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20世紀最後の今日、我が家は5人(?)となりました。
ヨークシャーテリアです。
(最近買ったオモチャのデジカメで撮ったので、画質はいまいち!)
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Aはこの12月に10才になった。4月初めに帰国して以来、我が家からわずか200メートルほどの地元の小学校に通っている。彼女はまだアメリカに居る3年ほど前から、犬がほしくてほしくてたまらなかった。我々はアメリカでは家など買うことなく、移り住んだ3軒の家とも、ずっと借り家住まいだったため、当然、ペット飼育禁止だった。したがって、「ペットを飼うかどうか」などという話題はついに真剣に議論されることなく、今年の帰国となった。
さて日本へ帰って来た。
両親が小さい頃、家で犬を飼っていたことを知っている彼女は、我々に執拗にプレッシャーをかけ続けた。しかし、自分のことも満足にできぬ(朝7時20分に起きるときにも、Jに起こしておんぶして来てもらわねばならない!)Aが、犬の世話などできるのだろうか? それとも今後は犬に世話をしてもらうつもりだろうか?
しかし、そのうち、Aの真剣な様子を知ったJの友人が、「知り合いのペットショップで、9月にヨークシャーが生まれるんですって」などと吹き込んだからたまらない。我々も最後まで反対する理由もなく、「(少なくとも)自分のことは自分でするようにしなさい」という訳のわからぬ条件と引き換えに、犬を飼うことに決めてしまった。彼女も、犬というものが如何にしっかりとしているものかを目の前でみれば、少しは反省をして自分のことを自分でするようになるかもしれない。親というものはだまされやすいものだ。
・・・という訳で、こうして Olivet of Jewel York Suzuki JP(通称アンナ)は我が家へやって来た。生後3カ月の子犬で、まだ2キロ足らずだ。僕がアメリカで最も愛用していた Nikon の AF-ED Nikkor 80-200/2.8(これはカメラのレンズだ) よりはだいぶ重いから1.5キロは確実にあるが、2キロはなさそうだ。 犬というもの、血統書がつくと、正式名と通称があるそうだ。気がついてみると僕は1つだけだから血統書はついていないのだろう。ウチのヨークシャーの方が血筋が正しい。何でも、塩尻で由緒正しい両親の間に生まれたらしい。
国立から中央線とタクシーで帰って来たアンナは最初は緊張していたが、2時間もすると家族にすっかりと溶け込んだ。彼女は今、我が家のリビングルームの一角に設けられたサークルの中で、近所でもらってきた清酒の箱で作った犬小屋の中で暮らし始めた。
ヨークシャーテリアは、調和を重んじる犬だそうだ。犬の仲間が喧嘩したり人間が喧嘩したりすると、仲裁に入るそうだ。 しかし、犬が人間の喧嘩にどうやって仲裁に入るのだろうか?
これは20世紀最後の謎である。僕とJは、「今度、アンナの前で激しく夫婦喧嘩をしてみよう!」と、アンナには聞こえぬようにささやいている。
こうして2000年は終わりに近づいてゆく。。。
ちょうど1年前のきょう、僕は Philadelphia のアパートのTVで Times Square のカウントダウンを見ながら新年を迎えようとしていた。
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以下は2000年の売買の記録。
一部は1999年11−12月の売買も入っている。
アメリカで増殖したカメラ類を日本でリストラしている構図 が良く見える。
こうした結果、現在の手持ちはこのとおりになっている。
(2)購入
(2)購入
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年末にまとまった休暇を取って斑尾へ3泊4日のスキーにやって来た。 確か、日本を離れる直前の冬に軽井沢へ行ったため、日本でのスキーは8年ぶりのはずだ。でも、今回の斑尾は初めてだ。12月末でも確実に滑れ、宿泊施設が充実しているところ、ということで、タングラム斑尾を選んだ訳だ。
スキー場に着く前日と着いてからと、まとまった雪が立て続けに降ったため、コンディションは最高だ。気温は0度前後と、さほど低くない。New England の厳寒の中でのスキーになれてしまうと、0度位だと、「とても暖かいスキー場」というように思える。
この3月に帰国前の最後のスキーということで、家族4人で Killington へ行ったのがアメリカでの最後のスキーだった。あのときは、昨年に引き続き、雪を見ながら屋外の温水プールに入ったっけ。
Kがこの1シーズンで体格の面で急成長を遂げ、この3月まで使っていたスキー靴が全く使えなくなったので、12月初めにスキーセット一式を、例によって Yahoo のオークションで買った。まともな Salomon の靴と、ぼろいスキー板のセットで6千円。まあ良い買い物だった。13才になったKは、生まれて以来、ネットで買ったもので育てられている。彼が生まれた87年、僕が彼のためにベビーベッドを買ったのも Nifty の「売ります買いますコーナー」だった。オークションではなかったが、目黒区の男性から6千円で木のベッドを譲ってもらったのを覚えている。
ハーベストホテルの宿泊券も Yahoo で安く手に入れた。会員制のホテルだから、利用券を入手すると会員料金になる訳だ。5百円で手に入れた1枚の券のおかげで、予算が2万円ほど費用が浮いてニンマリ。本当にラッキーだった。これで中古ならカメラのレンズが1本買える。
タングラム自体はリフト6本の小さなスキー場だったが、隣の斑尾高原スキー場とも連続しているし、家族でのんびり滑るには良かった。つい1週間ほど前、学校主催のスキー教室で滑ってきたKは、コブのある斜面も、安定感を持って難なく降りられるようになっている。頼もしい限りだ。
スキー場にいると、一瞬、日本に帰ってきていることを忘れそうになる。カービングスキーとボーダーが急速に増えているのもアメリカと同じだ。
滑っているうちに、1年前と3年前のクリスマスを思い出した。
