玉井彰の一言 2006年12月 四国の星ホーム一言目次前月翌月

2006/12/31(日) 少年老い易く学成り難し

1年が過ぎるスピードが、年々速くなっているような気がします。多くの方がそういう感想を持っているようです。

安倍晋三首相が12月24日、日本橋三越で開かれた「2006年報道写真展」を観賞したとき、自民党総裁選で選出された瞬間や首相就任会見に臨む場面を写した自分の写真の前で、「ずいぶん前のことのように感じますね」と感慨深げだったという報道がありました。

なるほど、学校時代のように日々新しい出来事に出会えば、1日1日が長く感じられます。総理大臣という新たな体験が、安倍氏に長い長い3ヶ月を実感させたのでしょう。

このブログを立ち上げて8ヶ月余。結果として毎日更新が続いています。それ自体を目的としているのではありませんが、1日1日を刻むために、可能な限り毎日更新するつもりです。アウトプットがインプットの原動力になるとの前提で、インプットのためにアウトプットを重視したいと考えています。来年の目標は、1日30分でブログを更新すること。毎日を濃厚に生きることにつながるからです。

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草の夢
階前の梧葉已に秋声

小学校時代、詩吟で朗読させられた詩です。そうかもしれんな、という程度の感想でした。まだまだ先はあるつもりですが、緻密な時間の使い方をして、時間を浪費したという後悔の念だけは持たないようにしたいと思います。

以上、年末雑感。


2006/12/30(土) フセイン元大統領死刑執行・・不当だし、不愉快だ

押し詰まって、いやーなニュースが飛び込みました。フセイン元イラク大統領の死刑執行。八つ裂きになってもやむを得ないような暴君ではありましたが、イラク特別法廷による判決の正当性にも疑問があり、大国のエゴが見え隠れするだけに、なんとも不愉快な気持ちです。

【フセイン裁判 スピード執行で正当性に疑問の声 】(産経)
イラクのフセイン元大統領に対する死刑が判決確定からわずか4日で執行されたことで旧フセイン政権の犯罪を裁くイラク特別法廷の正当性が改めて問われている。国家指導者の犯罪はミロシェビッチ旧ユーゴスラビア大統領(故人)のように独立性や公正さを確保できる国際法廷で裁かれるのが一般的だからだ。

しかし、フセイン元大統領のケースでは国際刑事裁判所(ICC)に署名していない米国が主導。フセイン政権時に弾圧されていたイスラム教シーア派、クルド人勢力が自国内でのイラク人による訴追を希望していたことにも配慮したと指摘されており、「勝者の裁き」との批判は避けられない側面がある。

米軍の占領統治中に特別法廷の設置が決まった。「イラクの法廷」でありながら米国の法律専門家ら多数が参加し、法廷の運営資金の多くを米国が負担した。

国連は昨年10月、こうした米国の深い関与をとらえ特別法廷の正当性に疑問を投げかけ、国連による独立法廷を設置すべきだとの専門家の報告書を公表した。

国際人権団体ヒューマンライツ・ウオッチ(本部・ニューヨーク)は犯罪の立証は不十分との見方を示し、「イラク国民に司法手続きが十分説明されていない」ことにも疑問が提示されている。

また、ルバイエ国家治安顧問が、フセイン元大統領の控訴棄却を高等法廷の発表前に明かしたことを「司法への政治介入」と批判し、「不公正な訴訟指揮の下で出された結論だけに、イラク政府は刑を執行すべきでない」と訴えていた。

このほか、審理中に被告側弁護人や判事の親類らが殺害される事件が相次ぎ、対立が続くイラク国内に法廷を設置していることも問題視されていた。

(コメント)
東京裁判(極東国際軍事法廷)に疑問を持つ方々は、このニュースに対してどういう反応を示されるのでしょうか。「日米同盟があるから、賛成だ」というのでは、矛盾した話になります。「サンフランシスコ条約以前は非独立国だったが、現イラクは独立国家だ」という形式論理で逃げるのでしょうか。

勝者が敗者を裁いたという以外に言いようがありません。極悪非道な独裁者であっても、正当な裁判を受ける権利はあるはずです。不公正な裁判による超スピード処刑。殺人だと言っていいでしょう。

麻原彰晃に関する、遅すぎる裁判も問題ですが、審理の内容、結論、処刑の手順に遺漏のある今回のスピード裁判・執行は、取り返しが付かないだけに、大きな禍根を残します。もっともっと、明らかにすべき事実はあったはずです。歴史の教訓という意味からも、暴君フセインから多くの供述を取っておくべきでした。

アメリカの不当な戦争を覆い隠すための生贄。あるいは、「ブッシュの犯罪」を隠蔽するための証拠隠滅行為。そういう意味合いでしか理解できません。


2006/12/30(土) 国会議員は新議員宿舎に堂々と住め!

赤坂に新築された議員宿舎の評判が芳しくありません。民間と比較して格安の家賃で住もうとしているという批判は俗受けするので、尻込みする議員が出ているようです。

【赤坂議員宿舎 「支持者には言えぬ」埋まるか定員】(産経) 

<支持者には言えない/それでも高い>

国会議事堂から徒歩約10分、地上28階建ての3LDK82平方メートルが月々9万2000円−。来年2月に完成、4月から入居が始まる衆院赤坂議員宿舎(東京都港区)の家賃は、周辺物件の相場の5分の1以下。だが、職住接近の格安物件に「議員特権」との批判が噴出し、当初予定していたスカイラウンジ、スポーツジムは「国民の理解が得られない」と、急遽(きゅうきょ)会議室と図書閲覧室に変更された。入居予定の議員からは「こんなに批判されてまで入りたくない」と入居をためらう声も続出している。

議員宿舎は東京23区内に住居を持っていない議員が入居できる。現在、高輪(4日現在、入居者126人)、青山(同18人)、九段(同116人)の3カ所。いずれも国会まで車で約20分で駆けつけられる都心の一等地だ。新宿舎建設に伴い取り壊された旧赤坂宿舎を退去中の106人は仮宿舎に居住中。

海外の主要先進国に議員宿舎はないといい、フランスには議員用のホテルがあり1泊約3200円、英国では住居手当が年間最高で約370万円出る。米国、ドイツには宿舎、住居手当ともに存在しないが、衆院関係者は「米国では政策スタッフや事務所経費に潤沢に公費が出る。(日本で)宿舎だけ取り上げて批判するのは気の毒だ」と話す。が、議員側は「支持者の前で赤坂宿舎に入るとは言えない」(与党中堅)、「宿舎の話はしたくない」(野党若手)と、敏感だ。

こうした声を背景に、総事業費334億円、総戸数300戸の新宿舎は大きく定員割れする可能性も出ている。

赤坂宿舎に入居を予定しているのは、政府資産圧縮の一環で来年6月に廃止される高輪、青山の両宿舎と旧赤坂宿舎の居住者計250人。

格安とはいえ、議員の間では「9万円でも高い」との声が圧倒的だ。各宿舎の現在の家賃は築45年の青山が46平方メートルで1万3000円、築25年の高輪は83平方メートルで6万円。青山からの移転組は家賃が7倍以上になる。

地方選出の野党議員は「宿舎に泊まるのは火、水、木曜だけで残りは地元。単身赴任者が多いのにファミリータイプは広すぎる」と指摘。一方与党のベテラン議員は「下見に行ったが決して豪華なつくりではない。中を見てもらえば批判もやむのに」というが、別の議員からは「後ろめたい気持ちのまま住めない。民間物件に移るつもり」との声も上がる。

自民党の石原伸晃幹事長代理(東京8区)は19日、仙台市での講演で「正直言って安すぎると思う」と強調。来年、党改革本部で家賃の妥当性も含め検討する考えを表明した。

(コメント)
枝葉末節の話です。議員は、堂々と宿舎を利用すべきだと思います。議員として国民のために、粉骨砕身努力することが本体です。通勤時間のロス、大胆な言動をした場合の身柄の安全等、議員が活動する上での不利益は取り除くべきです。

国民が選んだ議員に対して、嫉妬の論理でとやかく言うのではなく、議員がどういう政策や理念を持っているかに関心を持ち、批判すべきは批判するという態度が必要です。

国会議員が何故尻込みするのか。その方が不思議です。賛成多数で決めたものでしょうから、賛成した議員は積極的に入居すべきです。資産家の議員は遠慮すべきかもしれませんが、そうでない議員は、政治活動に要する費用を国家から与えられ、有権者からも寄付してもらっているのですから、余分な出費が節約できるのであれば、それは結構な話です。

石原伸晃幹事長代理の発言は、一家が税金にぶら下がっている石原家の後ろめたさが背景にあるのでしょうか。要求すべきは堂々と要求する。やるべき仕事はドンドンやる。「私はこう考える」ということをもっと前面に出し、国民に説明すべきです。

ビクビクした態度を見ると、「浮いた金で、銀座、赤坂……」などと考えているから、国民の視線に怯えるのではないかと疑ってしまいます。


2006/12/29(金) 公務員・・・減らせばいいというものではない

我が国では、公務員数を削減することが正義であるかのように思われています。しかし、先進諸国の公務員数を比較すると、日本は圧倒的に公務員が少ないということが、内閣府の調査でも報告されています。

少数精鋭という考え方もあるので、公務員数だけで判断することはできないかもしれません。また、我が国公務員の人件費が国際的に見て高いということも指摘されているので、総人件費をどうするかということを含めて、費用対効果を考えていくべきだと思います。

そうした前提で考えなければないのは、公的サービスが必要な部署に必要な人員が配置されているかどうかです。児童虐待が問題となっているのに、児童相談所の人員、専門職員の配置は充分ではないようです。

以下、地方公務員数削減の記事。

【地方公務員削減進み、30年ぶりに300万人割れ】(読売) 
地方公務員の総数は4月現在、299万8402人で、前年比4万3720人(1・4%)純減したことが26日、総務省の調査でわかった。

1975年の調査開始以来、最大の純減幅で、総数は30年ぶりに300万人を割った。

地方公務員数は、94年の328万2492人をピークに12年連続で純減した。政府は行政改革の一環として、10年度までの5年間で5・7%(17万3400人)純減することを目標にしている。今回は初年度としてこれを上回るペースで、総務省は「自治体の行革への真剣な取り組みがうかがえる」としている。

職員の部門別では、警察は1・2%増、消防も0・4%増加したのに対し、一般行政部門は2・1%、公営企業等会計部門は2・8%純減した。

自治体別の純減率は、都道府県0・8%、政令市2・7%、政令市を除く市町村が2・0%だった。

(コメント)
メリハリのない行政改革がなされています。本気で公務員数を削減しようとするならば、補助金業務を削減しなければなりません。補助金があり、そこに公務員の力の源泉があります。天下りの根元も、補助金に由来するところ、大です。

国の補助金がなくなれば、補助金業務に携わる国、地方の公務員を減らすことが可能です。補助金関連業務というのは、「公務のための公務」と言ってもいいでしょう。その部分を割愛する決断ができるかどうかが、行政改革の試金石です。

補助金がなくなれば、地方は自分の頭で地域の実情に応じた税金の使い方を考えるようになります。地方のグランドデザインを考えることのできる基幹公務員と、住民サービスに情熱を傾ける公務員による、真の地方自治を推進することが必要です。なお、諸外国よりも高いと言われる公務員人件費を正当化するためには、公務員の自己犠牲的な精神、ボランティア精神が求められます。「良い企業に就職した」などという意識の公務員には、辞めてもらうべきです。

辞任した佐田・行政改革担当相の後任として、渡辺喜美氏が就任しました。記者会見で渡辺氏は「愛の構造改革をやる」などと訳の分からないことを言っていますが、補助金を廃止して不要な公務をなくし、国民が真に求めているサービスに対して必要な公務員を張り付けることこそが、「愛」ある行政改革だと思います。


2006/12/28(木) 付和雷同政治における求心力・・・佐田玄一郎行革担当相辞任と安倍政権

元々、つくられた人気の上に出来上がった安倍政権。総裁選挙で戦う前から勝敗が決したことから、付和雷同的に支持者が集まってしまったことの反動が出ています。

皆が支持する形というのは、支持されている方もやりにくいでしょう。敵も味方の中に紛れ込んで、味方のような顔をしているのですから、小泉政権のように対立構図を演出することも難しくなります。

他方、「支持者」の中では人事等への不満が渦巻くので、内部での足の引っ張り合いが起こります。閣僚の中にいる「面白くない奴」への風当たりが強くなります。様々な疑惑が風評として飛び交うことになります。

