するものであれば朗報です。

今回の植草氏のように、重罪とは言えない事件で数ヶ月身柄拘束を受け、自白すれば釈放という「餌」がちらつかされれば、大半の人は「自白」するでしょう。そうしたやり方を自白の強制ではないと強弁しながら維持されている司法制度のあり方にも目を向けていく必要があります。

植草氏には、名誉のために戦っていただきたい。

(参照)2006年9月18日:【「0.01%」を見逃さない緻密な社会が個人を守る】 


2007/4/19(木) 行政の軟弱化を懸念する・・・長崎市長殺害事件

住民とのトラブルや暴力団がらみの事件(公害事犯等)を抱えている自治体は数多くあります。今回の伊藤一長・長崎市長殺害事件については、各自治体が軟弱化し、毅然たる態度を取らなくなるのではないかという懸念を強く抱きます。

この事件は個人的動機が主であると思われますが、こうした凶行に発展する可能性のある事案は数多くあります。「気に入らないからやってしまえ」という傾向が助長されると、幾つのも事件を誘発する可能性があります。

各自治体は警察との連携を強化し、行政上のトラブルについての情報交換をする必要があります。世間の耳目を集めていない小さな事案では、行政が大幅な譲歩をすることで「解決」しても、さしあたり問題にはなりません。そういう「解決」がジワジワと行政の緊張感をなくす方向に作用し、組織の退廃を招きます。

もちろん、この事件は民主主義に対する重大な挑戦です。戦前多くのテロが発生し、結果として政治家や軍人が合理的発想でものを言うことができない社会になり、天皇以下誰が考えても勝てそうにない対米戦争にまで突き進んでいってしまいました。

日本型ファシズムには、ヒトラーやムッソリーニがいませんでした。個々の政治家が自己保身に走り、「軍部が黙っていないだろう」、「配下を抑えきれそうにない」という理由で過激な路線をひた走りました。

行政や政治家が、「勇気」という背骨をなくさないようにして欲しいと思います。


2007/4/18(水) 一人勝ち・東京の取り過ぎ分に首都税を!

極端な中央集権国家である我が国は、大半の大手企業や団体が東京に拠点を持っています。地方の企業だと思われていた大手企業も、何時の間にか本社を東京に移しています。

そうしたことから、首都東京には本社課税分の過剰な収入が入ってきます。「不当利得」とでもいうべきものです。

【都心を国直轄に…猪瀬直樹氏、「東京DC特区」構想を提案】(4月17日読売)
政府の地方分権改革推進委員会が17日開かれ、作家の猪瀬直樹委員が、東京都の中心部を国直轄の「東京DC特区」とする構想を提案した。

自治体の税収格差の是正が狙いで、大企業が多く法人関係税が集中する特区の税収を、財政の苦しい地方の自治体に回すとしている。

米国の首都ワシントンDCをイメージした特区は、千代田、中央、港、品川、新宿、江東など、おおむね12区にわたり、人口は約300万人。猪瀬氏の試算によると、特区内の地方税収は3・3兆円(2004年度決算ベース)で、地方税収全体の約1割を占める。特に、法人2税は1・5兆円で、全自治体の2割を超える。

猪瀬氏は「東京は、自己努力の結果ではない税収が入り、独り勝ちしている」と指摘するが、実現のハードルは高そうだ。 

【コメント】
「東京は、自己努力の結果ではない税収が入り、独り勝ちしている」との指摘はその通り。

首都であることに起因する利益は、全国民に配分されるべきものです。端的に「首都税」を東京都に課税すべきです。その金額の算定基準として、猪瀬氏のいうDC特区での地方税収を考えるのが妥当です。首都税は目的税として地方に配分することにします。

嫌なら首都を返上すればいいのです。その場合には、遷都ということになります。ただし、新たに首都になっても、東京都が耐えられないような「首都税」は無理だし、少なくとも初期段階では「DC特区」自体を考えることはできないでしょう。遷都の場合でも、東京都の超過利得にはなんらかの課税が必要です。

今正に、地方が東京の頸木(くびき)から解放され、人材・権限・財源を獲得して地方主権型の社会を目指すべきときです。

中央集権の象徴が東京であり、霞ヶ関と自民党です。地方主権型社会をつくるためには、まず自民党に退場してもらうことが必要です。


2007/4/17(火) 改めて浅野史郎氏に感謝したい・・都知事選挙での善戦

候補者というものは辛いもので、負けると罵詈雑言がたたきつけられます。都知事選挙に石原氏が勝利したことで、候補者の問題を云々する傾向も見られます。

しかし、告示日が迫る中、半ば負けを覚悟しながら、応分の知名度と実績のある人物が立ち上がることの困難さを思えば、浅野氏の勇気は特筆すべきものがあります。

マスコミは、石原氏「圧勝」、「大差」という軽薄な見出しを大きく掲げましたが、詳細を見ると違った面が浮かび上がってきます。

前回の選挙。総得票数は438万票(投票率44.9%)。石原氏309万票、樋口恵子氏82万票。得票率、石原氏70.5%、樋口氏18.7%。

今回の選挙。総得票数550万票(投票率54.4%)。石原氏281万票、浅野氏169万票。得票率、石原氏51.1%。浅野氏30.8%。

前回より112万人も多くの有権者が投票所に足を運びました。投票率では9.5%増。都民が関心を持って選挙を行うことができたし、石原氏の得票率を20%近く下げることができました。反石原票の重みがもっと強調されるべきです。

石原氏の勝因はと言えば、「反省ザル」ポーズ。そして、殊勲賞・共産党の「浅野叩き」と敢闘賞・創価学会のフル稼働応援ということになります。

虚名、虚像の石原慎太郎氏ですが、これに立ち向かうことができる有力者は限られます。都知事選挙名物の「とんでも候補」に選挙を掻き回されるハンディがチャレンジャーの側にのし掛かってきます。知事経験者が敗北を喫することの辛さも理解する必要があります。

そうした諸々を考えれば、浅野氏の勇気は大いに讃えられるべきだと思います。選挙から日が経ちましたが、あまりにも愚昧な論調が多いので、敢えて述べさせていただきます。


2007/4/16(月) 夕張市民の意識・・・市長選挙告示

財政破綻した夕張をなんとかしたい。そういう思いで立ち上がっている市民もいます。多くの国民が声援を送っています。では、全体としての市民意識はどうなのか。

先頃、朝日新聞にアンケート結果が出ていました。それによると、市長選挙で重視するのは国とのパイプがあるかないかということのようです。

【夕張有権者、一番重視は「国とのパイプ」 本社世論調査】(4月11日、朝日)
財政再建団体になって初めての市長選が22日にある北海道夕張市で、市長を選ぶ際に「国や道とのパイプ」の役割を一番重視するとした市民が43%いることが、朝日新聞社が7、8の両日、市民を対象に実施した世論調査(電話)で明らかになった。62%が再建計画を「厳しすぎる」ととらえ、財政再建が市の計画に沿って進むかについて、「そうは思わない」とする回答が73%に上った。

