北海道の地名をカタカナにもどそう!


第三回(2002.06.16 追加更新)

1.まえふり

 北海道のほとんどの地名はアイヌ語から由来していることはよく知られていることと思います。このページではこの(屯田兵などの開拓によってつけられたものをのぞく)北海道内にかぎった地名を「カタカナにもどそう!」というアイディアを考えつきました。この考えはこのごろ少し知られてきた少数民族の由来ある地名との二言語併記の考えとよくにていますが、そうではなく北海道の地名はアイヌ語に由来しているので、外来語表記としてカタカナを用いようというものです。とりあえずここでは技術的な問題をさけるためにカタカナ表記としましたが、ローマ字表記などの可能性を否定したものではありません。
 さてこういう問題は頭でいろいろ考えるより、現実の問題から考えるのが問題解決のちかみちになると思いますので、私の考えとその理論的可能性はのちほど述べることにして、私の願いをまず書いてみることにします。
 私は生地でもあり大学生活の少しばかりまでをすごした郷里に数年前もどってきました。そして近くの会社に毎日通っているのですが、その通り道に県道と町道とが十字にまじわった交差点があります。そしてその交差点にいつからかわかりませんが、ここの地名を表示する看板が掲げられています。先日町の役場でこの看板の設置者はどこかとたずねたところ「町ではないので、県のほうではないか」と教えてもらいました。ところでこの看板には上部に「垣見」、その下に「kakimi」の文字が書かれています。私はこの看板にある「大字垣見」というところで生をうけそこで約20年を過ごし、いままたここに住んでいるのですが、その看板を見るたびにどうしてもなじめないものを感じます。なぜなら「大字垣見」は地元の我々は「kakemi」と呼びならわしているからです。誤解がないようにいっておきますが、ここで地元の我々というのは「大字垣見」に従来から住む住人ということです。同じ地元であっても同じ町内の遠くに住む町民が「kakemi」といっているのかどうかはいまわかりません。また町役場や県のほうで「kakimi」を正式名称に規定しているのかどうかもいま私はしりません。
 さてここまで書いてきて私がなにを問題にしたいのかといえば、「大字垣見」の呼び名(表記)が「かけみ」(「kakemi」)であるのに、公称名として「かきみ」(「kakimi」)が看板に書かれているということです。「大字垣見」に住む地元の我々にとっては「かきみ」ではなく「かけみ」であるのは当然ですが、それが字面から「かきみ」とよぶように変更されていることです。いったい誰がいつどんな根拠と権限で「kakemi」を「kakimi」にしたのでしょうか。まあ私は長くここの土地を離れていたため、ひょっとしたら「大字垣見」の住人の了解をとって「kakimi」になっているのかもしれません。しかし日本の常識として考えればそんなことはないでしょう。ただこの問題にかぎれば県の担当部局のかたが地元の了解をえずに、公刊されている種々の出版物や法務局に残されている古地図などを参照し、役場の意見を聞いたりして、あんがい合理的に「kakimi」と決定されたのではないかと(好意的にみれば)思います。ひょっとすると国土交通省(法務省?)といったところからこういう問題についての通達があり、「kakemi」でなく、「kakimi」の表示を選択されたのかもしれません。しかし一番可能性の高いものとしては地元での呼び名を調査することなく(つまり「kakemi」であることをしらずに)「垣見」の字面や各種資料から「kakimi」の表示を決定したのではないかと思います。
 *お断り:私は「kakimi」の表示が決定されたプロセスを知りませんし、またいまそれを調べる時間もなくあてずっぽうでこれを書いています。それでもし「kakemi」よりも「kakimi」のほうが納得のいく合理的なもので正しいのであれば謝るしかありません。だからここからの議論は一般論としてすすめます。
 たとえば外国語の地名を書きあらわすときは「現地の慣用音を尊重する」というのが現在の考え方になっているので、やはりここの看板は「kakimi」と表記するのではなく、「kakemi」にもどしてほしいと私は思うのです。ただこの「垣見」の呼び名はなにが正しいかとなると本当のところは色々むずかしい問題があります。この難しさはよく知られているように「洗濯」の発音が「せんたく」と「せんだく」(私の言葉)にゆれたり、「洗濯機」の発音が私の言葉では「せんたくき」ではなく「せんだっき」であるといったことにつながるもので、なにが正しい発音かとなると大変難しくなってきますので、さきをいそぐことにします。(興味あるかたは「
「大字垣見」の呼び名は「かきみ」か?」を見てください。)

2.現地の慣用音とは

 さて「現地の慣用音」という問題を私の住む「大字垣見」について述べてみたのですが、ここで同じような例を見てみることにします。(鏡味 昭和52 p283:「失われた現地呼称」の囲み記事より)

「とくに観光客が地元の特殊な読みを無視して、他地方の類型的な読み方に変えてしまう場合が多く、そのような習慣が度重なって、旧来の呼称が失われてしまうことが観光地にはとくに多い。
 熱海    :初島(はしま→はつしま)
 芦ノ湖   :湖尻(うみじり→こじり)
 富士五湖 :西湖(にしのうみ→さいこ)
 北アルプス:白馬岳(しろうま→はくば)
 長野県  :穂高(ほたか→ほだか)
 富山県  :立山(たちやま→たてやま)」
 *「熱海」以下の例は筆者で文を適宜省略、加筆してわかりやすくまとめました。またこの文章は『地理学』(4−8)の「地名と発音」(辻村太郎氏)から引用した文章のようです。

  このような「現地の慣用音」が変化してしまった例で、当て字がからんだものを見てみることにします。(鏡味 昭和52 p286:「音読による地名の変転」の囲み記事より)

「武庫(むこ)→六甲(むこ)→ロッコウ
 二荒山(ふたらさん)→二荒(ニコウ)→日光→ニッコウ
 代馬(しろうま)岳→白馬(しろうま)→ハクバ」

 さて「大字垣見」の呼び名が「かけみ」であると仮定しておいて話をすすめると、その呼び名が「かけみ」から「かきみ」(つまり上の看板の表記が「kakimi」)にかわった原因はといえばなんでしょうか。地元無視のお役所はいたるところにあり、地元住民のあずかりしらぬところで物事が決まっていくのが現実なので、お役所仕事をその原因のひとつにあげることはできるでしょう。しかしこのようなお役所仕事云々はさておいて、そもそもの原因を考えてみればすぐわかるように地名に「漢字」を使っていることです。もし私の住む「垣見」(かけみ)にしろ、熱海の初島(はしま)であれ、兵庫県の武庫(むこ)にしろ、江戸をさかのぼる以前から仮名で(そして仮名のみで)表記がなされていればこのようなことは起こらなかったといえるのではないでしょうか。(ただし仮名で表記しておけばすべて安心というわけではもちろんありません。言葉(発音)はかわるのですから。仮名と発音の関係の一例はこちら
 たとえばこのような地名を漢字であらわしてきたことの弊害は、つぎのような文章によくあらわれています。(
大藤 昭和43 p306-7の解説)

「この漢字で表記することが地名を混乱せしめている。漢字を音を表記するために使用するもの、訓読みとして用いるものなどそれぞれちがった用法が地名の表記に見られる。したがって言葉の上では同一地名でありながら文字表記の上では別なものになっている例があるかと思うと、その反対にちがった同一文字で表記されている地名が意義の上では別である場合がある。開墾地を意味するニイハリ(新墾)という地名なども新治と書かれ、それがまた音訛してニイボリ(新堀)となり、さらに東京の日暮里(ニッポリ)のごとき地名となると同一のものとは考えられなくなる。またこの開墾のハリを針と書いた小地名がある。これなど針の生産地と思う人があるかも知れない。漢字表記にいわゆる宛て字という厄介なことがある。関東地方の各地にドド、ドウメキという地名があり、百々、百目鬼、百目木などと書かれている。水流が狭くなって高く音を立てて流れる地点をいうのだが、百は十の十倍をトトというから百の字を使うのである。神戸という地名は神社領の部民すなわち神部のことであるが、これを神戸と書きコウベ、カンベ、ゴウド、カノトなど種々に訓ませている。」

 このように「現地の慣用音」がちがったものに変化する原因のひとつに、そして大きな原因として地名を漢字で表記していることをあげることができるでしょう。

3.ヒラカナ・カタカナの市町村

 いま上で地名にみられる漢字の弊害をみたのですが、では漢字をつかわずにひらかな・カタカナを用いた市町村名はいつごろからどの程度にあるのでしょうか。以下行政上の市町村の例を古い順にあげてみます。