行革担当相を辞任した佐田玄一郎氏。自民党総裁選で中堅議員の「安倍晋三さんを支える会」をつくり会長になったことが閣僚に起用された理由とされています。しかし、一族が建設業を営んでいる佐田氏には、閣僚就任以前からよくない風評があったと言われており、人事における脇の甘さが指摘されてもしかたがありません。 

とかくの噂があった建設業関係の議員を廉潔性が求められる行政改革担当大臣にするということ自体が、「適材適所」とは程遠い感覚です。  

付和雷同政治は、強力な中心がなければ維持できません。指導者にカリスマ性があれば、「その他大勢」は追随します。そうでなくても、確固たる体制が出来上がっていれば不満が出にくくなります。

しかし安倍政権の現状は、あちらに気を遣うとこちらに不満が出るという、内部矛盾噴出構造になっています。内部に気を遣う政治であるが故に、復党問題に対する感性のなさに見られるように、世論には疎くなります。弱い皇帝が広すぎる領土を持て余している状況と言えばいいでしょうか。

「論功行賞+仲良し」人事が崩壊を始めています。「チーム安倍」が政権与党内部で孤立し、官僚からはそっぽを向かれる形でダッチロール状態になる瀬戸際に来ています。

来夏の参院選に向け、自民党内部では、選挙の「顔」を安倍で行くのかどうかが真剣に模索される段階に達したものと思われます。この政権には「耐震性」がなく、かなりの補強をしなければならない状態であると思われます。中心閣僚の入れ替えを含めた、リニューアルがなされるかどうかがポイントです。


2006/12/27(水) フリーターは奴隷!?・・格差の現実

「労働ビッグバン」は、これから起ころうとしている話ではなく、既に起きている現実を正当化する話です。

昔に比べると、転職やアルバイト探しが簡単になりました。小遣いを稼ぐとか、なんとか食いつなぐとかいう意味合いでは、働く者にとってやりやすくなった面があります。

しかし、この問題が難しいのは、親元にいて自らが得た収入で自活しなくてもいい人にとっては手軽な収入獲得方法であっても、その収入で自活しなければならない人にとっては過酷な話になってしまうということです。人によって受け取り方が違うのです。

毎日新聞の記事では、過酷な実態が浮き彫りにされています。

【記者の目:06年に一言 フリーター「奴隷ですから…」=東海林智(社会部)】 
◇労働の尊厳奪う格差社会−−いじめ、過酷残業も拡大

「奴隷ですから……」

この1年、労働現場を取材する中で、派遣労働者や携帯電話で日々の仕事の紹介を受けるフリーターからたびたびこの言葉を聞き、ドキリとした。憤り、恨み、あきらめ……。ニュアンスこそ違え、そこには「人として扱ってくれ」という強烈な思いが感じられた。

「格差社会」が注目を集め、正社員と非正社員としての働き方や少子化、教育など、さまざまな角度から「格差」が論じられた。そんな中、「再チャレンジ」を掲げる安倍晋三首相が登場した。再チャレンジにケチを付ける気はない。そうした制度を整えるのは大事なことだ。だが、気になるのは、格差の底辺に置かれた人たちが「労働の尊厳」まで奪われているということだ。そして、それは働く者すべてに広がりつつあるように感じる。

神奈川県内に住む男性(42)は、携帯電話で日々の仕事の紹介を受けて生計を立てている。今年2月、大手人材派遣会社に解体現場での仕事を紹介された。「マスクを買って行って」と指示があった。もちろん自前だ。100円マスクを手に、着いた現場で派遣先の社員は防毒マスクのようないかめしいマスクをつけていた。アスベスト(石綿)を使っていた施設の解体現場だ。作業が始まると、ほこりで1メートル先も見えない。派遣のバイト4人はせき込みながら貧弱なマスクで作業をした。これで交通費1000円込みの日給は8000円。マスク代や税金などを差し引くと手取りは6000円程度だ。

日々紹介を受ける仕事。行ってみないと現場の様子は分からない。危ない現場でも断っていたらすぐに干上がる。こんな仕事を月25日しても、手取りは15万円に満たない。仕事の紹介がない月は月収が5万円以下の時もある。有給休暇も雇用保険もない。自動車工場や公共施設などを転々とした職歴。どこも1年以上の雇用を約束してくれなかったからだ。「安い命でしょ。僕らには何をしてもいいんですかね」。働く喜びや誇りはどこにもない。

派遣社員で事務の仕事につく女性(40)は、数カ月ごとの細切れ契約を繰り返しながら働いた。海外留学で鍛えたネーティブ並みの英語力も時給には反映されない。契約外の翻訳もこなし、賃上げを求めると「あなたの賃金は物件費で扱われているから無理」と言われた。税金の関係で物件費に回されているのだが、女性は「働いているのに人件費にさえカウントされないと思うと、情けなくて涙が出た」とこぼした。

他にもガラガラの社員食堂を使わせてもらえず、プレハブ小屋での食事を強いられた請負会社の社員、牛丼屋のバイトを3年続け、「誰よりもうまく盛りつけられる」と誇りを持っていた仕事をバイトだからと一方的に解雇された若者……と、切ない話をいくつも聞いた。

だが、非正社員だけではない。労働の尊厳を奪うような状況は、正社員の間にも広がり始めている。職場での陰湿ないじめがそうだ。「ダメ社員」と決めつけ「再教育」の名で業務とは関係のない書類の廃棄作業を延々と続けさせたり、倉庫での一人だけの在庫確認を強制して退職に追い込む。こなし切れない業務を負わされ、終わることのない仕事を強いられる。労働相談を長年続けている日本労働弁護団は「過去に経験したことのない異常事態」と、いじめ相談の多さに驚く。

長時間労働もそうだ。厚生労働省の調査でも30代、40代前半の男性労働者の4人に1人は週60時間以上働いている。これは月にすれば80時間以上残業していることになり、過労死の危険性を指摘されるラインに達する。夫を過労死で亡くした遺族はこう言った。「残された子供は『一生懸命まじめに働いたってお父さんは死んじゃったじゃないか』と言いました」。別の遺族は「人間として生きていけるような労働の在り方を実現してほしい」と訴えた。

不安定な雇用の下、低賃金で働くか、正社員として死ぬまでこき使われるか。極端な言い方かもしれないが、労働の尊厳を奪うこうした働かせ方が格差の下敷きになっているように思えてならない。「再チャレンジ」した先にたどりつくのが同じように命を削るような働き方をする正社員であるのだとすれば、そこに希望は感じられるだろうか。

繰り返すが、「再チャレンジ」のシステムを作ること自体は否定はしない。だが、そこには「人間らしく働く」という基本的な要求が満たされていなければならないと思う。それに向き合わない、格差解消、再チャレンジの言葉はあまりにも軽く、空々しい。

(コメント)
何事かを成し遂げようとする場合には、年間5000時間労働であっても、週100時間労働であっても、それは自己実現の過程におけるエピソードとなりうる話です。

しかし、生活のための労働となると、それは苦役です。上記の記事では、尊厳を奪われた奴隷的労働の実態が描かれています。

「自己実現」と「苦役」との境界線は微妙です。その人の受け止め方如何という面があります。そのため、労働に目的意識を持たせ、様々な研修をしようとする企業もあります。企業内におけるポジションによっても、感じ方は違ってきます。

しかし、政治が取り組む場合には、「苦役」を前提とした制度設計でなければなりません。「気の持ちよう」で済まされる問題ではありません。将来設計ができない労働とは、人間を使い捨ての部品として扱うものでしかありません。「あなたの賃金は物件費で扱われている」と上記記事にある通り、「人」ではなく、「物」としての扱いが進んでいます。

「人」が「働く」という原点から考え直さないといけない課題だと思います。

(参照)
平成18年12月25日:【「労働ビッグバン」をどう見るか】
平成18年12月26日:【「労働ビッグバン」をどう見るか(2)・・・資本主義超克の論理が必要】


2006/12/26(火) 「労働ビッグバン」をどう見るか(2)・・・資本主義超克の論理が必要

企業経営者の本音というところから出発すると、頼みとする人物には高額の給与を与えるが、残りの人たちは二束三文でいいということになります。

正規社員も、企業の目から見て二束三文と見なされれば、待遇は非正規社員の水準に統一されることになります。八代尚宏・国際基督教大教授が主張される「格差是正」のパターンです(昨日のブログ参照)。逆に、ホワイトカラーエグゼンプションの対象となりうる社員は高額の給与が保障されるはずです。

ところが、日本経団連の提言では、ホワイトカラーエグゼンプションの対象は年収400万円以上であり、「ホワイトカラーエグゼンプション」の名に値しないものとなっています。中間管理職の時給削減という意味合いでの提案であると思われます。

正社員の時給を非正規社員の時給に近づけるところにその本質があります。残業代を支払わないですむ労働力が欲しいということでもあります。世界標準で考えれば、これからの「高給取り」の目安が年収400万円ということなのかもしれません(零細企業では、年収400万円でも「高給」ですが…)。

若干視点を変えて、現在の法定労働時間で一定の社会的な役割を果たすことが可能なのかという問題意識で考える必要もあります。1年は8760時間。その内の2080時間で何事かをなし得るのでしょうか。年間2080時間で一流の仕事をしている人はいないのではないか。

「それを言っちゃおしまいよ」というか、タブーの領域に踏み込む話ですが、一流の仕事をする人や、企業経営者・自営業者は、少なくとも年間3000時間以上仕事をしているはずです(通勤時間や地域社会、業界での責任を果たす付加的な業務を含めると、4000時間以上かもしれません)。

企業経営者がホワイトカラーエグゼンプションという名の下に社員に求めているものは、一流の仕事をなすに相応しい仕事への打ち込み方(自発的な労働時間の提供)なのだと思います(それに対する対価に疑問ありですが)。

企業側に立った議論に終始していますが、一度この論理を受け止めた上で、労働とは何か、人間らしい生活とは何かということを考える必要があります。

労働とは、自己実現の手段なのか。それとも、苦役なのか。

生活のために働いているのだから、苦役に決まっている。そう考えれば、日本経団連の提言は労働者を搾取するもの以外のなにものでもありません。どんな理由付けをしても、人の貴重な時間をタダで奪う話に過ぎないことになります。

しかし、企業社会の現実は、サービス残業抜きには成り立たない状況に置かれています。「勝ち組」企業の一員として充分な収入を得ようとすれば、それ相応の仕事への打ち込み方が必要です。「負け組」を覚悟すれば、結果として給与の低下は免れません。

インドや中国で時給100円でやる仕事を日本では時給2000円でやることを正当化できる要素がなくなっているということも考慮すべきです。

結論を出せと言われれば、応分の時間をかけて一定の収入を得る人生を取るか、自分の時間を大切にして、収入は限定されるが貨幣経済とは別の価値観の中で生活する人生を取るかという、個人の選択の問題だということになります。

低所得ないしは、そこそこの所得で幸せな生活ができるためには何が必要か。そういう問題の立て方も考えておくことが必要な時代になりました。

自民党ですら反対している経営側の提案です(パフォーマンスでしょうけど)。反対するのが当然ですが、難しい問題であることも確かです。資本主義が全世界的に猛威を振るいつつある現在、これに対抗する人間の幸せを確保できる論理の構築が必要です。資本主義を前提と考える限り、経営側の論理には重みがあります。「社会主義」という「解」はないと思います。しかし、凶暴な資本主義を超克する論理は必要です。

あれこれ議論してみましたが、経営側の欺瞞を見透かしつつ、「三分の理」を考察する必要性があると思います。


2006/12/25(月) 「労働ビッグバン」をどう見るか

政府の経済財政諮問会議は、「労働ビッグバン」を緊急テーマとして取り上げることを決めています。経済成長力を強化するため、労働市場の包括的で抜本的な改革が必要とする民間議員4人の提言を受け、専門調査会を設けて議論を進めます。4議員の1人が日本経団連の御手洗冨士夫会長。議員に労働側代表はいません。

提言は「労働ビッグバンと再チャレンジ支援」と題して「複線型でフェアな働き方」を実現させるとしています。

目的は、@働き方の多様性A労働市場での移動やステップアップのしやすさB不公正な格差の是正。「労使自治に基づく多様な雇用契約で雇用機会の拡大」「スムーズな職探し、転職の容易さ」「女性・高齢者・若者等の低所得層に対する対応」などの検討。

問題となるのが、「時間に縛られない働き方」や「グローバル化に対応する労働市場のあり方」という点です。

前者は厚生労働省の労働政策審議会で、労働法制見直しの論議の的になっている「自律的労働時間制度」(ホワイトカラーエグゼンプション)の制定問題と関係します。一定の年収以上の人には残業代を支払わなくてもいいとする制度で、労働界は「不払い残業の合法化」と強く反発しています。

