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四国の星 掲示板
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侮辱的表現、宣伝、意味不明なものについては主催者・玉井彰が削除します。
(なお、論理的でない書き込みに対する『返信』は遠慮する場合があります。)

素朴な疑問 / ぬるぬる 引用

『読売11月21日社説に見る──』を一読させていただき、感じた疑問がいくつか。

1. 『解決策とは無縁の「愛国心」をテコに国民の内心領域に国家が関与してくる法案』とありますが、愛国心を大きく打ち出した改正案を提出したのは貴党ではなかったでしょうか? 玉井さんが問題視なさる自民党案の問題点とは具体的にはどこですか? また、それを解消するためにはどのような法案にすべきだとお思いでしょうか。

2. 『国家のため国民のために』と謳っておきながら『一般的な法案』とは違い『教育の憲法』とまでお呼びになった教育基本法改正案の審議を『熾烈な権力闘争』の出汁にしているのは何故でしょうか? 教育基本法をそこまで大切にお想いになり、また自ら改正案までお出しになったのですから、民主党が『国民のため』を想うなら野党共闘を断ち切ってでも審議に出るべきだったのではないかと思います(与党案を全面的に肯定なさるなら話は別でしょうけど)。はっきり言ってしまえば、民主党には『教育基本法をより良いものにしよう』という意思があるようにも『いまの教育基本法で十分だ』という判断があるようにも思えません。民主党は『熾烈な権力闘争』に誰のために参加しているのでしょうか。

No.207 2006/11/23(Thu) 00:09:07

 
Re: 素朴な疑問 / 玉井彰 引用

政府案 第2条5項 「 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」

「我が国と郷土を愛する・・・態度を養うこと」という文言は、国民の内心傾向に立ち入って愛国心の度合いを評価することにつながってきます。「国旗国歌法」が現場で暴走している現状を見ても、強く危惧される問題です。

教育基本法は、「教育の憲法」と広く呼ばれています。実質的な下位の法規が幾つもあります。憲法の理念を教育の分野で表している基本的な法律です。

読売新聞への批判の1つとして、彼らは自社体制下の八百長国会のことを現場で取材して熟知しているにもかかわらず、不倶戴天の二大政党の対立における様々なやりとりを同列に論じたがっているということを挙げたつもりです。

案があるのなら国会に出て議論せよというのは、状況によっては、度胸があるのなら素手で刀を振り回している乱暴者に立ち向かえというのと変わらない議論になります。

圧倒的な多数を与党が占めている以上、採決すれば必ず与党案が成立するのですから、実質的な審議が確保されることが必須要件でなければなりません。それが確保されなければ、国会はただの承認機関になってしまいます。

なお、私は現時点で民主党を離れており、ただの支持者に過ぎませんので、私の意見を民主党の見解と思われると、民主党に迷惑を掛けることになります。この点は十分に御理解いただきたいと思います。

No.208 2006/11/23(Thu) 07:22:23

 
Re: 素朴な疑問 / ぬるぬる 引用

ご回答ありがとうございます。

1.にくださった御回答について。『「我が国と郷土を愛する・・・態度を養うこと」という文言は、国民の内心傾向に立ち入って愛国心の度合いを評価することにつながってきます。』とのことですが私はこれを暴論だと思います。が、教育基本法が理念法である以上は解釈に幅が生まれるのも致し方ないことと思うことにします。

次に2.への御回答について。『案があるのなら国会に出て議論せよというのは、状況によっては、度胸があるのなら素手で刀を振り回している乱暴者に立ち向かえというのと変わらない議論になります。』とありますが、そこまで無茶を言ったおぼえはありません。「国会」「議」員が「国会」で「議」論するのは当然の話ではないでしょうか。審議には100時間以上が費やされてきました。かけられた時間をもって審議が実質的であったかどうかを図ることはできないと思いますが、しかし、このことについて、その時間の大半を使いながら実質的な審議に協力しようとしなかった野党の責任は大きいと思います。

No.210 2006/11/24(Fri) 02:35:21

 
Re: 素朴な疑問 / 玉井彰 引用

「国旗国歌法」における都教組の暴走に見られるように、現場は暴走します。治安維持法においてもそうでした。その点をどう見るかです。

審議時間の大半は与党と政府の「会話」です。そして今回は、審議途中で政府に都合の悪い事実が噴出してきました。形式的な審議時間が確保できればゴーサインというのでは、議会は単なる承認機関となります。議会審議を通じて国民の理解が深まった後の採決なら、これは多数決民主主義の結果として受け入れなければなりません。

多数決民主主義に対して、少数者の権利や意見を大切にする民主主義、立憲民主主義の見地からの検証も必要です。

No.211 2006/11/24(Fri) 09:56:43

 
Re: 素朴な疑問 / ぬるぬる 引用

今問題になっている教育基本法改正案においては暴走の危険性(暴走によってもたらされる「被害」)は極めて小さいと私は思っています。少なくとも死刑を含む重罰を盛り込んだ治安維持法と同列に並べるものではないでしょう。伝聞でしか知らない戦前やファシズムを連想し、愛国心に対して過剰な反応をしているように思えます。

審議の話になりますが、審議途中で与党に都合の悪い問題が発覚したのは事実ですし、私も与党は糾弾されるべきだと思います。しかし、その問題と教育基本法については全くといっていいほど関連がなかったのも事実で、審議時間を浪費する理由にはならないと思います(委員会など、他にいくらでも追及する機会はあります)。もし少数者の意見や権利を主張したかったのなら、関係のない質問や審議拒否などせずにそれを主張すればよかったわけです。少数者の権利や意見を大切にする民主主義、立憲民主主義の見地から見て、野党の行動が正しかったとは私にはとても思えません。

ご回答ありがとうございました。

No.213 2006/11/25(Sat) 02:40:03


言論の自由も「風前の灯」 / 安倍川餅 引用

 菅義偉・総無大臣が、NHKに「金王国による拉致問題を放送せよ」という「命令」を下しました。これは放送局への政治介入そのもので、報道の自由を真向から侵す行為です。これじゃあ、横浜事件が起こった62年半前に逆復りです。

 安倍晋三政権の危険な本性が明白になりましたが、この「放送命令」を皮切りに、政府が気に入らない連中を片っ端から始末する危険性が大きい。野党政治家に圧力を乗ける事は勿論ですが、一般の国民にも「国家に逆らう奴は始末する(=死刑に処する)!」となって特高警察が蘇り、終いには徴兵制が敷かれて「冤罪死刑」に追い込まれるでしょう。
 横浜事件で軍事政権に弾圧され、以来62年半、月に換算すると750ヶ月もの間、政府の横暴と闘ってる言論人にとっては、62年半という歳月は短いと思っているでしょう。惨刑新聞みたいな「軍部のスピーカー」は論外にして、新聞やテレビは「放送介入、ふざけんな!」って論陣を張るべきですね。

 一方で、美しい国(アメリカ=美国)の中間選挙では、「世界の警察官」を気取ってアフガンやイラクで侵略戦争を進めたブッシュ2世の凶瓦党が、敗北を喫しました。戦争屋ラムズフェルドの首まで飛ぶ程です。大量破壊兵器っていう詐騙(ぺてん)が、明かになったからでしょう。戦時体制への移行を狙う安倍政権とは、正反対の動きです。

No.203 2006/11/11(Sat) 13:44:06

 
Re: 言論の自由も「風前の灯」 / 玉井彰 引用

報道の自由と「命令放送」とは、相容れないというべきでしょう。

どうしても拉致問題について放送して欲しいのなら、最低限、国会での議決を求めるべきです。放送法を総務大臣(内閣)が安易に解釈適用してしまうのは危険です。

安倍氏は、報道をコントロールしたいという気持ちの強い人物です。昨年のNHKの放送への介入を見ても、余裕のなさを感じます。

報道機関が架空の人気を創造してつくった内閣ですから、当事者としては内心不安で仕方がないのでしょう。いずれ落ち目になったら叩かれるという不安がよぎる日々であろうと推察します。

No.204 2006/11/11(Sat) 19:34:34

 
言論の自由も「風前の灯」(2) / 安倍川餅 引用

 安倍晋三は、「平和なんて糞食らえ!」「言論の自由なんて糞食らえ!」って姿勢が露骨な政治家ですが、十四光のお陰で成蹊大学までエスカレーター式で進んだ奴です。こんな奴が「教育再生」だなんてチャンチャラおかしい。「国家のために、喜んで死ぬ」国民を多量生産したいだけでしょう。

