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【98年12月22日】
サンタはここに


今、サンタはここにいる!

【Norads Santa】



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【98年12月6日】
Pennsylvania


高校の頃、デパートの古物市で買った中古の License Plate (車のナンバープレートだ)が青と黄色の Pennsylvania 州のものだった。
Pennsylvania 州のこの色使いは、今も変わっていない。

横浜の小学校で3年のとき同級生だったH君は、Pennsylvania 州 ベルフォント町で生まれた。
H君の父親はT大の物理の助教授で、H君は両親の在米中に Pennsylvania 州で生まれた訳だ。
母親はモダンな方で、僕たちが遊びに行くと、よくシュークリームを作ってくれたものだ。

その母親がある日、僕たちに何気なくした次の質問を、僕は一生忘れないだろう。

「内側が鏡になった球の中に入ったら、どのようにみえるかしらね?」

---- その後僕は年齢を重ね、Pennsylvania 州の Philadelphia で働いている。 そして今、あのような質問を子供にできる親でありたいと思っている。



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【98年12月1日】
Kの入れ歯


3ヶ月程前から、Kは歯列矯正器具を使っている。
これを家族みんなで入れ歯と呼んでいる。

11才のKは、最初はフヒフヒ言ってじいさんのようだったが、そのうち慣れて来て、入れたまましゃべるのがうまくなった。

しかし相当じゃまなのか、気を許すとそのへんに置きっぱなしにしてすぐに忘れてしまうようだ。

一般に、アメリカ人は、相当、歯並びを大事にする。



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【98年11月5日】
M氏の父の1周忌に思い出したこと


それは1975年くらいのことだっただろう。
僕たちは高校生で、10人ぐらいの仲間で映画を撮っていた。

ある夜、例によって(僕はいつでも他人の家に泊まれるよう、パジャマと洗面用具を常に持ち歩いていた)編集作業で遅くなり、M君の麻布の家で夕食をごちそうになったあと、映画の話をしていて、僕が「結果よりも映画を撮るプロセスを大切にしたいのです。」というようなことを言ったとき、M君の父はおだやかにうなずいていた。

過程か結果か。

実社会では結果がすべてとしか言いようがないかもしれない。
それでも、結果がわからないことだってたくさんある。
むしろ、結果が分かることなんてほとんどないはずだ。
結果が分からないことでも、やるべきときにはやるべきだ。

----- 友人M氏の父親の1周忌に、ふと思い出したあの時の会話を、どうしても現在、自分がしている仕事と照らし合わせて考えてみてしまう。



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【98年10月18日(日)】
暖かな日曜日の紅葉撮影


先週末 に引き続き紅葉撮影。

Merritt-W(EX31) → North-N → 104-N → 22N → Bedford → 35-E → Cross River → South Salem → Ridgefield → 123-S → 106-S → 124-S

今年はどうも不調だ。



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【98年10月16日(金)】
Kの Book Report


Kの 6th Grade の Book Report。

3日ほど、かかりきりでやっていた。
最近は彼は自分でワープロやE−Mail、ブラウザをいじれるようになった。

Proof Reading を済ませ、あとはプリントアウトして提出するのみの状態だった。
コンピュータファイルの操作を誤って後半部分を消してしまったのはそのときだ。

締切りに出せなくなり、僕が先生に手紙を書く。
Kはいじけてふて寝。

僕も仕事で数回、大事なファイルを消してしまったことがある。
自業自得とは言え、泣くに泣けないというのはこのことだ。
だからバックアップは怠らないようにしている。

彼は僕がいじっているのを見て、Ditto(テープドライブ)とか Zipという名前には詳しいが、自分ではバックアップはしたことがない。



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【98年10月15日】
朝の車内にて


雨のせいか、車両故障で電車がキャンセルになった。
珍しくデッキに立ったまま、新聞を読みながら New York へ向かう。

Portchester を過ぎると、電車が平行して同方向に長く走る区間がある。
ふと横を見ると隣を走る電車の中に、女性の2人連れが座っている。

どこかで見たような顔のような気がする。
すぐ目の前にいるのに、間を2枚のガラスと両方の電車の騒音が遮っている。
声をかけようにも聞こえないもどかしさ。

たった1.5メートルの距離が、限りなく遠い。

人は死ぬときにもきっと同じようなもどかしい感覚を持つのだろう。

--- グランドセントラルターミナルに着いて外に出たら、
もう雨は上がっていた。

夢だったようだ。



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【98年10月12日(月)】
Colombus Day には


Colombus Day は、毎年、紅葉の撮影に絶好な時期だ。

きょうは朝から曇っていたが、「夕方には晴れるのでは?」というかすかな期待を抱き、家から2時間ほど車を走らせて、Massachusetts との州境までやって来た。

きのうとおととい、家族を乗せて Boston に往復した際に通った道だ。
そういえば、Boston も雨模様だった。

家の近くではまだちょっと紅葉のピークには達していないが、このあたりまで来ると、ちょうど良い具合いに色づいている。
しかし、どんよりとした空は一向に晴れて来ない。

Connecticut 北部の 田舎町、Stafford Springs の町の古ぼけた交差点近くで、車を停めて1時間待った。

アイスクリームを食べる太った老夫婦。
のんびりと貨物列車が踏み切りを横切る。
子供を連れた女性。
抱き合う若者。
のんびり流すパトロールカー。

決して裕福な町ではない。
時代から取り残されたように見える。

しかし、結局、晴れ間は見えなかった。
5時半になった。
6時の日没までに太陽が現れる可能性は全くないと言って良いほど小さい。
結局、そのまま、1枚も撮らずに、また2時間かけて帰ってきた。

写真は光を撮るものだから、光がなければ撮れない。

来週末 に賭けよう。

Merritt-E → 91-N → 84-E(EX73) → 190-W → Stafford Springs → 32-S → 84-W → 91-S → Merritt-W(ex37)



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【98年10月9日(金)】
Walker Evans / ICP Midtown


Walker Evans / ICP Midtown

若干のポストカードと来年の Calendar を買う
- Flowers / Ernst Haas
- Ansel Adams

Jackson Hole Humburger

しとしとと雨が降っている。
10月も中旬に入り、外はもう寒くなりつつある。

紅葉はそろそろピークを迎える。
今度の週末は Bostonだ。



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【98年10月4日(日)】
真っ赤なハイビスカスを前にして


我が家の Living Room の暖炉の前に、真っ赤で立派なハイビスカスがある。

隣の住人の育てていたものだ。

彼女は先日、ミネソタで交通事故に遭ったそうだ。
留守になった家の片づけをしに来た彼女の同僚によると、彼女は大怪我をして重体になり、当分の間、帰って来られないそうだ。

----- 10月になって急に涼しくなってきた。
主のいなくなった家で、彼女の大事にしていた花は、大部分が枯れてしまうだろう。
我が家に一時引き取られた若干の鉢植えと、この巨大なハイビスカスを残して。。。。

あまりに鮮やかなハイビスカスを見ていて、逆に事故の悲惨さを強く感じてしまう。
人は健康で、元気でいてほしい。

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【98年10月1日】
Grand Central Terminal の Renovation


2年間にわたる Revitalization Project がほぼ終了し、きょう、Grand Central Terminal の Renewal 完成のセレモニーがあった。

高い天井のこの駅も、僕が New York に来た92年には、だいぶくすんでいた。
92年に僕が New York に着き、迎えてくれたのは、3年ほど前から Maryland で医学の研究をやっている友人M氏からの、 "Welcome to our country, ah, of recession !" という FAX メッセージだった。

Grand Central Terminal の駅舎がくすんで見えたのは、80年後半から続いていた Recession のせいばかりではなかっただろうが、 その後、アメリカ経済は restructuring を踏まえてめざましい発展を遂げ、バブルの崩壊した日本とは対照的な姿となった。

Renovation のほぼ済んだ(まだあちこちで工事をやっているので、とても「完成した」とは言えない) Grand Central Terminal は、大理石がぴかぴかと光りすぎていて、かえって安っぽい印象さえ感じさせる部分もある。

それにしてもきれいになったものだ。
天井の星座にも昔の面影はない。
東側にも階段ができた。

吹き抜け2階の Michael Jordan のステーキハウスも盛況だ。
予想に反して(?)、おいしい。

新聞などで取り上げられるようになり、最近では予約が取りにくくなってきたらしい。

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「弾丸が標的を狙って飛ぶかのように、全米各地の光り輝くレールはすべてグランドセントラルステーション、 この偉大な町の中心へと向かってくる」、1937年にNBCのアナウンサーがラジオ番組「グランド セントラルステーョン」で紹介して以来、50年以上に渡り、いまだ何百万という旅行者や通勤者の到着地 、出発地になっている。建物の正面にある広い正門から人込みがターミナルの中を流れていく。

巨大なパンナムビルと、小さいながらも迫力あるデザインのグランドセントラルステーションは、 ニューヨークで最も鮮明なコントラストを浮かび上がらせている建築物の組み合わせといえるだろう。 美しいボザール様式によるこの建物は1903年から13年の間にパークアベニューの中心に建てられた。

豪華に装飾された柱、アーチの外装、巨大な丸天井のホールにある彫刻などが、そのスケールの大きさと 独特の雰囲気を作り上げている。ホールの長さは125フィートにおよび、吊り天井には十二宮図の星座が 描かれている。また、現在、グランドセントラルステーションの上にオフィスタワーの建設が討議されている。

(別冊BT美術手帖1991年)



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【98年9月30日】
南の風が吹くときは


南の風が吹くときは、潮の香りがする。

ここコネチカット州 Darien も、9月後半ともなると風がかなり冷たくなってくる。
時に、やや風が暖かく感じられる日があるが、それは南側の Long Island Sound の方から 上がって来る風のせいだ。

そのような日には、決まってかすかに風に潮の香りがする。
大きく息を吸い込むと、やや暖かく、鼻腔の上部に潮が満ちてきた。
6時45分のジーゼル列車が近づいて来る。

9月末を迎え、New England のこの町も、だんだん秋らしくなってくる。



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【98年9月11日(金)】
Starr 検察官の調書/クリントン


検察官という職業ではありながら、ここまで個人のプライバシーに立ち入ることが許されるのか?
また、そうすることにどんな意味があるのか?

