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【97年12月31日(水)】
Cosi Sandwich Bar

大晦日は仕事は半日のみだ。
帰りに Cosi Sandwich Bar に寄る。前から一度試してみたかった店だ。
以前、コーヒーを飲みに入った 42nd. の店ではなく、きょうは 45th の店だ。
店の雰囲気は良い。普通の Deli などとは違う。近年急速に増えた starbucks 等の coffee bar ほどカジュアルでもない。

スモークサーモンサンドイッチ。
パンを選ぼうと思ったら、やや皮が固めの白いヤツが1種類あるだけだ。
それに赤ワインをグラスで1杯。

味はやや期待外れ。予想外に塩辛い。
次回は別のものを頼もう。



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【97年12月30日(火)】
「アメリカの印象(渡米4ヵ月時点)」へ

以下は92年10月(アメリカに来て4ヵ月経った時点での印象)のメモ
(97年12月アップロード)

直感は正しい。
最初に感じたことは正しい。
好きな物は好き。嫌いな物は嫌い。後で理屈をつけて答えを曲げてもダメ。

(逆に言えば、「最初の印象がその後を決める」のかもしれないが。)

−−−「欲しい物は欲しいと言った方が勝ち」(松任谷由美)−−−

ここをクリック



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【97年12月25日(木)】
スキー靴の崩壊


Killingtonに来て2日目、きょうはクリスマス。
着いたのはきのうの夜9時なので、滑り始めて1日目だ。

天気は薄曇りで、最高と言う訳ではないが、僕は子供たちを引き連れて気分良く緩斜面を滑っていた。
クリスマスなので、まだ多くの人々は家でパーティをやっている。
スキー場が混むのはあした位からだ。リフトも全く並ばなくてすむ。

突然、僕は転倒し、右前に投げ出された。そんなにスピードを出していなかったし、斜面も急ではない。ちょっとした拍子にビンディングが外れたのだと思った。

しかし、そうでもない。
左足を見て驚いた。左足の爪先がこんにちわをしている。スキー靴の下半分がない!!

8年間連れ添ったノルディカの赤いスキー靴が崩壊してくれたのだ。
プラスチックが見事に割れている。

いやあ、参った。確かに若干強く締めていたのは事実だが、それでもいきなり割れるなんて。。。ノルディカのスキー靴も反則だ!!

仕方なく、右足もはずし、スキーとストックを抱えてリフトの下を歩いて降りた。
もちろん、環境を破壊しないよう、靴のかけらを拾うのも忘れずに。

幸い、ベースロッジに近かったので、10分ほどで下についた。
途中、リフトに乗っている男から、
「何でお前は歩いているんだ?」と聞かれた。

けがをしているのならソリで運ばれるはずだし、それほどひどいけがでなくて自分で歩くにしても、今回の僕のようにぴんぴんしたまま跳ぶように急ぎ足で歩く訳はない。

「スキーブーツが壊れたんだ。」と得意になって左足を上げて見せる。
(こんなところで自慢してみても仕方ないのだが。)

まあまあ気に入っていた靴なので残念だが、買うしかない。
スキーショップでいくつか物色した。
最初に試したノルディカの最新のモデル500ドルはフィット感は良かったが、かかとの両側からの締めつけが強すぎ、痛い。次の Dalbello710 は良かったのでこれにした。 約300ドル。sales tax を入れると314ドルだ(Vermont の税率は5%)。臨時の出費は痛い。

店の人に、「リアーエントリータイプを今まで使っていたが、それに比べるとはきにくいし、きつい感じがする。」と言ったら、「リアーエントリーはサポートが良くないので最近は支持されていない」とのこと。そういえば、並べてあるモデルにはリアーエントリーは一つもなかった。足をきちんと支持しないタイプの靴は、財布にも支持されていないのだと妙に納得した。

確かに今度のはがっちりと脚が固定される。
小型のアーレンキーで前傾のコントロールもできる。
もう少し高級なモデルにしても良かったかな、とは思ったが、スキー場で買うのも割高だろうと思い、あまり高いのにはしなかった。このところ、司法省にいじめられてマイクロソフトの株が20ドル以上値を下げ、含み益が2000ドル以上も減っているので、消費に関して少し弱気になっているせいもある。(ちなみに、マイクロソフト提訴問題は、来年1月13日に第1回のヒアリングだ。)

しかし臨時の出費は痛かった。

コンドミニアムは友人家族5人とわが家の4人で共用。2ベッドルームにリビングとキッチンがついて4泊で1600ドル。1家族1泊あたり200ドルという訳だ。一般のホテルに比べると決して安くはないが、子連れにはコンドミニアムは便利この上ない。
特に今回のように乳幼児(断っておくが、ウチの子供ではないゾ。)がいる場合には特にそう言える。 6ヶ月の赤ちゃんを除く4人の子供たちは、めいめい持ってきたスリーピングバッグをひろげてリビングルームで寝る。巨大なソファベッドもあるが、所詮、子供でも4人は寝られない。

僕たちは毎年、クリスマスにはスキーに出かける。
97年 Killington
96年 Stratton
95年 Okemo
94年 Okemo
93年 Okemo
92年 Killington
いずれも Vermont のスキー場だ。

リフト代は1日50ドル位。最近の円安を考えると、むしろ、日本より高いかもしれない。しかし、ゲレンデの規模ははるかに大きいし、整備状況は日本よりだいぶ良い。小さな子供から老夫婦まで、様々な年齢層の人が来ている。リフトで乗り合わせた中年の女性(45才位だろうか?)も「20年前からほとんど毎年 Killington に来ているけれど、今年のクリスマスは暖かね。」などと言っていた。
アメリカはスポーツにしても何にしても、すそ野が広い。中でも、スキーは特にいろいろな年齢層が楽しめるスポーツだ。老夫婦の2人連れと言うのもほほえましい。

スノーボードもずいぶん増えた。
みんな1週間程度滞在し、のんびりと滑っている。僕らのように4泊しかしないのは、ちょっともったいないような気もする。
一度、コロラドでスキーをしてみたい気もするが、飛行機で行かねばならないと考えると、どうしても気が進まなくなる。Vermont なら、荷物さえアコードワゴンに押し込んでしまえば、4ー5時間で到着だ。
日帰りなら、コネチカット州内の Powderidge か Southington。こちらなら、宿泊施設はないが1時間で行けるので日帰りスキーには最適だ。

Killington スキーエリアへ



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【97年12月21日(日)】
僕のPCの状況

最近、 僕の古いPC(94年購入) がどうなったか心配してくれている人もいるようなので、書いておく。
まだ使っている。来年夏に Windows98 が出たときに買い替えるまで、現役だ。買い替えたときには K におさがりとしてあげるつもりだ。

以下は最近の状況。


さて、ここで今までのアップグレイドの記録。
(新しい方から時系列だ)
現在の機種を購入して以来、周辺機器等に1300ドル以上使っていることがわかった。



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【97年12月20日(土)】
New York 関連の最近の数字

最近目にとまった数字のメモ



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【97年12月14日(日)】
New England 地方のクリスマス

Connecticut (CT)
Massachussetts (MA)
Vermont (VT)
Maine (ME)
New Hampshire (NH)
Rhode Island (RI)
の米国北東部6州は、New England と呼ばれている。

クリスマスの時期の New England の家々の装飾。

どこの家でもリースを玄関のドアにかける。

部屋の天井くらいまであるツリーには小さなランプをちりばめ、たくさん飾りをつける。それを大きな窓の内側に立て、外からも良く見えるようにしておくのが品が良い。

窓という窓に内側からろうそくを1本ずつ立て、外から見えるところは家中の明かりをすべて消すのもきれい。
前庭の芝生に小さなランプのたくさん付いた針金細工のトナカイやサンタをおき、暗くなるとランプを点灯する家も多い。
サンタなどの人形を玄関のドアの横に置く家もある。

様々な飾りは、クリスマスが終わるとすぐにしまうということはない。
新年に入ってしばらく、1月の10日位まではクリスマスの飾りを付けておく。日本の「松の内」くらいの感覚なのだろうか。

Note:Martha Stewart



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【97年12月13日(土)】
最近の Blue Note

最近、事情があって3回もたてつづけに Blue Note に行った。



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【97年12月11日(木)】
シティバンクの PC-Bank の Next Step (インターネット接続開始)

おととい自宅に、CITIBANK から郵便で新しいソフトウエアが届いた。

内容はフロッピーディスクが3枚とCD−ROMが1枚

説明書によると、従来からの改定点は次のとおり。

1.WEBブラウザを使用する。
(銀行サイドで、通信にインターネットプロトコルを使い、プログラムも HTML で書いているという訳だ。)

2.従来からの Direct Access (銀行の専用電話番号への電話接続)に加え、インターネット経由でのアクセスを認めている。
ただし、インターネットでのアクセスでは、セキュリティ上の理由から、ブラウザとして NESC Ver3.0 を要求している。
(インターネットバンキングでは、シティバンクは第1号という訳ではない。既に、First Union Bank (www.firstunion.com)、Wells Fargo Bank (welsfargo.com)、Bank of America (www.bankamerica.com)、Huntington Web Bank (www.huntington.com) 等が始めていた。)

3.今回、機能的には、以下が追加された。
(1)債券(corporate bond)の売買機能
government bond は従来から機能があったが、corporate が追加された。
少なくとも僕は corporate bond には興味はない(自分個人のわずかな資産運用のために個々の企業の credit risk を評価しているヒマなどはない。)のであまりメリットにはならない。
アメリカの人々は個人で corporate bond を買うのが一般的なのかもしれない。

(2)市場情報(Standard & Poors News等)へのアクセス
このようなものは、別に Citibank に頼まなくても、自分で入手できるが、「同じ場所で見られる」というメリットがある。
僕は、 CNN-fn
pointcast(今、日本でもはやり始めている「プッシュ型」情報ソース)
でマーケットの情報を入手している。
また、市場情報など、新聞にも出ている。
(若干の遅れはあるが、個人にとっては critical という程ではない)。

さて、これをどう使うかだ。

ブラウザさえあれば、どこからでもアクセス可能というのがインターネット接続のメリットだ。
しかし僕はアメリカにいるからインターネット経由でのアクセスは必要ない。
(ダイレクトアクセスも toll-free の番号を使っているので電話代は無料だ)
おまけにいくらセキュリティを強化していると言っても、やはりインターネットで実際に個人的な金銭関係の transaction を送信するとなると大きな抵抗がある。
(とは言っても、僕自身、既に、増設メモリを買ったり、知り合いに花を送ったりするのにインターネットを使っているのは事実だが。)

したがってインターネットアクセスはやめて、ダイレクトアクセスをすべく、新ソフトをインストールして使ってみた。
インストールは約10分で終了(その前に説明書を読むのに10分を要したが)。

使い勝手としては、マウスで該当部分をクリックするので、いままでより多少使い易いという程度か。
一方、動きは従来のソフト(DOSベース)に比べるとやや遅い。これは僕が非力のPCを使っているのも一因ではあるが。
最初に接続をするのに要する時間も若干長いようだ。
したがって、いらいらするという程ではないにせよ、頻繁に使う気にはなれない。

===================================
以上から、僕は当分、従来のバージョンを使い続けるつもりだ。

いつの日か、僕の国外追放(?)の刑期が終了して、晴れて日本に帰ることがあったら(日本に帰ることが良いことなのかどうかは僕にもわからないが)、そのときにはインターネットバージョンを使うことになろう。
(今までは、帰国後は日本からアメリカへ国際電話をかけることも已むなしと考えていたが、インターネット接続開始でこの障害が取り払われた訳だ。)

金融の世界で、国境・地域間格差が急速になくなっていることを痛切に感じる。 僕自身、最近、日本のメディアに小さな記事( seriousではない、他愛のないものだ)を数回書き、わずかばかりの原稿料(日経新聞の方、見ていたらごめんなさい)をもらったが、 IRSはそれをどうやって把握するのだろうか?
(僕は来年4月15日の Tax Return で申告するつもりだが。−−−これっぽっち節税しても仕方ない。)

クリントンの言っている「インターネットの世界での税制」を、はやく具体化せねばなるまい。

究極的には、「@全世界の人々について、全世界の所得に関して同一の税率(所得規模に応じた累進課税はあるとしても)を適用する。 A各種報酬・利子の支払者側はすべて源泉徴収を行い、世界的なネットワークでそれを交換し合う。Bすべての人は、自国で Tax Return を行う。」ということになるのだろうか? しかし、ニューギニアの海で「もり」で魚を突いている人にそんなことを言っても始まらないのも事実だ。

note: citibank.txt

参照:
シティバンクのWEBへ
CitiBank の PC-Banking (961205)へ

【12月19日追加】
インターネット経由で試してみた。NESC−Ver3.0を使用する。
自分のアカウントNo.を入れ、暗証番号を入れてスタート。

うまく動く。動きは早くはないが、これで国外からアメリカのシティバンクにインターネット経由でアクセスできることもほぼ確実だ。



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【97年12月10日(水)】
スイスの2大銀行の合併

資産規模で、東京三菱銀行に次ぐ、世界第2位の銀行が誕生する。

Union Bank of Switzerland
the Swiss Bank
の2行の合併だ。
新しい銀行の名前は Union Bank of Switzerland になるそうだ。

今朝の New York Times の要旨は次のとおり。

今朝の New York には触れられていなかったが、合併が明らかになったとき(先週末)の New York Times には、「アメリカのビジネスに力を入れる」とも書いてあった。うなずける。



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【97年12月5日(金)】
ホームページ来訪者やっと1000人

僕のホームページ(Private版)の来訪者が今日で延べ1000人に達した。
開設後、1年3ヶ月だ。

友人にしかアドレスを知らせてないことを考えれば、まあ、こんなものだろう(か?)。



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【97年11月30日(日)】
小学校の「Memory Bank Project」 / アメリカの小学校教育

Kは、地元の小学校 Hindley School の 5th grade だ。

以下は、Kが97年11月20日に学校から配られたプリントの要旨だ。
子供にとっては大変なプロジェクトだが、「自分で考え、まとめる。」という観点ではおもしろいプロジェクトだ。

Kは祖父を選んだ。日本にいるため、インタビューがやりにくいが。。。
(残念ながら、彼の祖父は、まだ E-Mail を扱えない。)

==============================================================
「Memory Bank Project」

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一般的に、アメリカの教育システムは
1.地域による差が極めて大きい(たとえば、隣町 New Canaan とも全く異なる。)
2.住民の質(所得階層)が教育に如実に反映される。
すなわち、高所得地域⇒高不動産価格⇒税収増⇒高教育水準 という訳だ。
3.標準化されていない(教師個人の資質によるところが大きい)

今回の Kの課題も大きくとらえれば、どのようにでも料理できる。出来合いでないところが良い。
この街 Darien では、5th Grader の課題として、毎年出されている。
兄弟が既に誰かを対象として 行った場合には、次の兄弟は別の人を対象として選ぶよう、指示されている。
独創性
図書の検索システム
アメリカの教育は遅れていると言われることもある。
日本の文盲率の低さ・均質を考えると、日本の教育は平均値としてはたいしたものだと思う。
(単なる教育の産物でなく、むしろ歴史的な「文化水準」によることは明らかだが)
教育とは何を目指すのか。
人間にとって幸福とは何か。
永遠の課題である。

【小学校5年生宿題(97年4月)】
半年ほど前に、当時の5年生(Kの友人)の宿題を手伝う機会があったが、最初は New York Times の WEB で調べたが、ちょっと苦しくて CNN の WEB にしたらうまく行った記憶がある。
他愛のない「クイズ」(単語で答える問題)だったが、知らないとできない。
(白状すると、僕はこの手の問題には決して強くない。)

その時の答えは、
Zaire Mobutu 首相
Comett Hale-Bopp
Heaven's Gate Cult
Dalai Rama
だった。アメリカの小学生も楽ではない。




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【97年11月24日(月)】
日本の金融機関

日産生命
三洋証券
北海道拓殖銀行
山一証券
徳陽シティ銀行(11月27日追加)

と、よくもまあ、続いてくれるものだ。
(これですべてでないといころがまた恐ろしい。)
---- まあ、日本の金融機関が今まで「真剣な経営」をしてこなかったツケとも言えようが。

山一証券は負債総額3兆円
日本の戦後の倒産で最大
山一経済研究所・山一ファイナンス・ニューヨーク・ロンドンの海外現法等
取り引きはグループ内がほとんど。
1万人の雇用問題だ。

これまでの3件の倒産と全く異なるのは、山一証券の海外オペレーションが極めて大きいこと。

●財政投融資金を使う優先株買い上げ機関(特にこれ)
 (焦げ付けば一般会計で補填)
●預金保険機構の政府保証債発行
●将来の税金投入の可能性
などが言われているが、政府は明らかにしていない。
ジャパンプレミアムはさらに拡大している。

日本では勤労感謝の日。アメリカでは、ちょっと違うけれど、もうすぐ Thanksgiving Day。

店で買い物をしたときに(買った側も)「ありがとう。」
着ているスーツを誉められたときに、「ありがとう。」
(アメリカの人は、Sorry は 決して言わないくせに、Thank You は多用する。)

仕事が厳しくても、健康に働いていられることを感謝しなければいけないのかもしれない。

しかし、日本の企業は守りになってはいけない、グローバリゼーションの中で、日本に収斂していては明るい未来はない。

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【97年11月22日(土)】
車に追突される / 補習校バス当番 / Silent Auction

朝11時35分。クリーニング屋へ行くために左折のウィンカーを出して止まっていたら、うしろから追突された。ドカンという大きな音がしたので、トランクまで相当やられたと思った。
幸い、音の割にショックは小さく、体の方にダメージはなかった。

僕はシビックを一人で運転している。
追突してきたのはニッサンのセントラ(サニー)。この道を通る車なら、ドライバーがこの街に住んでいることはまず間違いない。

僕は12時にJと日本語補習校で待ち合わせているが、これでは到底間に合わない。
第一、高速道路を走れるかどうかも、全くわからない。
いずれにせよ、修理に出したり、相手と連絡をとったりする必要があるから、面倒なことになった。

左折してクリーニング屋の前の広い駐車場に停めた。
ドアを開け、横に止まったセントラから出てくる男を見る。
若い男だ。30才くらいだろうか。
後ろへ回ってみて驚いた。
「全くへこんでいない!!」

ボディーに傷がついていないのはわかるとしても、バンパーも、ほんのかすり傷のようなものがついているだけで、ボディーに食い込んでいるわけでもない。
丹念にトランクを開け閉めしたり、後ろの2枚のドアを開けてみたりしたが、全く異状なし、手品のようだ。
相手の車、と見ると、前のバンパーがややボディーに押しつけられてゆがんでいるようだ。これは軽い修理が必要だろう。あれだけの音がしてこちらが無傷というのには 全く驚いた。両方ともウレタンバンパーだったのが良かったのだろう。

先方も、こちらが無傷なのを見て安心したと見え、ようやく、
"Sorry, but it's amazing !!" などと言う。
(追突したのは向こうなのだから、被害の有無に関わらず "sorry" をすぐに言うべきだが、あとになって言うところなど、いかにもアメリカ人らしい。)
まあ、被害がなくて良かった。免許証等の確認をし合う必要もなく、3分でこの男と別れた。

ワイシャツ6枚を持ってクリーニングに入ると、オヤジが「大丈夫だったか? 相手の免許証番号を控えたか?」と聞く。全く被害のなかったことを話すと、「日本の車はタフだな。」と驚いていた。本当に良かった。

12時に補習校に着き、バス当番を交替する。補習校のある NEW YORK 州の Port Chester から Greenwich で途中停車し、 Darienまでバスに同乗し、子供たちが取り残されたり別のバスに乗ってしまったりすることのないように世話をする当番だ。
3カ月に1回位、当番が回ってくる。いつもはJがやるのだが、きょうは彼女は夕方、Silent Auction で、パーティーのケータリングをやるので午後が忙しく、僕が途中で交替したという訳だ。

1時 40分、無事に Noroton Heights の駐車場に到着して僕の任務は終了。

先に家に帰ったJは、忙しく8人分のパーティの料理をしている。
Hindley School の Silent Auction で彼女が提供することに決めた "Complete Japanese Dinner" を作っているのだ。