「市長選の投票で何を一番重視するか」を聞いたところ、「国や道とのパイプ」に次いで「政策やアイデア」が28%、「リーダーシップ」が22%だった。また、地元の人かどうかを重視するかについては、64%が「重視しない」と答え、候補者本位で選ぶ考えを示した。15日告示の市長選には現在7人が名乗りを上げており、うち4人は道外出身だ。 
「再生に向けて最も重要なもの」についても、約半数の45%が「国や道の支援」と回答。「市の行政努力」は28%、「市民自身の努力」は21%にとどまった。 

18年かけて353億円を返済する再建計画については、「妥当だ」との回答は16%だった。再建計画の実現に悲観的な見方が多いのは、人口減少に高齢化が重なり、計画で見込む税収が得られるか不透明という事情がある。市長や市民の力だけでは再建計画の達成は難しく、国や道による新たな財政支援に頼らざるをえないという考えが市民に広がっているようだ。 

「これからも夕張に住み続けたいか」については、78%が「住み続けたい」と答えた。だが「夕張が活気を取り戻す期待を持っているか」と聞いたところ、49%が「持っていない」と回答。多くの市民が街の将来にも強い不安を感じていることが分かる。 

【コメント】
高齢者が多いということもあるのでしょうが、市民の意識が他力本願の姿勢から脱却できていないというのが実態です。

国とのパイプがある人が市長になる方が、より現実的な再建に結びつくと考えるのが、これまでの常識だろうと思います。また、高齢者の方々にこれまでの意識を変えろと言う方が無理なのでしょう。

しかし、自力更正に向けた市民の結束がなければ、早期の再建は不可能です。幹部を中心にゾロゾロと市役所の職員が辞めていった夕張市。残った職員と新市長、議会が一丸となって市民を引っ張り、再建に向けた取り組みをしなければ、明日はありません。

多くの国民が注視する中で、夕張市長選挙の告示。市長選挙を契機として、市民が自力で更生するんだという決意を持ってもらいたいものです。

全国には、自堕落な自治体が数多くあります。夕張市の破綻と再生の物語が、自堕落自治の覚醒に結びつくような、新時代の自治胎動の物語であって欲しいと思います。


2007/4/15(日) 東京で3日、田舎で4日・・2地域居住を政府が支援?

金帰火来。即ち、金曜日に地元へ帰り火曜日に東京へ。これが国会議員の生活スタイルです。このような2地域居住は、一般の人にとっても刺激的で面白いのではないでしょうか。

将来的には増えるであろうニーズに対応して、政府も研究を始めるようです。私の将来の夢は、「東京で3日、田舎で4日」です。政治じゃありません。東京では、街巡りと神田書店街での図書購入。本を携えての喫茶。

【「U・Iターン」で田舎暮らし、政府が本格支援へ研究会】(読売) 
政府は12日、都市に生活の拠点を持ちながら週末だけ地方で暮らす「2地域居住」や、地方に生活拠点を移す「U・Iターン」の支援に本格的に取り組む方針を固めた。

優遇措置を設けることで団塊世代などの「田舎暮らし」を促し、農業などを通じた生きがい作りを支援するとともに、資産や技能を持つ都市住民の地方移住を進めて地域間格差の解消に役立てるのが狙いだ。

再チャレンジ担当の山本金融相の下に、有識者と関係府省による研究会を設置し、今夏をめどに基本方針をまとめる。研究会では、〈1〉2地域居住の場合の移動交通費の優遇措置〈2〉二つの自治体で受ける行政サービスに応じた住民税負担のあり方〈3〉関係府省や自治体がインターネットなどで提供している移住情報の一元化――などを検討する。起業支援、観光・金融分野など専門知識を持つ人材の移住促進策も課題となる見通しだ。

政府調査では2地域居住を希望する人が2030年に1000万人に達するとの推計もあり、支援策をまとめることにした。

【コメント】

どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた
(童謡「どんぐりころころ」の一節)

不用意に田舎居住をし始めても、様々な困難から都会に逃げ帰る方がいます。これからは家余りの時代。2地域に居住するのであれば、リスクを回避できます。

居住者と共に住民税が増え、交流人口が増大するのであれば、田舎の自治体としても有り難い話です。

移動経費と情報。これが課題です。情報については、政府がそれほど心配しなくても、2地域居住についての積極支援策が出てくれば、自ずと提供されるのがIT時代というものです。むしろ、情報リテラシー(情報を自己の目的に適合するように使用できる能力)の育成に力を入れるべきです。

移動経費については、「2地域居住証明書」があれば各交通機関が優遇するなどのサービスもあるでしょうし、税法上の優遇措置が考えられてもいいと思います。不動産についての税法上の優遇措置も必要です。

どんぐりころころよろこんで
田舎の暮らしにとけこんで
東京暮らしはもういいと
田舎でのんびり暮らしたよ

といけばいいのですが。


2007/4/14(土) 大卒が「高卒」と偽る学歴詐称をどう見るか・・大阪市の場合

神戸市や尼崎市で、大卒者が高卒を偽って採用されていたことが発覚し、諭旨免職となった事例が記憶に残る中で、大阪市では大量400人の「大卒→高卒」型学歴詐称が発覚。

果たして、「大は小を兼ねる」でいいのかどうか。

【大阪市職員400人学歴詐称、大卒者が高卒枠で就職】(読売)
大阪市職員約4万5000人のうち400人以上が、学歴が大卒や短大卒なのに「高校卒」と偽り、受験資格が高卒以下に限定されている職種で採用されていたことが、市の調査でわかった。

自治体職員の就職時の虚偽申告は昨年6月以降、神戸市(36人)や兵庫県尼崎市(2人)で発覚し、両市は諭旨免職としたが、大阪市は、こうした職員が業務を支障なくこなしているうえ、「これだけで安定した生活を奪うのは厳しすぎる」として停職1か月の懲戒処分にとどめる方針。

神戸、尼崎両市で発覚後、大阪市にも「学歴を偽った職員がいる」などの通報が寄せられたため、市は3月9日から全職員の調査を始めた。同月29日までに申告すれば停職1か月だが、その後に判明したら懲戒免職にすると伝えたところ、申告する職員が多く、期限を今月20日まで延長した。