帰国以来、ちょっと考えるところがあって我々は車を持たない生活をしばらく試しているため、家とスキー場の往復は新幹線だ。長野新幹線で大宮から長野まで1時間10分。その両側に在来線が40分ずつ余計にかかるので、Door to Door だと、わが家からゲレンデまでは4時間強だ。それでも、車とほとんど変わらない。荷物は宅急便で往復させる。最終日に3時半まで滑った後、新幹線の中でビールを飲み、駅弁を食べながらスキー場から帰って来るというのも、オツなものである。
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帰国最終年度に、日本の我が家を増改築した。アメリカにいる間に子どもたちが大きくなって場所をとるようになった(本人たちが物理的にデカくなっただけでなく、本だのおもちゃだの洋服だの、付随しているものも圧倒的な増殖を遂げている!)ため、1階を広げ、2階に部屋を1つ増やした。新築当初に設計をお願いしたW設計室に増改築設計をお願いした。我が家の生活パターンを良くわかってもらっていたため、日本に居らず、ほとんどFAXだけの連絡でも何の不自由・不安も感じずに、「思い通り・イメージ通り」の増改築ができた。
以下は最近、W設計室に最近送った手紙。我が家の様子がおわかりいただけると思う。
(アメリカの家の様子(その1)、(その2) )と比べると、かなり狭い様子が良くわかる。)
すっかりごぶさたしております。寒くなってまいりました。
家族がNew York 近郊のDarienから4月初めに帰国し、私も7月にPhiladelphia から帰ってまいりました。
何十年ぶりとかの東京の暑い夏を乗りきり、風が冷たくなり始めたと思っているうちに、あっという間に年の瀬を迎えてしまいました。忙しさにかまけてご挨拶もせず、失礼しました。
アメリカでWさんに小さなおみやげを買って来ていたので、一度オフィスにご挨拶に伺おうと思っていたのですが、なかなか思うように都合がつかず、今回、ぶしつけながらお送りさせていただくことにしました。
さて、○○町の家の方は、「大変快適」の一語に尽きます。日本の家が当然の如く狭いのは覚悟しておりましたので、狭さは全く気になりません。
あまりに明るく、快適なので、休日は外出する気もおきません。
若干コメントを加えます。
・ 吹き抜けは、「作って良かった」と思っています。1階のリビングの開放感・明るさに貢献し、貴重な余裕を生み出しています。一方、夏は2階のKの部屋が暑くなり、また冬はガラスから降りて来る冷気でリビングの隅が若干寒いというデメリットはあるものの、1階の開放感は何にも代えられません。また、外から見たときにこの吹き抜けがぼうっと明るくなっていると見栄えが良いのも気に入っています。
・ ダイニングが広くなり、とてもゆったりしている。ここは予想通り明るく、気持ち良いスペースになりました。アメリカで買ってきたテーブルを常時最大限に伸ばし、6人がゆったりと座れるスペースを確保しています。
・ 2階の主寝室が気持ち良い。この部屋がとても明るく、冬でも昼間は暖かいので、小さな机と椅子を持ちこみ、休日用の書斎にしています。ベッドの上に本や書類を広げると、昼間でもスペースを有効に使用できます。もちろん、天井には念願の「カサブランカファン」を取りつけました。暑い夏でもそよそよと快適です。
・ 主寝室横のクローゼットがとても便利です。やはり、主寝室にクローゼットは必須でした。朝起きた後の着替えはここから衣類を出して行います。また、棚の一部は、本棚のような使い方もしています。
・ 2階のAの部屋は、窓のサイズを大きくしたため、明るくなりました。使い勝手も良いようで、たくさんの人形(ビーニーベービー)を持ち込んで遊んでおります。
・ Kの部屋は夏は暑くてエアコンなしでは厳しいですが、食事のときなどに1階の吹き抜けから見上げて簡単に呼ぶことが出来、とても便利です。
・ 2階の主寝室へ通ずる廊下は、Aの部屋の上部を素通しのガラスにしていただいたため、全く暗さを感じず、白い壁は絶好の写真スペースとなりました。小さ目の写真を5枚かけてあります。
・ その他、設備面でも、
−追い炊きのできる風呂がとても便利。シャワーの湯の量も十分。
−各部屋のエアコンの位置・機能もパーフェクト
(日本のエアコンの温度調節・タイマー機能の充実に、いまさらながら驚きました。)
−LANは便利(現在、リビング、Kの部屋の2箇所でCATVを使って256Kでインターネットに常時接続しています。時々、主寝室でも使います。)です。そのうち、NTTが光ケーブルでの接続を開始したら、さらに高速度を求めて乗りかえるかもしれません。
アメリカではあんなに車に乗ったのに、日本に帰ってきてからは、ほとんど乗っていません。東京の公共交通機関が極めて便利なこと、渋滞が嫌なこと、子供達に東京の街の様子をわかってもらう必要があることなどを考え、当分、車を持たないことにしたためです。遠くへ遊びに行くとき等、必要なときには、歩いて10分ほどのオフィスでレンタカーを借りることにしています。この12日には都営大江戸線が全線開通するので、公共交通期間はますます便利になります。(○○駅まであるいて12分ほどですから。)車庫には自転車をゆったりと置いたり、鉢物を置いたり、物置にしたりと、贅沢な使い方をしています。
年末には少しまとまった休暇をとり、レンタカーで長野県へスキーと温泉を楽しみに行こうと思っています。それから、近いうちに、小さな室内犬(ヨークシャーテリア)を飼うことになりそうです。○○さん、それから△△さんにもよろしくお伝え下さい。ますます寒くなりますが、くれぐれもご自愛ください。さようなら。
【Return to Hiro's Easy Essays】
日本の狭い家に帰ってきて、カメラを置く場所にも困っているため、yahoo のオークションで、だいぶリストラを行っている。
このリストラは、日本で写真を撮る機会が激減することにも関係している。
・・・それに使わないレンズは日本ではカビが生えてしまうし。。
とはいうものの、逆に Contax のボディ1台(167MT)とレンズ1本(Planar50/1.4)を買ったりしているが。。。
FD80-200L ---- 20000401!