 賎しくも「報道機関」なら、センセーショナルな言動の裏に潜む危険性を、キッチリと指摘すべきでしょう。政府の御用報道なら、官報だけで充分です。

No.205 2006/11/12(Sun) 00:24:02

 
Re: 言論の自由も「風前の灯」 / 玉井彰 引用

「国民はかくあれ。」という規範を自らには当てはめないのが、これまでの政治家のあり方でした。二世三世の政治家においては、これがもっと前面に出てきます。苦労がないからです。

報道機関については、「官報」であるという前提で「行間」を読むしかありません。旧ソ連の人民がプラウダやイズベスチヤの行間を読んだように。

No.206 2006/11/12(Sun) 07:47:22


新型交付税?ふざけんな! / 安倍川餅 引用

11月1日付「日刊ゲンダイ」9頁より一部抜粹
竹中平蔵の負の遺産 「新型交付税」で島根県、鳥取県、徳島県…は消滅危機
(金子勝・慶大教授)

 政府は10月24日の「経済財政諮問会議」で、「新型交付税」を2007年度予算で導入して行くことで合意した。「新型交付税」とは、自治体の「人口」と「面積」に応じて地方交付税を分配するものだ。これは、竹中平蔵前総務大臣が残して行った負の遺産である。
 1980年代に財政学者の一部が、交付税の配分は「面積」と「人口」にほぼ相関しているので、人口と面積で割れば好いと主張していた。つまり、竹中前大臣のオリジナルではない。
 新型交付税を導入すると、面積が小さく人口が減少している自治体は一溜まりも無い。例えば、鳥取県、島根県、徳島県、佐賀県、長崎県といった県は潰れて終うだろう。
 人口が減少すれば交付税の削減が続くから、その結果、東京や名古屋への集中が進み、地域間格差が猛スピードで拡大して行く。大都市に住む人々は、地方の実情を知らないまま、「俺たちの税金を地方に与(あ)げるな」の大合唱に乗っている。
 しかし、闇雲に地方交付税を削って行けば、地方に住む高齢者は介護や医療も受けられなくなって行く。やがて国土は荒廃し、農産物の自給率が下がり、治山治水もままならなくなる。(抜粹終)

 誰のお陰で首都・東京が成り立ってると思ってるんだ?って思いますね。
 例を挙げると、漫画雑誌の出版社は東京都区部に一極集中してますが、漫画家を出してる都市は新潟市を初めとする地方都市ですよ。新潟市民からすれば、「漫画雑誌の出版社が立地する権利は、漫画家を多く出してる都市・新潟が持つのが当然だ!首都・東京なんかには無い!」って思ってるでしょう。

 東京の住民は、「お前らの持分を全部俺によこせ」で、“やらずぶったくり”です。八王子や横浜みたいな近所の都市に対しても“やらずぶったくり”だし、水戸や日光や静岡といった、距離が比較的近い血縁関係の都市に対しても“やらずぶったくり”です。

 今年8月4日のニュース番組で、香川県のある砂糖工場(本社も香川県)の幹部が、「香川県に限らず、青年の首都志向が未だに根強い。」って発言していました。首都の東京こそ支店経済都市で充分なのにね。

http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=672042034
山陰中央新報 「新型交付税」関連記事http://mfeed.asahi.com/politics/update/1024/002.html
朝日新聞 2006年10月24日7時49分 「新型交付税」関連記事

No.199 2006/11/02(Thu) 22:05:37

 
Re: 新型交付税?ふざけんな! / 玉井彰 引用

面積が狭く、人口が少ない県は、衰退・消滅することになります。客観基準が必要であるとしても、結果として地域破壊になるようでは話になりません。

私は、中央集権国家の首都として恩恵を受けている東京都に、「首都税」をかけて各地方に配分すべきであると考えています。嫌なら首都をよこせ!

No.200 2006/11/03(Fri) 08:08:33

 
新型交付税?ふざけんな!(2) / 安倍川餅 引用

 東京都といっても、本社が集中してるのは旧東京市(区部)ですよ。多摩地方や伊豆小笠原諸島を、旧東京市と一緒にしてはなりません。というのも、伊豆小笠原諸島は離島で過疎地域ですし、多摩地方には企業城下町(例:日野市、武蔵村山市)や営業所経済都市やニュータウンが多い。

 以前に、東京都と日本平市の共通点を挙げました。市役所本庁や県庁本庁の在る旧市は複数の「区」に解体されて、市役所本庁や県庁本庁を剥奪されて「出張所」と化した地域を無視する。この支離滅裂な「東京都」という制度を、中央政府が日本各地に蔓延させてるんですよ。
 東京都(戦時体制下で発足)では、区に解体された旧東京市が恩恵をドップリ受けて、奥多摩とかの旧東京市以外は「おまけ」扱いで恩恵が来ない。浜松都(弊政の大合併で発足)では、区に解体された旧浜松市が恩恵をドップリ受けて、秋葉山とかの旧浜松市以外は「おまけ」扱いで恩恵が来ない。浜松都に至っては、旧浜松市以外の市町村は、行政権まで剥奪されています。

 ですから、「首都税」を課するとしたら、東京都でも旧東京市に限った方が好い。本来なら、東京都を分割して、東京市に「首都税」を課して、東京市から60km圏内の自治体{神奈川県、多摩県、新治県(茨城県から南西部を分離)、松戸市、茅ヶ崎市など}には「首都“圏”税」を課して分けた方が望ましいと思います。

No.201 2006/11/03(Fri) 21:21:38

 
Re: 新型交付税?ふざけんな! / 玉井彰 引用

東京都から取ると言っても、小笠原諸島が負担するという話にはならないと思います。そうは言っても、首都税、首都圏税の発想に異議はありません。

No.202 2006/11/04(Sat) 09:51:12


一度掲載許可した投稿を勝手に削除の件 / 鈴木 引用

あのー、今気づいたのですが、ブログの過去に掲載許可したコメントをすべて削除したのは何故でしょうか? 一度御自分で許可して掲載した投稿を勝手に削除するのはエレログの趣旨にも反しますし、倫理的にもやってはいけない行為でしょう。双方向の意見交換を拒否するのであれば、なんのためにブログをやっているのですか?ブログの意味がないと思うんですが・・・。
ともかく、コメント掲載しないのであればコメント機能を停止するべきでしょうね、私みたいなアホがコメント欄があるままだと掲載されないのに投稿するでしょうし。

No.188 2006/10/27(Fri) 19:02:53

 
Re: 一度掲載許可した投稿を勝手に削除の件 / 玉井彰 引用

この件については申し訳ありませんが、四国の星掲示板でブログに対する御意見をいただき、可能な限り返信するというスタイルを取りたいと考えています。

削除については、失礼があったとすれば謝罪いたします。

ブログの本体は、ヤフーブログ「四国の星」です。こちらを毎日更新しています。
http://blogs.yahoo.co.jp/shikokunohoshijp

No.189 2006/10/28(Sat) 07:07:31


少ないことは良いこと…か? / 安倍川餅 引用

> 中間団体である「県」と基礎自治体である「市」のどちらが住民にとって有意義であるかを考えると、「市」だと思います。300の「市」をつくり、もっと身近に「村」をつくって狭域の自治単位とすることの方が、より住民自治に忠実であると思います。

 ってことは、佐渡市や日本平市や新高山市みたいな巨大な基礎自治体をボンボン作って、無数の地域を「A地域自治区」「B市A区」という名の出張所にするって事になります。
 となれば、「合併しない宣言」の矢祭町も、「棚倉『市』矢祭『区』」や「白河『市』矢祭『区』」という出張所にしなきゃ、辻褄が合いません。これは、「一極集中と除け者扱い」の構図を基礎自治体に持ち込みますから、「中央分権」の発想です。

 大体、初めに大きい物ありきの「面から点へ」「少ないことは良いことだ」の発想は、自治の発想じゃありません。経済が都市からエリアへ拡大するように、「点から面へ」「多いことは良いことだ」の発想が自治じゃありませんか?
 例えば、佐渡島を丸ごと一個の「市」にするというのは、余りにも広過ぎます。4年前にも述べましたが、戦艦大和じゃねえか?って思いますね。

 それに、「中間団体である『県』」という表現がありますが、「市町村の広域連合体」として「県」を位置付ければ好い。今だって、無理やり巨大な「市」を作らなくとも、塵処理や葬祭場や学校の運営を、一部事務組合や県といった広域連合を組んで実施してる市町村だって在ります。例として、大抵の保健所や公立高校は、県が運営してる所が多い。