しかし、今日、インターネットで公開された445ページのレポート は、膨大なヒットを記録している。

Nov.15 あたり は描写が露骨

CNNにもある。

Download はこちら。

もちろん、インターネットのメディアとしての威力はわかっている。
しかし、このようなものを公の場に晒すことにどこまでの意味があるのか?
クリントンを擁護する訳ではないが!

note: starr1.htm, starr2.htm, starr.zip



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【98年9月7日(月)】
Labor Day / Long Island のカニ釣り


【土曜日】

カニ釣りの続きだ。

前回は Beach のついでに New Jersey で釣ったが、今度は Long Island だ。
片道2時間もかからないので、日帰りでも良いのだが、せっかくだから、Long Island の住宅地を少し見ようということで、1泊にした。

土曜日の午後に家を出て、Port Washington、Manhassett をのんびりと走り、さらに Freeport の Motel にチェックインする前に Jones Beach によった。
夕方なのに、1日分の Parking fee 5ドルをとられるのはちょっと悔やしいが、ビーチをぜひ見ておきたいのでしかたない。

この間行った New Jersey の beach より広い。
砂浜の幅が倍以上ある。
(砂浜の「長さ」の方ははどちらも「見渡す限り」なので、もともと比較する意味はないのだが。。。)
レストラン等の施設も充実している。 砂も白くて合格。しかし、マンハッタンに近いので、6−8月の最盛期には相当混むのだろう。

そして Freeport の Motel に一泊。
漁港であり、観光船も多い。カジノ船も出る。

夕食は Motel で紹介してもらったシーフードレストラン。
Labor Day の連休のせいか、混んでいる。
外のデッキにすると1時間近く待つというので、店の中の席にする。
桟橋に面した店で、ボートを横付けしてそのまま店に入れる。

【日曜日】

翌日は Long Island に住んでいる友人家族と Captree で合流し、早速カニ釣りだ。
昼は海岸でバーベキュー。風が強いので良く燃える。

結局、5時間ほどで、カニは14匹釣れた。
ほとんどがワタリガニだが、黒い違った種類のカニも3匹かかった。これはまずそうだ。
New Jersey と違って持ち帰る大きさの制限はないが、小さすぎても食べるのに苦労するので、4インチ程度以上のもののみもって帰る。6匹。
いちばん大きいのは6インチを優に越えている。
強力なハサミにやられてはたまらないので、軍手と網を使って何とかカゴに入れて持ち帰る。

帰りには、 Peter Lugar に寄る。
Long Island の店は初めてだ。

店の作りは Brooklyn と似ている。ドイツのビヤホール風の雰囲気や、きさくな年配のウェイターというのも全く同じ。デザートにあの巨大なイチゴを食べたかったが、きょうはないという。しかたなしにメロンにする。

家まではちょうど1時間。

カニを小さなバケツにうつし、冷蔵庫に入れて寝る。
夜中に這い出してきませんように。

【月曜日 Labor Day】

朝食のときに、冷蔵庫のバケツの蓋を開けてカニのご機嫌をうかがう。
「寒すぎて調子が出ない」そうだが、まだ生きている。
きのうは泡を出しながら文句を言っていたのだが、きょうはその元気もないとのことだ。

連休最後の日は朝から空模様が怪しい。天気予報通りだ。
アメリカの天気予報はけっこうあたる。
「西から変わる」のが天気だから、北米大陸のほぼ東端に住んでいる我々にとっては、西側の地域の昨日の天気がそのままきょうの我々の天気というわけだ。   ---- 実際はそんなに簡単なものではないが、けっこう天気予報があたるというのは実感だ。

夕方2時半頃、急に涼しい風が出てきて、空が暗くなってきた。
一雨来る。「アコードのサンルーフはしめてある?」とJに聞く。

「しめてあるわ。雨でちょうど車がきれいになって良いわね。」
まったくのんきなものだ。我が家の無理難題(大して深刻なのがないのは幸いだが)はすべて僕が背負っているのも無理はない。

さて、5分たったら急に雨が振り始めた。
そのうちに、屋根に何かあたる音がし始めた。
外を見ると、ビー玉位のひょうが降っている。

「アコードの屋根がやられる。」

車がきれいになるどころではない。
僕はどしゃ降りの中、玄関先の車のドアを開けて乗り込み、すぐに車庫に入れた。
何とか無事だった。幸い、ひょうは長くは振り続かず、雨も30分位で降り止んだ。

きょうは暦の上で夏の最後の日だ。地域にも良るが、だいたい、ひょうは春から夏に降る。

New England ではさほど強烈なのは降らないが、オクラホマやテキサスあたりになると、テニスボール・ソフトボール大のものが降ることもあるそうだ。たまらない。
でも、きょうのはすごかった。

もうすぐ夕食、カニだ。

---------- ああ、うまかった。(後日追記)

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【98年8月26日(水)】
「出井伸之のホームページ」


「出井伸之のホームページ」(ソニーマガジン)を読み、勇気付けられました。

いくつかの感想。
1.僕より21才も年寄りのくせに、ずっと若い僕と同じ発想をしている。僕のまねをしているな。
2.僕よりも半年も早く、僕と似た発想でホームページを作り始めた。くやしい。
3.こういう発想の人が、イギリスの Direct Line 社と組んで日本で全く新しい発想で保険に参入しようとしているのは大きな脅威だ。自由化を遅らせた代償として、「会社の経営」という点で国際的なメーカーよりかなり遅れをとってしまった金融機関としては、相当の覚悟が必要だ。

1.2.は、ほんの冗談ですが、インターネットへの取り組みの遅れに気付き、一気に挽回したビルゲイツといい、ソフト・ハード・コンテンツ・ネットワークへの総合的な取り組みや、マイクロソフトとの戦略的な提携など、先見性を持った経営を行える出井氏といい、先進的な経営者には本当に感銘を受けます。

アメリカでは、ご存知のとおり、amazon.com の大成功に危機感を持った Barnes & Noble が、それでも一足遅れでインターネットによる本の販売に参入し、その会社を別会社として IPO するところまで来ています。

日本で当社が、「滅び行く恐竜」にならないことのみを念じています。
(そうなりそうだったら、その前に会社を去らないといけませんが。)

失礼しました。
お気にとめていただき、ありがとうございました。

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言うまでもなく、出井伸之とは、僕の大好きな企業、SONY の社長だ。



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【98年8月24日(月)】
PCへのメモリー増設


3月に買ったPC(Compaq2240)に、メモリーを増設した。

マザーボードの最初から16メガがついている。そこで、増設メモリーボードの 16メガをはずして32メガを取付け、合計48メガとした。
ハードディスクへのアクセスが減り、まあまあ早くなった気がする。

Sync-DRAM $39.99。
安くなった。SDRAM は各社が製造から手を引きつつあるため、価格は下げ止まりの傾向だという。

今後は Flash Memory の時代なのだろう。



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【98年8月23日(日)】
CitiBank の PC Banking の 完全 Internet化


10月末を以って、アメリカの Citibank の PC Banking のうち、専用ソフトと専用電話番号を使うサービスが終了し、 インターネットとブラウザを使う方式に統一されるそうだ。

僕は、もっぱらスピードを重視して専用ソフトを愛用していたが、今後はインターネットを使わざるを得ない。

セキュリティの強化されたブラウザを使うとは言っても、若干の不安があるが、仕方あるまい。
しかし、きょう使ってみたら、メニューのカスタマイズ機能も有り、さほど使い勝手は悪くはない。

また、秋から日本の Citibank も Internet Banking を始めるようだ。
(当然、僕も使うつもり。)

一方、東京三菱銀行は Microsoft Money を使っている。
日本の銀行も変わりつつある。

Sony が損害保険事業を始める時代だから何が起きても不思議はない。



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【98年8月20日(金)】
New Jersey のビーチ


Thanksgivingやクリスマス、1−2月にカリブに行く東海岸在住の日本人達も、あまりNJのビーチに行くと言う話は聞かない。
これは大きな謎である。

我々は2年前の夏にここの海がすばらしいことを発見してから、毎年1ー2回は訪れることにしている。
日帰りでも十分だが、ゆっくりするためには是非泊まりたい。

今年の夏休みはささやかな3泊の旅行となった。
Beach Haven の海岸沿いのモーテルがベストだが、今回は計画を立てるのが遅くなり、3週間ほど前に4カ所ほど電話したときには、すでに予約がとれなかった。
そこで、橋を渡って5マイル程内陸に入った Tom's River のモーテルに3泊することにした。ビーチには、毎日、車で10分程かけて通う訳だ。
まあ、しかたあるまい。代わりに、部屋代は1泊109ドルと、海岸沿いに泊まる場合に比べ、3ー4割は安い。

ビーチの長さにかけては、カリブなどを圧倒している。
海の水もきれいだ。
砂も、「純白」というわけには行かないが、かなり色のうすく、白に近い茶色であり、さらさらしていて気持ち良い石英質の砂だ。

Atlantic Ocean を北から来る寒流なので、水温が低いのが唯一の難点だ。
「楽しく長く泳ぐ」という水温ではない。
それでも、何年か前に Cape Cod 東部でみつけた Nauset Beach に比べれば、南に下がったぶんだけ、だいぶ水温は高いはずだ。

砂浜で日光浴をして暑くなったら体を冷やすために時折入るのが正しい。
もっとも、水温など気にしない子供たちはずっと入りっぱなしだが。。。
5月末から9月初めまでは泳げる。

Seaside Park。
6ドルを払って入る。広大な駐車場。
駐車場の向こう、ボードウォークで砂丘を越えると、広大な海岸が広がっている。
鮮やかなビーチパラソル。
若い家族連れ、若い女性の2人連れ、老夫婦。

その前に、駐車場の入り口の手前の街にある White Oak Market で、昼食用のサンドイッチを買い、持ってきたクーラーバッグにジュースと一緒に入れておくことを忘れてはいけない。
KとAはビーフジャーキーを要求する。

僕たちは、3日間連続でこのビーチに通ったが、連日、ここのサンドイッチを食べた。

アメリカでサンドイッチを頼むのは難しい。
ーパンの種類
ー中身 ローストビ−フ・タ−キー・サラミ
ー付け合わせにはさむ野菜
  トマト・レタス・オニオン
ーマヨネーズの有無
ー塩と胡椒
ーチーズの種類
ーいくつに切るか

ここのサンドイッチはサブマリンサンドなので、パンは決まっている。
僕はツナが好きなのでツナサンドを頼んだが、1・2日目は「ツナはきょうはない」といわれ、ようやくありつけたのは、コネチカットに帰る最終日、3日目だった。

海での3日間。
何をするという訳でもない。
新聞や本や雑誌を読む。
クリントンのモニカ・ルインスキーとの関係についての証言が行われた。アメリカもくだらないことで時間をつぶしている。

最初の日は良い天気だったが、途中でやや日が陰った。
2日目は、風が強く、気温も低かった。
最終日は最高。雲一つない青空。風も穏やか。

帰りには Tom's River に渡る橋のたもとにある桟橋で、蟹釣りを試した。
針金でできたカゴに魚のぶつ切りや鶏肉を入れてたらしておくだけだが、結構楽しい。
獲れるのは、メリーランドクラブという、いわゆる、ワタリガニだ。甲羅がギザギザしていて、長く強いハサミを持っている。

4.5インチ以下のものは海に帰さないといけないのだが、最後の0.5インチがミソだ。

我々は5匹獲ったが、そのうち3匹がちょうど4インチ、その他の2匹が3インチ程度だった。結局、1匹も持ち帰ることができなかった。Aは不満そうだ。

Garden City Parkway を通って家に向かう。
家まで約2時間40分。若干の渋滞があったことを考えるとマアマアだ。
途中で7回も料金所がある。1回の料金が35セントなので許せるが、EZ−PASSが導入されていないため、料金所があるたびに止まるのは面倒ではある。30枚セットのトークンを買っておいて良かった。

家の近くで、Greenwich のガンコラーメンに寄って夕食。
2年ほど前、50がらみの日本人のオヤジが始めた屋台のラーメン屋だ。
日本食料品店(フジマート)の駐車場で、夕方7時半から営業する。
味はマアマア。
東京ラーメンが6ドル。

今度は、ロングアイランドで蟹釣り をすることにしよう。
今年はヒラメの超大当たりの年らしいので、Kの釣り竿も忘れないようにしなけらばならない。
家に帰って来て、きょう、アメリカがアフガンとスーダンに先日の東アフリカのアメリカ大使館襲撃に対する報復攻撃を行ったことを知った。