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Bombay Saphire --- 2090円
Cinzano --- 1290円
イギリスのジンとイタリアのヴェルモット
これは近所の酒屋での値段だ。
アメリカとほとんど変わらない。
日本の物価は本当に安定している。
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7月初旬に帰国し、2週間が経過した。
予定通り、豊島ケーブルのCATVを導入し、256Kの常時接続とした。
月額4800円。電話線の接続よりは高いが、快適な常時接続の値段としては許せる。
家は改築時にイーサネットでLANを敷設しておいたため、各部屋は 10Base-T でつながっている。
最近、日本でもCATVやDSL用のルーターが発売されているが、3万円以上もするため、僕はルーターは使わずIPアドレスを2つ取得し、LANにぶら下がった3台のPCのうち、2台からの同時接続を実現した。
メールのチェックが気軽に出来るのがありがたい。
これに合わせて、各プロバイダのコースを見直した。
・家族全員にAOLのアドレスを持っているので、こちらはプロバイダプランに切り替えてコスト削減を図る(月980円/無制限)。
・Niftyはアメリカにいるときからオープンコースである(月1200円/無制限)。
(写真関係のフォーラムを見るため、使う時間は結構長い。また、僕のHPは大部分、Niftyにある。)
・E-Mailしか使わぬBiglobeもちろん昔からオープンな「わいわいコース」(月200円/無制限)
【Return to Hiro's Easy Essays】
会社の近くの川沿いのオープンバー、Lagoon で軽くビールを飲み、みんなに別れを告げた。
帰りがけとは言うものの、5時半でまだまだ日は高い。
Delaware 川沿いの安普請なクラブだが、やたらに面積が広い上、川に沿った2階建てのデッキが気持ち良い。
「日本に帰るとこういう開放感を気楽に味わえないのが残念だ。」というのが僕の述べた率直な感想だ。
リースのベッドも運び出してしまったので、アメリカ最後の夜はホテルに1泊する。ホテルといっても、アパートと同じ建物だから建物自体はぼろい。
今年 Renovation が完成した Sheraton だが、内装をいくら頑張ってみても、建物の構造の古さから来る天井の低さ、廊下の床のきしみなどは如何ともし難い。
部屋に T-1 の Eathernet インターネットラインがあるが、僕はケーブルを持っていなかったので電話でつなぐ。
eBay が気になって少しレンズを探してみる。気になるレンズがある。オークションに勝っても、帰国は明日なので、もうアメリカで受け取ることはできない。あきらめた。
そうそう、帰国直前にぎりぎりで済ませたことがいくつもある。
・みやげの Le Bus のクッキー 4箱購入
・リース車の修理
・eBay で購入したレンズの入手
どれもこれもぎりぎりだった。
クッキーは帰国前日に焼いてもらって自分でピックアップする予定だったものを、取りに行けなくなったため、頼み込んでアパートまで配達してもらった。
車は駐車場に預けてあった際にこすられたものを、駐車場の管理人に文句をつけて修理させたものだ。
これも帰国前日のきょうの夕方、完成。リース会社に返す前に直しておかないと文句をつけられ、金を請求されてしまうところだった。
eBay のレンズは、日本の木野光学が10年以上前に1000本ほど製造し、幻のマクロレンズといわれている、Vivitar 100/2.8 Macro。Kiron, Abenon, Vivitar, Rollei 等、各種のブランドで売られたようだが、僕のは Vivitar のニコンMFマウントだ。代金として送った USPS の Money Order が先方になかなか到着せず、気を揉んだが、帰国の前の週の金曜日にレンズが到着してほっとした。
Nikon F-601 につけてフィルム2本ほど撮影をしたが、現像は日本で行うつもりだ。
F-601 は AF機だが、マニュアルレンズでのフォーカシングは、思ったより困難でなかった。
撮影結果が楽しみだ。
これらは本当に「ギリギリ」の綱渡りだったが、結局、どれも予定とおり間に合った。
アメリカで人にものを頼んで「予定通り行く」ということはあまり期待できない。「予定通り」に行くということは当たり前のことでありながら、すばらしいことだ。今回の「ギリギリ」のいくつかのケースでは、何回も電話などで確認しながら進めたことが功を奏したようだ。
当たり前のことが当たり前に進む日本に帰るということは、うれしいことでもある。
最後の夜、近くをあてどもなく歩く。
また Walnut の Bar に入る。きょうは時間が早いせいか、入り口で police に ID を見せろといわれることもなかった。
American Pale Ale がきょうのスペシャルだというので、2杯飲んだ。なかなかイケる。新たなビールを知ったが、多分、日本で飲むことはないだろう。
Rittenhouse Square のベンチに座る。夜10時とは言え、この季節は結構暑い。
浮浪者とアベック、若者たちが混在している。
明日の朝は7時半のシカゴ行きに乗るので、早い。
ナトリウムランプに照らされたオレンジ色の蒸し暑い夜が更けて行く。
【Return to Hiro's Easy Essays】
92年にアメリカに来た直後に、その頃アメリカを去る知り合いが、数年間のアメリカ滞在で感じたことを文章にまとめたという話を聞いた。
僕はその内容を目にする機会はなかったが、「とても良いことだ」と思った。日々の生活であった出来事や、その折りに感じたことをまとめたら、自分にとっての財産になるのではないか、と漠然と思った。
しばらくして96年に、「ホームページをちょっと作ってみよう」という気持ちが起きたとき、このアイデアを組み合わせた。
こうして僕の Hiro's Completely Private Home Page はできた。
アメリカを去るから考えるというものではない。
アメリカで生活し、アメリカで仕事するが故に感ずることのできること。
毎日毎日、一瞬に感じたことを忘れないように記録する。
去るに当たってまとめるのでは遅すぎる。
--- そう思ったからである。
僕のアメリカ初体験は79年夏、大学3年の夏休みであった。
ちょうど1ヵ月のホームステイで、California 州 San Diego の黒人の家庭に滞在したときだった。
初めて来たアメリカでは、豊かさ、明るさ、自由奔放さを感じた。
当時は、ビジネスで来ることになるとは、考えていなかったが。
今、8年間の滞在を終えてアメリカを去るに当たり、すべての引越し荷物を運び出した後、がらんとした Philadelphia のアパートでこうして手持ちのラップトップに向かっている。
124回目の独立記念日ではあるものの、やけに静かだ。
この8年間を振り返ってみると、目に焼き付いて離れない光景がいくつもある。
そのどれもが、何気ないアメリカの情景ではあるが。。。
これらのうち、撮れるものは、できる限り写真に撮ったつもりである。
年間約60本、合計500本程度撮ったが、まだまだ撮り足りない気がしている。
・ロールしながら急に車線を変え、突っ走るフォードカプリスのイエローキャブ
・一方通行の広い道を何車線も使って車線を変えながら走るタクシー
・冬の車道から立ち上る白い蒸気
・1フィート以上積もり、なかなか融けない雪。
・4月中旬から一斉に開く春の花。
・冬の寒い朝、ホームにゆっくりと入ってくる6時45分 Noroton Heights 発のジーゼル列車
・小銭に入った紙コップを上下にゆすりながら立っている歩道の脇の Homeless
・厚いコートを着てショッピングバッグをたくさん抱えた人々
・グランドセントラルターミナルのホールの列車の発着案内表示板が切り替わる音
・メトロポリタンオペラの幕間に、バーでドライマティーニを飲む人々
・朝の列車の中。コーヒーを飲みながらウォールストリージャーナルやニューヨークタイムスを読むビジネスマン達。
(コーヒーは床に置く!)
・ブルックリンから見るマンハッタンの夜景
・デリに並んだケープコッドポテトチップ
・夕方の風に葉を落としてゆく Vermont の紅葉の木々
・強い陽射の中、大きなビーチパラソルを広げ、くつろぐ海岸の人々
・セントラルパークで水着で日光浴する人々
・カーネギーホールで歌うキャスリーンバトゥル
また、アメリカで生活していて、人々の行動でおもしろいと思ったことがいくつもある。
今となっては、全く違和感を感じなくなってしまっているが、最初はとても面白いと思ったものだ。
・ウェイターは、レストランで席についたばかりの客に、食事の前の飲み物をたずねる。
・電車に乗り、席についたときに前の席があいていると、靴を座席に投げ出す。
・家の中で靴を履いているぅせに、平気で裸足で外に出る。
・雨でも風でも雪でも旅先でも好んでジョギングする。
・水やコーラのペットボトルを持ち歩いてラッパ飲みをする。
・学校などでお菓子を使って工作する。
(食べ物を遊びに使ってはいけません!!)
・極めて大袈裟
- Oh My God !!
- 少し寒いときには徹底的に武装する
マフラー/手袋/厚いコート/帽子
・訴訟社会
車のサイドミラーへの注意事項の記載
誰が見るだろうか?
