玉井彰の一言 2006年11月 四国の星ホーム一言目次前月翌月

2006/11/30(木) 出産後の再就職・・「お母さん」を公務員にせよ

【出産後再就職、正社員は困難 厚労省調査】(朝日)
出産後、一度仕事を離れた母親の仕事は大半がパート労働やアルバイトなどの非正社員であることが、29日に公表された厚労省の「21世紀出生児縦断調査」で明らかになった。正社員の母親の大半は出産後も仕事をやめずに働き続けた人で、出産時に仕事を続けるかやめるかが、その後の就業に大きく影響することが裏づけられた。 

調査は01年に生まれた約2万2000人の子どもとその家庭を対象としており、同じ家庭を年1回、継続して追跡する形式で行われている。 

母親の就業状況を時系列に沿ってみると、出産1年前は32.3%が正社員、16.5%がパートとして働いているが、出産後、半年では正社員(育児休業中をふくむ)15.7%、パート労働3.8%に激減する。 

その後、子どもの成長と共にパート労働に就く人の割合は増え、4歳半の時点では22.2%に上る。一方、正社員は15.9%と出産後半年とほぼ同じ。厚労省によれば、正社員の顔ぶれは毎回の調査でも変わらず、出産後も働き続けた女性が大半だ。一度仕事をやめた母親が正社員として再就職を求めても、実現するのはまれと見られる。 

(コメント)
女性に対し、「子供を産むな」というメッセージを社会が発しているのも同然です。子供を産むということは、職業意識の旺盛な女性にとっては、社会的な地位の剥奪を意味します。

専業主婦としての人生が十二分に保障される社会なら、働きたい女性を抑圧することにはなりますが、出産後の働き口に恵まれていなくても、システムとしての辻褄は合っています。

しかし現在、男性労働者の地位が不安定化し、給与が抑えられている結果、多くの女性にとって専業主婦としての人生設計が成り立たなくなっています。しかも、社会的には女性の労働が求められていますが、充分な労働条件が保障される職場は多くありません。ここに大きな矛盾があります。

働く者の権利を保障するという観点からすれば、パートというような非正規の雇用形態を認めるべきではないということになります。しかし企業の経営という観点からすれば、加重負担を強いることになります。

そのあたりを調整する手立てとして、子育て中の一定期間、短時間の公務労働を保障するという方法も考えるべきだろうと思います。公務員としての資格は必要とします。高校課程修了までに、高校までの教科で対応できる緩やかな資格試験を設けておけば(社会人になっても受験可能)、結婚・出産後の人生を明るく展望できます。

子供を産んだ女性に、勲章として、働く権利が保障されなければならないと思います。契約期間を定め(更新可能)、その間に民間企業に就職するというルートをつくり、公務労働に従事する間にキャリア形成が可能なシステムづくりをします。民間に有能な労働力を供給するルートとしての公務労働という分野を開拓すべきです。女性に限らず、フリーター対策としても、並行的に考えていけばいいと思います。

ただし、公務員の過剰という懸念がでてきます。それについては、公務員の労働基本権の保障と併せて、非効率的な公務の分野をリストラすることが必要になります。国や地方の補助金に関する業務は、大幅にリストラ可能です。官僚などの職域保全・権力維持のためのチマチマした補助金業務から公務員が解放され、住民と向かい合ったサービス提供を行う分野として「公務」を再構成すれば、公務労働はやり甲斐のある分野になります。


2006/11/29(水) 自民党、復党組の言い訳

【「民営化反対とは言っていない」復党4人が弁明会見】(読売) 
自民党は28日午前、郵政民営化に反対し、同党を離党した造反組のうち、堀内光雄・元自民党総務会長ら無所属衆院議員11人の復党を審査する党紀委員会(笹川尭委員長)を12月4日に開くことを決めた。

早ければ、同日の委員会で復党が正式決定する。誓約書を出さなかった平沼赳夫・元経済産業相については、復党願を受理せず、預かることになった。

復党する11人のうち、堀内、古屋圭司、山口俊一、森山裕の4氏は28日午前、国会内で記者会見した。堀内氏は、「温かい気持ちをもって、首相に復党のゴーサインを出してもらい、感謝の気持ちでいっぱいだ。基本的に郵政民営化に反対ではなく、選挙期間中の会見、公報でも反対とはひと言も言っていない。賛成だ」と強調した。山口氏も「民営化自体は反対ではない。衆院選でも党内手続きがあまりに乱暴だったということを論争した」と語った。