後者は企業の国際競争力を強める手だての1つとして、労働市場の規制緩和の推進に的を置いています。企業が身軽に動けるようにすることが目的です。提言は「労働市場に関して検討すべき論点」の1つとして「労働者派遣法は、真に派遣労働者を保護するものになっているか」とし、現行法が派遣社員の期間を最長3年とし、正社員としての雇用申し込みを派遣先の企業に義務づけていることへの変更を目論んでいます。

こうした中で、先日のニュース。 

【<労働市場改革>正社員待遇を非正規社員水準へ 八代氏示す】(毎日)
経済財政諮問会議の民間メンバーの八代尚宏・国際基督教大教授は18日、内閣府の労働市場改革などに関するシンポジウムで正社員と非正規社員の格差是正のため正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせる方向での検討も必要との認識を示した。

八代氏は、労働市場流動化のための制度改革「労働ビッグバン」を提唱している。

(コメント)
「格差是正」には2通りの方向があるということです。1つは、正社員にパートや派遣労働者の待遇を近づける方向。もう1つは、正社員の待遇をパートや派遣労働に近づける方向。八代教授が後者の方向を示唆したことの意味は大きいと思います。

確かに、正社員の待遇を引き下げれば格差是正が進みます。「それは、おかしいだろう。不当だ!」という憤りの感情が沸いてきますが、考えてみると、論駁することが案外難しいことに気付きます。

グローバル化した経営環境下で、大企業といえども「即死」する可能性がある厳しい競争の中で生きています。生き残りのための「悲鳴」にも似た大企業幹部の声が聞こえるような気もします。

厳しい批判精神を持たなければ、大企業の横暴を認めることになります。しかし、全世界的な資本主義の競争というファクターを軽視すると、多国籍化した大企業が海外に「逃亡」する危険があります。

翻って、正社員の労働とパートの労働、派遣社員の労働を、「同一労働」と言えるかどうかについては、慎重でなければならないと思います。単純に眺めると、同じように働いているように見えます。しかし、労働に対する最終的な責任感、組織への帰属意識と忠誠心。こういう内面的・主観的な要素に重きを置いて考察すると、「違い」が見えてくる場合があります。

経営者の立場から見ると、この部分は大変重要です。形式的な区分での正社員と非正規社員の区分ではなく、実質的な区分の問題です。「代替可能性の有無」という言い方も可能かもしれません。某我が儘都知事の言い方を拝借すれば、「余人をもって代え難い」かどうかです。企業から見て、「この人」だったら、従来の社内規則よりももっと多く払いたいという人がいます。「規則」では同額支払っているが、辞めてもらっても替わりはいくらでもいるという人もいます。こうした企業の本音が露骨に出始めています。

今日はここまで。以下、続く。


2006/12/24(日) 子供とのふれあいに新たな保険制度を・・・課外活動へ市民が参加できる土壌づくり

文部科学省と厚生労働省の「放課後子どもプラン」に来年度、226億円の予算が計上されました。子供たちが放課後も学校に残って勉強したり遊んだりできる「居場所」づくりの事業が、来春から公立の小学校でスタートします。24日付読売新聞社説は、【[放課後プラン]「地域の教育力を再生する場に」】と題して、積極評価をしています(以下、「社説」が述べている事実を前提に議論します)。

午後5、6時頃までの時間帯には、@授業の予・復習、補習などを行う「学びの場」、Aスポーツや、文化活動をする「体験の場」、B地域の大人たちとの「交流の場」やC「遊びの場」があります。土曜日も行います。児童は毎日でも希望日だけでも参加でき、無料。「学びの場」は、教員OBや教職を目指す大学生らが指導し、「体験の場」、「交流の場」、「遊びの場」は、地域のボランティアが担当します。

夕方以降の時間帯は、共働き家庭などの10歳未満の子どもが対象になります。保育士などの資格を持つ専任の指導員が遊びの場を提供して面倒を見ることになります。従来の「学童保育」を継承し、活動の場を児童館や民家利用から、すべて小学校とすることで未実施地域の解消をめざします。こちらは有料。

「社説」も指摘しているように、「地域で子どもを育てる」という意識が必要になります。ただし、まちづくり・地域づくりの活動をやってきた者として言わせていただくと、子供との接触は、事故の危険と隣り合わせであって、何かあってはいけないとの思いで特別なストレスが加わります。もの凄く疲れるのです。「責任問題」が常に脳裏をかすめます。

地域で子供を育てられる社会にするためには、参加者が自動的に(あるいは簡易に)保険に入れる仕組みが不可欠です。従来の団体保険は、適用範囲が限られていたり、対象別に分類されていたりして、煩瑣です。柔軟に適用される簡易な保険制度で、事故時には手厚い補償が得られる保険制度の創設を期待します。これは民間の保険では無理ではないでしょうか。少なくとも、赤字を公的に補填する仕組みが必要です。この補填も「教育投資」と考えるべきです。活動場所も、学校以外の様々な場所・場面を想定する必要があります。

ここまで考えてはじめて、「首尾一貫」だと思います。


2006/12/23(土) 時代の流れ・・・JC会頭から民主党へ

政権交代については、それを狙う野党が自民党とは本質的に異なるものでなければ意味がないという意見があります。しかしそれでは、現在のささやかな幸せが政権交代で吹き飛んでしまうという不安感を、特に保守層の有権者が持ちます。保守層に食い込める候補者を発掘することが、多数派獲得の上でも有効です。

ところが、保守からかつての「革新」に至るまで思想の幅が広くなると、「寄り合い所帯」という批判が必ず出てきます。では、「純化路線」で行けばいいのかと言えば、それでは野党が分裂するだけであって、政権党を利する結果になります。そうなると今度は、「大異を残して大同に付け」などと言って、「大同団結すべきだ」という意見が出てきます。

野党への評論は、このどちらかです。政権を本気で取るのであれば、当然ながら「大同団結」しかありません。 

来夏の参院選にJCの前会頭が民主党から立候補する可能性が出てきました。保守の中から政権を選択する。有権者にとっては安心できる選択肢だと思います。

【参院選:JC前会頭・高竹氏に出馬働きかけ 民主党】(毎日) 
民主党の小沢一郎代表は21日、日本青年会議所(JC)前会頭の高竹和明氏(41)と岡山市で会い、来夏の参院選比例代表に党公認で立候補するよう要請した。同党は近く公認決定する予定。
 
JCは自民党とのつながりが深く、会頭経験者には麻生太郎外相らがいる。自民党の支持基盤を切り崩す小沢氏の参院選戦略の一環で、高竹氏に出馬を働きかけた民主党の柚木道義衆院議員(岡山4区選出)は「JC会頭も民主党から選挙に出る時代になった」と、「広報戦略」上のイメージ効果を強調する。
 
自民党側も「JCの組織票なんてそんなにないが、こちらにとってマイナスには違いない」(選対幹部)と警戒感を強めている。

(コメント)
保守が分裂する時代だと思います。背景として、資本主義に異変が起きているということがあります。

グローバル化した企業は、地域社会や国家よりも自らの企業利益を優先させる傾向が強まっています。そうでなければ生き残りができない厳しい競争があります。

他方、国内派の企業もあります。地域や国民が豊かでなければ企業業績も上がらない企業にとっては、グローバル化した国際派の企業が業績を上げても、それが国民に還元されなければ、自らの利益にはなりません。国際派の企業が国内に利益を還元できれば、両者は共同歩調を取れるのですが、現在の状況は全く異なっています。

「いざなぎ景気」を超える景気拡大と喧伝されますが、地方と国内派企業とは置いてけぼりを食っています。これまで同じ政権党を支持してきた者同士に深刻な対立が出てきました。

地方と国内派企業は、国際派企業に国家を乗っ取られることを拒否する必要があります。そうした背景の下、個々の特殊事情はあるにせよ、企業経営者の側から政権交代に乗り出す者が出てくるのは理の当然です。

JCから民主党へ。時代の流れを象徴しています。

(お知らせ)インターネット復旧。


2006/12/22(金) 路面電車が都市を救う・・・パリの路面電車復活

松山市をはじめ、路面電車が街を走る都市はこれから有望だと言われています。高齢者が乗りやすく、環境問題への対応としても評価できます。フランスのパリでは、70年前に廃止された路面電車が復活しました。

【パリに70年ぶりの路面電車=クリーンな輸送機関として復活】(時事通信)
1937年に廃止されたパリ市内の路面電車が約70年ぶりに復活、市民を乗せた一番電車が16日午後(日本時間同日夜)、同市南部で運行を開始した。
 
トラムと呼ばれる新しい路面電車は、白をベースに緑のラインが入った近代的なデザインの車体で、約300人を運べる。同市最南部で東西に走る大通りの全長7.9キロ全17駅の路線を24分かけて走る。1日の利用者は10万人を見込んでおり、将来の路線延長も計画されている。
 
20世紀初頭のパリの交通機関は路面電車が全盛だったが、自動車の普及で廃れた。しかし、最近はクリーンな輸送機関として見直され、同市郊外では既に1990年代から2路線が開通しており、市内での開業が待たれていた。 

(コメント)
テレビで見ましたが、床が地面すれすれで、車椅子でも楽々乗れる構造です。歩いて暮らせ、路面電車で回遊できる都市が21世紀に繁栄する資格を持っています。

路面電車は交通渋滞を招くとして嫌われる傾向があります。パリでも路面電車の復活に対し、交通渋滞を招くとの批判があるようです。

しかし、路面電車の延伸によって交通渋滞を解消する方向へ舵を切るべきときです。既存の路面電車はその都市の貴重な地域資源として大切にすべきであり、乗りやすい構造に改良することが期待されます。

(お知らせ)会社・自宅でインターネットが繋がらなくなり、インターネットカフェでブログ更新しました。インターネットが復旧するまで、適宜の対応はできませんので悪しからず。


2006/12/21(木) 2055年、日本の人口8993万人・・・これまでの予想は「偽装」だった

2055年の出生率を1.26と見た場合の数字が、この8993万人。これまでは、出生率が1.39に戻ると仮定して、年金制度も設計されていました(2050年に1億59万人と予想)。

大甘の予想を前提とした制度設計をすることは、即ち「偽装」です。今回、やや真実に近い数字を出してきたということです。これで収まればいいが、というところです。

最も可能性が高いとされている「中位推計」で、8993万人。それより厳しく見た「低位推計」で死亡者も高めに予想すると、8238万人。こちらの方が真実に近そうです。

【<人口推計>55年には8993万人 65歳以上4割に】(毎日)
国立社会保障・人口問題研究所は20日、05〜55年までの将来推計人口を公表した。05年に1億2777万人だった日本の総人口は、55年には4000万人近く減少し8993万人となる、としている。15〜64歳の労働力人口は半減する一方、昨年2割に達した65歳以上人口の割合は4割を占めるようになり、2.5人に1人が65歳以上という超高齢社会に突入する。
 
推計人口は05年国勢調査に基づき算出。最も可能性が高いとみる「中位」、それより厳しくみた「低位」、楽観的に見積もった「高位」の三つの推計を提示した。8993万人は中位の数値。
 
中位推計では50年後の合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子ども数に相当)を1.26とし、前回02年の1.39から大幅に下方修正した。生涯結婚しない女性の割合(生涯未婚率)を、前回の16.8%から23.5%に見直したことなどが要因だ。政府は02年中位推計を基に社会保障制度を設計しており、新推計は年金制度再見直しの呼び水となる可能性もある。
 
総人口について02年の中位推計は、50年時点でも1億59万人を維持するとみていたが、06年推計では46年に9938万人で1億人を割ると予測している。年齢層別に05年と55年を比べると、0〜14歳は1759万人(全体の13.8%)が752万人(8.4%)に、15〜64歳は8442万人(66.1%)が4595万人(51.1%)にそれぞれ減る半面、65歳以上は2576万人(20.2%)から3646万人(40.5%)に増える。05年は3.3人の働き手で1人の高齢者を支えたのに対し、50年後は1.3人で支えることになる。
 
一方、低位推計でみた場合の合計特殊出生率は55年に1.06となる。さらに死亡数を高く見た「出生低位・死亡高位」だと、55年の総人口は8238万人に落ち込む。同研究所は「参考」として2105年の総人口も試算、「出生低位・死亡高位」の場合は3357万人まで減るとした。
 
人口推計は同研究所がおおむね5年に一度公表しているが、常に予測を外し、「甘い読み」と批判されてきた。今回はデータを精緻(せいち)化し、非婚化の進展などから生涯未婚率を見直すなどした。