Objects in mirror are closer than they appear.
・スタートが早い(計画的)
新年は1月2日から普通に勤務
8年間居ても、まだまだ名残り惜しいアメリカ。。。。
僕が日本に帰国して3週間たつと、長男Kは1人でまた3週間ほどアメリカヘ遊びに来る。
そして彼が日本に戻った翌日から2週間、日本の我が家ではドイツからの高校生をホームステイのホストファミリーとして受け入れる。
--- 忙しい日々だ。
9時になり、Benjamin Franklin Drive に出てみた。
アパートの中での静けさがうそのようだ。黒人の比率は半分くらいであろうか。
すごい人出だ。Philadelphia Museum of the Art での Earth Wind & Fire のコンサートが始まった。
僕の高校生くらいの頃の懐かしい曲ばかりだ。
音楽に合わせ、聴衆は首や腰を振りながらリズムをとっている。
コンサートは10時半まで続き、その後、30分の花火となった。
日本の隅田川や多摩川の花火もすごいので、それに比べればどうということはないのかもしれない。
色はなぜか緑が多いように感じた。
アメリカへ来た直後の8年前のこの日、MM氏やIM氏と一緒にワシントンで見た花火を思い出した。
15分ほど歩いてアパートへ帰る途中、Walnut St. のバーによって Martini を一杯飲んだ。
【Return to Hiro's Easy Essays】
ごぶさたしております。
1992年にアメリカに来て8年間、この7月初めに帰国することになりました。
最初の6年4ヶ月は New York、最後の1年8ヶ月は Philadelphia で勤務しておりました。
帰国後は本店経理部主計グループで管理会計をやることになります。
家族は一足先に、この4月に帰国しています。
アメリカでは旅行と写真を堪能しました。
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残り少ない日々に、行っておくべき店/食べておかないといけないもの。
( 減量中の身 ではあるが。。。今、66.8キロであり、目標は達成していない!!)
・Poticheen (Sheraton Rittenhouse Square) - Grilled Hamburger
・Lombardi - Portabello Mushroom
・Reading Terminal Market - Fried Oyster
・Marathon Grill - Marathon Salad
・Pietro - Insalata Scicilliana
・Penang - Fishhead Soup
【Return to Hiro's Easy Essays】
2000/6/2 - 2000/6/12 Northwest Mileage 60000Miles
VIA Detroit
Penang (Philadelphia Center City)
IL Portico (Philadelphia Center City)
Monk's Cafe (Philadelphia Center City)
Plum Tree (New Canaan)
Mezzzalna (Manhattan)
Cafe Pierre
King of Prussia Mall
- Restoration
- Smith and Hawken
Manayunk / Philadelphia
New Castle / Delaware
Frank's
Darien Garden Center
Manhattan Skyride
IMAX
Empire at Night
Puerto-Rico
Haward Johnson Darien
Four Season Pierre
【Return to Hiro's Easy Essays】
Extended Stay America
French Quarter
French Market
Jackson Square
Cast Iron Balconies
Mr. B's Restaurant
Nachez Steamboat : Missisippi River
Garden District
Bourbon Street
"Cat's Meow"
"Maison Bourbon"
"Cocktail"
Jambalaya
Gumbo(Okura)
Crawfish
【Return to Hiro's Easy Essays】
K
「脳を鍛える」立花隆
少し早いけれど、誕生日おめでとう。この本が紀伊国屋から2−3日で家に届きますので読んでみてください。
そもそもこの本は、ジャーナリストの立花隆が、東大教養学部の1年生に向けて行った講義をまとめたものですから、
中学に入学したばかりの君には大変難しく、ほとんど読めないと思います。
それでも少しだけ読んでほしいと思ったのは、この本がとても良い本で、なおかつ、その中で序文のところなら君にも
何とか読めるだろうと思ったからです。
22ページから36ページだけ、それもわからないところは「さっ」と流しながらでも良いから読んでみてください。
それだけでも価値のある本だと思います。
難しいものに早いうちから出会うことは良いことです。
以下、少しエッセンスを引用します。
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-----いつもその底にあった一番の問題意識は、人間とはそもそも何なのだということでした。
(中略)
まず最初になすべきことは、それがそれ以外のものとどういう関係に立っているのか、その関係性において
考えてみるということです。その関係性をあらゆる局面においてとらえていけば、それがいかなるものであるかは
自然に見えてきます。あらゆる存在は関係性の総体としてあるんです。私という存在についていうなら何との関係に
ついてそういえるかといえば、自分以外のすべてのものです。自分以外のすべてのものとは何かというと、環境です。
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ここで、特定の思想を推賞しようとは思いませんが、これから思想の大海に漕ぎ出そうとしているきみたちに、
与えておきたい一般的注意はあります。
まず、思想の持つこわさを知っておけということです。特定の思想はしばしば特定の人に、恐るべき吸引力を発揮します。
そういう相手と早いうちに出会ってしまうと、他のものが何も見えなくなってしまいます。
ブラックホールに引き入れられた星と同じで、生涯そこから抜け出せなくなります。
いわゆるハマった状態になってしまうわけです。特定の宗教思想に深入りした人はみんなそうです。
(中略)
そういうトラップに落ち込まないようにするためには、「絶対の真理なんてものはない」ということを知っておくことです。
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結局、ある人の思想に本格的に出会いたいと思ったら、その人のオリジナルな著作に直接ぶつからなければいけません。
他人の評価は、自分で直接読むまでは、話半分、参考程度に聞いておくべきです。価値評価こそ「主体性においてある」ことの
最たるものです。他人がどう評価しようと、きみ自身がそれをどう評価するかが問題なんです。
きみ以外の人全員がほめそやすものでも、きみがダメと思ったらダメなんです。きみ以外の全員がブーイングするものでも、
きみがいいと思ったらブラボーを叫ぶべきなんです。他人の評価と自分の評価が著しく食い違うと、誰でも自信をなくしがちですが、
そこで自信をなくしてはいけません。評価というのはいつでも主体的なものです。ユニークで個別的でいいんです。
結局、人間が
生きた軌跡というのは、生きる過程で次々に下していく価値評価の時系列の総和として残されていくんです。自分が下した
自分なりの価値評価とそれにもとづいてとった自分の独自の行動とが、自分がそのとき生きていたことの証しとして残っていくんです。
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(引用終了)
こちらでプレゼントを買ってあります。
6月におかあさんが来た帰りに日本へ持って帰ってもらいます。
New York Transit Museum の 金属製の紙ばさみです。
【Return to Hiro's Easy Essays】
先週は90度という季節はずれの猛烈な暑さだったので New Jersey のビーチへでかけたが、
最近、休日は写真の整理ばかりしている。
New York の Carol Photo Lab で引き伸ばしたカラー写真
昨年の Philadelphia University of Art の Photo Session で引き伸ばした白黒写真
Mystic Photo Lab で引き伸ばしたカラー写真
などを、マットに入れ、黒いふちの Museum 仕様のフレームに入れるのだ。
マットカッターも Logan の本格的なものを買い、マッティングの仕方も調べて丹念に作業している。
これまで、マッティングなど、ただ写真にマットボードをのせるだけ、などと安易に考えていたが、決してそんな簡単なことではないことがわかった。
第一、位置にしても写真の下側のスペースを多めにとる方法もある等、考えてもみなかった。
しかし、こんなにたくさんマットボードとフレームを買い込んだところで、どこに飾るのだろうか?