記者会見は、安倍首相が「復党する11人は、党紀委員会で審査が行われる前に、オープンな場で国民に説明して欲しい」と求めたことを受けたものだ。造反組の野田聖子・元郵政相ら7人は、「地元に帰って説明したい」(事務所)などの理由から参加しなかった。

(コメント)
こんな言い訳をするくらいなら、政治家を辞めればいいのに。ひれ伏し、土下座して、靴の裏まで嘗めさせられての復党。そんな値打ちのある政党でしょうか。

テレビを見ていると、それぞれの発言に対して正反対の印象を与えるビデオが流されていました。節を曲げての復党であることは誰も疑っていないのですから、「信念を曲げてしまった。申し訳ない。」と言った方が、遙かに好感度が増すと思います。

政治家でしかやっていけない人たちであるということは、この間の経緯を見ればよく分かります。人生、もっと色々あるのに、可哀相な人たちです。

平沼氏に関して言えば、「自民復党」の「ちゃぶ台」をひっくり返していたら、もっと男を上げられたのにと悔やまれます。しかし、復党願いは出したものの、誓約書は書かなかったのですから、ちょっぴり痩せ我慢をしたところは評価します。

映像露出度が増し、平沼赳夫という名が、ほんの少しビッグネームになりました。政治家の命は名前の大きさですから、これは平沼氏にとっての収穫だと思います。

(参照)
平成18年11月2日:「自民復党問題、『痩せ我慢』の薦め」
平成18年10月27日:「自民党造反組復党問題を考える」


2006/11/28(火) 限界集落、綾部市の対応から国家を俯瞰する

【消滅寸前の集落、京都・綾部市が異例の「救済」条例】(読売) 
65歳以上の住民が半数を超え、共同体としての存続が危ぶまれる「限界集落」について、京都府綾部(あやべ)市は、山間部の5集落の振興を目指す「水源の里条例」の制定を決めた。

公共交通の確保や移住者向けの補助制度の新設などを行う。消滅か存続かの岐路にある集落を切り捨てず、支えて元気にすることで、市全体の活性化を目指す。限界集落に限った振興条例は異例で、この10年間に全国で5000集落が消える中、過疎に悩む自治体から注目を集めそうだ。

福井県境に近い由良川水系上流の5集落(計95人)を対象に指定する。5集落の人口は、ピーク時(1965年)の4分の1にまで落ち込んだ。最小集落は7人だけで、2集落は全員が65歳以上。大半は農家だが、出荷などの重労働はできず、自給のための野菜作りをしており、「主力産業は年金」とさえ言われる。市の調査では、8割に後継者の見通しがなかった。

振興策は、空き家整備や、地域特産物の開発、情報化の推進、都市住民向けの貸し農園を活用した交流事業も盛り込む。

市は、12月市議会に条例案を提案、来年4月からの施行を目指しており、基金を設け、5年期限で集中的に予算を投入する考え。

限界集落は大野晃・長野大教授が概念を考案。65歳以上の住民が半数を超え、共同体としての機能が果たせず、急速に消滅に向かうといい、対策を取るよう警鐘を鳴らしている。政府の調査では、「消滅の可能性がある集落」は全国に2109あり、消えた集落も含めた実態調査を実施、来春をめどに結果をまとめる。

(コメント)
我が国は、身体の隅々の毛細血管が詰まった状態になっています。毛細血管の血の巡りを良くし、身体全体の活性化を図っていくべきです。

頭でっかちの国です。極端な一極集中。1億2700万人が「東京」の指令で動くことには無理があります。ITの時代。人口数百万人の国家が、1人当たりGDPで「大国」を上回るパフォーマンスを展開しています。我が国は大きすぎるのです。各地域が「頭脳」を持ち、それぞれの戦略を展開していかなければ、閉塞状態を打破することはできません。

「限界集落」への対応は、時間との戦いになっています。平成の大愚策・市町村合併により、周辺部はさびれました。限界集落の衰退も加速します。役場の職員を事務局として派遣し、共同体としての機能を維持できるようにするということも考えてみるべきです。

