玉井彰の一言 2007年1月 四国の星ホーム一言目次前月翌月

2007/1/31(水) 何故、民主党を辞めたか(2)

自民党王国を崩壊させる。このテーマを追求することができると考えて、民主党に参画しました。地方切り捨てである市町村合併への報復・仇討ちという意味もありました。衆院選出馬の勧誘を受けたとき、県連との話し合いでは、2003年の選挙は期間が短すぎるので、「ノーカウント」になる。次の選挙から2回チャンスがあるという理解が前提となっていました。 

そうだとすると、「持ち時間」が5年間はあるだろう。それだけもらえれば、愛媛は取れる。そう考えました。全国屈指の実力を有する自民党愛媛県連を崩壊させるという、「男の浪漫」を実現する場として意義を感じました。

ところが選挙後、党本部から来た文書は、お情けでもう1回チャンスをやるというニュアンスでした。1回でどうにかなるような地域ではないので、「ここで辞めるべきではないか」ということも真剣に考えました。しかし、次の選挙まで平均3年間あるし、その範囲でどこまでやれるか、やってみようと気を取り直しました。結果、2年とは想定外でした。

岡田民主党時代、総支部は苦労しました。総支部長の一部に駄目なのがいるらしく、「総支部長差し替え」のニュースが頻繁に報じられるのです。そうなると、関係ない総支部長の地位も揺らいできます。

県連内に反対者がいると、総支部長の差し替えが可能だということで、その連中が揺さぶりを掛けてきます。愛媛のように民主党が弱い地域というのは、弱いなりの理由があります。そこらあたりが、党本部には分からないのです。党本部の「艦砲射撃」には参りました。(党本部は、総支部長を追い込んで、馬車馬のように走らせようと考えたのではないかと思います。)

総支部長を本部が支持して権限を与えておけば、総支部長さえしっかりしていれば、地方議員と対立しても党本部の方針を貫くことが可能です。しかし、「何時でも差し替えることができるよ」というメッセージを党本部が繰り返し発すると、どうにもなりません。駄目な総支部長は、選対が直接指導すればいいのです。

愛媛のことを分かってもらおうと、「選対委員長と差しで話がしたい」と申し入れました。代理の方とは会えましたが、時間が限られていました。

(続く)

(参照)
1月25日:【問題あり、民主党・・・民主党愛媛県連と連合愛媛との関係は異常である】
1月26日:【「泥船」ではいけない・・・民主愛媛県連代表問題】
1月27日:【私が見た連合愛媛・・「業者」と見下す感覚に疑問】
1月28日:【私が見た連合愛媛(2)・・・選挙結果を客観的に分析できない幹部】


2007/1/30(火) 何故、民主党を辞めたか

昨日の続き。

ここまで書いてくると、何故あなたは民主党を辞めたのか、という質問が出てくることが予想されます。また、よく聞かれます。

入党の動機から語らなければなりません。2003年、民主・自由両党の合併ということになり喜んでいたところ、伊予市議(無所属)である私に出馬の話が舞い込んできました。選挙直前です。候補者難であることは明白でした。

この愛媛で、好き好んで火中の栗を拾う人物が出てくるようには思えません。まあ、出るとしたら、兵隊に取られたような感覚でやるしかないかな(負けたら名誉の戦死だ)、というのが率直な感想でした。ここ1、2回の選挙で我が国の運命が決まるかもしれない。そういうときに、見て見ぬ振りもできませんでした。

ただし、零細企業の経営者であり、市議の収入も失うとすると、民主党から支援があっても、これまでより苦しくなります。市議であれば仕事と両立できますが、衆議院候補となるとそれは無理です。給与を減らして私の仕事を補完する人を雇うことでやっと、自分がある程度自由時間を手に入れることが可能になります(それでも、完全に自由ということにはなりません)。

そういう事情だったので、2度落選した時点で仕事に専念しないと、経済的に極めて難しくなる状況でした。しかも、小泉政権下で地方切り捨てが予想以上に加速したので、私を取り巻く経済情勢も激変しました。2005年の選挙を終えた段階で、私にとっては、自らの事業と地域を防衛することが最大のテーマになってきました。母も年を取り、家族の状況も変わりました。

党本部の方針を注視していたのですが、やはり、あれだけの敗戦となると、党の財政的事情から、次は「選択と集中」しかあり得ないだろうと判断しました。勝てそうなところでだけ戦うということです。党本部の集会でそのことを質問してみました。全選挙区に候補者を立てるということを代表選挙に出馬した菅氏も前原氏も言われました。しかしどう考えても、愛媛のようなところは、誰かが選挙直前に立候補をするパターンしかないであろうと思いました。そうでなければ、有名人を担ぐか、公募候補です。

(続く)

(参照)
1月25日:【問題あり、民主党・・・民主党愛媛県連と連合愛媛との関係は異常である】
1月26日:【「泥船」ではいけない・・・民主愛媛県連代表問題】
1月27日:【私が見た連合愛媛・・「業者」と見下す感覚に疑問】
1月28日:【私が見た連合愛媛(2)・・・選挙結果を客観的に分析できない幹部】


2007/1/29(月) 民主党愛媛1区総支部長の2年間

25日、26日、27日、28日の続き。

「ルートセールス」が必要だ。民主党に入った頃、そういうアドバイスを受けました。労組の方々は、頻繁に訪問すると機嫌を良くして応援してくれるというものでした。これを欠かさずやっていると、あとは何もしなくても選挙の形ができるのです。一種のアリバイづくりですが…

私の場合、自分の当選というより、自民党王国愛媛をどうすれば解体できるかということに関心があって入党したものですから、そうしたアドバイスを素直に実践する気になれませんでした。

連合の実力というのは、地方選挙では大きいものがありますが、小選挙区で9万票前後の当選ラインを目指すに当たっては、絶対の存在ではありません。推薦してもらうと、選挙運動が派手になってやりやすいということに尽きます。

集票能力は愛媛1区で、1〜2万票というところでしょうか。しかも、創価学会の3万票とは意味が違います。連合票の大半は、連合の推薦がなくても、それぞれの労組員や家族が、良識ある一有権者として投じてくれると思われるからです。

連合は衆院小選挙区で、民主党候補者を当選させる実力はないが、落選させる力は持っているということです。こういう組織に依存するだけでは、自民党の壁を突破するには至りません。また、それ以上を期待することは、連合傘下の各労組に対しても気の毒な話になります。

そうした現状を踏まえて、何をなすべきかを考えることが私の役割であると認識していました。「君子の交わりは淡きこと水のごとし」と言います。連合の皆さんが真に世の中を変えようとしているならば、頻繁に会わなくても理解可能と考えました。連合との関係は、なるようにしかならない。自分は、自分の使命である、自民党王国解体のシナリオづくりに精を出せばいいとの判断で行動しました。

ところで、2区在住の私が、何故、より当選の困難な1区(自民党は塩崎恭久現官房長官)を選んだのかというと、偶然的な事情と個人的な事情とがあったのですが(説明すると長くなります)、1区にいると愛媛県の全域を見通せるのではないかと思ったということもあります。1区総支部長として、政治をプロデュースしてみたいという希望がありました。

1区総支部長であるにもかかわらず、1区以外での活動が多く、「当選」ということでいえば、「無駄」だらけでした(この「無駄」を理解できる人はあまりいないでしょうが…)。2区では地元・伊予市での役割があり、今治では県議擁立。3区にも遠征。4区では4区総支部長と「南予」攻略の戦略を練りました。

愛媛攻略のために考えたことの1つは、4つの総支部が1つになり、他の3人が1人を当選させることで橋頭堡をつくっていくというものでした。私自身は「犠打」でよいという考えでした。この戦略でまとめようと図ったのですが、失敗しました。それぞれの思惑が邪魔をするのです。

次善の策として、「1区・4区+3区共闘」で行くこととし、共通マニフェスト作成途上で、連合愛媛の組織介入と郵政解散・総選挙に巻き込まれました。自民党の岩盤・南予攻略という夢が途中で挫折したことは残念でした。

私の活動は、傍目には分かりづらく、党本部も理解不能なようでした。2年間の活動の成果として、自民党王国攻略の筋道は見えてきたように思います。政治の世界では、「弾」は前から飛んでくるのではなく、後ろから飛んでくるものであることも、よく分かりました。

《独言》
連合愛媛について書いてきましたが、傘下の労組や産別組合、地域協議会の方々とは区別して考えないといけません。「患部」は一部です。多くの労組役員は真面目にものごとを考えています。私がお会いした方々は、真面目でした。また、感謝もしています。連合愛媛の幹部についても、全体として悪い印象を持っているのではありません。一部幹部が主導し、それ以外の方は追随せざるを得ないということだろうと思います。

2年間の3分の2は、不整脈に悩まされました。突然発作が起き、下手をすると意識を失うので、アポを取って人に会うのが難しく、対人関係で大きな支障が出ました。名医を紹介していただき、2005年に秘密入院をして原因を調べてもらったところ、詳細が分かり、投薬で治療可能となりました。

医師の指示で、民主党の2年間は禁酒していました。政治に携わっている者のたしなみとして、弱みは見せられないので、「政権交代まで禁酒だ!」などというスローガンで誤魔化していました。酒が飲みたくて飲みたくてたまらない日々でした。不整脈が克服できたので、どうやってスローガンを変更しようかと考えているところで、活動終了と相成りました。

民主党を辞める決意をしたとき、2年ぶりに酒を飲みました。うまかった。


2007/1/28(日) 私が見た連合愛媛(2)・・・選挙結果を客観的に分析できない幹部

25日、26日、27日の続き。

連合愛媛の民主党県連への陰湿な攻撃が続きました。その最中に解散・総選挙。連合愛媛は我々に対して、総選挙で推薦をしない可能性があることを示唆しました。私は、連合愛媛に推薦されない前提で準備を始めました。

解散直後、連合愛媛は盆休みを数日間、しっかり取っていました。それはそれで、「そういうものなんだろうな」という気持ちでしたが、直ちに態勢を整える必要がある総支部としては、労組を当てにせず、選挙が戦える態勢をつくらざるを得ませんでした。

しかしまさか、盆休み労組の方々に選挙後、選挙に関して口を極めて罵られるとは夢にも思いませんでした。どの顔でそんなことが言えるのか、不可解極まる話です。

【民主大敗受け県連と協議へ 連合愛媛三役会】[2005/09/17(土)愛媛新聞より]
連合愛媛(河野広美会長)は十六日、松山市宮田町の勤労会館で三役会を開き、協力関係にある民主党県連の衆院選での大敗を問題視、同県連に連合愛媛との協議の場を持つよう申し入れることを確認した。協議では県連執行部の責任問題や、両組織の今後の関係などを話し合う考え。 
 
連合愛媛内部では早くから民主候補の日常活動に疑問の声が上がっており、今回の選挙期間中も同県連から協力要請がないなど、選挙手法をめぐって県連への不満が高まっていた。 
会合には県連の藤田光男副代表と今回出馬した四人も冒頭出席。河野会長はあいさつで「われわれと(県連と)は選挙手法で考え方に違いがあった」と指摘、「地をはうような厳しい選挙戦をしてきたのか。まさに消化不良だった」と強く批判した。 
 
藤田副代表は「惨敗だった。(議席は)ジャンプしても届かないところにあるのは否めない事実。日常の活動不足も現実となって現れた」と陳謝した。 
 
連合からの申し入れについて、民主県連の成見憲治代表は「お互いの関係を前進させるためにも、誠意を持って対応したい」としている。 

【コメント】
「協力要請がない」というのも、不思議です。県連幹事長からの正式な要請の有無を言っているようですが、官僚が言うような話で、形式主義の最たるものです。私のように連合愛媛の事務局にお願いに行った候補者からすると、「吉良上野介の嫌がらせ」のようにしか受け取れません。

藤田光男副代表(現県連幹事長)の「惨敗だった云々」発言は、連合への御機嫌取り発言です。今回、「土居一豊代表」に象徴される「連合の下部組織」路線に移行した背景には、昨年の人事で自立派の山本立夫氏から従属派の藤田氏へと県連幹事長が交代したという事情があります。

この記事にある連合愛媛の批判は、選挙を知らない人のものです。きちんとした総括は、客観的に数字を追ってはじめて可能です。

例えば、愛媛4区はどうだったか。2003年総選挙では、自民・山本候補 117,252票、民主・浜口候補 37,564票。これが2005年の総選挙では、自民・山本候補 115,501票(1,751票減)、民主・浜口候補 52,824票(15,260票増)。

郵政解散で民主党が大きく後退。各地の民主党候補が票数を減らし、自民党候補が大幅に得票を伸ばしました。その中で、前回と同じ顔ぶれで自民党候補の票を減らして、民主党候補の票が伸びた数少ない選挙区が愛媛4区です。むしろ、愛媛4区では何があったかを調査するのが、選挙プロの仕事です。

4区の候補者が「地を這うような」活動をしていたことは、私も直接目撃していますし、党本部でも「よくやっている」と高く評価されていました。解散以前の話ですが、党本部の幹部職員が活動の現場を視察する運びにもなっていました。あれ以上の活動をする候補者は出ないでしょう。候補者の名誉のためにも、このことだけは申し上げておきます。