それが最大の問題だ。
Light Impressions (Photo Frame)
画材関係、写真ファイル等
【Return to Hiro's Easy Essays】
Kが2年前に作った詩。
I have a feeling
In my mind
It is hard to explain
It is weird
In my mind
It is a block
It is weird
I wish
It is a block
To me
I wish
It would fade away
From "Anthology of 5th Grade Poetry (June, 1998)"
【Return to Hiro's Easy Essays】
JFKに家族を見送った。
92年8月15日に同じJFKで家族を迎えてから、7年7ヶ月あまりである。
当時5才と1才だったKとAは、12才と9才になった。
7年半以上使ったアコードにホテルで別れを告げ、僕のトーラスに荷物を積み込んでグリニッチから走って来た。
あいにくの曇り空だ。どうにか雨は降らず、持ちこたえている。
家族は、しばらくはマンハッタンを見ることもないだろう。
White Stone Bridge からの遠景がしばしの見納めだ。
タダのビールやデニッシュでくつろげるのを良いことに、僕ら家族は搭乗の2時間以上も前からANAのラウンジの窓側の席を陣取った。
しばしポーカーに興じたりする。
ラフな服装をしているときに、会社の人に2人も会ってばつが悪かった。
Aはポケモンジェットだと言ってはしゃいでいる。
ルーフトップパーキングに戻ると、飛行機は滑走路にゆっくりと出て行くところだった。駐車場の反対側まで行ってから金網越しに飛行機を見送った。
ポケモンジェットは大きく旋回しながら雲の中にゆっくりと吸い込まれて行った。
彼らの到着後2−3日で引越荷物が着く。アメリカで膨れ上がった荷物を、日本の小さな家にどう収めるかが問題だ。
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僕は92年にアメリカに来てから6キロほど太った。
年齢から考えて太りやすい時期であるとはいうものの、久しぶりに会う人々の55%に「太ったねぇ」と言われるのは気持ち良いものではない。日本人の標準体重を超えてしまっているのも癪である。
そこで、
という目標を設定し、若干の減量を図ることにした。
これを達成したら、僕がカメラ1台とレンズ1本を買って良い。
達成できなかったら、僕がKにノートパソコンを買ってあげる。
という約束を家族とした。
どちらにしても僕が出費することになるため、まことに確実な景気浮揚策である。
ただし、我が家の家計に少なからぬ圧迫を与えるのが最大の難点である。
(日本の景気対策にしないといけない。間違っても、衰えるところのないアメリカの景気に貢献してはいけない。)
家族がアメリカを離れたことでもあり、JFKから帰ってきて一休みしてから、心機一転してジムに行ってみた。
アパートの住人はタダで使用できるジムである。
とりたててきれいな設備ではないが、ロッカー・シャワーが付き、朝6時から夜11時まで開いている施設が徒歩3分のところにありながら使わない手はない。
40分ほどトレーニングして帰って来てから、こうしてビールを飲んでいる。
【Return to Hiro's Easy Essays】
Darien から日本への引越し荷物を出した我が家族、J、K、Aは、寝るところがなくなったので、身の回りの荷物をアコードに積み、ホテルをわたり歩いている。
Stamford の Westine
Darien の Haward Johnson
Philadelphia の僕のアパート
そしてまた、Greenwich のHyatt
Aの発言。「ホームレスみたいだね」。
そのとおりだ。
本格的なホームレスよりは少しだけ身なりは良いが、きのう行った King of Prussia Mall のステーキ屋 Sullivan にはとても入れる服装ではなかった。
どんな店かわからなかったのでちょっと入り口を覗いてみたが、とてもジーンズに子連れで入る店ではなかったのだ。
すぐにあきらめて外へ出たが、すっかりステーキのおなかになっていたAなどは、ちょっと涙ぐんでしまった。食べ物のこととなると打って変わって真剣な彼女である。
Philadelphia のアパートに戻って車をパーキングにいれ、近くの韓国焼肉の店へ転進したのは言うまでもない。Aは骨付きカルビの骨近くまでしゃぶって満足だ。
Aは帰国前日の4月3日まで Royle School に登校する。
Kも帰国し、日本の中学校に入る。4月8日は入学式だ。日本で学校に通った経験のない彼は、本当に日本語というものを知らない。
−「にっちもさっちもゆかない」という表現を知らなかった。
−「どよんでいる」=「よどんでいる」のつもり(きのう行った Longwood Garden の Small Lake での発言)
Jと僕は、「大丈夫だろうか?」などと笑いながらKをからかっている。
まあ、大丈夫なのだろう。
8年近く乗ったアコードの売却契約は済んでおり、帰国当日の朝、ホテルに駐車場にキーを閉じこんで残して行く予定。
マイレージは8万7千となった。
【Return to Hiro's Easy Essays】
僕は最近、eBay にはまっているが、最近、売りと買いですばらしい取引をした。
ある日、「FD80-200」でサーチをかけていてひっかかった 80-200 付の AE-1Proramの写真を見て「はっ」とした。
紛れもなくLタイプだ!!
出品者はカリフォルニアの質屋。eBay の登録名が、"pawnsign" というのでピンと来た。
質屋であるためか、このレンズの価値を知らずに無造作に出品している。出品の名前にも、Lの字をつけていない。その上、レンズ単独ではなく、カメラにつけて両方で出品しているので実に目立たない。
僕は、はやる心を押さえながら、E-Mail で何気なく聞いた。「Lタイプか?」と。
「何のことか意味がわからぬ」という返事だった。
そこで、「赤いLの字はついているか?」ともう一度聞いた。
答えは「Yes」。
eBay への出品に際し、Lの文字はないので、全く気を引かないはずだ。そうなれば、かなり安く競り落とせる見込みがある。
世界に、僕の他にこの掘り出し物に気づいている人が何人いるかが問題だ。
僕はボディも込みなので、550ドルくらいまで出す用意で、オークションに参加した。AE-1プログラムブラックボディの価値を120ドルと見れば、レンズに430ドル位の覚悟をしたといえる。
めったに手に入らないレンズなので、最大限、この位は覚悟しなければいけない。それに、もしうまくLタイプが手に入ったら、今使っている Non-Lタイプを150ドルくらいで売り飛ばせば差額は280ドルで済む。
結果。
注目している人が少なく(僕のほかにわずか2人!)、あっさりと320ドルで落札した。郵送料15ドルを加え、335ドルのマネーオーダーをカリフォルニアに送って3週間でレンズを入手した。
しかし、このレンズには若干問題があった。レンズ本体はパーフェクトであるものの、絞りが故障していて絞られないのだ!!