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【98年8月1日(土)】
江國香織/つめたいよるに


ふとしたきっかけで読み始め、文庫本1冊、読み終えずにはいられなかった。

時間軸の壊れた世界。それが全く不自然でない。
現代的に、軽くはあるが、軽薄さを感じさせない。
人との間に一定の距離を保っておきながら、変に醒め切っているいやらしさがない。

さわやかさ。
忘れてしまいそうなわくわくする気持ち、おだやかな幸せ。

読みながら、最近、良い写真が撮れないような気がしていた訳がわかった。

シミュレーション、予測
論理・実現
ディスカッション

---------- ふと、それらの意味がむなしく思える。

みずみずしい感性を失っている。 疲れているのかもしれない。

ひとりでだだっ広い野原に寝転んでいたい。



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【98年7月29日(水)】
カサブランカ・ファン

天井についている、5枚羽根のファン。
暑い日に、そよそよと回しておくと気持ち良い。

映画「カサブランカ」に出て来たのかもしれない。

僕は大好きだが、天井が高くないとつけられない。



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【98年7月26日(日)】
Power Ball (250Million の Lottery)

Power Ball

Connecticut、Washington DC 他19州で販売。
New York, New Jersey 等では販売されない。
Connecticut 州にも、I95(Interstate)を走り、州を越えて買いに来る。

州境の裕福な街、Greewinch には、New York や New Jersey から多くの人が買いに来ている。
長い列を作って並び、道路の渋滞を引き起こしている。また、列の途中でちょっと抜けて立ち小便をする不届き者もいるようであり、住民は大変迷惑している。

49以内の数字を5つと42以内の数字を1つ、合計6つの数字を選ぶ。複数の当選者がいるときには均等に分配する。
当選者がいないときには、賞金は次回に繰り越される。
土曜日の Drawing で当選者が出なかったため、賞金は 250Million 以上に膨れあがった。

今までの最高の賞金は今年の5月。Wicounsinの男が当てた $195Milだそうだ。

僕は、Quick Pick(コンピュータが自動的に番号を選ぶ。自分では選ばない。)で20ドル分購入した。
近くのガソリンスタンドへ夜8時過ぎに行き、30分ほど並んで買った。列は25人くらい。老若男女、貧しい人も金持ちもいる。
(「バリバリの金持ち」はいないようにも見えたが。)

70年代末期のぼろぼろのアコードがイカれたエンジンの音を響かせてガソリンスタンドから去って行く。
Lottery を買う人々は、あまり所得水準は高くはないように思う。彼はいくら投資したのだろう?

抽選は今週の水曜日(7月29日)の夜、10時59分。
収入の分配は以下のとおりだそうだ。
(50%が分配に回るようだ。)

50% Multi-state-lottery-association
41% Connecticut General Fund
5% Retailer
4% Connecticut lottery corp

当たると不幸になるような気がするので当たって欲しくない。
(これは70%ウソ)
確率的には決して得なはずはないが、日本の宝くじ(期待値43%)よりは良いかもしれない。
80Millionに1枚だそうだ。

僕は lottery を買うのは今回で2回目。5年程前に買ってみたが、当たらなかったので「もうやめた」とばかりに、その後は買う機会はなかった。

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【7月31日(金)】
僕は予想通り(?)はずれた。ほっとした。超大金持ちになってかえって不幸になるのを免れた。やれやれ。
20ドルでこれだけ怖い思い(?)を味わえるのだから安いものだ。

賞金は結局、25年の分割払いベースで 295.7Millionドルに達したそうだ。通常、一時金でもらうから 161.5Million(税引前)だ。
Ohio 州の13人のグループが当てたそうだ。そのうちの1人が新聞に載っていた。その外の12人は可能な限り Silent を決め込むようだ。
これが当然だと思う。

かすかな羨望もないわけではないが、やはり、金は自分で稼がないといけない。
(「そう思うなら買うな!」? ------ あなたは正しい!)



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【98年7月20日(月)】
引っ越しました

New York はここ数日、蒸し暑い日々が続いていますが、皆様如何おすごしでしょうか?

さて、私共、滞米6年間を経過しましたが、この度、同じ町、Darien の中で引っ越しましたのでご連絡いたします。

今度の家は、一戸建てではなく、木造2階建てのユニットが横に接続するタイプのコンドミニアムです。スペースは3ベッドルームで、だいぶ小ぶりになりましたが、庭の手入れ等に気を使う必要もなく、新しく快適な家です。

New York にお越しの際には、ぜひ声をおかけください。

住所・電話番号 ---- 削除



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【98年7月1日(水)】
ある会社の全面広告

21世紀を目前にした今、日本経済はかつて経験したことのない混迷期にあります。企業をとりまく環境も、ほんの1年前では考えられなかったスピードで変化し、先が見えにくいシビアな状況が続いています。が、このような環境の変化を、ピンチではなくチャンスと○○はとらえます。時代の潮流を的確につかみ、迅速に対応できなければ、本当のビジネス・サクセスは生まれません。こういう時代だからこそ、アグレッシブに前進することが大切なのです。

------------------(中略)---------------------

時代のニーズに的確に応える企業として向上していくためには、積極的に体質の改善をはかり、時代と共に変化し続けていく必要があります。その姿勢こそが、お客様にとって、株主様にとって、そして社員にとっても、満足のいく結果をもたらすものと信じています。よりグローバルに、より、フェア・オープンに・・・。口はばったいようですが、日本の企業にとって手本となるような "企業品質" を築いていきたいと思います。新たな時代に向かって、大胆に変わり続ける○○にご注目下さい。

代表取締役社長 ○△

===================================================================

日本の保険業界の本格的な自由化が始まったきょう、以上のような新聞の全面広告が目にとまった。

あたり前のことを言っているようだが、僕もつくずく同じことを感じている。

社長自らの「熱意」が感じられるような気がしたのは、単にこの社長を僕が少し知っていたからだけだろうか?



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【98年6月29日】
医療関係の大学調査


○○様

僕が30分ほどインターネットで調べた結論としては
http://www.collegeview.com/collegeview-cgi/college-search/search
がとても良いようです。

Criteria Search の最初(一番上)の BOX で
Health Professions and Related science
を選ぶと、医療関係の詳細が出てくるようです。

参考までに、僕が New York を対象として検索して得た大学の一覧表を
ファイル(attach.htm)にして、このメールに添付します。
インターネットに接続した状態で、インターネットエクスプローラーから
この添付ファイルを開き(「ファイル−開く−ドライブを指定」で行ける
と思います。)、該当部分をクリックすると、その大学のウェブへ行ける
はずです。

なお、上に至るまでに各種調査した結果、以下のサイトも、若干参考
にはなるかもしれません。

@大学別のウェブサイトの一覧
(目指すべき大学(院)の内容を調べるのには適していると思います)
http://www.yahoo.com/Regional/Countries/United_States/Education/Colleges_and_Universities/

A大学を決めるアドバイスや入学手続きの相談など(有料・無料)を
してくれる民間会社の一覧
http://www.yahoo.com/Business_and_Economy/Companies/Education/Admissions/

Bhttp://www.auap.com/

Chttp://www.aaced.com/
http://www.aaced.com/main.shtml
http://www.aaced.com/choosecollege.shtml

以上、とり急ぎ、用件のみで失礼します。



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【98年6月20日(土)】
電話 Almost 不通

このところ電話回線の調子が悪かった。
雑音が多すぎる。

何回か見てもらっていたが、一向に良くならない。

きょうは最悪になった。
何とか会話はできるが、PCがつなげない!!

銀行取り引きもできない(テレフォンバンキングは可能ではあるが。)
E-Mailが読めない。
インターネットで新聞も読めない。

不便極まりない。

PCの不調には2台(モバイルギア(モバ) を入れれば3台)のPCのいずれかで対応すれば良いのだが、電話回線が死んでしまうとどうしようもない。

日本ならモバをちょっと片手に持って公衆電話(グレ電)に行って E-Mailを読むという最低限の手段はとれるのだが、アメリカには、ほとんどモジュラージャックつきの公衆電話はない。たまに空港で見掛ける程度だ。

かと言って、まだCATVによるインターネット接続は Darien では始まっていないので、ケーブルによるインターネットも無理だ。
どうにもお手上げだ。

せっかくきのうの夕方発表された、Berkshire Hathaway の General Re 買収の記事を New York Times で読もうと思ったのに。
(うちでは土・日は New York Times は購読していない。)

大きな雑音を我慢して電話会社に連絡し、明日の朝、点検に来てもらうこととした。
この Essay がアップロードされる頃には直っているはずだ。



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【98年6月17日(水)】
村上朝日堂と時価会計

「僕は最近切実に感じるのですが、人間というのは進歩することはできるけれど、どれだけがんばっても、結局のところ自分以外のものにはなれないですよね。だから、たとえばこのホームページを読んで、『ムラカミはこんなに底の浅い人間だったのか。がっかりしたね』と思われたとしても、それはそれで、もうしょうがないじゃないかと思うんです。(略)
 もちろん僕は人々にべつにがっかりされるために、このホームページをやっているわけではありません。でも僕という人間が『仮想的な』イメージで世間的に固められてしまうよりは、正直に思ったことを発言していきたい(あるいは正直にアホな冗談なんかも言いたい)、より自然な素顔に近い自分自身でありたい、と思っているわけです」
 (以上、村上春樹氏の、自分のホームページ に関するコメント:週刊朝日6月26日号より抜粋)

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 僕は現在、ある日系の金融機関に勤めているが、日本の会計制度が国際基準から大幅に遅れ、それが日本のバブル崩壊や金融不祥事を加速させる一因となったことを痛いほど感じている。  村上氏のこの言葉を読んだとき、なぜか、「時価会計」を連想してしまった。

 「あるがまま」を自然体で表現するのが時価会計だ。それを取り繕ったり糊塗したりしようとすると歪む。  今、日本の企業の経営に求められているのは、「あるがままをつつみ隠さず開示すること」だ。企業はそれ以上でもそれ以下でもない。

 国際競争に生き残れるかどうかは、結局、市場が決める。それだけのことだ。

 1年ほど前、日本から New York に出張して来た、1回り以上も年の違う常務に対し、僕は生意気にもこんなことを恥ずかしげもなく言った。
 「---- 直感は正しいものですよね。それに対し無理に理屈をつけて曲げようとするとあとで後悔します。大切なのは、如何に歪みのない、自然な判断ができるかだと思います----。」

 生意気で失礼な社員は、そのうちクビになるかもしれない。

 でも僕の本心だ。



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【98年6月12日(金)】
Philadelphia Lawyer

Sonnenchein Nath & Rosenthal (980605)
Skadden Arps Slate Meagher & Flom (980611)
Morgan, Lewis & Bockwius (980612)

Lawyer の Fee は、人によっては、1時間 $560にもなる。
年間 2000時間働くとして(彼らはもっと働くが)、$560 X 2000 時間 = $1.1Millionを稼ぐ訳だ。
手元に 7割しか残らないとしても、0.8Million。

僕が現在働いている会社の入っているビル(101 Park Avenue)は、Architect Building と呼ばれている。
フロアのデザインが斬新的過ぎて、お世辞にも使い易いとは言えないが、Grand Central Terminal から至近なため、通勤には絶好だ。

昔(100年程前)はこの付近に建築家が多かったそうで、その名残から名称がついているのだろうが、今は、テナントには建築事務所より、Law Firm が多い。Morgan, Lewis は 我がビルの最大のテナントだ。2002年にリースが Expire するそうだが、ビルの Owner としては、更新賃料における最もハードな negotiator に違いない。

なお、Philadelphia Lawyer とは、俗語で、腕利きの弁護士、の意味だ。



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【98年6月11日(木)】
Conference Call (ATT)

The number for ATT Conference Call is 800-232-1111.
The representative from ATT will give you instructions for the process.