 それなら、初めから巨大な基礎自治体を作らずに、県のような狭い範囲の広域自治体を総数120個ぐらい設置して、そこで1個の市町村では収まり切れない分野を処理したり、市町村同士の連繋を深めるなり、すれば好い。日本とほぼ同じ面積で中央集権国家のフランスの場合、県の総数は約100個で、基礎自治体同士の広域連合では、県以外にも一部事務組合が非常に多い。

No.181 2006/10/15(Sun) 04:34:16

 
Re: 少ないことは良いこと…か? / 玉井彰 引用

広域連合は、責任の所在(直接選挙ではない)、透明性に問題があります。

「村」を狭域の自治単位として、直接選挙で「村長」を選び、ボランティア議員で協議する場を設けることにし、住民が必要と認める範囲の事務を行えばいいと思います。

「市」に財源、権限、人材を集め、中間搾取団体を排除すれば、大きな視野で自治を行うことができます。「村長」を議会の構成員にすることも考えられます。

現行地方自治法は、「地方自治規制法」です。この呪縛から解放されることにより、地方に展望が出てきます。

No.182 2006/10/15(Sun) 09:35:55

 
少ないことは良いこと…か?(2) / 安倍川餅 引用

 結局の所、市町村合併で「県」の面積に匹敵する「市」を作れ、という事ですか?旧掲示板の「広域連合体の発想」でも述べた内容ですが、「広域連合体は無能」と決め付けるのは、補完性の原理を無視する発想ですから、僻地や中小都市を斬り捨てる発想になりますよ。
 矢祭町のような「小さくても自主自律」の考えを投げ捨てて、総無省と同じ「僻地は邪魔だ、斬り捨てろ!」「合併しない自治体は無能者!」という考えに宗旨換えしたんですか?

 泰阜村の下伊那郡は飯田市に吸収されろ、矢祭町は棚倉町や白河市に吸収されろ、では堪りません。矢祭町が白河市に吸収されたら、矢祭は斬り捨てられるだけですよ。佐渡島の旧市町村も、案の定、見捨てられて衰えてる地域ばかりです。
 大体、基礎自治体を県規模の面積にしたら、底辺の自治なんて無理な話です。大体、市役所本庁までが何十kmも離れてる「市」とか、都市部と山村が一緒にされてる「市」が、「基礎自治体」と呼ぶに値しますか?

 昨日、NHKで中越地震2周年の特番が関東ローカルで放送されました。新潟県も合併ブームが凄まじい地域で、合併を強いられた村落では、(1)中心部のスーパーマーケットが買物の場だったが、周辺市町村に流出して寂れてる所や、(2)放棄された農地だらけ、という有様です。
 もしも「300の市に減らす」に則って、「県」の面積に匹敵する「市」が作られたら、そういう僻地が真先に見捨てられるんです。合併で市制や村制を剥奪して、何が「自治」ですか?

 それに、市町村の数が多いから「痴呆自治体」になった、という発想は、基礎自治体を真向から愚弄する発想です。清水市単独だから街造りや自治が無能なんですか?真野町単独だから無能なんですか?とんでもない。清水が個性的な都市になれたのは、港町の「清水市」で単独だったからであって、巨大な寄せ集めの「日本平市」だったからじゃありません。

 「日本平市」になると、「清水の次郎長」「静岡の慶喜さん」「清水市立入江小学校のOB」「静岡市立城内小学校のOB」と言われても、どこの誰だか判らなくなります。「佐渡市」になると、「佐渡島って広いだろ?佐渡島でもどの辺だよ?」って事になって、どこの誰だか判らなくなります。これが都市や村落の発展でしょうか?

 NHKの中越地震特番の終盤では、旧山古志村の小学生が、こんな詞を述べました。「僕は、胸を張って『山古志』の出身である、と言います。」

No.183 2006/10/21(Sat) 12:14:00

 
Re: 少ないことは良いこと…か? / 玉井彰 引用

百数十の「県」なら国に対抗でき、「300」の「市」だと対抗できないということでしょうか。

清水は清水。山古志は山古志。矢祭は矢祭。その単位は大切にして自治を守ればいいと思います。名称も大切にすべきです。

「県」が補完的な役割を果たす団体なら、「市」「町」「村」は生き生きとした自治を行うことができます。それが中間搾取団体に過ぎないとしたら、基礎自治体の自治にとっては邪魔者です。

中間搾取団体を排除した方が、地方は強くなれます。「町」「村」を昭和の状態よりもう少し小さくした形、中学校区を単位にすれば、もう少しきめ細かい住民自治が可能です。

「市」を地方政府、「町」「村」をより身近な自治単位として守備範囲を分ければ、使い勝手のよい自治になります。

No.184 2006/10/21(Sat) 17:12:57

 
少ないことは良いこと…か?(3) / 安倍川餅 引用

http://homepage.mac.com/majiko/shimin/siryou/010314.html
>グローバルゼーションという言葉が盛んに使われています。
>支配の単純化による統制の強化、という問題があるんです。
>300という数字は要注意で、小選挙区制の選挙数なんです。

 こう見れば解るでしょう。基礎自治体数を大量に減らす事で、基礎自治体を中央政府と直結させて、中央政府に抵抗する勢力を潰す。そんで、多国籍企業の為の据点の造成を自治体にやらせる。
 これが、「300市」を主張する連中の本音でしょう。只でさえ、小沢一郎は「普通の国」という名の軍事大国化を主張してますから、この冷酷な本心が見え見えです。PHP研究所の江口克彦も同様で、多数の基礎自治体は多国籍企業にとって邪魔者だから、基礎自治体の大量削減を目論んでるんでしょう。

 第一、基礎自治体を全部覚え切ろうというのは、中央統制的な発想ですよ。覚え切れないのなら、覚えなければ好い。
 経済規模や面積が日本と同じ国家の基礎自治体数を見ると、フランスが36000個、イタリアが8100個です。合併ブーム前の日本が3240個ですから、フランスが日本の11倍、イタリアは日本の2倍半も存在しますが、イタリアに至っては日本以上に少子化が進んでる国ですよ。
 基礎自治体が8100個も在るのかというと、都市や村落の歴史や風土の違いは勿論ですが、自治権を保持するには多い方が好い、という点も否定できないでしょう。

 2002年11月22日に、遠州地方の鈴木望・磐田市長が「合併で『ふるさと意識』の持てない市町村が作られて好いのか?」と発言しましたが、「ふるさと意識」を絶つとどうなるかというと、中央政府の言いなりになる地域が五万と現れます。
 だからでしょう、アジア太平洋戦争を惹き起こした2キ3スケや内務省ですら、首都・東京市を除いて、自治体の大量の取り潰しをやらなかった。これは、長崎が核爆撃された当時、9900もの市町村が存在した事からも窺えます。ですから、「基礎自治体を300に減らせ」と唱える者の発想は、2キ3スケ以上に横暴ですよ。

No.186 2006/10/26(Thu) 22:34:45

 
Re: 少ないことは良いこと…か? / 玉井彰 引用

住民自治から出発すると、「自治体」=狭域自治の単位は、1万くらい必要であると思います。自治体が地方政府(「市」)に参画して地方主権型社会を形づくるということになります。

さしあたり、中間搾取団体がない方が、地方主権型社会に移行しやすいと思います。真の地方主権を確立する上で「道州制」が模索されるのであれば、素晴らしい展開です。

No.187 2006/10/27(Fri) 10:31:14

 
少ないことは良いこと…か?(4) / 安倍川餅 引用

 平たく言うと、「300の『県』」と言えば話が解るんですよ。「300の『市』」を掲げる者の特徴として、藩と城下町、エリアと都市を混同しています。城下町は「藩の一部」に過ぎないのであって、城下町だけが藩ではない。

 旧国府所在地、旧城下町、港町、門前町といった様々な歴史を有する都市や村落の役場が「基礎自治体」として自治権を行使して、基礎自治体では担えない分野を県(広域自治体)が担う、というように、「点から面へ」の序列にすれば好いのです。

 私が言う所の県の立場は、「都市や村落の集合体」であって、石川嘉延の静岡県みたいな「中間搾取団体」「首都の政財界の出張所」ではありません。例を挙げると、「保健所の設置は、『宇和島市』の財政では無理なので、『南予県』に委任する。」という考え方です。