Silent Auction については、長くなるので、また書くつもりだ。



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【97年11月15日(土)】
停電 / Lee Brothers / Barnes and Noble

金曜日に降ったみぞれが木の枝に凍り付いた。
そこでちょっと強い風が吹いたので木の枝が折れて電線を切ったのだろう。

停電だ。夕方5時。もう相当暗くなっている。
さっそく懐中電灯を3つほど出し、ろうそくにも火をつける
テレビもビデオも見られないし、もちろん本も読めない。パソコンなどもっての他だ 。
(電池で動いてくれる賢いモバイルギアは別だが)
Jも「夕食の支度が料理ができない。」と嘆いている。
そんな訳でAはピアノの練習だ。

まわりの家も消えている。10分ほどたっても復活しないので、夕食は外食に決める 。地元の Chinese Restaurant "Lee Brothers"だ。気楽に行ける、値段もリーズナブ ルな店だ。当然、忘れずに Shrimp with Lobster Sauce を注文する。ザーサイのス ープがなかなか良い。

すぐに家に戻り、まだ停電していると暗い上に寒くてたまらないため、本屋へ行くことにする。土曜日は夜11時までやっている、Barnes and Noble だ。
僕は暗くなってからは行ったことがなかったが、きょうはもう7時だからあたりは当然真っ暗だ。

巨大な店で、本の数も多い。中には随所に椅子やソファが置いてあって、立ち読みならぬ座り読みができる。店内には喫茶コーナーもあって Starbucks Coffee がおいしいコーヒーを飲ませてくれる。
ハードカバーは10%引き
急成長して世界的に話題になっている amazon.com に対抗し、Barnes and Noble もインターネットでの通信販売を開始した。

僕も一度だけ amazon.com でインターネットによる本の購入を試したことがあるが、本は現物を見ながら探す楽しみもないといけない。
買うものが決まっているときはインターネットで買うほうが楽に決まっているが。



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【97年11月10日(月)】
先生との面接

Kの Elementary School(5th Grade)の先生との面接。
面接は9月に新学期が始まり、毎年11月頃に行われる。

朝一番の時間帯の予約。出社を Flex Time で若干遅らせて学校に8時過ぎに立ち寄る。
Mr. Bernson。若い男の先生だ。子供が2人いるという。年は35才位だろうか。
きちんとしている。

我々は、アメリカに来て以来、子供の先生との面接の前には、子供の生活などを書いた簡単な手紙を先生に渡すことにしている。

手紙に書くのは、以下のようなことだ。
1.92年の夏に家族でアメリカに来たこと
2.アメリカで暮らすことは、我々の物事の見方を広げる上で、
  大変良い経験だと思っていること。
3.異文化の中で暮らすのは親にとっても子供たちにとっても相当苦労が多いが、
  精一杯やっていきたいと思っていること。
4.平日・休日の子供の日課。休暇には良く旅行をすること。
5.子供たちには、広い視野と優しい心を持ってほしいと思っていること。

手紙を渡すというアイデアは、アメリカに来た直後に、新しい家に引っ越すにあたり、近所に自分たちの家族を紹介する簡単な手紙を配ったという先輩の話を 聞いて、それを参考にしたものだ。

手紙は毎年、小学校の先生と面接をする2−3日前に渡す。先生は我々の生活のことや物事の考え方があらかじめとても良くわかるため、大変感謝される。
「すべてのご両親がこうしてくれると良いのに。。。」
「日本ではこういう習慣なのか?」
などと言われる。
(もちろん、我々だって、アメリカにいるからやっているだけだが。)

アメリカの教育は、行政区域により、また同じ学校・学年によっても先生(クラス)によって、著しく異なる。
「共通のカリキュラム」が大雑把なのだろう。それだけに先生の個性が出る。

校長(principal)の給料(年収)は9万ドル強だ。これは、地元の新聞 "Darien News Review" に公表される。この小さな町で、ほとんど完全に自治となっているため、こういう情報はオープンだ。 日本の小学校の校長の給料を知らないので比較はできないが、住宅や物価が日本に比べると安いことを考えれば、まずまずの生活をして行けるレベルである。

先生は女性が多い。先生の男性比率は全州で50%以下だ。
 − 最高は Massachussetts の37.9%
 − 最低は Georgia の16.9%。

Kは順調にやっているようだ。安心。



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【97年11月9日(日)】
YMCAのプール / 妻と言えども信用はできぬ

この週末も先週に引き続き雨模様だった。

今日は久しぶりに地元のYMCAの室内プールに行った。
親子4人で、家族用の暖かいプールで水遊びだ。

水温(湯温?)は摂氏で37度位。ぬるめの風呂のようなものだ。
プールから出るとかえって寒い位いの温かさだ。

2ー3才から65才くらいまで、老若男女、様々な年齢層の人々が来ている。
ぽっかりと抜けている年齢層は15ー25才。
この年齢層の人々はこのような浅く、なまぬるく、小さいプールには来ない。

我々にとっては、風呂のようなもので気持ち良い。
(実際、帰りのシャワーでは、僕らだけでなく、みんなシャンプーで髪を洗っている。)

さて、僕は車で出かける前にJに「僕の水着も入れてくれた?」と確認した?
彼女は「入れたわよ」と自信を持って答えた。

生まれてこの方、人を疑うことを知らぬ僕は安心して車を走らせた。
YMCAまでは2分だ。歩いたって10分はかからない。

Kとロッカールームに入り、着替え始めた。
「はて、僕の水着はこんなのだったかな?」

良く見ると、"boys" などと書いてある。
しまった!!  やはり。。。

しかし、また家に戻るのも面倒なので無理をしてはいてしまった。
かなりきつかったが、何とか入ることは入った。

水の中に入ってしまえばわからないだろう。あとは破れないのを祈るのみだ。

プールでH氏に会ったが、もちろん、水着のことは何も言わない。
何とか破れないうちにプールから上がることができたが、きつかった。

きょうの教訓。
妻と言えども、信用してはならない。



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【97年11月6日(木)】
メールオーダー時の Sales Tax (971106 NYTimes)

州外からのメールオーダーの取扱に関し、来年から税法が改正される動きになっている。

アメリカの消費者は(僕を含めて)ケース2を利用してでずいぶんと節税(?)をしていたが、 これが不可能になる。
(しかし、ケース3がまだある!!)

似たような話が、国際間の取り引きでも容易に起こってくる。

ケース1.州外の通販業者から、メールオーダーする
   (その通販業者が、購入者の居住州にプレゼンスがある場合)
    例:NY州の住人が、JCペニーからメールオーダー
   (JCペニーはNY州にもプレゼンス有り)
(1)現行法
     JCペニーは売上税の集金を行う(当然、これは購入者の負担となる)
(2)改正法
      現行法と同じ

ケース2.州外の通販業者から、メールオーダー
   (その通販業者が、購入者の居住州にプレゼンスがない場合)
    例:NY州の住人が、L.L.Beanからメールオーダー
   (L.L.BeanはMaine州が本社であり、NY州にはプレゼンスがない)
(1)現行法
     L.L.Beanは売上税の集金は不要。
     しかし、購入者は、自主的に消費税を申告して納税する必要が有る。
    (実態的にはこれが成されていない)
(2)改正法
     L.L.Beanは購入者の住所に応じた売上税率で売上税の集金を行う。


ケース3.州外の通販業者から、第3の州の他人のためにメールオーダー
    例:NY州の住人が、L.L.Beanからメールオーダーし、ノースダコタ州
        の叔母にプレゼント
(1)現行法
     L.L.Beanは売上税の集金は不要
(2)改正法
     現行法と同じ



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【97年11月1日(土)】
ハロウィーン / Advil / チョーシワリー

きのうは Halloween。会社から急いで帰り、近所の子供たちがやってくるのを待つ。お菓子をもらえるので子供たちは大忙しだ。魔女や骸骨や消防士などの格好をした近所の子供たちが今年も次々にやって来た。

僕は火曜日以来の喉の痛みがまだ直らない。咳がひどくてきのうはあまり眠れなかった。僕が幹事をしているきょうのゴルフコンペを中止にしておいてちょうど良かった。

これ以上ひどくなるといけないので、近所の医者へ行く。土曜日もやっている、"Immediate Care Center" だ。喉と耳の中を見て背中から呼吸音を聴診し、Strep Throat の検査をして、約15分。しめて $80。医者はいい商売だ。

診察が終わりに近づいた頃、60才くらいの医者は僕と反対方向を向きながら言った。

"You can have a lollipop"(棒付きのキャンディーを食べていいよ。)

その瞬間、僕はその言葉が自分に向かって言われたことに気づかず、1秒程だまっていた。すると、彼は僕の方へ向き直ってもう一度同じことを言った。そこで初めて僕は、「診察は終わりだよ。」と彼が言っていることに気づいた。

アメリカの医者(レストランにも多いが)には、大抵、受け付けに棒付きのアメやキャンディーがおいてあり、子供は診療が終わるとそれをもらって帰ることになっている。
それをもじって彼が僕に話しかけていた訳だ。

" I had too much yesterday." (きのうの Halloween で食べ過ぎたよ) くらいのことがすぐに出て来ないようでは本当はいけないのだが、僕は、"Thank you very much." としか言えなかった。 すぐに僕がわからなかったことで、僕がアメリカのよそ者であることが完全にわかってしまった。

英語は難しい。否、異文化で生活することは簡単ではない。仕事の英語では何とか(本当に「何とか」)不自由しないレベルになれても、日常生活で不自由しないようになるのにはあと何年かかるのだろう?

幸い、 Strep Throat の Test は Negative だった。「チキンスープなど水分をたくさんとり、Tylenol を飲んでいればよい。」と言われて帰る。ちょっとした風邪だと、だいたいこんなものだ。飲むものは Ginger ale か チキンスープと、相場は決まっている。

ちょっとした痛みと熱には Tylenol、激しい痛みには Advil だ。
そして寒気がするなら、Thera Flu のレモン味の奴を お湯で溶いて飲む。

アメリカに来て間もない頃、夜遅く、Grand Union(スーパーマーケット)で買い物を終えてレジを出たところで、「Advil はどこにあるのかしら?」とふらふらしながら尋ねて来た老婦人がいた。僕は、「知りません」としか言えなかった(本当に知らなかったのだ)が、彼女が求めていたのは本当はそういうことではなかったのだ。「Advil を一緒に探してください。」と言っていたのだ。

今になって後悔しても遅い。
僕の住む街、Darien には、一人暮らしの老人、老夫婦のみの家庭も結構多いようだ。日本もこういう時代がすぐそこに迫っている。

ああ、とにかくチョーシワリー。
きょうは早く寝よう。



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【97年10月29日(水)】
New York City の犯罪減少(971028 New York Times)

ニューヨークの犯罪減少は、96年12月20日のエッセイでも書いたが、本当に著しい減少を示しているようだ。
以下はニューヨークタイムズより。

96年の犯罪率(人口100人あたりの件数)
  凶悪犯罪 1.2件(90年の半分)
  住居・所持物関連犯罪 4件(90年の半分強)

96年の犯罪件数 殺人900件(90年の2.5分の1) レイプ2200件(90年の3分の2) 強盗60000件(90年の2分の1) 車泥棒55000件(90年の3分の1)



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【97年10月28日(火)】
ニューヨークダウ暴落・急反発 / ウォールストリートのディーラー気取りは5秒で醒めた

10月27日(月)

香港株式暴落の余波を受けて、週明けのニューヨーク株式市場は、大幅な下落となった。

ダウ平均554ドル下落。7.18%
3時30分(いつもより30分早い)で取り引き終了

なお、1987年10月19日のブラックマンデーには、
508ドル下落
率にして22.61%

したがって、今回は下げ幅は最大。しかし率はブラックマンデーの3分の1。
この程度の調整は当たり前。十分予想された程度の下げだ。

28日(火)

プルデンシャルが Bond-Fund の募集につき、New York Times に全面広告を出していた。
株の暴落で浮いた資金を、債券に投資させようという魂胆だ。
暴落前から用意していた広告だろう。アメリカの企業の動きは早い。

夕方、風邪気味だったので早く会社を出た。最近、喉をいためた。寒くなって暖房が入り、部屋の空気が乾燥してきたためだ。そういえば、まだ今年は加湿器を出していない。
我が家の暖房の仕組みについては、ここをクリック

6:34PM South Norwalk 行きの電車。
朝の早い(したがって夜も早い)ウォール街のビジネスマンの多い時間帯の電車だ。

隣に座ったビジネスマンから、「きょうの引けはマーケットはどうだったか知ってるか?」と聞かれた。僕は、普通の日は仕事に関係ないので昼間は株の動きなど追わない(そんな暇もない)のだが、きょうは興味があったので、同じフロアにあるディーラーのモニターを覗き込んでいた。
きょうの動きは僕の予想通りだった。朝方、いきなり大きな下げから始まって、10時過ぎに急反発し、結局、きのう下げた分の3分の2(337.17ドル)戻したことを日中の動きまで含めて知っている。そこで、いい気になって、「朝一番は、、、、」とやり始めたら、相手から、「終わり値を聞いてるんだ。」と言われてシュンとなった。

そうだった。「質問には簡潔に答える。」
当たり前のことをもう一度自分に言い聞かせた。ウォールストリートのディーラー気取りは5秒で醒めた。

ダウ・ジョーンズと言えば、100年程前にダウが創設されたときにダウに入っていた会社のうち、未だに残っているのはGE(General Electric)だけだという。
また、Fortune500企業のうち、毎年、7%が落ちこぼれて行くという。自由競争の社会は変化が激しい。世の中の変化のスピードについて行けないビジネスは取り残される。

先週末から今週月・火の世界の株式市場の動きを総括してみると、世界経済の中でのアメリカの位置付けがこの5−6年、さらにずいぶんと高まっていることを感じる。
10年前のブラックマンデーのときは、日本の株式市場の回復が最も顕著だっだが、今回、(少なくとも短期的には)世界の株式市場をとりあえず落ち着かせたのはアメリカだった。

市場には、ファンドマネージャーは、まだ「買い時」ではない(=「もう一段の下げがある」)と見る向きもあるが、全体的には、先行きは明るい雰囲気が漂っている。



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【97年10月26日(日)】
DST(Daylight Saving Time)終了

10月の第4日曜日の早朝2時。この瞬間にDSTは終了する。夜中の2時が1時になるのだ。
きょうは1時間寝坊ができた。

時間が変わるのは、いつも10月の第4日曜日の早朝だ。日曜日の早朝というのが良い。このタイミングなら、仮に時刻の変更を忘れても、トラブルは最小限にとどめられる。
(僕は関係ないが、教会に1時間早く行ってしまうくらいのものだろう。余談だが、アメリカ人でも、教会にまじめに行く人とそうでない人ははっきりと分かれており、「毎週行く」人と、「月1回程度以下」が、各々4割弱ずつだそうだ。)

一方、DSTになるのは、4月の第1日曜日の早朝だ。アメリカに来て、初めて時刻の変化を体験したときに思ったのだが、実は、「夏時間の方が適用期間が長い。」のだ。4月初めから10月下旬までだから、夏時間は、6ヶ月半以上適用されることになる。

きょうは、我々も10時(しかしDST終了で9時になった)に起き、「いやあ。得だねぇ。」と言いながら、家中の時計を1時間戻して歩いた。この作業を年2回行うのは僕の仕事だ。

キッチンの時計を合わせる際に、10分弱、「サバ」を読んで進めておくのを忘れてはいけない。
そうしないと、朝寝坊のKとAは毎日、Hindley School に遅刻するはめになる。

家中の時計を合わせ直した後、パソコンの電源を入れたら、「冬時間に自動的に切り替えます。よろしいでしょうか?」と出た。Windows95 は便利だ。

夕方、5時になると相当暗い。5時半になると、完全に真っ暗だ。

もう、今週の金曜日は Halloween だ。
きょうは小型のストーブを出した。



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【97年10月25日(土)】
CIAのレストランで食事

もう一つの、もっと有名なCIA(Central Intelligence Agency)ではない。
CIA(Central Intelligence Agency)のウエブサイトへ

きょう行ったのは、Culinary Institute of America (アメリカ料理協会)
CIA(Culinary Institute of America)のウエブサイトへ

こちらは、フランスのコルドンブルーと並ぶ世界的なシェフの学校だ。
ここを卒業するだけでもハクがつくそうだ。

昨年、たまたまこの横を車で通ったときに、Jが「一度ここで食事をしてみたいわね。」などと独り言を言った。気楽なものだ。しかし、少し彼女にもうまいものを食べて作り方を研究してもらえば、まわりまわって僕の口にもおいしいものが入るわけだから、全く投資が無駄になる訳でもない。まあ、彼女が鵜だとすれば、僕は鵜飼いのようなものだ。それに、僕自身も、超一流のコックがどんなところで勉強しているのか一度見たいと思ったのも事実だ。

レストランはカジュアルなものを含めて4つあるが、正統派のレストランは本当は予約を取るのがとても大変だそうだ。

ひょんなことでCIAの予約をとることができたのは、メトロノースのパッケージツアーの案内の中に、「ツアーだと言って予約すれば食事ができる」という一文があるのを発見したからだ。

僕達は、Authentic French Restaurant "Escoffier" に予約をとった。 我々は家から車で行ったのだが、予約の際には、「メトロノースのツアー」ということにしておいた。このため、1週間前の電話1本でうまいこと予約を取ることができた。

CIAはマンハッタンから北へ車で3時間弱、ハドソン河畔の小高い丘の上にある。
この時期のハドソンバレーは美しい。CIAを見て食事をし、紅葉も楽しむという、一石三鳥を狙った訳だ。 Taconic Parkway の両側に広がる紅葉が見事だ。
このあたりはちょうど今の時期がピーク。 2週間前のVermont の紅葉 がここまで降りて来ている。雨模様の天気が残念だ。

FDR生誕の家がある Hyde Park にも近い。
外から見ると、大きなお城のような建物だ。

構内には学生たちの寄宿舎もある。

校内をコックさんの制服?(白いかっぽう着だ)を着た男女が歩いている。
年齢は20ー35才位だろうか。やはり若い人が多い。

廊下からは学生用のカフェテリアも見える。ここで食事をしてみたい気もする。
僕は学食のメニューというと「コープ」か「銀杏」くらいしか思い出さないが、ここのカフェテリアはさぞかしおいしいのだろう。

入り口で、「Library に席を用意しましょうか?」と聞かれ、よくわからないまま(食事をしに来たのであって、おなかがすいているのであるからして、のんびり本など眺めている余裕などないのだが)、「Yes」というと、2人掛けのテーブルが1つと、4人掛けのテーブルが2つ入った小振りの部屋に案内された。壁に本が飾ってあるから確かに Libraryなのだが、立派にレストランの一部なので僕達のおなかは安心した。

ウエイター・ウエイトレスがぎこちない。

皿やカップをテーブルにおくときなども、緊張しているのが端から見ていても良くわかる。考えて見ればかわいそうだ。普通のレストランなら、「修業中」などとはさとられないが、ここでは全員が「一流の新米」ばかりで、客がここぞとばかり注目している。

「今日のスープ」を聞いてみたら、開店一番の客のせいか、まだ覚えていない。小さな紙切れを見ながら教えてくれる。

僕は Breast of Duck
Jは Veal
全体的に甘い。味も少しくどい。

デザートをたのんでもなかなか来ない。パッションフルーツのケーキ。

味?

まあまあおいしいのだが、期待が相当大きかったため、期待には届かなかった。
ユニオンスクエアカフェの方がおいしい(ここと比較するのは酷というものだが)。

やはり学生の段階ではプロにはかなわないのか?