絶対的な得票数が少ないことを指摘して罵られるのであれば、「自民党の岩盤」にぶち当たろうとする勇気ある候補者は、出現しないと思います。

連合愛媛の批判は、あまりにも主観的・感情的です。この会合で連合愛媛の最高責任者が、自民党の刺客候補・片山さつき氏がかなりの数の有権者と握手をしていたことを例に挙げ、その奮闘ぶりを絶賛したのが印象的でした。

これを傍らで聞いていた私は、この人物が選挙をまともにやったことがあるのかどうか、疑問に思いました。政権側が優勢に進めている選挙で、多数の支持者を動員して握手をさせることは簡単です。そういうことはパフォーマンスとして行っているものだと冷静に見るのが、選挙に携わる者の常識です。

(続く)


2007/1/27(土) 私が見た連合愛媛・・「業者」と見下す感覚に疑問

25日、26日の続き。

私がお付き合いした2年間の前半は、連合愛媛との関係は良好でした(と思っています)。後半(後半の後半というべきかもしれません)、波風が立って来ました。

ある民主党県連の職員に関して、暴風雨が吹き荒れました。県連は小さな組織ではありますが、各種の仕事を外部に依頼することがあります。その際、社会の「下座」に居なければならない政治団体の窓口は、出入りの業者さんや従業員の皆さんに対して、親切であり、一歩引いたものの言い方を心掛けるべきであると思います。(彼らは有権者=主権者なのですから)

ある県連職員が居丈高であり、怒鳴り散らかすので(しかもそれが異常なボルテージなので)、出入りの業者さんが泣いており、これはなんとかしなければいけないと思っていたところ、当時の県連幹事長(山本立夫氏)とその職員とのいざこざが発端となり、これは解任すべきであるとの結論に達しました。

私は辞めてもらうべきだと思っていましたが、常任幹事会の後、幹事長が申し渡した「戦力外通告」は、役職解任と受け取れる内容でした(私も同席)。その際、当該職員が途中退席してしまったので、てっきり辞めたものと理解していました。

そのあとが大変でした。連合愛媛が労働者の権利にかかわる大問題だとして、県連に抗議してきました。どういうことかと思っていたら、彼の職員は1人でも加盟できる労組に駆け込み(本人のアイデアかどうかは疑問)、不当解雇であるとして闘争する構えを見せたのでした。それが、当該労組からではなく、連合愛媛事務局からだったので、異様な印象を持ちました。

連合愛媛事務局に出向き、事実の説明を行いました。そこで、当該職員が出入りの業者さんを怒鳴り散らかすこと等の問題があることの説明に及んだとき、連合愛媛事務局幹部の1人が平然と、「自分も業者を怒鳴ることはある」と述べ、それはなんら問題ない話であるという見解を示しました。

私が、皆さんの場合とは違い、民主党は有権者の下座にいなければならない存在であると主張しても、全く取り合ってくれませんでした。この組織は腐っていると感じました。「業者」と見下す態度がどうして取れるのだろうか。この人たちは一体、何様なのだろうか。自分たちも労働者の一員ではないのか。出入りの業者さんの従業員は、自分たちと同じ労働者ではないのか・・

しかもおかしいのは、こちらが「役職解任である」と言っているのに、「いや、不当解雇だ」と連合側が言い張るのです。使用者側が解雇していないと言っているのに「不当解雇だ」と詰め寄る労組があるとは、そのときまで知りませんでした。(後に、「役職解任」で合意)

組織介入をしたがっていることは明白でした。幹事長を辞めさせたいという下心が見えていたので、この際、組織防衛をしなければならないと決意しました。幹事長とは意見が違うことも多かったのですが、民主党県連の自立性を大切にする人物だったので、この幹事長を守らなければ、県連が連合愛媛の下部組織になってしまうと考えました。

その折衝の際、連合事務局は我々に、この問題は労働委員会の場に持ち込むつもりであると述べ、牽制してきました。私は、面白いから労働委員会の席で自説を述べたいと思いましたが、当時、県連代表が倒れて入院中であり、幹事長も心労が重なっている様子だったので、幹事長の意向を受け入れて、妥協することにしました。

(続く)


2007/1/26(金) 「泥船」ではいけない・・・民主愛媛県連代表問題

土居一豊氏は、県連代表に不適任。連合愛媛がこの人物を推すことは不可解。連合愛媛と県連との関係は異常。これが、昨日の要旨です。

イーホームズの藤田社長が指摘し続けていたアパグループの耐震偽装問題が、「やっと」と言うべきか、大きな問題として報じられるようになりました。県連・土居問題も党員の皆さんに慎重な判断をしていただかないと、後で後悔することになりかねません。

本日愛媛新聞1面に、県内で有名なサッカー選手擁立の話が取り上げられていました。もし候補者に決まれば、面白い戦いになると思います。しかしそれだけに、候補者を「泥船」に乗せるようなことをすべきではありません。

多くの方が不審に思い、不安に思う県連の体制で戦いに臨むのは、耐震偽装ホテル・マンションを提供するような無責任な話になります。

【土居氏不信任の理由】

(1)総支部長誹謗中傷問題
ある総支部長に対する土居氏の攻撃は執拗を極めました。その総支部長に問題があるならば、まず本人に注意する。それでも改まらなければ、県連で問題にする。県連が「臭いものに蓋」という態度を取るようであれば、そのときはじめて党本部に訴えるという手順が必要です。

組織原則というより、常識の問題です。土居氏は、いきなり党本部に訴えるという手段を複数回取りました。私はこのことについて、土居氏本人に直接、厳しい指摘をしています。

土居氏の誹謗中傷が党本部で問題になり、数名が事情聴取されるという事態にも発展しました。結果、党本部が振り回されただけに終わりました。

(2)党費不払い問題
ある時期(1年以上だったと記憶します)、土居氏は県議に割り当てられた党費を支払いませんでした。私はある段階で、彼は党員ではなくなったものと思っていましたが、「副代表復帰」という話が持ち上がると、支払ったようです。余りにも身勝手。

(3)県連副代表辞任問題
2003年の合併時には、土居氏は副代表でした。3年前の参院選直前の5月、土居氏は突然記者会見を開いて、「副代表辞任」を発表しました。県連には事前の相談なし。

理由は他党との信頼関係を損なったというもの。土居氏が他党と協力して無所属の候補を擁立すべく動いていたにもかかわらず、党が「公認候補」で行くと決めたために、他党に対して責任を取るということのようでした。

しかし、候補者が決まった直後、党に断りもなく記者会見を開いて副代表辞任を発表するというのは、党への当て付けとしか取りようがありません。責任を取るなら参院選後でよかったし、相手方にはそのように伝えておけばいい話です。百歩譲っても、副代表として県連には知らせておくべき筋合いのものです。

そんなことをすると、他党どころか、党内での信頼がなくなります。

(4)1億円要求問題
3年前、地元の有力者に参院選立候補を促していた最中、その人物に土居氏から電話が入りました。参院選に出るのなら1億円必要だというものでした。それを聞いた私は、その人物に対して、「そのようなことはない。党の費用の範囲で選挙は戦える。」と言い、一応理解してもらいました。

何故1億円なのか。選挙ブローカーが言うような台詞。不可解な話です。そうした体質を持つ人物であるということを県連幹部は皆知っているはずだし、連合愛媛の幹部も知っているはずです。


以上に加えて、一般の有権者が抱く土居氏へのイメージを考えれば、少なくとも「県連代表」はあり得ない選択です。

【コメント】
いい候補者であればあるほど、「泥船」には乗せたくありません。

「候補者使い捨て」にならないよう、万全の支援体制が敷かれるべきだと思います。代表がアキレス腱になるような組織では駄目です。

3年前は、1区総支部長として、体調不良の中を倒れる寸前まで候補者に同行しました。そのときには「総支部」がありました。今は総支部がないのですから、県連が頑張るしかありません。

しっかりした体制を築くために、2月10日の県連大会を「しゃんしゃん大会」に終わらせることのないよう、党員各位にお願いします。

☆「党員でないものが何を言うか」という声が聞こえてきそうです。党員だと言えないこともあります。


2007/1/25(木) 問題あり、民主党・・・民主党愛媛県連と連合愛媛との関係は異常である

民主党愛媛県連の代表に、土居一豊氏内定との報道。暗澹たる気持ちです。民主党にとって最も好ましくない人物だと思っています。

【民主県連代表に土居氏就任へ】(1月22日、NHKホームページより)
民主党愛媛県連の新しい代表に、県議会議員の土居一豊氏が、就任することになりました。

民主党愛媛県連は、22日松山市内で常任幹事会を開き、現在の代表の任期が2月で満了になることから、役員の人事案などについて協議しました。その結果、現在の成見憲治県議会議員に代わる新しい代表に、県議会議員の土居一豊氏をあてることを決めました。

民主党愛媛県連は、2月10日に松山市で開く定期大会で、土居氏の代表就任を正式に決めることにしています。土居氏は、西予市出身の71歳。昭和42年に県議会議員に初当選し、これまで8期、県議会議員を務めています。

平成5年に自民党を離党した後、旧新生党や旧新進党、旧自由党を経て、平成15年から民主党に所属しています。

今回の人事について、民主党愛媛県連の藤田光男幹事長は、記者会見で、「今年行われる参議院選挙を考えた人事だ。連合愛媛や社民党などとパイプがある土居県議が党の顔になることで、野党共闘を実現し勝利できる体制を作りたい」と述べました。

【コメント】
2年前の県連人事。連合愛媛の承認も得たとして出された案に、「土居副代表」というのがあり、私は絶対反対であるとして戦いました。結局、「土居副代表」は消えました。

私がいなくなった県連で何が起こったのか。公選法違反の連座制適用で出身地を追われ、松山市選挙区で復活した土居県議。過去の経歴を何時までも言い立てるのは妥当ではありませんが、その後の行動が素晴らしいとはお世辞にも言えない人物です。

不明朗な政治姿勢については、多くの方が指摘しています。そういう人物を何故県連の「顔」である代表に据えるのか。人材難とは言え、信じがたい人事です。

連合愛媛が推しているというのも不可解です。労働者の代表として清廉であるべき連合愛媛が、親交を深めるべき人物ではありません。何故なのか? 連合愛媛傘下の労組員の皆さんにも、考えていただきたい問題です。

連合愛媛と民主党愛媛県連との関係も異常です。現在の状況では、民主党県連は実質的に連合愛媛の下部組織です。連合愛媛事務局幹部が「常任幹事」に入っています。そうなるとどうなるか?

ほとんどの民主党地方議員は、連合愛媛に推薦してもらえるかどうかで当落が決まってしまいます。ということは、連合愛媛の意向に逆らう議論を、県連の常任幹事会では実際上できないということです。誰が何を言ったかが、筒抜けになる(と思う)からです。

もちろん、議員サイドに主体性があれば、連合愛媛との連携を密にできるということになるはずですが、現実にはそうはなりません(仮に自説を曲げない議員がいるとしたら、私は将来を考えて制止します)。これまでも、連合愛媛傘下の労組幹部が常任幹事に選ばれています。しかし、彼らには節度がありましたし、直接の「お目付役」がいるのとは全く違う状況です。

ある地方議員(県連幹部)が連合愛媛および傘下の労組幹部の皆さんがそろった席に出たとき、私も同行していましたが、まるで高野連に呼びつけられた高校野球の監督といった風情であったことが印象に残っています。

私が副代表(第1区総支部長)だったころ、連合愛媛の意向がどうであれ、とことん意見を言いました。連合愛媛はさぞ、不愉快だったろうと、今になって思います。

それはともかく、連合愛媛は民主党県連に対する組織介入をやめ、民主党のよき応援団としての立場を堅持しながら、組織と組織との適切な「車間距離」を取られるべきだと考えます。

(続編あり。「土居代表反対」の理由詳細は、後日。)

<私の立場> 
自民党の岩盤が分厚い愛媛で総選挙を2度戦い、「名誉の戦死」を遂げて民主党を去ったのが、一昨年秋。国家に対する責任は果たしたと考えています。

その後は、自らの事業と地元地域のまちづくりに励む日々です。民主党の党員であることも辞めました。しかし、民主党による政権交代を応援する立場から、このブログを書いているつもりです。

民主党にダメージを与えるような行動は自粛したいと考えていますが、民主党が有権者から見放される愚挙を行うことを、見て見ぬ振りをすることもできないと思っています。

民主党の発展を願う、よき応援団として、ときには辛口コメントも出します。


2007/1/24(水) 「団塊」の妻を狙え

各地域が、団塊世代の定年を見越して、「誘致」を図ろうとしています。

その取り組みは評価できます。団塊の世代が関心を持ち、「移住」してくれるなら、地域活性化の原動力になる可能性があります。

ここで忘れてはならないのは、都市部で生活してきた人を受け入れるだけの精神風土があるかどうかです。田舎の人とは生活習慣や権利意識の面で大きな違いがあることを認識し、そのギャップをどう埋めていくのかを慎重に検討しないと、仮に来てくれたとしても、地域との摩擦により帰ってしまう可能性があります。

政治風土の面での改革も必要です。地方議員を「地域推薦」で選ぶ「風習」などは、都市部で生活してきた人には受け入れがたいものであろうと思われます。民主主義の「ローカルルール」を克服しておかないと、恥をかくだけです。