Basically what you will need to know ahead of time is :

- Date and time of call
Thu. Jun 11, 1998
- Approximate length of call
(Always make Longer because you only pay for the time that you are actually on call )
60Minutes
- How many people will be on the call
Three

The ATT representative will fax you confirmation with the dial in phone number and the access codes to enter when calling in the information.




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【98年6月7日(日)】
再び Angler / 大破局(FIASCO)

再び釣り。 Kと一緒だ。

アドバイスはするが、どこで釣りたいか、どのように釣りたいかは彼に任せる。
そしてすべて彼の言うようにする。
これが結構難しい。口出しをしたくなってしまう。

きょうの池、Sellecks Woods は失敗だった。ちょっとした大きさがあるが、まわりを木に囲まれていて、どう見ても釣りに向いているとは言えない。
しかし、これも彼の判断だ。

僕は折り畳みのいすに座って本を読む。
"大破局"。

一般的に、アメリカ人の方が、計画的のような気もする。半年以上前からレジャーのことを計画するのはごく普通だし、「事が起こってから」あわてるのではなく、備えを良くしているような気がする。

停電に備えた basement の予備冷蔵庫や発電機。
大雪の前の食料品や薪の買いだめ

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結局、きょうは一匹も釣れなかった。でもKは文句は言えない。自分自身の判断だから。



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【98年6月2日(火)】
日系企業の国際化

以下、日経ビジネスより。

本当にそう思う。
この記事に書かれているのはメーカーだが、金融機関は、さらに遅れている。

===(980601 日経ビジネス)================================================

工場管理者はいるが経営者がいない、真の国際化へ走れぬ日本車メーカー

(98/06/01 日経ビジネス)




佐藤 正明 日経BP社編集担当補佐

 ダイムラー・ベンツとクライスラーの合併には驚かされた。大西洋を挟んだ巨大企業の組み合わせの妙もさることながら、両社が提携ではなく一気に合併に突き進んだからである。さらにベンツが日産自動車の子会社、日産ディーゼル工業を買収するとの続報が飛び出すに及んで、今度は日本車メーカーの国際化の遅れを痛感させられた。

トヨタ、ホンダもまだ第2段階
 日本車が世界市場で評価され、輸出が本格化したのは、第1次石油危機直後の1970年代半ばである。性能が良くて故障が少なく、さらに燃料消費効率が良く、値段も安い。3拍子、4拍子揃った車が売れないわけがない。

 自動車に限らず日本企業の悪い癖で、売れるとなれば集中豪雨的に輸出する。そして貿易摩擦を引き起こし、政治問題と化し、その行き着く先が輸出規制である。日本の自動車産業は絵に描いたように、この道をたどった。

 自動車の対米輸出規制は10年以上に及び、販売台数を伸ばすには現地生産するより手がなくなった。80年代前半の対米工場進出は、紛れもなく摩擦解消策だったが、その後円高が急激に進んだことから、国際化が叫ばれ、今度はその色彩が強く出た進出となった。

 国際化の第1段階は輸出の拡大であり、第2段階が現地生産である。その過程でメーカーの力の格差が出てきた。対米進出に際して最も慎重だったトヨタ自動車は、ゼネラル・モーターズ(GM)との合弁生産を通じて、現地生産のノウハウを取得して、今やカナダを含めた北米地区の生産能力は年産120万台となった。

 ホンダ(本田技研工業)も北米に集中投資をして、トヨタ同様、米国市場を収益源とした。両社はその余勢を駆って欧州単独進出を果たした。逆に日産は、米国で小型トラックの生産から始めたことが後々まで尾を引き、収益源にすることができなかった。欧州でも英国工場とスペイン工場の連携が取れず苦戦を余儀なくされている。

 三菱自動車工業は米国では、資本提携先のクライスラーと、欧州ではボルボと合弁生産に踏み切った。米国工場はクライスラーとの資本提携解消に伴い、単独工場に転換したが、販売網が弱いこともあり、巨額の損失を出してしまった。

 マツダは米国では当初、単独で進出したが、いつしかフォード・モーターの資本参加を仰がざるを得なくなり、経営の主導権も渡してしまった。欧州は最終的に進出を見送った。

 このように第2段階の現地生産で、メーカー間に大きな差が出てしまった。企業の国際化の最終段階は、経営の現地化である。トヨタ、ホンダともこの領域にはまだ踏み込んでいない。

M&Aを仕掛けるためには
 自動車に限らず、日本の企業には工場を管理できる人材は、そこそこいるが、海外の企業を経営できる人材となると、言葉、文化、習慣の違いもあり払底している。企業が人材を養成してこなかったことに原因がある。

 ホンダは94年に資本提携先の英国ローバーの親会社BAeから、ローバーの完全買収を持ち掛けられたことがある。「イエス」と一言いえば、一昔前ならカネを積んでも買えなかった「ローバー」という老舗のブランドを労せずして手に入れることができた。ホンダにとっては多国籍企業に脱皮するチャンスでもあったが、ローバーを経営できる人材が育っていないことを理由に断ってしまった。

 自動車の国際競争は今後、一段と激しくなり、その過程で寡占化が進むだろう。日本の自動車メーカーはこれまで海外企業からM&A(企業の合併・買収)の対象にされても、M&Aを仕掛けた経験がない。しかし手をこまぬいておれば、地盤沈下は避けられない。海外企業にM&Aを仕掛けるには、まず経営の現地化を図り、そこでノウハウを得ることである。




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【98年5月31日(日)】
Complete Angler / Black Bass / Willett House / 単身赴任

Kは釣りに関しては相当熱心だ。僕は彼から、釣りに連れて行けと、2年程前から何度も頼まれていたが、もともと僕は釣りなど 趣味ではなかったし、このアメリカでわざわざ訳のわからない道具をそろえ、釣り場所を探して行くにも勝手もわからず、面倒 なので今まで適当にあしらっていた。

しかし先日、車で片道8時間かけてカナダ(ケベック・オタワ・モントリオール)へ行ったとき、暇つぶしに車の中で椎名誠の 「学物語」のオーディオカセットを聞いていて、Kも我慢ができなくなったようだ。
僕はしぶしぶ、次の土曜日に Complete Angler に連れていって道具のことや釣る場所のこと、必要な免許のことなど、一緒に 聞いてあげる、という約束をせざるをえなかった。

Complete Angler というのは、地元 Darien の釣り具屋の名前だ。
僕は釣りに関しては全くの素人だから、店の名前とは正反対の極にある。僕とKは、きのう、ここへ行って店の人から初心者 のためのアドバイスを受け、Kのために60ドル位の竿と、ルアーを1つ買った。 今まで全く知らなかったが、釣りといっても、池、川、海、ルアー・フライ、といろいろあるようだ。

そしてKは待ちきれず、早速、帰りに Cherry Lawn Park の池で1時間ほど釣り糸を垂らしたが、小さな池にルアーは合わな かったのだろう。全く引きは来なかった。

そしてきょう、日曜日朝10時。家を出て隣町 New Canaan の Mead Park に向かう。 店の人に教わった近場に朝から出かける訳だ。

Kはこういうことになると手際良く支度する。
8時前には起きてシャワーを浴び、一人でルアーの代わりに竿の先につけたフィルムケースを繰り返し投げ、リールを回転 させてたぐる練習を何度もやっていた。

きょうの朝は霧が深い。Head Light は必須だ。教会の近くを通ると、車が道にまであふれている。敬虔な人々が多いものだ。 老若男女、ジョギングをしている人も多い。Mead Park までは15分程度で到着。

10時半から2時まで、Mead Park の中の池を一回りしながら、何個所かで釣った。
早起きの練習の成果もあり、Kはルアーの投げ方、リールの使い方が、きのうにくらべて格段に上達している。
そのせいもあり、Kは2匹を釣り上げた。
5インチ位の丸っこい、やや青色の入った魚と、8インチ位のブラックバス。しっかりと2種類の魚を釣り上げて、 満足そうだ。

夕食はKの要請で Willett House でステーキ。Kの誕生日は5日前だった。
Willett House は、我が家から15マイル。車で20分だ。 I95の Exit2からすぐ、New York 州に入ってすぐの Port Chester にある。
Peter Lugar にはとてもかなわないが、我が家の比較的近くでは、ダントツにおいしい。
僕は相変わらず Martini。子供たちはおきまりのシャーリーテンプル(ジンジャーエールにシロップを入れ、サクランボをのせた子供用のカクテル)。

T-Bone を頼むと 54オンス。3人分くらいの量は十分にある。
その他に、CLAMや Mushed Potato、Onion Rings やサラダも頼む。 やって来た T-Bone は、Medium Rare のくせに、Medium くらいだった。日本に比べると、どうも、半段階くらい焼きすぎの気がする。

食べおわってから、Aが、「もう少しお肉」などと言う。今更、の感じなので、アイスクリームでお茶を濁す。
アイスクリームも巨大だ。
KはKで、みんながデザートを食べおわって支払いをしようとする段になって、TEAなどという。
勝手な奴だ。仕方ないので頼むと、ウェイトレスはチャージなしに持ってきてくれた。
今度はすべて食べおわって外に出ると、まだ8時半前。まだほんのりと明るい。日が長くなった。蛍の季節にはまだ早い。 うっすらと黄緑色に光る蛍は、あと3週間ほどして、むっとするような暑さにならないと出て来ない。

家に帰って来てみると、近所の人にTAGセールで売った自立式のバスケットゴール(これを10ドルというのはお買い得だ。 新品を買えば150ドル位はする)が既にドライブウェイから持ち去られていた。よしよし。

我々は同じ Darien の中で7月中旬には引越しだ。
そして8月頃には僕は多分、新しい仕事のために単身で Philadelphia に赴任する。先日、Boston で新しい仕事の件を打ち合わせて来た。

新聞を読んでいたら、たまたま、読売新聞も New York Times も、日本のサラリーマンの単身赴任のことを話題にしていた。
@ 読売新聞
単身赴任が増えている。ある調査によれば、家族持ちの転勤者の半数は単身赴任だそうだ。一時帰宅の交通費を支給している企業は 8割以上にのぼるという。
A New York Times
日本の会社勤めの人々の間で、会社から単身赴任を言い渡され、いやいやながら従わざるを得ないケースが増えている。子供を抱え、 働きながら留守宅を守る妻は、大変な生活を強いられる。日本では職の流動性が低いため、転勤を言い渡されると従わざるを得ない。 (僕はそうは思わないが。)

−−−−こんなことを書いていたら、Kが、嬉々として、宿題に書いたエッセイを持ってきた。何と釣りの Lure のエッセイだ。
親も子も一緒だということか?