役場の本体をスリム化し、各種補助金のための細かすぎる「要綱」づくりのために過剰な職員を配置するというやり方を改め、補助金を丸投げに近い形でスムーズに支給し、事後審査を厳格にするという方式にすれば、職員数は減らすことが可能です。余った職員を現場に派遣して、地域のコーディネーターとして汗をかいてもらうことで、職員の力量も大幅に高まります。

国全体の問題も、以下同文。中央省庁の補助金を「丸投げ」方式、ないしは廃止にして、地方がそっくりいただくことにすれば、国全体も活性化します。現在の補助金システムは、官僚の職域保全のためのものであって、国や地方のためのものではありません。

国のシステムも地方のシステムも、革命的に変革しなければ、21世紀の国家経営はできません。官僚は霞ヶ関に引きこもらず、地方に転出する。地方公務員は役場の本所に引きこもらず地域に出て行く。「頭脳」が各地にあり、それぞれの地域が「決断即実行」というシステムになっていけば、各地域も活性化します。

失敗は付き物です。「失敗しないための官僚システム」のコストが高すぎます。そして官僚システムは、「無謬」を誇るが故に大失敗をします。日中戦争・太平洋戦争の大失敗、バブル崩壊後の大失敗等。各地域が小さな失敗の経験を重ねながら地域に適合したやり方を創出することで、ローコストの国家経営・地域経営が可能になります。


2006/11/27(月) 「知事多選制限」を考える

【橋本知事:知事多選「有権者が決める」 条例などで“縛り”否定】(毎日)
知事の「多選」に関しての毎日新聞のアンケートで、橋本大二郎知事は「知事の意欲と気力にかかわることで、何より有権者が決めるべきこと」との考えを示し、条例などで多選を自粛する考えがないことを明らかにした。
また、「知事の自戒や周囲のチェック機能がないと、弊害が出てくる恐れはある」と記述。多選より知事本人の資質が重要との見方を示した。
 
全国で相次いでいる知事の不祥事に関し、多選制限の動きが出ていることについて、「国や政党の側には、知事を系列化していくことで、地方分権を骨抜きにしたいという思惑があろうと思われる。その際、言うことを聞かない知事がいつまでも居座っては都合が悪い」と政党の狙いを指摘。
 
さらに「今回の事件を多選の問題に結びつけていくといった狙いに、うまく乗せられているように感じられる」と警戒感をにじませた。

(コメント)
「知事多選」の是非は、有権者が判断するというのが民主主義の原則だと思います。「法律」で制限するというのは、中央集権の発想から自由になっていない証拠です。「条例」で自治体が縛りを掛けるのも1つの方法ですが、有権者が意識を高めて、知事の資質を見抜いて判断するのが理想です。

しかし、高知県のように現職・橋本氏に対して有力対抗馬(高知市長)が立候補して県民の信を問う選挙が行われた場合には、県民が決めたことになりますが、「多党相乗り現職vs共産党推薦候補」という選挙では、有権者には実質的な選択肢がなく、「有権者が決める」ということになりません。

そういう意味では、小沢民主党代表が対立候補を立てるように各県連に要請しているのは、有権者に選択肢を与えるとともに、地方においても二大政党制の考え方を浸透させることになり、民主主義の前進につながるものとして評価できます。

ところが実際には、民主党の各県連は候補者擁立に及び腰です。民主党の県議にとっては、与党の一員というのは居心地が良く、「仕事」もし易いし、自らの選挙にも有利という事情があります。結果、「政権交代より我が選挙」という意識から抜け出せないのです。

さて、橋本知事の御意見。「国や政党による知事の系列化により地方自治が骨抜きになる」という指摘は重要です。国政レベルの対立が地方政治に持ち込まれる懸念は大いにあります。しかし、現在多くの地域で見られる翼賛的な地方政治を打破するためには、二大政党の力学を用いるしか方法がないだろうと思います。

二大政党的な対立構図の中から、地方政治における監視システムが形成されることが期待されます。「多選」は、その中で選挙の重要争点となり、「有権者が決める」ことになります。


2006/11/26(日) 孤独なおじいちゃん・・・男は「老後戦略」を持て!