そして問題は、団塊世代の妻です。定年になるのが団塊世代の夫であるとして、「移住」の実質的な決定権を握るのは、その妻です。ということは、平均的に見て60歳よりも数年年下の女性です。この年代の女性を惹き付ける提案ができなければ、旦那が興味を持っても「否決」されて終わり。


2007/1/23(火) 「そのまんま東」当選に見る自民党王国の崩壊・・宮崎現象は波及するか

3つの県知事選挙の中で、「そのまんま東、当確」が一番早かったにのはびっくりしました。宮崎県知事選挙における県民の投票行動が明らかにされ、さらにその衝撃が大きくなっています。

あの堅い、公明・共産の支持者のかなりの部分が東氏に投票しています。自民・民主は言うに及ばずです。これは容易ならざる事態です。

官に不審を抱き、政党に愛想を尽かすとどうなるか。1つのパターンを示したという意味で、大きな出来事です。しかもそれが、「無党派」の多い大都市ではなく、自民党王国で起きたことに意味があります。農村部での「反乱」もありました。

今回は、自民党の分裂選挙でした。自民党が内部抗争をしていたことが、政治的に大きな間隙を生み出しました。加えて、民主党が政党としての体をなしていないことで、政党で選択するという要素が希薄になっていました。

宮崎現象は、自民党の内紛があれば他の地域にも波及する可能性があります。自民党がまとまったとしても、民主党に小さくてもいいから「核」があれば、農村部を含めて大きなうねりを生み出すことが可能です。

民主党が自民党王国を打倒するヒントが「宮崎」にあります。


2007/1/22(月) テレビの力・・「あるある大辞典」と「そのまんま東」

納豆が店頭から消えたという「あるある大辞典」(関西テレビ)の放送内容がねつ造であったということが、大問題になっています。他方、出直しの宮崎県知事選挙では、タケシ軍団の一芸人でしかなかった「そのまんま東」氏が当選。どちらも、テレビの影響力を感じる出来事でした。

そのまんま東氏については過去色々ありましたが、社会人として大学で地方自治を学んだ後の挑戦であり、しかもタレントとしての人脈を使わず、マニフェスト選挙を行ったことが、県民の共感を呼んだものと思われます。それにしても、テレビを媒介とした知名度の威力には恐れ入ります。

宮崎の既存政党は哀れでした。「自公」の威力が全くなく、3位の大惨敗。民主党も情けない対応でしたが、かといって、そのまんま東氏を推していたら、党がひんしゅくを買い、東氏も伸び悩んだでしょう。

「あるある」の場合、納豆の健康イメージとダイエットへの欲求とが相俟って、視聴者の琴線に触れたのではないでしょうか。東氏の場合は、お笑い芸人の意外な真面目さ、ひたむきさが既存政治家に裏切られた有権者の心に響いたのでしょう(そういうところを見て、女優が結婚したがるのかも…)。

「あるある」には、ねつ造の「落ち」が待っていました。東氏については、「やっぱり駄目だった」の「落ち」にならないよう願います。

知事の場合は、人事が肝要です。主要ポストへの人員配置と、議会、県職員の人心掌握ができれば、あとは大まかな構想力さえあれば大丈夫です。権力を握った後の「ボタンの掛け方」を誤ると、「失脚」の2文字が待っています。しかし、「安全運転」に徹しようとし過ぎると、「なんだ、これまでと同じじゃないか」という失望の声が聞かれるようになります。要は、バランス。

勝利インタビューでの緊張した面持ちが、東氏の責任感の表れであるとすれば、期待が持てます。ノック、青島、石原とは違うのではないか。


2007/1/21(日) 「犯人はこいつだ!」・・・後は流れ作業になる日本の司法

現行刑事訴訟法の立場(少なくとも通説の解釈)では、犯罪が起きると犯罪事実を綿密に調べ、犯罪から犯人(容疑者)へと至る筋道が明確にされて後にはじめて容疑者の身柄確保(逮捕・勾留)がなされることになります。法廷において、裁判官は犯罪事実→被告人の論証が堅固なものであるかを審査する役割を持っています。

ところが現実の刑事司法は、「犯人→犯罪」という思考経路が支配し、一度「こいつが犯人」という断定がなされると、簡単に変更することを認めません。

先日の「名張毒ぶどう酒事件」における名古屋高裁の決定は、再審請求に際して、実質的な「無罪の立証責任」を被告人側に課したものでした。その背景に、「犯人はお前しかいないじゃないか」という裁判官の「確信」が見え隠れしています。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~Enabari/
http://www.aiben.jp/page/frombars/topics2/267nabari.html

【婦女暴行未遂で服役男性は無実、公判中の男逮捕…富山】(1月20日 読売)
富山県警は19日、氷見署が2002年に婦女暴行未遂容疑で逮捕し、余罪の婦女暴行罪と併せて懲役3年の実刑判決を受けて服役した当時、同県氷見市のタクシー運転手だった34歳の男性について、誤認逮捕だったと発表した。

別の婦女暴行事件などで公判中の無職男(51)が自供し判明。男性には犯行当時のアリバイがあり、現場の足跡の大きさも男性のものとは異なっていた。

男性はすでに刑の執行を終えており、県警は17日、男性の親族に事情を説明して謝罪したが、男性の所在は明らかでないという。富山地検は、男性の無罪判決を求める再審請求を富山地裁に行う方針。

男性は、02年3月に同県西部の民家に土足で押し入り、留守番をしていた少女(16)にナイフを突きつけて暴行しようとしたとして、翌4月15日、氷見署に婦女暴行未遂容疑で逮捕された。さらに5月、県西部の別の少女を暴行したとして婦女暴行容疑で再逮捕された。

【コメント】
一度「こいつだ」と思われたら最後、日本の刑事司法は有罪確率99.9%の犯罪者製造マシーンになってしまいます。精密な捜査に裏付けられての99.9%ではないことに注意すべきです。

問題なのは、裁判官も「捜査官」と同じ目線でしか被告人を見てくれないことです。何故そういうことが起きるかと言えば、裁判官には「素直な人」しかなれないからです。ものごとを素直に理解し記憶できる人が勉強のできる人です。妙な疑問を持つ人は、勉強ができなくなります。与えられた情報を素直に、的確・迅速に処理することができる能力を備えた人が裁判官になります。その素直さが、同類である検察官の主張に親近感を覚え、疑問を持ちにくくすることにつながります。

本当に優秀な裁判官は、「疑問」というフィルターを介して真実を見極める能力を持っています。しかし、全国で3300人いる裁判官の多くは、検察官の作文の矛盾を見抜く想像力を充分備えていません。そうした「想像力」は、出世の妨げになるだけでなく、そもそも司法試験等の試験をパスするためには無駄であり、むしろ有害な能力なのです。

流れ作業的な犯罪者製造マシーンとしてしか機能しない現在の我が国の刑事司法を改革するには、裁判官だけの人生しか知らないというシステム(キャリアシステム)に手を付ける必要があります。百歩譲っても、キャリアシステムを前提としながら、裁判官の市民的な自由を幅広く認め、常識人としての第三者性を維持できるシステムに変更していくべきであると考えます。

裁判員制度導入により素人が刑事司法に参画することになります。裁判官の「人間力」を高めておかないと、司法に対する国民の信頼が揺らぐことにもなってきます。


2007/1/20(土) 教育再生会議の案で教育再生は可能か・・・教師に完全を求めるのは絵空事

教育再生会議の第1次報告が大筋で合意されました。そこで示された案には、思いつきに毛が生えた程度のものもありますが、「ゆとり教育見直し」については評価できます。

実行という段階では、紆余曲折がありそうです。

【教育再生会議:第1次報告案…寺脇研氏に聞く】(毎日) 
ゆとり教育の旗振り役として、文部科学省のスポークスマン的な役割を果たした元文科省官房審議官の寺脇研・京都造形芸術大教授から、ゆとり教育見直しを中心に、教育再生会議の第1次報告最終案についての考えを聞いた。

 −−授業時間の1割増が盛り込まれた。

◆塾に長くいる子どもが必ずしも成績が上がるわけではない。むしろ、塾でコツを習って、後は自分で勉強をする方が成績は上がると、塾関係者が言っている。学校も同じ。子どもの自主的な学ぶ意欲が育っている学校、クラスは授業時間を増やさなくてもいい。

 −−自主性を育てるべきだと。

◆はい。ゆとり教育の根本には「個別性」「地方分権」がある。ゆとり以前は子どもの顔も見ず、全国一律のシステムだった。子どもたちの状況を見ながら、さまざまなやり方があっていい。個別に対応するには分権でないとできない。

 −−ゆとり教育が学力低下の一因と言われる。

◆少子化で受験競争がなくなった。かつ、社会も豊かになった。働かなくても食べていければ、勉強はしなくなる。詰め込み教育をやり続けても下がっていたと思う。

 −−では、どうすればいいのか。

◆豊かになるため、受験のためではない「第3の動機」を作らなければいけない。今、お年寄りが生涯学習をしているのは、自分を高めるという第3の動機からだ。子どもにも可能なはずだ。

 −−学力とともに、規範意識向上もテーマだ。

◆故小渕恵三首相は「昔のような規範は無理だ」と言っていた。つまり、公の力で私を抑え付けていくことは無理だということだ。まずすばらしい私をつくれば、おのずからわいてくる規範意識も復活する。そのために自立した私を育てなければいけない。だからこそ、ゆとり教育なんですよ。【聞き手・高山純二

【コメント】
ゆとり教育見直し、授業時間増加、教科書を分厚くというのは、結構なことだと思います。知価社会に生きなければならない子供たちが、より多くの情報を入手し処理する術を身に付けなければ、我が国が豊かでありつづけることは不可能です。

しかし、全国で小学校の教員が41万人、中学校教員が25万人、高等学校教員が26万人いるという現実から出発すべきです。教員免許の更新制を採用したとして、ごく一部の不適格者は排除できますが、教育現場に無用の混乱と萎縮効果を生む弊害もあります。

これだけの人数の教員が授業内容を一新するということは、かなり難しいと思います。教師に全ての責任を押しつけるのではなく、教師は子供の教育の一部を受け持つ存在であると割り切り、その守備範囲を限定する方が賢明です。

教育技術的側面は、塾や予備校の力を借りることを考えるべきです。教師に、児童生徒との人格的触れ合いができる「ゆとり」を持たせるべきだと思います。

ゆとり教育の旗振り役、元文科省官房審議官の寺脇研氏の御意見は、ゆとり教育見直しという観点からも、じっくり噛みしめるべきだと思います。

(参照)
平成18年10月8日:【「教育再生」は「落第」と「内申書廃止」から】
平成18年10月2日:【英語学校、あるいは塾・予備校で「英会話」の「免許」を】
平成18年10月1日:【塾を公認せよ】


2007/1/19(金) 真の道州制は、官僚との権力闘争に勝つことが前提・・知事会の統一見解を考える

私は道州制論者ですが、現時点では道州制移行に反対です。国が目論んでいる道州制は、中央集権を強化するものであり、地方統治の合理化策に過ぎません。地方(地域)切り捨てに拍車が掛かってきます。

【分権型社会へ道州制検討を 全国知事会が統一見解】(共同通信)
全国知事会(会長・麻生渡福岡県知事)は18日、東京都内で全国会議を開き、都道府県を10前後の広域自治体に再編する道州制についての統一見解「道州制に関する基本的考え方」を決定した。「分権型社会における新たな地方制度として道州制を検討しなければならない」と明記。今後、安倍晋三首相が策定を公約した「道州制ビジョン」などに反映させていくことを確認した。

道州制について知事会が統一見解をまとめたのは初めて。慎重意見も多く、導入方針は明確に示さなかった。

基本的考え方は、道州制を「地方分権を推進するため」と明確に位置付けた上で、前提として「中央省庁そのものの解体再編を含めた中央政府の見直しを伴うものでなければならない」とした。

また、国と地方の役割分担を見直し、内政に関する事務は基本的に地方が担い、国は外交、防衛、司法などに重点化する方向性を提示。自治体を道州と市町村の二層制とするに当たって、道州が国の出先機関的な性格にならないよう、くぎを刺した。


山陰中央新報では、片山鳥取県知事、澄田島根県知事の発言が掲載されています。 

(中略)

会議の席上片山善博鳥取県知事は「昨年の道州制特区推進法の成立によって議論は新たな段階に入ったが、国が考える道州制の中身はシャビー(みすぼらしい)な権限移譲法だ」と批判。国の出先機関を都合良く整理したい色合いが強いとして、現行法の検証を主張した。

 澄田信義島根県知事は「道州制で中央、地方政府の双方を再構築するということを政府が理解しているとは思えない」と述べ、国、地方の仕事のあり方を根本から見直す覚悟が現段階で政府にはないと指摘。国のペースで枠組みや制度などの道州制議論が進むことを警戒した。

(後略)

【コメント】
知事会が正しい認識に立ちつつあることは大変結構なことだと思います。

しかし、中央官庁はこうした正論を取り込みつつ、いつの間にか骨抜きにしてしまう達人の集団であることを忘れてはなりません。

現政権で行われる道州制は、必ず知事会の意向に反するものになります。知事会の提言を突き進めれば、中央官庁の権限が奪われ、官僚の利権が縮小して、彼らの人生設計を真っ向から否定することになってしまうからです。