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【98年5月21日(水)】
・・・ということで今年もアメリカに・・・

・・・ということで、まだしばらくアメリカにとどまることになりました。

アサインされたのは、全く新たな仕事です。
いろいろと考えるところがありますが、この先は、追って E-Mail にて。



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【98年5月16日(土)】
Emission Test / Key Box

2台目の車、CIVICが、今年は Connecticut の Emission Test の年にあたる。

試験場は、I95 の 我が家のすぐ近くの EXIT10から入り、すぐ右手のマクドナルドの裏にある。
日曜日は閉まっているが、土曜日は朝7時半からあいている。しかし、土曜日の7時半などに起きられる訳はない。
早く行けばすいていることはわかっているのだが、体が言うことをきかない。

行ったのは9時半過ぎ。案の定、5列に車が並んでいる。全部で4−50台だろうか。

すっかり春になったので、車の窓を全開にして、のんびりと待つ。
このところ、しばらく雨が多かったが、この3−4日はさわやかな日が続いている。
朝、会社に行くときには肌寒く、薄いコートでもほしいくらいだが、日中は75度位まで気温が上がり、日差しも強く、まぶしい。 しかし、それでもまだ5月だ。7−8月のような蒸し暑さはない。
【さて、気温の換算はここをクリック】

テストに必要な書類は車の Registration Card のみだ。Town の登録税を支払った後に郵送で送られて来るものだ。
Fee は 20ドル。Emission の有効期限を30日以上過ぎてからだと、25ドルのペナルティをとられる。
しかし、有効期限まで90日以内なら、早めにテストを受けることもできる。僕は有効期限まであと1ヶ月。
こういうことは余裕を持って行わないと損をする。

テストと言っても、順番が来たら車から降り、待っているだけだ。

その間に、係員が車に乗り込んダイナモメータの上に乗せ、25マイル相当のスピードを出してその間にCOやHC等の排出量をコンピュータで測る。

CIVICは無事パス。20ドル支払ってステッカーを貼ってもらう。有効期限は2000年6月。そのとき、僕はまだアメリカにいるのだろうか?。

計測から結果のプリントまですべて自動化されていて、推定待ち時間(列の後ろに付いてから終了するまでの時間)が45分と打ち出されている。ほぼ正しい。「ちょっと待たされたな」と思うが、僕はきょうは忙しくないので許せる。いずれにせよ、待ち時間の統計をとり、サービス向上を図ろうとしているのだろう。お役所仕事ながら、改善しようという意気込みは感じられる。

フェイルすると、どこが具合が悪かったかを書いた紙と、調整・修理を行ってくれる認定工場の一覧をくれるらしい。

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きのうから、我が家のドアに Key Box がついた。この夏に3年ぶりに引っ越すからだ。不動産業者が見込み客をつれて次々と下見にやってくる。アポイントをとってから来るとはいえ、全くの他人に家の中をじろじろと見られるのは決して気持ちの良いものではないが、仕方ない。
僕たちも、最初の家、そしてこの家を借りるときには、相当数の家をじろじろと見た訳だから。

早く借り主が決まってくれればこのプレッシャーからも解放される。
Key Box が付くと聞いて俄然張り切ったのが J だ。普段は「埃で人間が死ぬはずはない。」などと豪語している(まだ我々は死んでいないので、全く彼女は正しく、敬服せざるを得ないのだが)くせに、いざ他人に家を見られるとなると、久しぶりに(?)掃除機を出して来た。
まあ、明日、友人達を大勢招いてバーベキューをやるから、というのも理由なのだが。。

おっと、こんなことを書いていたら後ろから J がやってくるではないか、見られてはまずい、一時中断。

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雨模様の週末が続いていたあとの久しぶりの良い天気の週末なため、子供たちは外で大喜びで遊んでいる。 隣の女の子達が水着になっているのを見たらKたちも水遊びを始めた。芝生に水をまくためのスプリンクラーや巨大なライフル型の水鉄砲を使い、ずぶぬれになって遊んでいる。

僕はその間に、ストームウィンドウを網戸に換えた。年2回のこの作業にも、だいぶ慣れた。

今度引っ越すのは比較的新しいタウンハウスなので、いちいち網戸とストームウィンドウを交換する必要はないだろう。

引越しは7月中旬だ。3年前の引越しのときには気温が100度を超えた。今度はどうなるだろうか。



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【98年5月9日(土)】
GOLF幹事は雨男 / 雨の日は CASINO へ

朝5時半に起きる。雨が降っている。
GOLFの幹事は僕だ(なぜ幹事になったのかは、聞かないでほしい)。
昨年秋も僕が幹事だった。そして Storm の予報のため、前日にキャンセルした。それで今回も幹事。

今回は、前日の段階で、雨模様が予想されてはいたが、一縷の望みをかけて、とりあえず集合することにした。
しかし、8時15分。中止決定。
雨男は僕なのか、もう一人の幹事のPか?

ゴルフ場(Garrison Golf Club)で解散。僕は予定通り、N氏とCASINOへ行くことにする。
それを聞きつけたH氏も同行することになった。家から見ると、FOXWOOD CASINOはゴルフ場とは全く反対方向だ。

CASINOはコネチカットには2つある。最初にできたのが FOXWOOD。
その後、近くに Mohegan's Sun もできたが、FOXWOODの方が大きい。
2年程前、荒廃した Bridgeport の再開発策の一環として、Donald Trump 氏が Bridgeport に Casino を作る計画を示したが、これは流れたので、この2つだけだ。

I−95を、Darien を通り過ぎて東へ向かう。Exit92を降りて Route2へ。
Dogwood のピンクや白の花は、1週間程前がピークだったが、まだ十分美しい。

何もない Indian 居留区の一画に、突然、城のようなホテル・カジノ群が登場する。
Darien を通過してから2時間弱で到着。
Manhattan から見ると、Atlantic City よりは若干近いかもしれない。

僕らが着いたのは昼過ぎだったので、建物のディテールが彫刻でなく、ペイントであることがあからさまで、ちょっとチャチなのが 見え見えだった。夜、暗い中を来ると、こんなことには気づかないのだろうが。
大きな駐車場の一画に車を止め、ホテルのエレベータに乗る。相当大きいCASINOだ。

僕は Black Jack のルールを知らなかった。
事前にN氏から借りた本で基本的なルールは頭に入れておいたが、N氏の後ろで見ていて、「これは単なるギャンブルではない。」と思った。
ルーレットやスロットマシンは、基本的にギャンブルと言えるが、Black Jack は相当、うまい・へたが出てしまう。最低限のパターンを覚えないでやっても勝ち目はない。

ということで、僕は手を出すのをやめておいた。

スロットマシンとルーレットのみで他愛なく遊ぶ。

時折、飲み物のオーダーをスリット入りのミニスカートをはいたウェイトレスが聞きに来る。1ドル程度のチップ以外はタダなので、遠慮なく頼む。 もちろん、味は決して期待してはいけない。
ジントニックには、ほとんどジンが入ってなかったし、マティニもひどい味だった。

結局、150ドルの損失。それ以上、傷を広げる気はなかった。どうしても取り戻したい、という気もしなかった。
きょうのところは、様子を見に来ただけなので、まあこんなものだろう。
もともと、あまり勝つ気もなかった。
(こういういいかげんな気持ちでは、ギャンブルに勝つことができるわけはないのだが。)

アメリカに6年もいながら、まともなCASINOに来たは初めてだ。
以前、Grand Canyon に家族で行った帰りに LAS VEGAS に1泊した際に、Hotel の Casino でちょっとスロットマシンをやったりしたことがあったが、「これではいけない。もっと知っておきたい。」と思って ギャンブルの大好きなN氏をそそのかして今日の行動となった。

N氏もH氏も、「日本にもCASINOを作るべきだ。景気対策にもなる。」などと言っている。僕はそこまでの執着はない。でも、New Jersey のような白くて広い砂浜が日本にあってくれたらとてもうれしい。僕の方がわがままかもしれない。しかし、自然はどうにもならない。

夕食はチャイニーズ。さすがに、コネチカットのこんな奥まで来ると、日本人も見かけないし、もちろん、日本料理の店などない。僕はステーキを食べたかったが、N氏がきのう Sparks へ行った というのでチャイニーズにした訳だ。味はあっさりしていてマアマア。

夜9時半には帰宅。ゴルフの後にCASINOということだったら、完全に夜中の2時、3時だったはずだ。

健全な1日が終わった。



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【98年5月3日(日)】
Bike New York に出るぞ(その2)

朝8時。雨が急に強くなり、みんなヤッケを取り出して身につけ、フードをだしてかぶり、その上からヘルメットをつける。
幸い、5分ほどでおさまり、そのあとは細かな雨に変わったのでラッキーだった。
走っているあいだにあのような雨が降っていたらとてもたまらない。

僕とKは「おかあさんとAは、まだベッドの中でうだうだしてるね」などと言いながら出発の合図を待っていた。

朝5時45分にアコードワゴンに2台の自転車を積み込み、ここバッテリーパークまで約1時間で走って来た。
車は、Manhattan Downtown の Maiden Lane の路側に駐車した。1ヶ月と少し前に、C社に来たときに通ったあたりだ。

コースの途中の6カ所の休憩所では、ボランティアの人々がバナナ・オレンジ・Power Bar(カロリーメイトのようなもの)をただで配っている。
故障した自転車の応急処置のコーナーもある。

レースではないので、みんな、自分のペースで普通に走っている。思い思いのところで自転車を止め、ビデオや写真を撮っている。
家族やカップル、グループで参加している人たちも多い。

とにかく、Kと僕は42マイルを完走した。
思ったよりKに根性があって感心した。そんなにへばらず、休憩時間も入れて5時間半で完走。
クイーンズでKがショートカット(約8マイル程度?の短縮となる)を選ぶかと思ったら、Kは見向きもしなかった。
心配された雨も、走り出してからはほとんどやみ、一方であまり気温も上がらなかったため、自転車には最高のコンディションだったとも言える。

Kは初めての長距離でありながら、良くがんばったものだ。
(運動不足の僕にも、久々の運動になった。)

さすがに帰りのフェリーでは、Kも僕も疲れて居眠りしてしまった。

2万8千人が参加したという。
僕の観察では、
@ 平均年齢は35才くらいだろうか。
最年少(自走している人)は7才程度か?
もうすぐ11才になるKより小さな少年は、あまり(ほとんど)見かけなかった。
A 女性比率は2−3割程度。これは42マイルという距離を考えると、結構高いと言えよう。
B 参加者の所得層は結構高いのではないか。
自転車にも、みんなかなり金がかかっているようだ。
(「好きな人々」の集まりだから当然かもしれぬが)
わずかな金銭的ゆとり(参加費は、申込時期によって異なるが、だいたい20−30ドル程度)に加え、精神的なゆとりがないと参加できない。
C 日本人は、たまに見かけた。(200人に1人程度だろうか)

僕は、本当は New York 最後の年のつもりで参加したのだが。。。。(この後、Philadelphia に転勤になり、New York 近郊に残った家族と離れて2年弱米国に滞在し、2000年夏に日本に帰国した。)なお、この間に、もう一度、Bike New York に参加した(99年5月2日)。

⇒ 2週間前の気持ちはこちら

【BIKE NEW YORK WEB Site へ】



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【98年4月30日(木)】
僕のこの夏の帰国確率

1998年夏の帰国確率(各々の時点での確率がどう変化してきたか)

現時点(4月30日(木)) 10%

4月28日(火)の時点 50%
4月23日(木)の時点 90%
4月7日(火)の時点 95%
昨年夏の時点 85%




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【98年4月19日(日)】
新しいPCを買った

我慢が出来なくなった。
この夏に Windows 98 が出てからと思っていたが、値段も安くなって来たことだし、今のPCがあまりにも遅く、キ−インしてから画面が現れるまでに一眠りしてしまう事も多かったため、買う事にした。