 しかし、基礎自治体の数を「300の『市』」だけに減らすとなれば、小泉純一郎や安倍晋三や石川嘉延じゃなくても、強権的に合併させなければ実現不可能です。そうなれば、効率一本槍で「飛騨地方は全部『高山市』」、「国道16号圏内は全部『東京市』」という、メチャクチャに広過ぎる「市」になって終います。
 しかし、川越や横浜は、東京とは歴史が全く違いますから、「東京『エリア』」ではあるが、「東京『市』」ではない。そこで、詳細に目が行き到く、「点」の地方政府が必要とされるんです。

 基礎自治体の数を僅300だけにするという事は、
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/sityoussonngaltupei.htm
で述べられてる通りです。「多いことは良いことだ」の利点は、本掲示板の「合併と戦時体制作り(2)」(第111号)でも述べた通りです。

No.190 2006/10/28(Sat) 16:14:07

 
Re: 少ないことは良いこと…か? / 玉井彰 引用

国家→県→市町村→国民・住民ではなく、国民・住民→自治体→国であるという発想を御理解いただきたいと思います。

身近な自治体(町村)と地方政府(市)とは、前者が上位であり、後者が下位であると考えます。人口500人の村がこれまでの県の権限も併せた権限を持つ完全自治体でやれると判断するならば、自らの手ですべてやればいいと思います。普通は、自らがやれる範囲を限定し、下位の「市」に授権するでしょう。

「県」なのか「市」なのかの話になるとすれば、現行の「県」が市町村の下位団体であって、補完的な役割を持つというように変化することは不可能であると考えます。基本的に、国→県→市町村の発想からは抜け出せず、「死ななきゃ治らない」のです。

No.191 2006/10/28(Sat) 17:38:52

 
少ないことは良いこと…か?(5) / 安倍川餅 引用

 現行の地方自治の問題点を整理すると、「国家>県>市町村」という「面から点へ」の序列も問題ですが、それ以上に、(1)都道府県や市町村といった「単位」の定義が曖昧で、しかも(2)広域自治体の面積が広過ぎる事も、同様に問題でしょう。

 四国の香川県は、何度か別の県に編入されていますが、1888年12月に単独の県として復活しました。現在の所、東京都や福井県などで分割話が存在しますが、香川県の復活以来120年近く経っても、県の分割が実現していません。
 中央統制的な「中間搾取団体」になると、合併で中途半端に広くなっても、分割で効率化するとか、自治の単位を明確にするいう発想が現れません。これだから、「少ないことは良いことだ」の発想が登場するんです。

 巨人新聞が、9年半前の1997年5月3日付で、「12州と300市」への削減を述べていましたが、これも中央政府とソックリで、分割による効率化とか、地方自治法に単位の定義を明記する、という発想が存在しません。
 この記事では、現長野県の全域が北陸州、現静岡県の全域が東海州という扱いです。従って、下伊那郡の泰阜村は、(飯田市に吸収され、)太平洋側の浜松・豊橋・名古屋の方が近いのに、州では北陸扱いです。沼津市も、(三島市や御殿場市などと合併させられ)、東京の方が近いのに、東海州に無理やり入れられて、州都が名古屋か浜松の東海州です。これでは、泰阜村や沼津市は、干されまくって「沼津食わず」にされるでしょう。

 こういう中央政府を見ると:
「日本国>北陸州>長野県>飯田市>旧泰阜村」
「日本国>東海州>静岡県>沼津市>旧沼津市」
「日本国>関東地方>東京都>千代田区(旧東京市)」
「日本国>静岡県地方>静岡県>日本平市>葵区(旧静岡市)」
という、グチャグチャな発想になっています。

No.194 2006/10/28(Sat) 19:02:40

 
Re: 少ないことは良いこと…か? / 玉井彰 引用

基本的には、町村=住民に主権があるという発想で考えていくべきです。自治をやりやすくするために権限の配分や合併のあり方が検討されるべきです。

国家が地方を統治しやすくするために自治体数を減らすという平成の合併の考え方ではなく、地方主権を前提として自治の枠組みをどう考えるかが問題になると考えるべきです。

上位者は、住民であり、「町村」です。

No.195 2006/10/28(Sat) 21:36:37


英語教育 / Ken 引用

新たに文部科学大臣に就任した伊吹氏が小学校での英語必修化に対し否定的な
意見を述べています。
”美しい日本語が書けないのに外国の言葉をやってもダメ”ということのようです。
これはこれで一つのスタンスだと小生は思います。
しかし、ならば、中、高、大と10年間も英語を学んでろくに英語が話せない
現在の英語教育の実態をどうするのかという解決策を彼から聞きたいです。
大臣なのだから、言いっぱなしではだめだと思います。

No.171 2006/10/01(Sun) 18:39:55

 
Re: 英語教育 / 玉井彰 引用

伊吹氏の発言は、正論であると思います。

では、どうするか?

私の考えは、ブログに書く予定です。

No.172 2006/10/02(Mon) 07:08:20

 
Re: 英語教育 / 桜の花 引用

☆★印は人事権思想にかかわっている印です。

伊吹文部科学大臣は 就任早々の波紋の言葉を投げかけたのでした。

英語教育が 日本語教育と同様に必要な教育である事を前提であると言う認識(社会的諸般の事情とその建設的な行動に伴う認識)なくしては 意味の無い 無駄な論争しか生まないとおもいます。

?@学校教育の最重要な処は・・
健全な自我の確立の為の教育であることを抜きには考えられません。

?A言葉が人間の思考方法を左右してしまうと言う学者が居るほどに言葉は重要です。
民族性さえ左右しかねないと危惧する論まで行っても仕方がないかもしれません。

?B大事な教育が?@であるならば 子供たちが『健全な自我の確立=社会性』を身につけさせる『その為の真の教育論』を出し示す事の方が一番大切なことではないでしょうか。その前の話では小学校教育での英語教育の導入問題は ?Aで言う教育の意図的な方針がない事を前提にするならば 単なるカリキュラムの問題にしかならないと考えます。

●☆★処世術の中に教育・教養と言う概念が存在するという考え方が必要なのです。これこそ人心権思想なのです。子供たちの教育として一番必要で且つ留意する点は 自我の確立していない子供たちに『自我の確立=社会性』こそが『人間の完成体=大人であり本当の心の成長の出発点・入り口を目指すにすぎないと言う事』なのです。

その中にあっての単なる英語教育は是非ともスタートすべきだと思っています。やや似た教育として大昔は『漢文の素読教育』すらあったのですからねぇ。・・今の論争の視点がおかしくありませんかねぇ。 

No.175 2006/10/03(Tue) 05:47:43


市町村と広域自治体は別名にせよ / 安倍川餅 引用

 東海村臨界事故から、今日で丸7年が経ちました。臨界事故の影響で、私の地元・茨城県で起こった出来事として、「茨城」「茨城県」と表示した農産物が全く売れなくなりました。
 東海村の南に「ひたちなか市」っていう意味不明な市(合併前は勝田市と那珂湊市)がありますが、ここは乾し薯の産地ですが、臨界事故で乾し薯が全く売れないという被害を受けました。
 又、霞ヶ浦西岸の土浦は蓮根の大産地ですが、「茨城」「茨城県」と県名を表示して出荷された蓮根が、臨界事故のトバッチリで全く売れなくなりました。そんで、「土浦」と都市名を表示してから、やっと売れるようになりました。

 このように、基礎自治体(市町村)と広域自治体(県や道)の名称を別々にしないととんでもない災難を被る、というのが臨界事故からの教訓です。
 茨城県の場合、市町村名と県名が別々だった事が不幸中の幸でした。ところが、全国には都市名が県名にされている所が少なからず存在しますが、こういう所は不幸だと思います。
 特に農産物は、県名を表示する所が多いですが、これは「市町村と広域自治体を別名にする」観点からも問題だと思います。というのも、茨城県一帯が蓮根の産地なのではなく、蓮根の産地は土浦とその近辺に過ぎません。「茨城県産」と表示すると、茨城県一帯が蓮根の産地であるかのような錯覚を生みます。
 緑茶も同様の問題を抱えていますが、これは次回で述べます。