市によると、これまでに、ごみ処理業務で約3000人のうち約200人、学校の給食調理員や管理作業員で約2300人のうち100人以上、公園管理や下水処理などの担当職員にも虚偽申告が判明している。こうした職員は「どうしても公務員になりたかった」などと話しているという。調査結果は今月末に公表する方針。

問題の職員が一斉に停職となれば業務に支障が出る職場もあり、対応を検討中。ごみ収集業務では時間を延長して収集回数を増やす案などが浮上している。

市は、雇用機会の均等を確保するため技能職員の受験資格を高卒以下に限定していたが、2002年度に撤廃した。一般行政職では、高卒程度、短大卒程度、大卒程度に分け、大卒者が高卒・短大卒の試験、短大卒者が高卒の試験を受けることは認めていない。

市側は「大卒者も高校を卒業しており、職務能力の点で大は小を兼ねるとも言えるが、申請段階では虚偽は明白。ただ、安定した生活を奪うほどではない」としている。

【コメント】
とかく法規制に無頓着な大阪での出来事。「まあ、ええやんけ」ですましていいのでしょうか。400人もいるから「セーフ」、1人なら「アウト」、では「諭旨免職」となった神戸市、尼崎市の職員が不憫です。

学歴別に採用していた趣旨からすれば、「大は小を兼ねる」とは言えないのではないでしょうか。就職機会を奪われた高卒受験者の立場を考慮すべきです。「被害者」がいるのです。

大阪市でもかなり重いペナルティーを科すべきです。「停職1ヶ月」は軽すぎます。しかし、「免職」は重すぎる。

「時効」という概念を考慮する必要があります。「これだけで安定した生活を奪うのは厳しすぎる」という大阪市の判断の中には、長期にわたって存続している事実状態を尊重して、その事実状態を前提として構築された社会秩序や法律関係の安定を図るという、「時効」の考え方が潜んでいます。

この考え方を前提として、身分については奪わず、欺罔行為により高卒者の就職機会を奪って身分形成をしたことへのペナルティーを科すべきだと思います。「停職1ヶ月+給与を同一条件下の職員との比較で恒久的に10%削減」でどうでしょうか。時効の考え方は、「身分」についてのみとします。

そうなると、神戸市、尼崎市における「諭旨免職」は重すぎるということになります。救済措置があって然るべきです。これは全国的にあり得る事態です。一定期間限定で申告を認め、「免職」を回避する方策を採るべきだと思います。


2007/4/13(金) 憲法改正が「ヘボ将棋」になった・・衆院特別委員会強行採決

国民投票法案の与党修正案が、衆院憲法調査特別委員会で強行採決により可決。手続き法レベルでも国会の3分の2が賛成した形で国民投票法が成立すべきところ、与党は自らの政治日程に拘束され、強行採決という愚作を弄することになりました。

今後拙速であるが故に、最低投票率について先進諸国との比較が行われるなど、手続き自体に様々な議論が巻き起こるかもしれません。

民主党案は、見方によっては、敵に塩を贈るような内容でした。自民党が丸飲みすれば、むしろ自民党優位で憲法論議ができる可能性もありました。与党の強行採決で、民主党は憲法論議に正対しづらくなってしまいました。

国民投票法の成立で憲法改正が遠のく展開。「三手詰め」の局面で、「王手」を焦って「王」を逃がしてしまう「ヘボ将棋」型の政局になりつつあります。

与党が「憲法改正」を参院選の争点にしやすくなったのか。それとも、野党が戦いやすくなったのか。政党幹部の腕の見せ所です。


2007/4/12(木) アリかキリギリスか・・・尾身財務大臣の発言について

日本をキリギリスの国にしてはいけない。経済財政諮問会議での尾身財務大臣の発言が記事になっていました。あってしかるべき問題提起だと思います。

経済の繁栄、国力の増強なくして国民の幸せはない。勤勉の精神が軽んじられると国は滅ぶ。そう考えて、我が国の諸先輩方はやってきました。

他方、長時間労働の弊害も明らかになってきました。家庭や地域で過ごす時間を確保するためには、労働時間を短縮する必要があります。

そのあたりのバランスをどう取るのか。

【尾身財務相:「残業半減ではキリギリスに」諮問会議で発言】(毎日)
労働市場改革を議論した6日の経済財政諮問会議で、残業時間半減などを政府目標にすべきだとする民間メンバー案に対し、尾身幸次財務相が「日本をキリギリスの国にしてしまう」と反論していたことが、11日公表の議事要旨で分かった。

尾身財務相は「働きたいのに残業時間を半減しなければとか、働かないことがいいことだという考え方は自由主義に反する。国家の方向として決めることは、わが国が衰退する原因になる」と主張。民間案の土台にある「ワークライフバランス」(仕事と家庭の両立)などの仕事観、家庭観に異議を表明した。

これに対し、安倍晋三首相は「みんなキリギリスになったら大変だが、日本はそういう方向には向かない。長時間労働を前提に経済が成り立つのは間違っている。家族がしっかりしていなければ国が成り立たない」と、民間メンバー案に理解を示した。

【コメント】
「時短」が叫ばれ、労働基準局も力を入れ始めてから10数年。確実に勤労意欲は減退してきたと思います。従業員に対し「もう少し頑張れないのか」という思いを持つ経営者は多いだろうと推察します。

中国やインドなどの台頭により経済的な基盤が脅かされそうな状況下で、呑気なことを言っていたら、たちまち落ちぶれてしまうのではないか。こうした疑問が湧いてきます。

そうした懸念を前提としても、家庭や地域が大切な時代になってきたという認識は必要です。

長時間労働は体力的にきついというだけではなく、人間が完全に鋳型にはまってしまい、本来の人間性に歪みを生じてしまうところに問題があります。

熟年離婚、定年後の社会的不適応、DV等々の問題は、長時間労働に起因するところがあるように思えます。

仕事、家庭、地域との折り合いが付けられるバランス感覚の優れた人物が必要な時代です。そして、健全な家庭や地域をもった勤労者が豊かな心をもって勤労に励むというイメージがこれからのあるべき姿として提案されるべきです。

と、ここまで書いてきて何ですが、やはり頑張らないといけないと思います。「ゆとり」が「ゆるみ」になり、国家の存立に揺らぎが生じる可能性を否定し切れません。

この問題についても、地方主権型社会による国内競争を実現することによって、修正が可能な仕組みにしておくべきだと思います。

「日の丸」の旗の下に幾つかの「日本」が競い合い、より良い制度が模索できる仕組みが必要です。西日本ブロック(中国・四国・九州)は「月月火水木金金」だが、関東ブロックは「週休3日」、近畿ブロックは「週休2日」。中部ブロックは「週休1日」。東北・北海道ブロックは「バケーション制度の導入」。