機種は COMPAQ の 2240。本体のみで799ドル。
AMD-K6 MMX200MHZ, 32M Sync-DRAM, 56.6K-FLEX, Cache 256K,
CD-ROM 20X, HD - 2.1GB
最近、日本でも、モニタ付きで14万円位で売っている機種だ。

正解だった。
JBLのスピーカーもいい音だ。 しかし、ソフト(特に日本語 Windows95)のインストールとハードウェア(ディスプレイドライバ、モデムの設定)にはちょっと苦労した。
(週末を3回、たっぷりと使ってしまった。)
早速、メモリーを 48M に増設する予定。

note:compaq-q.txt, win95.txt, win95-2.txt


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【98年4月18日(土)】
Bike New York に出るぞ(その1)

5月3日の日曜日、ニューヨークのファイブボローで、車道を大々的に閉鎖して、自転車の大会が開かれる。

マンハッタン南端のバッテリーパークから出発し、マンハッタンを北上、セントラルパークを突っ切ってブロンクスを少し走り、 いつも車で渋滞するFDRドライブを南下してクイーンズボロを東にわたってクイーンズに入り、ブルックリンをひたすら南下して スタッテンアイランドで終了。

最後はフェリーがバッテリーパークまで運んでくれるという寸法だ。

全行程は42マイル。42キロならマラソンと同じだが、1.6倍の距離だ。
しかし、自分の足で走るわけではないので、問題無かろう。

・・・・という訳で、Kと一緒に出てみることにした。
競争ではなく、単なる記念という気持ちだ。
「1才(!)未満は参加不可」だそうだ。

FDRを自転車で走るなどというのも、めったにできる経験ではない。
それに、わざわざ日本からツアーを組んで来るマニアもいるくらいだ。New York にいながら、一度も参加しないのはバチが当たる。
(必死に自分にムチを打っている。しかし、バチを避けるためにムチというのも、いささか損しているような気もするが。。。)
まあ、いいか。

ここにこうしてのせておけば、直前になって嫌になってしまうこともできないだろう。
世界に向かって宣言しておけば、やめることはできない。(本当はそんなことはないが)。

日ごろの運動不足でいきなり4時間余り自転車をこいだら、足がつってしまうかもしれない。
それに、高校の時こそ、北海道に自転車をフェリーで持ち込んで、摩周湖からの下りを時速70キロ位で飛ばして、「今対向車がきたらおしまいだ」などと無謀なことをやっていたが、その後は長い距離を自転車で走った経験など、全くない。
でも、まあ、やってみよう。

きょうはKとリハーサル。2人で20マイル程走った。ふう。疲れた。
大丈夫だろうか? 当日は完走できるだろうか?

持ち物 --- ヘルメット、サングラス、予備の眼鏡(コンタクトレンズの調子が悪くなったときのため)、コンタクトレンズケース、チョコバー。

⇒ さて、当日の様子はこちら!!

【BIKE NEW YORK WEB Site へ】



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【98年4月13日(月)】
新たに New York へ来る人へのメモ

今までにメモしておいたことをアップしました。ご参考。
ここ をクリック



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【98年4月5日(日)】
Easter / Litchfield Inn / Monopod

Easter
この週末は快晴だった。
風は涼しいが、光はもう完全に春だ。

生命の春。
ウサギ、タマゴ、春の光。

Litchfield Hill / Litchfield Inn に泊まる。
何やら reunion の party があるとかで、レストランのマスターは一般客の我々には気もそぞろな様子だ。
Litchfield Hill はコネチカット中西部にある。秋の紅葉の頃には何回か訪れた。
春は初めて。

同じ Connecticut でも、ここまで内陸に入ると、海岸に近い我が家のあたりとは気温が異なる。
花の咲き方も1週間程度遅い感じだ。

日曜日は Bristol の Clock Museum に寄り、早めに帰って来たので近所の写真を撮る。

我が家の軒先の不安定な場所に小枝を運んで鳥が巣作りを始めた。
しかし、不安定なので、お引き取り願うこととし、作り始めたばかりの巣を片づけた。
戻って来た鳥の夫婦は狼狽している。
「長い目で見ればこの方が良いのだよ。」と言ってやっても鳥にはわからない。

夕方の撮影には、Velbon の Monopod を使う。

知り合いが持っていたストアクレジットをもらい、約200ドルのこの一脚を、全く「ただ」で手に入れたのは、去年の夏だ。
- 何といっても軽い。
- 冬でも手に冷たくない。
- 頑丈。

頼もしい一脚だ。



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【98年3月17日(火)】
S't Patrick's day

今日は S't Patrick's day。何か一つ、緑色のものを身につける日だ。
アイルランドにちなんだ日だそうだ。

マンハッタンのバーには、アイルランド系のものも多い。
緑色のクローバーのネオンがあるのですぐにわかる。

僕は手ごろなものがなく、かすかに緑色の入ったネクタイをしめ、うすい緑色のパンツを秘密ではいて行ったが、案の定、誰も気づいてくれなかった。

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【98年3月15日(日)】
International Tag Sale (お買い得品あり!!)

International Tag Sale を始めています。
僕の身の回りの品物を処分します。
(引き渡し時期が未定なのが難点ですが。。)

ここをクリックしてください。



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【98年3月14日(土)】
朝の電車(Metro-North: New Haven Line)

おととい、いつもより1本早い電車に乗ったことを書いていて、朝の電車のことをまとめていないことを思い出した。

5:48
始発 10回位しか乗ったことがない 混んでいる!! 不快

6:20
2本目 マンハッタンのダウンタウン(ウオ−ルストリ−トなど)に勤める人が多い。
乗っている人の読んでいる新聞のうち、70%くらいがWSJ
残りが NY-Times
(6:45の電車ではこの割合が逆転するのがおもしろい。すなわち、ウォールストリートに
勤める人々は朝が早いということだ。) 

6:45
愛用の列車
始発駅が電化されていない支線の終点(Danbury)なので、ディーゼル機関車に
押された客車が使われている。
5年以上、ずっとこれに乗っている。
理由は次のとおり。
− ゆったりした車両
− ドアが連結部のすぐ横にしかないため、すわっているときに見通しがきいてのびのびしている。
− 6:20に比べてすいている。
− 車両は決して新しい訳ではないが、色がきれい(オレンジ色のストライプ)
− 客車を押すジ−ゼル車が時代を感じさせる。ホ−ムを発着するときのベルの音もきれい。



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【98年3月12日(木)】
ある冬の一日




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【98年3月6日(金)】
Iridium / Kenny Baron

あ、もう9時過ぎだ。

金曜日位いは早く帰ろうと思っていたが、 40 Million からの金を動かそうというときには、少しは真面目に働かなければいけない。
9:07 の電車を逃してしまった。

もうヤケクソ。jazz を聞きにゆこう。

8:30 のセッションには 当然間に合わないが、10:30 がちょうど良い。
Iridium。 リンカーンセンターの斜め前。jazz club としては一流でないが、たまにまともなアーティストを呼ぶ。
中に入るのは今日が初めてだ。

club は地下だが、一階のバーと共同で経営しているようだ。
jazz club らしくなく、こぎれいでおしゃれだ。

何とかの一つ覚えの Dry Martini を頼む。最近はこればかり。
Tanquerey で ストレート。今日は twist。

Kenny Baron は良かった。3月10日に新しいCDも出るそうな。

12:00 に終了。
タクシーを急いでつかまえ、グラセンから 12:17 の Express に間に合った。
これを逃すと 1:35 の Local なので1時間以上乗ることになり、シンドイ。

Base: Charlie Haden
Piano: Kenny Baron



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【98年2月27日(金)】
今年の冬は変だぞ

12月以来、暖かい冬が続いている。雪にはならず、雨になってしまう。
この100年間で最も気温の高い2月になりそうだ。

雪かきの最中に Heart Attack で病院にかつぎ込まれる人もほとんどいない。
僕の乗る電車も、ポイントが凍結する、ドアが凍結して開かなくなる、等のトラブルが減り、定時での運行率が上がっている。
暖房に最も多く使われる Oil を供給する会社も、売上げが 20%程度減っている。

長期予報も、暖かく、雨の多い3月を予想している。

  Winter      Snowfall     Average Temperature
1997-1998 0.5 inches 39.7F
1996-1997 10.0 inches 40.0F
1995-1996 13.5 inches 33.8F
1994-1995 12.6 inches 31.6F
1993-1994 10.1 inches 30.6F
1992-1993 10.1 inches 30.8F

セントラルパークでは、木につぼみが吹き始めているそうだ。

25年振りの暖冬



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【98年2月16日(月)】
冬の Country Inn

Wake Robin INN。

コネチカット北西部の小さな街、Lakeville にある古い INN。

予約するときに、我々は4人家族なので、「できるだけ大きな部屋」 をたのんだら、「それなら3階の Suite にしよう」 といって Suite をとってくれた。
24室あるが、オフシーズンのためか、客は我々を入れて5−6組だけだ。予約など、必要なかったかもしれない。

やや狭い階段を3階までのぼり、部屋に入ると、巨大なベッド(3人くらい寝られる)のおかれた主寝室と、赤いチェックのおしゃれなソファベッドのおかれた小さなリビングのついた Suite だった。
3階なので、部屋の隅は屋根の勾配で斜めに切れている。

建築後101年を経た白い建物は、近代的な快適さはないものの、趣のある造り・室内装飾であり、心地良い。
部屋の装飾がやや、少女趣味的であることは否めないが。。。
そもそも、19世紀末に、女学校の校舎として建てられたらしいが、学校として使われたのはわずかな期間だけだったそうだ。

犬が3匹いる。主人は Norway 出身の初老の紳士。
中華料理が好きと見えて、中華を Take-out して夕食にしていた。

レストランはないが、NYとの州境を越えた、すぐ近くのおしゃれなレストラン(Hamilton Inn)を紹介してくれた。
(Hamilton Inn は、Inn という名前がついているものの、宿屋ではなく、レストランだ。)

Hamilton Inn で早めの夕食を済ませ、ゆっくりと1泊してから、朝9時前に朝食に降りていったら、ちょうどコーヒーと English Muffin の準備ができたばかりだった。
みんなのんびりしている。

Country Inn は、Bed and Breakfast とも呼ばれる。
(Bed and Breakfast という呼び方は、どちらかというと、ヨーロッパの方が多いかもしれない。)

古い大きな邸宅を改装して宿屋にしている例が多く、建物そのものが興味深い。大きな Inn だと、レストランが併設されている場合もあり、レストランが有名なケースも多い。
ほとんどが木造の古い建物だから、廊下や階段は、ゆっくり歩いても、ミシミシを音をたてる。
一般的に、子どもは歓迎されないが、「子どもお断り」 の Inn でない限り、おとなしい子どもたちなら問題はない。
(KとAは、「一応」、合格だ。)

Wake Robin INN には、かつて Greta Garbo や フーバー大統領も泊まったそうだ。
我々の泊まった Suite は、レイアウトを見ると、少なくとも、3階では最大の部屋のようだ。
もしかすると、 Greta Garbo も、60−70年程前に、この木のドアに触れたのかもしれない。