これは国内における最大の権力闘争になります。現政権で可能な話では絶対にありません。政権交代後の政府が官僚と対峙し、骨抜きを許さない不退転の決意で臨むことによって、地方を活かす真の道州制が可能になります。


2007/1/18(木) 中学受験→進学について(雑感)

田舎に住んでいると実感しにくいのですが、首都圏では多くの家庭で、中学受験をしなければならないという強迫観念があるようです。子供を公立中学校に進学させることへの不安もあるのだろうと思います。

【中学受験、首都圏は6人に1人 過去最高の5万人超】(朝日)
中学受験の受験者増に拍車がかかっている。大手進学塾の予測によると、東京など首都圏の1都3県では近く佳境を迎える07年度入試で初めて5万人を超え、少子化もあって小学6年生の6人に1人が私立か国立を受験する見通しだ。受験者数、受験率ともに過去最高。ゆとり教育への不安に加え、私立側も中学部の新設など「受け皿」を広げていることが背景にありそうだ。

(中略) 

06年度に入って、四谷大塚が毎月実施している模擬試験の参加者は前年を1割余り上回った。これを踏まえて07年度入試の総受験者数を5万1000人と予測した。これまでの最高はバブル経済の末期、入学金や授業料がかかっても私立志向が高かった91年度の4万9000人。バブル崩壊後は減少傾向が続いて99年度に3万7000人まで落ち込んだ後、03年度以降は右肩上がりで増え続けている。 

中学受験人気の理由として、関係者がこぞってあげるのが、ゆとり教育への保護者の不安だ。 

学習内容を大幅に減らした現学習指導要領が施行されたのが02年度で、土日を休みとする学校週5日制の完全実施も02年度から。「親の多くは子どもの教科書の薄さに驚き、危機感を持った。私立は週6日制も多く、高校まで6年間の一貫教育で進学実績を伸ばした」(四谷大塚中学情報部の岩崎隆義課長) 

その他、「公立中高一貫校の開設ラッシュが、一貫教育の私立への関心も高めた」(東京私立中学高校協会の近藤彰郎会長)、「家庭の子どもの数が減り、1人にかけられる教育費が増えた」(全国学習塾協会の稲葉秀雄専務)、「交通の便が良くなり、都県の境を超えて学校選択の幅が広がった」(大手進学塾「日能研」の井上修進学情報室長)など、様々な指摘がある。 

私立中学の門戸も広がっている。付属中学の新設、男女共学化などを進めているからだ。今年4月も、東海大付属高輪台高校(東京)が中等部を設け、男子校の法政大第一中学(東京)は法政大学中学に校名を変えて共学になる。 

昨年4月に女子校を共学にして校名も変更したかえつ有明中学(東京)は、昨年2月の入試で前年の6倍を超える志願者を集めた。 

     ◇ 

〈苅谷剛彦・東京大大学院教授(教育社会学)の話〉 ゆとり教育は、「総合の時間」の導入など、理想は高かったが条件整備が遅れ、ねらい通りに進まなかった。公立校への信頼がゆらぎ、公立の教育システムから逃れる対象として私立志向が高まった。ただ、多種多様な子どもがいる公立中学と違い、私立中学は、学力の点でも、家庭的背景の点でも、均質的な固まりが作られる。中学生から均質の集団で育ち、多様な人にもまれる機会も狭められる。偏差値の高い大学を経て、官公庁や大企業に就職し、社会を動かす地位につく可能性も高いだけに、「階層」の再生産や社会の分断につながるおそれがある。 

【コメント】
私も大昔の中学受験組です。親から愛光中学に行けと言われて、6年生になって嫌々塾に通いました。通って見ると案外面白いので、受験→進学という形になってしまいました。

正直なところ、その1年間塾で習ったことがずっと役に立っています。基礎的な素養の大半がそのとき身に付いたという感じです。

そうは言うものの、楽しかった小学生時代と訣別する寂しさがかなりありました。中学に進学すると、地元で別格の扱いを受けるので、これからは勉強ができないと何の意味もない人間になってしまうようなプレッシャーがありました。

地元の中学校に行った方が楽しかったのではないか、という後悔の念と同居しながらの、愛光学園の6年間でした。しかし、時を経て振り返ってみて、愛光の6年間も得難い体験だったと評価できるようになりました。

問題だなと思うのは、リーダー格の子供のことです。中学受験組にリーダー的な素養を持った子供が多いように思われます。そういう子供が、小学生の高学年を塾通いに費やし、進学して同質の環境に入ってしまうことで、リーダー的な資質を摩耗させてしまうのではないかということです。

私の場合、小学校時代はクラスのリーダーとして責任があり、先生の指示を無視して自分が勝手な指示を出し、クラスを代表して先生に殴られるということも珍しくありませんでした。ところが愛光学園に入ると、リーダー的な子が他にいるので、これ幸いと自分のことだけを考えるようになりました。小学校時代の方がしっかりしてたような気がします。

回顧的になってしまいましたが、苅谷剛彦教授の御指摘は、正にその通りではないかと思います。しかし私立学校の側も、そうした懸念を払拭するだけの進化発展を遂げるものと期待します。特に、母校・愛光学園については。


2007/1/17(水) 「ホワイトカラー・エグゼンプション」法案提出見送り

ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)について安倍総理は1月5日記者団に、「日本人は少し働き過ぎじゃないかという感じを持っている方も多いのではないか」として、制度が労働時間短縮につながると説明し、「少子化(対策)にとっても必要」という見方を示していました。

これを聞いた多くの国民が、「この総理大臣は大丈夫か?」「世間知らずじゃないのか?」等々の不安感を抱いたものと思われます。

【「働く人、敵に回せぬ」世論読み誤った残業代ゼロ断念】(朝日)
一定条件の会社員の残業代をなくす「ホワイトカラー・エグゼンプション」(WE)の法案提出を見送ることになった背景には、夏の参院選を前に「サラリーマンを敵に回したくない」との与党の判断に加え、世論の反発を読み誤って、導入を急いだ政府の拙速な姿勢がある。だが、WEは、パート労働法改正や最低賃金の引き上げなど、一連の労働法制見直しとセットで調整してきた経緯があり、経済界の反発は必至。他の法案審議にも影響を与えそうだ。 

自民党の中川秀直幹事長は16日の記者会見で、「新聞に『残業代ゼロ制度』などと書かれているようでは、制度の本来の内容、目的がまったく十分に説明、理解されているとは思えない」と指摘した。自民党国対幹部も15日、「試合終了だろう。(与党側と)相談もせずに法案を提出するしないを判断できるのか」と語り、公明党幹部も「我が党の雰囲気は極めて厳しい」。外堀は、ほぼ埋まった。 

しかし、官邸が当初から、WEへの反発の大きさをしっかり認識できていたわけではなかった。 

首相は5日、与党の慎重論について問う記者団に、「日本人は少し働き過ぎじゃないかという感じを持っている方も多いのではないか」と、制度が労働時間短縮につながると説明。WEは「少子化(対策)にとっても必要」と、法案提出を目指す考えを示していた。 

柳沢厚労相は「(与党の反発には)誤解がある」と与党幹部らの説得に回ったが、格差問題などへの対応が迫られるなかで、「経済界寄り」の法案は野党に格好の攻撃材料を与えかねず、参院選に影響するとの懸念がさらに強まった。政府関係者は16日、与党側の「最後通告」に近い反発を前に、「根回しも足りないまま打ち上げ、説明が後手に回った。こういう状況になった以上、今国会は出せないということだ」と悔やんだ。 

一方、厚労省の準備不足も際立った。昨年末にまとめた審議会の報告書では、対象者の年収条件を明記せず、労使の対立した主張を併記。与党の反発を受けて「年収900万円以上」などの条件を示したが、対象者が「20万人」という試算はどんぶり勘定。かえって労働側から「導入後に範囲を拡大する意図が見える」などと批判を招く結果になった。 

ただ、今国会で改正を予定している労働関係などの法案は、労使の利害調整を経て「寄せ木細工」(厚労省幹部)のようになっている。産業界が求めるWEを実現するのとセットで、労働側が求める残業代の割増率アップや、最低賃金法の強化などを産業界に受け入れさせた経緯があり、この日もパート労働法の改正案要綱が出たばかり。パートへの厚生年金の適用拡大の議論もこれからのタイミングだ。WEを認めないとなれば、全体が崩れるおそれがある。 

日本経団連幹部は「WEの見送りは、総理の決断だから仕方がない。だが、(パート労働法改正など)全部セットの話なんだから、全部なし、ということだ」と話す。 

一方、連合も「見送りは選挙目当て。参院選後は提出に向け再び動き出す」とみる。他の法案への影響を懸念し、「手放しで喜べない」のが本音だ。 

【コメント】
WEが100%不合理なものだとは思いません。しかし、実際の運用でかなりの不条理がまかり通るであろうことは、ほぼ間違いありません。

資本間の競争が激烈なものとなり、それがグローバル化するのですから、各企業とも生き残りのためには「なんでもあり」の状況に追い込まれることは必至です。

その中で妥当な調整点を見いだす作業が必要になります。「公」の役割はそこにあります。政府が経済界の「番頭」になるようでは、政治の役割を放棄したのも同然です。

今回の「断念」は、「先延ばし」という意味に受け取るべきでしょう。決戦は参院選後。ということは、経済界が自公政権を必至で支える構図になるということです。

しかし、公約に掲げずに戦うのでは、小泉政権同様の詐欺政権ということになります。参院選の「マニフェスト」に要注意。

(参照)
平成18年12月25日:【「労働ビッグバン」をどう見るか】
平成18年12月26日:【「労働ビッグバン」をどう見るか(2)・・・資本主義超克の論理が必要】


2007/1/16(火) 社会党は、何故政権を取れなかったか

55年体制は、自民党・社会党の八百長政治でした。社会党には政権を取る意欲も能力もありませんでした。この点が現在の自民・民主の対立との決定的な違いです。

民主党の対応がすこぶるまずく、「なんだ」と有権者の怒りを買うことがあります。昨日の民主党大会でも地方からの不満が出たようです。かつての社会党は自民党を追い込むのがうまかったというような評論もあります。しかし、八百長なら見せ場を演出できますが、ガチンコだと筋書きがないだけに、迷った一手が往々にして「悪手」となるという理解をすべきです。

社会党が何故政権を狙わなかったのかというと、それを許さない内部事情があったからだと思います。中選挙区制度(定数3〜5人)の下で単独政権を取るには、2〜3人の候補を出さないといけないことは明らかです。

ところが、例えば3人区で2人目の候補を立てられるかと言えば、これは困難でした。現職(およびその支援組織)が嫌がるからです。2人目が出そうになると潰される可能性が大であるという体質があれば、候補者は出ません。「社公民」というような発想しか出る余地がありませんでした。

実はこれと同じ問題が、現在の地方選挙(小選挙区から大選挙区まであります)で起きています。これは、民主党の場合です。党本部でいくら県議を増やせと号令を発しても、各県連で「需給調整」が出来上がっているので、前には進みません。弱い県連ほど、そうなります。無理に出そうとすると、国会議員(候補)と地方議員との確執が生じてきます。

知事候補を出せと言っても地方が応じないのも、同様の事情です。地方議員安泰のためには、「相乗り」が一番だということです。

地方が旧社会党状態であるという民主党の欠陥をどう是正するかが、民主党政権樹立のための課題です。党本部の方針が貫ける地方の体制づくりは、党本部に戦略があれば可能です。しかし現状では、政権を取ったら流れが変わるだろう、としか言いようがありません。


2007/1/15(月) 拾う神あり・・夕張市の地域医療

経営破綻した私立総合病院を公設民営にして、指定管理者を募集した夕張市。人口1万数千人の自治体には大きすぎる施設。敢えて火中の栗を拾って指定管理者に名乗りを上げた人物がいます。地域医療のあり方に悩む全国各地の自治体関係者は、これから夕張での「実験」に注目することになります。以下、東京新聞「特報」。

【<破たん夕張>市立総合病院 委託運営に名乗り】(東京新聞・特報) 
昨年夏に経営破たんした北海道夕張市の市立総合病院の再建に乗り出した医師がいる。自ら医療法人を設立し、市から病院運営の委託を受ける指定管理者に名乗りを上げる。財政難や医師不足で全国各地の自治体病院はどこも苦境にあえいではいるが、なぜ、あえて破たんした夕張市の医療再生に挑むのか。今月、同病院に着任した村上智彦医師(45)に聞いた。 (竹内洋一)

朝、例年よりは少ない雪に埋まった夕張市立総合病院に患者が集まってくる。夕張市は高齢化率(人口に占める六十五歳以上の割合)が全国の市で最高の40・2%。家族に車で送ってもらったり、乗り合いバスを利用したりして同病院に通ってくる患者も、ほとんどがお年寄りだ。

こうしたお年寄りを診察する常勤医師は、村上医師ら内科二人、整形外科一人の計三人。村上氏は昨年十二月末に応援医師として着任。早速宿直を志願して病院で新年を迎え、一月一日付で正式に同病院の医師となった。