(コメント)
高齢化率40%の超高齢化社会が待っています。高齢化率7%で「高齢化社会」、14%で「高齢社会」、21%で「超高齢社会」と言われます。日本は現在、ほぼ「超高齢社会」の段階に達しています。愛媛は23.4%ですから、相当早い段階で40%に達するでしょう。

「高齢者」概念を変更し、75〜80歳までは当たり前に働ける社会をつくる必要があります。そして、90歳になったら誰でも、財産・収入がなくなったとしても、一定レベル以上の生活の保障が得られる制度を確立し、経済的な人生設計は90歳まででいいという安心感を与える政治が求められます。

我が愛媛の予想は、まだ明らかになっていません。これまで公式に発表されているのは、現在147万人の人口が2030年に124万人になるという予想です。私は、「中位推計」で、2050年に90万人(2055年だと80万人台前半)と予想していましたが、2055年で半減と考えておいた方がよさそうです。

愛媛県中予(松山市、伊予市など)は、現在67万人が2055年、45万人。東予(今治市、新居浜市など)は現在50万人が2055年、20万人。南予(大洲市、宇和島市など)は現在30万人が2055年、6万人。これが1つの目安です。

厳しい予想を前提とした上で、人口減少・超高齢社会を楽しく豊かに暮らせる政治が提案されなければなりません。「偽装」で国民を安心させる、その場限りの政治とは訣別すべきです。

(参照)
平成18年6月3日:「金は90歳までに使い切れ・・『老後のための貯金』をなくす政治を!」
平成18年6月2日:「出生率1.25・・『日本列島の先住民』にならないための思考」


2006/12/20(水) 小泉詐欺政権・・・税金で宣伝活動、しかも随意契約

やらせ質問、職員動員、過剰な経費計上など、タウンミーティングがインチキな世論誘導であることが明らかになりましたが、官邸ホームページや「メルマガ」にも常識はずれの税金が使われていました。しかも、随意契約。

【ネット広報は5年で25億円 政府、大半が随意契約】(共同通信)
政府の「首相官邸ホームページ(HP)」や「小泉内閣メールマガジン」などインターネットを利用した広報の大部分が随意契約で発注され、2001−05年度の5年間で制作、運営費が総額約25億1000万円に上ることが19日、判明した。
 
同日閣議決定された社民党の保坂展人衆院議員の質問主意書に対する答弁書で分かったもので、随意契約は約24億7000万円に上る。政府は随意契約の理由について「ほかに対応できる事業者がいない」などと技術的な理由を挙げている。
 
価格について政府広報室などは「過去の契約実績や、業界内での類似ケースを調べて適当と判断した」と説明しているが、保坂氏は「政府側に情報技術(IT)に詳しいスタッフがいなければ、価格は業者の言いなりになる」として妥当性が疑わしいケースもあるとしている。

(コメント)
税金を湯水の如く使って世論誘導をする。そして政権の浮揚を図る。これが小泉政権の本質でした。

「余人をもって代え難い」という迷答弁をした都知事がいましたが、随意契約の理由について「ほかに対応できる事業者がいない」との回答。「余人」はいくらでもいそうな気がします。

政府の政策についての広報活動は必要です。しかし、限度があります。その限度を大きく逸脱したのが小泉政権です。この政権の異常性を明らかにしていくことが、日本の民主主義を再構築するために必要な作業です。

昨年の郵政選挙の検証も必要です。何故、参議院で法案が否決されたので衆議院を解散するのか。この素朴な疑問から出発しなければなりません。「憲政の常道」を逸脱した解散劇。「郵政民営化、是か非か」。単一争点の選挙であると明言した小泉総理。

ところが1年経つと、「造反議員」は復党。「刺客」は使い捨て。単一争点だったはずの選挙で、「政権公約2005」なるものがあったという理由で、数を頼りに、これまでとは異質な社会を目指す法案を次々と成立させる・・・

小泉・安倍政治で、正常な政治のあり方が破壊されているということをしっかりと見つめる必要があります。来夏の参議院議員選挙で国民が明確な「ノー」の意思表示をしなければ、我が国の民主主義が否定される流れを認めてしまうことになります。


2006/12/19(火) これは贈収賄だ・・りそなの自民党への融資

犯罪あるいは犯罪周辺の行為に対して、法律がどのような態度を取るべきかについて、2つの方向性があります。1つは、非犯罪化。1つは、犯罪化。

従来犯罪とされていた行為を犯罪でなくす場合があります。例えば、姦通罪。戦前は刑法上の犯罪でしたが、戦後に廃止されました。社会的非難を浴びる行為であっても、国家が刑罰権を行使して抑止すべきものではありません。

国家の刑罰権を合理的に行使して、本当に国民が被害を受けている行為について取り締まれるようにすることが必要です。限られた人員で全ての悪行を取り締まることが出来ない以上、不必要な犯罪類型は減らすべきです。

他方、従来犯罪とはされていないものでも、犯罪のカタログに載せて取り締まらなければならない行為類型もあります。そういう目で、下記のニュース。昨日の朝日新聞。

【りそな銀行、自民党への融資残高3年で10倍】
自民党に対する大手銀行の融資残高が05年末で約80億円に達し、3年間で倍増したことが17日、わかった。03年春に実質国有化されたりそな銀行が同期間に融資残高を10倍に急増させたためだが、三菱東京UFJなど3メガバンクは融資を圧縮しており、自民党から3メガへの返済をりそなが肩代わりした形だ。3メガは政治献金の再開を検討中で、再開すれば政権与党に対する融資の返済原資を今度は大手行自らが穴埋めする構図になる。利用者などからの疑問の声も高まりそうだ。

自民党本部の毎年の政治資金収支報告書によると、05年末の銀行の融資残高はりそなが約54億円と突出。メガバンクは旧東京三菱(現三菱東京UFJ)銀行が3億7500万円、旧UFJ(同)、みずほ、三井住友各銀行が7億5000万円となっている。 

メガバンクの融資残高は02年末で約33億円だったが、05年末には約7億円減の約26億円になった。一方、03年春の経営危機で約2兆円の公的資金が投入されたりそなは、02年末(当時は大和銀行)の残高約5億円から、05年末には約54億円まで急増させている。 

衆参両院に支店を持つりそなは旧大和銀行時代から永田町と関係が深く、国政選挙で資金を工面してきたとされる。 

大手行は93年の総選挙の際、当時の都銀8行が自民向けに総額100億円の協調融資を実施。将来の企業献金を返済にあてることが融資条件で、経団連(現日本経団連)の平岩外四会長(当時)が「経団連が返済に協力する」との念書を銀行側に示したとされる。 

返済が必ずしも確実とは言えない政党融資に対し大手行は当時から慎重で、その後の政党交付金制度のスタートや不良債権問題、公的資金注入などで慎重姿勢をより強めた。りそなだけが融資を増やした理由について、りそなホールディングス広報部は「融資の個別案件には答えられない」としている。 

公的資金完済を機に、メガバンクは98年以降自粛してきた自民党への政治献金を再開する見通し。再開すればりそなや自行の融資に対する返済資金の一部を、銀行自らが負担する奇妙な構図になる。その間、大手行は経営危機寸前まで追い込まれた不良債権を公的資金で処理し、過去最高の利益水準まで回復した。 

旧第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)出身で、作家の江上剛氏は「献金の形で返済の一部を事実上免除するのは、タコが自分の足を食うようなもの。大手行は公的資金や超低金利で巨額の不良債権を処理できた。利益還元で優先すべきは政党ではなく、国民や利用者ではないか」と批判している。 

(コメント)
政党という私的団体への融資であるから、当不当の問題である。こういう考え方もあるでしょう。

しかし、政権党の場合、国家権力の行使と密接不可分の関係にあり、政権党の意思決定が国会の議決となり行政権の行使に至るという流れを考えれば、政権党の政策で恩恵を受けた当事者が政権党に対して利益提供をするという構図を全体として考察すれば、実質的には贈収賄関係であると判断すべきだと考えます。

この「越後屋と悪代官の関係」を犯罪としなければ、国家における道義を語ることはできません。ましてや、子供たちに「愛国心」を語ることなどできません。犯罪化することを真剣に考えるべきですが、自民党政権下では到底不可能です。政権交代がない国における淀みを取り去らなければなりません。捕まっている知事さんたちの話など、これに比べれば可愛いものです。

なお、りそな銀行の救済劇は、それまでの小泉政権・竹中路線を著しく逸脱する形で行われました。その経緯を論じて厳しく政権批判を行ったのが、痴漢容疑で起訴されている植草一秀氏でした。この背景については、幾多のブログが指摘しています。

りそなの問題は、綿密な検証が必要です。


2006/12/18(月) 暮らしやすい町、暮らしづらい町の事例・・・テレ朝・サンプロより

昨日のテレビ朝日・サンデープロジェクトの特集「コンパクトシティで地域再生」で、地方自治関係者必見のレポートがありました。

地方都市の中心市街地衰退の最大の原因は、都市の無秩序な郊外化(スプロール)にあります。都市の中心部にあった公共施設が郊外に移転。そして、郊外に大型店が出店。中心部からかつての賑わいが消え、商店街で廃業する店が相次いでいるというのが、全国の地方都市にほぼ共通した流れです。中心部が衰退した都市は、高齢者にとっては、日々の買い物や通院にも大きな負担が掛かる、暮らしづらい町となっています。

暮らしづらい町の事例。中心部から5キロも離れた場所に唯一の総合病院が移転してしまい、住民が不便を強いられている秋田県南部の湯沢市(人口5万6千人)。目抜き通りが北関東屈指の風俗街になってしまった群馬県伊勢崎市(人口20万人)。伊勢崎市が取材を徹底的に拒否していたのが印象的でした。

これらの対極として、郊外化の流れを拒否し、「コンパクトで住みやすい街づくり」を実践している北海道伊達市の事例が紹介されていました。伊達市では、中心部に総合病院や市役所などの公的施設が集中し、歩いて用が足せる都市構造になっています。その住みやすさが評判になり、団塊世代引退後の移住先としても注目を集めています。地価も上昇中と言います。「暮しやすい街づくり」を目指した市長の取り組みが注目されます。

1987年のリゾート法で地方にバブルの波が押し寄せ、乱開発が促されました。そして外圧による1991年の大店法改正で、大型店の出店が緩和され、都市の郊外化が進みました。
  
地方都市の中心市街地衰退の原因は、国の政策にあります。湯沢市でも、大店法改正後に中心部のデパートが廃業したことで、一気に中心市街地の地盤沈下が進みました。そして、1日3000人が集まる病院の移転で、中心部に集まる人は激減しています。国の政策に起因する構造的な問題が背景にあることだけは確認しておかなければなりません。

現在国が力を入れている「中心市街地活性化」というのは、「マッチポンプ」的な政策だと言ってもいいでしょう。好意的に見ても、「罪滅ぼし」政策ないしは、「見舞金」。いや、「香典」かも。

(参照)
平成18年12月16日:「コンパクトシティー・・・地方都市生き残り戦略」


2006/12/17(日) 予想を上回る人口減少が待っている

将来の人口を語るとき、その根拠は厚生労働省の外郭団体である国立社会保障・人口問題研究所が発表する資料が基になっています。同研究所が前提としている合計特殊出生率の長期見通しが大幅に変更されるとなると、議論の前提が変化します。

【新人口推計、出生率1.2前後に低下・長期見通し大幅修正】(日経)  
厚生労働省が年内に公表する新しい将来推計人口で、女性が生涯に産む子どもの平均数を示す合計特殊出生率の長期見通しが大幅な下方修正となることがわかった。2002年にまとめた前回推計では長期的にみた出生率は1.39程度に高まるとしていたが、これを現在より低い1.2前後とする。晩婚、晩産、離婚の増加など、出生率の下押し要因は多く、先行きをにらんだ新たな議論を呼びそうだ。 

人口推計は5年に一度国立社会保障・人口問題研究所がまとめている。現在、同研究所が推計作業を進めており、今後100年間の人口の推移の予測などとともに、厚労省が近く開く社会保障審議会人口部会で報告する。 

(コメント)
将来の人口予測がかなり大幅に変更されることになります。県庁所在地から遠い地域の50年、100年先の人口予想は、目も当てられないものになるでしょう。

本格的な人口減少社会に対する備えが必要です。各地方自治体は、将来の楽観的予測を変更し、「退却戦」をどう戦うかという発想に転換しなければなりません。

その前提に立って、暮らしやすい地域をどうつくっていくか。行政と住民との間に垣根をつくることなく議論していく必要があります。

楽観から達観へ。厳しい現実から目を背けることなく、人口減少社会を生き抜く覚悟が求められます。対策を怠らず、社会全体の富が同じか若干減少する程度に止めれば、「割算の答え」は大きくなるはずです。コンパクトに楽しく暮らせる地域社会を建設するチャンスでもあります。