これはまずい。
もちろん、この程度のことはあり得るものと覚悟していた。レンズ本体の傷でなければ、比較的簡単に修理可能である。キャノンに聞いたら、100−150ドル程度で修理可能とのこと。
それを先方に伝え、50ドルを負担させることにした。本当はアグレッシブに全額負担させても良かったのだが、あまり強硬に出て、「それなら金を返すからなかったことにしよう」といわれてもまずいので50ドルで気持ち良く手を打った。
最終的には、285ドル+修理代(+修理に出す僕の手間)で AE-1プログラムと80−200/4Lを入手したことになる。
98ドルで修理の終わったレンズは、今、New York のカメラ屋で僕に引き取られるのを待っている。
おまけに、前回 New York に行ったときにふらっと入ったカメラ屋で、このレンズ用の純正のフードの中古を9.95ドルで発見した。
僕は今、大いに満足している。
New 80-200/4 → New 80-200/4L
New 35/2.8 → 35/2.0 → 35/2.0SSC
FTb → New F-1 AE + Winder
T70 → AE-1 Program
EF(追加)ただしメーター不良(これは承知の上で安く買った)
(注)僕ら家族の間では、家族の他のメンバーに悟られないように自分の買い物をすることを「ひっそりと買う」と呼んでいる。
日本語の若干怪しいAがある日、「こっそりと」というべき時に「ひっそりと」と言ったのを機会に、はやり始めた用語である。
もちろん、僕の eBay での買い物は、「ひっそり」の一環である。
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帰国直前まで遊びたがる家族である。
Killington に来た。Kはこの半年は、一応、受験勉強とかでまじめに勉強していたので、スキーは今シーズンは最初で最後である。
気温は50度以上に上がり、ゲレンデの下の方は雪が融け始めている。この時期の雪は Corn Snow というらしいが、ゲレンデの一番下にはみずたまりさえある。
3泊して2日しかすべらないという、もったいないスキーだったが、これがアメリカ最後のスキーということで、昨年完成した Grand Hotel の2BR Sweet をおごってしまった。
雪山を見ながらの温水プールとホットタブというのは気持ち良い。
さて、Killington とは全く関係ないが、どうやら僕の公衆の面前での声は、人様より大きいらしい。
昨年夏に一時帰国した際に、KとJと一緒に僕の母校(中学・高校)の様子を見に言った際のことである。
山の手線の渋谷駅を降り、井の頭線に乗り換える途中、東急百貨店のエレベータ横の階段の下で僕は驚き、無意識に言葉を発していた。
「あれ、このソバ屋の場所、昔トイレだったんだよな。よく『うん○』したもんだ。」
--- そうそう、横浜駅から東横線で渋谷に来て井の頭線に乗り換える途中でこのトイレには世話になったものだ。
どうやら、Kによると、僕の声のボリュームはちょっと大きかったそうだ。
中でソバを食べている人たちに聞こえたかどうかは知らない。
でも、僕は事実を淡々と述べたまでだ。今、何も知らぬ人々がカレーうどんをおいしく食べようと食べまいと、僕の知ったことではない。
昔の墓地に小学校が建つと、その後、便所から手が出たりするというのが定説だが、便所がソバ屋になった後にどうなるかを記した日本の伝説には僕はまだ出会ったことがない。
僕はアメリカにいるので、日本の伝説には疎いのだ。
一般的に、日本人がアメリカで生活し始めると、「人前で日本語で堂々と変な話をする」癖がついてしまうのは有名な話だ。
まわりの人がわからない(と勝手に解釈している)ことを良いことに、
「わあ、これ安いわね、日本なら○万円よ!!」(Clinton のアウトレットで安いものを発見したとき)
「ここのウェートレスはダラだなあ。」(レストランのサービスが遅いとき)
「ほら、変な人が前から来るから脇によけなさい」(ホームレスが前から来たとき)
「このドライバーの英語はまったくわかんねえな!!」(Manhattan のアラブ系やバングラデシュのタクシードライバーの英語がわからないとき)
などと、堂々と話してしまう。
僕も、一時帰国したときに、ついその悪い癖が出てしまったようだ。
あぶない、あぶない。
Killington とは全く別の話になってしまった。
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日本から eBay を見たH氏から、ナカミチのカセットデッキを買って欲しいとのメールが来た。eBay にはずいぶんとつぎ込んでいるので、お手の物だ。
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僕も見てみました。ナカミチのダビング可能のカセットデッキですね。
現在のビッドは16ドルになっていましたが、もちろん、この近辺の価格で買えるわけではありません。
価格は、ビッド終了(この商品の場合は3月3日(金)19:05:42PST )の30分前から数秒前に急上昇するのが通例です。
また、この商品は Reserve Bid になっているので、ビッドの最高価格が売り手の最低希望価格(他人にはわかりません)より低かった場合は、売買は成立しません。
"US bidder pay $15 for shipping and handling" と書いてありますが、日本への送付につき、メールで問い合わせてみましたか? 日本からドルの送金は、郵便局(銀行も扱っているかな?)で Money Order を買って郵送するのが最も楽でしょう。
(海外への送付は税金面でのトラブル等を気にして嫌う業者・人もあるようですが、実費を払えば直接送ってくれる場合も多いと思います。僕も先日、パソコンをカナダに送りました。)
eBay は会員になるのは全くタダです。年会費のようなものもありません。
なお、以下の条件でOKなら、僕が代理でビッドし、日本へ送りますのでご返事下さい。
1.事前に、商品にいくらまで支払う用意があるか教えて頂く。
(カメラ・レンズでの経験だと、中古市場の6−9割程度で最終的に競り落とされる例が多いようです。もちろん、ビッドに参加する人数が多いほど(人気商品ほど)この割合は高くなります)
2.ビッドで落札した場合、必要経費実費(以下のようなもの)をすべて円換算して事後的に日本の僕の銀行口座に振り込んでいただく。
(1)Sellerに対する最終支払額(商品代+郵送料)
(2)Money Order(先方送る小切手のようなもの)の発行手数料 約2ドル