同病院は二〇〇五年度で約四十億円の負債を抱え、事実上破たん。今年四月、民間の医療法人に経営を委ねる「公設民営」になる。村上氏はこの担い手となるべく、自らを代表に医療法人「夕張希望の杜(もり)」の設立を北海道に申請、来月下旬にも設立認可される見通し。

これに合わせ同市は今月中にも指定管理者を公募する。指定期間は四月から二十年間で、指定管理者の公募に応募する動きはほかになく、村上氏の法人が選ばれる見通しだ。

指定管理者には病院施設が無償で貸与されるが、市からは委託費をはじめ一切の公費は支出されない。「もうかるなら、ほかにも手を挙げる人がいるだろうが、そんな病院だったらこんな赤字にはならない」。病院関係者がこう明かすほど状況は厳しい。ところが、火中のクリを拾う村上氏に、悲壮感はない。

「十数年後には、日本では高齢化率四割の自治体が三割を超えるという試算がある。だから、夕張は将来の日本の縮図なんですよ。ここで新しい医療の仕組みをつくるのは、本当に最先端の取り組みだと思う。確かに給料は安いかもしれないが、いい結果が出れば、将来すごく役立つノウハウになる。そう考えたら、こんなに楽しいことはない。わくわくしています」

同病院は一九八二年、北海道夕張炭鉱病院の廃止に伴い、市が北炭から買い取って開設。内科、外科、眼科など九科目を掲げる「総合病院」で、一般病床百七十一床を持つ。現在は皮膚科や産婦人科が休止しているほか、ほとんどの診療科で非常勤医師による月一回から数回の診療しか行えない状態だ。

総務省と北海道の委託を受けた公認会計士らが昨秋まとめた経営診断では、破たんの要因として医師不足や技術水準の低下で患者が激減したことが指摘される。収益低下による処遇悪化で医師の退職にも拍車がかかり、最盛期に十一人いた常勤医師は一時二人にまで減った。これに対し、准看護師や薬剤師、検査技師、事務職員の給与水準は全国平均より高く、経営を圧迫した。

村上氏は再建を担う前提として、こう話す。

「総合病院は、人口十万人に一つで採算が取れるというのが常識です。夕張は人口一万四千人。その時点で身の丈に合っていない。今後も人口が増える材料はない。いずれは五、六千人になるでしょう。それを見越して、身の丈に合った診療所にしようと言っているんです」

村上氏の再建構想はこうだ。現在の病院を十九床の診療所と四十床の介護老人保健施設にする。三月末までにいったん解雇される約百五十人の職員のうち、一部は再雇用する。九科目だった診療科は、内科、小児科、整形外科、透析科などに再編。救急患者も受け入れる。三、四人の常勤医師は往診も行い、在宅医療の定着を目指す。同時に予防医療を徹底。病人を減らし、医療費を削減させる。 

関係者によれば、再建を指導する総務省には二十床以上の「病院」を維持すべきだという意見もあるという。診療所になれば地方交付税交付金はほとんど入らないのに対し、病院なら年三億円規模の交付金を五年間にわたって受け取れるからだ。が、村上氏は、この考え方を切って捨てる。 

「それでは、さらに税金を無駄遣いするということです。赤字でも交付金が入るからいいと営業努力をしてこなかった。それが破たんの原因なんだから、一度断ち切るべきです。診療所は訪問診療などの診療報酬も高いし、ぼくは東京から経営のプロも招く。採算は取れます」 

では、診療所で医療の質をどう維持し、高めることができるのだろうか。 

村上氏は「住民が大きい病院で最先端の医療を受ければ治るという妄想を持っていてはダメ。高度な専門医の治療が必要な患者は一、二割。病気の八、九割は生活習慣病です。生活習慣を改善して予防するしかない」と住民の意識改革の必要性を訴える。 

そのためには「従来の病院のような患者を待っている医療ではいけない」。通院できない患者には、いつでも医師らが患者宅に出向く。健康意識を高めるため、医師が地域での講演も積極的に行い、在宅医療・介護をサポートする人材の育成にも取り組む。体力が弱った高齢者は老人保健施設でリハビリしてもらい、いざというときには診療所のベッドで受け入れる。 

理想とする地域はこんな姿だ。「高齢者が元気にいつまでも働いている。定年なんてなくしちゃう。田舎は会社員が少なく一次産業が多いから、そういう社会をつくりやすいはず。医療従事者は健康へのアドバイスをしながら、いざという時の備えとしている。それでいて暇にしているというのが目標なんです」 

総合病院より診療科目は減るが、「ぼくはプライマリーケア(初期診療)の認定医です。お産以外は何科でも診ます。患者さんは選びません。ぼくが治療できるならするし、必要なら専門医に適切に送ります」。 

自信を裏付ける実績もある。昨年三月まで勤めた北海道旧瀬棚町の診療所で、全国初の六十五歳以上の肺炎球菌ワクチン接種への公費助成を導入するなど予防医療に力を注いだ。この結果、一九八九年に一人当たり全国最高だった老人医療費をほぼ半減させ、予防医療の第一人者として全国的に知られる存在になった。 

〇五年九月に同町を含む三町が合併して誕生したせたな町の新町長と予防医療のあり方をめぐって対立。退職を余儀なくされた。 

「首長に逆らえばクビになるのは当然。公務員の限界です。公設民営なら、行政と対等に自分の考えで運営できる」と、村上氏は公設民営の新潟県湯沢町保健医療センターでノウハウを学んだ動機を披露する。 

こうした実績のある村上氏に、市民の期待も高い。ぜんそく治療に通院する主婦(77)は「やはり住み慣れた夕張の病院がいい。内地からこんなところまで来てくれた村上先生は信頼しています」。黒沢映画の名医「赤ひげ」を重ね見ているのかもしれない。だが、村上氏はこう言い切る。 

「ぼくは赤ひげじゃないし、赤ひげ主義には反対です。一人の医師の献身に頼る医療は、赤ひげが死んだら成り立たなくなる。ぼくは地域医療の基礎をつくったら、後に続く若い医師につなげていく。そういうシステムをつくりたい」 

むらかみ・ともひこ 1961年、北海道歌登村(現枝幸町)生まれ。北海道薬科大院修了。薬剤師として3年間勤務後、医師に転身。金沢医大卒後、自治医大に入局。東京の離島や岩手県などの病院に勤務。札幌市に妻と一男二女。夕張には単身赴任。

<デスクメモ> 財政破たんで一時は八割以上の市職員が退職を検討した夕張市。実際に四月から全職員の半数が退職し、課長以上の幹部の大半が姿を消す。堰(せき)を切ったように、“泥舟”から逃げ出す公務員とは対照的に、小さくてもきらりと光る診療所を目指す医師の姿はさわやか。暗闇に一条の光をみる思いだ。 (吉) 

【コメント】
この取り組みは、これからの地域医療のあり方を占う試金石になります。人口減少が加速する多くの地域で、住民が安心して暮らせる地域社会であるためのインフラ(社会基盤)として、地域医療が充実しなければなりません。「赤ひげ」に頼らない、システムとしての地域医療の姿が見えれば、全国での応用が可能になります。

その「充実」の仕方に興味を持ちました。「守備範囲」を限定し、予防医療、初期診療に徹して、健康な住民を増やす方針。高齢化と共に増え続ける医療費抑制の切り札となり得る要素を持っています。医療としての採算の問題を克服できるかどうかが鍵になります。この試みが功を奏することを期待します。


2007/1/14(日) 個人情報の保護が個人を殺す

個人情報保護法ができて、社会的な活動がやりにくくなりました。各種団体の役員に連絡を取ろうと、団体の名簿をお願いすると、個人情報保護法ができたので名簿づくりはやめました、というような返答が帰ってくることがあります。

【[災害弱者対策]「リスト作成阻む情報保護の壁」】(読売1月14日社説)
命より「情報保護」が大事なのか。

過剰な個人情報保護の意識が壁になり、高齢者や障害者ら災害弱者に対する自治体の救援リスト作りが進まない。

災害が、いかに弱者に大きな被害を与えるか。12年前の阪神大震災の教訓を忘れてはならない。

阪神大震災では、60歳以上の人が犠牲者の半数を上回り、身体障害者の死亡率は健常者の6〜13倍に上った。その後も大規模災害のたびに、高齢者や障害者らの逃げ遅れが問題になる。

政府は一昨年、「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」を策定した。市区町村が、福祉部局の個人情報を基に、災害弱者の住所や氏名などのリストを作成し、消防団や自主防災組織、民生委員などと情報を共有して、1人1人の避難支援計画を作るよう求めた。

だが、総務省消防庁の全国調査では、昨年3月時点で個別の支援計画まで作成した市区町村は、一部作成を含めても63団体、3・4%にすぎなかった。

情報漏れに過度に神経質になり、すくんでいる自治体が多すぎる。

リストへの登録は、個人情報保護法が「本人の利益になる時」などに認めている個人情報の正当な第三者提供に当たる。ガイドラインに、こうした政府見解を明示しているのを見落としたのか。

救助が必要な人の所在がつかめねば、救える命も救えない。その責任をどう考えるのか。足踏みしたままの自治体はすぐに登録作業に取りかかるべきだ。

登録の進め方にも及び腰の姿勢が見える。登録希望者を広報紙などで募る自治体が多い。災害弱者の自主性に委ねる方式だが、こうした自治体での登録は対象の1割程度にとどまっている。

内閣府は、本人の同意を得なくても情報を関係機関に提供し、担当が直接訪問して個別の避難支援計画を作る方式を推奨している。登録漏れをなくすには、躊躇(ちゅうちょ)や手間を惜しむことは許されない。

東京都渋谷区は、本人の同意なしに自主防災組織などへ情報提供できるよう条例を改正した。長野市は消防職員らが戸別訪問して弱者の危険度を点数化し、消防指令システムに入力している。

災害時には、弱者の支援に責任を持つ支援者自体が被災する場合もある。支援の担い手を増やし、弱者1人に複数の支援者を組み合わせたい。東京都荒川区は高齢者らをおんぶやリヤカーで救い出す「おんぶ隊」を組織している。

災害弱者自身も、近所や関係団体との連絡を密にし、自らの状況を常日ごろから知っておいてもらうことが大切だ。

【コメント】
個人の名前・住所・連絡先が公表されないことが個人情報保護である、というのも如何なものでしょうか。

その人の履歴で知られたくない事項とか、隠しておきたい病気などは、情報の保護に力を入れるべきです。しかし、人格や名誉を毀損するような事柄ではない、周辺の事項まで保護だ保護だと言ってへっぴり腰になり、肝腎の命が保障されない事態になるというのは、本末転倒の極みです。

ここは、「本人の承諾ないしは推定的承諾」という解釈で乗り切るべきではないでしょうか。そういう解釈を補強する法改正も必要でしょう。

少なくとも、公の団体に所属して役員を努めようとする者については、住所・氏名・連絡先を公表することへの承諾があったものと見なされていいと思います。

保護や支援の対象となる高齢者については、推定的承諾があったものとして扱い、事後的に本人が自己の情報を秘匿したいという意向を示したときに、名簿から削除するというやり方が考えられます。

要となるのは、名簿の管理です。責任者でない方々の安全を守るためには、名簿管理者の責任を明確にし、名簿の流通が厳格に規制されるべきです。


2007/1/13(土) ローソンで刺身、ファミマで介護

大型店の時代。地域商業の生き残りは、超高齢社会を見据えて、高齢者のニーズに対応するサービスの提供をどのように行っていくかにかかっています。

ところが、コンビニ業界がそのニーズを見逃すはずもなく、「参戦」する構えを見せています。

【ローソン、刺し身販売 都内一部店舗で18日から】(フジサンケイビジネスアイ)
大手コンビニエンスストアのローソンは、18日から野菜や肉などを取り扱う生鮮コンビニ「ローソン ストア100」の都内の一部店舗で、マグロなどの刺し身を販売する。大手コンビニが刺し身を本格的に取り扱うのは初めて。高齢化が進む地方や住宅地の主婦層などを獲得し、大手スーパーに対抗する。

ストア100は、東京、千葉、神奈川の3県で76店を展開している。刺し身販売は、新大久保駅前店(東京都新宿区)、文京白山1丁目店(東京都文京区)など都内数店で開始し、1カ月以内に26店に拡大する。商品は8品を用意した。マグロ、イカ、サーモンとマグロ、カニ、タコの3点盛りがそれぞれ税抜きで1パック330円、シメサバ、マグロの切り落としがそれぞれ380円など。ストア100は野菜や肉を取り扱うものの、「魚は焼き魚や干物だけだった」(ローソン広報)。

刺し身の販売はストア100に加え、地方を中心に現在40店を設置している高齢者向けコンビニ「ローソンプラス」にも順次導入していく。ローソンプラスは既存のローソンの改装などにより、来年2月までに1000店規模に拡大する計画だ。