今回は、近くの Mohawk スキー場を初めて訪れた。今年は暖冬だが、1日目は久しぶりにピリッと晴れ上がった日で、心地良かった。 コネチカットで最大のスキー場とはいうものの、リフトは5本だけだ。それでも、ゲレンデは十分変化に富んでおり、ずいぶんと楽しめる。
今まで、近場のスキー場は、Powder Ridge と Southington しか行ったことがなかったが、大変気に入った。
我が家からは1時間半の距離だから、宿泊する必要など、全くなかったのだが、President Day の連休で、2日間スキーをしたかったのと、久々に Country Inn に泊まりたかったので、ここを選んだ訳だ。

Country Inn に宿泊したのは、これが3回目。
以前は次の2つ。いずれも、レストランが併設されていた。

Lighthouse Inn, New London, Connecticut
Seven Hills Country Inn, Massachussetts



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【98年2月14日(土)】
Rebate / Cash Back (Wallstreet Journal)

Rebate / Cash Back は単なる値引きではない。

Manufacturer が直接 offer することが多い。

仕組は、購入者(消費者)が
@ レシート(購入年月日、購入店名、購入価格等を表示)
A proof of purchase (製品に添付されているバーコード)
B リベートカード(住所、購入店等を記入)
を郵送すると、後日、所定の金額の personal check が送られて来るというもの。

メリット等
- Manufacturer としては、中間業者の価格調整のことを一切考えず、実質的な販売価格を調整(値引き)できること。
- コンピュータや家電製品で、新発売の後、しばらく期間が経過して値下げして promotion を図りたい、というようなときに使われていることが多い。
- リベートの額が直接、小売り価格に反映されるため、即効性がある。
- キャンペーンなどにも有効。
- 宣伝で客を集めるが、実際にリベートの請求をする顧客はさほど多くない。
- したがって、「持ち出し」は小さい。
- 正確な顧客データ(住所・氏名等)を簡単に集められる。特に価格に敏感な顧客リストとなる。

僕が今まで請求したのは、次のとおり。

カメラのレンズ(Canon)50ドル
フロッピーディスク(KAO)25ドル
テープバックアップ装置(IOMEGA-Ditto-2MB)50ドル

1−2ドルの少ないのものもあるが、手間を考えるととても請求する気にはなれない。
でも、50ドルともなると無視できない。



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【98年2月10日】
ついに帰国しました!!

1月中旬に、帰国しています。

忙しくて皆さんにご連絡できず、失礼しました。

ここをクリック

------ 帰国したとは言っても、僕のホームページの話です。

僕自身は、いつの帰国となるかはわかりません。
まあ、どこに居てもほぼ同じように情報が入手できるようになりつつあるので、「どこに勤務するか」は、まったく関係ありません。
(インターネットの普及とともに対話形式での交流が、「より」重要になって来るのは事実ではありますが)

個人的な生活の面では、「どこに住むか」は大きな違いです。

なお、ここに来られている皆さんはご存知な訳ですが、僕のホームページのURLは、Niftyに変わりました。

3月25日より、
僕の E-Mail アドレスが Biglobe に変わります
ので合わせてお知らせいたします。

1月中旬にホームページをアメリカから日本に帰国させた訳だが、これは、Nifty Serve がホームページのサービスをこの1月から始めたのがそのきっかけだ。

その前に、Compuserve のノードを使ったアメリカから Nifty への接続の特別料金(割増)が廃止されていため、僕にとって Compuserve の存在意義がホームページ以外にほとんどなくなっていた。このため、今までアメリカの Compuserve にあった僕のホームページを、日本の Nifty に帰国させ、Compuserve を解約する予定だ。

また、5メガ(これは Compuserve も Nifty も同じ)では写真を置くのに不足しているため、画像用のスペースとして、昨年9月より、AOLのホームページも使っている。AOLは10メガまで使えるので、Nifty と合わせて15メガのキャパシティとなっている。
(僕のホームーページの文字の部分はすべて Nifty にあるが、画像の大部分はAOLにある。両者はリンクしている。)

なお、Nifty でのホームページ転送には、Nifty 推奨のシェアウエア(2000円)の FTPNEXT を使っている。
大変優秀なソフトであり、FTP をお使いの方には、強くお勧めする。
(IRSのサイトから税法を入手したり、SECのサイトから企業の Form10K を入手したり、といった仕事にも使える。)
TOXSOFT(FTPNext)へ

【僕のホームページの構造】
− NIFTY 9801 ----- AOL とリンク
− AOL 9709 ----- NIFTY とリンク(画像データ用)
− COMPUSERVE 9609 (9802 閉鎖予定)



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【98年2月8日】
A誕生パーティー。

Aはパーティーが大好きだ。
自分のでも他人のでも、誕生パーティーのある日は、そわそわと朝から落ち着かない。

彼女の誕生日は12月だが、きょう、遅れ馳せながら12人を呼び、隣町 Norwalk の Little Shop of Plaster でパーティーをやった。
Aはこの間からカゼをひいていたのだが、一生懸命直した。いつもは親と買い物に行って大人のものばかり買っていると、じきにクラゲのようにグニャグニャになって、「ジュース」などといいだす、根性のない彼女だが、こういうときには根性を出してカゼを直す。

Little Shop of Plaster は、石膏の人形や壁掛けを一つ選び、自分でペイントしておみやげにする店だ。

4人のアシスタント(どうせアルバイトだが)が色を塗るのを手伝ってくれる。
一通り塗りおわると、別のスペースへ移動し、ビデオを見せながら軽食が出る。
Pizza と ソーダとバースデイケーキだ。ビデオはディズニーの Toy Story。

子供たちが食事をしている間に、アルバイト達が子どもが雑に塗りたくった作品の「仕上げ」をする。
そして始まってから1時間半ほどして親達が迎えに来る頃には、それぞれが、立派な「作品」に変身しているという訳だ。

しかし、きょうのアルバイトのテクニックは今一つだった。
さすがに塗り残しはないものの、修正にあまり熱心でなかったせいか、子ども達の雑なタッチがそのまま出ている。
(「オリジナルの芸術性に忠実」と言えなくもないが。。。)

以上で一人18ドル。
この間、12人の親達は、つかの間の平穏を楽しめたはずだ。

【子どもの誕生パーティの場所】

男女にもよるが、以下のような所が多い。

アイスホッケー(リンクを借り切ることもある)
Darien Ice Link (スケート)
YMCA プール
Nature Center
Norwalk Aquarium
Versity Club (屋内遊園地にゲームセンターがついたようなところ)

誕生パーティーが楽しい年頃も、Kはあと1−2年、Aも4年くらいというところだろう。



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【98年2月5日(木)】
眼光鋭い紳士

眼光鋭い紳士だ。
物腰はとてもやわらかく穏やかだが、ぐっと見つめられると、自分が裸にされたような気分になる。

スキがない。

最近、仕事の関係等々から、Searching Agency (Head Hunter) に会う機会が何度かあった。
アメリカでこの種の人に会ったのは今回の E. L.氏 が初めてだったが、会った途端に自分が値踏みされ始めるのを感じた。
(今回はそのような趣旨ではなかったのだが。。。。。)

この手の人種は、他人に会うたびに値踏みをしているのだろうか?

このようなときには、負けずに、にらみかえさないといけない。
そうしないと気後れしてしまう。

握手もそうだ。
アメリカに来ると、握手をする機会が極めて多いが、痛くなるほど手を握られて(女性の場合はそんなことはないが)びっくりすることが多かった。

まけじとこちらも強く握れるようになったのは、ほんの最近のことだ。

IPO のペースこそ、98年に入って落ちたが、相変わらず合併・買収が盛んであり、内部部門の人材は相当流動化しているが、大企業(僕が現在働いているのは、どちらかというと中小企業だが)の CFO レベルは、なかなかいい人材が取れないという。

給料も高い。ちょっとした CFO となると、ベースサラリーでも年収 50万ドルは下らない。
incentive(業績リンクの Bonus)や Stock Option を入れると、軽く$1Millionドルを超える。

ペプシコも CFO を探している。
IBMも昨年6月以来探している。
大物は、小さな仕事は、一時的にではあってもやりたがらないそうだ。

(Crist Partners Ltd., Chicago, Wall Street Journal)



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【98年2月4日(水)】
25年振りの暖冬

今年のニューヨークは25年ぶり、72−73年以来の暖冬だ。
積雪がほとんどない。我が家でも、一度も「雪かき」をしていない。

エルニーニョのせいらしい。
1月の平均気温は40度。
1869年に記録をとり始めてから7番目の暖かさだという。

New York City の融雪用の塩も余っている。
20万トンのうちの5千トンしか使っていない。

子供達、そして働き過ぎの大人が雪を待ち焦がれている。
(学校、そして場合によっては会社も休みになるからだ。)
96年1月の大雪がなつかしい。

あのときはすごかった。 土曜日の早朝から降り始め、月曜日の朝、起きたときは30インチくらい積もっていた。

会社は1日 close。 無理して出勤した人々(僕はこんなに愚かではない。冷静に家で子供と遊んでいた)も電車が立ち往生して帰れなくなったりした。

結局、2年前の大雪のときには、電車のダイヤも1週間近く乱れっぱなしだった。
同じ Metro-North の電車でも、電気を線路の脇の第3のレールから「シュー」で取るタイプの Harlem Line の被害が大きかった。
シューに雪が凍り付いて電気が取れなくなるためだ。
僕の使っている New Haven Line でさえ、混乱は相当なものだった。

(注)Metro-North は、マンハッタンのグランドセントラルから北へ、3本の郊外電車を走らせている。
− 東側を海岸沿いに走り、コネチカットに入って Stamford や Bridgeport を通ってNew Haven まで行く Line を New Haven line(赤)
(僕が使っているのはコレ)
− 真ん中を真北にあがり、Scarcedale や White Plains に行くのが Harlem Line(青)
− Hudson River 沿いに北西に上がり、Croton on Hudson の方へ行くのが Hudson Line(緑)だ。
ご存じ、Fall in Love(恋におちて)(Merrill Streep)の舞台になったのは Hudson lineであり、駅としては Ardsley(グラセンから約30分)である。

2月に入り、日が長くなって来た。朝6時半でも、もう「真っ暗」という訳ではない。夕方5時でも、そう暗くはない。
一度位い本格的な雪が降ってくれないと調子がくるってしまう。

J:「せっかく Snow Melter(ドライブウェイ用の融雪剤)を買ってあるのに、威力が試せないわ。」
------ 一家で雪を待っているのは、ウチだけではないだろう。

今年の冬は変だぞ



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【98年2月2日(月)】
East Village の BBQ

電気シェーバーの調子が悪くなったので Down Town の大きな電器屋に買いに出た。
いつも行くのは "J&R" 日本で言えば石丸電気のような店だ。しかし、気に入ったのは品切れ。やめた。

帰りに、Musical "Stomp" のチケットを買う。今月末の土曜日のチケット。

4番(各駅停車)の地下鉄に乗って Astor Place で降りる。
駅の階段を上がると学生が怪しげなチケットを売っている。

East Village
NYUのキャンパスのすぐ近くだ。
Off Broadway の Theater は、軒並みこの辺りにある。
そう言えば3年ほど前に友人と来た Blue Man もそうだった。
駿河台かお茶の水という雰囲気だ。
Body Pierce の店がやけに多い。
Body Pierce というと、まぶたやへそにリングをしている輩を連想してしまう。