教育制度を含めたブロック間の競争によって、妥当な着地点が模索できるようにすべきです。

アリかキリギリスか。小人閑居して不善を為すのか。それとも、ゆとりある生活が豊かな人間性を育むのか。これは所詮、神学論争になってしまいます。


2007/4/11(水) 「できちゃった離婚」への抵抗か?・・・与党内の反対

「できちゃった婚」隆盛の昨今、「できちゃった離婚」にまで世の中が「発展」するのかどうか。民法772条に関して様々な議論が巻き起こっています。

出生届が受理されず、戸籍のない子供をつくってしまう不条理を克服するためには、民法772条の見直しが必要です。しかしそれが、婚姻制度の崩壊を招くことになるのかどうか。じっくり考えてみたいテーマです。

【「300日問題」今国会の提出見送りか 立法不要論強く】(朝日)
「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」とする民法772条の規定を見直す与党プロジェクトチーム(PT)の議員立法について、自民党の政調幹部が10日、「時間をかけて議論せざるを得ない」と今国会での法案提出の見送りを示唆した。法務省の通達があれば立法は不要との意見が党内で強まった事態を受けたものだ。だが、与党PT案が救済対象とする「離婚前の懐胎」は、通達案では対象外。このケースで子供の出生届が受理されない夫婦は複雑な思いで見守っている。 

同日の自民党法務部会でも、与党PT案について「婚姻制度が崩れる」などの反対論が続出した。一方、公明党はなお、議員立法での救済をめざす構えを崩していない。 

こうした動きに戸惑いを隠さないのは、名古屋市在住の会社員男性(26)と妻(28)。この夫婦の場合、今月3日に長男が生まれた。妻は3年前から前夫と別居していたが、離婚を渋る前夫との間で協議離婚が成立したのは昨年7月。妊娠したのは、離婚成立の数週間前だった。再婚禁止期間が終わるのを待って今年1月に結婚。10日に区役所に行くと、長男の出生届は受理されなかった。 

夫は「結婚相手との子が自分の子供にならないとは驚きだ」と話す。 

このケースは与党PT案なら、DNA鑑定と前夫からの「自分の子でない」との証明があれば、救済される。しかし、法務省の通達案では救済の対象外だ。NPO法人親子法改正研究会の井戸正枝代表は「家庭内暴力で相手方と連絡が取れず、法的離婚が遅れる場合も多い。通達で救えるのは、自分が知っているケースの1〜2割程度に過ぎない」と話している

【コメント】
日本の男というのは、どんなにボンクラでも、男として立ててもらい、女性に一歩引いてもらって、なんとか一人前の顔をして世間に通用していたというのが、昔の日本における現実でした。対等に勉強すると、女の子の方ができるのが普通です。女性の能力を相当押さえ込んだ上での婚姻制度。

本来、婚姻制度で守られるのは、女性の幸せであったはずです。ところが、民法772条の議論を聞いていると、どうも男が婚姻制度で守られるというのがこれからの時代の様相のようにも思えてきます。

「モトカレ」という言葉をはじめて聞いたとき、「いったい何を考えているのだろう」という感じでした。これまでの常識では、男女交際が破綻したら、もう相手の顔を見るのも嫌なはず。ところが、「別れても好きな人」というのか、「選択肢」としては残しておこうという現実的な動機なのか、一応キープしておく男友達というジャンルが出てきたことは、注目すべき世の中の変化だと思います。

カレがいて、モトカレがいて、最後の最後まで青春を謳歌し、「できちゃった」ら結婚し、嫌になったら別のカレができ、「できちゃった」ら離婚する。こうした一部の女性の幸せのために法制度が振り回されていいのか。こんな怒りが湧いてくる人もいると思うし、それはそれで、堅実な発想だと思います。

しかし、そうした生き方は、これまで「一部の男」がやってきた生き様と対称をなすものであって、女性の生き様だけを非難することができるかどうかはいささか疑問です。

そうこう言うももの、子供の幸せや、DV(家庭内暴力)などにより踏みにじられている女性の幸せを守るための議論が必要であり、民法772条の不条理は解決されるべきものです。

権利というものは、先人達の労苦によって勝ち取られ、不真面目な後輩達によって乱用される運命にあります。そうしたことを踏まえ、権利の主体となるべき国民のレベルを上げていくことが必要なのだと思います。


2007/4/10(火) 浅野殺すに刃物はいらぬ。3日テレビを止めりゃいい。

「発掘あるある」やNHKの問題などで、放送局にとって、総務省の睨みがかなりのプレッシャーになってきているものと思われます。

選挙の結果を左右するのはテレビ=映像であるということを、当然ながら政権側は悟っています。2005年の郵政選挙でその威力は証明済みですが、あの選挙の場合、小泉改革への幻想と、広告代理店による民放支配という要素の両面がありました。

統一地方選挙での自民党の議席減少と、その反面での民主党の議席増加。市町村合併と地方の不景気の影響がジワジワ利いてきています。創価学会の大車輪がない限り、1人区での苦戦も免れません。

放送に関して、「郵政民営化」のように「スポンサー」が付きにくい今回の参院選では、かなり強い権力の締め付けがあることが予想されます。

東京都知事選挙において、告示直前からマスコミの露出が減ってきました。全国民注視の東京都知事選挙であったものが、統一地方選挙の中に埋没し、「(著名な石原)vs(そこそこ有名な複数のチャレンジャー)」というローカル選挙になってしまいました。

実証的な分析が必要ではありますが、印象としては、何かの力が働いたのではないかという気がします。浅野氏は、3日見なかったら忘れられる存在でした。しかし石原氏は、3年見なくても忘れにくいキャラクターでした。

「浅野殺すに刃物はいらぬ。3日テレビを止めりゃいい。」ということではなかったか(浅野氏がマスコミをうまく使えなかったという批評はあるでしょうが)。

こうした映像操作が、参院選でどういう形になって現れるのか。「中央の風」の吹かせ方で、結果に大きな違いがでてきます。少なくとも今回、民主党には無風。この前提で戦う必要があります。


2007/4/9(月) 傲慢・石原が舌を出す・・・都民は騙された

当選確実後のNHKインタビュー。これまでの低姿勢で不満が溜まっていたのか、感情を露わにし、傲慢そのものの応対に終始した石原氏。

あんな男に281万票。有権者はお人好しというべきでしょう。石原氏の低姿勢に同情して1票入れた方々に、これからズッシリと痛みがのし掛かってきます。

浅野氏は、共産党の攻撃で、無党派の風を起こすことを阻止されてしまいました。東京では笑った共産党ですが、自民党との共生路線が明確になるにつれ、党全体の衰退に拍車が掛かるでしょう。