サービス料の形式が面白い。
最初から12%のサービス料が上乗せされ、コメントがついている。
「12%が加算されているので、これ以上は不要。この12%のファンドは、全体でプールされ、学生全体の勉強のために使われる。もしその他に支払っていただいた場合には、それは直接、サーブしたウエイター・ウエイトレスに行く。」
と。

ちょっと迷い、4%程度のチップを加算した。通常、レストランのチップは15ー20%だから、そこから12%を引き算したわけだ。ゼロでも良かったのかもしれないが、ウエイトレスがちょっと美人だったので少しだけチップをつけることにした。世界中、どこでも、美人は得だ。

しめて80ドル弱。まあまあというところか。

関係団体で、FBIというのもある。ご愛嬌だ。
Food and Bevarage Institute だそうだ。



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【97年10月24日(金)】
アメリカから NIFTY-Serve への接続方法(updated)


以下は 97年2月10日のメモ のアップデイト。
(今年夏からの Nifty の機能強化に伴うもの)

日本からの出張者や旅行者などから、アメリカで自分宛 (NIFTY) のMAILをチェックする方法について良く質問があるのでまとめた。
(2が最もわかりやすく手軽であり、便利なはず)

1.Nifty Manager Ver4.50を用いる方法
(インターネット経由、もしくは Compuserve の node 経由でアクセスできて便利)

2.インターネット経由、一般のブラウザ(Internet Explore, Netscape Navigator)   でアクセスする方法
  http://iw.nim.niftyserve.or.jp/ にアクセスし、ID と パスワードを入力する。

3.一般的な機器(モバイルギア等、ターミナルモードに準ずるもの)
 A.Compuserve のアカウントを持っていない場合
 (1)Compuserve にノ−ドにモデムからTELする
   このときのモデムの通信条件(プロトコル)は E71。
   (NIFTY-Serve は N81 なので若干異なる。しかし N81のまま文字化けを     気にせず進むのも可。)
 (2)ノ−ドにつながったらそこから直接 NIFTY-Serve に入る
    HOST: NIFTY
    (この直後に通信条件(プロトコル)を N81 に変える。
     →変え方は通信ソフトによって異なる。)
    Enter Connection-ID --->SVC(必ず半角の大文字にすること)
    Enter User-ID ---> NIFTYの自分のID
    Enter Password ---> NIFTYのPASSWORD

 B.Compuserve のアカウントを持っている場合
 (1)Compuserve にノ−ドにモデムからTELする
    このときのモデムの通信条件(プロトコル)は E71 。
    (NIFTY-Serve は N81 なので若干異なる。)
 (2)Compuserve にアクセスする
     HOST: Compuserve
     ID:  ID
     PASSWORD: PASSWORD
 (3)COMPUSERVE につながってからは以下の a、b 2つの方法がある。
   (b はinternetを使用する方法で、安く済むが、回線の状態によっては
文字化けの危険がある。)
   a. GO NIF-4
    (この直後に通信条件(プロトコル)を N81 に変える。
      →変え方は通信ソフトによって異なる。)
     Enter Connection-ID --->SVC(必ず半角の大文字にすること)
     Enter User-ID --->(NIFTYの自分のID)
     Enter Password --->(NIFTYのPASSWORD)
   b. GO TELNET
    8. access specific site
    R2.niftyserve.or.jp
    (この直後に通信条件(プロトコル)を N81 に変える。
      →変え方は通信ソフトによって異なる。)
     Enter Connection-ID --->SVC(必ず半角の大文字にすること)
     Enter User-ID ---> NIFTYの自分のID
     Enter Password ---> NIFTYのPASSWORD

  (参考1)E71 = パリティ偶数(EVEN) 7ビット ストップビット1
       N81 = パリティなし(NONE) 8ビット ストップビット1

  (参考2)米国主要都市の Compuserve のノ−ドの電話番号
     New York    766-2080
      Boston     426-9295
     Los Angeles  624-3730




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【97年10月22日(水)】
インターネットによる米国株式の購入方法(参考:USA-TODAY)

関連サイトは以下のとおり。

http://www.ceres.com  Ceres Interactive
http://www.rapidtrade.com  CompuTEL Securities
http://www.datek.com  Datek Securities
http://www.lombard.com  Discovery Brokerage Direct
http://www.eschwab.com  eSchwab
http://www.etrade.com  E*TRADE
http://www.fidelity.com  Fidelity Investments
http://www.pcfn.com  PC Financial Network
http://www.tradepbs.com  Pacific Brokerage
http://www.quick-reilly.com  Quick Reilly
http://www.webbroker.com  Waterhouse Web Broker



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【97年10月13日(月)】
New England の 紅葉 / Indian Summer / Bennington Museum / 写真を撮ること


今日はコロンバスデイ。西海岸は休日でないところが多いが、東海岸は休日だった。
(ウォールストリートは「株式は開き、為替と債券は休場」という、面白い日だ。)
土曜日の午後から、家族で紅葉を見に行ってきた。

1週間程前からのインディアンサマーがまだ続いていて、この季節としては暖かな3日間だった。
インディアンサマーというのはアメリカ北東部で、この時期(本当はもうちょっと後だが)、秋が深まりつつある中で、ほっとするような暖かい日を指す。日本で言う、小春日和というところだろう。語源は、このような気象現象が最初に注目された地方に、アメリカン・インディアンが住んでいたため、という説が一般的なようだ。また、北アメリカ・インディアンの最後の収穫期と時期が重なるからとも言われている。
(「アーミッシュの贈り物」(ジェセフ・リー・ダンクル)より)

僕たちは毎年、この3連休は紅葉を見に行く。
僕の最も好きな時期だ。去年、ニュージャージーに砂が白くて広く、とても良いビーチがたくさんあるのを発見して5ー8月の良さも見直したが、やはり紅葉には勝てない。

この5年間のこの季節の旅行の記録。いずれも車で3−5時間の距離、2泊3日の小旅行だ。
97年10月 Bennington, Vermont : North Adams, Massachussetts
96年10月 Mt. Washington, NH : Old Sturbridge Village, MA
95年10月 Stowe, Vermont
94年10月 Stowe, Vermont
93年10月 Lee, Massachussetts
92年10月 Berkshire & Pitsfield, Massachussetts

いずれも New England なのは、New England の紅葉がピカ一だからだ。

今回はわが街 Darien からメリットパークウェイに乗り、ハートフォードの手前で I-91 に入り、Vermont 州に入ってすぐの町、Brattroboro で Interstate を降りて西へ向かい、Bennington に1泊した。

Bennington は Vermont 州の南西にある小さな町で、我々の目的は Bennington Museum だった。 Bennington Museum は、Grandma Moses (モーゼおばさん)の絵画などを集めた小さな 美術館で、我々の泊まった Paradise Motel から西へ1マイル弱のところだった。

Grandma Moses (Anna Mary Robertson Moses : 1860−1961)は、70才で絵画を始め、1961年に101才で亡くなるまで New England の田舎町の風景を質素に書き続けた。ケネディにも認められたそうだ。Norman Rockwel とも交友があったそうだ。彼の美術館も、ここから40マイル程南の Stockbridge にある。

70才にして絵画を始めるという気力もさることながら、その素朴なタッチにも共感を覚える。決して「うまい」筆運びではないが、アメリカの田舎の素朴で楽しい生活が愛情深く、明るく描かれている。数多くの老夫婦が訪れていたのもうなずける。

その他はただひたすら、紅葉に浸るのみ。

今年は9月に雨が少なかったため、紅葉が鮮やかかどうかを心配していたが、見事だった。(ちなみに、夏の暑さが足りなかった昨年の紅葉は出来が悪かった。ワインではないが、紅葉も年によって当たり外れがあるのだ。)

---- Aと一緒にいるといろいろと楽しい思いをする。
車に乗っていて、「のどが乾いたあ。のどが乾いているから逃げ水が見える。」などと言う。戦場ではあるまいし、水が欲しくて欲しくてたまらず、水の幻影が見えるほどのどが乾いているわけではないのに。

また、この間パソコンの調子が悪くなったとき、「パソコンが立ち上がらなくなった。」とつぶやいたら、「Aちゃんが支えておいてあげる」と行ってくれた。残念ながら、彼女が支えてくれても立ち上がらないので、ありがたく気持ちだけ受け取ることにし、修復を行った。

Aはこの12月で、もう7才だ。

その外に今回我々が訪れたのは。。。
Bennington War Monument Tower (エレベーターで登る。紅葉の山々が遠く見渡せる。)
Equinox Mountain(車で登る有料道路。かなり急な坂が延々と続く。オーバーヒートの車を数台見た。)
Whalers Wheel Restaurant
 田舎のレストランだがハンバーガーがおいしかった。
 Jの頼んだBLT(Bacon, Lettuce and Tomato Sandwich)も最高
 デザートのアップルクリスプ(アイスクリーム乗せ)も良かった。

そして写真もできが良いと思う。

今回はNIKON Fー601 に ED80ー200/2.8 をつけっぱなしにしたのを一脚につけ、200ミリ側でずいぶん撮った。ほとんどPLフィルターをつけていたので、ISO400のコダックロイヤルを使っていても、朝夕、ちょっと絞りたいときには手振れが気になる。だから一脚を使うわけだ。スリックのチャチなヤツだが、手持ちよりは2段くらい遅いシャッターが切れる。
カメラ・レンズ リスト(機種別コメント付)へ

三脚と違ってセッテイングが楽な上に軽いため、とても重宝している。

このレンズは定評がある。僕も大変気に入っている。重くて大きいのが難点ではあるが、この明るさとシャープさを考えれば、十分満足できる。写りの上での欠点は、ズームのせいでボケが完璧でないのと、EDレンズのせいか、発色が時にやや不自然になることがあることだ。(僕の経験では、海の青が紺になり、みずみずしさがやや失われることがあるようだ)。

しかし、ズームとしての性能はピカイチで、一般的な評価が非常に高いのもうなずける。最長が200ミリというのも良い。僕は200ミリより長いレンズが欲しいと思ったことはほとんどない。

僕はいつも家族と旅行に行くと一人で早起きして写真を撮りに出る。
光が日中より良いのと、気兼ねせずにゆっくりと撮影に没頭できるからだ。もちろん、昼間車を走らせているときに良い風景に出会ったときには、高速道路でもない限りは車を停め、写真を撮る。しかし、どうしても気ままにという訳には行かない。
朝の一人の時間は貴重だ。昨日の夜は North Adams, Massachussetts の 峠の Motel に止まったが、今朝も7時前に起き、昨日の夕方に通ったヘアピンカーブのところまで戻って山の下の集落に朝日が当たるのを待った。
結局1時間ほどそこにいたが、鮮やかさは思ったほどではなかった。まあ仕方ない。

とにかく今回の旅行の天気と紅葉は良かった。
うまく撮れていたらここにアップしたい。
(Series 7 : Autum in Vermont)

=================================================

記録にとどめること。すなわち、写真に封じ込めること、そして/あるいは、こうして言葉にとどめること。

一方、抽象的な感覚は、絵や写真にはほとんど、とどめられない。また、絵や写真よりにするよりも、言葉の方がはるかに強烈な印象を記録するということもある。

昔の断片的で強烈な思い出。

忘却の彼方へ埋もれてしまうことを、何とかしてとどめようという行為。

今、ふと気がついた。自分では全く想像さえしたことが無かったが、僕は、もしかすると、人一倍、生への執着が強いのかもしれない。驚くことに、20年ほど前、自分の生への執着がごくわずかなものであることを感じたのとは、全く逆だ。しかし、あの頃もこうして取り留めのない駄文を書いていた。。。

僕も少し、年をとってしまったのかもしれない。



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【97年10月8日(水)】
李下に冠を正さず / 新聞をめくる音

今朝、いつもの Danbury 始発のお気に入りの電車 に乗って15分くらい新聞を読んでいたところ、隣に座っていた男から、「ゆっくり眠りたいからもう少し静かに新聞をめくってくれないか?」と言われた。

60才くらいの男だ。身なりは悪いという程ではない。
服装は、ビジネスマンがほとんどのこの車内では少数派に入る部類ではあるが、「ヤバイ」感じの乗客ではない。
(もっとも、この電車には「ヤバイ」感じの客はほとんどいないが。)

しかし、変な客だ。
少なくとも、彼に指摘を受ける直前の3分間は、僕は新聞をめくらず、一つの記事に集中していたはずだ。
にもかかわらず、何故僕に注意したのかは不明だ。それに、彼は少なくとも眠ろうと目をつぶっていたはずだ。乗客の80%が新聞を読んでいる中で、何故僕の音がうるさいなどと決めつけたのだろう?

僕はいつも3人掛けの通路側に座る。男は真中の空席をはさみ、窓側に座っている。
僕はそんなにうるさく新聞をめくっているつもりはない。むしろ、まわりの人よりよほど静かにしているつもりだ。

こちらの新聞は、1枚の面積は日本とほとんど同じだが、縦が長く、幅が狭い。どちらも若干の差ではあるが、読む際には、幅の狭さが便利だ。日本より電車ははるかにすいていて、(たまに乗る Manhattan の地下鉄は別として)僕は毎日座席に座っているが、それでも、新聞の幅が狭さはありがたい。

「電車が混む日本こそ新聞の幅を狭くするべきだ!!」
こんな事を叫んでもただのひとりごとだ。そんなことはわかっている。

僕が読んでいたのは、以下のような記事だ。
●Fairfield County の Metro-North 沿線の駅で、駐車場難が深刻になっている。
●原因はいくつかあるが、
・女性の社会進出で労働者の数が増えている。
・Urban Sprawl(懐かしい言葉だ。大学のときに出て来た。)によって、人口が都市周辺部へ広がり、遠い所からも New York へ通勤するようになっている。
(さらに、1週間程前の記事では、同じ Metro-North の、Hudson-Line 沿いの町、Cold Spring(Putnum County)から New York へ通う人が増えている事が話題になっていた。何でも、電車に乗っている時間は70分だそうだ。それでも、良い環境・良い教育(学区)・良い治安・安い不動産を求めて、人口が増えている。この地域の典型的な一戸建て(中古)は、5.5エーカーの土地付きで30万ドル程度だそうだ。新聞に載っていた写真から見ると、「やや小振りの4ベッドルーム」と言った感じだった。ちなみに、我が町 Fairfield County の Darien だと、New York にもう少し近いため、この程度の規模の家だと40−50万ドルだ。)
・道路(Interstate-95)の混雑のため、鉄道に通勤客が流れている。
●Westport(DarienからManhattanと反対方向にさらに10分程行った所)の駅では、Town の Parking Permit が、1800台の容量に対して3000台分発行されているが、発行数をもっと増やす事を検討している。
(Parking Permit 発行に際し、結構大きな「サバ」を読んでいることがわかった。)
●Metro-North では、駅周辺の駐車場拡張のための空地を調べるために、上空からの空撮という、軍事衛星もどきの事を実施している。

さて、僕は隣の男に注意された。納得が行かないが、しかし、世の中には、「変人」もいる。逆らって殺され、もう永久に Peter Lugar のステーキを食えなくなっては一生後悔することになる(殺されてしまったら一生も何もないが)と思い、おとなしく従うことにした。

このまま新聞を読み続け、他の人がうるさくめくったときに僕のせいにされてもかなわない。この手の男は「思い込みが激しい。」と相場が決まっている。
幸い、N.Y.Times の Business 面は家を出る前に WEB でチェックしておいたから、読まねばならない程の記事がないのはわかっている。

こうなったら意地だ。新聞をまだ読み終わってはいなかったが、完全に閉じ、そろえて膝の上に置いて僕も睡眠をとることにした。

李下に冠を正さず、だ(英語で何というのかは知らないが)。

その後、僕も眼をつぶって、結局 Manhattan までうとうとしながら隣の男の動きを観察していたが、カバンを動かしたり、自分の新聞に手をやったり、落ち着かない様子だった。
彼が今日眠れなかったのは、朝、奥さんと喧嘩したか何かで腹の虫の居所が悪かっただけなのだろう。

僕?

僕は朝、Wife と喧嘩などはしない。
ははは、敵はまだ寝ているのだ。敵の勝ちだ。



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【97年10月7日(火)】
"EYE of the beholder" ICP Midtown / COSI Sandwich Bar

"EYE of the beholder" ICP Midtown
きょうも火曜日。ICP(INternational Center of Photography : 1133 Avenue of the Americas at 43rd Street)にただで入れる日だ。
7時過ぎ、仕事の合間にちょっと見に行く。

女性カメラマンの作品を集めている。
Avon Collection(化粧品会社)からのものだ。

Berenice Abbott "New York at Night 1932" Zeratine Silver Print
→またこの作品を見てしまった!!
Sarah Moon 1995
Sheila Metzner

帰りに通りがかりの店でちょっとコーヒーを飲む。
ともすると見落としてしまいそうな間口の狭い、小さな店だ。
それでも見た途端にセンスの良さを感じさせる。
COSI Sandwich Bar

レジの係は、若いきれいな女性だ。耳のうしろでカールしている髪が可愛らしい。
ただのコーヒーバーかと思って入ったのだが、その場で作ってくれるサンドイッチやワインやビールまである。
まだ仕事が山のようにあるのでアルコールは控え、今日は小さなパウンドケーキとコーヒーをレジで買って席に付く。
壁にはモノクロの写真がかけてある。
さほど良い写真ではなかったが。。。。

壁のポスターによると、Zagat で No.1だそうだ。今度はサンドイッチを食べよう。
42nd st. 5th & 6th



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【97年10月5日(日)】
Indian Summer / 自由の女神 / Williamsburg Bridge / Peter Lugar Steak House


【10月4日】

夕方、Kとドライブウェイでキャッチボールを始めた。
5分くらいで近所の子供達が来た。
Alix, Scott, CJ
Scott が「Monkey in the Middle をやりたい。」などと行う。
Scottは5才。Kに遊んでもらいたくてしかたない。Kはちょっと彼が幼稚すぎるので避けたがっている。彼としては、せっかくのキャッチボールの時間をつぶされたくない。
それでも、「しかたないなあ。」という顔をして付き合う。

最後にKのセリフ。「あいつから逃れるのはタダ一つ。あいつの親が呼ぶのを待つだけだ。」

【10月5日】

良い天気。暖かい日だ。
この時期のこういう日は、僕達の住んでいる New England では、Indian Summer と呼ばれている。Indian が 寒さの間隙を縫って冬支度をする日だそうだ。

暑いくらいであり、半袖で歩いている人も多い。

僕達家族は、自由の女神へ行った。
世界中のおのぼりさんの集まりだ。
(僕達もコネチカットの田舎からわざわざ1時間以上かけて来ているのだから田舎者だが。)

フェリーで15分程度で島に着く。

冠まで登ると延々2時間はかかる。階段が大混雑だからだ。
僕達は台座の所までにしておいた。それでもエレベーターに乗るまでに1時間も列に並んだ。

そして帰りに Peter Lugar に寄る。アメリカで一番おいしい Steak House だ。
マンハッタンから Williamsburg Bridge をブルックリン側に渡ってすぐ右側の古いステーキハウスだ。
1887年創業。110年の歴史。 ZAGAT(最も有名なレストランガイド) で毎年最も上位に居る。
アメリカで最もおいしいステーキハウスということに、誰も異を唱えない。

マンハッタンから行きにくいのが難点ではあるが、そのせいか、観光客にはやや敬遠されている。
タクシーで行先を言っても、「橋が混む」などと言う理由をつけて2台に1台は乗車拒否をする。ハーレム程ではないにせよ、ブルックリンも嫌われている。
ひどい運転手に当たると、走り出してから途中でおろされてしまう。
そのはずだ、まわりは荒廃した古いビルに囲まれているため、ステーキを食べる以外には僕等には全く用のない地域だからだ。観光客は大概 Sparks や Smith&Wallenski, Palm, Ben Benson's などの、マンハッタンにあって便利な、しかし味はマアマアのステーキハウスに流れてしまう。

1903年竣工のこの橋がまた曲者で、年柄年中工事している。
マンハッタンの橋はいずれも古く、いつ崩壊してもおかしくない。何回も渡っているのに無事でいる僕は奇跡といえる。
ちなみに、各橋の竣工年は次のとおりだ。( )内はアメリカの橋で危険度の高い順番。
Tri Borough 1936年 (1)
Whitestone 1938年 (2)
Manhattan 1909年 (3)
Williamsburg 1903年 (7)
Brooklyn 1880年頃 (21)

話が飛んだ。こんな事を書いていたら腹が減って飢え死にしてしまう。それに予約の時間はとっくに過ぎている。
道をはさんだ斜め前の駐車場に車を止め、4人で店へ向かって歩きだす。10月初旬になったが、さすがに5時には暗くはならない。
前方から身なりの良くない(はっきり言って相当ヤバイ)男が近づいて来る。
「殺すならステーキを食ってからにしてくれ!」と心の中で思いながら足早にやり過ごす。

無事、店に到着。
「3時45分の予約の Hiro だ。」と言うと、案の定、「3時45分?」などと意外な声を出す。
自由の女神が予想外に混んでいたので、1時間以上遅れてしまったのだ。

それでも大丈夫。平日の夜とは異なり、日曜の早い時間だから、いつものように「大混雑」という訳ではない。
「コネチカットから2時間以上もかかった。」と言うと、あっさり席に案内してくれる。
(僕は嘘はついていない。別に道が混んでいた訳ではないが、朝11時過ぎに家を出てからマンハッタン南端のバッテリーパークまで行き、フェリーに乗って自由の女神に登りに行って、帰りに Peter Lugar に寄ったら何と5時間以上かかってしまっただけだ。)

うしろの席で大の大人が6人で「ハッピバースデイ」をやっている。きょうの誕生日は55才くらいの紳士のようだ。親戚連中が大声で「ハッピバースデイ」を歌っている。歌が終わるとウエイターや客からも拍手喝采だ。
僕達も拍手した。
アメリカのカジュアルなレストランではこんな風景が普通だ。さすがに寿司清や Bernardin, Union Square Cafe 等では見られない風景だが、大のおとなのバースデイパーティをレストランでやっているのを見たのは5回や6回ではない。
こういう事をやるのはだいたいが40才以上だ。10才位までなら家やゲームセンターやプールやジムなどでやるし、若者ならカップルで食事をするだけで歌を歌ったりしない。
きょうの僕達は腹が減っていた。何しろ朝10時に遅めの朝食をとって以来、リバティーアイランドで巨大なスプライトを4人でシェアした以外は何も口にしていないのだから。

今日 Peter Lugar に来たのは、最近、家族ではほとんど来ていなかったので、罪滅ぼしだ。
(僕は会社の人や日本からの出張者と、年に4−5回行く。)
僕はBeck's。子供達はアイスティーを頼む。それに定番の onion と tomatoe の 巨大な slice。
そして Steak for three, rare
サイドには Hashed Potato(皿ごと焼くヤツだ)

当然、味は期待通り。しかし、今日の レアは予想外に焼きが浅かった。肉の中心があたたまりきっていないほどだ。
(いつもはレアでももう少し焼いてあり、ちょうど良い。)

デザートはアイスクリームと巨大なメロン。
このメロンがまた、当たりだった!!