【近所づきあいがなく相談相手もいないなど、お年寄りの「孤立化」が、一人暮らしの男性に際だっていることが、高齢者を対象とした内閣府の意識調査からわかった。「会社人間だった男性が退職後、地域になじめずに孤立化していることがうかがえる」と内閣府は分析している。… 】(朝日新聞より) 

私の経験からも、高齢男性というのは対応が困難です。周囲と溶け込む努力をし、年々丸くなっていける人なら、楽しい老後を過ごすことができるのでしょうが、自分が最も権力・権限を持っていた時代のことが忘れられない人は、自分も周囲も大変です。

肩書きというものから自由な女性は、地域社会で居場所を見付けやすく、幅広く交流の輪を持てるようです。これに対し、「肩書き=命」の男性は、「一介の老人」という自己規定をすることが難しくなります。

「企業戦士」の場合、40代、50代くらいから、「軟着陸」を模索しておきべきです。定年になって初めて老後の現実と向き合うということには、大きな困難があります。

「地域デビュー」という言葉が、最近よく使われるようになりました。しかし実際には、赤ちゃんの「公園デビュー」よりハードルが高いと思います。地域との距離感、職場や仲間との距離感、家族との距離感を見つめ直して「老後戦略」を確立することが、「できる男」の証(あかし)であるとでも考えて、適切な対応を心掛けていただきたいものです。マネー面での人生設計だけでは足りません。


2006/11/25(土) 石原都知事の息子は「余人をもって代え難い」?

【「余人もって代え難い」=四男の文化事業関与で−石原都知事】(時事通信)
東京都の文化施設「トーキョーワンダーサイト」(TWS)の事業に石原慎太郎都知事の四男で画家の延啓氏がかかわり、公費での海外出張もあったことについて同知事は24日の定例記者会見で、「息子であり立派な芸術家。無給で都として便利に使っており、余人をもって代え難い」と反論した。 

(コメント)
「余人もって代え難い」

金日成が金正日を後継者に指名したときの台詞(せりふ)かと思ってしまいました。典型的な親バカ。石原氏の四男は、知る人ぞ知る画家なのでしょう。しかし、まともな知事なら、息子が大家(たいか)であっても、「自分の在任中は遠慮したい」と言うはずです。東京都民は、来年の都知事選挙でもこの人物を選んで、天下に恥をさらすつもりでしょうか。 

都知事の周辺は、ゴマすり、お追従だらけなのでしょう。そういう太鼓持ちが息子を「素晴らしい!」と絶賛し、それを真に受けたバカ殿が、世間の評価がそういうものだと勘違いして息子に税金をつぎ込んでいく…

北朝鮮での「将軍様」の周辺も、同じ構図であろうと思われます。

と、ここまで書いたところで、過去の「一言」を思い出しました。「四国の星」HP時代のものです。ここに再掲します。

【 [2005/06/11]  石原都知事を支える「迎合の構図」 

毎日新聞「記者の目」(2005年6月10日)で、日下部聡記者の<石原都知事を支える「迎合の構図」> という一文が掲載されていました。

以下、その要旨。

知事の「求心力」を生み出してきた構造に根深い問題がある。浜渦武生副知事や特別秘書ら側近、都庁官僚、都議会、そしてメディアなど、石原知事は、あらゆる周囲の「迎合」に支えられてきたのではないか。

都庁官僚の場合。

都教育委員会が教育現場での「国旗掲揚・国歌斉唱」について、全国有数の厳しい締め付けをしているのは、知事が逐一指示しているわけではなく、教育長以下、都庁官僚が主導している。その横山洋吉教育長は6月23日付で筆頭副知事に就任する見込みだ。

石原知事や浜渦副知事に疎まれ、定年前に都庁を去った元都幹部の発言。

「器用な役人は、知事が喜びそうなことを先取りしてやってしまう。知事は『対立』が好きだから、円満にやると『妥協した』と見なされる。だから、わざと現場と衝突するやり方をしてアピールする」

「多くの都幹部は、最初は違和感があっても、次第に進んで適応するようになった。それができなければ都庁を去るしかなかった。『自分』を持たない人が多いということでしょう」

都議会と「迎合の構図」。

浜渦副知事に辞職を迫った調査特別委員会(百条委員会)を主導した自民、公明両党は、石原知事の責任を問わないばかりか、「まれに見る政治家」などと称賛。

百条委設置も、都議選を前に利権疑惑を持ち出して自民党をけん制しようとした浜渦副知事に、自民党が逆襲したというのが実情で、議会のチェック機能が働いたというより、権力闘争と見るべきだ。