ローソンは刺し身の取り扱いに伴い、鮮度管理を徹底し、取扱店には専用の冷蔵ショーケースを設置した。また、冷蔵輸送網の活用により、鮮度管理と衛生管理も徹底している。

【ファミリーマート 店長ら介護資格を取得へ 福祉サービス拠点に】(産経)
コンビニエンスストア業界3位のファミリーマートは7日、社員や店長に介護関連の資格を取得させ、店舗を福祉サービス拠点として活用する構想を明らかにした。手始めに商品の宅配制度を導入。将来的には、配達先のお年寄りらの安否確認や世話をする“福祉コンビニ”の実現を目指す。コンビニ業界は消費動向の変化や店舗増加で既存店の売り上げ低迷が続いており、各社とも若い女性や主婦、高齢者など客層を絞り込んだ新業態店展開による活性化を模索している。同社は高齢化社会に対応したサービスを柱にすることで競争力向上を狙う。

構想の第1段階は商品の宅配で、来年度中にフランチャイズ(FC)店に導入する。直営店の一部で実験的に始めているが、高齢者向けに弁当の週替わりメニューを組むなど本格展開する。

次いで、ホームヘルパーなど介護関連の資格取得を従業員らに促す。業務上、FC店長の取得が難しい場合も想定されるため、当初は店舗支援要員である「スーパーバイザー」(SV)の社員に資格を持たせる。約1000人いるSVの「半数以上に取得させる」(同社)という。

最終的には、商品の配達者が訪問先の高齢者らの安否確認や、家事などの面倒をみるサービスにも踏み込みたい考えだ。

若い男性を主要顧客としてきたコンビニ業界だが、次の有力顧客層として、シニア層への対応を進めている。すでに、セブン−イレブン・ジャパンが、顧客の注文を聞いて商品を届ける「ご用聞き」サービスを展開しているほか、ローソンも店内に血圧計や休憩スペースを設けた店舗を拡大させている。

約6800店を展開するファミリーマートでは、高齢者が多い地域にある店舗を中心に、福祉サービスの導入を進める構えだ。

平成12年にスタートした介護保険制度では、民間企業も、訪問介護などの介護関連ビジネスを展開できるようになり、居酒屋チェーンのワタミが老人ホームの運営を手がけるなど、企業の参入事例が増えきた。

ファミリーマートは今後、関連法令の研究や、収益に結び付ける事業モデルの検討を進め、本格的な介護ビジネスへの参入も視野に構想の詳細を詰める。

【コメント】
大きな商圏は大型店が押さえ、近隣の小さな商圏はコンビニが押さえて共存するという形になり、地域商業の入り込む隙間はないということになります。

地域ニーズを充足するサービスが提供されるならば、自営業者(零細業者)としての商業者がいなくなっても、社会に影響がないということになるのかどうか。

かつて、物販を営む商店が後継者を育成して存続するために必要な年商が3000万円と聞いた記憶があります。近年における地方の惨状からすると、地域商業者の年商は、業種業態にもよりますが、2000万円を大きく割り込んでいる可能性があります。

仮にコンビニ1軒の年商が2億円とします。地域の商店の年商を3000万円と仮定すると、商店6〜7軒の規模ということになります(年商2000万円とすれば、10軒分)。

コンビニが地域商業に取って代わった場合を想定すると、どういうことが起きるでしょうか。地域コミュニティーの崩壊が始まるのではないかと懸念される事態が想定されます。

これまで、地域祭事や消防、安全協会等の活動は、地域商業者が担ってきました。PTAの活動においても然り。地域での活動の主力メンバーが脱落するということになります。そういった活動についても、コンビニや大型店が一肌脱いでくれればいいのですが、「経営者や従業員のボランティア」が可能かどうかが問題になります。

農業においても、企業化・大規模化が模索されています。商業におけるニーズ充足型の大型店+コンビニ支配と相俟って、機能面で農業機能、商業機能が充足されても、地域社会の崩壊を促進することになっては、取り返しのつかない事態に陥ってしまうのではないでしょうか。大型店やコンビニと少年非行の相関関係についても注視しておく必要があります。

アメリカ型の自由主義で何が失われるのかをしっかり見極めないと、大変なことになります。ヨーロッパでは、地域の商店は「我々の店」だという認識で、少々値段が高くても遠くの大型店には行かずに、地域のお店で買い物をするという住民が多いようです。

「何でもあり」の自由主義を卒業して、不自然なな営業活動に規制を加えていかなければ、地域社会を維持することは困難であると考えます。アメリカでは、世界最大の商業施設であるウォルマート進出に反対する地域も多くなっています。便利さと引き替えに、地域社会を崩壊させていいのかどうかが問われています。

さて、日本では…


2007/1/12(金) 「大学」とは何か・・私学設立規制緩和の記事を読んで

「規制緩和」と言われますが、教育の世界は規制だらけです。学校設立についても厳格な規制があり、かなりの資本を投下しないと学校法人を設立できません。

学ぶ者と教える者がいれば、それは学校だとシンプルに考えるところから出発すべきではないでしょうか。慶應義塾の沿革を調べると、福沢諭吉が藩命により江戸築地鉄砲洲の中津藩中屋敷内に蘭学の一小家塾を開いたのが起源であるとされています。福沢諭吉、数え年25歳。

【私大の用地・校舎、賃借でOK…全国で規制緩和へ】(読売) 
政府は、私立大学に対して、学校用地と校舎の自己保有を義務づけている規制を緩和し、賃借でも開校を認める方針を固めた。

地方自治体による私立大学の誘致を後押しする狙いがある。文部科学省の大学設置に関する審査基準を変更し、2007年度の設置認可申請から適用することにしている。

学校用地・校舎の自己保有に関しては、現在、東京都千代田区や新宿区などの構造改革特区で「借用であっても差しつかえないこととする」という緩和措置が取られており、これを全国展開する。

政府は、学校が長期にわたって安定して運営されるよう、開校を認める条件として、賃借契約の期間を20年程度とする方針だ。

現在、私立大学を開校するためには、学校法人が土地や建物を購入しなくてはならないため、開校準備の際の負担が大きい。このため、地方に新たな大学を開校したり、学部を新設しようとしたりする学校法人側の意欲が後退し、地方自治体にとっては、大学誘致の足かせの一つになっていると指摘されていた。

また、校舎の賃借を認めることで、東京都心部など土地や建物の価格が高い地域での開校
が今より容易になるとみられている。

【コメント】
規制緩和結構。用地・校舎は所有ではなく、賃貸でも可というのは前進ではあります。しかし、教育には何が必要か、というところから出発すると、所詮、その他の雑事に関する要件のお話にすぎないのではないでしょうか。

高等教育の分野について言えば、21世紀を担う人材の育成を行う志と、それに相応しい人材(教育者)が要件であり、それ以外の諸条件、例えば科学の場合での実験設備などは整備されるにしても、それは学位認定の要件であって、学校設立の要件ではないと考えるべきです。

高名な学者が私塾を開く。その学者の下で一定期間学べば一定の単位を全国共通で認めるという仕組みであれば、「学校」それ自体も必須要件ではないと思います。

そうした私塾が地方で起こり、江戸時代のような教育・教養の割拠体制ができれば面白い社会になります。知恵と知識と学ぶ意欲の地方分権が必要であると考えます。


2007/1/11(木) 嗚呼、共産党・・・病膏肓に入る

政権交代しても変わりがないならば、政権交代などする必要はないという意見があります。

そうでしょうか。同じ勢力が権力を握り続ければ、必ず腐敗します。政権交代には、権力の腐敗を防止するという意味合いがあります。政策に変化がなくても、官僚機構の暴走を牽制することが可能です。

そうした政権交代の意義を無視し、「確かな野党」などと言って、退行現象を起こしているのが、日本共産党です。

【「民主が自民よりましとは思わず」 志位共産委員長】(朝日)
共産党の志位委員長は9日、ベトナムを訪問し、ハノイ市内のホテルで記者団と懇談した。志位氏は夏の参院選で与党が過半数割れした場合の対応について「民主党が自民党よりましな政党だとは思わない。民主党は憲法や税金問題で自民党と同じ流れにある。根本的に違う勢力が逆転するわけではない」と述べ、国会などでの民主党との協力は極めて限定するとの考えを示した。 

【志位・共産党委員長、民主党との選挙協力を否定】(読売)
共産党の志位委員長は9日、ベトナム共産党のノン・ドク・マイン書記長らと会談するため、民間機でハノイ入りした。

志位氏は同日夜(日本時間同)、ハノイ市内のホテルで同行記者団と懇談し、「今後数年で最大の問題は憲法であり、いかに改憲派を孤立させるかが重要だ。自公両党と民主党は孤立させる対象だ。その民主党と選挙協力するのは考えられない」と述べた。

【コメント】
「改憲派を孤立させる」のはいいとして、「自公両党と民主党は孤立させる対象だ」とまでエスカレートすると、蟻が像を蹴散らしてやると豪語するような、漫画的発言としか言いようがありません。

志位さんの発言には、願望と現状認識との混同があり、かつての大本営発表と共通するものがあります。「信者」向けの発言だとすれば、辻褄は合いますが。

近年の共産党の活動ぶりを見ると、「いたわしい」という気持ちになります。活動家の高齢化が著しいのです。不破・志位路線から脱却して、多数派形成を真剣に考える政党に成長して欲しいと思いますが、「病膏肓に入る」というか、手の施しようがない末期症状なのかもしれません。

(参照)
平成18年12月4日:【共産党を野党共闘から除外すべきか】
平成18年10月25日:【共産党は隠れ自民である】


2007/1/10(水) ダーティー松岡(農水相)は辞任せよ

「西のムネオ」こと松岡利勝氏は、たたけばホコリがいくらでも出そうな勢いです。こんなもの、誰が任命したのかということになります。

疑惑については、安倍総理もどっこいどっこいではありますが、とりあえず、松岡氏の出処進退については、早期に結論を出す必要があります。

もちろん、議員辞職を含めての話です。

【松岡農水相の資金管理団体、家賃ゼロでも事務所費高額】(朝日)
松岡農林水産相(自民、衆院熊本3区)が代表を務める資金管理団体「松岡利勝新世紀政経懇話会」が01〜05年、家賃のかからない衆議院議員会館を事務所の所在地としているにもかかわらず、年間約2500万〜3300万円を事務所費として支出していたと、政治資金収支報告書に記載していることが分かった。家賃支出がないのに数千万円の支出は極めて異例。朝日新聞の取材に対し、松岡農水相の事務所から具体的な回答はなかった。

国会議員の事務所経費をめぐっては、佐田玄一郎前行革担当相が代表を務める政治団体が事実上実体のないとみられる事務所を事務所所在地として収支報告書に記載し、政治団体が発足した90〜00年に事務所費など約7800万円を支出していたことが昨年末に発覚。佐田氏は、別の政治団体の支出を付け替えるという「不適切な会計処理があった」と認め、閣僚を辞任している。 

収支報告書によると、この団体は01年に2642万円、02年に2475万円、03年に2632万円、04年に3166万円、05年に3359万円を事務所費として支出。いずれの年も人件費とほぼ同じ額となっている。 

総務省によると、事務所費として計上されるものは、事務所の家賃のほか、火災保険などの保険料、電話使用料、切手購入費、修繕費など事務所の維持に通常必要とされるものとなっている。 

政治団体の支出については、政治活動費には1件5万円以上に限り収支報告書に領収書の添付が求められるが、事務所費や人件費など経常経費には領収書の添付は義務づけられていない。 

松岡農水相は昨年、資金管理団体が福岡県警から出資法違反の疑いで家宅捜索を受けた福岡市のコンサルティング会社の関連団体からパーティー券代として100万円を受け取ったにもかかわらず、政治資金収支報告書に記載していなかったことが発覚。松岡農水相は直後の会見で「直接、関連団体とのつながりはない」と関連を否定したが、その後、松岡農水相の秘書が内閣府に対し、関連団体のNPO法人申請をめぐる審査状況を照会していたことが判明している。 

松岡農水相の事務所は、朝日新聞の文書による質問に対し「9日中の回答は時間的に困難」としている。

【コメント】
それにしても、安倍政権はお粗末すぎます。組閣時点で怪しい人が閣僚になったものだと評されていたのですから、「まさか」の話ではなく、「やっぱり」ということになります。

政権の求心力が著しく低下しているせいか、山崎拓氏は勝手に北朝鮮と交渉、テレビも政権批判をし放題の状況になっています。

閣僚の中から、疑惑・スキャンダルがまだまだ出ると予想されているので、参院選まで政権が持つのかどうかが焦点になりつつあります。

そんな中で、小泉再登板説が囁かれるようになってきました。まだぞろ国民が騙されないように、野党は小泉政権の総括をきちんとやっておく必要があります。


2007/1/9(火) 素人感覚で活躍できる地方議会に

地方自治、とりわけ地方議会は、これからのフロンティアです。改革精神に満ちあふれた議員に登場してもらい、新たな発想で自治に取り組んでいただきたいものです。

ところが往々にして、選挙で当選する要領を会得した古参議員の、居心地良い養老院と化してしまいます。

【「議員特権」の最悪は? 事例募りコンテスト】(朝日)
福島県広野町議は16年務めると現金50万円、愛知県議は議会に出席するだけで「費用弁償」1日1万5000円……。地方議会の議員には知られていない厚遇がある。そんな「議員特権」の中から「ワースト(最悪)大賞」を決めるコンテストが2月9日に開かれる。議員特権を拒否する全国の地方議員らでつくる「なくそう!議員特権キャンペーン」の主催で、事例を募集している。