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【97年9月23日(火)】
Brett Weston 写真展 "In New York"


秋分の日/Equinox
急に涼しく(寒く)なった。

International Center of Photography (ICP) 5th and 94th
Brett Weston 写真展 "In New York"
Edward Weston の2番目の息子
1944-1945
"Pawn Shop" というのが質屋のことだったというのは、ついこの間知ったばかりだ。写真は1944年頃の New York。この頃はマンハッタンにも質屋があった。
今でも Fort Worth にはたくさんある!!

帰りは EAT に寄った。

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【97年9月21日(日)】
Cove Beach / 自転車+Roller Blade

Cove Beach は隣町 Stamford のBeach だ。
我が家からは車で5分。自転車で20分。

きょうは蒸し暑かったきのうとは打って変わって気温が50度位まで下がった。半袖では寒いくらいだ。

我が家でも窓のエアコンをはずした。たった5分で完了。それもそのはず。ビスを2本はずすだけだから。

午後4時30分。ここに以下の6台+4人が集合した。
●3台の自転車
●1台の車
●1台のローラーブレード(持ち主は、無論、K。僕は去年、買ってすぐに挫折した。)
●1台のカメラ
●4人の家族

Kに新しい自転車を買ったのは96年の4月だ(彼の9歳の誕生日に1ヶ月フライングした)。マウンテンバイク300ドル弱。

また、Aが補助輪なしの自転車に乗れるようになったのは、ほんの1ヶ月前だ。
(大したものだ。僕が1日、練習に付き合っただけで、乗れるようになってしまった。)

Cove Beach は、夏の期間は住民以外からはかなりの Parking Fee を取るそうだが、Labor Day を過ぎると、我々のような Stamford外の住民も駐車場にタダで入れる。
したがって、僕たちはMemorial Day から Labor Day の期間以外にしか行ったことはない。

ジョギング。犬の散歩。ローラーブレード。自転車。ぶらぶら歩き。老若男女、様々な人々がいる。
僕は日本に帰国した知り合いから買った自転車に乗り、ここまでKと一緒に走って来た。

Jは車(アコード)にAと彼女の自転車を乗せ、ここまで来てから自転車をおろした。
斜光線によって、海岸や遠くの家が、とてもきれいに見える。
海岸に面した平坦な芝生のまわりの舗装路を、のんびりと走る。
誰も急いではいない。

帰りに町の境界で、Giovanni の前をKと一緒に自転車で通る。ステーキのにおい。彼がすかさず、「おいしそう、ステーキが食べたい」、などと言う。僕は、「この間、 Peter Lugar に会社の同僚と行った。」などと言いそうになって必死にこらえる。今度は家族を連れて行かねばなるまい。 Peter Lugar は アメリカで最もおいしいステーキハウスだ。

今日も思う。車は写真を撮るのには向いていない。やはり歩かなければダメだ。歩かないのなら、まだ今日のように、自転車の方がマシだ。「はっ」と思った瞬間、すぐに止まってカメラを向けられる体制にないと良い写真はとれない。車を使うあまり、これまで何回良いショットを逃して来たことか?

今日は Canon FTb + FD100/2.8 を肩にかけて自転車に乗った。やはりマニュアルのカメラは気持ちが良い。

自転車ならまだ写真は撮れる。きょうは1本ダケ。いつもの Kodak Royal。



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【97年9月19日(金)】
Oyster Bar

9月になり、カキのおいしい季節になった。きょうは Oyster Bar に久しぶりに行った。今回はLunchだ。
Lunch の定番は Fried Oyster Sandwich。

F氏は予想通り New England Clam Chawder, Bellon, Blue Point, Cherry Stone, Fried Oyster Sandwich を頼んだ。そしてHorse Radish をたっぷりと乗せる。

Oyster Bar は7月初めの夜中の火事(漏電が原因)で天井が焦げたのと共に大量のBaked Oyster ができ(これはウソ)、3週間休業したそうだ。

Oyster Bar と言えば、5月のメモがあったのを思い出した(日付は不明)。
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【97年5月】【Oyster Bar】
夕方、外出した際に夕立に遭った。
そこでGrand Central Terminal に逃げ込み、ついでに夕食をとることにした。
地下のスロープを降りてガラスのドアを押して入る。

Brooklyn Lager
New England Clam Chowder
Four pieces of blue point(oyster)
しめて$14.99

Soup の Take-Out もできる。
僕はブイヤベースが好きだ。

Oyster Bar を出ると、もう雨は止んでいた。
平均すると、年間23回 Empire State に落雷する。きょうも落ちたようだ。
もちろん、避雷針があるため、何の問題もない。
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【97年9月14日(日)】
Dallas / Fort Worth 周辺





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【97年9月8日(月)】

CompuserveのAOLへの売却

AOLがCompuserveを買収するとの報道があった。
ついに、という感じだ。

Compuserveの会員は自動的にAOLの会員になる。
やった!
両方の会員であった僕は、Monthly Fee の SAVE となる(と、このときは思った)。

しかし!!

【9月9日(火)】
AOLによる Compuserve 買収のアナウンスがTVでされた翌日、Compuserve 会員である僕に、Compuserve の社長から1通の E-Mail が届いた。

その要旨は以下のとおり。

1.すでに聞き及んでいるかもしれないが、AOLが Compuserve を買収することになった。
2.6カ月で Deal を Close する予定。
3.Compuserve は AOLの1つのユニット(Separate Brand)となり、独立してサービスを提供する。
4.現在の Compuserve 会員は、引き続き従来のサービスを受けられる。
あるいは、AOLが現在すでに開発中の WEB とのリンクを強化した新たなソフトウエアに変更することもできる。
5.今後とも、Compuserve と AOLは一致協力してより良いサービスを目指す。

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Compuserve が Small Business を中心に顧客を拡大してきたのに対し、後発のAOLはグラフィカルで使いやすいソフトウエアを使って個人の大衆マーケットを中心に顧客を獲得し、会員数は Compuserve をはるかに凌駕している。

僕の使い方は次の通りだ

Compuserve
 ホームページエリア(5MB)の利用
 ホームページの管理用ソフトウエア(HP-Wizard)の利用(これが良くできている。)
 Niftyserve への TELNET への gateway
  (ソフトウエアはWTERM評価版を使用し、NIfty 会議室のLOGをダウンロード)
 Niftyserve への海外接続の node
  (これは Compuserve の会員でなくても使えるが)

AOL
 各種アメリカ関係の情報をWEBから得る際の道案内として使っている。
 最近、ホームページ(スクリ−ンネ−ムごとの2MBずつ、合計10MB)が利用可能となったが、まだ試していない。全体的に利用度は低い。
 実験的に使っているという感覚。

この買収によって僕の期待していたのは、「AOLとCompusrveの両方のサービスをどちらか一方の料金で使用する。」といったものだったが、それは当面無理なようだ。

しかし、AOLがこのような方針をとるとすると、彼らの戦略は何なのだろう。
これだけで終わるはずがない。

もう少しAOLの戦略を見守ることとしよう。

最後にCompuserveメンバーへのE-Mailを添付する。

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AOL Acquires CSi: Letter to Members from Frank Salizzoni

Dear CompuServe Customers:

CompuServe took a major step forward today, which will benefit you as customers by preserving what you like best about the CompuServe online experience, while providing the resources and passion that can move CompuServe forward. As you may have heard, the CompuServe online service is being acquired by America Online, Inc. Once the transaction closes, which we expect will occur within the next 6 months, CompuServe will operate as a separate business unit of AOL Inc., and AOL will continue to manage CompuServe as a separate brand. That means you will still have access to the existing services, using the existing software, and connecting through the existing network. Indeed, AOL has made it clear that the y recognize and respect that you have chosen to be CompuServe customers for specific reasons, and they intend to do everything they can to continue to serve your needs.

AOL has had great success in reaching a mass consumer audience, and that will continue to be the focus of the AOL brand. CompuServe, on the other hand, has emerged as the leading brand for business and professional customers, and under AOL's ownership, CompuServe will continue to retain that focus. But this isn't just about preserving the status quo. AOL is committed to also launching a new version of CompuServe, building on the technology CompuServe already has under development. This new version of CompuServe will be available as an option to you--which means if you prefer using the existing service, as is, you can. But the new version is expected to have wide appeal, as it will be more Web-centric and easier to use.

AOL and CompuServe each played critical roles in shaping this dynamic new medium. Millions now look to interactive services to communicate with business colleagues and friends, find information, and stay informed. By working together, AOL and CompuServe can take the promise of this new medium to an even wider audience, not just in this country, but around the world.

Sincerely,


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【97年9月6日(土)】
Georgia O'Keeffe / A Portrait by Alfred Stieglitz

1917-1937 の 妻の写真。若かりし頃も、あまり美人とは言えない。
(と言っては失礼だが。)
しかし、どのO'Keeffe の 表情からも、彼女のものすごい芯の強さを感じさせる。

あまり見たことの無い写真が多かった。
そこには、晩年のしわだらけの横顔の写真はなかった。
手の造形。手はものすごくきれいだった。

最近、Santa Fe に Georgia O'Keeffe Museum が open したはずだ。

帰りには、Vico へ寄った。
不覚にも、"Eat" の場所を間違えてしまい、Vico にした。
カルパッチョ。



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【97年9月1日(月)の日記】
Penn's Cave / Diana の 死 / Labor Day / Camping Car

Pennsylvania には鐘乳洞が多い。Limestone(石灰岩)の多い地形のせいだろう。

Penn's Cave も その一つだ。
Manhattan から 車で西へ4時間。Route 80 - Exit25 から 30分弱。
内部に水がたまっているので、20数人乗りの小さな船で入る。
さほど大きくはない(それでも一番高いところは30-40メートル位はあるだろう。)が、様々な形の石筍が面白い。中学生のときに奥多摩の日原鐘乳洞へ行ったり、九州旅行で平尾台(だったかな?)へ行ったのを思い出した。子供には楽しい。

今回泊まったのは Lewisburg の街のモーテル。この界隈はドイツ系の移民が多かったせいか、burg と名のつく地名が異様に多い。また Armish も多く、黒塗りの馬車と頻繁にすれ違う。(Armish は 映画 ”目撃者”の舞台ともなった Lancaster が有名で、我々も2回訪れた。電気も使わず、昔ながらの質素な生活を営んでいる。にもかかわらず、人口が未だに増え続けているというのが驚きだ。話がそれた。)

Lewisburg の街のモーテルは、例によってAAAのガイドブックで見て電話で予約した安いモーテルだ。AAAの割引2ドル後で54ドル。部屋は狭いがダブルベッドが2台あって4人分のコンチネンタルの朝食がついていることを考えると安いものだ。

1泊してPenn's Cave に向かうというその朝、テレビでダイアナの悲劇的な死を知った。
Paparazzi と呼ばれる、私生活のゴシップ写真を追う7人のカメラマンに追い回されていたそうだ。事故に遭った自動車のメーターは121マイルを指して停止していたという。とんでもない連中がいるもんだ。Martha's Vineyard(僕たちが7月初めに行ったMassachusettsの島だ)でバカンス中のクリントン大統領もお悔やみの声明を述べている。余談だが(と言っても、そもそもこのホームページが余談の塊のようなものだが)、我々家族は、去年の Grand Teton、今年の Martha's' Vineyard と、2年続きでクリントン大統領の静養の地を、彼より1ヶ月前に訪れている。

【ここをクリックし、Martha's Vineyard を見てください。】

その後、しばらくして、メルセデス280セダンのドライバーが法的限度の3倍の飲酒をしていたという報道も入ってきている。しかし、Paparazzi の責任はあいまいにされてはならない。

メモ:
Candle in the Wind / Elton John
1973 Goodbye Yellow brick road
この頃の曲と言えば
We all fall in love sometimes!!!! / Elton John
Houses of the Holly (聖なる館) / Led Zeppelin
Stairways to Heaven (天国への階段) / Led Zeppelin

Labor Day のきょうは、夏のおわりだ。隣の家でもバーベキューグリルや庭のプールを片づけている。プールといっても庭に掘ってあるやつではなく、直径5メートル程の据え置きタイプだ。隣では夏になると夜まで飛び込んで遊んでいる。

Labor Day といえば、ちょうど1年前はキャンピングカーを借りて New York 州北部の Lake George( Alfred Steiglitz が 妻 Georgia O'Keeffe の写真を撮った場所として有名だ)に行って見よう見まねでオートキャンプしたのを思い出した。子供たちは「またキャンピングカーを借りたい」などと騒いでいる。気楽なものだ。車を予約して運転し、現地について水平に保ち、電気ケーブルとSewageの管をつなぎ、廃水処理を行うのは結構面倒なんだぞ!!確かに6人分の宿泊施設とシャワー・冷蔵庫にグリルまでついている車の中に寝泊まりし、食事もその中でするのはとても楽しかったが。。。

Labor Day で夏も終わるので、うちもエアコンをはずしたりしないといけないのだが、2人の子供たちの夏休みの宿題(水彩画)の手伝いをしていたら時間がなくなってしまった。

セミが鳴いている。こちらのセミは日本と違って小柄で静かだ。”ジュー”と15秒程で鳴き止んでしまう。何でも特大サイズのアメリカの中で、控えめなのはセミぐらいだろうか?

2人の子供が通う地元の小学校(Hindley School)は明日から新学年・新学期だ。 あと3−4週間もすると、僕の最も好きな紅葉の季節だ。

今年は、コロンバスデイの3連休に、 Bennington (Vermont)とNorth Adams(Massachusetts) に2泊することを計画し、とりあえず、きょうモーテルの予約をした。しかし、仕事の関係もあり、どうなることやら。



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【97年8月29日(金)の日記】
ビールの作り方

最近、日本でも地ビールがブームだ。以下は1年半前の元旦の記録。

(瓶を手に入れるために2ヶ月程前から、大瓶のビールをたくさん買い込んで毎日飲み続けるところから始めたことを思い出した。)

  ビ−ルの作り方  (By Little shop of Hops)

【完成】5ガロン(約20リットル) = 中瓶(500ml)×40本

【材料】MORGAN´S LAGER(MALT&HOPS)
     1.7KG(3.75LBS)X2缶 (1缶$12.95)
    イ−スト
    CORN SUGAR   3/4カップ

1.1ガロンの水を沸騰させる(2ガロン以上入るステンレスかエナメルの鍋を使用)
  (注)ステンレスの鍋を使うときは0.7ガロンがMAX
2.2つの缶(モルト)を熱い湯で3−5分温める。
3.モルトを1ガロンの熱湯に注ぐ。その間ずっとかきまぜる。
4.30分間、ゆっくりとかきまぜながら穏やかに沸騰させる(麦汁−WORT)。
5.沸騰した麦汁を発酵槽(Primary Fermenter)に入れ、4ガロンの冷たい水を加える。
6.温度を計る。78度F(26度C)以下だったらイ−ストを表面にふりかける。
  発酵槽を閉める。Airlockを取り付けて蓋を閉める。Airlockに半分水を入れる。
7.7−10日で発酵する。比重計で発酵の度合いをチェックする。
  (判断の基準不明?)
8.サイフォンで Bottling Bucket に移す。
  (底から「おり」が入らぬよう、サイフォンの先を少し浮かせる。)
  3/4カップの Corn Sugarを加えて瓶につめる。(温かい湯で Corn Sugarを
  溶かしてから加えても良い。)
9.瓶に入れてから3−4週間で Aging は終了する。
  (1週間ごとに飲んでチェックすると良い。)

MORGAN´SのINSTRUCTION
   発酵  77度F(25度C)で3−4日
       68−95度F(20−35度C)の範囲ならOK
   Aging 68−95度F(20−35度C)で5日
       さらに7−10日

1996年1月の試行の記録

1996年1月 1日(月)第1回(5ガロン)
     1月21日(日)サイフォンから瓶へ移す
             やや発酵が長すぎたか?
             発泡が弱い

Little Shop of Hops
15 West 39th Street
New York, NY 10018


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【97年8月27日(水)】
子供と言語 / 考えること


子供を育てながらアメリカで生活していて改めて思うこと。

言語の重要さ

意志の伝達の手段としての言語
はもちろん
考える手段としての言語
も重要

英語と日本語

最近、子供が日本語で創作した物語(zou1.jpg)を読んで思ったこと。
軽妙・軽快。文法的には不正確で、言葉使いのおかしなところもあるが、楽しい。



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【97年8月26日(火)の日記】
"Crosstown" / Helen Levitt / I.C.P. Midtown, New York


ICP Midtown = International Center of Photography.