踏まれても蹴られても自民党。(安倍政権にこれ以上の大きな失言・失態がなければ)参院選でも「反乱」は起きないという前提で、民主党は気を引き締めなければなりません。傲慢・石原の復活で、都民や国民が「おやっ」と思ってくれれば、もうけもの。

愛媛県議会議員選挙も行われました。民主党は現有議席数をなんとか確保。労組支援のない民主党公認候補が当選したことは、ビッグニュースです。労組支援のない民主党公認というスタイルで当選する実績が重ねられれば、地方は確実に変わっていきます。

愛媛では、連合愛媛がガンです。このことが知られていけば、自立的な民主党が建設されることにつながります。連合愛媛の内部から現状に対する不満の声が出てくれば、さらに面白い展開が期待できます。少なくとも、現在の連合愛媛幹部(の一部)は腐っている。

【特集】民主党愛媛県連と連合愛媛の問題
1月25日:【問題あり、民主党・・・民主党愛媛県連と連合愛媛との関係は異常である】
1月26日:【「泥船」ではいけない・・・民主愛媛県連代表問題】
1月27日:【私が見た連合愛媛・・「業者」と見下す感覚に疑問】
1月28日:【私が見た連合愛媛(2)・・・選挙結果を客観的に分析できない幹部】


2007/4/8(日) 地方選挙の「構造改革」を!・・県議会議員選挙の選挙区を中選挙区制に

統一地方選挙前半戦の投票日。多くの地域では、選挙に行く必要がありません。告示日に無投票当選が決まっているからです。県議会議員選挙の1人区に多く見られる現象です。

もちろん、「無投票」といっても、事前の実質的な選挙戦で圧倒的な優位を固めているからこそ対立候補が出ないのであって、そこに何ら民意が反映されていないというわけではありません。

しかし、「投票」で議員や首長を選ぶのが民主主義の健全な姿であることは論を待ちません。無投票が恒常化すると、地域における政治的な枠組みが不動のものになり、民意が活発に表現されにくくなるという弊害が生じます。「団塊世代の誘致」が叫ばれていますが、政治的に無風な地域には田舎政治がはびこり、都市の風になじんだ方々からは敬遠されてしまうことにもなります。

無投票当選が構造的なものだということに注意が向けられるべきです。県議という職業の魅力との相関関係において、定数1の小選挙区(定数2の場合も同様)では、当選に費やすエネルギーが莫大すぎます。これが定数3〜5の中選挙区であれば、10%台〜20%台の得票率で当選可能です。それだったら、「よし、やってみよう」という人が出てきます。

県議会に多様な民意を反映しようとするならば、県議会議員の選挙区を中選挙区制度にすべきだと思います。自治体の枠組みを越えて選挙区をつくる必要があります。地域代表的要素より、有権者の選択可能性を重視すべきです(大きな都市では、自治体を選挙区とすると「大選挙区」になりますが、有権者の選択可能性を狭めるべきではないので、現状維持が妥当です)。

なお附言すれば、政権政党を選び、実質的に総理大臣を選ぶ衆議院議員選挙における小選挙区制と、二元代表制の下で、県議会議員選挙において生じる小選挙区とが全く異質なものだということは、前提として認識されるべきだと思います。


2007/4/7(土) 「確かな野党」は、石原都政との共生を志向する

社民党・保坂展人氏のブログ「保坂展人のどこどこ日記」は更新頻度が高く、しかも充実しています。

先月の分ですが、私が見たのと同じテレビ番組への感想が書かれており、印象に残ったので、引用させていただきます。

【小異を捨てて大同につけないのか】(3月11日、保坂展人のどこどこ日記)
今朝のテレビ朝日のサンデープロジェクトで4野党の幹事長・書記局長が集う討論の場面があった。前半の松岡農水大臣の政治団体の議員会館・光熱費問題では各党とも週明けの国会で証人喚問を視野に厳しく追及することで一致した。

ところが、話題が東京都知事選に及ぶと一転して、共産党の市田書記局長が辛辣な浅野元宮城県知事の批判を続けた。宮城県三期12年の浅野知事の仕事が完全無欠であるわけはないが、「私は浅野さんが石原さんよりましとは思わない」との発言には我が耳を疑った。

共産党がすでに推薦を決めていることも承知しているし、どのような選択をするのも自由だが、やや狭量ではないか。石原都政の作り出した廃墟から力を合わせて脱出しようという姿勢が感じられない。首都東京の決戦の前に、とても残念なことだ。この際、小異を捨てて大同につくという選択もあるのではないだろうか。

昨日も国政報告会で反石原都政勢力が統一されることを望む声が続いた。あとゴングがなるまで10日と少し、出来るだけの努力はしたい。

【コメント】
明日は、東京都知事選挙を含む、統一地方選挙の前半戦投票日です。

3月11日のサンプロは、私も見ていました。共産党の市田氏が、度を越して浅野批判をしたのには驚きました。これほどまでとは。

私はこれを見て、保坂氏と同様、「狭量」という印象を持ちましたが、同時に、この政党はどうにもならない深みにはまってしまったという思いを強くしました。

豪華な海外出張を暴くなど、力強く石原都政を糾弾したのは、実は石原都政を倒すためのものではなかったということです。よれよれの石原都政なら、「確かな野党」の要求が通りやすいと見たのでしょう。というよりも、「新風」が吹き込まれると、「確かな野党」が割を食う展開になるのです。

共産党の「確かな野党」路線は、知事や政府与党の力をそぎつつ、自らの存在感を高めるための手法です。KOパンチを浴びせず、かつ、政権交代を阻止することで、自己の勢力を維持することを至上命題とする路線であるということです。

ギョッとするほどの市田氏の表情の変化に、そうした路線が確固たるものであることが読みとれました。

「確かな野党」路線とは、共産党が他党を排除しつつ、自民党との「共生」を模索するものだというのが、私の結論です。

首都決戦。どうなるのか、注視します。


2007/4/6(金) 第三セクターは穀潰しか?