コンテストに先駆け、同キャンペーンは昨秋、「議員特権に関する全国自治体調査」と題するアンケートを約1800のほぼ全自治体で実施、地方議員の待遇の実態を調査した。 
この中で、長年務めた議員への議員表彰制度の有無を聞いたところ、回答した約1400の自治体のうち3分の1の約480で同制度があった。 

朝日新聞社がアンケート結果をもとに調べたところ、表彰と同時に記念品などを贈るケースが多く、現金50万円や30万円相当の品物を贈る自治体のほか、1期4年務めただけで記念品を贈る自治体もあった。 

現金や記念品の贈呈は、市民から「公金の無駄遣い」「当選祝い」との批判が強く監査請求も起こされているが、全国市議会議長会は「表彰は敬意と激励の意味。記念品などは各自治体の判断」としている。ただ、各自治体では同制度を「内規」などとして定めているケースが少なくなく、広く知られていないのが実情だ。 

議会に出席するたびに支給される費用弁償も、「厚遇」との指摘がある。「主に交通費の実費負担に対する支給」(総務省行政課)との位置づけだが、一律で支給するケースがほとんど。愛知県議会では1日で1万5000円(遠距離だと加算)、茨城県議会では同1万3300円(片道20キロ未満)を支給している。 

ほかにも、海外視察のための支度金支給や議長会が加入する団体生命保険の保険料公費負担、行政視察時の新幹線グリーン車利用などの例がある。 

コンテストでは、こうした「議員特権」の具体例を今月末まで募り、その中から大学教授ら審査委員と参加者の投票で「ワースト大賞」を決める。同キャンペーンは、全国で市民運動に取り組む無所属の地方議員のネットワーク「虹と緑の500人リスト」などが呼びかけ、約90人の地方議員が賛同。同キャンペーンは「市民感覚からずれた議員特権を告発し、なくしていこう」と訴えている。 

コンテストは東京都千代田区の日本教育会館で。参加費は市民500円、議員1000円。詳しくはHP

【コメント】
俗受けするが故に、こういう運動は議員たちに衝撃を与えます。有権者に突っ込まれると言い訳できないので、それなりに「自粛」を促す契機にはなります。

しかし、こういった関心は持続しないのが常です。マスコミが取り上げない限り、あるいは有権者が立ち上がらない限り自浄作用が発揮できない原因は、議会の硬直した仕組みにもあります。

少々庶民派が増えても、改革の提案は「多数決」で否決されます。私が「地方自治規制法」と呼んでいる地方自治法などで、議会の仕組みやルールががんじがらめになっており、ユニークな発想を持った新人議員が活躍しにくくなっています。

議員は当選回数を重ねる毎に、市民感覚を失うようになってくるのが自然の流れですが、議会では逆に、当選回数即ち「期数」が物を言うことになります。結果、議会全体としては現状維持ないしは改革拒否の姿勢になってしまいます。

多選の弊害です。長く議員を務めることで、様々な経験を積むわけですから、それがいい方向に活かされるならば、経験豊富な議員の存在は自治体にとっても住民にとっても有意義なはずです。

ところが、残念ながら現実は、悪化が良貨を駆逐し、お荷物の古参議員が御褒美に預かることを目標に当選回数を重ねることになります。

改革の処方箋として考えられるのは、期数を重ねることが不利に作用する仕組みをつくることです。期数を重ねる毎に報酬が減額されるということにすれば、減額がわずかであっても、当選回数至上主義に楔を打ち込み、新たな議会の文化を創ることにつながります。「何期努めたから表彰」などというのはとんでもない。むしろ、当選回数が多くなれば議員年金が減額されような制度を採用すべきです。

素人感覚を失うことなく活躍できる地方議会が理想です。ボランティア議会がいいかどうかを含めて、議会のあり方がもっともっと議論されていいと思います。ルールに手足を縛られて新たな発想が阻害されることのないよう、ルールのためのルールを取り除き、無駄な規制をなくすべきです。

議会制度の改革と規制緩和。そのための提言をしていきたいと考えています。


2007/1/8(月) 昔の人口1位は、新潟県(明治21年の資料)

地方の将来について、数字を踏まえた明確なイメージをもって語るということがほとんどなされていません。最近、国立社会保障・人口問題研究所が日本全体についての将来の人口推計を見直して発表(大幅な下方修正)しましたが、地方についての最新データは、まだです。

2002年の推計でも、都道府県については2030年までしか公表されていません。50年先まで公表すると、騒然となるような数字が出てくるでしょう。

【「高知県どうなる?」、団塊対策訴え 民主・菅氏】(朝日)
民主党の菅直人代表代行は7日、フジテレビの報道番組で「この間も高知を歩いていて、『菅さん10年後、この高知県はどうなるのか』と高知に住んでいる人が言っていた。日本全体に人間がまんべんなく生きて、子どもを産んで育てられる、そういう日本が一つのイメージとして必要だ」と語った。 

団塊の世代でもある菅氏は、その世代が退職後の第二の人生として農業に従事する道を探るなど地方の活性化や人口減少対策の必要性を唱えてきている。この日の番組でも「農業そのものはこの50〜60年、自給率はどんどん下がっているし、農業人口もどんどん下がっている。農業を一番破壊したのが自民党の政策だ」と指摘した。 

【コメント】
人口減少は均一に進行するものではありません。過疎地域ほど過激に進行します。

1888年(明治21年)の資料を見てみると、日本の総人口は3962万人です。「なんだ、昔は人口が少なかったんだから将来の人口減少もどうということはない。」という見方もあり得ます。

ところが、都道府県別の人口を見ると驚きます。都道府県別の人口第1位はなんと新潟県(166万人)。東京府は4位(135万人)。高知県は39位(56万人)。我が愛媛県は20位(90万人)。米所に人口が張り付いていました。その後の産業構造の変化が、現在の状況を生みだしています。中央集権が強化されたことも見逃せません。

1920年(大正9年)になると、東京府が第1位になります(369万人)。新潟は7位(177万人)、高知39位(67万人)、愛媛24位(104万人)。総人口は、5596万人に増加。

1970年(昭和45年)ではどうか。総人口は1億446万人。2047年(平成59年)での推定人口に近い数字ですが、その中味は大いに違います。1970年では、東京都1140万人(第1位)。新潟14位(247万人)、高知45位(81万人)、愛媛27位(150万人)。これが2047年になると、新潟、高知、愛媛は半減に近い数字を想定しておく必要があります(甘めに見て4割減)。

高齢化率の方がより深刻です。1970年の高齢化率が7%。2047年の高齢化率が39%(推定値)。新潟、愛媛、高知では50%という数字を想定しておいた方がよさそうです。

人口半減、高齢化率50%の地方の暮らしを想定して、未来の政治を語る必要が出てきました。とりわけ、高知や山陰といった「どん詰まり地域」の将来展望がしっかりしないと、悲観的なムードが蔓延することになります。厳しい数字を見据えた上での的確な対策が必要です。


2007/1/7(日) 「若手」はしばらく「若手」のままである・・成人の日雑感

明日は成人の日です。我が地域では、本日が成人式。ヒヨコのような「成人」が誕生します。この「成人」たちは、当分の間自分自身の生活に埋没して、地域社会での「登板」は先送りされることになります。

各分野、とりわけ地方における各職域を見渡すと、「若手」と言われている年代が極めて高年齢になっていることに気付きます。

50歳前後の方々は、20年以上前から「若手」と言われ続けています。多分、もうしばらく「若手」であり続けなければならないでしょう。超高齢社会においては、かつて政界で言われていた「40、50は洟垂れ小僧」ということが、一般社会でも当たり前の現実になります。

深刻なのは、後継者のいない自営業的分野です。農林水産業、商業などでは、「若手」のまま生涯を終える可能性も大いにあります。「若手」の高齢化は、地域社会を維持していく上で、困難な事態を生じます。

消防団など、地域を支えるボランティア組織が、従来のままでは維持できなくなりつつあります。これまでサラリーマンは、地域での役割を免除されてきましたが、そういう訳にもいきません。まちづくりなどの地域活動も、これまで主体であった商業者の世代交代が困難な情勢なので、サラリーマン層にも参加をお願いしなければなりません。

現在の政治が継続する限り、自営業的分野は先細りし、「若手」は「若手」のままで居続けなければならないことになります。客観的に見て、地方の自営業者は、自分たちの未来を切り捨てる政治の片棒を担がされています。地域を「保守」することを真剣に考えるならば、別の選択肢を用意しておかなければなりません。


2007/1/6(土) 「藤原紀香に嫁ぐ」

藤原紀香さんと陣内智則さんとの結婚報告会見で、陣内さんの「(自分は)藤原紀香に嫁ぐと言われている…」という発言が印象的でした。

女性が働く場合には色々なパターンがあり、昔ながらの「結婚までの腰掛け」もあれば、生涯掛けてキャリアを積んでいくという選択も可能です。子育て終了後のパートもあります。どのパターンでも、男がきちんと働くということは当然の前提とされています。

このことが昨今の結婚難の原因になっています。男がフリーターや無職だと、結婚に際し女性の家族から反対が出ます。「花婿修行中」などという概念はないのですから、「嫁にもらいたかったら、男としてしっかりやれ」という話になります。

男女平等ということからすれば、おかしな話です。トレンディードラマでは、夫が「主夫」という設定が時折ありますが、その場合でも、男に一定のキャリアがあって、当事者の事情で男が家庭に入るというお話が多いようです。

昔から「髪結いの亭主」というのがあり、怠け者の旦那が女房の稼ぎで食っているというのは、世の中でよくある話でした。これには、ほめられた生活ではないというニュアンスがあります。

男はきちんと家族を養えるように働かなければ一人前ではないが、女性は働いても働いていなくても「女性」であるということで社会的に認知されています。

男女平等を本気で語ろうとするならば、「男は働け」という部分に疑問を持っておかなければ、おかしなことになります。妹を切り刻んだ予備校生の話題で持ち切りですが、この男の子には「歯科医師」の人生しか選択肢がなかったことが(あくまで本人の主観ですが)、「暴発」の原因だと思います。「歯科医師が駄目なら、お婿さんになればいいよね」などとは、誰も言ってくれないのです。

男には、女性に比して遙かに多くの不具合が発生します。DVあり、変態あり、過激な犯罪あり…。しかも寿命は短い。その多くは、「男は働け」というところに起因しているように思われます。しかも、一定のステイタスを得た形が期待されているのでやっかいです。女性も働くことが当たり前になり、男性型の犯罪も見られるようになりましたが、女性は働かなくても「甲斐性なし」などと罵られることはありません。

藤原紀香さんの話に戻ります。彼女が陣内さんのプロポーズに「お伴します」と答えたことに爽やかさを覚えました。「なんやかんや言うても、芸人さんの妻なんで、ホンマに1歩下がって、2歩下がって、ついていきたいと思います」との古風な発言も、好感度アップです。

「格下の相手」と世間から見られていることから、冒頭の「藤原紀香に嫁ぐ」発言が出た訳ですが、男性の「下方婚」志向、女性の「上昇婚」志向が結婚のハードルを高くしている昨今、藤原紀香流の結婚も有力選択肢とされるようであれば、ゆったりした社会になると思います。

この際、「男が嫁いじゃいけないか?」との問題提起をしておきます。もっとも、陣内さんもそこそこの芸人なので、「下方婚」呼ばわりするのは、甚だ失礼ではあります。


2007/1/5(金) 参院選の争点・・「憲法改正」vs「年金」?