Pronto(42St. and Avenue of the Americas) で pizza を一切れとビールで夕食。
(決しておいしいピザ屋ではない。ICP に最も近く、手軽だという理由のみで3回ほど入っただけだ。)

店ではアフリカン・アメリカンの女性の2人連れと同席になった。
混んでいたせいもあり、僕があとで割り入ったような形になってしまった。仕方ないので、帰りがけに愛想よく
「Have a good night !!」
と声をかけたら、うれしそうな顔をしていた。

さて、ICP Midtown。火曜日は "pay as you wish" の日なのでタダで入れる。
しかし、そう言われても何か払わないと悪い気がして財布に2枚だけあった1ドル札を払ってしまった。

"Crosstown" / Helen Levitt
1940年代の New York の Street で遊ぶ子供達。新しい写真は90年代まである。
白黒写真は zeratine silver print、カラープリントは dye transfer print が多い。

建物の形や、片隅に写っている広告を見ると年代がわかるが、ともすると、現在の New York の下町と言われてもわからない。


Click here to go to ICP Home Page

Office への 帰り途で思った。
42nd St. の西側は、僕の好きな Chrysler Building を見る角度としては結構良い。
1930年完成。高さ319メートル。しかし1年後に Empire State Building に抜かれた。
良い時代のビルだ。アールヌーボーのデザインが美しい。

昼もステンレスの飾りが光かがやいてきれいだし、こうやって夜に見るのも良い。




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【97年8月17日(日)の日記】
日本の印象(一時帰国から帰って)


きのうの夜(正確にはきょうの早朝)、2年振りの一時帰国を終え、New York へ帰ってきた。

家に着く直前で、4-5時間前の Storm で倒れた大木に行く手を阻まれ、1マイル程、回り道をせざるを得なかった。

以下は日本へ一時帰国した際の印象等の記録。日本で思いつくたびにモバ(モバイルギア: 97年6月10日の日記 参照)で書いていたものをまとめた。
(注)僕のことを「ヒマ人」と思う人は ここ をクリックして読むこと。

機械式の100円駐車場がすごい勢いで増えた。
土地価格の低下の影響を受け、「様子見」の地主が増えた影響だろう。また、一般道にも、時間限定のパーキングメーターが設置され、「一切駐停車禁止」の方針に変化が起きつつあることを感じた。都内での違法駐車が常態と化していたことを考えれば当然と言える。

日本は建物が新しく、きれい。
一方、レストランや喫茶店の店員のサービスは良いが表情がない。
(「マニュアル通り」の冷たさを感じた。)

デジタルカメラの急速な普及にびっくり。
(Wさんなどは僕がNYに着いてからすでに2度も日本の写真を送ってきてくれている。)
各社とも、販売面で相当力を入れているし、すでに使い始めている人、購入を検討している人にも多く会った。
(僕は、何度も書いているように、当分買わないつもり。その理由は、銀塩写真の画質にはまだ遠いから。しかし画質が逆転するのもそう遠い将来ではなかろう。そうしたら買うつもりだ。もしかすると、僕は最近製品化されたMPEGビデオを先に買うかもしれない。そして将来、MPEGビデオの画質が良くなったら、もう、スチールカメラのモータードライブは不要になる。)

国際的な商品の価格が従来に比べて安くなっている。
・パソコン
・電器製品
・IOMEGA ZIP \14800-\15800.。これはアメリカ並みに安い。
(僕は1.6メガのHDを増設し、2メガのテープドライブを買ったので不要だが。)
・輸入家具(Ethan Allen 等)

フィルムスキャナの普及にもびっくり。僕もほしいが、まだ値段は急速に下がるはず。もう少し待とう。

テレクラ、否、プリクラは楽しい。3回もやってしまった。
従来からある、「シールプリント」と同じと言ってしまえばそれまでだが、
(1)ポーズをとりながらワイワイと写真が撮れる。
   (また、「スピード写真」と違って、箱に入らず、「屋台のラーメン屋のようなのれんをくぐって写真を撮る」のが楽しい。)
(2)その場で即座にシールができる。
の2点が根本的に異なる。

都市型CATVが各地で普及し始めている。
⇒日本でのCATVは難視聴地域対策として発展して来た(奈良県の生駒山の例が有名だったと記憶している。)が、最近は都市型のCATVが急速に伸びて来ている。文京区では早くから実験がスタートし、知人の中には、文京区のCATVを視聴したいがために文京区に第2の自宅を構える、といった物好きな(?)人(すみません、Nさんのことです。今回はお会いできず残念でしたが。)もいたが、最近は、通信の自由化に伴ってインターネット接続・電話へ拡大しようとしている。
 ただし我が地元(豊島区)での導入(豊島CATV)は98年10月からの見込みだ。

山の手線のポスター。「痴漢は犯罪です」
⇒当たり前だ。しかしそんなに痴漢が多いのだろうか?

住宅街を歩く。車が思わぬ方向からスピードを落とさず、すれすれに迫って来る。
⇒車が怖いぞ!!歩行者を人とも思っていない。
 一般的に、アメリカに比べると(マンハッタンは全く別。これは例外。)、車のマナーは日本は相当悪い。これを最初に感じたのは79年に初めてカリフォルニアに行ったときだ。一言で言えば、「車社会が成熟していない」ということなのかもしれないが、車が一般家庭に普及してもう20年位経っているというのに、日本は情けない限りだ。

子供たちは、電車やバスに乗るのが楽しかったようだ。
⇒日本の公共交通機関は本当にきれいで便利だ。
 価格の高いこと、乗り換えの際に人が多すぎて歩きずらいことを別にすれば、本当に快適だ。
 (今回は、ラッシュ時に乗車することはほとんどなかったため、非人間的なラッシュを身を持って思い出すことはなかった。しかし、良く言われることだが、日本人は雑踏でぶつかっても何も言わない。かなり違和感を感じる。)

東京都写真美術館
 ・インターネットのホームページができたようだ。
  (ただし後述の検索システムは使えない。)
 ・アドレスは http://www.tokyo-photo-museum.or.jp だ。
 ・行く際に気づいたこと。埼京線が恵比寿まで行っているぞ!!
 ・平成9年常設展
 ・第2回東京国際写真ビエンナーレ
 ・収蔵写真の検索システムが良くできている。
  前回、日本に帰ったときに初めて操作して感動したものだ。
   アンセルアダムス
   シーラメッツナー
   ジョエルマエロウィッツ
   −−マエロウィッツの作品でケープコッドを入れていないのはおかしい
   スタイケンのグレタガルボがない!!
   エリオットポーターもある。15点。
 ・画像の美しさに問題があるが、検索システムとしては優れている。
 ・アメリカの図書館の検索システムを彷彿とさせる。
 ・写真文化1942年7月号
 ・親しめ写真・慎め乱写⇒年にフィルム60本を消費する僕としては、耳が痛い。
 ・Morning Mouth 1953年ライフ誌チューイングガムの広告
 ・朝鮮戦争三木淳「釜山の大火」
 ・写真展を見ていて、女性の写真に対する興味が日本で急速に高まっていることを感じた。
  (1)展示されている作品に女性のカメラマンの作品が多い。
  (2)写真展を見に来ている人に女性が多い。
 ・帰りにミュージアムショップで買い物
  ポートフォリオ 名取洋之介 "America"
  文庫本 「アメリカの現代写真」ちくま文庫
  ISBN4−480−02665−7

記録1:日本で買ったもの
 ・KONICA HEXAR Camera 6.2万円
 (まだ買うつもりはなかったし、あえて日本で買う必要もなかったのだが、いったん製造中止になったあと、Silver タイプになって再発売されるにあたり、外部フラッシュのGNセット機構など、従来の機種ではカスタムファンクションだった機能が本体組み込みになったということなどを聞いて、思わず買ってしまった。しかししっかりと3千円程値切るのを忘れはしなかった。加えて、これは税込みの値段かつ、さくらやの5%のポイントの対象になるため、実質的には、税込み価格6万円以下で買ったことになる。満足。)
  カメラ・レンズ リスト(機種別コメント付)へ
 ・モバイルギア用 20MBフラッシュメモリー    3万円
 ・モバイルギア用 ケース    1500円
 ・モバイルギア用 巻き取り式モジュラーケーブル 1300円
 ・CD
   Enigma2 The Cross of Changes
   Kelly Blue / Wynton Kelly
   Mingus / Charles Mingus
   Death and the Flower / Keith Jarrett
 (以上は日本のCDでないのでわざわざ日本で買うのは全く無意味だが、思いついた時に買っておかないと、機会を逸する。)
 ・マイクロソフト Office97 アカデミックパック 約2万円
  僕の非力なPCでうまく走るかどうかは未知数だが買ってみた。10年前(LOTUS123が単体で9万8千円!!)に比べるとソフトウエアも安くなったものだ。
  ところで、何で僕がアカデミックパックを買えたのかは秘密だ。

記録2:日本で食べたもの
 ・横浜中華街の同発の中華料理
  ⇒H氏が3回も、「店を変えるべきだ」と言っていたが、やはり、今一つだった
 (しかし、今回は我々家族は招待された側だったので、ぜいたくは言えない。)
 ・田園調布の「船八」の寿司
  ⇒これは良かった。 (お世話になりました。幹事のAさん。)
     ・池袋西口の名もない店ネギミソラーメン
  ⇒大盛りを頼んだくせに量が少ない。950円。怒!!。僕の胃を馬鹿にするな!!
 ・自宅の近くのそば屋「いちふじ」のざるそば
  ⇒天丼セットについてきた。おいしい。950円。
・池袋西武地下の Le Notre のサンドイッチ。
  ⇒西武線の中で椅子に座って食べ、周囲の反応を冷静に観察したが、車内が空(す)いていたせいか、白い眼で見られることはなかった。単に無視されていただけとも言えるが。味はマアマア。
 ・池袋東武内・四川飯店の担々麺・肉糸糸炒麺
  ⇒担々麺はしっかり辛くておいしい。
 ・恵比寿ビアガーデンのランチステーキ
  ¥1000で250グラム。
  許せる。味はマアマア。輸入牛=米国牛だろう。

最後に妻の日本の感想
・若者の顔が暗い。
・1万円札がすぐになくなってしまう。

おしまい。




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【97年7月20日(日)の日記】
Lost World / Weed Beach / BBQ


Jurassic Park Lost World - Bridgeport Showcase Cinema $4.50

Weed Beach へ行く。涼しい。約2時間ぼうっとする。

夕方は庭でBBQ
チキンとジャガイモ、コーン、ししとう、エビ
白い安いワイン$10

みんなで庭で蛍狩り
おー酔っ払った。
記念写真。カメラは FTb を使う
Canon FTb 。懐かしい。高校2年のときに買ったカメラ。立派に現役だ。
今このクラスのカメラを作っても、ほぼ同じ仕様になるのではないか。



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【97年7月17日(木)の日記】
New York の Photo Lab

New York 地区の写真プロセスについて。

きょうは、この間行ったCape Cod の Martha's Vineyard の写真から5枚ピックして、プロラボで焼いてみた。
今度(日本から戻る8月下旬頃)、"From My Photo Albums" にアップする予定。乞うご期待。
(注)7月25日、予定より早く写真のデジタル化ができたので、さっそくアップした。
(最近はDale Labを使って品質に満足している。24枚約$10。)

【ここをクリックし、Martha's Vineyard を見てください。】



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【97年7月5日(土)の日記】
Martha's Vineyard / Alison Shaw


Independence Day の休暇を利用して、Martha's Vineyard に来ている。

Martha's Vinetyard
Cape Cod
Woods Hole から フェリーの40分程で到着。
夏の盛りで車をフェリーに乗せる予約が取れなかったので、車を駐車場に置き、荷物を持って徒歩で乗船。
白い家
ピンクのバラ
緑色の芝生
港を見下ろす小高い丘
独立記念日のパレード・花火大会
宿泊はEdgar Town の Kelley House

Alison Shaw
Martha's Vineyard に住む女性の写真家
1冊目の白黒の写真集は、お世辞にもまともとは言えない。しかしその10年後に出したこの写真集は秀逸だ。
カードと写真集を買ってきた。
Vineyard Summer / ISBN
"Gay Head"



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【97年7月4日(金)の日記】
僕の日課(平日)


(「そんなことは知りたくもないよ。」という人も多いかも知れぬが、友人の何人は、「こんな暮らしをしているのか。まあ元気そうだな。」とぐらいに思いながら眺めてくれるだろう。)

6:00
起床。シャワーを浴びる。E-Mail(Private)をモバイルギアでチェック。New York Times をWWWでチェック(重要な記事はフロッピーに保存し、会社へ)。

6:35
家発。車(ホンダシビック92年式4ドアセダン)で駅へ向かう。約3分。

6:45
Noroton Heights 駅からお気に入りの列車に乗る。Danbury(支線の駅)始発の、ジーゼル機関車に押された客車だ。渋いシルバーの車体にオレンジの帯が入っている。
(ときどきこの帯がブルーのヤツが来ることもある。)。いずれにせよ、Metro-North New Haven Line で一般的に使われているのとは別の車体だ。僕はこの車体が気に入っていて、もうかれこれ5年間、無理をして毎朝早起きをしてこの列車に乗っている。この列車はカンカンと鐘を鳴らしながら駅に入って来る。ドアが連結部横にしかないため、車内に入ると見通しが良い。
この列車については僕は相当の思い入れがある。また日を改めて書きたい。

列車の中ではNew York Timesを30分位い読む。残りの25分は眠ってしまうことが多い。

7:40
Manhattan の Grand Central Terminal 駅に到着。駅の壮大なホールにある郵便ポストに郵便物を入れ、高い天井に描かれた美しい星座に毎日ため息を付きながら会社に向かう。
(なぜ毎日郵便物が出るのかというと、各種支払いを郵送(小切手)で行うためだ。)

7:45
Office 着 (101 Park Avenue の 5F) まだほとんど人は来ていない。早い人が数人来はじめる頃だ。

仕事の8割以上はOffice内(そのうち2−3割程度がMeeting) 残りは Manhattan内の各種セミナーもしくは出張(米国内他都市。シカゴ・ボストン・テキサス等)

18:00(早ければ)-24:00
Office 発 (終電は夜中の1時半発。ただしこれには1度しか乗ったことはない。)

19:00-25:00
家着 食事・手紙・E-Mailのチェック等

23:30-25:30(平均24:00)
就寝



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【97年7月2日(水)の日記】
Bvlgari のスカーフ


$ 275 もする。
確かにカラフルで楽しい。かわいらしいデザインが多い。生地も良い。
しかし $ 275だ!!。

こんなものを欲しがる人がいるのだろうか?

身近にも約1人いたのだが、しばらくちょっとおとなしくしていてもらうために、きょう $ 275 投資した。
これでちょっとおとなしくなるだろうか?



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【97年7月1日(火)の日記】
NYのParking/朝のCafe/本村庵 SOHO/Larry Carlton at Blue Note


きょうは車で会社に行き、帰りにBlue Note に寄った。

1.Parking
7時20分にマンハッタンのいつものParkingに到着。
FDRを国連近くの49stでおり、1st Ave を越えてすぐ右手のParkingだ。
Early Bird Specialで、1日停めておいてもTax込みで$12。
New Yorkは駐車場も値段はまちまちだ。そして価格そのものだけでなく、価格体系も違う。
一般的な単純な横並び比較ができない。これが自由競争の国というものだ。
ある条件(入庫・出庫する時間)ではこちらの駐車場の方が安いかと思うと、別の条件では逆になる。

2.朝のCafe
車を運転していたために新聞が読めなかった。
そこで、駐車場から会社まで歩く途中でCafeに入る。
ここは2回目だ。イタリア系の経営の様で、マスターは舌をジャンプさせながら英語をしゃべる。
朝の通勤途上の人々が次々に出入りしている。
卵2個(僕はsunny-side upにした)とトーストとコーヒーで税(8.25%)込みで$3.25。
新聞を読みながらの朝食。 値段はやや高めではあるが、サービスが迅速なので気に入っている。

アメリカで成功した会社を見ていると、
・経営者が前面に出ている
・経営方針も明確
・部下に対する指示も具体的・明確
・社員が生き生きしている
といった共通の事実に気付く。

日本における今後の経営のありかたを考えさせられる。
このカフェでも、マスターが客の様子を見ながら、時々ウエイターに指示を出している。

3.Honmura-an/SOHO
夕方、Blue Note へ行く前に、SOHO の本村庵(Honmura-an)に行って食事をした。
2人で約80ドル。鴨せいろがうまかった。

4.Larry Carlton at Blue Note
彼は来年3月に50才になるそうだ。
パワフル・生き生き。
首を前後に振りながら、ギターを操る。
指が魔術使のように動く。
たまたまNHKの収録を行っていた。
「New York のナイトクラブ」とかいう番組で放送されるそうだ。



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【97年6月29日(日)の日記】
我が家の紹介(2:家の構造編)

場所は Noroton Heights の 駅から歩くと南へ約15−20分程度。
ここをクリックして我が家の住所をインプットすれば地図が現れるはずだ。)

築35年程度
木造2階建てのコロニアルタイプだ。

ただし半階ずつずれて実際は地面からの高さで分けると4つの階がある。 このため、実際よりは、何となく広く感じる。

ベッドルームは3つ。その外にキッチン、ファミリールーム、DEN(書斎)、リビングルーム。
日本の基準から考えると、まあ、かなり広い。
高級感はなく、作りも大雑把だが、住み慣れてしまうと全く気にならない。
だいたい、ドアや建具に5ミリ程度の隙間があったり、若干歪んでいたり、ペイントにむらがあったって何の問題があるというのだろう。
(こんなことを言いながら、だんだん自分の性格も大雑把になってゆくのを感じる。)

車庫の上がMaster Bed Room だ。床下が部屋になっていないので、冬はやや他の部屋より冷えやすいようだ。しかし、全室、オイル(重油)を燃料にした暖房(お湯が循環している)なので、どんなに外が寒くても、家の中は快適だ。
(ただしこれは停電しさえしなければ、の話。停電すると、油を循環させるポンプが止まってしまうため、暖房も効かなくなる。こうなると手に負えない。)

1年で最も暑くなるのは、6月下旬から7月中旬、すなわちちょうど今くらいだ。一般的に、「独立記念日(7月4日)が暑さのピーク」と言われている。

残暑は東京ほどきつくない。夏は、最上階や屋根裏は相当な暑さになる。家の構造にもよるが、「冷房がないと耐えられない。」という暑さは1年間に2週間くらいだろうか。

冷房は我が家は2階に2台、エアコンがついている。つまり一部の部屋のみである。
機械は例によってGEの10年以上は確実に経っているとおぼしきものである。新品を買っても300ドルも出せばおつりが来る。しかし、日本のような繊細な製品ではない。だいたい、室外機という発想がアメリカの家庭用のエアコンにはない。窓を上に持ち上げ、そこにどっこいしょと金属のケースをのせ、また窓を下に降ろしてそのケースを上下にはさみ、そのケースに室内側から機械本体を入れてビスで止めるだけだ。機械の重さは窓枠が下から支えている。金属のケースは窓に2本程度のビスで固定する。窓の横幅はまちまちだから、プラスチックのジャバラを適当に伸ばしてビス止めする。単純なものだ。

しかし、もちろん、隙間だらけなので、夏の用が済んだらはずして冬に備えないと、寒くてたまらない。

それでも、機械さえ新しければ、良く冷える。うるさいのは難点だが、部屋が広いのと、さほど頻繁に使わないのとで問題無い。

きょう、我が家も1台エアコンをつけた。
ああ重かった。

きょうも隣の家からブルコキ(韓国焼き肉)をたくさんもらった。これでこの2ヶ月で4回目だ。 「Aが焼き肉が好き。」という話を一度したら、何度もくれる。

(隣の奥さんは珍しく、アメリカンと結婚した韓国系の人で、Aが2年前まで行っていた幼稚園(Nursery )の先生だ。娘は高校生でバスケットの選手。兄貴は Westpoint(陸軍仕官学校)を卒業し、Pentagon に勤務することになった、超エリートだ。)



【970211】我が家の紹介(1:暖房・電気編)へ
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【97年6月28日(土)の日記】
AOLがやってきた!