No.166 2006/09/30(Sat) 23:15:05

 
Re: 市町村と広域自治体は別名にせよ / 玉井彰 引用

自治体の名称には、歴史と伝統が刻まれています。合併で安易な名前を付けるのは伝統・歴史の破壊につながります。

県と基礎自治体の名称の問題も、歴史・伝統を踏まえる必要があります。

No.169 2006/10/01(Sun) 09:40:33

 
市町村と広域自治体は別名にせよ(2) / 安倍川餅 引用

 去る9月8日(金)から10日(日)までの2泊3日で、共に城下町から発展した旧静岡市と掛川市に旅行して来ました。旧静岡市へは4年ぶりの旅行です。

 静岡の呉服町に「竹茗堂」という緑茶店が在ります。そこの店員と、東海村臨界事故の例を引き出して、産地や地名の表示に関する話をして来ました。

 以下、私から店員への質問。
1.「『静岡茶』と称するなら、城下町から発達した『旧静岡市』で産出された緑茶を指すべきだと思います。旧静岡市、即ち安倍川流域が産地のお茶には、どんなブランドが在りますか?」
2.「臨界事故の時、『茨城産』『茨城県産』と表示した農産物が全く売れませんでした。都市名と県名を別々にすべきだと私は思いますが、どう思いますか?郡名を取るなら『安倍県』になりますが。」
3.「静岡県を、三つの県に分割すべきだと思います。」
4.「私は一貫して静清合併に反対して来ましたが、案の定、合併してからの旧静岡市(城下町)と旧清水市(港町)を見ると、歿個性に見えます。只でさえ面積も広過ぎますから、今の『日本平市』を、さっさと『静岡市』と『清水市』に分割すべきです。当然、山間部も分割です。」
5.「もしも道州制が導入されるなら、旧静岡市が関東に入る事を希望します。」

 以下、竹茗堂店員の返事。
1.「旧静岡市、即ち安倍川流域が産地の緑茶には、『本山茶』がある。」
2.「確に、一般的に『静岡茶』というと、旧・静岡『市』じゃなくて、静岡『県』を指す事が多い。都市名と県名が一緒になってると、あなたの言う通り、臨界事故のケースから見れば危いかもしれない。それを踏まえれば、『静岡県』よりは『安倍県』の方が良いかもしれない。
 それに、『静岡茶』というと静岡『市』が緑茶の大産地だと思われるが、実際の産出量は掛川や菊川といった遠州地方東部の方が多い。」
3.「静岡県の面積も広過ぎるから、分割には賛成。静岡県中部は駿河国の大半に当たるから、分割したら、県名は『駿河県』や『安倍県』になるだろう。」
4.「清水市と合併したら、それまで静岡市が持ってた個性が悉く失せた。旧静岡市出身の『日本平市』の上層部は、清水を『おまけ』としか思っていない。それに、合併の時だって、静岡側の住民や商店会からの住民投票の要求を悉く蹴って来た。
 只でさえ、閉鎖的な駿府っ子(静岡市民)と、開放的な清水っ子(清水市民)は、気質が全く違う。本音では分割したい所だが、あんな行政屋では溜息が出る。
5.「道州制では、駿河(静岡県中部)の本心は関東に入る事だと思う。現に、中京三県(岐阜県、愛知県、伊賀を除く三重県)は、中京三県と三遠信しか眼中に無い。三遠信の遠州なら、『弟分』として中京三県の仲間に入れてもらえるが、富士山麓の駿河や伊豆は仲間外れにされてる。」

No.170 2006/10/01(Sun) 11:45:57

 
Re: 市町村と広域自治体は別名にせよ / 玉井彰 引用

現行の自治体の区分、名称について、地元の人が真剣に考えるならば、自治の向上につながると思います。

ただし、土台から覆すことになると「パンドラの箱」を開けたような状態になるでしょう。

No.173 2006/10/02(Mon) 08:37:48

 
市町村と広域自治体は別名にせよ(3) / 安倍川餅 引用

 昨日の続き。
 静岡から掛川に移動した後の話ですが、やはり大井川を越えると、風土が全く違います。静岡は「富士山の国」の一角という土地ですが、掛川は「秋葉山の国」の一角という土地です。なぜ一緒の県にされてるのかが不思議な位です。

 さて、二の丸茶室と、その脇の掛川城御殿(天守閣とは別)の人と、暫く地元ネタの話をして来ました。

 以下、掛川城御殿の年配女性(多分、観光協会の人)の話。
「『名門!多古西応援団』など、掛川を舞台にした作品が意外と在るが、小都市でありながら個性的である、という事の表れではなかろうか?」
「2005年7月1日発足の『新浜松市』はやり過ぎだ。2005年7月の大規模合併で、浜松市は実質的に消滅した。『新浜松市』は、『四国中央市』ならぬ『東海中央市』とでも言おうか(冷笑)。」

 以下、二の丸茶室の女性の話。
「あなたの言う通り、『静岡茶』という呼称は、都市を県を混同する可能性が有ると思う。『掛川茶』みたいに、都市名を出した方が区別し易いとは思う。」
「牧之原は駿河国の一部だと思われ易いが、これは錯いで、実際には遠江国の一部。そもそも、静岡、即ち幕末までの駿府に当たる旧・静岡『市』は、駿河国の一部ですからね。」

 旧静岡市や掛川市の住民の話を聞いて、私が感じた事は、以下の通り。
(1)実なら、都市名と県名を別々にした方が良いのだろうが、地名や土地勘に鈍い人が多過ぎて、都市と県の混同が招く弊害を知らない人が多過ぎるのではないか。
(2)実は、中央政府の言いなりの現状や、「大きいことは良いことだ」「少ないことは良いことだ」のパラダイムを変えたいと思ってはいる。しかし、市長や議員が欲ボケしてて、「痴呆自治体」と化してる。
(3)市町村と広域自治体(県や道)の両方とも、合併の方法を知っていても、分割の方法を知らない人が多い。言い換えると、「自治体は、合併だけじゃなくて、分割もできるんだよ。」って言われて、初めて気付く人が多い。

No.174 2006/10/02(Mon) 23:43:14

 
Re: 市町村と広域自治体は別名にせよ / 玉井彰 引用

各県とも、3つ〜4つの歴史的や文化を異にする地域を抱えています。そこを中心に論じていくと、江戸時代の「藩」に回帰することにもなります。

そうした場合、「300自治体」に近い発想になります。そのことと、狭域の自治(とりわけ、町村)と関係はどうなるのかが問われます。「道州制」との関係も整理する必要があります。

No.176 2006/10/03(Tue) 09:03:19

 
市町村と広域自治体は別名にせよ(4) / 安倍川餅 引用

 広域自治体を設けずに、自治体を僅300に削減せよという発想は、地方自治の「究極の合理化」そのもので、矢祭町のような「小さな村落でも自治権を持つ」理念とは真向から相容れないものです。それこそ、「静岡『市』清水『区』」やら「掛川『市』磐田『区』」みたいな「出張所」だらけになって、何千もの都市や村落が、自治権を剥奪されて衰えますよ。

 『区』と化した都市や村落が、「周辺の地域」として自治権を剥奪され、「○○市の××地区の地域エゴ」として侮辱される事は、以前にも述べた内容です。「清水『市』」という基礎自治体が、「清水『区』」という「出張所」になったらすっかり衰えたように、「東京一極集中」と「沼津食わず」の構図が、基礎自治体にまで持ち込まれます。

 「東海中央市」だって、山間部の門前町・旧春野町から、平野部の工業都市・旧浜松市まで、55kmも掛かります。しかし、旧浜松市にある市役所本庁は、案の定、旧春野町などの山間部を見捨てています。只でさえ、鉄路も通らない春野は、「沼津食わず」になりますよ。

 それらの事態を防ぐ為に、「県」という「広域連合体」が在るんじゃないですか?ベラボウに巨大な基礎自治体を作るよりも、「県」という広域連合体を活用した方が良いのは明白です。

 遠州地方を例に挙げると、掛川や浜松は城下町、磐田は国府所在地、春野は門前町という風に、成り立ちがそもそも違います。こういう成り立ちも気質も全く違う都市や村落を一緒の基礎自治体にしたところで、地域の活性化が在りますか?日本平市みたいに、足の引張り合いですよ。
 それなら、例えば「遠江県掛川市」「遠江県磐田市」「遠江県春野村」、或いは「小笠県掛川市」「小笠県磐田市」という風にして、広範囲に渡る事柄を県が担当すれば良い。そのために、地方自治法でも市町村の合併と分割が規定され、県の合併と分割が規定されてるんじゃないでしょうか?