ちの町(長野県)     ちの町(昭和23年町制:永明町を改称)→茅野町(1955年合併。漢字にあらためたため「ちの町」の町名消滅)→茅野市(1958.8市制)
マキノ町(滋賀県)    1955.1合併(マキノスキー場の愛称をとる:マキノスキー場は地名「牧野」か ら。2005年高島市新設のため地名マキノ(マキノ町)は残るも市町村としての町名マキノは消滅)
すさみ町(和歌山県)  1955.3合併(合併前の一旧町名「周参見町」(もと「周参見村」)より)
むつみ村(山口県)   1955.4合併(旧二か村が睦みあうようにと)
びわ町(滋賀県)     びわ村(1956.9合併:湖名「琵琶湖」より)→びわ町(1971.4町制)
コザ村(沖縄県)     もと越来村→胡差市(1945.9市制:越来村胡屋
こやをなまる。一説に地名「古 謝」から)→越来村(1946.4.9市制廃止)→コザ村(1956.6村名改称)→コザ市(同年7月市制)→沖縄市(1974.4合併、市名改称のため「コザ市」の市名消滅)
かつらぎ町(和歌山県) 1958.7合併(旧地名「葛城」より)
むつ市(青森県)     大湊田名部市→むつ市(1960.8市名改称:旧国名「陸奥」より)
ニセコ町(北海道)    「狩太町」→ニセコ町(1964.10町名改称)
                *「狩太町」はアイヌ語地名「マツカリフト」からか。ニセコ町は「ニセコアンヌプリ」(アイヌ語地名「niey-ko-an-nupuri」)の山名をとったものか。
いわき市(福島県)    1966.10(1954年市制をひいた「磐城市」(旧国名「磐城」より)をふくむ五市四町五村が合併)
えびの市(宮崎県)    えびの町(1966年合併:えびの高原より)→えびの市(1970.12市制)
えりも町(北海道)    「幌泉町」→えりも町(1970.10町名改称)
                *「幌泉町」はアイヌ語地名「poro-enrum」(大きい・岬)から。「襟裳岬」(アイヌ語地名「enrum」(岬)から)の「えりも」をとり「えりも町」に。
つくば市(茨城県)    1987.11合併(のち1988.1筑波町(旧地名「筑波」より)を編入)
ひたちなか市(茨城県) 1994.11合併(旧国名「常陸」より)
あきる野市(東京都)   1995.9合併(もと東・西秋留村の名をとる)
さいたま市(埼玉県)   2001.5合併(旧地名「埼玉郡埼玉郷」→県名「埼玉県」より)
さぬき市(香川県)    2002.4合併(旧国名「讃岐」より)
 *ここでは「島ヶ原町」(三重県)、「一の宮町」(熊本県)、「西ノ島町」(島根県)などの市町村は仮名として考えていません。
 *由来や合併・改称年月についてのまちがいや市町村名のもれがあればメール(
こちら)でお知らせくださるとうれしいです。
 *アイヌ語については「アイヌ語地名リスト」(北海道環境生活部総務課アイヌ施策推進室編、(財)アイヌ文化振興・研究推進機構発行。(平成13年3月増刷))などを参照。
 *沖縄のコザの由来・変名については「地名を歩く」(くばのはゆブックス1:南島地名研究センター編著、(有)ボーダーインク発行(那覇市:1991))などを参照。その他は「角川日本地名大辞典」(53巻:角川書店) などを参照しました。

 *昭和60年以降の新設合併(ただし旧名を新名にひきついでいるものは数えず)の中でひら仮名とカタカナの市町は下記のとおり。(「昭和60年度から平成11年度までの合併の状況」「平成11年度以降の市町村合併の実績及び予定」を参照しました。2005.8.24)

1987年ーつくば市(旧郡名「筑波」)
1994年ーひたちなか市(旧国名「常陸」)
1995年ーあきる野市(旧村名「秋留」)
2001年ーさいたま市(旧郷名→県名「埼玉」)
2002年ーさぬき市(旧国名「讃岐」) *以下、旧国名・郡名・村名・郷名などは省略。
2003年ー南アルプス市(八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町)
2003年ー東かがわ市(引田町、白鳥町、大内町)
2003年ーあさぎり町(上村、免田町、岡原村、須恵村、深田村)
2003年ーいなべ市(北勢町、員弁町、大安町、藤原町)
2004年ーかほく市(高松町、七塚町、宇ノ気町)
2004年ーあわら市(芦原町、金津町)
2004年ーみなべ町(南部川村、南部町)
2004年ーいの町(伊野町、吾北村、本川村)
2005年ー南あわじ市(緑町、西淡町、三原町、南淡町)
2005年ーつがる市(木造町、森田村、柏村、稲垣村、車力村)
2005年ーつるぎ町(半田町、貞光町、一宇村)
2005年ーみやき町(中原町、北茂安町、三根町)
2005年ーうきは市(吉井町、浮羽町)
2005年ーさつま町(宮之城町、鶴田町、薩摩町)
2005年ーかすみがうら市(霞ヶ浦町、千代田町)
2005年ーさくら市(氏家町、喜連川町)
2005年ーうるま市(石川市、具志川市、与那城町、勝連町)
2005年ーせたな町(大成町、瀬棚町、北檜山町)
2005年ーにかほ市(仁賀保町、金浦町、象潟町)
2005年ーみなかみ町(月夜野町、水上町、新治村)
2005年ーふじみ野市(上福岡市、大井町)
2005年ーたつの市(龍野市、新宮町、揖保川町、御津町)
2005年ーいちき串木野市(串木野市、市来町)
2005年ー南さつま市(加世田市、笠沙町、大浦町、坊津町、金峰町)
2005年ーいすみ市(夷隅町、大原町、岬町)

2006年2月予定ーときがわ町(都幾川村、玉川村)
2006年3月予定ーおいらせ町(百石町、下田町)
2006年3月予定ー東みよし町(三好町、三加茂町)
2006年3月予定ーおおい町(名田庄村、大飯町)
2006年3月予定ーまんのう町(琴南町、満濃町、仲南町)
2006年3月予定ーみやこ町(犀川町、勝山町、豊津町)
2006年3月予定ーむかわ町(鵡川町、穂別町)
2006年3月予定ーつくばみらい市(伊奈町、谷和原村)
2006年3月予定ーみどり市(笠懸町、大間々町、東村)
2006年3月予定ー新ひだか町(静内町、三石町)
 *
回更新のお知らせ」(第六回:2004.02.15)は
こちら

 このように見てくると意外と古くから、そしてまたかなりの数のひらかな・カタカナを用いた市町村が存在していることがわかります。そしてひらかな・カタカナを用いる市町村が多くなる傾向は昭和60年以降の新設合併、特にこの平成大合併で歴然としています(朝日新聞(2004.2.6)2面に「▼平成大合併で我も我も」の見出しでこの傾向があることが記事になっています)。
 追記1:新市名の命名をするさいに「漢字をやめてひらがなにする」ことはよくないという意見をみつけました。(「
新市名は安易すぎないか」(谷川健一著 毎日新聞 2002.5.27)
 追記2:この平成大合併でひらがな市町村がふえると予想したのですが、知らないうちに急にふえているのですね(2005.8.24)。 

 つまりこの最近の新設合併による市町村名の命名傾向を考えると、これから市町村の新設・編入合併や改称がおこなわれるときにはひらかな(カタカナ)を用いる市町村がふえるものと思われます。そして上の市名をみるまでもなく、古い、またいわれのある地名(例:わが町の「垣見郷」(古代)→「垣見荘」(中世)→「垣見村」(近世)→「大字垣見」(近代〜現在))が復活することはまちがいのないところでしょう。
 ところでもしこの私の「ひらかな(カタカナ)を用いる市町村がふえる」という予想があたっているとすると、ちょっと問題になるのではないかと思えることに気づいたので、ここについでに書いておきます。
 まず
実務手引きを引用しておきます。

「四 市の設置もしくは町を市とする処分を行なう場合において、当該処分により新たに市となる普通地方公共団体の名称については、既存の市の名称と同一となり、または類似することとならないよう十分配慮すること。」
 *出典:「地方自治法の一部を改正する法律の施行について」(昭和五三年三月一二日 自治■第三二号 各都道府県知事あて自治事務次官通達)より)

「新市名の取扱いに関する自治省照会事項
 質問1 すでに全国に同一又は類似の市町村が存在する場合
  (1) 
同じ表記で読み方が異なる場合
    【例】 宮崎県日向市(ひゅうがし)→日向市(ひなたし)
        静岡県清水市(しみずし)→清水市(きよみずし)
  回答 
× ・・・ 表記が同じ場合は不可。
  (2) 異なる表記で読み方が同じ場合
    【例】 宮城県仙台市(せんだいし)→せんだいし
        埼玉県日高市(ひだかし)→ひだかし
  回答 ○
  (3) 同一又は類似の「町村」が存在する場合
    【例】 東京都瑞穂町(みずほまち)→瑞穂市(みずほし)
        奈良県明日香村(あすかむら)→明日香市(あすかし)
  回答 ○ ・・・ 全国的に見て、現在も同様の事例がある。
 質問2 外国語を日本語(カタカナ、ひらがな等)で表記した場合
    【例】 LOVE→ラブ
        アンド→アンド
  回答 ○ ・・・ 理由が明確であればよい。
 質問3 略字及び算用数字等の使用
  (1) 「ヶ」の使用
  回答 ○ ・・・ 例:青ヶ島村など
  (2) 「0123456789(数字)」の使用
  回答 
× ・・・ 日本語かどうか解釈できない。適当と思われない。
  (3) 「々」の使用
  回答 ○ ・・・ 例:小佐々町など
 質問4 通常の読み方と異なる読み方をする場合
    【例】 永遠市(えいえんし)→(とわし)
        宇宙市(うちゅうし)→(そらし)
  回答 ○ ・・・ 新市名を告示する場合、読みがなを振ればよい。
 質問5 その他市の名称としてふさわしくないもの
  回答 公序良俗に反する名前
      長すぎる名前
      現在使用していない漢字を使用した名前」
   *出典:「〔資料52〕新市名に使用できる名称等に関する資料」(『
西東京市の事例に見る合併協議の実務』(西東京合併事務研究会編、ぎょうせい発行(平成13年))