そしてメディア。

新聞、テレビ、週刊誌の各メディアは、石原知事を「ポスト小泉」のキーマンか、「ご意見番」として取り上げるばかりで、地方自治体の長として適格なのかという視点ではほとんど検証してこなかった。

そうした反省から私(日下部氏)は東京都に対し、知事交際費や出張旅費、勤務日程表、公用車の運転記録などの情報公開を請求。開示された公文書を精査した上で、都政関係者への取材を重ね合わせた結果、知事の日常的な“公私混同ぶり”が浮き彫りになり、昨年初めに記事にした。

飲食への交際費支出が他の道府県に比べて異常に多く、しかも相手は石原知事の旧知の人物が目立った。支出相手の全員が記されていないなど、記録が不十分なケースも多く、公務員の接待を禁じた都の基準にも違反。勤務日程が「庁外」の日はごく限られた人物しか動静を把握しておらず、公用車を選挙応援に使った疑いも浮上。

海外視察も豪華。01年には南米ガラパゴス諸島で4泊5日のクルーズに乗船。計8人で1590万円の公費を使用。

昨年5月には、石原知事に交際費や旅費の返還を求める住民訴訟が起こされ、東京地裁で係争中。

近年の地方自治の大きな流れは、公金の使途や政策決定過程の透明化である。この中に石原都政を置いてみると、その「不透明性」は一層際立つ。

石原知事は3日の記者会見で、登庁が少ないことについて「毎日毎日同じ机に座っているのが能じゃないだろう」と言った。その通りだろう。だが、問題は、どこでどういう公務をしているのかを、有権者にきちんと説明していない点である。

石原知事の大胆な政策や言動にばかり着目して、石原都政の実態をほとんど報じてこなかったメディアの責任は大きい。

都知事は絶対権力者ではない。都民が税金を預けて仕事を委託しているのである。石原知事がそれに見合った仕事をしてきたのか、有権者が冷静に見極める時ではないか。

(コメント)
国政を放り出した元人気作家が都知事に。異様なほどの迎合に支えられた権力者像でした。

都の役人の行動様式と心理状態は、ファシズムの尖兵に似ています。絶対権力者は、「自分」を持たない人間を好みます。

議会が持ち上げ、マスコミが賞賛する。権力の暗黒部を指摘する社会的責任を放棄しての翼賛機関化。元人気作家を絶大な権力者に仕立てる「迎合の構図」がそこにあります。

この国にもう1人いる裸の王様。小泉純一郎氏の翼賛機関としてのマスコミ(政治部記者、ワイドショー関係者)は、何時目を覚ますのでしょうか。 】


【再コメント】
東京都では、「法の支配」ではなく、前近代的な「人の支配(人治)」がまかり通っています。優秀な方々が集まっているはずの東京都で、「このような人物に何期も知事をやらせていいのか?」という世論が巻き起こらないのが不思議です。

頑張れ、東京都民!  頑張れ、民主党! 東京決戦を!

(参照)
平成18年5月24日:「民主党は東京決戦を!」


2006/11/24(金) 「松山で教員ら100人動員」の記事を考える

【松山で教員ら100人動員 政府の教育改革TM】(共同通信)
2004年5月15日に松山市で開かれた政府主催の教育改革タウンミーティング(TM)で、文部科学省が愛媛県教育委員会を通じて教員など県教委関係者約100人を参加者として動員していたことが、23日分かった。会場に集まった431人の約4分の1が県教委関係者で占められていたことになる。政府関係者が明らかにした。…

…関係者によると、04年4月ごろ、文科省が県教委にTM参加者の取りまとめを依頼。県教委は現職教員、県教委事務局員、教員OB、教育事務所職員らに参加申請するよう呼び掛け、約100人が応じた。県教委は住所、氏名、電話番号などの個人情報を記載した応募リストを国に提出した。
 
当日のTMには河村建夫文科相(当時)、鳥居泰彦中央教育審議会会長らが出席。やらせ質問をした教員は「新しい時代にふさわしい教育基本法となるよう改正することが必要ではないか。50年、100年先を見据えた教育の在り方についてお聞かせ願いたい」などと、文科省の指示通りに発言した。
 
県教委幹部は「呼び掛けに応じた教員らは実際に出席していたと考えられる」と認める一方「応じたのは自発的意思のはずだ」とし、問題はないとの認識を示している。

(コメント)
「やらせタウンミーティング」の問題に加えて、愛媛の県民性も垣間見えます。県教委幹部は「応じたのは自発的意思のはずだ」と述べていますが、暴力団が丁寧に「協力金」を求めたら「自主的な協力があった」というのとほぼ同じ構造です。