2nd Avenue 沿いの Stomp の Theater はすぐに見つかり、チケットを4枚買う。
まとまった席がとれなかったので2人+2人で離れて座ることにした。

用が済むと、腹が減っていることに気づいた。
昼は "Daily Soup Company" の Take out の Soup だけだったので、腹が減ってしかたない。
Large $7.95(パンが一切れついている)にしたが、さすがに主食が足りなかったようだ。

East Village には怪しげな日本料理の酒場も多いが、無視して通りすがりの BBQ Rib の店に入る。

Chicken and Rib Combo $7.95
まず Heinecken を頼むが、量が少なく頼りないので、続けて Samuel Adams Draft 20 oz を頼む。
Boston の Ale 系のビールだ。これでよし。

気分は完全に学生だ。ネクタイが邪魔だ。
ビールを2杯と Chicken と Beef の BBQリブとコーヒーでTAXとTIP込みで22ドル。
1ドル125円で換算すると、「安い」という感覚はあまりない。
1ドル100円以下だった数年前が懐かしい。
まあ、これだけ食って飲んで22ドルなら、さほど「高い」ということはないけどね。



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【98年1月16日(金)】
ノーコンの新聞配達

朝、家を出ようとしてドライブウェイを探すが、新聞がない。

ときどきこういうことがある。あとで気がついてみると、だいたいやや離れた芝生の上にある。
今朝は時間がなく、暗い中で見つけられなかった。

新聞配達は車で来て、ゆっくりと走りながら青い専用のビニール袋に入った新聞を投げて行く。
雨の日などは、この袋がていねいに2重になっている。配達人が1軒分ずつ袋に入れるのか機械で既に封入されているのかは知らないが、たぶん前者だろう。
封入済みの新聞だと、車には乗りきらないはずだ。

我が家の場合、前の道から家までのドライブウェイの長さは十数メートルだ。結構な厚さの新聞を何十軒、何百軒の家に投げてゆくのは相当体力の要る作業に違いない。
とはいうものの、なるべく家の近くまで、それも正確に投げてほしいものだ。
冬の朝は真っ暗だから、ちゃんとドライブウェイに投げておいてくれないと見えない。

我が家では土・日は、New York Times はとっていない。土日のニュースは WEB でチェックする程度で十分だし、土日の新聞は余計な宣伝などがたくさんついてかさばって邪魔だからだ。

今度の月曜日はストライクを期待しよう。



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【98年1月12日(月)】
ホームページで解雇(New York Times)

今朝の新聞。自分のウェブサイトに Fiction を書いていた男が、会社の同僚(女性)から、Fiction に登場する人物は私であり、abuse された、と自分の上司にいいつけられ、解雇された例が載っていた。

これはたまらん。

記事では、本件に同情的なトーンを示しながらも、「underware で public space にいたら解雇されるのは当然。」(このたとえが適切かどうかは僕にはわからないが、ホームページによっては、そのようなものもあるのだろう)という警告を発し、
具体的に、
○自分の勤務先を表示しない。
○自分の勤務先のウエブサイトへリンクをしない。
○勤務先でホームページのアドレスを言いふらさない。
等のアドバイスを示している。

早速、きょう、僕も
○自分の実名の削除
○private な部分をできるだけぼかす(今までも気を付けていたが)。
○仕事用のホームページとのリンクを削除
等の手当を行った。ふう。



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【98年1月11日(日)】
写真の整理と夜中のケーキ / "Titanic"

東京は数年振りの大雪だというのに、New York は年初から季節はずれの暖かい日が続いている。

僕の年間の撮影本数はフィルム50−60本。ほとんど36枚撮りのフィルムしか使わないので、カット数にして2000カットというところだ。
(我ながら、フィルムを随分浪費していると思う。)

このうち、年間70−80カットをピックアップして5X7インチに引き伸ばし、別のアルバムへ貼る作業を1−2年に1回行っている。
これを貼るためのアルバムには "Exposure" のものを使っている。1冊50ドルくらいの、やや高級なアルバムを奮発している。
これによって写真の反省をし、「使える」ものを選んでいる訳だ。

当然、この作業の一環として、ネガとの対応をしっかりと記録しておく必要が有る。
この作業を年始の休みから始め、きょうも朝からかかりきりになっていたら、J から、「ヒマ人」と言われた。

「良い作品については、本人の死後も簡単にネガが見つかるようにしているんだ。アンセルアダムスなど、偉大なカメラマンはみんなそうやっていたんだ。そうしないと焼き直しに苦労するじゃないか。」
と言って聞かせたら、
「そういう人には秘書がいるのよ。それに、ほとんどは2度と焼かない写真なのでしょ?」と来た。

全く正しい。年間2000のカットから70−80カットが選ばれたとしても、その後再プリントするカットなど、10カットもないかもしれない。
モーツァルトのケッヘルだって死後の話だから、今、何も僕が苦労する必要もない。
(すっかり偉大な写真家になりきっているところがおかしい?)

しかし、だいたいにおいて、女性の方が現実的で冷静だ。
時間をかけ、金をかけ、早起きをし、あるいは暑い思いや寒い思いをして写真を撮り、またもやその後に時間をかけて整理しても、何になるという訳ではない。

そんなことをするのなら、みんなが寝静まった夜中にケーキでも焼いていた方がよっぽど生産的だと言いたいのだろう。
(僕にはこれは理解できないが。)
だいたい、女性は食べ物のこと位いしか生産的なことというのを思い付かないものだ。
-------などと書きかけて思い出した。結構彼女も食べること以外にもやっている。

Shadow Box, アクセサリーのペインティング, 花の手入れ等々、子供の学校のボランティアの合間にこんなことをやっているのだから、むこうだって相当のヒマ人じゃないか。

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夕方4時から、家族4人で Titanic を見に行った。
1912年4月12日の事故

入り口の外に、列をなして人があふれ返っている。 2スクリーンの地元の映画館だが、きれいで音響効果も良い。
しばらくクローズしていた映画館だが、94年頃に再開した。
日曜日なので、1人5ドルだ。

良かった。

3時間以上という長さを全く感じさせない。
画面もきれいだし、流れ込む海水や折れて垂直になる船体の迫力もすごい。氷山のハリボテの質感が今一つだったことがちょっと気にはなったが、まあ些細な問題だ。さすがに200Millionドルもかけるとすごい。
実物の90%の大きさで作った(中身は左半分しか作ってないそうだが)という撮影用のモデルの船も、実に良くできている。

アメリカでの配給が 200Mil をあっという間に超えたのもうなずける。

船の舳先の2人が美しい。

ジェームズ・キャメロン監督
レオナルド・ディカプリオ
ケート・ウィンズレット

関連文献
"A Night to Remember" (1955)
"The Night Lives On" (1986)

Official Titanic Movie Site
Britannica Online
Virginia Newspaper Project
Titanic Historical Society

見終わって A の感想。
「ピカチュウ(ポケモン)のピカピカみたいだった。」
海水が船内に入って電気がショートする場面のことだ。
ポケモンと違って失神する人が出なかったので、 Titanicは上映され続けるだろう。
PG-13 の映画だ。ロマンスの部分は7才の彼女にはわかる訳はない。

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僕は、家についたらすぐ、仕事のことで日本に電話しなければならない。
夜7時45分。冬時間なので時差は14時間。日本は月曜日の朝の9時45分だ。
映画館から家まで、車で5分で帰って来たので、映画の余韻がまださめやらぬが、 9時半に電話をする約束をしていたため、急いで電話を取った。

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------ 日本と仕事の話をしているうちに、いきなり現実に戻された。



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【98年1月3日(土)】
冷たいシャワー / 「忘らるる身をば思はずちかひてし」 / ロールスロイスを買った!


朝、ゆっくり起きてシャワーを浴びていたら、急に水になったのであわてて飛び出した。
J が突然洗濯を始めたのだ。

洗濯機には湯と水のパイプが裏からつながっている。湯は暖房やキッチンやバスの給湯と一緒に重油のボイラーで供給される。ボイラーに近い洗濯機が優先されるので、洗濯を始めると全くシャワーには湯は来ない。

裸で1階に降りていって異議申立てをして洗濯を中断してもらい、何とか事無きを得たが、
一体、洋服と体と、どちらをきれいにするのが大切と思っているのだ!
もう一度大きい声で言っておく。

「シャワーを浴びているときに洗濯はするな!」

新年早々、ついていない。
あ、そうでした。あけましておめでとうございます。

今年は元旦が木曜日にあたり、ラッキーなことに1月2日も会社が休みになった(普通なら2日が仕事始めだが)ので、何と4.5連休となって、のんびりとしている。
また、クリスマスも先週の木曜日だったので、年末の1週間もアメリカのビジネスマンは浮かれ気分で、ビジネス全体に悪影響(生産性の低下)が懸念されている。
これは先週の New York Times に書いてあった本当の話だ。

そんな訳で、僕も日ごろの罪滅ぼしに、子供たちに少し付き合っている。

まずは百人一首だ。
そこで問題。下の句を思い浮かべてからクリックしてください。

1.忘らるる身をば思はずちかひてし
2.あけぬれば暮るるものとはしりながら
3.花さそふ嵐の庭の雪ならで
4.思いひわびさてもいのちはあるものを
5.ながらへばまたこのごろやしのばれむ

次に、新年早々、ロールスロイスを買ってしまった。
最近凝っているマルガリータ(テキーラを使ったカクテルだ)に酔っ払って気が大きくなった訳ではなく、なつかしの「人生ゲーム」の中での話だ。ちなみに、値段は1万8千ドル。

「タカラ」マークの古いゲームをなぜか J が持っていて、それをアメリカまで持って来ているのだ。
(「平成版」ではないゾ。箱には、「1960年」などと書いてある。製造されたのはもう少し後、1967−8年後だとは思うが。)

ドルを使うゲームであることや「ラスベガス」などという言葉からアメリカのゲームであることは知っていたが、ふと箱を見ていて気づいた。
このゲームのパテントを持っている会社は、Milton Bradley Company と言い、隣の Massachussetts 州 Springfield にあるのだ。
(この変化の激しいアメリカで、30年近く前の会社がまだそのまま存在するかどうかは怪しいものだが。。。)

MA の Springfield は、I−91 で Vermont に行くときにいつも通る古い街だ。
Springfield という地名は極めて多い。イギリスから来た植民者達が開拓を進める中で、水は貴重だったに違いない。良く理解できる。他に多い地名は、Madison、Warren、Manchester 等。

そう言えば、最近はやっているヨーヨーのメーカーも我がコネチカット州の Fall River (メルビルの「白鯨(Moby Dick)」---- "Call me Ishmael! I was with captain Ahave on the big ship Pequod when we sailed halfway round ---- " で有名な古い港町 New Bedford の近くだ)にあった。
それに、世界的に有名な「レゴ」の本社もコネチカットだ。意外にアメリカ北東部は玩具の会社が多いのかもしれない。

話がずれた。

という訳で、あたたかく、のんびりとした我が家の正月の報告でした。
(本当に暖かい! きのうときょうは日中の気温が40度を超えた。きのう日帰りで行った Southington スキー場では、半袖でスノボをやっている少年を見た! これは本当。)

マルガリータで酔っているので馬鹿なことを書きました。
新年、おめでたいということで、お許しください。
今年が日本にとっても、アメリカにとっても、あなたにとっても、良い年でありますよう。

お休みなさい。



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