 さてもし由緒ある地名を各市町村がひらかなを用いてつけはじめたとすると、上の実務手引きによれば「同じ表記で読み方が同じ」(ひらかなだと必然的にそうなります)場合は不可ということなので、どこかの市町村が先にひらがなで名づけていれば、由緒があっても地元住民が希望してもその名をつけられない可能性がでてくるでしょう。なにしろひらかなで2ー4文字のかなで名前をつけるとなると、そうそう変化のある名前にはならないからです。実際のところこんな時代がくるのかどうかはわかりませんが、もし上の実務手引きを厳格に適用すると、ひらかなで市町村名をつけていくとこんな問題がでてくるといえるかもしれません。(もちろん地元住民がつけたいと願う由緒ある古地名はそうそう多くないので他の市町村とかちあうことはないかもしれませんし、また法律の解釈を柔軟にすれば問題はなくなるとは思われますが)
 しかしこんな問題ではなくもうひとつ大事なことがあります。それは上の実務手引きでは「
表記」という解釈を勝手に(というとちょっと語弊があるかもしれませんが)決めていることです。そのことは上の質問の(1)(2)項の例でわかるように、「表記」という解釈が漢字を基本としてなされていて、かなによる表記は漢字と対等な表記とはみなされていないということです。たとえば「日向市」(ひゅうがし)と「日向市」(ひなたし)はひらがな表記の観点からみれば異なる表記ではないのでしょうか。「仙台市」(せんだいし)と「せんだいし」はひらがな表記の観点からみればまったく同じ表記ではないのでしょうか。このようにひらがな表記では同じものが漢字表記の観点から異なる表記とみなされ(例:「仙台市」(せんだいし)と「せんだいし」)、ひらがな表記ではちがうものが漢字表記の観点から同じ表記とみなされて(例:「日向市」(ひゅうがし)と「日向市」(ひなたし))います。つまりここで問題になるのはひらがな表記が漢字表記の従属物とみなされていて、上のような可・不可の手引きとなっていることです。地名表記においてはかなでなく漢字のみを使用しなければならないとか、漢字表記が原則だがひらがな表記もみとめるといった法律があるのでしょうか。上にあげたひらがなやカタカナの市町村が存在するのですから、たぶんそんな法律はないと思います。しかし上の手引きにはひらがな表記を漢字表記の従属物とみなす思想が隠されています。
 ところでもし私たちが漢字の呪縛にとらわれずに、言葉(方言音。ひらたくいえば会話)でこの世の中を生きていると考えるなら、(2)項の「せんだいし」は「仙台市」と書こうが、「せんだいし」(あるいは「センダイシ」)と書こうが同じものです。そしてその反対に(1)項の「ひゅうがし」(日向市)と「ひなたし」(日向市)は漢字が同じであるとしても、だれが考えてもちがうものでしょう。「せんだいし」は
「仙台市」・「せんだいし」・「センダイシ」とどのように書いたとしても「せんだいし」にまちがいありません。また「日向市」(ひゅうがし)と「日向市」(ひなたし)はたとえ漢字が同じであっても、「ひゅうがし」と「ひなたし」をまちがう人はいないでしょう。これは日本語をしゃべるわれわれにとっては常識でしょう。しかし上の自治省照会の手引きによると、その可否が私たちの常識とは逆になっています。つまりこの常識の反転はあきらかに「表記は漢字であること」という迷妄から生まれているものです。漢字かなまじり文が日本語の唯一の表記法であるとは法律ではきまっていないのですが、「漢字かなまじり文」が現在の日本では主流であるのはまちがいのない事実です。(大きな問題なのでゆっくり考えていきましょう。とりあえずこちら)しかしだからといってひらがな表記を漢字表記の従属物とみなしてよいと頭から決まっているわけではありません。いまのべたように私たちが「ひゅうがし」と「ひなたし」をまちがうことがないという常識はまず「言葉がある」という事実をものがたっていると思います。
 たしかに「日向市」(ひゅうがし)と「日向市」(ひなたし)ではまちがいやすく、実務で問題がおきることでしょう。そこで実務での混乱を回避するためには上のような規定が必要だと政府の事務方は考えられているのでしょうが、では田中なんとかさん、鈴木なんとかさんとかいうような数多くの同姓同名同表記の人名はなぜ規制の対象にならないのでしょうか。事務の効率を考えれば地名を規制するのですから、当然人名も規制するべきでしょう。しかしそこまで国が規制することはもちろんできないのはわかりきったことです。そうであれば地名にたいする上のような規制は筋がとおらないのではないでしょうか。たしかにこのような考えは「それはないよ」といわれそうですが、同姓同名同表記の人名でどれほどの実務被害がでているのでしょう。たしかに郵便配達人の方々が日々この困難とたたかっておられ、実被害がでているのは事実でしょう。しかしそれらの実務被害をなんとかうまく知恵と努力で回避して、あんがい障害もなく乗りきっているのが現実ではないでしょうか。そう考えれば「漢字の同表記」という理由で「日向市」(ひゅうがし)が存在すれば、「日向市」(ひなたし)は認められないというのもちょっとおかしいと思ったりするのですがどうでしょうか。もちろんかなの異表記である地名の漢字同表記をみとめてほしいと考えているわけではもちろんありません。それより同音である「仙台市」(せんだいし)と「せんだいし」の表記がことなればそれは認めるといった考えをなくすほうが先決でしょう。あたりまえのことですが、ここでは漢字の独占的優位性が自明であるのはおかしいのではないかという問題提起のためにこの例をだしているのですから。(それより人名に関する法律「戸籍法」の実務手引きの漢字の取り扱いの煩雑さは袋小路にはいっているといってよいでしょう。この人名に関する「漢字表記」の問題もまたとりあげたいと思っています。)
 さきほど漢字の弊害として地名の読みづらさをあげておいたように、地名を漢字で書くこと(漢字表記)を大前提にするからこそ、「日向市」(ひゅうがし)と「日向市」(ひなたし)はダメ、でも「仙台市」(せんだいし)と「せんだいし」はOKといった私たちの常識とちがった手引きが作られるのです。このように考えてくると「漢字でないと表記とは考えられない」という迷妄はとりのぞいていかなければなりません。なぜなら名前でも地名でも固有名詞でも、単なる名詞にかぎらずどんな日本語の言葉・文章でも「
ただひとつの正しい表記」はいまのところ法律でも、現実においても決まっていないのですから。「漢字かなまじり文」が主流であるのは事実ですが、それでも時におうじて「漢字」で書いたり、「かな」(ひらがなとヒラカナ)で書いたり、さらにはローマ字書きをしているのが私たちの現実ですから。(なお「仙台市」と「せんだいし」をだめとする手引きは「公用文の作成の要領」の精神をないがしろにしたものです。詳しくはこちら

4.歴史的地名の復活は・・・

 さてここまで漢字の弊害についてみてきましたが、私が「大字垣見」の看板の表記を「かけみ」(kakemi)にもどしてほしいと考えているように、旧地名の復活を望む声はいがいと強いものです。たまたま仙台市のHPに歴史的地名の復活の問題がとりあげられていましたので、これを紹介します。(それぞれ「歴史的町名活用推進事業に関するQ&A」のなかの「歴史的町名はどのようにして消えていったか」「歴史的町名の復活はあるのか」より

歴史的町名はどのようにして消えていったか

ジグソーパズル化した町

藩政時代のほとんどの町は道路の両側に面して形成された両側町でした。職制や身分の違いによって屋敷の間口と奥行きが定められていたため,通りで区切られた碁盤目状の区域の広さはほぼ一定していました。

明治維新によって土地の私有化が解禁されるまで,藩の統治下にあった町の形はそれほど変化することなく保たれていました。しかし,新しい戸籍の編纂や地租改正などの税制の大きな改革のため戸毎や土地への符番が必要となり,明確な区画を持った行政上の町として,藩政時代の「丁」や「町」はその形状や性格も大きく変化しました。ことさら武士の屋敷地であった「丁」は「町」や「通」によって分断され,特に「通」は街区が通りの長さと一致しない飛び地の町になっていきました。さらに時代の経過に従って土地の分筆・合筆が進み,あたかもジグソーパズル状の入り組んだ複雑な範囲を持つ町も存在しました。また経済,物流,交通手段などの変化は,それまでの三間とか五間という幅の道路から,複数の車線を持つ広い道路を必要とするようになりました。こうして近代都市化が進むにつれ,幹線道路が走る中心市街地は,かつての両側町としての共同性や機能を次第に失うことになりました。