「AOL(America Online)がやってきた!」(日本経済新聞社¥1500)を本屋で立ち読みするときには、
P.176−177を開いて見てください。

僕がずうずうしく載っています。

ただそれだけのことですが。

そしてもう一つお願い。

本を買ったら、付属のCD−ROMでAOLに加入してみてください。そして気に入ったら使い続けてください。 僕の友人(マーケテイング部ゼネラルマネージャー:P.18−19参照)が喜びます。



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【97年6月15日(日)の日記】
Oklahoma Bombing Jury / Outletで買い物 / Sales Tax

1.Oklahoma City Bombing 事件の公判

168人が死亡した爆弾事件は記憶に新しい。廃墟のように崩れ落ちたビルが何度もテレビ に写された。

容疑者 James Osgood

judicial system 司法制度
juror 陪審員
judge 判事
prosecutor 検事
defending attorney (被告側の)弁護人
trial 公判
verdict 評決

2.Outletで買い物

最近できたという Outlet へ行ってみた。
I95を東に車で1時間強、70マイル位の距離だ。

(1)Westbrook Factory Stores Exit65
London Fog / Timberland / JCREW 等

(2)Clinton Junction Outlet Exit63
 Gap / Coach / Barney's New York 等

(3)今日の買い物
【僕】
靴(茶色の普段履きの革靴)
旅行用小型シェーバー(Remington製、単三2本使用)
名刺入れ(アタッシェケース型の皮製の小さなホルダー)

【J】

洋服(Tシャツ2枚)
大型ダッフルバッグ(Aのキャンプ用)

散財の多かった僕の負け。いつもはしっかりと勝っているのだが。。。

New York の Woodbery Common よりも買いやすいという印象。
New Jersey にも Secaucas という大きな outlet があって、マンハッタンからの人々を引きつけている。

郊外の Outlet の魅力は、
●そもそも商品が安いこと
●Sales Tax rate がマンハッタン(8.25%)に比べて低いこと
●店が豊富に集まっていて買いやすいこと
の3点だ。

アメリカは景気が良いせいか、各所に Outlet が次々にでき、消費者を集めている。
景気の良さは株が続伸を続けていることにも起因しているのだろう。 New York の株式は、連日高値を更新している。既にバブルの域に入っているともいわれている。
そろそろ僕も少し売っておいた方が良いかもしれない。

3.そこで、アメリカで Sales Tax のない州といえば、

Delaware、New Hampshire、Alaska、Montana、Oregon の5州だ。
Texas の ように、Income Tax のない州もある。州ごとに税制までまるで異なる。複雑な国だ。



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【97年6月10日(火)の日記】
モバイルギア(モバ)の使用感 / Ernst & Young のパートナー

今、 Fort Worth から New York へ向かう飛行機の中でモバを使っている。

一般的に、アメリカの飛行機では(日本や国際線の状況は良く知らない)駐機時と離着陸時以外はPC等は使用可能なので、あまり制約を感じない。

今回の2泊3日の Texas 出張に、先日日本から取り寄せたばかりのモバを持って来た。

今までは東芝のRUPO90B(プリンタのない、ノート型。重さ2.5KG)とアイワのポケットモデム(2400BPS)を出張に持って来ていたが、今回から大きな進歩だ。

荷物が軽くなった上、ホテルでの接続が簡単になった。内蔵モデムも14.4Kだ。
アメリカでは、今までモジュラージャックのないホテルには遭遇したことはない(もちろん、専用のジャックがないホテルも多いが、その場合でも、電話をコードを抜いてしまえば良い)。時々、ジャックの形が同じでもデジタル回線になっていてつながらないケースもあるそうだが、僕はアメリカでのホテルではその経験はない。

(日本では、池袋のメトロポリタンホテルがこのケースにあたり、客室からの接続ができなかった記憶がある。)
⇒ 訂正:97年8月に試したら大丈夫だった。(970826記録)

さて、以下はモバの使用感だ。

●小さく軽い。鞄に入れて持ち歩いても、全く負担にならない。
(もちろん、ポケットに入る大きさではないが。)
●キーボードの感触が良く、「使える」。
●E-Mail チェック機能がとても良い。タイマーメールを使うと指定の時間に E-Mail の受信・発信を自動で行ってくれる。
●蓋を開いてすぐに使える。アプリケーションの切り替えも瞬時。

今回の出張で使ったモバの機能は次のとおり(すべて内蔵充電池使用)
●機内・出張先でのワープロ使用
●ホテルからE-Mailの送信・受信(Compuserve から NIFTY-Serve へ自動接続)
●ホテルからPC通信(日本の本社で仕事に使っている "PEOPLE" に接続して日本からの E-Mailをチェック)
●内蔵の表計算機能で簡単な表を作成(CSV形式で保存しておいたので、帰社後、エクセルで読み込んで加工する予定)
●ホテルから文書を直接FAX(プリンタ代わりに使用)

なお、僕の NIFTY-Serve は Private のアカウントだが、出張中はアメリカの社内 E-Mail(Group Wiseを使用)で受信したE-Mail を NIFTY へ自動転送することにより、仕事の連絡用にも使っている。

今まではMSNを Private に使っていたが、最近、モバイルギアがサポートしている NIFTY-Serve に変更し、友人たちに案内した。
(Windows95 のインターネット接続に時々トラブルが生ずるのも NIFTY をメインにした理由の一つだった。)

今回の出張に際し、モバの中に通信用のマクロを組んでおいたので、近くの Compuserveのアクセスポイントに接続してから NIFTY に入り、E-Mail を読んで電源を切るまで、すべて自動でやってくれる。

モバはインターネットメールもサポートしているので、今年中には、MSNの E-Mailも、どこからでも読めるようになるだろう。しかし、アメリカは Compuserve のアクセスポイントが非常に充実しているので、僕はもうMSNは使わないかもしれない。
(もちろん、Windows97(その後、発売の延期でWindows98になった) の動向が気になるため、MSNのアカウントは当面解約しないつもりだが。)

モバは E-Mail 機能だけでなく、ワープロ(と言っても、装飾機能が全くないため、むしろエディタと言ったほうが良い)も使いやすい。フロッピーでなく、フラッシュメモリなので読み込みや保存がとても早い。報告メモの下書きには十分だ。会社に帰ってワードでメリハリをつければ良い。

また、各種アプリケーション同士で Windows のようにコピーができるのが便利だ。「コントロールキー+C」でコピー、「コントロールキー+V」でペーストというのも Windows と同じ操作だ。

今、左前の女性は東芝のラップトップを使っている。たぶん、僕のほうがタイピングは早いだろう。それに、小さな飛行機のテーブルの上で使うときには、キーボードの奥行きの浅いモバの方が、前の座席の背もたれが邪魔にならず、キーが打ちやすい。モバはバックライトがないのが難点ではあるが、電源なしに連続30時間使用可能ということを考えれば、全く不満ではない。また、機内では、天井のスポットライトをつければ、画面はとても見やすい。

これだけの機能がそろって定価8万2千円というのだから、日本の技術はたいしたものだ。ザウルス8000との比較で迷ったが、モバにして正解だった。(僕はNECから金をもらっている訳ではない!!)

最後に一言。なぜ僕が一時的ではあるが、こんなにモバイルコンピューティングに入り込んだかというと、単純に「楽に仕事をしたいから。」である。根が横着にできているだけだ。無駄な仕事はしたくない。同じ仕事なら短時間に仕上げたい。空いた時間は自由に使いたい(空いた時間は普通は自分の時間に使うが、たまには他の仕事に使うこともある。)

それに、世界のどこでも(もちろん自宅からでも)自分の仕事の情報(Voice-Mail(留守番電話)と E-Mail の両方)にアクセスできるということは、「気楽に休暇をとれる」ということでもある、今までは、万が一の場合を気にして休暇が取れないということは、往々にしてあったが、これからは、いざとなれば、どこからでも指示ができる。そう考えれば気が楽になる。これからは毎日が休日だ!!。おっと乗り過ぎた。

もちろん、OFFタイムに仕事のことを考えなければならないという訳ではない。

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さて、仕事のやり方という意味では、最近一緒に仕事をした Ernst & Young のパートナー(B.M.氏)にも啓発された。彼は国際的な保険業務、会計業務に携わっており、情報に関して非常にいいセンスをしている。ドイツ語にも堪能で(アメリカ人でのインテリでは当たり前だが、彼の場合はドイツに3年程、駐在経験もある)、文字通り世界を飛び回っている。この間ロシアに行ったと思ったら次はタイペイ、日本。帰ってきたと思ったらまたロシアだという。その間中、自分の Voice Mail と E-Mail をチェックし、時差を利用して仕事をしまくっている。ロシアの昼間もアメリカの昼間も働いているのだ から、いったい、いつ寝ているのだろうか?

(余談だが、冷戦の崩壊以降、アメリカはロシアに対し、自国の様々なものの「輸出」に躍起となっている。マクドナルドなどというきわめてわかりやすい例もあるが、アメリカは会計基準もUS-GAAPでロシアを洗脳しようとしている。IAS(国際会計基準)の検討でアメリカが中心になっているのだから当然とも言えるが、会計基準が米国式になるとすれば、ロシアはアメリカの大手会計事務所にとってきわめて有望な市場になるのは目に見えている。保険にしても同じことが言える。保険技術で先進的なアメリカの保険業界にとって、ロシアは有望なマーケットだ。それが彼のような優秀かつバイタリテ ィあふれる人材をロシアにたびたび送り込んでいる Ernst & Young の戦略だと、僕は見ている。)

彼の年は僕と同じくらいだろうか。マンハッタンのダウンタウンの、結構空き家もあるアパートに一人で住んでいるというので、独身か離婚したのか(あるいはホモか。失礼!)と思っていたら、奥さんはテキサスにいるという。

CPA にもいろいろなレベルの人がおり、失望させられることもしばしばあるが、パートナーともなるとそれだけのことはある。特に彼はさすがだ。きっと給料も25万ドル位はもらっているのだろう。

優秀な人との付き合いはとても大事だ。いろいろな面で勉強させられる。何においても、「こうなりたい」という気持ちをいつまでも持ち続けたい。あきらめたくない。

モバのことを書いていたら、彼を思い出した。彼のようになりたいものだ。
彼だったら機内でホームページの原稿書きなどという、何の足しにもならないことはせず、きっとやみくもに仕事をしているに違いない。

やっぱり僕は彼のようにはなれないのだろうか?



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【97年6月2日(月)の日記】
E-Mail 読めません!!(皆様へのお知らせ)


【7月12日(土)付記】
完全には修復していないが、何とかMAILは読めるようになりました。
しかし、僕のPrivate の E-Mail アドレスは、今後とも、
MHB*****@niftyserve.or.jp とさせていただきます。
なお、Windows95の再インストールは、面倒なので、当面行わないこととしました。
Windows97(98?)が98年初めに出たら、そちらに乗り換えるかもしれませんので。

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【6月2日(月)】 6月2日(月)夜、僕の Windows95 にシステム上の障害が生じ、現在、インターネット接続が不能になっています。
このため、僕の E-Mail (712221173@msn.com)は、しばらく使用不能です。

今後僕のPrivateの E-Mail Addressは、原則として

予備の address (********@niftyserve.or.jp )


とさせていただきます。(6月8日修正。)

復旧には、Windows95 の 再インストールを要すると思われるため、1週間以上かかる見通しです。
(当然、各種ソフトウェアの再インストールも必要と思われます。面倒!。したがって、しばらく手がつかないかもしれません。)

復旧次第、また 本ホームページでご案内致します。

さて、インターネット接続ができないのに、何故このページをアップできたかですが、America Online の回線から Compuserve のホームページサーバーへの接続が可能だからです。

予備のシステムを持つことの重要性を再度、感じました。

【覚え書き=再インストールの必要なソフトウエアの洗い出し】
WIN95→VersionUp

(通信系)
IE/NSCP/ATT Worldnet/AOL/CSERVE/MSN/CSERVE HP-Wizzard CITIBANK/Winterm/People/WinNim/Pointcast

(Graphic系)
Adobe Photoshop/Paperport

(その他)
Ditto2MB/MS-WORD/Champ2/LHA/MGStation

(CD-ROM)
USAtlas/WorldAtlas
Superletter
Street Finder
Encycropedia



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【97年5月24日(土)の日記】
Have you seen me ?


小さな横長の葉書に6歳の女の子の笑顔が印刷されている。

Name: Morgan XXXX
DOB: 9/12/88
Age: 8
Ht.: 4'00" (at age 6)
Wt.: 55lbs. (at age 6)
Hair: Blonde
Eyes: Blue
Sex: F
Date Missing: 6/9/95
From : Alma, AR

行方不明の子供の捜索葉書だ。ダイレクトメールに混ざり、毎週のように郵便で送られてくる。

スーパーマーケットの中で目を離したすきに連れ去られることもあるそうだ。

1985年以来、ADVO と National Center for Missing (行方不明人協会とでもいうのだろうか)により、83人の子どもの発見に成功したという。
不明になった7人のうち1人だそうだ。残りの6人は未だに不明ということだ。


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【97年5月16日(金)の日記】
モバイルギア(NEC Mobile-Gear)を買った!!


もちろんインターネット対応版のMC−MK12だ。

使用後の感想はこちら

アメリカでは売っていないので、日本から輸入した。 (日本から来る人に買って来てもらってきょう到着。)

ザウルス8000との比較をしたが、インプットのスピードの早さが最終的な決め手となった。
ザウルスの手書きOCRの精度がいくら良くなったと言っても、キーボードにはかなうまい。
モバはフルキーボードだ。
(実は、白状すると、アメリカにいる関係で、ザウルスにさわったことがない。しかし、いろいろな人の意見を聞くと、ザウルスの最大の欠点はインプットの速度だという。)

また、メモリーカードによる拡張性も大きなメリットだ。
(この夏に20MB位のATAカードを買おうと思っている。)

それに昨年の秋にモバは2代目になり、初期不良も相当克服された模様で、こなれて来ている。
また、インターネットメールも直接読めるようになった。
WWWテキストブラウザもNECから正式に提供されたので画像なしならWEBへもアクセスできる。
DOS化も可能。これで"FD"(DOS版のファイル管理ソフト)も使える(はずだ)!!

今までは、携帯用には東芝のRupo90B(96年11月19日の日記参照)を使っていた。

電源のないところでも使えるのは非常に便利だったが、重い。キーボードがうるさい。インターネットメールが読めない。

そんな訳で次の携帯用マシンを去年から物色していた。

最初はWINDOWS−CEマシンの日本語版を狙っていたが、カシオがダラダラとしてなかなか仕様を発表しないのでやめた。
小型のラップトップ(東芝のLibretto50や富士通FMV-BIBLO等、最近の機械)も検討はしたが、ラップトップの弱点は電源だ。せいぜい4−5時間しか持たない。それに引き換え、モバは単三乾電池2本で30時間駆動だ。そして軽い。ふたを開いてすぐに使える。
小型軽量 Mail読み用「持ち歩きマシン」としては最高だ。

欲を言えば、モバに日本語WINDOWS-CEが搭載されてほしい。
(そのうちこういった機種も出るだろうが。)


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【97年5月5日(月)の日記】


言語の重要さ 考える手段 意志の伝達の手段 英語と日本語 軽妙 軽快 文法 わかりにくさ 言葉使いのおかしなところもあるが楽しい。


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【97年5月3日(土)の日記】
Who is Duke Ellington ? / Lincoln Center


Lincoln Center の Alice Tully Hall で開かれる子どものためのJazz Concert。
"Jazz for Young People" のうちの一つだ。
April 29th が Duke の誕生日なので、きょうがその最初の土曜日ということで、きょうは Duke がテーマだった。

雨模様だったが、チケットを半年前に買ってあったので、予定通り家族4人ででかけた。
Opera や Musical と違い、アフリカン・アメリカンの姿を結構目にする。子どもを連れ、ブレスレット程もある大きなイヤリングをし、黒い皮のジャンパーを来て着飾っている。

司会は Wynton Marsalis。彼は Lincoln Center の 一角のコンドミニアムに住んでいるそうだ。
Duke の 生い立ちをスライドで Wynton Marsalis が紹介しながら、12人程のバンドが短い曲を少しずつ演奏する。

Wynton も 少しは演奏する。Village Vangard で夜中の1時に聴く彼のトランペットとは全く違う演奏だ。1時間ちょっとの、短いコンサートだった。


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【97年5月1日(木)の日記】
Deep Blue vs Garry Kasparov(IBMコンピュータ対チェス名人)


【挑戦者(Deep Blue)】
8才。6feet 5inces。2800ポンド。
Manhattanのオフィスビルに鎮座している。

【チャンピオン(Garry Kasparov)】
34才。5feet 10inches。174ポンド。
Plaza Hotel の Suite で対戦に備えている

マンハッタンの Equitable Center の35階で、今週末の土曜日(5月3日)から9日間6回戦が始まる。
この2月には、4対2でチャンピオンが防衛を果たした。その後、Deep Blue は数々の改良を重ねたという。

Garry は、1985年以来のチェスの世界チャンピオンだ。
果たしてIBMのコンピュータ、"Deep Blue" に再び勝つことができるか?

両者の声を新聞から拾ってみた。

チャンピオン:「機械はどんどん早くなって来ている。それに冷静さを失わない。この勝負は自分にとっては、人間性の威厳の維持だとは見ていない。むしろもっとパーソナルなもの、言い換えれば、自分のタイトル、すなわち、自分がこの地球で機械も含めて最も優れているということ、を守るためのものと考えている。」

挑戦者:「..........」 (冷静に沈黙を保っている。(当たり前だ。コンピュータがしゃべる訳はない!))

コンピュータは「考える」と言えるのだろうか。
もちろん、ものすごい早さで計算しているだけだ。
「考える」とは何か? 一方、「感じる」とは何か?
機械が究極まで進んだとき、人間にどこまで近くなり、また超えるのか?

早速IBMが今朝の New York Times に広告を出しているのがおもしろい。
「我々の技術者は、Deep Blue を作り、研究することにより、数百万もの変数を含む極めて複雑な問題を解く事を学んでいる。この技術を使って、IBMは既に実際の多くの application、たとえば先進気象予報、航空機予約システム、virtual reality、医療研究等のソフトウエアに改良を加えている。 checkmate (王手)であろうと stalemate (行き詰まり)であろうと、一歩先に進むのだ。」


【この勝負の対戦の状況はこちらをクリック】

【以下、5月15日付記】試合の結果は次のとおりだった。

1勝1敗3引分けで迎えた最終戦で、カスパロフ氏はわずか19手で敗れた。
コンピュータの2勝1敗3引分け(カスパロフ氏1勝2敗3引分け)。

最終戦で、カスパロフ氏が頭を抱えていたのが印象的だった。やっぱり人間だ。



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【97年4月21日(月)の日記】
Smithsonian National Air and Space Museum にて
(広島・WashingtonDC or 日本・アメリカ )

1945年8月6日に、一瞬にして広島を廃虚にした飛行機、Enola Gay 号。
一部解体されたその機体が目の前に展示されている。

Washington DC の Smithsonian National Air and Space Museum。

4トンのかたまり。直径0.7メートル・長さ3.2メートルの金属の塊が機体の下に装着されている。
たったこれっぽっちの爆弾で十分だった。

娘 「この飛行機がたくさん日本人を殺したの?」
僕 「そう。でも日本人もアメリカ人を殺した。」
娘 「どっちが悪いの?」
僕 「喧嘩をするのは両方悪かったんだ。」

アメリカの小学校のSocial Studyでも、広島のことを教える。
トルーマン大統領の当時のコメントを引用しながら、「アメリカにとっても苦しい選択だった。しかしこれで多くのアメリカの兵士が救われた。」と(注)。
日本人にとっては極めて複雑な心境だ。

そして52年後の Washington DC。穏やかな春の一日。抜けるような青空。
平和は貴重だ。

(注)アメリカの原爆の教え方だが、事実を伝えるだけでなく、それをどう捉えたらいいのか、少なくとも生徒に考えさせるという教育をする。このことを補足しておく必要がある。これは日本の歴史の教え方とずいぶん異なる気がする。歴史に疎い僕が言うのも何だけど^^(後日追加)。



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【97年4月17日(木)の日記】
MSNのE−MAILがダウン


きのうから何故かMSNのメールサーバーにつながらず、自分宛のメールが読めない。
とんでもない!!
Capacity 増強のために行う手当の予定を早めたということだが、突然は困る。
事前にユーザーに連絡する等、やり方が他にあったはずだ。

怒!!