No.177 2006/10/06(Fri) 20:31:41

 
Re: 市町村と広域自治体は別名にせよ / 玉井彰 引用

お説によると、百数十の「県」を認めることになります。中間団体である「県」と基礎自治体である「市」のどちらが住民にとって有意義であるかを考えると、「市」だと思います。


300の「市」をつくり、もっと身近に「村」をつくって狭域の自治単位とすることの方が、より住民自治に忠実であると思います。

現行の小さな町村にオールラウンドのサービスを求めることは難しいので、従来の制度を前提に「県」が補完的行政サービスを提供するという構成もあり得ます。しかし、「平成の合併」はこの構成を実質的に破壊してしまいました。

分割を叫んでも、実際はほとんど不可能です。

No.178 2006/10/07(Sat) 10:12:39

 
市町村と広域自治体は別名にせよ(5) / 安倍川餅 引用

 話を本題に復します。
 実際に、市町村と広域自治体の名称が同じである為に、風評被害を受けた都市の一つに、新潟市があります。

 2004年10月に起こった中越地震では、新潟市は震度4で、魚沼地方(=中越。長岡や小出など)程の強烈な被害を受けませんでした。
 しかし、メディアが「『新潟』中越地震」と報じながら「新潟 震度4」と報じて、巷でも「『新潟』で強い地震…」と言われた為に、特に新潟市は観光客が激減するなど、莫大な風評被害を受けました。正に、都市名と県名が同じという弊害が、ここに現れています。

 特に農業の分野では、地名を県単位で数える物が多い。「米所・新潟」「うるおいの新潟」という表記が多く見られますが、実際の実際の米所は「新潟『市』」じゃなくて、長岡や小出などの「魚沼地方」です。つまり、新潟『市』と新潟『県』が混同されてます。地震報道も同様です。

 しかし、歴史的には、新潟市が「越後国蒲原郡新潟」と呼ばれた事から、本来、「新潟」とは港町である「新潟『市』」、即ち都市名を指すのが当然です。にも拘らず、単に「新潟」と呼んで「新潟『市』」を指すのは、前後に「万代橋」「会津若松」「郡山」が来てる場合に限定されてるような状況で、それ以外で「新潟」と呼ぶと、「新潟『県』」を指す事が多い。
 しかし、旧城下町の長岡と港町の新潟は、60kmも離れてますし、気質も全く違います。これらの地理・歴史が無視されて、都市名(新潟)が広域自治体名にされてるから、地域の混同を招いて、中越地震のような風評被害を招くんです。

No.179 2006/10/12(Thu) 00:09:26

 
Re: 市町村と広域自治体は別名にせよ / 玉井彰 引用

その地域の人が分割する方がいいと言うのであれば、それはそれでいいと思います。

No.180 2006/10/12(Thu) 20:47:26

 
市町村と広域自治体は別名にせよ(6) / 安倍川餅 引用

 要するに、「松山県 今治市」「宇和島県 宇和島市」みたいな「都市名を県名にする」呼称を廃止して、「愛媛県 今治市」「南予県 宇和島市」みたいに郡名や旧国名を県名にすれば好いんですよ。

 例えば、「新潟 長岡」と表示されると、「新潟『市』と長岡『市』」なのか「新潟『県』の長岡『市』」なのか混乱するでしょう。それなら、現状の新潟県のままにするなら、新潟市の郡名を取って「蒲原『県』長岡『市』」にするとか、すれば好い。

No.197 2006/11/01(Wed) 20:55:06

 
Re: 市町村と広域自治体は別名にせよ / 玉井彰 引用

地名は、その地域の伝統や文化を体現している側面があります。そういう意味からすれば、お説の通りかもしれません。ただし、「県」ができてからの歴史も長いものがあります。

結局、その地域の人が決めるべきものだと思います。

No.198 2006/11/02(Thu) 08:18:51


公教育 / Ken 引用

こんにちわ。
玉井さんがお住まいになっている地域は違うかもしれませんが、東京では
6人に1人が私立中学受験をしており、しかもその比率は年々上昇しております。背景にはゆとり教育を含めて公教育への不信があると言われております。

貴殿は現在の公教育についてどのようにお考えになっておりますでしょうか。

公教育に多額の税金がつぎ込まれているにもかかわらず、公教育への不信の増大。
何かおかしいと小生は思うのですが。

No.162 2006/09/29(Fri) 00:54:00

 
Re: 公教育 / 玉井彰 引用

子供が延びる時期に延ばしてやることが、前の世代の人間としての義務であり、本当の優しさであると思います。

「ゆとり」などと言ってゆるい環境設定をするのではなく、「150kmの剛速球」が投げられるようにしてあげることが、子供の選択肢を増やし、人生の可能性を広げることになります。

「ゆとり教育」は、下手をすると、考えることをしない「兵隊さん」づくりになってしまう恐れがあります。

公教育の問題については、お待ちください。ブログで書きます。

No.163 2006/09/29(Fri) 09:49:31

 
Re: 公教育 / Ken 引用

ブログでのご返答ありがとうございました。
概ね小生と同じお考えをお持ちのようでございました。

公立学校の建て直しは急務であると小生は考えております。

(東京では)6人に1人が私立中学校を受験致しますが、その一方、足立区では
40%以上の世帯が公立小学校に通わせることすら経済的に苦しく就学援助を
受けている実態があります。(奨学金制度があるにせよ)この層が(事実上塾通いをしなければ受からない)良質の私立中学校に入学することは経済的に非常に難しいのが実態です。
経済格差が教育格差に直結しそれがまた経済格差を生み出す社会は大きな問題があると思っております。
少ない負担で良質の教育が受けられる公立学校の再生が急務だと思います。

No.165 2006/09/30(Sat) 21:00:33

 
Re: 公教育 / 安倍川餅 引用

 そもそも公教育という制度は、金も権力も持たない一般民衆の為の制度だと、私は思っています。
 公教育への不信が起こる最大の原因は、中央政府による全国一律の内容だと思います。その全国一律の内容も、職業と直結した内容を全く缺いた内容だから問題なんです。
 今必要な事は、中央文部省を廃止して、地方自治体や民間団体に教育行政権を移管する事です。少なくても、安倍晋三や小沢一郎のような「七光政治屋」が狙う、戦時体制の復活ではありません。

No.167 2006/09/30(Sat) 23:39:45

 
Re: 公教育 / 玉井彰 引用

東京の事情は、弟の家族がいるので聞き及んでいます。

10月1日、ブログをお読みください。

No.168 2006/10/01(Sun) 09:38:11


藤本弘の死後10周年に当たって / 安倍川餅 引用

 今日9月23日は、「ドラえもん」の作者・藤本弘(藤子F不二雄)の忌日です。今年は10周忌に当たります。

 自眠党党首に就いた安倍晋三は、ドラえもんの道具をのび太から横取りしたジャイアンか、富豪ぶりを自慢してジャイアンにすがり付くスネ夫のような気分でしょう。そして、拉致被害者の団体(横田滋など)も、ジャイアンに泣きつくスネ夫、言わば「虎の威を借る狐」と化しています。
 しかし、ボンボンのスネ夫は、母に玩具を買ってもらえる一方で、家庭教師を付けられて縛られっ放しでもありました。そして、スネ夫はドラえもんの道具を手にしても、ジャイアンに横取りされ、ジャイアンには「都合の好い道具」として愚にされてました。
 これらの関係を見ると、小泉純一郎(スネ夫)とブッシュ2世(ジャイアン)の関係、横田滋(スネ夫)と安倍晋三(ジャイアン)の関係はソックリですね。

 一方で、地方の中小企業は、「焦げ付き債権を処理する」という口実で貸し渋りを食らってバタバタ死に、地方の都市や村落も自治権を剥奪されてバタバタ死にました。そして労働者たちは、相次ぐ労働法制の改悪で、派遣やパートといった奴隷と化し、互いにいがみ合ってる状態です。まるでのび太のような虐められっ子です。
 そして、のび太のように除け者扱いされた高学歴者やオバチャンたちは、自己のアイデンティティーを投げ棄てて、小泉純一郎や麻原彰晃といった殺人鬼の手先になる者まで現れました。又、清水市を殺した宮城島弘正のごとく、地元民の「裏切り者」まで現れました。
 麻原に平伏した土谷正実や、小泉に平伏した宮城島弘正は、「独裁スイッチ」を手にしたのび太の気分になってましたが、麻原や小泉の手先として邪魔者の殺害に血道を上げ、気付いて見れば「殺人鬼」「裏切り者」の怨嗟を買う結果です。
 それに何よりも、「社会に復讐する」のび太の夢を叶えてくれた人間が、外ならぬ酒鬼薔薇でした。

 藤本弘は、現在の日本の姿を、草葉の陰からどんな思いで見てるのでしょうか?