住居表示に関する法律の制定

戦後の復興に続く高度経済成長期の都市化の進展の中で,従来の町名地番による住所の表示では混乱が著しく,分かりにくいものとなってきたことから,それまでの地番による住居の表示方法に代えて住居番号による住居表示方法が採用されることとなり,昭和37年に「住居表示に関する法律」が制定され施行されました。

仙台市においては,これを受けて昭和40年から街区方式の住居表示を実施してきました。

中央地区の住居表示

昭和45年に住居表示が実施された中央地区では,約2.9平方キロメートルの面積について住居表示審議会が設置され,300回近く説明会を開催する等の検討を行いながら,作業が進められました。その結果,街区によって位置を特定する利便性は,経済活動の活性化や市民生活の向上に大きく寄与しましたが,一方,城下町の足跡を感じさせることのない全国共通の町名を誕生させるなど,仙台の特色をうかがわせる歴史的町名の廃止につながりました。この時,新町名に何らかの形で継承された名称もありましたが,137の歴史的町名はその姿を消しました。

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歴史的町名の復活はあるのか

現在の町名を歴史的町名に変更し復活させることは,制度的には可能です。しかし,町名変更を行うと,住所をはじめ,戸籍,土地の表示の変更にも及ぶことから,対象区域内の住民や事業者の総意が得られないと取り組むのは困難であろうと推察されます。

                                先頭にもどる

 上の「歴史的町名の復活はあるのか」の質問にたいする回答は玉虫色で及び腰にみえます。それは上の文章はもし住民や事業者の総意が得られれば、市街地の道筋は余り大きく変わってもいなく、また制度的にも可能だから)歴史的町名の復活はできると読めますが、最後の言葉を「取り組むのは困難であろうと推察されます。」と結んでいて、歴史的町名の復活は(まず)ないといっているように思われます。つまりこれは裏返せば市自ら音頭をとって(歴史的町名の復活の)総意をとれば、歴史的町名の復活の可能性はあるが、市はそういうことをしたくないといっているように見えます。しかしもし住民優先の考えをするなら(道路の通称名として残そうとする企画があるくらいなのでその希望は多いのでしょう)、歴史的町名の復活の希望を聞き、またそれに反対する住民の意見を聞くのが筋でしょう。(制度上の問題、歴史的町名復活の得失を考慮することはもちろんですが)そしてまた歴史的町名復活にたいする賛成・反対の住民の間にはいり調整をするのが、市の役目ではないのでしょうか。しかし上の市の回答はこれらの仕事を回避するためのものとみえますが、どうでしょうか。私は「住居表示に関する法律」が施行されそれが実際に仙台市で実行されたいきさつを知りませんが、このときは市がその音頭をとってやったのではないでしょうか。しかしいまは道路の通称名として残そうとする企画をうちあげるばかりで、歴史的町名復活の音頭をとりたくないようにみえるのですがどうしたものでしょうか。(歴史的町名を復活せよといってるわけではもちろんありません。復活するにせよ、復活しないにせよその調整役をとろうとしないようにみえることをいってるだけですが)
 私は仙台には一度しかいったことがなく、部外者です。だから上の観察(日本語の読みがという意味です。理解がまちがっていればそこからみちびきだす考えもかわります)がまちがっているかもしれません。もし市の回答の日本語としての読み(私の見解ではありません。念のため)がまちがっていると、思われたかた(特に仙台市民や市職員)があれば私にメールをいただければ幸いです。読みがまちがっていては話になりませんから。そのときはすぐに訂正します。お便りは
こちら
 住居表示に関する問題(歴史的町名の復活なども)もまた考えていくことにしましょう。

5.北海道の地名をカタカナにもどそう!

 さてここまで「現地の慣用音」をたっとんでほしい、由来ある地名を守りたいという庶民の願いをみてきましたが、ここから本題に入ることにしましょう。ただし前にも言ったように、ここで考察するのは屯田兵などの開拓によってつけられた地名と樺太・千島列島、また東北の津軽地方などにも存在するといわれているアイヌ語地名をのぞく、北海道内にかぎった地名を対象に話をしていきたいと思います。
 まずこれらの北海道内の地名がアイヌ語に由来するという考えは、いまでは常識であると思います。しかしこの誰もがなっとくする常識をくつがえす、つぎのような偏見がいまでも存在するのもまた事実です。私が「北海道の地名をカタカナにもどそう!」というアイディを考えついたのは、つぎの文章が頭のどこかにあったからだと思います。そこでまずその文章を引用することにします。(
西浦 1984 p40-1)

 数日前二風谷アイヌ民族資料館宛に郵送されて来たというその匿名の手紙は、文面や言葉使いから判断して、関東周辺に住む和人の高校生らしい男性が書いて送って寄こしたと思われたが、ざっと目を通した私は、いくら若者とはいえ、アイヌ民族に対してのあまりにも高圧的な態度と時代遅れの認識ぶりに唖然とした。
 その手紙は、さる週刊誌に載っていたアイヌの人たちの北方領土についての意見に抗議して来たもので、その内容を要約すると、
 「北方領土はもちろん、北海道にアイヌ民族が先住していたなどとはもっての外で、間違いなく日本人が先住していたのであり、その証拠として、北海道の地名の全てが日本語であり、東京のTV局も大新聞も、アイヌのことなど少しも取り上げていないし、学校の歴史の時間でもアイヌのことは全く習っていない。もし今後も続けて日本に住みたいと思うなら、土地をくれて北海道に住めるようにしてくれた日本人に礼の一つでもいうべきだ」
という意味のことが、便箋二枚にびっしりと書かれており、しかもアイヌの人たちは日本語を理解しにくいと思ったのか、ほとんどの漢字には仮名がふられ、語彙まで添えられてあった。
 折から文部省の教科書検定問題で、「進出だ」、いや「侵略だ」と、その表現の仕方で世論が沸き、中国や韓国からも抗議声明が出されていた時期だった。
 「この手紙一つを見ても、和人がいかにアイヌ民族について無知かがよくわかるでしょう。いまの日本の教科書に、アイヌ民族の成り立ちや、アイヌがこれまで和人からどれほど手痛い目に遭って来ているかということに全く触れられていないから、こんな誤った認識が生まれるんですよ。知らないということは怖いことです」
と、顔を上気させ、重い口調で話す貝沢さんに、和人の一人でもある私は返す言葉もなかった。」

 このようなアイヌにたいする偏見が無知からきているのはまちがいないでしょう。ここでこの問題を考えていくまえに、このような無知をなくす意味からもほとんどの北海道の地名がアイヌ語に由来していることを、アイヌであり、もと国会議員だった萱野氏のことばからみておきましょう。(萱野 昭和62 p12)

わが村の地名

 アイヌ民族自身、自分たちが暮らしていたこのでっかい島を、どのように呼んでいたかといえば、アイヌモシリといっていた。アイヌ(人)、モ(静か)、シリ(大地)。人間が暮らしている静かな大地といい、すみからすみまでアイヌ語で名前を付けてあった。
 このごろ、平取
びらとり町二風谷にぶたに自治会が中心になり、二風谷の歴史を知ろうと、記録誌を編さんするに当たって”二風谷村”の中のアイヌ語地名を数え、書いてみた。幅二キロ長さ七キロの面積の中に五十七ヵ所、それぞれの地形に合う名前を付けられてあり、そのうち現在”村人”が知っているのがどのくらいあるだろうか。五十七ヵ所の地名内訳をみると、樹木の名で呼ばれているところが七ヵ所、人体部分名称の一部を使っているのが十三ヵ所、地形地物をそのまま地名としている所が三十三ヵ所、伝説が四ヵ所である。」
 *追記(2005.9.7):「追われるアイヌ語地名」(柴田武 1987 p272)に次の文章がありました。

「地名改正は確かに無謀なものを含んでいるが、まだ日本語内の変更、とりかえにすぎない。また、かなりの場合、表記の変更にすぎない。これと比べれば、北海道におけるアイヌ語地名を日本語地名に代えていったことのほうが問題としてはるかに大きい。これは、民族語の最後の痕跡である地名までも消してしまうことだからである。地名改正に反対する声は大きいのに、アイヌ語地名消滅に対する声が聞かれないのはなぜだろうか。」                   

 このように北海道にはアイヌの人々がつけた数多くのアイヌ語地名が存在するのですが、上の高校生はその事実をたまたま知らなかったといってしまうことはできないでしょう。しかしながらこのような偏見を生んだもとはあきらかに高校生自身の無知ですが、その責任を上の高校生一人にのみかぶせるべきものでないことははっきりしています。つまりこのような偏見が存在する大きな原因のひとつは政府の教育方針や、マスコミの報道姿勢にあるといわざるをえないでしょう。先年このようなアイヌのおかれている苦難の現状を改善するために、アイヌ文化振興法が施行されました。しかしこのアイヌ文化振興法にはおおきな問題点があり、上の偏見をとりのぞくためにつくられた法律であるとはとてもいえないものです。(詳しくはこちら
 アイヌ文化振興法の問題はともかくとして、アイヌ文化を育てるためにはアイヌ語の普及がぜったい必要であることはいうまでもありません。そしてそのアイヌ語の普及・発展のためにはアイヌ語で日常会話が話されるばかりでなく、現代においてはアイヌ語での書き言葉も、より重要であるといえるでしょう。(アイヌ語の新聞「アイヌタイムズ」は
こちら)そのため書きことばとしてのアイヌ語表記をどのようにさだめるかが重要な問題となってきます。
 ここでアイヌ語地名を例にして、
アイヌ語表記の方法を紹介します。