仕事用の address だったら本当に困るところだ。



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【97年4月14日(月)の日記】
テキサス:午後8時の日没に思うこと


1997年4月14日午後8時。
Daylight Saving Time に4月初めに移行し、日没が1時間遅くなった。
平らな地平線にちょうど沈み行く夕日を見ながら、僕は複雑な心境だった。

テキサスの中都市。BANK-ONE BUILDING 最上階、35階のレストラン Miata で New England の保険会社から来た2名の初老の紳士と食事を共にしながら、僕ははるかかなたの夕日に照らされたそのメタリックな外壁を見ていた。その外壁は、僕とこの2名の紳士には、全く逆の意味を持つ。

ウェイトレスは大男・大女の多いテキサスには珍しく、賠償千恵子に似た、胸の小さな華奢な女性だった。Nebraska からこの街に出てきて5年になるそうで、服装は垢抜けているが、それとなく田舎っぽさを感じさせる。

ドライシェリ−を頼んでもわからず、ワインのリストを僕に見せて「この中にある?」などと間抜けなことを聞く。

今日はこの季節にしては異例に涼しく、早朝は35度近くまで気温が下がった。話に聞いていたブル−ボネットは今が盛りで、フリ−ウエイの両側の草地に一面に広がっている。

この街のダウンタウンの多くのビルは、”バスグル−プ”が所有しており、街の価値を高めるために、彼等が自警団を雇って警備に当たり、治安の維持に努めているそうだ。この話を聞き、「バスグル−プというのは、Continental と CNA の Deal で登場したのと同じバスグル−プか?」と尋ねたとき、大きなバンに僕ら3人を乗せて運転している W.S. 氏は一瞬沈黙した。彼は Accountant である。以前は Dallas の大手会計事務所で働いていた。4人の息子はもう大きくなり、一番下でももう12才だという。エネルギッシュだから年齢を感じさせないが、もう45は越えているのだろう。

この街にあと何回来るのかはわからない。しかし、来年以降は、もう来ないかも知れない。仕事でもなければ訪れるような場所ではない。

地平線に太陽が沈むと間もなく、あの銀色の壁は見えなくなっていた。
日没後、あたりは急に暗くなった。




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【97年4月4日(金)の日記】
AOLをめぐる最近の動き
(1.有料の "1-800"電話 2.Compuserveを買収?)


1.有料の "1-800"電話(請求書が来てびっくり)

AOL(America Online)は、米国本土一律の toll-free 電話番号を提供している。 この番号については、回線にかなり余裕が持たせて有るのか、ビジーにならず、すぐにつながるようだ。 しかし、電話代はただであるものの、AOLのチャージがかかる(1時間6ドル) これはサインアップする際の注意書きにも明記して有る。

Compuserve や Prodigy も同様のサービスを、それぞれ1時間6ドル、4.8ドルで提供している。

このような番号は、もともと、Road Warrier(出張等で様々な場所からアクセスする人々)を想定したものと思われる。
(一つだけ番号を控えておけば、どこへ出張してもその番号からAOLに接続できて便利な訳だ)

しかし、この 1-800 番号はオフィスや校庭で、はたまたAOLそのもので「surcharge がかかる」という重要な事実が付けられぬまま「待たされずにすぐにつながる番号」として口コミで伝わったらしい。

きょうのNew York Timesには、$536.05の請求が来てびっくりしたケースが載っていた。

また、Packered Bell(NECが買収したPC会社) にプリインストールされていたAOL接続ソフトが、自動的にこの番号でサインアップするようになっていたので、知らぬ間に高い通信をしていて請求書にびっくりする人も出て来た。
(これについては Refund の対象になるようだ。)

情報とは、時に一人歩きする、恐ろしいものだ。僕も自分の請求額に気をつけなければいけない。また、アメリカというのは、このようなことでもすぐに訴訟になる。企業を経営する者としても気を付けないといけない。

僕はCompuserveをもっぱら使っているが、このようなサービスは使わず、出張先ごとの番号を使うことにし、手帳に控えているので大丈夫。
(もっぱら compuserve → Niftyserve のルートで日本語を使っている。)

AOLの対応策としては、以下のようなものが考えられる。
(念を入れるためには、すべて実施した方が良いだろう。)
(1)番号を "1-900"(電話会社が情報提供料を徴収する番号)に変更する。
(2)もしこの番号を使い続ける場合は、接続の都度、最初に「AOL使用 Surcharge として 1時間6ドルがかかる。Local の アクセスポイントにつなげばこの Surcharge はかからない。」旨のメッセージを流す。
(3)定期的に料金案内をE-Mailで送る。
(balanceが一定額(たとえば$50)を超える都度、毎週、等)

2.Compuserveを買収?

2日前から NewYork Times や Wall Street Journal で Compuserve の身売りが話題になっている。

Compuserve の親会社(H&R Block Inc.: 80%所有)が同社の売却先と交渉をしていることが取り上げられているのだ。Compuserve は交渉相手こそ明らかにしていないが、交渉の事実そのものは認めた。
(昨年来、spin-off を表明していた為、全く自然な動きだ)

相手はAOLと言われている。

subscriber はAOL8百万人、Compuserve 2.9百万人。

問題は、AOLが$111MilしかCashを持っていないこと。

Compuserveは海外に強い。グローバル化が進む中で、通信の世界も、海外のネットワークの確保が必須だ。AOLも4月15日から日本でのビジネス開始をアナウンスした。一方、Compuserveは最近不調だ。family向けのサービス"WOW"も1年足らずで止めた。

2社がまとまれば、アメリカでの敵は Microsoft Networkのみだ。




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【97年3月30日(日)の日記】
暖かな Easter


知らぬ間に春が来たようだ。

スーパーに行ったら、売れ残った暖炉のLOGが積み上げられた横でチューリップが大きな顔をしていた。

道端の水仙はもう盛りを過ぎている。 ポストや大きな木の根元に植えられた黄色や紫のクロッカスも、かなり咲き始めている。 レンギョウも芽を吹き始め、遠くから見ると木全体がかすかに黄色い。

ジョギングをする人。ローラーブレードをする人。 すこし肌寒いがもう冬ではない。

Easter。

赤や黄色や青や緑の色とりどりのプラスチック製のタマゴが木からぶら下がり、明るい色の大きな旗が陽射しに輝いている。

庭で写真を撮っていたら、草むらから茶色いウサギが駆け出した。

ワシントンの桜は例年より1週間早く、満開だという。 来週からは、早くも daylight saving time だ。


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【97年3月22日(土)の日記】
Adobe Photo Deluxe の使用感


Adobe Photo Deluxe を買ってみた。 最近、デジタルフォトを使うことが増えてきた(用途はホームページのみ)ので、どうしてもカラーバランスをうまくコントロールしたくなったからだ。

雑誌の記事を見ると、アマチュア用では、Adobe Photo Deluxe が断然評価が高かった。本来なら、同じ Adobe の Photoshop を買うのが当然(しかし、安くなったと言っても600ドル位する)なのだが、僕は、デジタルフォトに関してはそんなにseriousでないため、"Poorman's Photoshop" である Photo Deluxe で十分と考えた。

値段は1桁安い50ドル。これなら「遊び」として許せる。

今までは、シェアウエアである GIX と Lviewpro を使っていたが、どうも操作性が良くないのと、切り貼りがしにくいのでいらいらしていた。

さて、使用感。操作がしやすい。満足。 僕は主に色のコントロールに使うつもりだ。

見えたとおりに写真を完成させるのは本当に難しい。写真を「加工する」のは邪道だという意見もあるし、僕にもその感覚は大変よくわかる。しかし、レンズのガラスを通った光を銀粒子に当てた後、化学的に定着させた結果としてのフィルムまでの段階で、既に何段階もの人為的なプロセスを経ている。さらにプリントするに到っては、プロセッサーの技術の善し悪し、品質管理が如実に結果に表れる。

何が本当の姿(ファインダーに見えた被写体の形・色・状況)か、真実は何か というのはきわめて主観的なのではないか。

ファインダーに見えている物が本当にそのとおりに存在するのか? そんなことは誰にもわからない。 目の前の風景が、横にいる誰かに同じに見えている保証などどこにもない。 「そこにある風景」が全く見えてない場合だってあろう。

自分に「主観的に」見えたものを他人に伝える手段の一つと考えれば、デジタルフォトを加工することは、最低限、意味のあることではないか。

ただし、一般的な最終output を print としている段階の僕にとっては、Adobe Photo Deluxe を使う機会はそんなに多くないと思う。

僕はまだデジタルカメラは当分買わないつもりだ。銀塩写真のクオリティに追いつくのはいつだろう? 追いついたらぜひ買おうと思う。


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【97年3月21日(金)の日記】
EZ-Pass


その名はイージーパス(EZ-PASS)。有料高速道路での自動料金徴収システムだ。
フロントウィンドウの内側、バックミラー(ルームミラー)のすぐ上に車内からマジックテープで取り付ける。
車が専用のゲートに近付くと、無線でパスを読み取ってゲートのバーが上がり、赤信号が青信号に変わる。
車は停止しなくて良い。時速5マイル(8キロ)位までスピードを落とせばOK。

日本で朝一番にデパートへ行き、一列に並んだ店員にいっせいにお辞儀されると気持ち悪い。しかし、機械が正確に作動し、車が Gate に近づいたとたんにバーが「さっ」と上がるのは気持ち良い。

1時間当たりの処理人数は次のとおりだから、圧倒的な効率だ。
・EZ-PASS 900台
・Token(トークン(コイン))による自動ゲート 450台
・有人 250台

支払には2つの方式(クレジットカードか小切手)がある。
いずれにせよ予め一定額(僕は25ドル)を Depositしておき、使う度にその残高が減る。一定限度以下に減ったときに小切手で支払う、もしくはクレジットカードから引き落とされる。
何といっても、料金所でお金のやりとりをしないですむので便利だ。

渋滞解消に威力。経費節減にもなる。

誤作動が一時問題とされたが、実験期間中に解消されたのだろう。
駐車中のパスの盗難(フロントウィンドウを破られる)の不安が若干あるのは事実だ。

今年の1月末からNew York 地区で本格使用開始。
従来は、現金以外では、Token(トークン。前払い式のコイン。一定の割引が適用されていた。)が売られていたが、1月末以降は原則として Token の販売は中止された。したがって、利用者は、割引を受けるためには、EZ-Card を使う必要がある。 (これが EZ-Card 使用促進の incentive となっている。)

あらゆるところで機械化が進んでいる。
これでまた失業者が増えているのだろうが、92年以来、米国の失業率は下がり続け、景気は衰えていない。

【以下、3月25日(火)追加】

  1. Triborough Bridge and Tunnel Authority から昨日発表されたEZ-Passの使用状況(New York Times 970325より)
  2. 3月7日の週1週間の調査結果。37%が使用。
    TAG(Pass) を持っている車の処理が早いため、TAG Holder でない人も渋滞が解消されている。
  3. 今日の新聞でおもしろいと思った点。



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【97年3月20日(木)の日記】
街角のパン屋


office の横、40st と Park Avenue の角に毎朝店を出す、屋台のパン屋。
コ−ヒ−が会社のビルの地下のデリよりおいしい。それに簡単に買える。
のろのろとレジを打つ店員とは異なり、ここの にいちゃん はきびきびとやってくれる。

彼らも結構しっかりと Vacation をとる。2週間休みをとって田舎へ行って来たなどという。
(彼らの年間収入はいくらくらいだろう? 2万ドル位だろうか?)

2−3人が列を作っているとき、それが寒い冬の朝なら、前の人の吐く息が白い。

横の歩道に目をやれば、のぼり始めた朝日に、忙しく歩く人々の影が長く、マンホールから吹き出る蒸気を頻繁に横切る。
タクシーのドライバーも、仕事を初めて間もないせいか、夕方程カリカリ来ていないで、心無しか穏やかに走っているようだ。

--- Black no sugar and french no icy / Boston Cream ---

何十種類もあるドーナツやクロワッサン、ベーグルの名前は、とても覚えきれないので、いつも指差して買っていたが、お気に入りは名前を覚えた。

今週からコーヒーが10セント値上げになり、60セントになった。ドーナツとの合計で1ドル10セント。

寒い朝、財布から小銭を出すのが面倒になった。

しかし、春はもうすぐそこだ。


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【97年3月13日(木)の日記】
情報について


情報についての最近の感想




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【97年3月7日(金)の日記】
Hilton Photo Auction


年1回、恒例の New York Hilton の Photo Auction。
僕が行ったのは今年で2回目。

今回、印象に残ったのは :

おっと、会社を駆け出して8時の終了まで見ていたら、夕飯を食う時間がなくなった。グラセンのレストラン Cuccinaに併設のカフェでテイクアウト。
9:07PM New Haven 行き Express の中で食べよう。

Turkey Sandowich (Bagel)
Irish Creme Coffee



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【97年3月6日(木)の日記】
ボイスメモ


最近、ボイスメモ(1月に30ドルで購入)を使っている。
大きさは名刺位い。厚さは約5ミリ。
プラスチックでできている。

小型のテレコ(マイクロカセットを使うやつ)と機能は似ている。
録音時間は合計40秒。ちょっと短い。電源はボタン型電池。

厚さの関係で財布には入らないが、背広のポケットに入れておいても全く気にならない。
僕はキーホルダーに付けて常時持ち歩いている。

【長所】
小型で使いやすく、気軽で便利。
メッセージごとにとばせる。戻るのも簡単。
片手しか使えなくても(筆記ができなくても)簡単にメモできる。
押しボタンのみ。可動部分がない。壊れない。

【短所】
内容の一覧性がない。
録音時間が短い。

【使い方】
手帳にメモするまでの一時的な記録とする。
歩きながら。電車の中。運転しながら。夜中に思い付いたとき。
テレビを見ながら。

欲を言えば、2−3分くらいまで録音できた方が良い。
(そういう機種もあるが、高く、やや大きくなる。)

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【6月15日(日)追加】
やはり40秒間のものでは使い勝手が悪いため、5分使える機種を買った。値段は70ドル。メーカーは前回と同じ "Voice It" 。やや厚みと重さが増したが、ほとんど気にならない程度だ。録音時間を全く気にする必要がなくなったので、大変重宝している。いずれにせよ、どうせ一時的な記録にしか使わないのだから、5分以上は無意味だ。

日本でもこの3ヶ月位、SONYの1万5千円位の機種が話題になっている。アメリカでも売っているが、僕は興味を引かれなかった。何と言っても。ボタンが多く、使いにくい。このようなものは操作性が命だ。


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【97年3月3日(月)の日記】
テープバックアップ装置を買った!!


Windows97導入を控え(まだ気が早いが)、テープバックアップ装置を買った。
機種は IOMEGA の Ditto-2GB。
マンハッタンの J&R からメイルオーダーで Sales TAX なしで購入。送料は10ドルだから、TAX(200ドルX8.25%=16.5ドル)を下回り、買って持って帰るより安い。

今週から50ドル値下げになって150ドルになった(買い値は200ドルだが、50ドルの Cash Backが受けられる)ので「買い時」だと思った。
僕のPCのハードディスクの容量が2GB(本体340MB+増設1.6GB)だから、ちょうどテープ1本で全体をバックアップできる。

同じ IOMEGA の ZIP も魅力的だが、100MBではいかんせん、容量不足だ。
テープドライブは、まとまった量の backup には良い。今まではハードデイスクの別のディレクトリに backup していたが、テープへの backup に変えて、crashも恐くない。




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【97年2月15日】
インターネットについて

近年の通信技術の進歩は世界にとって何世紀に1回あるかどうかの革命的なことだと思う。

祭りんの紙の発明により、情報の記録・伝達の方法が進歩し、世界を変えたように、インターネットも世界を変える。

僕も最初(95年初頭頃まで)はインターネットを軽く見ていた。
「よくわからない人が騒いでいるだけ」と冷ややかに見ていた。

一方、ビルゲイツの大方針転換が94年末?(心の中ではもっと早かっただろうが)と言われているが、 僕もそのうち遅れ馳せながらインターネットの社会的影響力の大きさに気付いた。

単なるシステムの話ではなく、おおげさに言えば、世界を変える可能性があると思った。
単なるインフラの一つと言ってしまえばそれまでだが、経済的にも社会的にも、極めて大きなインパクトを持っていることは紛れもない事実だ。

将来は、
接続しっぱなしは当然(電気・水道と同じ感覚)。
TV・電話との融合。放送・通信の融合。音声・画像の融合。

光ケーブルの利用
時間・距離の意味がなくなる。地域間格差の消滅

そして世界の会社組織が変わる。



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【97年2月11日(火)の日記】
我が家の紹介(1:暖房・電気編)





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【97年2月10日(月)の日記】
アメリカから NIFTY-Serve への接続方法


97年10月24日のエッセイ にアップデイトを載せたので、そちらをご参照

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日本からの出張者や旅行者などから、アメリカで自分宛 (NIFTY) のMAILをチェックする方法について良く質問があるのでまとめた。
(合計の接続料金は2(3)b の方法が最も安いはず)

1.Compuserve のアカウントを持っていない場合
(1)Compuserve のノ−ドにモデムからTELする
   このときのモデムの通信条件(プロトコル)は E71。
   (NIFTY-Serve は N81 なので若干異なる。E71 でつないで文字化けを無視して
   (2)に進む方が簡単なので、それでも良い。この場合は当然、通信途中での
   N81への変更は不要)
(2)ノ−ドにつながったらそこから直接 NIFTY-Serve に入る
    HOST: NIFTY
    (この直後に通信条件(プロトコル)を N81 に変える。
     →変え方は通信ソフトによって異なる。)
    Enter Connection-ID --->SVC(必ず半角の大文字にすること)
    Enter User-ID ---> NIFTYの自分のID
    Enter Password ---> NIFTYのPASSWORD

2.Compuserve のアカウントを持っている場合
(1)Compuserve のノ−ドにモデムからTELする
   このときのモデムの通信条件(プロトコル)は E71 。
   (NIFTY-Serve は N81 なので若干異なる。)
(2)Compuserve にアクセスする
    HOST: Compuserve
    ID:  ID
    PASSWORD: PASSWORD
(3)COMPUSERVE につながってからは以下の a、b 2つの方法がある。
   (b はinternetを使用する方法で、安く済むが、回線の状態によっては
文字化けの危険がある。)
  a. GO NIF-4
    (この直後に通信条件(プロトコル)を N81 に変える。
      →変え方は通信ソフトによって異なる。)
     Enter Connection-ID --->SVC(必ず半角の大文字にすること)
     Enter User-ID --->(NIFTYの自分のID)
     Enter Password --->(NIFTYのPASSWORD)
  b. GO TELNET
    8. access specific site
    R2.niftyserve.or.jp
    (この直後に通信条件(プロトコル)を N81 に変える。
      →変え方は通信ソフトによって異なる。)
     Enter Connection-ID --->SVC(必ず半角の大文字にすること)
     Enter User-ID ---> NIFTYの自分のID
     Enter Password ---> NIFTYのPASSWORD

 (参考1)E71 = パリティ偶数(EVEN) 7ビット ストップビット1
      N81 = パリティなし(NONE) 8ビット ストップビット1

(参考2)米国主要都市の Compuserve のノ−ドの電話番号
     New York    766-2080
      Boston     426-9295
     Los Angeles  624-3730




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【97年2月6日(木)】
California州のカメラマンのカレンダー

知り合いのB氏からカレンダーをもらった。

B氏は写真を趣味としている。
主に使うのは Toyo Field (8X10?)だというから、半端ではない。
彼の Office には Ansel Adams の Original Print が飾ってある。

今回、彼からもらったのは、B氏の友人のカメラマン Stephen Johnson の作品だ。
彼は Stephen Johnston から送ってもらったそうだ。

先日、仕事の合間に Oldwick(New Jersey)のカフェで話をしていたときに、僕が、「ここ数年、写真のデジタル化が急速に進んでいる。友人のデザイナーも Mac で Adobe Photoshop を使っている。」という話をしたのを彼が覚えていてくれたのだ。

B氏はデジタル化とは全くの対局にいるそうだ。大判カメラで撮影したモノクロネガをもとに、Platinum Print のトーンを追求しているという。

さて、 Stephen Johnston のカレンダーだが、タイトルは、"With a New Eye"だ。副題として、The Digital National Parks Project というタイトルがついている。
Stephen は Sinar と交換レンズに Gitzo の三脚、そして Apple の Powerbook540Cを Fieldに持って行って写真を撮り、DAT に Back-up して帰ってから Adobe Photoshop で仕上げているという。作品はカラーとモノクロの混在したカレンダーだ。
画面の緻密さもさることながら、色の繊細さが良い。派手な色合いではないが、自然の作り出した不思議な色をそのまま再現している。