第三セクターは悪。穀潰し。これがマスコミ論調の基本にあります。

確かに、バブル期におけるリゾート開発は、官民のもたれ合いが指摘されるようなルーズな体質でした。しかし、地域における喫緊の課題を解決するために、行政が関わり合いを持たざるを得ない事柄で、しかも行政が直接関与することが必ずしも得策ではないと思われる場合に、民間の力を借り、第三セクターにより課題解決に取り組むことが必要な場面があります。

地域交通を維持するための第三セクター方式の鉄道がその例として挙げられます。私が関与している中心市街地活性化のためのまちづくり会社もその一例です。

第三セクターが株式会社組織として活動すると、マスコミは必ず「赤字か黒字か」を問題にします。不勉強な若手記者に幾ら説明しても、「赤字か黒字か」の視点から自由に物事を考えてはくれません。

株式会社は営利社団法人です。従って、「営利」追求が必要であり、赤字であるということは、そのビジネスモデルや経営手法、企業体質に問題があるということの結果だと認識するのが妥当です。

しかし、地域的な課題に取り組む第三セクターが株式会社組織を採用する場合には、「営利」というより、民間の資本を導入することと併せて、民間の力(=地域の力)を結集するという意味合いがあります。そして、営利追求よりも地域課題克服のための「理念」が問題にされます。

もし仮に、「なんでもあり」で営利追求に走れば、「理念」は置き去りにされることになります。それでも利益が出る場合は結構な話だと言えます。通常、地域課題を克服するというテーマに取り組んで利益が期待できるという場面はあまり想像できません。もし利益が見込めるなら、民間が直接参入するはずです。

理念を重視し、仮に赤字になっても課題克服のためにやらなければならない使命を有するのが、第三セクターだと思います。赤字だったらやめればいいというものなら、最初から取り組む意義などありません。

問題は、「赤字」の意味内容の理解です。赤字の補填が税金の投入によって行われる場合を想定すると、第三セクターが果たしている社会的役割に対応する税金投入が是認されるかどうかという問題になります。

こういう問題意識が持ちにくいのは、税金で賄われる「行政」分野では、本来の「赤字」の概念がないからです。行政の分野で民間企業の会計原理を導入すべきであると叫ばれていますが、この場合、税収は「収入」として扱われます。しかし、税金投入=赤字という考え方で眺めてみると、行政の分野は全て「赤字」であり、行政サービスに対応する「赤字額」を最小化する努力をしているかどうかが、行政に対する評価の指標となるべきものです。

もし、行政サービスに対応する「赤字額」=税金投入額が過大であると判断されるなら、会計上「黒字」であっても、それは「税金の取り過ぎ」であるという評価になります。

第三セクターの場合、行政から「委託金」などの名目での「収入」があります。これで賄えない場合に「赤字」が発生します。ここのところが理解できないのが若手記者の方々です(多分、幹部も)。行政が委託金を多く計上すれば、第三セクターは「黒字」になります。委託金が過小であれば「赤字」になります。

ということは、「赤字か黒字か」で、第三セクターの有り様について判断を下すことはできないということです。では、どこで第三セクターの優劣を判断すればいいのでしょうか。

これは、第三セクターが社会的に果たしている役割に対応する税金投入額([委託金等+赤字額+行政職員の関与]or[委託金等−黒字額+行政職員の関与])>が費用対効果として妥当な範囲内であると判断できるかどうかということになります。

遡って考えれば、第三セクターの設立目的と存立の意義が妥当かどうかが問題になります。行政が間接的であれ、身を乗り出して取り組む必要がないものであれば、第三セクターをつくる意味はありません。目的は正当でも、民間企業として十分やれる事業であることが明確になった場合には、行政は粛々と撤退して、純粋な民間企業としてやっていけるようなプログラムを組むべきです。

目的は正当であり、しかも民間企業として自立できない事業については、「委託金」などの税金投入を含む行政の関与という「費用」に対応する社会的貢献=「効果」があるかどうかが、第三セクターを評価する指標になります。


2007/4/5(木) 「遠くへ行きたい」・・・地方議会の視察地

本日の愛媛新聞に、県内議会の視察地が北海道や東北といった遠方に偏り、近県への視察が少ないことが取り上げられていました。

議会や委員会のメンバーが行ってみたい所に居心地の良い宿泊施設を探し、その周辺でそれなりの視察地を見付けるというのが、通常の視察地選定のあり方です。まず行ってみたい土地があり、次に「視察」の正当化のために「視察目的」が設定されるということです。

遠くへ行くというのは、予算消化のためということもあります。議員1人当たり年間10万円、あるいはそれ以上の予算が付くと、近県ではそれが「消化」できないのです。

残余は議会の図書費、あるいは講師を招いてシンポジウム開催の費用にしようと提案したこともありますが、それは目的外支出になるので、図書費が必要な場合は別途請求して欲しいという説明に誤魔化されてしまいました。というより、そうした要求は議会の多数が認めたがらないのです。

多くの議員にとって、視察とは慰安旅行です。ただ、私の場合は、多くの議員が視察目的や視察地に異論を挟まなかったので、どんどん視察目的・視察地の提案をして、自分が行ってみたいと思っていた所に行くことができました。

5年弱の議員生活で、かなり見聞を深めることができたことに感謝しています。一般人にもどってみると、自費で行ける所は観光地になってしまいます。家族が許さないからです。

今でも東北地方の自治体の状況について観察したいと思うことがあります。何故なら、東北地方は自治体の面積が広く、人口密度も低いので、市町村合併が進行した四国の将来を暗示するところが多いからです。今なら相当高度な視察ができるような気がしています。しかし、それに割く時間がないし、お金の面で難しい状況です。仮に時間と金があっても、家族の了解は得がたいでしょう。

その点、議員の公務であるという大義名分をもって行けるということは、対家族の関係でも有効です。家族からは「慰安旅行だ」と皮肉を言われ続けましたが、それでも「公務」を欠席するわけにもいかないので、なんとかやりくりして行くことができました。

議会・委員会視察の最大のメリットは、相手方が公的な視察であることを重んじて、通常なら分からない内部事情についても率直なところを教えてくれるということです。遠くの自治体であればあるほど、安心して胸襟を開いてくれます。一個人として行っても、上っ面しか見ることはできないしょう。

ともすれば、「公費の無駄遣い」の一環として槍玉に挙がる議会の視察ですが、有効活用すれば、各議員にとって大きな財産になるものです。

もちろん、素晴らしい視察に行っても、何の問題意識も持たずに帰ってくる議員がいます。それを見て無駄だと感ずる人もいるでしょう。これについては、そのような議員を選んだ有権者が「共同正犯」なのだという自覚を持つべきだと思います。「猫に小判」とならない自覚が議員に必要であることは、言うまでもありませんが・・・


2007/4/4(水) もうそろそろ、「東国原(そのまんま東)報道」はやめたらどうか

テレビでは相変わらず、宮崎県・東国原知事の話題を追いかけています。

田中康夫・長野県知事のときも大フィーバーでした。しかし田中氏の場合には、地方自治を覚醒させ、新たな提案が数多く出てきました。地方自治関係者にとっては、大変ありがたい報道でした。

これに対して東国原知事の場合、パフォーマンス以外の要素はほぼ皆無。こうした報道に、限りある電波を浪費していいものかどうか、もう少し考慮すべきでしょう。

ところで、「発掘!あるある大事典2」のねつ造問題。放送への信頼を失墜させた関西テレビ・千草宗一郎(ちぐさそういちろう)社長は、「引責辞任」という触れ込みで、取締役として経営陣に残留。陰の実力者、フジテレビ出身の出馬迪男(いづまみちお)会長の留任も決定。