(3)僕のところから日本への郵送料(航空便100ドル前後、船便で50ドル位でしょう。関税は、今まで請求されたことはありません。)
3.僕の役割は、ビッドし、先方と連絡を取って送金し、先方から送られてきた商品をチェックせず、単にそのまま日本へ転送するのみとする。
(万一、商品に不備があっても、一切関与できません。)
以上の条件でOKであれば、喜んで代理します。
最後に落札価格の予想です。この商品は、"Retail $600" と書いてあります(真偽は全くわかりません)が、中古品なので、たとえば中古相場を $400 とすれば、その6−9割、すなわち $240-$360 程度が最終落札予想価格ということでしょう。今回の場合、2(3)が余計にかかるので、有利かどうかは分かりませんが、この商品が「日本で入手困難」ということであれば、大いに価値はあると言えます。
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モノクロの写真をアップした連絡をしたら、旧友H氏から早速メールが来た。
「 Series 12 : Manhattan (1999-10) 」
「 Series 11 : Grand Central Terminal (1999-9) 」
以下はそのメールに僕が出した返事。
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早速のコメントをありがとう。
TCNというのは、Kodak からこの1−2年の間に出た新しいタイプのモノクロフィルムです。
一般のカラーネガと同様、C−41処理が可能なので、街のラボに現像・プリントに出すことができます。
ネガのベースは一般のカラーネガと同様、オレンジ色をしていますが、普通のモノクロ用の印画紙にプリントします。一般のラボにそのまま出すとカラーの印画紙に焼くことになりますが、色はモノクロになります。(時によって、若干セピアがかったり、青みがかったりしますが。)
感度はISO400ですが、可変感度であり、100−800位まで、全く問題無く使えます。粒子はとても細かく、焼いた感じは、「トーンがとても美しく、グレーが良く出る」という印象です。
焼く際に印画紙のグレード(号数)をうまく選ばないと、眠い感じになることもあるようです。
総じて言うと、自分でフィルム現像をする必要がない上にトーンが美しいので、Tri-X などの一般のモノクロフィルムを使う気がしなくなります。
Kodak より先に Ilford もこのタイプを出していますが、昨年 New York に来たSさんなどプロも結構モノクロにはこのタイプを使っているようです。
(A氏が3年ほど前の写真展の作品に使ったのは Ilford のものだったそうです。)
いずれにしても、(フィルム現像はしないにしても)、自分でプリントしたくなるのがモノクロ写真ですので、日本にどこか良い貸しラボがないか、そのうち探してみようと思っているところです。
なお、去年、Manhattan と Grand Central Terminal を合計6−7本撮りましたが、その際の撮影機材は以下のとおりです。
Canon T70, FTb, EF
FD 100/2.8, 50/1.4, 35/2.8
昨年から FD シリーズを見直し、eBay で以下のようにずいぶんと買い込みました。NIKON と異なり、もうマニュアルフォーカスの現行機種のボディを販売していないので、寂しい限りです。
New F1 Body
AE-1 Program Body
EF Body
FD 35/2.0
FD 80-200/4.0L
FD 80-200/4.0L は歴史に残る(?)名レンズですが、カリフォルニアの質屋から、AE-1Program の Body と込みで320ドルという破格の値段で買うことができました。
(まだ現物が届いていないのですが、使ってみるのが楽しみです。)
20年近く前に買った Bronica SQ は何となく億劫で使わないため、eBay で売る予定です。
(目標はレンズ込みで800ドル位いかな?)
今回はネガを 外注で CD-ROM にして(24駒で10ドル)、それをアップロードしています。
別途、ネガからのプリントをマッティングしてフレームに入れ、壁に飾る用意をしています。
日本に帰国したら(いつのことやら?)我が家にご招待しますので見に来てください。
【Return to Hiro's Easy Essays】
Mission San Xavier Del Bac
Arizona Inn
Sabino Canyon
Daniel's
Tucson Museum of Art
Corbett House
Medditerranean
Spanish Territorial
Mission Revival
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【土曜日】
イタリアンマーケット
9th Street Christian 以南
肉屋・魚屋・卵・チーズ・野菜・香辛料・衣類・・・・アメ横や香港の市場を思い出す。
9th 沿いに所狭しと並んでいる。
Butcher's Restaurant
角にある明るいレストラン。インテリア(というほどのものでもないが)がイタリアを感じさせる。
カラマリ入りのスパゲッティがおいしい。茹で加減は期待していたほどではなかったが。。。
コーヒーも良い。
ティラミスを食べた後にチップを若干弾み、写真を撮らせてもらう。
35ミリをつけた New F-1 を出し、ファインダーを覗かずに露出をセットし、マット面でピントを合わせながらいろいろな方向を向いて手早く10駒くらい撮る。
マット面でピントを合わせることには最近、慣れて来た。プロはそうするものと昔から知っていたが、合わせにくいものと決め込んで、ほとんど試したことがなかった。しかし、先日、プロカメラマンのS氏が言っていたように、「慣れれば何でもない」ようだ。フレーミングのために構え直す必要がないため、非常に良いテンポでシャッターが切れる。しかし、ピントが「紙のように薄い」大口径のレンズを開放付近で使うには、相当の技量が必要なのだろう。
帰りに Midcity Camera に寄って10日程前に頼んでおいた5X7のプリントを70枚程受け取る。
「大量なので割り引いてくれ」と頼んでおいたら、25%引きになっていた。やはり頼んでみるものだ。40ドル位い得をしたはずだ。
しかし、色の具合は期待していたほどではない。やはり、プロラボにもっと高い金を出して頼まないとだめなのだろうか?