A.いまのまま漢字をつかう。(アイヌ語地名表記のばあいのみ使用)
B.ローマ字をつかう。
C.カタカナをつかう。
Ca.特殊カタカナをつかう。
D.新しいアイヌ文字をつくり、それを普及し使用する。
  *いまのところアイヌの側にも新しいアイヌ文字を作る動きはみられないので考察外とします。(山本多助氏考案のひらがなを変形して作ったアイヌ文字があるそうです。
大野 2002.3 p148:未見)

 まず実例をあげてみます。(それぞれ『アイヌ語地名リスト』 p111,p53,p108,p95より)

1.ほぼ由来が確定できる地名(その解釈・由来)(山田説)
 A.漢字表記    :平取(ビラトリ町)
 B.ローマ字表記 :pira-utur→piratur(崖・の間)
 C.カナ表記    :ピラトル(あるいはピラトリ)
 Ca.特殊カナ表記:ピラトゥ

2.諸説あり由来を確定しがたい地名(それぞれ山田説と林顕三説)
 A.漢字表記    :札幌(サッポロ市)
 B.ローマ字表記 :sat-poro-pet(乾く・大きい・川)あるいはsat-cep-poro(乾した・魚・多い)
 C.カナ表記    :サッポロ(ペ)、あるいはサッチェップ(ポロ)
 Ca.特殊カナ表記:サッポロペッ、あるいはサッチェ
ポロ

3.漢字化によって発音がかわってしまった地名(永田〈山田〉説)
 A.漢字表記    :美生(ビセイ:芽室町)
 B.ローマ字表記 :pipa-iro-pet(沼貝多き川(〈カラス貝・多い・川〉)
 C.カナ表記    :ピパイロ(ペ)
 Ca.特殊カナ表記:ピパイロペッ

    *ピパイロペッのピパイロに漢字「美生」をあて、その後読み方が「ビセイ」にかわった
    *別の和名をつけることさえあります(例:羊蹄山=マッカリヌプリ)(
より:原載は北海道新聞 1998.4.3(金)夕刊))

4.いまもカタカナで書かれる地名(山田説)
 A.漢字表記    :なし
 B.ローマ字表記 :nisey-ko-an-nupuri(ニセイコアンペッ川の・山)
 C.カナ表記    :ニセコアンヌプリ
 Ca.特殊カナ表記:ニセコアンヌプリ
  *上記の解釈・由来とローマ字表記・特殊カナ表記は『アイヌ語地名リスト』による。またカナ表記はとりあえず私が考えたものです。
  *小文字「
」「」は上付き文字でなく、小文字「ゥ」や「ッ」の基線と同じ位置にあります。アイヌ語のための小文字20種は新JISに登録されてます。

 上の例をみればわかるようにローマ字は語源の説明をかねることができ、アイヌ語表記にとってなかなかよいものと思われます。それにたいしてカタカナはなじみが深いという利点があり、ローマ字に抵抗感のあるお年寄りのアイヌに望ましい表記と見られています。そしてまた特殊カナ表記のように少し工夫すればアイヌ語表記として実用にたえると思われます。現在のアイヌ語教科書ではローマ字表記と(特殊)カナ表記の両方を併記していることが多いようです。(アイヌ語とその表記については中川(p36-46)や「アイヌ語E」(p142-8)などに)
 いま上でアイヌ語の表記のいろいろをみましたが、ちかごろでてきたアイヌ語地名併記の問題点を考えることにします。まずこのアイヌ語地名併記という考えをうみだしたと思われる、フィンドランドの地名の先住民族語併記の例をみましょう。(「
大地を呼ぼう アイヌ語で」(原載は北海道新聞 1998.4.15(金)夕刊))

「UTSJOKI
OHCEJOHK」

 これはフィンドランド北部の道路標識における地名併記の例です。フィンドランド語が上部に、先住民族のことばであるサーミ語が下部に同じ大きさで表記されているそうです。(残念ながらサーミ語がフィンドランド語より下に書かれているので、ついでに(おまけという意味で)サーミ語が書かれていると考えることができるでしょう。先住民の権利の尊重といっても、内実はこんなところのようです。「UTSJOKI」はフィンドランド語地名だろうね。自分でもまだ調べてもいないのにこんなことをいってしまって、もしフィンドランド語とサーミ語が上下逆だったりしたらどうしよう)もうひとつ堀氏のアイルランド共和国での回想を挙げておきます。(「アイヌ語地名を復権させよう」(:原載は北海道新聞 1998.4.3(金)夕刊))

「・・・一九四九年の独立以来、地図、駅名標ママ、交通標識などで、ゲール語地名と英語地名両方がある場合には、ほとんど必ずこれらが併記されている。どころか、英語地名のほうが無視されてしまっていることすらある。たとえばバスの行先表示にはたいていの場合ゲール語地名しか書かれていない。・・・(以下省略)」

 このように先住民族語による地名が存在するとき、先住民の権利を尊重するために国家の公用語などとともに、その先住民族語による地名を併記する考えかたが、わが国にもはいってきました。そして漢字で書かれている北海道内の地名にもアイヌ語を併記しようとする運動(「アイヌ語地名と日本語地名の併記を求める要望書(案)」(1998.7.18付けの「「アイヌ語地名を大切に!」市民ネットワーク」の要望書):また上記にも)がはじまっています。具体的にどのように併記するのか、例を見ておきましょう。(小野 1999.5 p85)

「(現在)  ぽろしりだけ    やむわっか    びせいがわ
        幌尻岳        止若        美生川  
       Poroshiri-dake  Yamuwakka    Bisei-gawa

 (追加)  ポロシ       ヤワッカ     ピパオロペッ
       Poro-sir      Yam-wakka    Pipa-or-o-pet
       大きな・山      冷たい・水    カワシンジュ貝が・そこに・たくさんいる・川」

 上の小野氏のあげる例をみると、日本語とアイヌ語の両併記であることがわかります。そして小野氏のことばによれば、アイヌ語併記の考えは「併記することによって、アイヌ語地名を生み出したアイヌ文化とその言語を、日本文化・日本語と対等に扱うこと」(小野 1999.5 p85)であることです。アイヌ文化振興法ができ、(財)アイヌ文化振興・研究推進機構の活動が継続しておこなわれ、アイヌ文化復興のための多くの活動がおこなわれても、なお以前とあまり変わらないアイヌの人々の現状を考えるとき、この道路標識などにおけるアイヌ語併記はアイヌ文化を日常的なものにもどすためのいい方法と考えられます。なぜなら「民族舞踏・民族衣装・民族儀式」といった限定されたアイヌ文化の尊重でなく、日常性のなかでアイヌ文化が尊重される必要があるはずだからです。(私ごとですが、同じような趣旨で「(札幌の)時計台の時報をアイヌ語でやってみてはどうか、というアイディアを財団にだしておきました。ぜひ財団なり私企業がスポンサーとなってアイヌ語の時報がながされることを期待しています)
 さてこのようなアイヌ復権をたすけると思われるアイヌ語併記にも、目にみえない問題があります。それを考えるまえに、小野氏の考えを引用します。(それぞれ
小野 1999.5 p79,80,82)

「(前略)現在の北海道の地名は100年以上にわたるアイヌ語地名の一方的な日本語化(漢字化)の結果なのだ」

「 人が住んでいる町村の地名を変えるとなるとなかなかやっかいだが、人の住んでいない川の名前なら、合意もしやすいだろう。とくに、この運動では現在ある地名をアイヌ語地名にもどせ、とは言っていない。あくまで併記を求めているのである。だから、行政側も大きな変更をすることなく、看板や標識のつけかえだけですむのである。」

「(前略)北海道の土木局や開発局では、すでに一部の河川では、アイヌ語地名の併記を行っているという事実を聞かされた。しかし、その併記のしかたを見ると、先ず大きく日本語の河川名が漢字やカタカナで書かれ、アイヌ語地名はその下に小さく説明として書かれているだけである。要するにアイヌ語地名は日本語地名の由来の説明として述べられているだけであり、現在の河川名として同等に標示されているわけではない。これでは私たちの要望する併記とはほど遠いのである。少なくともアイヌ語地名の存在や、それが日本語地名のもとになっていることを書いてくれたことは進歩といえるが、これでよしとしてしまえば、逆に日本語地名だけが正当で、アイヌ語地名がたんなる過去の地名に貶められてしまう。むしろそれが大きな問題であろう。」

 このように小野氏は現在北海道の地名が漢字で書かれている理由や、またアイヌ復権にむけて北海道庁の土木局や開発局が是正すべき点をよく認識されているのですが、問題になる点があります。そこでその問題を考えるために、以下、例をあげることにします。