 藤本弘の死の直後、ある新聞に載った投稿より。
「ドラえもんに教えられた……ドラえもんの作者、藤子F不二雄さんが亡くなりました。ドラえもんの道具は便利で、何だってできます。しかし、実は使う人間によってとんでもない結果を招く、ということを教えていました。」

No.146 2006/09/23(Sat) 12:37:37

 
Re: 藤本弘の死後10周年に当たって / 玉井彰 引用

小泉、安倍ご両人は、一見勇気ある発言をするのですが、それはあくまで「のび太」に対する関係でだけであって、アメリカに対しては従順です。そういう意味では、スネ夫とそっくりな精神構造の持ち主だと言えるでしょう。

そういう人が多いお国柄だとすると嫌ですね。なお、拉致被害者団体に関する部分については同調できません。

No.147 2006/09/23(Sat) 19:15:54

 
藤本弘の死後10周年に当たって(2) / 安倍川餅 引用

 拉致被害者団体はスネ夫みたいな者だと思いますよ。安倍晋三の威を借りて「俺は何をやっても許される!」「俺の後には安倍晋三と右翼団体が付いてるんだ。嫌がらせをやれるもんならやって見ろ!」って威張ってるだけです。
 最初は私も、拉致被害者団体に共感していました。しかし、拉致被害者団体が安倍晋三みたいなチンピラ政治家の玩具兼腰巾着と化してからは、反感しか抱けません。ミイラ捕りがミイラになる…この典型が拉致被害者団体で、ヒステリックな姿を見ると、逆に金正日のアジテーションに醉い痴れてる金王国国民に見えます。

 第二次大戦中に起こった上野動物園の象毒殺事件(1943年9月)から、今月で63年が経ちました。この上野動物園の象毒殺事件を世に知らしめた作品は、「ドラえもん」でした。「ぞうとおじさん」という題名で、第5巻(作者の生前に出された物)に載っています。今でもこれを読むと泪が出ます。

 しかし、核戦争すら辞さない安倍のアジテーションに便乗して、ヒステリックに「戦争しろ」と喚いてる拉致被害者団体の言動を見てると、怖いです。こんな者たちがドラえもんの道具を手にしたら、第二第三の動物毒殺事件が起こるどころか、核戦争が起きて人類が亡ぶでしょう。

http://www002.upp.so-net.ne.jp/gojaemon/doraemon/tanpen.htm
ドラえもん「ぞうとおじさん」作品紹介

No.154 2006/09/26(Tue) 20:30:42

 
Re: 藤本弘の死後10周年に当たって / 玉井彰 引用

拉致問題がなければ、小泉政権は短命だった可能性があります。安倍政権においても、これが命綱になるでしょう。

拉致被害者団体の方々が「戦争しろ」と言っているのを聞いたことはありません。何かの間違いでは。

No.155 2006/09/27(Wed) 10:21:57


植草氏逮捕について / 栗の花 引用

今回、植草氏が痴漢で再び逮捕されましたね。
あなたは前回の植草氏逮捕について、”政治謀略論”を説いていました。
別にあなたを責めるつもりはありませんが、あなたには今回のことについて、プログで説明する義務があると思うのですが、いかがでしょうか?

No.138 2006/09/15(Fri) 12:42:47

 
Re: 植草氏逮捕について / 玉井彰 引用

こういう事件では、事態の全貌が分かるまでは論評を差し控えるべきです。

テレビの御用評論家は、すぐに「病気だ」なんだと瞬間的に論評しないと外されてしまうので発言しますが、その場限りの意見だと思っておいた方がいいと思います。

No.139 2006/09/15(Fri) 13:33:52

 
Re: 植草氏逮捕について / 栗の花 引用

前回の逮捕のときは、警察に後を付けられての現行犯逮捕でしたが、今回は一般の乗客が取り押さえたのですよ!
そのうえ、被害にあった女子高生もいることだし。
少なくとも彼には、そういう性癖があることは明らかになったではないですか。
まったくとんちんかんな、理解できないお答えですね。

すみません。どうやらあなたと話をした、私がバカだったようです。
もうここへは来ませんので・・ご心配なく。

No.140 2006/09/15(Fri) 22:45:09

 
Re: 植草氏逮捕について / 玉井彰 引用

こういう方が後を絶たないので、この場を借ります。

まず、断定する根拠が不明。「性癖があることは明らか」であることを前提に立論するとしても、「実行」の有無は別途証明しなければなりません。「現行犯」=100%クロということが言えないことは、実例が示しています。

事件当時の報道を前提とする限り、「怪しい」or「嫌疑濃厚」というところまでしか言えないと思います。


より根本的な問題として、「検察官」と「裁判官」を兼務したような断罪をする資格は誰にもないはずですが、それができるのは何故かが問われなければなりません。

「酒の肴」レベルの無責任な論評をわざわざネットに書き込むのはどうかと思います。

No.141 2006/09/18(Mon) 13:19:52

 
Re: 植草氏逮捕について / 栗の花 引用

もう来ないと言いましたが、あまりに人をバカにしているので、発言します。
プログの方でもおっしゃっている方がみえるようですが、断定しているのはあなたの方では?植草はやっていない。小泉内閣が手を回していると。
人の書き込みを「酒の肴」レベルだとか、ずいぶん失礼な方だね。
あなたがなぜ当選できないか、よくわかりましたよ。
もう二度とここには来ません。ご勝手に。

No.142 2006/09/18(Mon) 22:23:17

 
Re: 植草氏逮捕について / 玉井彰 引用

推測と断定の違いが分からない方が多いようです。

No.143 2006/09/19(Tue) 06:48:18

 
Re: 植草氏逮捕について / 774式 引用

>「酒の肴」レベルの無責任な論評をわざわざネットに書き込むのはどうかと思います。

そこに「ご自分の事」も含む?含まない?

No.144 2006/09/19(Tue) 15:48:50

 
Re: 植草氏逮捕について / 初めまして 引用

初めまして。横入り失礼します。
植草某、女性セブン10月5日号によると痴漢で示談の過去が7回もあるとのこと。
もしこの記事が本当で、かつブログ主が仰る小泉の陰謀論も本当ならば、かなり壮大な仕掛けを施したんですね。小泉は。

にしても、マスコミやここを読んでる人には結論が出るまで論評は控えるべきと仰るくせに、自分は小泉の陰謀と言い張る。

何と立派な二枚舌をお持ちのようで。

No.145 2006/09/23(Sat) 10:19:52

 
Re: 植草氏逮捕について / 妄想 引用

時の政府を攻撃したいのはわかるけど、小泉陰謀論はいかにも空想というか妄想だと思われても仕方ないね。
電車の中は特にすし詰め状態でもなかったとか。そんななかで、客も女子高生もグルになってそんなことできますかねぇ・・
それに植草は、自宅とは逆方向の電車に乗っていたんでしょう。
たぶん、その女子高生のあとをつけて、その電車に乗り犯行に及んだのだと思うよ。

No.148 2006/09/25(Mon) 00:24:09

 
Re: 植草氏逮捕について / 玉井彰 引用

かなり耳目を引くニュースですが、警察発表、権力筋のリークと思われるもの以外の情報がありません。必ず視聴率が取れるのに・・・

通常のワイドショーのパターンだと、被害者の女子学生のインタビューは差し控えるとしても、逮捕した2名の男性のインタビューくらいは取材報道として出てくるはずです。何時出てくるかと待っているところです。

それにしても、報道機関の独自取材が乏しいのはどうしてなのでしょうか。私の知る限り、駅のホームでレポーターがしゃべっていたくらいのものです。

「つべこべ言わずに警察発表を信じろ」というのが「世論」なのでしょうか。

No.149 2006/09/25(Mon) 08:01:40

 
Re: 植草氏逮捕について / 妄想 引用

それでは玉井先生にお聞きしたいのですが、植草氏が前回の事件で1審判決に承服し、控訴しなかったのはなぜでしょうか。
それから、前回の事件で十分に植草氏の信用は失墜し、テレビ出演もなくなり、要職を退く羽目になっているわけですが、それ以上に植草氏を追いつめる意味はいったいどこにあるのでしょうか。
それから、植草氏以外にも小泉政権に批判を浴びせている方はたくさんいると思うのですが、何故、植草氏ばかり狙うのでしょうか。
以上、お答え願います。