夕方、ビールを買いに車で出る。
初めて行ってみる Schulkyl River 沿いの Beer Distributor だ。
Pennsylvania ではワインやスピリッツなどを扱う一般の酒屋にはビールがないので、Distributor へ行くしかない。
しかし、どうしてみんなこんなにぼろいのだろう。崩れたような倉庫にビールの箱が積み上げてある。
突然マフィアが横から拳銃を持って "Hold Up !!" と言いながら出てきても全く違和感のない場所だ。
少し怖い気がしないでもないが、しかしビールを飲まないわけには行かない。
以前のように週末に Connecticut の家族のところに帰ってそのついでに勝手知ったる近くの酒屋で買うこともなくなり、在庫も底をついてきた。
倉庫の中へ入ってみると、学生風の人も来ていて、怖くはない。
最近、お気に入りの California のビール "Siera Nevada Pale Ale" のビン入り24本と、Australia の Fosters の缶入り24本を買う。
しめて40数ドル。
【日曜日】
Philadelphia Museum of Art の3日目。
定刻(?)の9時45分に無料駐車場に Taurus を入れる。
きょうは1階の南ウィング。1850年以降のヨーロッパ美術と20世紀美術。
ゆっくりと絵を見ていると、写真に応用できる光の具合に「はっ」とさせられることがある。
その後はカフェテリアでサラダとベーグルのブランチ。
夕方、天気予報どおり、雪が降って来た。気温が高いので Rittenhouse Square を横切って買い物に出る。
WAWA。
New Jersey で Dairy Farm から始まった店だそうだ。店内のATMで金をおろしてから買い物。
缶詰のスパゲッティ2缶・カップラーメン2個・HERRS のポテトチップ1袋(Cape Cod Potato Chip が残念ながら見当たらない)・バナナ6本・クロワッサン1個。。。
しめて16ドル64セント。
入り口でドアを開けてくれた黒人の浮浪者に小銭を30セントほど恵んでやった。
【Return to Hiro's Easy Essays】
1週間で日本へ行って来たので、体内時計がめちゃくちゃになっている。
外出して歩いた方が良い。
日本で拾って来たと思しきインフルエンザ(?)がつらくはあるが、外に出る。
【土曜日】
Longwood Gardens
Philadselphia から南西へ車で1時間弱。
DuPont の会長 Pierre du Pont 氏が創設した庭園。
Conservatory の 蘭(Orchid)で有名。
クリスマスの時期にはイルミネーションが美しいそうだ。
春になれば外の花が美しいだろうから、また来ねばなるまい。
アマリリス
Longwood Gardens
I95 S Rt322W Rt1S
【日曜日】
フィラデルフィア美術館を4回に分け、順にやっつけることにした。
1回につき、1時間から2時間とし、日曜日の朝に見ようと思う。
今まで2度訪れているが、4等分は以下の通りとする。
2F南ウィング
Japanese and Chinese Art
Asian Art
European Art, 1100-1500
2F北ウィング
European Art, 1500-1700
European Art, 1700-1850
Arms and Armor
1F北ウィング
European Art, 1850-1900
20th-Century Art
Contemporary Art
1F南ウィング
American Art
第1日目のきょうは2F南ウィング
Philadelphia Museum of Art
水曜日は8時45分まで
日曜日は2時までタダ。10時の開館よりも前に行けば、無料の駐車場さえ空いている。
【Return to Hiro's Easy Essays】
それは Sunday Brunch をオーダーして昼間からワインをちびちび飲みながら、つい先ほどモールの本屋で買ったばかりの写真集を眺めていたときだった。場所は King of Prussia の California Cafe Club。
朝飯はわびしくシリアルを大箱から手掴みでボリボリと口にほうり込んだだけだったので、昼飯はちゃんと食わないといけない。
ちゃんと、といってもハンバーガーだが、ここのはおいしいことが分かっている。ハンバーガーほど店によって差のある食べ物も少ない。
それに、どんなに高くても、まず10ドルを超えないというのも大変よろしい。
それで写真集をワインやオリーブ油で汚さぬように気を付けながらページを繰り、NO.19 の写真を見て驚愕した。
---- 僕の写真だ!!!
と一瞬思ったのも無理はない。
9月に撮り、12月の最終作品 の中の1枚にした写真とそっくりなのである。
【共通点】
・撮影位置
家に帰って来てから自分の写真としげしげと比較してみたが、厳密にいえば、Abbott は僕より右後ろに3メートル程下がった場所から撮っている。
・フレーミング(仰角も同じくらい)
・撮影時刻(光の当たり方がそっくり)
63年前に彼女が撮ったのとほとんど同じ場所で、知らぬうちに僕が同じ構図で撮った。
何かの縁を感じる。60年以上を経て、ニューヨークはずいぶん変わったはずだが、意外にも Down Town のこの場所はほとんど変化していないのも興味深い。
Berenice Abbott -- Changing New York
The New Press ISBN 1-56584-556-0
僕のお気に入りの "The Night View" が収録されていることを予想して買った写真集だった。
ラミネートでくるまれていたので買うときには確認できなかったのだが、意外にも、この作品は収録されていなかった。でも、冒頭の発見をした訳だ。
巻末のキャプションを付記しておこう。
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Wall Street, City Hall, and South Street Districts
No.19 Broad Street, looking Toward Wall Street
(Abott File 149)
On the same day, she photographed Canyon :
Broadway and Exchange Place, Abbott captured this view on Broad Street, four blocks away.
It is her only depiction in the project of the New York Stock Exchange (with scaffolding, center left) and the U.S. Sub-Treasury (Truncated, center right), which stand at the intersection of Broad and Wall Streets. More interested in the environment of Wall Street than its tourists sites, Abbott featured Schwartz's restaurant (left) and the relatively obscure but graceful facade of the Lee-Higginson Bank (1929, right) along Broad Street's gentle curve. A long lens allowed for the inclusion of the stepped pyramid top of Bankers Trust (1912) and the twin towers of the Equitable building (1915), which stood four blocks away.
Three new sleek office buildings on the west (left) side of Broad Street have made this view more monotonous than it was in Abbott's day.
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Abbott の撮影日は 1936年7月16日。
僕のファイルは 1999-40-1-2-4 である。
(撮影は 1999年9月)
【Return to Hiro's Easy Essays】
○○様
明けましておめでとうございます。
12月31日は何をするというのでもなく、パソコンのデータのバックアップをしながら、CNNで世界の国々が順に2000年を迎えて行くのを見ていました。
エリツィン大統領が土壇場で辞任したので、原発のY2K対策に余程自信がないのか、などという不届きなことを考えましたが、結局旧ソ連を含め、Y2K関連では今のところ大した影響は出ていないようですね。
家族が11月末から日本に一時帰国しているため、僕自身は Philadelphia のアパートで2000年を迎えました。
200万人が集まる New York の Times Square のカウントダウンに行っても混雑しているだけだし、テロの危険があるのでそんな気は起こしませんでした。
アメリカは年末から、シアトル近郊で、爆薬を車に積んでカナダから入国しようとした男が捕まったりで、ややキナ臭かったのです。シアトルの2000年を迎えるセレモニーは直前に中止されました。
2000年になる瞬間には、アパートの前の Rittenhouse Square 公園の Festival に出ていようかとも思いましたが、11時45分位いに表に出てみたら、閑散としていました。
「こんな寂しいところで年を越すのは嫌だ」と思って部屋に戻り、慌ててCNNをもう一度つけて、テレビで Times Square の大騒ぎに加わった次第です。
今朝、1月1日の Philadelphia は霧です。アパートの窓から見える高層ビルは、上の方が全く見えません。
「2000年は霧の中」ということでしょうか?
しかし、いつの時代だって、先のことはわからないのです。わからないからこそ考え、決断するのだし、「可能性」ということがあるのだと思います。
一時、経済の影響もあって日本はあまり良くない方向に向かっているという世論調査を目にしましたが、僕は全く気にしていません。
もちろん、できる限り、「我々の考える良い状態」で子供たちの世代に引き継いで行くのが我々の世代の使命でしょうが、それから先は彼らが考え、彼らが自分で行動します。
老人臭くなってしましたが、自分自身、子供たちにあまり指図したくない、ということなのかもしれません。
子供たちの可能性は計り知れないものです。
去年の2月に買ったPCのマザーボードがイカレて、Windows の再インストールさえできなくなってしまいました。
ハードディスクやメモリーなどの部品を取って使いますが、また別に一台買う必要が生じました。600−700ドルの安い機械で性能は十分なので、物色してみようと思っています。
---- そうこうしているうちに、霧が晴れて来ました。きょうは日が射し、次第に気温が上がってすごし易い日になるようです。
2000/1/1 9:00 EST
From Philadelphia