この「ねつ造人事」に象徴されるように、放送業界のモラルは崩壊しています。その中で、著しくバランスを欠いた報道番組が現在進行形で「生産」されていることは、極めて残念です。


2007/4/3(火) 集約居住で地域を固める・・・限界集落になる手前で阻止する方法

過疎地域における地域の存続・維持が喫緊の課題となっています。危機的な状態、即ち「限界集落」という言葉で表現される地域もあります。

限界集落とは、過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落と定義づけられています。放置すれば、「消滅集落」として、人が居住しても共同体としての機能を完全に喪失した状態になります。

こうした状態を未然に阻止する必要があります。そのためには、集約居住を推進し、60〜70世帯・100人程度の「街区」をつくらなければなりません。そして、中核としての機能を担う商業施設が1つ。

当該施設での1人当たり消費支出を年間30万円と仮定すると(通常、1人当たりの消費支出は年間100万円。過疎地域の経済状態からして、それを相当下回るとしても、1人当たり年間30万円=1ヶ月2万5千円は可能と判断します)、年商3000万円という計算になります。

個人商店レベル、あるいはパート数名で運営する形態なら、充分な売上です。地域居住者に出資者になって支えてもらえば、共同体意識を盛り上げる効果も期待できます。

そうした「地域経済」をつくり、付随して医療・介護関連の施設(出張所を含む)ができれば、地域社会として充分存立可能です。行政から「駐在職員」を1人居住させるということも考えられます。「国土経営」という観点から、(現行の中央集権体制下では)国費を充てるべきだと考えます。

集落にある程度の自立性ができれば、地域外からの流入も含めて、交流人口の増大も期待できます。新たな発展への反転攻勢の拠点ともなり得ます。

限界集落ないし、その候補地域は、国土防衛の最前線基地であり、それに対する支援は、その地域の課題というより、国家・国民にとっての課題として受け止めなければなりません。

経済的な数値のみに目を向け、都市の繁栄を支える地方を無視し、最前線基地である集落を見殺しにする政治は、亡国の政治だと思います。


2007/4/2(月) 高級官僚の「市場価値」・・「新人材バンク」について

高級官僚=有能な人材=引く手数多(あまた)であるはずで、自力で再就職先を開拓できるはずのところ、親切な政府は天下り先を世話するために、「新人材バンク」をつくろうと力こぶを入れています。

その親切さを何故、地方や不遇を託(かこ)つ国民に対して持てないのかが、不思議ではあります。

【天下り先に補助金4兆886億円交付…計2万7千人】(3月30日、読売)
国家公務員の天下り先となっている公益法人や民間企業など4576団体に対し、国が総額4兆886億円(2006年度上半期)の補助金を交付していることが29日、衆院の調査で分かった。

天下りした職員数は、06年4月現在で2万7882人だった。

【天下り、06年は70件 国家公務員課長級以上】(3月28日、朝日)
人事院は28日、06年の国家公務員の営利企業への再就職状況をまとめた年次報告(天下り白書)を国会と内閣に提出した。人事院が承認した課長級以上の天下りは、前年より4件増えて70件。このうち、透明性が高いとされる「公正な人材活用システム」による再就職は15件と過去最多になったが、全体の21.4%にとどまっている。 

国家公務員は退職から2年以内に、退職前の5年間に在籍した省庁と密接な関係にある企業に再就職する場合、課長級以上などは人事院、課長補佐級以下などは人事院の委任を受けた各省庁の承認を得る必要がある。 

省庁別では財務省が最多の24件(前年は23)。次いで経済産業省10件(同6)、国税庁8件(同7)、国土交通省7件(同10)の順。 

再就職に至る経緯では「官のあっせん、仲介」が43.7%。「職員の自発的な就職活動、知人の紹介」が26.8%などで、承認時の平均年齢は56.6歳だった。課長補佐級以下などの営利企業への再就職は611件で、前年より37件減った。 

☆という資料を前提として、4月2日、朝日新聞の社説。

【新人材バンク―天下りの温存にすぎぬ】(朝日・社説)
政府が公務員制度改革の基本方針を決めた。天下りをあっせんする新人材バンクを設けるのが柱だ。 

いまは各省庁が職員の天下り先を確保している。そんな縦割りをやめ、内閣に各省庁から職員を集めて新バンクをつくり、そこで一元管理していくという。 

安倍首相は、できるだけ早く新バンクを立ち上げ、設置後3年以内に完全な一元化を実現する考えだ。「省庁の予算や権限を背景とした押しつけ的な再就職の根絶」を表明した首相にすれば、その第一歩だということらしい。 

だが、新バンクが首相の狙い通りのものになるとはとても思えない。 

そもそも新バンクは、天下りを続けることを前提にしている。各省庁のあっせんを一元化しても、役所の予算や権限を背景にすることに変わりはない。 

キャリア官僚の定年前の勧奨退職を維持し、退職後に企業や団体を渡り歩く現状にも手をつけない。これで何が変わるというのだろうか。 

公務員制度改革は、01年の省庁再編に伴って実行を迫られた。天下り対策としては、透明化を目的に00年に総務省に人材バンクを設けた。だが、7年間で再就職の実績は1人しかいない。省庁ごとの天下りが幅をきかせているからだ。 

今回の一元化は、その反省を踏まえてはいる。だが、各省庁の影響をなくせるとは思えない。バンク職員は出身省庁の案件を扱わないというが、人事情報の提供などで省庁のかかわりは残る。 

表向きは新バンクであっせんするかたちを取るが、実際には各省庁が前もって天下り先と話をつけておく。そんな展開も十分に考えられる。 

天下りのあっせんをやめよ、と言うと、公務員の多くは反発する。組織で取り組むから個人が職探しをせずに済み、現場のモラルが保たれる。そんな論理が堂々と語られている。 
しかし、天下りを受け入れる企業や団体が期待するのは多くの場合、本人の能力ではなく、役所からの見返りだ。その官民の思惑が一致する先に、官製談合や随意契約による税金のむだ遣いがある。 

役所が退職後の面倒まで見るようなことは、もうやめる時なのだ。 

キャリア官僚のポストが少なく、定年前に退職させざるをえない。だから天下りも必要だ、という意見も根強い。 

その背景にあるのは、後輩に追い越されるのはいやだという身勝手なエリート意識だ。民間と同じように定年まで働くようにすればすむ話だ。 

今回の公務員制度改革では、能力主義を採り入れ、年功序列をやめる方針が盛り込まれている。公務員を民間から公募する構想もある。そこで描く公務員像は、専門性を磨き、知識と経験を豊富に持つ人だろう。そんな人なら、自力で再就職先を見つけられるはずだ。 
こうした改革は、新人材バンクと切り離して、ただちに手をつければいい

