知里幸惠

岩波文庫「アイヌ神謡集」より  1998年5月15日発行 第28刷
『アイヌ神揺集』
(知里幸惠) 梟の神が自ら歌った謡
 「コンクワ
梟の神の自ら歌った謡
 「銀の滴降る降るまわりに
海の神が自ら歌った謡
 「アトイカ トマトマキ クントテアシ フム フム!
狐が自ら歌った謡
 「トワトワト
蛙が自ら歌った謡
 「トーロロ ハンロク ハンロク!
狐が自ら歌った謡
 「ハイクンテレケ ハイコシテムトリ
小オキキリムイが自ら歌った謡
 「クツニサ クトンクトン
兎が自ら歌った謡
 「サンパヤ テレケ
小オキキリムイが自ら歌った謡
 「この砂赤い赤い
谷地の魔神が自ら歌った謡
 「ハリツ クンナ
獺が自ら歌った謡
 「カッパ レウレウ カッパ
小狼の神の自ら歌った謡
 「ホテナオ
沼貝が自ら歌った謡
 「トヌペカ ランラン

*注:底本では、序文以外は見開きの左ページにアイヌ語のローマ字表記、右ページに日本語訳という構成になっているので、1ページにローマ字表記アイヌ語と日本語訳を並記してあります。画面のサイズが800×600以下の場合は、かなり見づらいかもしれません。ブラウザの「表示」→「フォント」から、フォントの大きさを調節してご覧下さい。


ひとりごと
 北海道に住んでいる本州からの移住民の子孫は、私もそうですが、アイヌについてはよく知らないの事が多いのではないかと思います。少なくとも私は義務教育期間中に、アイヌのことを正式に習う機会はありませんでした。正直に言って、アイヌについての私の理解度は、現在の小・中学生以下だと思います。それでも、小学校や中学校の図書館で偶然見つけたアイヌ民話の日本語訳を、とても面白く読んだのも事実です。
 知里幸惠の編訳による『アイヌ神謡集』の存在を知ったのは大学時代でした。正直な話、ローマ字で表記されたアイヌ語の正確な読みは、当時の私にはさっぱりわかりませんでしたし、今もよくはわかりません。ですから、私はこれらの神謡を日本語訳でしか理解してはいないのですが、知里幸惠によって書かれた日本語訳は、訳文という枠を踏み越えて、かぎりなく美しい物語として読めるものだと思っています。この中の『銀の滴降る降るまわりに』は、現在、中学1年生の国語の教科書に載っているとも聴きました。
 実のところ、知里幸惠の『アイヌ神謡集』は、岩波文庫での中で“外国文学”として位置づけられています。アイヌについては歴史的にも、そして現在も様々な難しい問題があるわけですが、同じ日本という国に存在する、和人以外の人々によるもう一つの文化について、折に触れて考えていくことは必要なことではないでしょうか。ひいてはそれが、日本や日本人について知ることにもつながって行くように、私には思われるのです



知里幸惠(ちり ゆきえ)について
  • 大正時代のアイヌ文化伝承者。
  • 1903(明治36)年6月8日、北海道登別に生まれる。アイヌ酋長の家柄で、父は高吉、母はナミ。その後、母の姉である金成マツの養女となり旭川に移る。1918(大正7年)年に旭川を訪れた金田一京助を泊めた縁から、自ら書き始めた「アイヌ神謡集」の出版の話が進み、1922(大正11)年5月に上京。金田一家に寄寓しながら校正作業にあたるが、その年9月、心臓病で急死。享年19歳と3ヶ月。
  • 1923(大正12)年 死後に『アイヌ神謡集』(東京郷土研究社)が出版される。


『アイヌ神謡集』について

 アイヌの伝承文学の中で、物語性をもったものは大きく分けて「神謡」(カムイユカラ、オイナ)「英雄叙事詩」(ユーカラ、サコロペ、ハウキ)「散文説話」(ウエペケレ、トゥイタク)の三つに分けることができるそうです。
 このうち、「神謡」は、短く繰り返されるメロディに乗せて、個々の物語に固有のリフレインがひんぱんに挿入される点を特徴とします。語られるときの所要時間は数分から十数分程度で、動物や自然現象などの神が、神々の世界や人間世界で体験した自分の身の上を物語る、というかたちをとっています。
 編訳者の知里幸惠の死後、大正12(1923)年に東京郷土研究社から出版された『アイヌ神謡集』の中には、13編の「神謡」が収められています。アイヌである知里幸惠自らが、口伝で伝えられてきたアイヌ語を、出来るだけ発音に近いようにローマ字で書き表し、それらを、平易で洗練された日本語に口語訳しています。
 『アイヌ神謡集』は、アイヌ自身の手によって最初に出版された伝承文学集として、現在も大きな意義をもっていると言えるのではないでしょうか。

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