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日本の五大姓の発祥について
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  日本の古代においては物部氏が栄え、その後藤原氏・橘氏が天皇家より新しく氏を賜り多くの氏族集団が栄えてきました。
 中世時代になりますと天皇家皇子が源氏や平氏として民に臣下されますが、平氏の台頭は著しく平氏にあらざれば人にあらずとまで言われた時代もありました。
 やがて武家政治も終わり明治時代になりますと、氏は廃止され新しい姓・苗字を公式的にも一般的にも使用する時代になりました。
 然し、日本民族の姓の発祥を見ますと源氏・平氏・藤原氏・橘氏及び菅原氏の家系を基に多くの新しい血縁関係が芽生え、現代の姓・苗字の繁栄を見る事ができます。
 従って源氏・平氏・藤原氏・橘氏及び菅原氏の五大家系を、五大姓の発祥として以下に集約いたします。
 注)以下の説明文は各種古文書を基にして作成したものです。


  4.「橘」姓の発祥

         (1)橘氏の由来

地名は二字とするの勅によりて、立花、立華、橘樹、橘花、龍華 などの文字を用いる。  
新潟県佐渡郡相川町、石川県能美郡川北町、静岡県周智郡森町、奈良県高市郡明日香村、和歌山県西牟婁郡白浜町、鳥取県西伯郡 西伯町、徳島県海部郡牟岐町、香川県仲多度郡琴平町、 香川県小豆郡内海町、高知県幡多郡西土佐村、同 吾川郡吾川村、 福岡県大牟田市、熊本県阿蘇郡蘇陽町、宮崎県東臼杵郡諸塚村に 橘の地名あり。

橘家は古代の名家 四姓(源平藤橘)の一つ。
敏達天皇の曾孫
美奴王と結婚した県犬養三千代が708年 橘宿禰の姓を賜り、731年その子葛城王も臣籍に降下して橘諸兄と称す。
諸兄の子 奈良麿が反乱を起こして、一時衰えたが 、平安前期に嵯峨天皇の皇后を出して、再興。  
教育施設 学館院は有名。
  尊卑分脈に 系図あり。

  美奴王
   ├―――――――――――
諸兄−奈良麿┬島田麿――┬真材−峰範−広相┬公材−好古┬為政−行資−成経−兼遠−盛仲楠木氏へ)
   橘宿禰三千代(県犬養東人女)    ├清友   ├長谷雄     └義子   └敏政┬則光−則長−則季−清信−清則−清成
                     └安麿   ├当主     (宇多天皇妃)   └則隆−成任−以綱−広房−以長−以政−以経−以良−以隆−以材−以季−以基−以盛−以量=以緒
                           └常子
                          (桓武帝妃)

          2)広伸流の由来
以良の弟「広仲=邦長−邦康−邦良−邦方−邦量」なり。

          
3)以実流の由来            

広仲の弟「以実=知宣−知仲−知茂−知嗣(正平五年六月没)−知顕−知任−知繁−知季−知興」なり。