【コメント】
朝日社説に賛成。

「表向きは新バンクであっせんするかたちを取るが、実際には各省庁が前もって天下り先と話をつけておく。そんな展開も十分に考えられる。」というのが一番あり得る話。

業界団体に対し、「○○君は、誠実かつ有能な人材です。今期、人材バンクに登録されました。」と「お知らせ」しておけばいいのです。

「天下りを認めないと、国家有為の人材を外資に取られるぞ。」という、恫喝めいた論説もあります。しかし、そんな人材は国家有為の人材ではありません。有能な人材はいくらでもいます。その発掘と教育を間違えなければ、国家公務員の資質を心配することはありません。

定年までしっかり働ける環境を提供しておけば、業界団体のために奔走するという偏った行政姿勢から脱却することも可能です。

これまで、地味で粘り強い、行政官向きの人材を見逃してきたことを反省すべきです。各省毎の利害を最優先し、政府の方針の推進をサボタージュした官僚が省内の「英雄」になるという図式を改めるべきときです。

故・城山三郎氏の「官僚たちの夏」には、人事に命を懸けるエリート通産省官僚の熱い姿が描かれています。「無定量・無際限」という言葉を、この小説で知りました。主人公・風越信吾は、「(大臣)秘書官は、無定量・無際限に働くものなんだ。」と言います。

官僚とは、労働時間だ、へったくれだ、というような個人的な甘い考え方を捨て、全人格を傾けて天下国家のために尽力する存在なのだと、私は理解しました。この官僚の矜持に支えられての高度成長。

「無定量・無際限」の仕事の対価が天下りです。しかし、時代が求める公務員像を見直すべき段階に来ています。どういう公務員を国家・国民は必要としているのか。ここから出発して、官僚(公務員)の人生をトータルにデザインした議論が必要になっていると思います。

中途で辞めるのなら、官僚自らが「市場価値」を高める努力をすべきだし、官僚(公務員)としての人生を全うしたければ、その自由もあるというような仕組みにすべきです。


2007/4/1(日) 最低賃金が時給1000円になるとどうなるか?

もし、最低賃金が時給1000円になったら、という問題を考え続けています。私自身が零細企業の経営者であり、第三セクターの役員でもあるので、時給1000円というのは、想定外の数字であると受け止めます。コスト・プッシュ・インフレで全体の物価水準が上昇しない限り、到底経営を継続することが困難な数字です。

【「最低賃金1000円採用時の年齢差別禁止」…民主が格差是正策】(2月28日、読売)
民主党は27日、今国会に提出する格差是正緊急措置法案の骨格をまとめた。最低賃金を全国平均で時給1000円へ引き上げることや採用時の年齢差別禁止を盛り込んだ。

夏の参院選に向けて、安倍政権との違いとして、格差問題に積極的に取り組む姿勢を示すのが狙いだ。しかし、最低賃金引き上げは中小企業の負担増につながるため、実現性を疑問視する向きもある。

小沢代表は同日、大津市で記者会見し、「小泉内閣以来、日本社会のあらゆる分野で格差が急速に進んでいる。このままでは日本社会そのものが崩壊してしまう。(格差是正を)最大の政治的なテーマとして掲げていく」と強調した。

法案は格差是正プロジェクトチーム(座長・三井辨雄「次の内閣」厚生労働担当)が27日、まとめた。次の内閣の了承を経て、3月上旬に国会に提出する。

同法案は、パート労働者の処遇改善を打ち出したのが最大の特徴だ。具体的には、最低賃金法を改正し、全国平均で時給1000円を目標に引き上げることを盛り込む。最低賃金は現在、最高の東京は719円、最低は青森など4県の610円となっている。

また、「同一価値労働・同一賃金」の原則を徹底し、すべてのパート労働者を対象に、短時間労働を理由とする差別を禁止する。政府提出のパートタイム労働法改正案は、長期間働くパート労働者などに限って差別的取り扱いを禁じている。民主党案は事業主が正社員を採用する際は、非正規で雇用している人を優先的に採用するよう努力義務も定めている。

政府も最低賃金を引き上げる最低賃金法改正案の国会提出を予定している。しかし、最低賃金が生活保護費を下回ることがないように求める内容にとどまる見通しだ。

だが、民主党案に対する懐疑的な見方もある。みずほ総合研究所主任研究員の堀江奈保子氏は「民主党案の時給1000円は理想だが、企業にとってかなりの負担となり、現実とかけ離れている」と指摘した。

【コメント】
最低賃金・時給1000円というのは、理想だと思います。アルバイトやパートでもそこそこの収入になります。会社からリストラされても、どん底の生活にはなりません。零細企業の経営者や自営業者も、仮に倒産・廃業した場合でも、自分が働けば地獄の苦しみという事態にはなりません。

しかし、経営する側からすると、時給1000円以上のビジネスモデルというのは大変厳しいものになります。これまで通りの経営では、即倒産です。そうなると、当然ながら労働の質を向上させることになります。従来3人でひとつの部署を任せていたのを、2人でやってくれと言わざるを得なくなります。労働者にとっても厳しくなります。

大企業や公的な機関では、パート労働者の賃金を上げれば、正社員の給与を下げる方向に圧力が掛かります。そうなると、夫が会社で賃下げを喰らい、妻のパート収入が増えたという結果になる可能性が出てきます。

一番懸念されるのは、中小零細企業を経営する人がいなくなり、雇ってもらいたい人だらけになりはしないかということです。正社員→パート・アルバイト→自営業・零細企業という序列になったら、馬鹿馬鹿しくて独立して起業する意欲が湧かないのではないでしょうか。

また、全国一律の最低賃金になれば、地方には企業が来ません。地方の賃金が安いから企業が来るのです。産業がなければ雇用はありません。下手をすると、地方には雇ってもらいたい人だらけということになり、出稼ぎ、集団就職の復活ということにもなりかねません。

高付加価値を生み出せる大企業とそこに雇われる労働者しかいなくなる状態ならば、時給1000円以上の労働環境は実現可能です。その社会とはどういう社会なのかということも想像しておくべきです。

失業率は高くなります。失業者の一部は「自営」します。実際上低賃金でしかやれない仕事は、自営業者が引き受けることになります。自営業者には最低賃金の規制も労働時間の規制もないからです。請負事業者としての自営業者が、制度の矛盾を埋めるために活用される社会になる可能性が高いと思います。

(以上、思考途上)


玉井彰の一言 2007年4月 四国の星ホーム一言目次前月翌月