2006/12/16(土) コンパクトシティー・・・地方都市生き残り戦略

地方都市においては、車社会の進展により都市の無秩序な郊外化(スプロール現象)が進み、中心市街地の空洞化が顕著になりました。これから石油資源の枯渇が深刻な話題となり、地球温暖化対策も厳しいものにしなければならなくなってくることをを考えれば、車への過剰な依存は、我々自身の首を絞めることになりかねません。

超高齢社会を迎え、車に乗れない人が増えてくることとを併せ考えれば、「コンパクトシティー」へと舵を切らなければならないことは明白です。これこそが地方都市の生き残り策です。

【中心市街地にサービス集積を、内閣府が地域経済報告書】(日経)
内閣府は15日、地域経済の動向を分析した報告書「地域の経済2006」を発表した。中心市街地を再び活性化させるには、金融機関、役所、病院などの施設を1カ所に集めて利便性を向上させる「ワンストップサービス」を再構築することが必要と指摘した。

報告書が分析した市街地に対する消費者の希望調査(2005年実施、複数回答)によると、最も多かったのは「ワンストップサービス」(31.8%)で、「生活必需品が買える」(26.5%)が続いた。報告書では、郊外にある小売店や病院の市街地への移転を促進するように提言した。


(コメント)
地方都市では、まだまだ人口増加の幻想が残っています。新築の家が建っているのを見ると、これからも郊外に都市が延伸するような気がします。しかし、それは世帯数が増えているということであって、核家族化進行の結果にすぎません。核家族化の進行を人口減少が上回ったとき、人口減少が実感されることになります。

人口減少社会を生き抜く知恵が必要になってきました。資源、環境、超高齢化。そして人口減少。「兵站」を縮めろ。コンパクトに住め。ここがポイントです。

街区を凝縮し、狭い範囲で「ワンストップサービス」を展開できる都市は、21世紀に発展の契機を掴むことが可能です。これを阻むものが「所有権」です。過剰な権利意識です。各地で賢明な議論がなされ、過剰な権利意識を克服することが必要です。地域住民の政治センスが試されます。


2006/12/15(金) 日本経団連は消費税を語るな・・・「輸出戻し税」について

12月11日の「きっこの日記」を読むまで、「輸出戻し税」というものを知りませんでした。輸出企業においては、輸出先では消費税を転嫁できないので、国内で仕入れに掛かった消費税の還付を受けるというシステムです。

これはこれで理解できるのですが、還付の額が巨大です。輸出上位10社でなんと約1兆円の輸出戻し税が発生します(2005年度、9975億円)。国内売上に対して納付すべき消費税が1247億円で、差し引き8727億円の還付を上位10社が受けているのです。トップのトヨタは2291億円の還付を受けています。6位のキャノン(御手洗経団連会長が会長を務める会社)は671億円の還付。

輸出型の大企業は、消費税率アップで儲かるということです。それを前提として、以下のニュース。

【<経団連>「消費税7〜8%に」提言へ 09年めど引き上げ】(毎日)
日本経団連(御手洗冨士夫会長)は7日、日本の将来像を示す新政策提言(御手洗ビジョン)で、09年をめどに消費税率を現行の5%から7〜8%に引き上げるよう政府・与党に求める方針を固めた。消費税を含めた税制の抜本改正を07年秋以降に本格的に議論し、08年末までに結論を出すよう提言する。政府・与党は来年の参院選まで消費税増税の議論を事実上、封印。政府税制調査会も07年度税制改正答申では具体的な言及を避けただけに、経団連の提言は今後の税制論議に一石を投じそうだ。
 
御手洗ビジョンは来年の年頭に公表する予定で、内容の最終的な調整を進めている。
 
この中で、経団連は消費税について「持続可能な社会保障制度を確立するため、基礎年金の国庫負担割合を3分の1から2分の1に引き上げる09年度をめどに引き上げる必要がある」と明記。引き上げ幅は、その時点での出生率や経済成長率などを加味した上で、2〜3%の幅で複数の選択肢を示す。
 
経団連は消費税を1%引き上げることで約2兆2000億円の税収を確保できると算定しており、2〜3%の引き上げで4・4兆〜6・6兆円程度の税収増につながると見ている。06年度の一般会計税収は好調な企業業績を反映した法人税などの自然増で、当初の見積もりより約4・6兆円多い50・5兆円前後になる見通しだ。ただ、経済成長には波があり、少子高齢化で今後も社会保障費が増大することを考えれば、消費税増税で安定財源を確保することは不可欠と判断した。

(コメント)
ちょっと待った。大企業は人一倍消費税を納めており、身を切る思いで消費税率の引き上げを提言しているのだから立派だと思ったら大間違い。自らの儲け話なのです。

偽装請負問題でもキャノンなど有名大企業の名前が挙がっていました。労働者から搾取し、下請け業者は締め上げる。国家からは巨額の消費税還付を受ける。それ以外にも、様々な恩典を享受しています。中小零細企業と比較して、極端に有利な条件で商売をやっているのが巨大企業です。

もちろん、各種の税金は支払っているのでしょうから、納税者としての意見・提言を行うことは自由です。しかし、消費税については、語るべきではないと思います。

なお、「各種の税金」については調べてないので、その額によっては議論が違ってくることになります。本日現在の議論としては、留保します。

(参照)
平成18年7月31日:「『偽装請負』と士農工商」


2006/12/14(木) 粉飾と欺罔のタウンミーティングは前政権の責任

デタラメな政権の後は、苦労するものです。現時点の安倍政権は、安倍氏がデタラメ政権の中枢にいたことが大きな災いになっています。

小泉氏の場合、余りにも議論が飛び跳ねており、通常の理解力を持った人物は、しばらく思考を停止さざるを得ない状況になってしまっていました。イラク派兵を憲法前文を根拠にするなどという芸当は、真面目に憲法を学習した人の頭から沸いて出るようなものではありません。

「渡世人」の論法に「堅気の衆」が引っかかったような5年半でした。インチキだった「改革」をまともに継承しようとしたところに、安倍氏の躓きがあります。もちろん、小泉政権の「正当な継承者」である以上、「改革」を唱えざるを得ない立場にあります。

遡って、政権掌握時に小泉批判を展開する必要があったのです。それができなかったということです。森蘭丸が織田信長の政権を引き継いだようなものです。

【やらせ質問「世論誘導の疑念」…TM最終報告書を提出】(読売)
内閣府主催のタウンミーティングの「やらせ質問」問題で、内閣府タウンミーティング調査委員会(委員長・林芳正副大臣)は13日、小泉内閣で行われた174回のタウンミーティングに関する調査結果をまとめた最終報告書を安倍首相に提出した。

政府による質問・発言の依頼は全体の6割を超える115回に達した。このうち「やらせ質問」は15回、一般の質問者を装って質問させたケースも29回あった。国が開催地の自治体などに参加者の動員を依頼していたケースは71回に上った。

報告書はやらせ質問について「政府の方針を浸透させるための『世論誘導』ではないかとの疑念を払しょくできない」とした。やらせ質問は、教育改革に関する8回のタウンミーティングのうち5回、司法制度に関する7回のうち6回で行われていた。産官学連携や規制改革、地域再生、海洋政策に関するタウンミーティングでも各省庁が「やらせ」に関与していた。

(コメント)
粉飾と欺罔のタウンミーティング。「金返せ!」は、小泉氏に言わなければならないのに、安倍氏が「100万円返上」などと言っても、腑に落ちるわけがありません。しかも、「粉飾額」から考えて、中途半端すぎます。

「内閣府タウンミーティング調査委員会」という身内の調査でも、かれこれ無法ぶりが明らかになりました。これは、第三者機関による徹底的調査が必要です。「100万円」で幕引きとはいかない話です。

小泉政権時代に翼賛機関となっていたマスコミが、支持率低下の推移を見て、政権批判が「受ける」風向きであることを察知してきました。こういう流れができると、ますます「面白い話題」が提供されることになるのではないでしょうか。

安倍政権の生き残り策は、安倍氏が腹を決めて第三者機関に徹底調査させ、それを受けて「フルシチョフのスターリン批判」を展開することだと思います。「小泉を斬れ」ということです。自分も「被弾」しますが、逃げると失速します。

(参照)
平成18年11月12日:「『タウンミーティング』やらせ問題を考える」
平成18年11月18日:「タウンミーティングは『官官対話』、国会は『与与対話』」


2006/12/13(水) インチキな「道州制特区法案」が成立する

国が進めようとしている「道州制」は、最悪の地方統治形態になる。これが私の主張です。現行制度の方が数倍まともです。地方リストラの究極の姿として道州制が導入される、布石としての「道州制特区法案」。意味するところは、「県」のリストラに向けた地ならしです。

【道州制特区法案、13日成立…権限委譲は8項目止まり】(読売) 
国の権限や財源の一部を北海道に移譲する道州制特区推進法案が12日の参院内閣委員会で可決され、13日の参院本会議で成立する。

政府は道州制導入のモデルケースと位置付けるが、国土交通省北海道開発局の所管事業の大半は当面存続し、北海道庁と国の出先機関との二重行政を解消する道筋は見えていない。

同法案は、国交省北海道開発局が道内で代行する開発道路や2級河川の管理・整備などを、必要な財源とともに北海道に移譲することを定めている。首相を本部長とする道州制特別区域推進本部を設置し、北海道側が権限移譲に関する基本方針の変更を求めることが出来ることも明記し、今後、移譲される権限を拡大することにも道を開いた。

しかし、当面、北海道に移譲される権限は8項目にとどまり、北海道開発局が所管する国道や河川、砂防事業などの大半は国の所管として残る。現職知事からは「道州制の法案とはとても言えない」との声も出ているほどだ。

今年1月に自民党道州制推進議員連盟(杉浦正健会長)がまとめた法案の骨子案では、北海道開発局の事業の大半を移譲対象としていた。だが、開発局の解体を懸念する旧北海道開発庁関係者が一部の北海道選出国会議員や建設業界などと連携して慎重論を展開した結果、開発局はほぼ温存されることになった。

野党は12日の参院内閣委で「事務事業、権限の移譲の方向性が示されていない」(民主党・工藤堅太郎氏)などと批判した。北海道は市町村合併が遅れているため、国からの権限移譲と並行して、北海道庁の権限を市町村に移譲する際の仕組みづくりが必要だとの指摘もある。

安倍首相は所信表明演説でも道州制の推進を掲げ、政府は年明けにも佐田行政改革相のもとに設置する私的懇談会で、道州の具体的な区割りや権限などを示す「道州制ビジョン」を3年以内に策定する。ただ、今回の法案を道州制導入に向けたステップと位置づけるのであれば、さらなる制度の見直しが求められそうだ。

(コメント)
「君に大切なものをあげる。」と言って、フリーマーケットにも出せない安物の古着をくれたら、ゴミをくれたのかと憤慨するでしょう。そういう、人(地方)を小馬鹿にした「権限移譲」がなされるのが、今回の「特区」です。

自民党が主張する「地方分権」とは、地方に仕事を押しつけ、国は涼しい顔で地方の首根っこを押さえる統治形態を意味します。中央集権の変形と考えるのが正しい理解です。汗をかくのは地方、監視するのが中央。

「市町村合併」でも簡単に騙された地方自治体が、今回も騙されるのかどうか。騙される可能性がかなりあります。残念ながら。

国が上位、地方は下位。これが身体にしみ込んでいるのが、現在の地方政治家です。「似非道州制」が出来上がったら、究極の地域破壊、地方切り捨てが進んでしまいます。

その前に政権交代をして、官僚の権限をもぎ取り、地方主権型の社会をつくる。国を幾つかのブロックに分けて、それぞれが別の制度、別の産業政策で競い合う日本にする。これが私のビジョンです。

(参照)
平成18年12月11日:「官僚の権限を奪えるかどうかが、『改革』か『偽改革』かの分かれ目である。」


2006/12/12(火) 内閣支持率の低下

安倍内閣の支持率が続落しています。朝日、毎日の調査では50%割れ。不支持率も増加しています。

そもそも「人気」がつくられたものであり、実態がなかったのですが、高支持率が高支持率を生むという循環もあり得るのですから、この間の政権運営に問題があったことは否定しようがありません。

一番は、復党問題です。これは一般の人が見ると、どう考えてもおかしいという感想を持つはずなのに、安倍氏や党幹部は、自民党内部の「常識」で目が曇ってしまっている状態です。