     1.開発局の表記  2.小野氏の提唱される表記  3.アイヌ語併記の精神を尊重した表記
上部:  止若           止若                Yam-wakka
下部:  
Yam-wakka        Yam-wakka           止若
                    冷たい・水

 
*今回時間もなく、開発局や小野氏が提唱される具体的な表記例を正確な形で、ここにあげることができませんでした。そこで開発局や小野氏が提唱される併記の考えかたを私なりに理解にしたうえで、表記を加工して提示しました。そのため上にような表示が実際おこなわれていることや、提唱されているといったことを保障しているわけではありません。

 上の例であきらかなように、開発局の表記ではアイヌ語地名(「Yam-wakka」)は小文字で書かれているため、あくまでも地名「止若」の由来を示すための便宜であるのはまちがいありません。(たぶん本当の理由は和人にはこれらの漢字で書かれたアイヌ語地名を読めないからではないかと思うのですが)つまり河川名の看板にアイヌ語地名が書かれているといっても、それはアイヌ語地名にたいする日本語地名からのおまけにすぎないからです。アイヌ語地名が看板の下部にそれも小さく表記されているのを見せつけられれば、アイヌ語地名は日本語地名と同等にあつかわれていない、日本語地名の由来の説明として述べられているだけであると、アイヌの人々が感じても不思議ではないでしょう。そして和人であれ誰であれ、そこがもとアイヌの土地であったという歴史的事実を知れば、その看板にアイヌ語地名が小文字で書かれていることの不当性に気づくでしょう。そしてその理不尽さをなくすためにアイヌ語地名を日本語地名と同等にあつかうべきであるという考えがでるのも、またしぜんななりゆきです。その具体化として日本語地名の下部にアイヌ語地名を同等の大きさで併記するという運動が起こってきたといえるでしょう。
 ところで日本語地名の下部にアイヌ語地名を同等の大きさで併記するという運動(もちろんアイヌ語地名が日本語地名の下部にではなく、上に君臨する併記が筋でしょうが)をみなさんはどのように感じられますか。小文字
のYam-wakkaより同等の大きさによるYam-wakkaの表記がいいのはもちろんですが、文字の大小といった現象面をとらえて、これらの表記の優劣がきまると思いますか。もしそこにとてつもない大きな違いがあれば、この小野氏の試みは歓迎すべきものです。しかしもし文字の大小のちがいが、上の開発局の表記と50歩100歩であればその試みを大きく評価することはできないでしょう。
 では小野氏の試みは上の開発局の表記と文字の大小のちがい以上のものがあるかないかを、これから考えていくことにします。そこでもう一度先住民族語のサーミ語併記の実例とアイヌ語併記をくらべてみることにします。

    A.フィンドランド語主表記  B.サーミ語主表記  C.小野氏の表記  D.併記尊重の表記
上部:UTSJOKI           OHCEJOHK      止若         Yam-wakka
下部:OHCEJOHK         UTSJOKI        Yam-wakka     止若

 さてこれらの四つの表記の違いはどこにあるのでしょうか。
 まずAとBはどちらも先住民族語併記ですが、そのちがいはサーミ語を主とするかしないか、つまりサーミ語をおまけとみるか、より尊重するかのちがいです。ありていにいえばフィンドランド国はAの表記をしていることから、フィンドランド国家が自国内の先住民族をどのように遇しているのかがみてとれます。ではアイヌ語併記のCとDのちがいはこのサーミ語の例とおなじものと考えてよいでしょうか。「おんなじだよ。できればDのほうがもっとよいけれど、おんなじようにアイヌ語を尊重してるし、まあCでもいいよ」と、みなさんは思われたでしょうか。たしかにみたところ、アイヌ語併記のCとDとのあいだに見られるちがいはサーミ語のAとBとのあいだに見られるちがいとおなじに見えます。だから「まあCでもいいよ」と考えてしまうのも無理はありません。しかしよく見てみるとサーミ語とアイヌ語の先住民族語併記にはおおきな違いがあります。たとえばAとC(以下の議論ではBとDでもおなじです)では明らかな違いがあります。よくわかるようにそれを比べてみることにします。

    A.フィンドランド語主表記     C.小野氏の表記
上部:  UTSJOKI(フィンドランド語)    止若(アイヌ語由来の日本語)
下部:  OHCEJOHK(サーミ語)      Yam-wakka(アイヌ語)

 どうですか。みなさんはAとCのちがいに気づかれたでしょうか。わかりにくいので種明かしをすれば、じつはAとCのちがいは先住民族語が透けてみえるかどうかということです。ここで私は先住民族語が透けてみえるということばを使いましたが、それは次のような違いを示すものです。フィンドランド国家は先住民族を尊重するために、(その不十分さはいまは考えないとして)フィンドランド語の地名「UTSJOKI」のほかに、わざわざサーミ語の「OHCEJOHK」という地名を併記しているのです。なぜならフィンドランドの場合は(フィンドランド語の地名表記はやめないと決めた場合)、先住民族の意志を尊重するためには、サーミ語を併記するしか、ほかに方法がないからです。しかしそれにひきかえ日本の場合はCの表記では「アイヌ語が透けてみえている」のですから、フィンドランドの場合のようにほかに方法がないわけではありません。つまりフィンドランドの場合とちがって、アイヌ民族を尊重するための方法にはアイヌ語併記の道しかないというわけではないことです。先住民族を尊重するための方法がないから(もちろんフィンドランド語の地名表記をやめるのがベストですが)、次善策をとってサーミ語併記をするというのはやむえない方法でしょう。しかし日本の場合は「止若」と書いてあっても、その漢字地名にはアイヌ語「Yam-wakka」がすけてみえているのです。そんなアイヌ語地名と日本語地名の関係があるのに、日本語地名「止若」をわざわざ残したうえ、その下にアイヌ語地名「Yam-wakka」を併記する理由はどこにあるのでしょうか。アイヌ語地名を尊重する方法がほかにみつからないから、アイヌ語地名を併記するというのであれば話はわかリます。しかしアイヌ語地名を尊重する方法があるのに、わざわざ日本語地名「止若」にアイヌ語語地名を併記するというのは本末転倒ではないでしょうか。小野氏が「この運動では現在ある地名をアイヌ語地名にもどせ、とは言っていない。あくまで併記を求めているのである」といわれるのは、アイヌ語地名尊重の立場からみて矛盾することばではないでしょうか。そう考えると「逆に日本語地名だけが正当で、アイヌ語地名がたんなる過去の地名に貶められてしまう。むしろそれが大きな問題であろう。」といわれた小野氏のことばは小野氏自身にもどすべきでしょう。日本語で書かれた漢字地名をアイヌ語地名にもどさず、あくまで併記を求めるのであれば、アイヌ語地名が日本語地名と同じ大きさで書かれたとしても(アイヌ語地名が日本語地名の上に君臨しようと)、先住民族復権を後押しするための先住民族語併記の精神とはやはり似て非なることにならないでしょうか。(あなたはついさっき「フィンドランド語の地名表記はやめないと決めた場合、サーミ語を併記するしかほかに方法がないから云々」といったのだから、「日本語地名表記をやめなければ、アイヌ語地名併記するしかほかに方法がないでしょう。日本にたいしてだけ、日本語地名表記をやめて云々、というのは論理矛盾だよ」という声がでそうです。たしかに論理が矛盾してることは認めなければなりません。しかし日本語地名表記をやめて単一のアイヌ語地名表記をしても、フィンドランド語表記をやめ、単一サーミ語地名表記した場合のフィンドランド国家がかかえる重大な障害のようなものは生じないといいたいので、この論理矛盾は許してもらえると思いますが。「だめだ!」っていう和人の声がきこえますが、まあ続きを読んでください)
 このように考えてくると、小野氏の考えにはおおきな問題があるといわざるをえません。そこでもう一度、問題は何なのかを小野氏のことばを引用して、そこから考えることにしましょう。

「 人が住んでいる町村の地名を変えるとなるとなかなかやっかいだが、人の住んでいない川の名前なら、合意もしやすいだろう。とくに、この運動では現在ある地名をアイヌ語地名にもどせ、とは言っていない。あくまで併記を求めているのである。だから、行政側も大きな変更をすることなく、看板や標識のつけかえだけですむのである。」