今夏の参院選で、安倍総理が「憲法改正」で正面突破を図る可能性については、政権成立当初から危惧されていました。支持率低迷にあえぐ安倍内閣の政権浮揚策として、「憲法改正」はあり得る選択です。野党の分断を狙う意味合いもあります。

【「参院選で憲法改正を訴える」首相が年頭会見】(読売)
安倍首相は4日午前、首相官邸で年頭の記者会見を行い、憲法改正問題について、「私の内閣で憲法改正を目指すということを当然、参院選でも訴えていきたい」と述べ、夏の参院選で自民党の公約として訴えていく考えを表明した。

首相は「今年で憲法施行から60年で、新しい時代にふさわしい憲法を作っていくという意思を今こそ明確にしていかなければならない。自民党の草案は出来ており、各党と協議を進めてもらいたい」と述べた。
(後略)

【<民主党>小沢代表が反論、「参院選の争点は年金改革」】(毎日) 
民主党の小沢一郎代表は4日、会見し、今夏参院選の争点について「新しい年金制度を示すことで、何も示されていない政府与党との違いは鮮明になる」と述べ、年金改革問題を中心に据える考えを示した。安倍晋三首相が憲法改正の争点化に言及したことについては、「国民の生活に身近なものが比重が重い」と述べ、反論した。

【コメント】
民主党は早い段階で、「憲法改正」が争点となった場合の対策を練っておくべきである、というのが私の意見でした。

これには前提がありました。安倍政権にある程度の期待感を国民が持っているということです。しかし、現在の安倍氏が「憲法改正」を叫んでも、それほどの共感を得られないと思います。

小泉政権の場合は、「郵政民営化」が如何なるものか国民は分からなかったけれども、「小泉さんがあれほど言うのなら、一口乗るか」というような共感がありました。

しかし、政権運営に疑問符が付いている政権が大きな問題を提起しても、政権浮揚には結びつかず、却って「短慮である」と見なされてしまうではないでしょうか。

政権運営が軌道に乗り、一定の支持が得られた段階で「憲法改正」を掲げる衆参同日選挙となれば、これは大変です。しかし、「へっぽこ剣士」と思われている中での「勝負」だと、自民党崩壊の引き金を引くことになります。

(参照)
平成18年8月23日:【「憲法改正」で民主党は惨敗する?】


2007/1/4(木) 市町村合併で「支所」の人員が減るのは当然か

平成の大愚策である市町村合併を多くの地方が受け入れて、3200あった自治体が1800に激減しました。

「支所」となった地域は、予想以上に寂れています。これまで、「町」や「村」が手厚いサービスを実施してきただけに、その落差は大変です。市部の住民には想像しがたいものがあります。

そうした「支所」においては、職員の数が減っています。このことは当然のように思われていますが、本当に人員削減が正しいのかどうか、踏みとどまって考え直してみる必要があります。

私は、「支所」地域の人員は、当面増やすくらいの発想が必要だと考えています。これから「支所」地域は人口が激減することが予想されます。それとともに、高齢化率が50%を大幅に超えてくることも予想されます。地域社会の崩壊もあり得る事態です。

そうしたことが予見される以上、職員を数多く配置することが、第一に行われるべき行政サービスだと思います。これに対しては、合併の目的である行政組織のスリム化ができないではないかとの疑問が出てきます。

私は、行政組織のスリム化は、「本所」で行われるべきだと考えます。基幹部門における意思決定システムの見直し、補助金業務等の手続きの簡素化、迅速化が必要です。「行政事務のための行政事務」ともいうべき組織の無駄をどれだけ取り除けるかが鍵です。

これは、職員には嫌がられる話です。しかし、それを避けていては、行政組織は生き残ったが、地域住民は切り捨てられたという本末転倒の話になります。

地方公務員とは、地域住民に雇われた地域事務のための職員です。その原点に立ち返った施策が求められます。なんのことはない、100人でやれる仕事を200人、300人掛けていなかったかどうかの問題です。どの自治体でも、きちんとしたリストラをやれば、余剰人員は必ず出ます。

その人員に、「行政事務のための行政事務」を割り当てるのではなく、「支所」地域の住民と共に汗をかく仕事を与えるべきです。職員の意識改革にもつながります。

(参照)
平成18年5月10日:【「ぶらぶら公務員制度」の提唱】
平成18年5月11日:【自治体内の「地域事務局」構想】


2007/1/3(水) 自民・公明・「一部労組」の時代

9年前の参院選で橋本政権が崩壊したとき、公明党は野党でした。小渕政権下で与党の一角に食い込んだ公明党。今や、公明党の支持団体なしに自民党が政権維持を続けることは不可能になりました。

それでも、自民党が政権を維持するには不十分な状況になりつつあります。従来の支持基盤が弱体化しました。農業団体、建設業界等は、地方切り捨て政治の中で、これまで通りの働きが期待できません。地方議員も、市町村合併の影響で定数が大幅に減り、支柱たり得なくなっています。

そうした中で自民党が目を付ける有力組織が、労働組合です。昨年11月の沖縄県知事選挙では、優勢と見られていた野党の統一候補が敗れました。この選挙における与党側の戦いが、これからの政治の先取りになるかもしれません。

以下、森田実氏のHPより。

【2007.1.2 森田実の言わねばならぬ[07年版・2] 】

平和・自立・調和の日本をつくるために【1】

<2007年の課題は、選挙を通じて政治の流れを変えることにある>

[反「自民・公明=創価学会」勢力を総結集して、安倍自公連立政権の独裁政治を止めなければならない] 

(略)

日本が平和に生き、日本が格差なき繁栄を実現するためには、政権交代を実現し、民主党を中心とする野党連立政権を樹立する必要がある。自公連立政権は独裁化している。日本にはもはや政権交代を達成する以外に、平和・自立・調和・繁栄の国として生きていく方法はないのである。
 
政権交代を実現するためには「反自公」の国民大連合をつくる必要がある。とくに大切なことは野党協力を実現することである。まず「民主・社民・国民新党」の3党協力を実現し、その上で共産党とも部分協力の道を探るのがよいと思う。
 
第二に、国民レベルの「反自公国民連合」を結成にあたってカギを握るのは労働組合である。労働組合はいま自信喪失状況にあるが、労働組合本来の責務を果たすべきである。労働組合は経営者から自立して「わが道」を進むことができるか否かが問われている。
 
昨年11月19日の沖縄県知事選で勝敗を分けたのは、沖縄にあって強大な民間労組の去就だった――と沖縄で知事選を戦った民主党幹部は語っている。ある自民党幹部は「われわれが勝利できたのは労働組合のおかげです」と語っているという。民主党の大幹部は「ある巨大労組が自公の味方になって、非常に熱心に選挙運動をした。経営者に口説かれて協力したのだが、あんなに熱心に頑張られてはたまらない。労働組合なのだから、あれほど熱心に自公推薦候補の当選のために尽くさなくてもよいのに…と言いたくなる」と語った。
 
沖縄県知事選では、電力関係組合と一部の旧民社党系民間労組が、民主党など野党が推す候補ではなく、自民・公明側の候補のために働いた。労働組合がこのような野党に対する裏切り的行為をしているようでは、政権交代は夢のまた夢である。利敵行為を行った一部労働組合に対して猛省を促したい。今後は小沢一郎民主党代表の戦略に協力すべきである。
 
政権交代を実現するためには、労働組合は民主党など野党とともに進まなければならない。労働組合よ、覚醒せよ! 奮起せよ! 裏切るな! 

(コメント)
民主党=労組という見方をしている人がいるとすれば、頭が古いと申し上げざるを得ません。政権を一時失った自民党が社会党を抱き込んで政権復帰を果たした経緯に鑑みれば、何があっても不思議ではありません。「何でもあり」の自民党。長期政権維持のための壮大な仕掛けが出来上がりつつあると考えておくべきです。

政権交代のリスクを避けたいと考える人は、異分子を抱え込んでも、従来の支配体制が継続することを望みます。他方、従来の自民党政治には反対であっても、自分たちの意見が通るのであれば、政権の中に入って活躍することの方が現実的であると考える人もいます。

そうした人たちの思惑が合致すれば、自民党・公明党・「一部労組」の支配体制が出来上がっても、何ら不思議ではありません。今夏の参院選の結果如何では、大幅な「組み替え」が起きると思います。既成政党の枠組み変更も含めての話です。

そういう組み替えが与党に有利に作用するかどうかは不明です。民主党サイドから見ると、大きなフロンティアが開けてくるのではないでしょうか。自民党支配が崩れつつある中で、幕末に見られた「公武合体」のような、体制再構築のための様々な試みがなされることになります。これに対して、民主党が「フロンティア」を開拓できるのかどうか。予断を許さない政治情勢になってきます。

《独言》
民主党は、一度「丸裸」になった方が、強い政党になれます。右顧左眄しない強い指針を打ち出し、国民にアピールする。本当はそういう政治が期待されているのだと思います。

現実に当選しなければならない現職たちは、そんなリスキーな選択はしたくありません。目の前にいる支持者を無視して政治を行うことができないのが政治家です。しかしながら、自民党の方が「進化」するとなれば、否応なく変化に対応せざるを得なくなります。

「足し算」で生きるのか、「掛け算」で生きるのか。自民党は、「足し算」を選択します。小泉純一郎以外に、自民党で「掛け算」の政治ができるリーダーはいません。それも1回限りの「騙し」。

民主党は、いずれ「掛け算」を学ばざるを得なくなります。これまで「風頼み」と言われてきた話とは、少し違う展開になります。ムードではなく、理念協賛型の個人の集積であって、それがネットワーク社会では「掛け算」ないしは「累乗」の展開になります。


2007/1/2(火) 国家と企業との矛盾拡大

グローバル化した経済の下で、企業の生き残りには厳しいものがあります。名の通った大企業といえども、従来なら致命傷とはならない経営判断のミスで、倒産に至る可能性が出て来ました。

「いざなぎ景気を超える景気拡大が続いている」と言われますが、労働分配率が低下しているので、労働者に利益の分配がそれほどなく、国内型産業にも影響が及びません。

企業の繁栄は一部地域と一部の人たちに恩恵をもたらすだけであって、地方や庶民は取り残されたままです。

そうした中で日本経団連は、消費税引き上げの提言を行っています。

【経団連が政策提言…消費税2%上げ11年度までに実施】(読売) 
日本経団連は、2015年までの日本の将来像を示す政策提言「希望の国、日本」(御手洗ビジョン)を1日付で発表した。

財政再建に向けた政府目標である「11年度の基礎的財政収支(プライマリーバランス)黒字化」を達成するため、11年度までに消費税率を2%程度引き上げる必要性を正式に指摘した。さらにその後、消費税率換算で3%分に相当する増税か歳出削減を行う必要があるとしている。

「希望の国、日本」は、昨年5月に御手洗冨士夫会長が就任以来、初めて打ち出す総合的な政策提言となる。

秋以降に本格化が予定される消費税論議に影響しそうだ。

提言は、国と地方を合わせた債務残高(06年度末見込み)が767兆円、対国内総生産(GDP)比で150・2%に上り先進国で最悪の水準となっている点に深刻な懸念を表明。

11年度のプライマリーバランスを黒字化した上で、さらに債務残高の比率を低下させるためには、12〜15年度に、「消費税換算で3%程度の増税」または「社会保障以外の歳出を毎年4・6%削減」のいずれかを実施すべきだとした。

一方、国と地方を合わせた法人課税の実効税率については、「諸外国と比べ高止まり」していると強調し、現行の約40%から「15年までに30%程度に引き下げるべきだ」との経団連の従来の主張を明記した。

(コメント)
優秀な企業経営者の方々が政策提言を行うことは、極めて有意義です。しかし、日本経団連の主張は、いささか我田引水ではないでしょうか。「輸出戻し税」の問題はどうなるのでしょうか(平成18年12月15日のブログ参照)。

輸出型大企業にとっては何の痛みもなく、却って消費税の還付によって自らが儲かるお話を、「提言」という形で行うというのは、余りにも面の皮が厚すぎます。

天下国家のことを考えればそうなるのだと言われるかもしれません。しかし、現在の地方の実情と庶民の生活を考えれば、日本の企業であるとの自覚があるならば、自ずと自制心が沸いてくるはずです。しかしながら、日本経団連は企業の利益を国家の利益の上に置いているのではないかと思われます。

俯瞰すれば、日本国(庶民や地方)と国際型大企業との矛盾が拡大してきたということが言えるのではないでしょうか。行き着くところ、企業のために国家が使い捨てにされるということになる可能性があります。

「愛国心」という言葉を、つい使いたくなってしまいます。昭和初期の青年将校達の反乱も、現在と相似形の国内問題があったことに起因しています。

(参照)
平成18年12月15日:【日本経団連は消費税を語るな・・「輸出戻し税」について】


2007/1/1(月) 新年、天皇陛下のお言葉

公平かつ客観的にものごとを眺め、国家と国民の幸せを念じている存在が、我が国の天皇家であり、天皇陛下です。天皇家の長い歴史を讃える人が多いようですが、私は、天皇家が昭和から平成に至る歴史の中で、象徴天皇制の意義を深く理解し、実践されてきた御努力にこそ敬意を払うべきであると考えます。

(参照)日本国憲法第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

【「皆が信頼し暮らせる社会を」天皇陛下が新年の感想】(読売) 
天皇陛下は、新年を迎えるに当たっての感想を発表された。

冒頭、陛下は「昨年も、大雪や豪雨、台風、竜巻などの自然災害で、150人もの人命が失われたことは痛ましいことでした」と振り返り、「新潟県や福岡県では、地震被害のため、この冬も仮設住宅で暮らしている人々のことが心にかかっています」「台風による潮風害で稲作などに大きな被害を受けた地域もあり、農家の人々の心痛が察せられます」と気遣われた。

その上で陛下は「我が国と世界の人々の幸せを祈り、皆が、互いに信頼し合って暮らせる社会を目指し、力を合わせていくよう、心から願っています」と強調された。

<後略>


(コメント)
「我が国と世界の人々の幸せを祈り、皆が、互いに信頼し合って暮らせる社会を目指し、力を合わせていくよう、心から願っています」とのお言葉。真摯に受け止めたいと思います。

権力闘争を避けて通れない政権担当者とは、言葉の響きが異なるような気がします。世界規模での信頼の醸成。そして、地域での信頼の輪。信頼し合って暮らせる社会になるようにしたいものです。

《独言》
大晦日は、仕事をしながら、聴くともなく、見るともなく、テレビで紅白歌合戦の雰囲気を味わいました。徳永英明、「壊れかけのRadio」は最高。高音の魅力。歌手は声だな、と思える熱唱でした。

昨年、ずぼらで年賀状を出さなかったので、今年はと思っていたら、新年がやってきました。どうしようかと思案中。

謹賀新年。


玉井彰の一言 2007年1月 四国の星ホーム一言目次前月翌月