参議院候補の差し替えという問題は、党内の抵抗勢力との確執を演じようとしているようにも見えますが、私は、安倍氏や党幹部の優柔不断が表れていると思います。

候補差し替えとなどいうのは、選挙責任者の判断で、電光石火にやればいいのです。大問題になるような話ではありません。既に、調査は十二分にやっているはずです。該当する数名を党本部に呼び、「あんたじゃ無理だ」と差しで談判すればいい話です。それができないので、遠回しに「艦砲射撃」をしているということです。その及び腰を見透かされて、青木氏などの重鎮に凄まれているのです。

民主党でも一昨年、「候補者差し替えがあり得る」という報道がしばしば流れました。これも、情けない話だなあと思って見ていました。何故、選対委員長が該当する候補者を呼びつけて、差しで話をしないのか、不思議でした。「君はやっとらんようだな。この次呼び出されたら終わりだよ。」でいいのです。候補者の首をスパッと切れないのに、選挙で勝てるわけがありません。民主党の場合、選挙が早まったこともあり、候補者差し替えはほんの僅かでした。その程度の差し替えをするのに大騒ぎをするな、というのが候補者としての率直な感想でした。

復党問題にしても、候補者差し替え問題にしても、これに関する報道が続けば続くほど、ボディーブローが利いてきます。パッと決めてパッとやる。そこで決断力を見せつける。これしかないと思います。

(参照)
9/27落日の始まり・・・安倍政権誕生
9/10そして誰も支持しなくなった…
7/25自民党の「夏枯れ」と、つくられた支持率


2006/12/11(月) 官僚の権限を奪えるかどうかが、「改革」か「偽改革」かの分かれ目である。

昨今、「道州制」の議論が進んでいます。政府・自民党が「道州制」を進めていった場合、最悪の地方統治手段になる可能性があります。このことは、このブログ最大のテーマであり、繰り返し主張していきたいと考えています。

近年の自民党は、民主党と同じ言葉を使って、全く違うことをやるということを徹底しています。同じ言葉を使うので、自民党も民主党も違いがないじゃないかという話になり、同じことなら政権党である自民党に任せておいた方が安心だということにもなります。

ところが実際には、自民党の「改革」は「官」の焼け太りを招く結果になります。自民党と官僚機構とのなれ合いは、自民党が長期政権であったがために、とことん進行してしまっており、自民党政権というものが官僚の人生そのものになっています。また自民党も、官僚機構という「シンクタンク」を失うと、ただの二世三世が寄り合っただけのボンクラ政党でしかない実態があります。

政権交代は、官僚の人生設計を断ち切るというところに大きな意義があります。人生が予見可能でなくなれば、官僚は中立の立場で居続けるしかなくなり、官僚機構の無軌道な肥大化が抑制されます。また、政権交代があり得るとの認識があれば、腐敗の進行は抑制されます。

有権者が見極めなければならない点は、自民党が主張する「改革」で官僚の権限が奪えるのかどうかというところです。

道州制を例に挙げれば、「道州」にどれだけの権限、財源、人材を結集でき、その結果、官僚が地方に口出しする余地がなくなるかどうかというところがポイントです。最大のメルクマール(指標、目印)は、補助金がなくなるかどうかです。補助金がなくなり、地方格差を恣意性を排除した一括交付金で埋めることになれば、官僚は地方に発言できなくなります。

国家は国家としてやるべき任務があり、地方は地方としてやるべき任務がある。国家は地方に口出ししない。それができるかできないか。自民党には絶対にできません。同じ言葉で誤魔化すことしかできません。自民党的「改革」で中央集権が強化されれば、我が国の衰退は免れません。官僚には、「愛国心」はありません。国益より省益を重視しない官僚は出世しません。

このところ、知事や市長の逮捕が相次いでおり、地方自治への不審が増幅されています。国家が地方を監視しなければ、地方では何か起こるか分からないという世論喚起に役立っています。結果として、中央集権が強化されることになることが懸念されます。

地方政治は腐敗しやすいが、中央の官僚機構は腐敗しにくいということはありません。中央は自分で制度を決め、合法的に甘い汁を吸えるので、摘発の対象になりにくいだけなのです。中央の構造化した腐敗の方が、実害が大きいというべきです。

官僚の権限を奪えるかどうかが、「改革」か「偽改革」かの分かれ目であるということだけは、申し上げておきたいと思います。


2006/12/10(日) 東京新聞・「特報」が指摘する痴漢冤罪の恐怖・・植草一秀氏の事件を考える

東京新聞の「特報」欄には興味深い話題がよく載せられています。私が東京に住んでいたら、この新聞を定期購読するのですが。12月9日付の「特報」は一読の価値があります。

【痴漢冤罪 あなたにも 疑わしきはクロ】(東京新聞・特報、以下やや長めの概要) 

身に覚えのない痴漢の烙印を押されたサラリーマンが2年間の裁判闘争の末に無罪を勝ち取り、実社会へ生還。その記録を1冊の本にまとめた。著者・矢田部孝司さんは語る。「痴漢事件は、まずクロと決めつけられると痛感した」。

出勤の途中、電車を乗り換えようと、ホームを歩いていると、女性に後ろからダウンジャケットをつかまれ、「この人痴漢です」と駅員に突き出された。

「後ろめたいことはないから、きちんと説明すれば分かってもらえる」と信じて駅事務所、交番、警察署へと堂々とついていった。女性の主張は「露出した性器を手に押しつけられた」。全く身に覚えがなかったが、取り調べの最初から“クロ”として扱われ、否認を続けたのに、犯行を認める供述調書まで作られた。

調書は抗議して破棄されたが、要求されるまま、当時の電車内の人の位置など覚えている限りのことを図に描かされた。

だが、この図の詳細さにつけ込まれた。送検後、検事から「痴漢をやろうと周りの人間の様子をうかがっていたからだろう」と言われた。「裁判は長くかかるぞ。何年もな。認めるなら早めに言いなさい」とも言われたという。

拘置中、何度も「(犯行を)認めてしまえば…」との考えがよぎったというが、妻や親族、弁護士の励まし、「裁判所ならば」と信じる気持ちもあって、否認を貫いた。

・・・(中略)・・・

一審有罪の後、二審で無罪を獲得。

・・・(中略)・・・

数多くの女性が痴漢の被害に遭う半面、冤罪など男性が被害に遭うケースも少なくない。男性側に防ぐ手段はあるのか。 

「ない。というのが現実ではないか。きちんと捜査がされるなら別だが、事件には重いと軽いの別があり、痴漢事件はまずクロと決めつけられると痛感した。自分はやっていないと個人で立証するのはまず無理」と矢田部さん。 

仮に親友が同じような騒ぎに巻き込まれたら、どうアドバイスするか、との問いには、「とんでもない目に遭わされた経験を考えると、とても(否認して)『頑張って戦えよ』と言う気にはなれない。早く楽になることを助言するかもしれない」と、冗談めかして続けた。 
事件以来、出勤時は急行には乗らず、座れることが多い普通列車を選ぶ。これなら周囲の人はかなり限定される。乗る電車はできるだけ同じ時刻、座れない時でも、できるだけ同じ位置に立つ。「決定的な対策にはならないが、顔見知りから証言が得られやすくなるかもしれないし、つけ狙っていたと言われる可能性は少なくなる」という。それでも最近は、自動車通勤が多いという。 

 ◆ ◆ ◆ 

痴漢冤罪が後を絶たない背景には、警察がこの種の事件に忙殺されている事情がある。ジャーナリストの大谷昭宏氏は「変質的な性犯罪者が増える一方、取り締まり強化のキャンペーンで女性が泣き寝入りしなくなった。警察にしてみれば『また痴漢か』ということになり、感覚がまひしている」と分析する。 

一般の乗客に犯人の人相・着衣や車内の位置関係を覚えてもらうのは難しい。捜査技術を上げるしかないが、「最近は本当に犯人なのか、心証(手応え)が取れない刑事も多い。仕事が次々に来るので、否認のままで(拘置期限の)二十日も拘置するのはたまらないと、『認めれば、(送検までの)四十八時間で出してやる』という禁じ手を使う」と説明する。 

さらに、痴漢事件に潜む問題として「他人を簡単に社会的に葬ることができる。例えば、社会的な活動をしている人物を公安警察が尾行し、女性警官が逮捕するようなでっち上げはないのか」と指摘する。 

こうした「災難」を避ける方法はあるのか。「痴漢冤罪裁判」(小学館)の著者で、ジャーナリストの池上正樹氏は「満員電車に乗らないのが一番。すいている電車に乗るとか、始発駅まで戻って座席に座る。裁判では物理的に痴漢ができる立ち位置にいた人は有罪と認定される傾向があるからだ。どうしても近くに女性がいる場合は、両手を上に上げたり、背を向けたりするしかない」。 

そして、万一間違われた場合は「誠意を尽くして訴えれば、大抵の女性は分かってくれる。駅事務所には行ってはいけない。行ったら最後です。常習の痴漢は逃げようとするが、まじめなサラリーマンほど事情を説明しようとついていってしまう」と話す。 

そのうえで、鉄道会社の対応など社会構造にも注文を付ける。「痴漢は通勤ラッシュを背景にした日本独特の犯罪。現在は女性専用車両など現実的な対策がとられているが、複々線化や列車の増発にも力を入れるべきだ。真剣に痴漢をなくそうと思うなら、時差通勤を企業に勧めて補助金を出すなど、社会全体で取り組む必要がある」 

<デスクメモ> 警察回りをしたころ、同じような事例にかかわった。親しい警察幹部は、やはり「認めた方がいいよ。初犯なら不起訴。その日に帰れる」と耳元でささやいた。「そんなバカな」と腹が立ったが、もしも自分の場合であったら、どうするだろうか、甚だ心もとない。矢田部さんの勇気には敬意を表したい。 (充) 

(コメント)
「他人を簡単に社会的に葬ることができる。例えば、社会的な活動をしている人物を公安警察が尾行し、女性警官が逮捕するようなでっち上げはないのか」との指摘は重要です。

中国の故事に、「三人市虎をなす」という言葉があります。戦国時代の魏の恵王にある人物が尋ねました。

「ここに1人の人が、市場(いちば)に虎が出ましたよと言ったとして、王さまはそれをお信じになりますか?」
 
「誰が信じるものか!」
 
「では、2人の人が同じように、市場に虎が出たと言ったらどうなさいますか?」
 
「やはり疑う。」
 
「では、3人もの人が同じように言えば、王さまだってお信じになりましょう?」
 
「それは信じる。」


状況的に不利な位置取りにいた人物は、3人が「痴漢だ」と言えば、現行司法では、ほぼ確実に有罪にできます。

植草一秀氏の事件について言えば、当初の報道が「現行犯逮捕」となっていたので、犯行が明白であるとの印象が与えられていました。ところがどうも、逮捕者と言われている2名の男性は犯行を目撃したのではないようです。しかも、出廷しない可能性も指摘されています。他の痴漢事件では、逮捕者が表彰され、顔写真が公開されたりする事例もあります。しかし今回の事件では、逮捕者のことに言及するのがまるでタブーのように、報道が押し黙っています。

当局はかなり神経を使っている模様です。地裁の保釈決定を上級審で2度も覆して身柄拘束を継続しなければならない差し迫った事情が当局にあり(理由は「自殺予防」ということにするのでしょう)、それを察して報道が抑制されています。植草氏が解放され、各種メディアで情報発信を始めると、公判が維持できないか、あるいは、もっと困ったことが起きる可能性を懸念しているのでしょう。これほど頑固に否認することが想定されていなかったのかもしれません。

マスコミ報道における不審点は、公判のニュースを大々的に垂れ流しながら、独自取材を行っていないことです。全て当局発の情報か、公判の取材です。視聴率が取れると判断して大きく取り扱っているのでしょうから、通常の競争の原理からすれば、「他社を抜く」ために、逮捕者に取材を申し込むなどの独自取材(逮捕者は直接地元警察に電話したというが、どうなのか等々)があるはずです。

ワイドショーでは、犯罪被害者や加害者家族に対する取材に際し、「遠慮」という言葉が辞書にないような「活躍」ぶりのマスコミなのに、この事件では著しく気弱であるということは、独自取材を記者が行うと、記者ないし会社に不都合な事態が生じるからだと思われます。

「少なくとも今回の事件に関しては、99.99%『黒』であると考えるのが普通の感覚です。私の以前の主張もひっくり返る話だなあというのが率直な感想です。」と、ブログで書きましたが(9月17日)、この間の警察・検察の挙動不審、マスコミ報道の不自然さを見ると、この記述を見直さなければならないと思っています。


☆繰り返し植草氏の事件を取り上げています。なにか、痴漢事件に異様な関心を持っているような印象を持たれるかもしれませんが、この事件では、捜査機関と報道機関の挙措動作に極めて不審な点が見受けられること(2年前の事件でも同じ)、これまでの植草氏の社会的活動が自民党政権にとって痛撃を与える可能性を秘めていたこと(りそな銀行問題)などから考えて、無視できないと考えています。

そして、痴漢事件の類型は、現行司法の弱点が端的に表れる分野でもあります。東京新聞・「特報」は、その視点からのアプローチとして優秀だと思います。

以上、付記しておきます。

平成18年12月5日:「検察官の『作文』と痴漢冤罪・・植草氏の事件を考える」
平成18年11月10日:「植草一秀氏『現行犯逮捕』から2ヶ月近く」
平成18年9月17日:「99.99%:0.01%・・・『植草一秀教授現行犯逮捕」を』考える」
平成18年9月16日:「『現行犯』とは・・・植草一秀教授逮捕を考える」


2006/12/9(土) 東京都知事に田中康夫氏を!