No.150 2006/09/25(Mon) 13:40:08

 
Re: 植草氏逮捕について / 玉井彰 引用

これをやりはじめると、またブログに書かなければならなくなるのですが…


前回の事件では、植草氏は控訴すべきだったと思います。しかし、一審の事実認定の不条理さを是正するような判決が出ることが現行制度では期待できず、他方支援者も現れて社会復帰の目途が立っていることから、敢えて裁判で力を浪費せず、別のリカバリーショットを打つことにしたのではないかと思います。

最近植草氏は着々と社会復帰を果たし、近日中に著書が出ることにもなっていたと言われます(昨年暮れにも著書を刊行)。その本の中味が問題になっているようです。

ここで、植草氏のHPを見てください。
http://web.chokugen.jp/uekusa/

この問題意識の延長線上に書かれる著書を想定すると、りそな銀行救済にかかわる大きな仕掛けがあると考える人もでてくるだろうと考えられます。底が抜けそうだった株価が反転急騰し、その後1万円近く上昇した背後で天文学的に儲けた人たちがいるわけですから。

植草氏は、竹中平蔵氏とは仇敵と言ってもいい関係にあります。植草氏が反撃するとなると、小泉・竹中ラインにとって極めて面白くない事態も予想されます。客観情勢がなにもない状況下での「事件」ではありません。

全く何もないところで起きた事件ではないだけに悩ましいのです。どうも分からないというのが正直なところです。同時に、警察発表だけで確信できる人たちの心理についても量りかねているところです。

私としては、現行犯逮捕した2名の人物が、公判廷に登場して証言するのを見守りたいと考えています。また、居合わせた人たちの中から証言する人が出てくることを期待しています。何故、人の迷惑を顧みないワイドショーのレポーター達がこの点では「自粛」しているのが気がかりでもあります。それにしても、分からない…

No.151 2006/09/25(Mon) 16:41:57

 
Re: 植草氏逮捕について / 妄想 引用

うーん。それにしても、そこまでして一度ならず二度も植草氏個人をおとしめるというのは、どうにも信じられません。
戦前の暗黒時代ならわかりますけど、今の民主主義の時代に、そんなことを何度もして発覚したら困るのは政府でしょう。
そこまで危険を冒してするでしょうか。
やはり私には”妄想”に思えてしまうのです。

No.152 2006/09/25(Mon) 23:06:07

 
Re: 植草氏逮捕について / 玉井彰 引用

あり得るシナリオの1つ。

植草氏は、要注意人物として警察(公安?)にマークされ始めた(3〜4年前くらいか)。彼の性癖が判明した。尾行が行われた。何か怪しいことがあればという態勢であったが、品川で「不審行動」があり直ちに検挙。これが2年前のことです。ところが、「現行犯逮捕」しはたずの警察官がろくすっぽ証言できず、公判維持が大変だった。検察は、植草氏の性癖を暴露する戦術でかろうじて逃げ切った。しかし、支援者が現れ、植草氏の復権が現実のものとなった。

そして今回の事件。現時点では、警察情報がほとんどです。報道機関も警察発表をなぞるだけで独自取材が乏しい状況。週刊誌の記事も、犯罪事実を証言する人は取材せず、植草氏を知る人物の取材が主です。ここが大きな謎です。「実はこうだから取材しないんだ」という説明は現時点で聞いていません。

状況としては、「郵政民営化」にからみ、米国からの「指令書」である「年次改革要望書」の取材を徹底的に怠った「郵政選挙」前の様子に似ています。言論の自由を盾に、加害者の家族、被害者の家族にマイクを突きつけるマスコミが、ある領域では全く沈黙するという現象に着目していただきたいと思います。

今回の事件に関しては、現行犯逮捕した2名の人物の証言を待ちたいと思います。被害者と違い、隠れる理由も隠す理由もないはずですから。

上記のシナリオは、要するに、常時尾行態勢下で起きた不審行動に対して現場が焦りすぎたということではないかというものです。政府の謀略というのとは、ちょっと違った推測です。あくまで仮説の1つです。

「推測」と「断定」の区別が付かない方がいるので断っておきます。上記は、あくまで推測の1つです。現時点で有利なのは植草犯人説です。しかし、警察情報だけで「断定」することには問題があります。「推測」である以上、「証拠」はありません。「無実の証明」というのは極めて困難です。自らに嫌疑が掛けられるということを想定しない人は、簡単に「有罪」を確信しますが、一度でも疑われた経験がある人なら、分かる話だろうと思います。

日本の社会では、「変態」と決めつけられれば人格の全てが否定され、いくら立派な学説や評論を出しても信用されないところがあります。しかし、「それはそれ、これはこれ」という態度が必要です。植草氏の著書が刊行され、多くの読者が読まれるような状態を期待しています。

考えがまとまったら、ブログに掲載します。

No.153 2006/09/26(Tue) 07:31:25

 
Re: 植草氏逮捕について / 妄想 引用

植草氏がもし、前回の事件ではめられたのであれば、今後ははめられないように細心の注意をはかるだろうと思います。
今回の事件も、取り押さえた乗客と女子高生以外にも乗客はいたはずですから、もし、やってもいないことなら他の乗客が証人になってくれるはずです。
そういう人もいないということは、やはり植草氏がやったとしか考えられません。
いずれにしても、今後の裁判の動向を見守りたいと思います。

No.156 2006/09/27(Wed) 13:22:35

 
Re: 植草氏逮捕について / 玉井彰 引用

少なくとも、そういう位置関係にいたという植草氏の不注意は、責められて然るべきだと思います。

私が現場にいたとして、「やっていない」という証言はできないだろうと思います。目撃していれば「やっていた」と証言できますが、その逆は困難です。

逮捕した2人についても、「目撃して逮捕した」のか、女子高生が「やめてください」と叫んだので異変に気づき逮捕したのか、報道に2通りのものがあり、混迷しています。

そういうことなので、「証人」が出てくるのを待っているのです。

No.157 2006/09/27(Wed) 13:40:18

 
Re: 植草氏逮捕について / 妄想 引用

> 少なくとも、そういう位置関係にいたという植草氏の不注意は、責められて然るべきだと思います。
>

これは明らかに、植草氏はシロであるということを前提にしての発言ですね。やめましょう。

> 私が現場にいたとして、「やっていない」という証言はできないだろうと思います。目撃していれば「やっていた」と証言できますが、その逆は困難です。

そんなことはありません。私が現場にいて見ていたならちゃんと証言します。
「やっていた」とは証言できるが、「やっていない」とは言えないというのはどういうことでしょうか?まったく理解できません。
>
あなたにあえて苦言を言わせてもらいますが、最初から無罪だというのなら警察なんていらないし、我々一般市民は何を信じればいいのでしょうか?
えん罪うんぬんについても、そのために司法があるのであり、我が国は三審制をとっています。
本当に無罪なのであれば、一審で有罪だったからといって、それであきらめるでしょうか?
玉井先生、あなたならどうしますか?仮に勝ち目がないとしても、最後まで戦うのではないでしょうか。
控訴をしなかったということは、罪を認めたということになるのです。
つまり、今回の件もそこからスタートして発言すべきです。

あなたが言っていることは、警察も司法も否定しているに等しいということを、もう少し理解して発言してもらいたいですね。

No.158 2006/09/28(Thu) 00:27:16

 
Re: 植草氏逮捕について / 妄想 引用

何のご返事もないようですが、もう一言付け加えておきたいことがあります。
玉井先生は、我々一般市民が植草氏がクロだと決めつけているとおっしゃいますが、果たしてそうでしょうか?決めつけているのではなく、実際に前の事件でも裁判で有罪が確定しているわけですから、根拠があって言っていることではないでしょうか。
それに比べてあなたは、自分の意見が推測であって断定ではないと、言い訳がましいことをおっしゃっていますね。
百歩譲ってあなたの意見が推測だとしても、我々の意見の方が正論なのは明らかではないでしょうか。
また今回の事件で判決が出た際には、あなたのご意見をうかがいたいと思います。

No.159 2006/09/28(Thu) 13:28:38

 
Re: 植草氏逮捕について / 妄想 引用

自分に都合が悪くなると、黙りを決め込むのは相変わらずですね・・

No.164 2006/09/29(Fri) 13:01:25
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