 この小野氏の主張は「アイヌ語地名にもどせ、とは言っていない。」ということばでわかるように、行政側(つまり和人住民側)の都合を優先させている点です。そのことは「人が住んでいる町村の地名を変えるとなるとなかなかやっかいだが、・・・」「行政側も大きな変更をすることなく、看板や標識のつけかえだけですむのである。」ということばでもわかります。たしかに漢字地名をアイヌ語地名にもどせばいろいろと問題がおこるでしょう。だから小野氏はできるかぎりできるところからやっていこうと、現実的な選択をされたと思います。たしかに時には現実的な選択もひつようです。(小野氏の運動の問題点を直裁にのべておきます。「名づけ」はアイディンティの問題です。だから行政の都合より、アイヌの意志が優先されるべきです。看板の下部ではなく、上部にアイヌ語地名を書くか書かないか、河川の標識ではなく行政名にアイヌ語地名をつかうかどうかの問題です。文字を大きくすることや、河川の標識にアイヌ語併記をするのは和人の都合だということです。しかしこの原則論はいまはやめて話を続けます)私も現実的な選択を頭から否定するためにこの問題をとりあげているわけではありません。しかし小野氏の現実的な選択には問題があるのも事実です。フィンドランドの場合、フィンドランド語の地名表記をやめてすべてサーミ語表記にすればよいといってしまうのは簡単ですが、たしかにこれは問題がおおきいのも事実でしょう。しかし日本のばあいはフィンドランドがかかえている「国家語地名」と「先住民族語地名」との対立ではないのです。北海道内の地名は漢字化されているとはいっても、いまだアイヌ語地名なのです。アイヌ語がすけてみえる地名なのです。つまり日本の場合は、フィンドランドがかかえる「国家語地名」と「先住民族語地名」との対立のもんだいではなく、「漢字化されたアイヌ語地名」と「アイヌ語によるアイヌ語地名」とのそれなのです。つまりそうであればフィンドランドが道路標識にサーミ語を併記する場合とちがって、行政名をアイヌ語地名にもどすのにそんなに障害があるとは思われません。
 ここで障害になると思われるもののうち二番目のものである、行政の経済的負担(つまり私たちの払う税金)の問題について(もちろんアイヌ語併記をするという前提で)考えることにします。じっさいのところ小野氏の試みを実行するとなると、看板や標識のつけかえの作業が必要です。そしてそのためには、アイヌ語地名を併記するためには別の看板(標識)か元の看板の下に新しい看板をつけるか、元ある看板に書きこむ(いまは貼りつけるのでしょうが)必要があるでしょう。もし別の看板を余分にたてるなりつけるなら、それこそ膨大なお金がかかります。また元の看板に書きこむとしても、余白部分がないとだめなので大きくはかけないでしょう。そう考えると漢字地名の下にアイヌ語地名を併記した新しい看板につけかえることになります。(現実的には元の看板に漢字地名と、併記したアイヌ地名を印刷した文字を貼りつけ、古くなった看板から順次新しい併記の看板につけかえる代案がとられるでしょうが)つまりなんにせよ膨大な金がかかります。もちろんアイヌ語併記をするとなるとさけてとおれない問題ですが、これは行政の問題です。しかしこのようなアイヌ語併記にかかる費用と、漢字地名をやめアイヌ語のみの表記にかかる費用と実際のところ金銭的に考えた場合それほどの差はでないでしょう。なぜなら漢字地名と併記のアイヌ地名を印刷するのも、アイヌ地名のみを印刷するのもそう差はなく、のちの貼りつけなどの手間ヒマはおなじであると考えられるからです。つまり行政の経済的負担ということで、アイヌ語併記と単一アイヌ語表記の優劣を比べることはできないことがわかります。では小野氏がなぜ単一アイヌ語表記ではなく、アイヌ語併記を推奨するのかといえば、「人が住んでいる町村の地名を変えるとなるとなかなかやっかいだが」という行政側(つまり和人住民側)の都合を考えての発言となります。たしかに行政地名の名を一度に、いっぺんにかえるとなるとこれはたいへんな問題です。でもリーガン大統領がレーガン大統領に一夜にしてかわったことがあります。当時これは大変なことだと私も思いましたが(現場ではたいへんだったと思いますが)、あまりにもあっけなくかわったのに拍子ぬけしました。経済的負担や現場の混乱いがい何の障害もなかったのですから。つまり単一アイヌ語表記ではなく、アイヌ語併記にこだわる理由がなにかといえば、行政側(つまり和人住民側)の都合ということになります。(もちろん日本国家としてはアイヌ語地名併記にこだわり、単一アイヌ語地名表記をみとめたくはないのが本音でしょうが)
 これで小野氏の試みにおける問題がはっきりしたと思います。つまり小野氏は「人が住んでいる町村の地名を変えるとなるとなかなかやっかいだが」という行政側(つまり和人住民側)の都合を考えていることです。そう考えると先にあげた例で考えれば、開発局の小文字
Yam-wakkaの付記も小野氏の同等の大きさによるYam-wakkaの併記も、そこには文字の大小の差をのぞいてはその差がないといえるでしょう。なぜならおまけとみえる小文字Yam-wakkaの付記も、アイヌ語尊重といわれている同等の大きさによるYam-wakkaの併記も、どちらもアイヌの希望からでたものではなく、和人の考えから必要とされた表記なのですから。ところでいま開発局の小文字Yam-wakkaの付記をおまけといいましたが、それを「おまけ」や「つけたし」と考えるべきではありません。なぜなら小文字Yam-wakkaの付記という事実は、和人のための便宜にこそあるからです。つまり小文字Yam-wakkaの付記は和人にとって日本語地名「止若」の由来が必要とされていて(たぶん漢字がよめるために)、その理由によって河川名の看板に小さいYam-wakkaの文字が表記されているからです。そしてこのように考えてくると、Yam-wakkaの併記と小文字Yam-wakkaの付記のあいだには文字の大小の差をのぞいては、差がないというべきでしょう。つまりそれらが「我が国の多様な文化の発展に寄与することを目的とする。」という、アイヌ文化振興法(アイヌ文化振興法の問題点についてはこちら)の目的の先どりか具体化例かの違いはあるにしても、そこにあるのはどちらもアイヌの希望ではなく和人の考えから必要とされた表記なのです。こんなことをいうと、「そうか、開発局の小文字Yam-wakkaの付記はちよっと足りない点があるとしても、アイヌ文化振興法の目的を具現しているのだし、いいんじゃない」とかんちがいされ、それ以上に小野氏の同等の大きさによるYam-wakkaの併記なら「なおさらいいんじゃない」と思われたのではないでしょうか。この誤解はといておかなければなりません。
 さて人の欠点を言うのはやさしいことです。しかし代案をださないと「いうだけじゃないか」といわれます。そしてこの誤解をといておくためにも、わたしのアイディア(「北海道の地名をかたかなにもどそう!」)について述べることにします。これから考えていくために、以下の参考資料を必要とします。それで先にそれをあげておきます。

A.公用文作成の要領文化庁 平成13 p259-265:Web版はこちら
B.
外来語の表記文化庁 平成13 p1-4:Web版はこちら
C.
国語審議会答申「外来語の表記」前文文化庁 平成13 p197-201:Web版はこちらの後半部分)

 上の書かれている規定をごく簡単にまとめると、次のようになります。(詳しくは上の参考資料をみてください)

1.外国の地名・外来語はかたかなで書く(漢語は慣用として外来語の中には含めない)
2.第2表のかなをもちいて、
原音に近く書きあらわす(特別な音は取りきめをおこなわず自由)
3.
地名をかな書きにするときは、現地の呼び名を基準とする。(慣用が定まっているものはそれによる)

 少しまえのことですが、戦時中「シンガポール」を「昭南(島)」といっていました。また現在ロシアである「ユージノサハリンスク」は以前「豊原」と日本名がつけられていました。これらの地名が現在なぜカタカナで表記されているかといえば、大戦後日本の領土でなくなり外国になったからです。つまりこれらの地名は「公用文作成の要領」のなかの「2 用字について」の規定によって、かたかなで書かれているわけです。そして中国の「上海」を現在では「シャンハイ」と書くようになってきていることから、この規定は定着つつあると考えることができるでしょう。
 ところでこのように外国の地名を
かたかな書きすることが定着したと思われるのに、北海道内の地名が漢字で書かれつづけるのはどうしてなのでしょうか。国語審議会答申「外来語の表記」前文の「外来語について」のなかで、「ただし、中国・韓国等の地名・人名は直接の対象とはしない。(それらは漢字で書かれることが長い習慣であったが、現在では原音に基づくかたかな表記も行われている。)」とあります。しかしみなさんは上で規定されている漢字で書く地名のうちに北海道内の地名がふくまれているとは思われないでしょう。つまりアイヌ語地名である北海道内の地名を漢字で書くことははあまりにも当然すぎていたため、この答申をだした委員のかたがた(と私たち)の頭からこの問題がぬけおちていたのです。しかし考えてみればすぐわかるように、北海道の地名のほとんどはアイヌ語に由来することはまちがいありません。そしてアイヌ語は日本語からみてまちがいなく外国語です。だとすれば、公用文作成の要領の「2 用字について」規定や、外来語の表記のなかの「留意事項その1(原則的な事項)」という規定からみて、アイヌ語地名をかたかな書きにすることが望ましいと思われます。たしかにアイヌ語地名は外国語ではあっても、外国の地名ではないと考えたり、アイヌ語地名は地名であって外来語・外国語ではないと考えて、アイヌ語地名を「かたかなで書く」必要はないと強弁することもできます。たしかに現在の北海道は国際法や国内法からみて外国とはいえないし、地名は外来語・外国語ではないというのもほんとうですが、この点に関する法律論議はさておいて、少なくとも次のようなアイヌの声は聞くべきでしょう。(それぞれ小井田 1987 p21。萱野 1998 p198)