都政私物化の石原氏を排除して、首都東京にまっとうな自治を実現するために、民主党は早急に候補者を擁立する必要があります。

候補者の第一要件は、石原慎太郎に互角で挑める知名度を持つ人物であること。選挙まで4ヶ月という状況では、知名度が最大の財産になります。

第二要件は、共産党が候補者を降ろして、直接あるいは間接に応援できる候補者だということです。ファシスト・石原、「東京の金正日」・石原を打倒するための大連合を組む必要があります。

私は、都知事最適任者は大前研一氏だと思っていますが、残念ながら、2つの要件を兼ね備えていません。菅直人・民主党代表代行の顔も思い浮かびます。しかし、国政で頑張っていただかないといけません。

そうこう考えて行くと、田中康夫氏ということになります。「江戸の敵を長崎で」じゃありませんが、長野のリターンマッチを東京でやってもらいたいものです。

有田芳生氏のブログに、噂話として、民主党・小沢代表が田中康夫氏擁立を考えているという話が出ていました。もしこれが本当だとしたら、来春の東京は燃えるでしょう。

知事経験者(現職を含む)で見識と知名度を有する人物を挙げると、(1)田中康夫・前長野県知事、(2)浅野史郎・前宮城県知事、(3)北川 正恭・前三重県知事、(4)片山善博・現鳥取県知事、(5)橋本大二郎・現高知県知事などの名前がすぐに浮かびます。

この中で、石原慎太郎と対決する「東京決戦」を制しうるのは、田中康夫氏か橋本大二郎氏しかいないように思います。他の人物は、地方自治に関心を持つ人しか知らない名前だです。橋本氏は現職ですから無理。

これからの地方自治。できる首長は2期ないしは3期で勇退し、他の自治体の首長になるという選択肢を用意すべきです。

(参照)
平成18年12月8日:「『東京の金一族』、石原三選阻止のため、『反石原統一戦線』」を!
平成18年5月24日:「民主党は東京決戦を!」


2006/12/8(金) 「東京の金一族」、石原三選阻止のため、「反石原統一戦線」を!

東京都が北朝鮮になった?

もはや、東京都の財政と石原家の家計との区別が付かなくなった石原狂乱都政。「余人」がいくらでもいそうな四男に、「余人をもって代え難い」として公費支出し、これを批判する共産党都議団に対し、共産党らしい貧しい発想というような言い方で、非論理的な反論をしています。

貧しいのは、公費を家族に支出し、豪華すぎる出張経費を出させている石原氏の心根ではないでしょうか。公人が息子に公費を出させ始めたら、これは耄碌(もうろく)した証拠です。豊臣秀吉(と比べるのは秀吉に失礼ですが)の晩年を彷彿させるものがあります。一家が公費にぶら下がる生き方が真っ当なものかどうか。現時点でまともな息子は、天気予報の俳優だけ。

石原家の私物と化した東京都政を刷新するために、来期こそ都知事の交代を実現すべきです。民主党が立ち上がるしかありません。共産党も、本当に石原都政継続に反対するのなら、「反石原統一戦線」づくりに参加すべきです。

三選出馬? 辞職が筋でしょう。

(参照)
平成18年11月25日:「石原都知事の息子は『余人をもって代え難い』?」


2006/12/7(木) 夕張市職員、踏みとどまって、危機をチャンスに変えよう!

【夕張市職員、早期退職検討は85%…労組調べ】(読売)
来年度からの財政再建団体移行に伴い、総人件費の大幅削減を断行する北海道夕張市で、早期退職を検討している職員が8割を超えることが5日、市職員労組の行ったアンケート調査で分かった。仮に回答した全員が辞めると、一般職は一気に4分の1に減少し、行政運営に困難を来しかねない状況だ。

夕張市は、総人件費カットで8億5000万円の歳出削減を目指す。実質2年で職員(4月現在309人)を半減するほか、給与を平均30%カットし、退職金は段階的に4年間で最大4分の1まで減らす方針。これを受け、市職労は11月30日から12月1日にかけアンケートを実施し、組合員189人(消防、医療職除く)と管理職35人、計224人から回答を得た(回答率85・5%)。

(コメント)
国(総務省)は、夕張市を全国自治体に対する「見せしめ」として最大限利用しようとしています。市としても、「財政再建団体→総務省の指導」という「黒船」を利用するしかリストラの方法がないという発想だろうと思います。

夕張市の状況が報じられるので、財政危機が間近い各自治体は、リストラがやりやすい環境になってきています。本当は、そうならない内に、職員や有権者に厳しい見通しを述べ、改革を行うべきなのですが、そういう不人気なやり方を取ることが、現実政治においては難しいということなのでしょう。

夕張市の職員の皆さんは、逃げ切り可能な人たちを除いて、辞めようと思わないで、一度立ち止まって考えてみてはどうでしょうか。再建案を前提としても、民間よりもまだいいはずですし、ここで音を上げるような人が勤まる民間の職場がそれほどあるとも思えません。民間でバリバリやれる能力をお持ちの方なら、夕張市の再建に立ち会って尽力することが、自分のキャリア形成にも役立つチャンスになります。

夕張市としては、市としてやらなければならない仕事を全て列挙し、それをどう割り振るかを考える必要があります。市が直接やる必要がないと思う仕事を、国や県にやらせるという態度を取ってもいいのではないでしょうか。国や県は、上級機関ではない。我々と共に地域の危機を共有してくれ。そういうメッセージを発することが必要ではないでしょうか。住民や職員に対して開き直るのなら、この際、国や県に開き直ってもどうということはないはずです。

(参照)
平成18年11月23日:「夕張市民が考えなければならないこと」
平成18年11月5日:「夕張市再建・・・悲壮感ではなく、志高く」
平成18年7月11日:「夕張市がトップランナーになる条件」
平成18年6月19日:「自治体の破綻、夕張市の事例」


2006/12/6(水) 道路特定財源は、地方の車社会対応型投資に活用すべきである

【道路特定財源、高速料下げにも充当・政府原案】(日経) 
来年度予算の焦点である道路特定財源の一般財源化を巡る政府原案が5日明らかになった。税収の全額を道路整備に充てる現行の仕組みを2008年度に見直し、道路整備費を上回る税収を自由に使える一般財源化する方針を明記。08年度の高速道路利用料金引き下げも検討項目に盛り込んだ。与党との調整を経て、安倍晋三首相が東アジア首脳会議(サミット)に出発する8日までに決着させたい考えだ。 

政府は5日夜、塩崎恭久官房長官らを中心に与党側との調整を本格化。与党側も6日中に修正要望をまとめる方向だ。 

(コメント)
道路特定財源の一般財源化が「改革」の試金石だと言われています。私は、一般財源化を考える前に、道路にまつわる様々な事象に支出するという方向を模索すべきだと考えます。

政府案の高速道路料金値下げに充てるという発想は、不十分ながらも、その方向が出ていると思います。しかし、道路整備費を上回る税収を一般財源化するというのは、結果として、道路整備に使ってしまって残りませんでしたということになる可能性があり、実質的には一般財源化を否定する方向に作用するものと思われます。

道路整備費について、メスをどれだけ入れることができるかという方が大切です。中央で決めた画一的な基準では何十億円も掛かる道路が、住民や自治体が知恵を出せば、数百万円でできるということもあります。道路に関する規制を撤廃し、地方の実情に合わせたやり方をするだけでも、道路整備費は充分に節約可能です。

問題は、節約した税金を何に使うかです。道路建設が地方における社会のあり方に大きな影響を与えることを直視して、車(車社会)に関連する社会基盤整備のために「道路特定財源」の活用がなされるべきです。例えば、車社会の進展により衰退が加速した旧市街(中心市街地の多くが旧市街にあります)の路面整備、歩道整備、街区における都市景観整備などの公共事業ないしは公共投資に優先的に充てることが考えられていいと思います。地方における車社会対応型公共工事(投資)への活用です。

政府案について言えば、「値下げ」などという不徹底なことを言わず、民主党案のように、高速道路が無料になるように道路財源を使い切るべきです。そうなると、道路公団というおいしい天下り先がなくなるので、国土交通省は反対するでしょうが。


2006/12/5(火) 検察官の「作文」と痴漢冤罪・・植草氏の事件を考える

【<痴漢>逮捕の高3不処分 調書考案の可能性 東京家裁支部】(毎日)

電車内で痴漢した疑いで現行犯逮捕された東京都町田市の高校3年の男子生徒(18)に対する少年審判で、東京家裁八王子支部が、刑事裁判の無罪に当たる不処分としていたことが分かった。久保田優奈(ゆな)裁判官は11月24日付の決定で「犯人と少年の同一性について合理的な疑いが残る」と指摘した。
 
少年は5月29日午前8時ごろ、小田急線車内で19歳の女性の体を触ったとして都迷惑防止条例違反容疑で警視庁成城署に逮捕された。しかし「女性が『この人痴漢です』と少年の手をつかんで突き出した」とする検察官調書と「少年を指さした」とする警察官調書が食い違うことなどから、決定は「内容が明らかに違う。調書は捜査側が考案した可能性が払拭(ふっしょく)できず信用できない」と判断した。
 
少年の弁護士は「警察に『否認すれば10日間拘置される。認めればすぐに釈放され、学校にも分からない』と言われたため、少年は供述調書の作成に応じた」と言い、審判では無実を主張していた。
 
成城署の仲村鶴美(かくみ)副署長は「決定文を見ておらずコメントは控えたいが、捜査は適正に行ったと考えている」と話した。

(コメント)
要するに、当該事件の検察官の「作文」が下手だったという話。植草一秀氏の事件を繰り返し取り上げていますが、植草氏の事件においては、事件から3ヶ月近く、起訴から2ヶ月の現時点で、まだ「作文」が仕上がっていないのでしょう。

「作文」に協力するまでは、まともな社会生活を送らせない。これが少なくとも、現在の痴漢事件における捜査のあり方です。認めなかった場合の打撃があまりにも大きく、泣く泣く容疑を認めるケースが多いだろうと思われます。

99.9%が有罪であるという「精密司法」が、容疑者の警察官・検察官の「作文」に対する「協力」で成り立っている面があることを、国民は自覚しておく必要があります。

多くの方は、自分が犯罪の容疑者になったりすることはあり得ないし、ましてや、痴漢の容疑を掛けられるなどというみっともないことになる可能性はゼロであると思われるでしょう。しかし現実には、「犯罪」は「現場」で発生するのではなく、警察官や検察官の「作文用紙」の中で「発生」することがあるのだということを知っておく必要があります。

危機管理能力を高めるためにも、御自分の身に降りかかった場合を想定して、対策をお考えいただきたいテーマです。

(参照)
平成18年9月16日:「『現行犯』とは・・・植草一秀教授逮捕を考える」
平成18年9月17日:「99.99%:0.01%・・・『植草一秀教授現行犯逮捕』を考える」
平成18年11月10日:「植草一秀氏『現行犯逮捕』から2ヶ月近く」


2006/12/4(月) 共産党を野党共闘から除外すべきか

全野党の共闘が成立した沖縄県知事選での敗北の教訓を踏まえ、民主党の中で共産党を共闘から除外すべしとの意見が出ているようです。国民新党でも同様の意見があります。

非自民勢力の結集という小沢代表の考え方は至極真っ当であり、共産党排除路線というのは、懐の浅い発想だと思います。これまで各選挙で、共産党の票を足せば自民党に勝てるということが言われてきました。そうだとすれば、共産党を排除せず、非自民勢力を結集した方が有利なはずです。