B氏は Texas 州に住んでいる。New Yorkにも良く来る。New Yorkでは、カメラ屋はB&Hを使っているそうだ。
B&Hは僕も気に行っている。Serious な店だ。

その他でまともなところは、Adorama位だろう。

一般向きには、47st photo あたりだ。

【Stephen Johnstonホームページへ】
(僕が今回もらったカレンダーのことも載っている。)

【Adobe Photoshop ホームページへ】
【B&H ホームページへ】
【47ST Photo ホームページへ】




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【97年1月30日(木)の日記】
America Online(AOL)その後


AOLがNew Yorkを初めとする州の訴訟圧力に屈し、Refundを行うとの発表を行った。
これだけのニュースになったのだから、Refundは合理的だと思う。
AOLとしても已むを得まい。

Refundは12月、1月の2ヶ月分について、最高$39.9($19.95の2ヶ月分)行われる。
使用時間が短いほどRefundは大きい。
(この中には、もともとAOLを使うつもりがなくて使わなかった人と、使おうとしてもつながらなかった人が混ざっているに違いないが)
Claimがあったsubscriberのみに対して行われるが、それでもそのコストは$25Million以上になると言われている。
AOLにとっては痛い支出だが、この発表をかえって市場は好感し、AOLの株価は上昇した。これがアメリカらしいところだ。

なお、アメリカのPC通信大手のSubscriberの数は次のとおり。
1位と2位の差が意外に大きい。

  1. AOL 7.5MIL
  2. Compuserve 2.1MIL
  3. MSN 1.4MIL
  4. PRODIGY 1MIL
  5. ATT-WORLDNET 0.65MIL

AnalystによればAOLの広告収入は、現在、全体のわずか10%だが、これを30%程度まで引き上げるのが戦略だという。

現在1千5百万人がどこかのOnline Serviceに接続している。これが2000年までに4千3百万人まで急増することが見込まれている。広告収入を期待するのもうなずける。

一方、導入後しばらく料金計算にトラブルがあっったMSNだが、結局超過料金(1ヶ月5時間を越える部分)はチャージされなかった。
(これは昨年11月頃の話)
昨年11月頃まで、ライバル会社の料金体系の動向を見守っていたに違いない。
実にうまい戦略であり、巧妙だ。結果的にUnderchargeだから、Subscriberは文句を言わない。
【10月1日の日記】参照


Microsoftの株主(僕もささやかながらそうだが)が得べかりし収益の喪失という面で文句を言う可能性もあるが、実際は、誰も文句を言っていない。
Microsoftの中でも、MSNはもともとかなりの赤字だ。
(その他の収益が膨大だからやってゆけている。MSNはMicrosoftの先行投資だ。)
95年12月にInternet戦略強化を打ち出してからのMicrosoftはCatch-upが早い。

しかしAOL混雑のあおりを食って、MSNも最近つながりにくくなってきたのには参る。

---------------------------------------------------------------------- 【以下のコメントを1月31日追加】
以下はAOLRefundのアナウンスの翌日の動きだ。

New York Timesによれば、「Refundじゃすまない。失われた時間を返してくれ。」と主張する人もいる。

また、Refund請求のためにAOLに電話をしても40分間もつながらなかった話も掲載されている。
新聞には、Prodigy(こちらも$19.95Flat Rateだ)が全面広告を出している。
AOLはRefund方針と今後の回線増強等($350Millionの投資、15万台のModem設置)に関する社長名の全面広告を掲載している。
(本件にかぎらず、日本と同様、全面広告は極めて一般的であることを付記しておく。)



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【97年1月26日(日)の日記】
America Online の混乱と通信社会


昨年秋にAOL(America Online)が毎月 $19.95でサービス使い放題のサービスを導入して以来、年末から急速に混雑し、電話がつながらなくて大きな問題になっている。

AOLは米国でシェア1位であり、2位のCompuserveと3位のMicrosoft Networkを凌駕している。本件を巡り、New Yorkでは訴訟が提起され、その訴訟はさらに多くの州に広がる動きを見せている。

通信関連の話題がこんなに一般的になるというのも、社会にE-MAILやインターネットが浸透してきた証拠だ。本当にE-MAILとInternetなしには仕事にならない昨今だ。

AOLの問題は、定額制導入以降のニーズを完全に読み誤り、電話回線数とサポート体制が大幅に不足している ことにつきるが、読み誤りの原因を、
1.定額制選択の人数に関する読み誤り
2.1人あたりの平均使用時間に関する読み誤り
に分けて考えてみると、

僕は2の要素が大きかったのではないかと推測している。
(つながりにくいため、一旦つながるとなかなか切らないため、2の要素は悪循環を起こしている)

AOL等のPC通信業界が Internetに参入してきたのは、World Wide Webに限ってみれば、意外に新しい。Compuserveは 95年春だったし、AOLも同じような時期だったと記憶している。Microsoft Networkは鳴り物入りの Windows95でAnti-Trustの訴訟を受けながら開始したはずだから、95年夏だった。

Compuserveの最初のブラウザは今はなき Mosaicだったが、僕はこのとき初めてWWWを体験し、その可能性の広がりにびっくりしたものだ。CompuserveがInternetの標準プロトコルを採用し始め、Internet ExplorerやNetscape Navigatorの使用が可能となったのも、まだこの半年くらいのことだ。

したがって、米国の大手3PC通信会社の歴史も、WWWに関してはせいぜい2年ということになる。
しかし、ユーザーの使い方という点では、WWW導入により、それまでのE-MAIL主体の使い方とは全く違って来ている。
「時間を食う」ということだ。

それに、「多くの時間を使う人ほど定額制に率先して飛びつく」のは当然だから、定額制導入後の混雑には 拍車がかかった。

有名な話だが、最近のAOLは混雑して電話がつながらない(口の悪い人はAmerica Offlineなどとも言っている)ので、うまく回線を確保できたら、それをキープするために1日中電話をつなぎっぱなしにしている人も多いという。仕事のE-MailアドレスをAOLにしている人は、こうでもしないと仕事にならない。これがさらに状況を悪化させている。

米国では電話のローカルコールは、原則、すでに定額制になっているから、電話回線とPCさえ専用に確保しておけば、1日中確実に使い続けることができるわけだ。
そういう人々にとっては、電話回線を新たにもう一本ひくのもやむを得ないコストなのだろう。

実際、AOL用とは限らないが、米国では、最近、PC用に2本目、3本目の電話回線を増設するケース が急増している。(日本でISDNがブームになっているのと同じ現象だ。)

E-MAILを受け取ったかどうかもわからない。あるいは受け取ったことがわかっていても内容がわからないというのは悲劇だ。
「黒やぎさんと白やぎさん」なら、少なくともおたがいに手紙の行き来があることだけは承知しているのでまだましだが、今回のケースでは、E-Mailを受け取ったことさえわからないのだ。

新聞への投書を見ていても、たくさん使いたい人が思うように使えなくて文句を言っているケースより、従来からE-MAILを使っていた人がつながらなくなって困っているケースの方が多い。

AOLは必死で回線増強に努めているが、2-3ヶ月を要する模様だ。

さて、

一般に、米国の会社は(事無かれ主義の日本の会社と違って)悪い知らせを早くオープンにする傾向がある。 これは本当に良いことだ。こういう姿勢は消費者や投資家にも評価される。AOLのスポークスマンも、連日のようにTVに出演している。



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【97年1月25日(土)の日記】
年賀葉書は太平洋を3度越えた


(注)僕は1年半前に同じ町内で引っ越した。最近、S氏が日本から僕に出した年賀状が「転居先不明」で日本へ戻って来てしまったという。 S氏はていねいにそれを封筒に入れてまた僕に送ってくれ、それがきょう到着した。
年賀葉書は太平洋を3度越えた(それも最初の70円切手だけで)。

---------------------------------------------------------------

年賀状をありがとうございました。
一旦日本へ返送されたはがきに貼られている郵便局のシールには、私の転居先(同じ町内ですが)まで書いてあるのですね。

しかしながら、わずか車で2分の同じDarienの転居先まで転送してくれずに、代わりにわざわざコストをかけて日本まで送り返すのは、一定の転送期間(1年)を過ぎてからも親切に新住所への転送を続けると、差出人(この場合はSさん)が住所のアップデイトを怠り、次回以降の郵便局の事務が増大することになるからでしょう。

一方、日本では、転出後4年半経ても、未だに僕の日本の住所に送られた郵便物が、同じ町内の妻の実家に送られて来ています。
すなわち、○○3丁目○×(僕の名字)宛の 郵便物 が、何と○○2丁目の○△(妻の旧姓)宅へ転送されるのです。

考えてみると、これは驚くほどのサービスの良さというか、おせっかいというか、良く考えるとちょっとやりすぎとも言えます。

アメリカの郵便局の処理は、一見、冷たく、無駄なようですが、良く考えると、長期的視野では極めて当たり前で合理的な気がします。

それではお元気で




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【97年1月23日(木)の日記】
厚いコートの田舎者 / この真冬にTシャツ1枚の男


真冬には厚いコートが必須だ。

駅の駐車場に車を停めてホームまで約60−70メートルだし、マンハッタンでGrand Central駅についてからofficeまで外を歩くのは2分だから、大した距離でないのだが、それでも、厚いコートがないとたまらない。
駅のホームで電車を待っている時が最悪だ。

僕もこちらに来た年、92年の10月には、早速分厚いカシミアのコート(残念ながら、日本にあるようなカシミア100%の高級品ではない。値段は聞かないで欲しい(MAILをくれたら個別に教えるよ!!))を買った。

値段はマアマアでも見栄えは悪くない。映画 "The Firm"(93年)でトム・クルーズ扮する若手弁護士のミッチが来ていたような、紺色の丈の長いやつだ。
(しかし、これを着たからと言って彼のようにカッコ良くなれる訳ではない。)

さて、ここしばらく超寒い日が続いていたので、何も考えず、今日もそのコートにしてしまった。

これが失敗。

外に出てみると意外に寒くない。でも、家の中にもどってコートを取り替えていると電車を逃しそうなのでそのままにした。

こちらの人は、気温に応じて実に良くコートまでも取り替える。今日のコートは日本で着るようなものにすべきだった。

昼食は Lawyer から Lunch の offer があった。社内でも、別の部門は Lawyer との付き合いが多いが、Accounting をやっている僕は、本来はあまり付き合いがない。
しかし、このところ、ちょっとしたプロジェクトの関係で頻繁に付き合っていたこともあって、Manhattan Ocean Club で Lunch (58st between 5th and 6th)ということになった。

11時半になってofficeを出るときに考えた。厚いコートを来て行ってレストランのクロークに預けるときに田舎者と思われるのは癪なので、いっそのことコートなしだ。そして思い切ってスーツのままPark Avenueに出た。

暖かい。50度くらいだろうか。3日程前までの寒さが嘘のようだ。コートなんて着て歩いたらかえって汗ばむかもしれない。

【さて、気温の換算はここをクリック】

41丁目から5th Ave に抜け、B train に乗った。僕は結構地下鉄によく乗る。夜も10時位までなら大丈夫のようだ。
少なくとも、あぶない目に遭った経験はない。これだけを持って安全というには短絡的に過ぎるが、New Yorkで生活していて地下鉄なしですごすなど、僕には考えられない。
もちろんタクシーは便利だけれど、渋滞すると(特に年末の夕方)悲劇だし、人々を眺める楽しみがない。

地下鉄の駅に入る前で厚いコートを着た男に会った。ふふ、田舎者め。僕は心の中で笑った。
しかし、その後で来た若い男にはおどろいた。
何と、ジーンズに白いTシャツ1枚だけなのだ。ちょっと我慢すればそれでも寒くないほど、きょうのマンハッタンは暖かかった。
道を歩く人の服装は実にいろいろだ。

Lunch は期待通りだった。Clam Chawder は New England タイプ(Manhattan は トマトソースで、New England はホワイトソース)。Marinated Salmon は身がやわらかでとろけるようだった。
Dessert はとても腹に入らない。Espresso でおしまい。

Lunch の話題は
・プロジェクトのその後
・日本の Big Bang/金融業界の自由化
・日本の経済状況(日本経済の立ち直りにどの程度の時間がかかるか)
・日本の会社の国際戦略・対外投資・戦略的重点地域
・日本政府のクリントン再選の受け止め方(国内のことで頭がいっぱいだろうとお茶を濁しておいた。)
・駐在員の帰国後の職務のこと(そんなことはわからない。会社に聞いてくれ!!)
・インターネット時代の国際税務(アメリカからインターネットでイギリスから保険を買ったときの税務処理)
・家族のこと

「できるだけ長くアメリカにいたいと思っている。」と言ったら、「他の職を探すのか?」と聞かれた。

今のところ、まだそこまでは考えてない。




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【97年1月22日(水)の日記】
真夜中の怪


真夜中の3時半に、突然「ゴー」という音がして目が覚めた。
20秒ほど「ゴー」「ゴー」が繰り返され、最後の「ゴン」で止まった。
ガレージのドア(日本でいうところの「シャッター」)の音だった。

一般的に、こちらのガレージのドアは電動式になっているケースが多く、我が家も例外ではない。
車社会であり、いちいち出入りの際に手で開けるのが面倒なので当然だ。
開閉はリモコン(一定の周波数の電波を発信する)で行う仕組みになっているのだが、きわめてまれに、これが悪さをすることがあるようだ。

我が家はこれで2回目。

我が家は車庫のすぐ上が Bed Room になっているため、まともに音が響く。
この音で起きないなら相当なつわものだ。我々は残念ながら、まだそのつわものの域に達することはできていない。

当然、近所の家と違う周波数のリモコンを使っている(あえて別の周波数のものを設置するのか、あるいは周波数の種類が多くて、ランダムにセットすれば重ならないのか、それはわからないが)ので、ほかの家のリモコンで間違って開いてしまうということないはずだが、それにしても、真夜中のこの時間に、それも何度も開閉するというのは気持ちが悪い。

そうはいうものの、何の解決手段もないまま、また眠りにつく。
幸いなことに、その後はどうやらおさまった。

時間帯やドアの動きから考えて、他の家のガレージドアのリモコン電波とは考えにくいので、何らかの他の 電波が悪さをしているのだろう。

アメリカでは、電波を発信する機器はFCC(Federal Communication Commission? 日本では電波法に該当する)の認定を受けている。そういえば、この間買った小さなボイスメモ(電子式の録音機)もFCCの認可コードがついていた。これに合致していれば、やたらに悪さをする器具はないはずなのだが。。。

しかし、国土が広いせいなのか、FCCのルールは日本より緩やかであり、強い電波が認められているようだ。コードレスフォンもアメリカの方が強く、確か10年ほど前に、秋葉原で輸出用の(日本では本来は使えない)コードレスフォンが堂々と売られていて問題になった記憶がある。

また、おもしろいことに、携帯電話の電波が脳に悪影響を及ぼすということで訴訟が提起されるなどということもこの国では起きている(これは電波の強さというより、弁護士社会の問題と見るべきだが)。

いずれにせよ、我が家の「真夜中の怪」は対処が困難であり、今後起こらないことを祈るのみである。
本当にひどければ、電源をoffにし、都度手動開閉にせざるを得ないが、この寒さ厳しきおり、その決断はしたくない。

なお、電波を使う器具では、「EZカード」というのが最近話題となっている。
これは、自動車の内部(フロントガラスの内側、バックミラーのすぐ上)に取り付ける器具で、有料道路の料金を自動徴収するための装置だ。この2年くらい、実験が各地で行われ、最近、大々的に普及させはじめている。 僕もつい最近導入した。何でも、1時間あたりの自動車処理台数(料金徴収台数)は、

・人間 250台
・トークン(メダル)収受器 450台
・EZカード 900台

ということで、EZカードは圧倒的に効率が良いようだ。何しろ、自動車は時速4-5マイルに減速するだけで、止まらなくても料金を自動的に支払うことができるのだ。

これもアメリカの機械化・合理化の一つである。
EZカードについてはまた改めて書くこととしたい。




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【97年1月18日(土)の日記】
CPUのアップグレイドに成功!!


有名な話(?)だが、僕はいまだに94年5月に買った古いパソコンを使っている。
僕の持論は、「通信に使うには、モデムは重要だがCPUはあまり関係ない。また、自分の用途に合わせて強化すべきところを強化すれば良い。一番損なのは自分の用途を見極めもせず何度も新機種に買い替えることだ。」
ということだ。(本当は新機種が欲しいのだが、もったいなくて買えないのだ。)

とはいうものの、さすがに最近の重いソフトは486SXの 33MHZ では苦しく、いらいらがつのりつつあったので、CPUを交換することにした。

マニュアルを見ると、486DXへの交換のことは書いてあるが、Pentium のことは全く書いていない。どうせなら Pentium に交換しないと意味がない。

一方、巷の雑誌等を見ると、さかんに Pentium Over Drive のことが書いてあり、486SX−33の場合には Intel の Pentium-OD の 83MHZ によって Pentium 75MHZ 程度の速度になることがわかった。まあ、古い機械だから、ここまでスピードがあがるなら良しとしよう。

そういう訳で、Pentium-OD を買おうと思っていた。
価格はだいたい $190 程度。これによってしばらく使い続けられるのなら安いものだ。それに今までメモリーやHDを相当強化してきたので、バランスとしても悪くなかろう。

そしてしばらく広告を探しているうちに、586というCPUも安い割に悪くないということがわかった。
AMDと Evergreen の2社の CPU が目に止まった。Evergreen のは 133MHZ で価格も安く、$110である。
広告によると、雑誌のテストで Pentium-OD の 83MHZ より速度が上回ったと書いてある。

もともと、Pentium の OD を買ってもうまく動かない可能性もあるので、「どうせリスクを踏むなら被害の小さい安いCPUにしておこう。これでもし動けば儲けものだ。」と思って、例によって Mail-order で TAX なしで購入した(州外の会社から送ってもらうと Sales Tax がかからないのだ)。

説明書はかなり丁寧に書いてある。Troubleshooting の項目を念入りに読んだ。ソケットの位置、マスターピンの位置、jumper の setting、BIOSの Version など、問題となる可能性がある個所が山ほど書いてある。
「BIOSが古くて586に対応してない可能性もある。」という記述を見たときにはひやっとした。94年にこのパソコンを買ったときには586などというCPUはなかった。僕のBIOSは大丈夫だろうか?

さて、きょう、まずHDをバックアップし、CPU交換を開始した。
Motherboard のCPUを差し替えてキャビネットをかぶせた。
一発ではうまく行かなかったが、増設HDをインストールしたときのプログラム(パーティションを設定しているもの)を書き換えたら、簡単にWIN95が立ち上がった。

感激!! 早い早い!! これでおんぼろPCがよみがえった。
$110が無駄にならずにすんでほっとした。

さて、ここで今までのアップグレイドの記録。
(新しい方から時系列だ)

なお、87年から使っていた Epson の PC-286V(80286-10MHZ)は、先週、モニターと一緒に、日系の consignment store に預けた。
最初から日本語環境だから買う人もいるかもしれない。DOSマシンとしてはほぼ十分だから。



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【97年1月2日(木)の日記】
ハ−バ−ドMBA卒業生の進路調査
(アメリカの製造業離れ)


卒業生全体に占める各業種への就職者比率。
製造業が低下し続けているという。
【コンサルティング】
1965年には4%→96年は35%
【INVESTMENT BANKING】
1987年にピ−ク(30%)→88年(87年の株価暴落の直後)には11%
→96年には14%
【製造業】
1965年には45%→96年には20%まで低下。

コンサルティングというと、自分で何かするのではなく、何をするべきかを教える職業ということだ。
企業内にいては何をすべきかわからないということか?
灯台下暗しということか?
(そういう面があることも否定できないが。)

企業の中にいても、時代の流れの中で、何をなすべきかを客観的に考えられるようにしていたいものだ。


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