「 しかし、敗戦後のことであるが、
 「アイヌの土地を取りあげ住みついている和人に、なぜ、税金をはらわなければならない」
 と最近病死したアイヌ系住民のことを知り、町役場の元税務課職員に尋ねたら、
 「言うことはわかるが、小役人の俺たちではどうにもならない事だし、話し合いをして結局は納めてもらった」(以下省略)

「私は口癖のように言っていますが、北海道というあのでっかい島を、日本人に売った覚えも、貸した覚えもありません。だから年貢くらいだしてください。いまから二〇数年前に朝日新聞社からだした『アイヌの碑いしぶみ』という本にはっきり書きました。そして、いまでも事あるごとにそう言っているのです。」

 このようなアイヌの人々の声を聞けば、現在の北海道内の漢字地名(たとえば「札幌」など)はアイヌにとっては和人から略奪された土地の名前であるといえるでしょう。そしてもしこのことを法律上はともかく、私たち和人がみとめるのであれば、いまもアイヌの土地であるという証拠として、アイヌ語地名は「かたかなで書く」必要があるでしょう。
 話は前後しましたが、これが小野氏にたいする私の反論です。北海道内の地名はアイヌ語がすけているといっておいた理由がそれです。だからこそ前のところでアイヌ語地名を尊重する方法があるのに、なぜわざわざ日本語地名の下にアイヌ語語地名を併記するのかと疑問をだしたのです。じっさいのところこの
「かたかなで書く」という表記方法は小野氏のアイヌ語併記の試みにくらべ、行政の経済的負担にはあまり差がありません。また漢字地名をそのまま現地音のかたかな表記にもどすため、行政(和人)にとってもなじみがあり、フィンドランド語表記をやめ単一サーミ語地名表記した場合のフィンドランド国家がかかえる行政上の重大な障害をも避けることもできます。そして一番いいことはアイヌ語地名が日本語地名の下にあまんじることなく、アイヌ語地名がそのまま輝くことです。お金もそれほどかからず、それにかえたからといってそれほどの障害もおこらず、そしてなによりアイヌの人々にとって誇りにできる地名表記ではないかと思います。
 ここまで私の考えを書いてきましたが、漢字化されたアイヌ語地名をかたかな表記にもどすというアイディアにも大きな問題があります。なぜなら日本国家のお墨つきを前提にアイヌ語地名表記をもとめていこうとすると、公用文作成の要領や外来語の表記
の規定が準用され、漢字地名からアイヌ語地名にもどすというアイディアを実行するためには「かたかな書き」しか認められないという点です。でもそうすると、もしアイヌの人々がローマ字表記によるアイヌ語地名表記をもとめたとしても、それは不可能ということになります。それにたいして、もしアイヌ語併記案であれば(漢字地名の下にアイヌ語地名を書くならなおさら)、ローマ字表記の可能性が残されていることです。つまり北海道はいまのところ、アイヌから無償でとりあげて好きなように使っているという考えを示すにはかたかな書き(特殊かたかな書きも可能です)はいいのですが、アイヌ自身がもしローマ字をアイヌ語表記の道具として定めたいと望んだとき、その「かたかな書き」は足かせになることです。(アイヌ民族法ができ、「アイヌの人々の意志により、北海道内のアイヌ語地名はローマ字表記してもよい」というような文言があればべつですが)そう考えると矛盾してますが、和人の土地とみとめたうえでの、アイヌ語併記案は現実問題としていいのではないかと思われたりするのですが。(もちろんアイヌ語表記がうえで、そのしたに漢字を併記するのが筋です)
 ところで上のような法律上の問題もさることながら、じっさいのところ北海道内の地名をアイヌ語表記にもどすといっても、目にみえない問題があります。それはまえに「札幌」の例にあげたように、もうすでにもとのアイヌ語がわからなくなってしまった地名が多いことです。このような地名をすぐに確定することはたしかに難しいものです。そこで代案としてとりあえず、いまある漢字地名の現地音をそのままかたかな書きするのがよいと思われます。この方法はもとのアイヌ語がわからなくなってしまった地名にも採用することができ、「ニセコアンヌプリ」のようにいまだ漢字化されない地名もあり、土地の人々にとってそれほど問題になるとは思えません。それにまた「占冠」(シムカップ:占冠村)などの難読地名は和人にとって困った地名ですが、これがかたかな書きの「シムカップ」であれば読みやすく、書きやすいものです。それに和人に読みやすい「シメカップ」のような発音にかわる可能性もなくなり、いい表記ではないかと思います。(もちろんいま述べたことは特殊かたかな表記で「シムカ
」、あるいはローマ字で「si-mukap」(ともに『アイヌ語地名リスト』 p62より)と表記できるのですが)
 上の考えを実行するうえで、問題を見つけました。行政地名の変更は地方自治法第三条ほかの規定により、各市町村の総意にまかされているようです(詳しいことはまだ調べていません)。そのためアイヌ語地名の表記法やアイヌ語地名そのものが未確定のときに各市町村がおのおのの市町村名やアイヌ語地名をきめると、各市町村名や各地の地名がバラバラになり、全北海道という立場から考えるといいことではないと思います。最初私はアイヌの人々の割合の多い各市町村からアイヌ語地名の「かたかな書き」を実行すればと考えたのですが、この理由で考え直す必要があるようです。
 いま上で北海道内の地名をアイヌ語表記にもどすときの問題のいくつかをあげましたが、ほかにもいろいろな問題があると思います。そのなかでとくに大きい問題は和人の賛成をえなければならないことです。そのためには政府や道庁といったお役所の問題も発生します。しかし何をさておいてもアイヌの人々の意思(希望)を抜きにして、新しく北海道内の地名の表記をきめるべきではないということです。もし和人の都合で地名表記をあらためるのであれば、小野氏のアイヌ語併記であっても手ばなしで賛成すべきではないでしょう。(そのことは小野氏のアイヌ語併記についての問題点で述べてきたところです)アイヌ文化振興法の後段に書かれている「あわせて我が国の多様な文化の発展に寄与することを目的とする」という、みばえのする甘いことばは和人のためにあると考えてよいでしょう。しかし本来のアイヌ文化振興法の目的は前段の「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り」ということにあるはずです。もしそのことを忘れれば、小野氏が提唱されるアイヌ語地名併記さえも「逆に日本語地名だけが正当で、アイヌ語地名がたんなる過去の地名に貶められてしま」(小野氏のことば)い、アイヌ語地名併記の看板は神社の由来札といったものになりはてるでしょう。(神社の由来札から学ぶべきことが多いのもまた事実です。そのことを否定することはできませんが、ありていにいえばしょせん由来札は由来札です)
 このようにいろいろと問題がありますが、北方領土の返還にアイヌは発言する権利があるとアイヌから声があがってきたように、まずアイヌ自身が北海道内のアイヌ語地名には私たちが再命名する権利があると言いだすことが必要でしょう。私のアイヌ語地名かたかな表記がいいのか、小野氏のアイヌ語地名併記がいいのか、それともこのまま漢字表記を望むのかは、アイヌの人々がまず考える問題です。なぜならこの問題はアイヌ自身のアイディンティにかかわる問題なのですから。その可能性はアイヌの人々の希望をうけいれる方向で、和人がどれほど協力できるかということでしょう。
 最初に引用した、高校生と思われる若者の「北海道の地名の全てが日本語であ」るという無知は、それらの地名が漢字で書かれていることから起こった無知ともいえるでしょう。もし北海道の地名が漢字ではなく、かたかなで書かれていれば、小学生でも「北海道だけどうしてかたかななの?」と疑問をもつことでしょう。そしてその「なぜだろう?」と感じるところから、アイヌ民族の存在やそこにみられる差別の実態をしる道がはじまることと思います。私の「北海道の地名をカタカナにもどそう!」という、この文章が無知をなくす役にたてばうれしく思います。
 最後になりましたが、ちょっと気づいたことを書いておきます。一つはアイヌの人々が「アイヌモシリ」(「人・静か・大地」:人間が暮らしている静かな大地)とよんでいる北海道の名前をどうするかということです。この問題は「北海道」という地名をこのまま使用するかどうかという問題でもあるのですが、もし私の考えを実行するとすれば、アイヌ語で名づけることになります。私はアイヌ語を知らないのですが、北海道と「アイヌモシリ」は等価のことばではないと思いますが。では「北海道」をアイヌ語でなんと名づけるのがいいのでしょう。(もし必要なら、この問題はアイヌの人にまかせればいいでしょう。とはいっても地名である「北海道」の名をかえるといえば、和人の賛成がえられるかどうか)
 ふたつには、もし北方領土が返還されたとき、それらの地名をどうするかということです。北海道内の地名が漢字で書かれるいまの状態で北方領土が返還されれば、北方領土の返還にアイヌの人々がかかわれていない今の現実(「私がどうしても許せないのは、アイヌを抜きにした日本の固有の領土だという主張です。」:秋辺さんの回答(
秋辺 p89))をひきずり、「ユージノサハリンスク」は旧日本名の「豊原」にまたかわるのでしょうか。北方領土の返還とおなじように、ここでもアイヌの人々の希望がうけいれられるかどうか、問題になるところです。
                    2002.6.16 ichhan記