ところが現実は、この「足し算」を許容しません。労組の中に反共主義があります。保守層の中にも、共産党と聞いただけで逃げ出す方がいます。労働運動の現場では、共産党系の労組と連合系の労組との対立があります。経営者にとっても、共産党系の労組ができると経営圧迫要因になります。中小零細企業の場合、共産党系の労組ができただけで「ギブアップ」と考える経営者もいます。

私などは、古くさい反共主義は嫌なのですが、近年の共産党の政権獲得意欲の低下には、あきれてものが言えません。「確かな野党」などという見苦しいスローガンを掲げる様子を見ると、「自民党政治の落ちこぼれ救済政党」という自己規定をしているのではないかという気がします。ミヤケン(宮本顕治氏)時代は、こうではありませんでした。

共産党と公明党は都市部低所得層の争奪戦を繰り広げ、公明党が勝者となりました。公明党の凄まじい権力欲に共産党が負けたという面があります。公明党はまず地方で権力に参画し、その後中央で権力を握りました。公明党支持者には、「現世御利益」があるのです。今や自民党は、公明党の支持組織抜きで戦うことが困難な政党になってしまいました。

これに対し共産党は、自説を曲げないことにアイデンティティーを持ちすぎ、自縄自縛に陥りました。党幹部の無能と権力獲得のための戦略の欠如に大きな原因があります。各地の党員の演説を聞いても、オリジナルな部分がほとんどなく、党最高幹部の口調そのままに「スピーカー」となっているだけです。各党員が自分の言葉で語るだけでも、有権者は反応するものですが、そういう「頭の自由度」がなくなっているように思われます。

一度各方面の有識者を招いて、徹底的な自己批判集会を開き、自己解剖・自己改革をするというような「革命的改革」をやらないと、このままズルズル衰退するでしょう。しかも、その衰退過程で、「邪魔な石ころ」の役割しか果たさないことが懸念されます。

民主党のように、各自が色々なことを言っていると、バカの集まりのようにも見えますが、多様性の中から柔軟な施策が生み出されるのだと思います。多様性と団結。この二律背反を克服することが、近代政党に課せられた課題です。

小沢氏の戦略が、共産党の無能によって誤算を招いているのは、誠に残念です。相互に利用し合うのだという「大人の団結」ができなければ、政権獲得は困難です。頑張ってよ、共産党。

(参照)
平成18年10月25日:「共産党は隠れ自民である」


2006/12/3(日) 商店街の活性化・・・寿楽市

伊予市・郡中(ぐんちゅう)に、かつて寿楽座(じゅらくざ)という芝居小屋がありましたが、高度成長期にスクラップアンドビルドの掛け声とともに取り壊されてしまいました。今思えば、もったいないことをしたものです。

平成11年7月より商店街活性化のために毎月第3土曜日に、灘町通りの「街中にぎわい広場」で「市」を開催しています。名称は、寿楽座にちなみ、「寿楽市(じゅらくいち)」としました。テントの組み立て、解体が一苦労です。

振り返ると、7年以上やって来ました。開催が87回(2回は警報で中止)。継続は力だなあとの感慨があります。


2006/12/3(日) 造反議員の復党問題・・・郵政選挙はオレオレ詐欺である

昨年の郵政選挙では、焦点を絞りきれなかった民主党に対し、焦点を「郵政」に絞り込んだ小泉政権が、「郵政民営化是か非か」を国民に問いかける形で選挙を行い、国民の支持を得ました。世論は二分状態でしたが、小選挙区の特性で、自民党に圧倒的多数の議席が与えられました。

ここで大きな役割を果たしたのが「刺客」候補たちです。郵政民営化反対を唱えた議員を党から追放し、各選挙区に対立候補を立てる。この明快さ、妥協のなさが、国民に支持されたのです。「刺客」選挙区では、有権者の関心が「刺客候補対造反議員」の戦いに集まってしまい、民主党の有力候補は「漁夫の利」という甘い期待に反し、完全に吹き飛ばされてしまいました。

小泉氏にとっても、自民党にとっても、一世一代の大博打だったと思います。政権が吹き飛んだかもしれない博打に賛同して馳せ参じた「刺客」たち。これが大勝の大きな要因でした。「刺客選挙区」以外の選挙区でも、「刺客効果」が大いにありました。「刺客」候補たちに足を向けて眠れないと思うのが普通の感覚です。

ところがこの問題を、自民党は政治の世界(総選挙前に議席があった政治家の世界)での義理人情の話にしたがっています。そうなると、「刺客」や小泉政権の断固たる姿勢に共感した国民の立場はどうなるのでしょうか。置いてきぼりを食うのは、「刺客」というよりも、自民党に貴重な1票を投じた国民です。

竹中平蔵氏が「刺客」への応援演説の中で、「彼ら(造反議員)に帰る場所はないのです!」と絶叫するシーンが写されていました。そうした興奮の中で得られた国民の支持に背を向ける今回の復党劇は、多数決民主主義の基本にかかわる重大な背任行為です。

選挙から1年余の期間を全体として眺めると、政権党に大きな欺罔行為ないしは偽装があったということになります。「郵政民営化賛成」の有権者が自民党から排除したつもりの「造反議員」が自民党の議席を得る。「郵政民営化反対」の有権者が支持した「造反議員」が郵政民営化賛成の旗を掲げて自民党に復党する。

オレオレ詐欺というのは、息子(娘)にお金を振り込んだつもりが、赤の他人にお金が届く犯罪類型です。これと同様、有権者の1票が意図するところとは異なる方向に使われてしまっています。多数の争点があって、その一部に齟齬があったという話ではありません。政権党が「郵政」一本で選挙を仕掛け、有権者が呼応したのです。政治におけるオレオレ詐欺があったと言うべきです。「郵政選挙」は詐欺を理由に取り消されて、無効となるのが筋です。


2006/12/2(土) 片山議員、佐藤議員の「欠席」

【片山・佐藤議員が法案採決を無断欠席、委員除外も】(読売)
先月29日の衆院経済産業委員会での官製談合防止法改正案採決に、自民党の片山さつき、佐藤ゆかり両委員が無断欠席したことがわかり、同党の石原伸晃幹事長代理は1日の記者会見で「あるまじき行為だ。職責を全うするためにも日々研さんしてもらいたい」と述べた。

片山氏は1日、記者団に「マスコミ対応に追われていた」と釈明。佐藤氏も「(委員の)差し替えをしようとしたが、事務所のミスで行われていなかった」として謝罪した。

同党は両氏を口頭で注意するとともに、両氏を委員から外す方向だ。

【「相手倒したら刺客は死ぬ」森元首相、復党反対を批判】(読売) 
自民党の森元首相は1日、TBSの番組収録で、昨年秋の衆院選で郵政民営化に反対して離党した「造反組」と争った「刺客組」の自民党衆院議員について「一回一回の勝負が選挙だ。(造反組を復党させないで)次の選挙まで保証しろなんて、甘えだ。刺客は相手をやっつけたら自分が死ぬものだ。それを助けてもらっている」と述べ、「造反組」復党反対の動きを批判した。

(コメント)
おバカな元総理らしい御意見。「刺客」などという言葉は、マスコミが面白おかしく使って囃し立てたものであって、自民党が「刺客」と銘打ち、対抗馬として放ったものではありません。「無理筋」と思われていた郵政選挙を勝ちきるために、「三顧の礼」を尽くして擁立したはずです。

片山氏、佐藤氏については、あまり好ましい雰囲気を持っておられないので、昨年の総選挙以来、両氏がテレビに出るのを不愉快な気持ちで見ていましたが、今回の「事件」には同情します。

政治の世界、「弾(たま)」は前方から飛んでくるよりも、「後方」から飛んでくることが多いものです。今回の事件では、「弾」は後方から飛んできたものと思われます。「三顧の礼」に始まって、「甘えるな」で幕引き。「そういうものなのだ」ということを、国民は目撃しました。「刺客」の手法が何度も使えないことは、自民党も自覚しているようです。

「古い自民党には戻らない」と安倍総理は述べています。しかし逆に、地方は「古い自民党」に戻って欲しいと期待しています。ところが復党騒動を見ても、新しい自民党という印象はどこにもありません。古くもなければ、新しくもない。中途半端さだけが目に付きます。支持率の低下傾向が止まる要素はありません。

復党議員とともに、「古い自民党に戻ります」と宣言した方が、まだましなのではないでしょうか。無党派層は離れてしまったことですし。


2006/12/1(金) 自民党復党問題、落選組・城内氏の意見

東京新聞の11月30日「特報」欄に【自民・造反議員復党 落選組の思いは】のタイトルで、今回復党の対象とならなかった落選組の代表格、静岡7区で片山さつき氏に惜敗した城内実が意見を述べていました。この人がこれからどういう態度を取るのか、多くの人が注目しています。

【・・・「党にとって議席のある者の方が利用価値が高いのだから、現職優先は当然だ。十一人の復党は個々人の判断なので、とやかく言う立場にはない。ただ、『踏み絵』というのは、あまりにも非情だ。後味が悪い。郵政民営化だけを争点にした解散・総選挙に大義がなかったのだから、この復党劇にも大義があろうはずがない。今の世論の反応は正しいと思う。あの総選挙は何だったんだということですよね」

衆院で郵政法案に反対した議員は除名や離党勧告をされたのに、参院で反対した議員は今も自民党にとどまっている。この格差に対しても憤りは収まらない。

「論理としては参院議員にも、除名なり離党勧告をすればいい。そうすると参院で与党が過半数割れしてしまうからしないというご都合主義なんです」

城内氏は在職中、首相になる以前の安倍晋三氏の側近議員の一人といわれた。落選後には安倍政権が誕生。今回の復党劇は、城内氏が尊敬する安倍首相が最終決断した結果だ。

「首相には世論の動向を気にするような政治はしてほしくない。一時的に支持率が下がろうとも、国家国民のために正義感を持って政策に取り組んでほしい。今回の復党劇は、来年の参院選のためだと国民に思われているし、年内決着というのも政党助成金目当てだとみられている。世論の反応も気にしながら、中途半端で分かりにくい手法だった印象がぬぐえない。ちょっと残念ですね」

自民党執行部は今後、落選組の復党については、個別のケースごとに検討する方針。やはり復党を熱望しているのか。

「復党したい、したくないではなく、次の衆院選に勝つことが大事です。だから、日々の活動で地盤を固めていくことを優先しています。やる以上は、大差で勝ちたいので。自分としては復党問題は次期衆院選が終わってからでもいいと思っている。当選してから支援者とじっくり相談し、党が出す条件を検討して、最後は自分で決断したい」

そしてこう続ける。

「私自身、ホームグラウンドは自民党だと思っていますが、け飛ばされて党を出されたんですから、土下座してまで戻るつもりはありません。その意味では、平沼赳夫元通産相は踏み絵は踏まないという信念を貫いた。私も平沼さんのような政治家でありたいと大変な感銘を受けました」 】
 
(コメント)
浪人中の「痩せ我慢」を貫き通せれば、政治家として大成する可能性があります。

城内氏が指摘した参議院議員の処遇の問題は重要です。参議院自民党造反組の反対で郵政民営化法案が否決されたため、法案が通過した衆議院を解散するという、論理無視、憲法無視の解散劇が、「刺客だ」「くの一」だと騒ぎ立てるマスコミの喧噪の中で自民圧勝をもたらしました。

参議院造反組を追い出すと過半数割れになるが、衆議院は人が余っているので復党組は土下座しろというのは、ご都合主義もいいところです。中川幹事長は政党としての筋を強調していますが、世論を刺激しなければそれでいいという魂胆が見え見えです。

それにしても小泉純一郎氏。今になって、「政治家は使い捨て」「造反組は土下座するようなことを引き受けたのだから、認めてやってもいいのではないか」などと気楽な発言を連発しています。

郵政民営化という彼の「信念」に従って解散を行い、各選挙区の有権者に郵政民営化賛成の意思を表明する機会を与えなければならないとして、有力政治家に対する対抗馬として立候補を要請した立場からすれば、政治家である限り「チルドレン」たちに対する責任を持ち続けるのが当然です。

そういう責任感や感情の類を持ち合わせていないところが、稀代(きだい)のペテン師たる所以(ゆえん)でしょうか。「チルドレン」達が本当に怒るのなら、「小泉を除名せよ」と言うべきです。

(参照)
平成18年11月29日:「自民党、復党組の言い訳」
平成18年11月1日:「自民復党問題、『痩せ我慢』の薦め」
平成18年10月27日:「自民党造反組復党問題を考える」


玉井彰の一言 2006年12月 四国の星ホーム一言目次前月翌月