教育者に信念なし。教育者に勇気なし。この惨状を変革すべく、教育問題を考える必要があります。教員が県教委だけを見ているから、「呼びかけ」に「自発的意思」で臨むことになるのです。

もちろん、TMに参加すること自体は、市民として、教員として積極的な行動です。そういう積極的気概を持っているのなら、教師として、教育に関する意見ないしは質問を自分の言葉で発することができるはずです。それができないボンクラ教師が自発的に参加するということは、常識的にはあり得ません。

愛媛の教師の皆さんには、子供の将来ではなく自分の将来を考える態度を改め、真に子供のための教育のあり方を考えていただきたいものです。


2006/11/23(木) 夕張市民が考えなければならないこと

【夕張市再建案に市民ら悲鳴・怒り 「出るも残るも地獄」】という朝日新聞の記事。
「360億円を約20年で返済する――財政破綻(はたん)した北海道夕張市がまとめた財政再建計画案が、波紋を広げている。厳しい再建案に、地区ごとに連日開かれている説明会では、住民の不満が相次ぐ。しかし、「第2の夕張」を防ぎたい総務省は、計画をさらに削り込む構えだ。… 」で始まる厳しい内容です。

市職員の月給3割減、バス代4倍というような再建案に対し、住民説明会では市民の怒号や悲鳴が渦巻いているようです。市の男性職員も「出るも地獄、残るも地獄だ」との感想を述べています。 

その中で、いったん市が廃止を決めた「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」を復活するめどが立ったという明るいニュースも紹介されています。 

原動力は、若者を中心に20日に設立されたNPO(非営利団体)法人「ゆうばりファンタ」。市の補助金を基に運営された映画祭が生まれ変わり、市民が協賛金を集めます。名画「幸福の黄色いハンカチ」と、北海道の開拓をテーマに昨年封切られた「北の零年」。この2つの映画の撮影現場を保存することを目的にしたNPO法人も26日発足します。 

「北の零年」に主演した吉永小百合さんは9月、北海道庁に「できることがあれば教えてください」と手紙と電話で伝えました。「幸福の黄色いハンカチ」の山田洋次監督もエールを送っています。 

(コメント)
私の町がそうなった場合を想定しても、「自業自得」なのだという諦めは必要だと思います。そうならないための民主主義であり地方自治なのですから。関心がなかったということは言い訳にはなりません。苦しい中から這い上がるしかありません。

ただし、行政トップや議会の責任は、より重大です。無報酬、個人資産の提供ということも含めた責任が先に問われなければ、住民への負担を語るべきではありません。

もっとも、そう言い切ってしまっては不公平な話になります。近年の地方交付税激減は、国と地方との暗黙の契約を国が一方的に破棄したものであり、許せない行為です。特に、小泉政権での「三位一体改革」はペテンであり、地方は「被害者の会」をつくらなければならないところです。

NPO法人が立ち上がったというのは嬉しい話題です。これからは、地方自治全般がNPO化する時代になるかもしれません。とりわけ、住民に近い自治組織の運営はボランティア的なものにならざるを得ないと思います。

平成の大愚策・市町村合併で疲弊した周辺自治体の復興手段として、自治組織が必要です。要求型民主主義から内発的・建設的民主主義への転換が必要です。

(参照)
平成18年6月19日:「自治体の破綻、夕張市の事例」
平成18年7月11日:「夕張市がトップランナーになる条件」
平成18年11月5日:「夕張市再建・・・悲壮感ではなく、志高く」


2006/11/22(水) 読売11月21日社説に見る報道の堕落

【[審議復帰へ]「民主党も恥ずかしくなった?」】の見出し。<「審議を尽くせ」と言いながら、審議を拒否する――。国会を空転させてばかりいたかつての社会党のような姿に、民主党もさすがに恥ずかしいと思ったのだろう。・・・>で始まる読売新聞の社説。

報道の堕落もここまで来ました。一般的な法案で反対のための反対をするというのであれば、そうした批判も当たっている場合があるでしょう。しかし、教育の憲法である教育基本法改正が、様々な教育上の問題が噴出する中で、解決策とは無縁の「愛国心」をテコに国民の内心領域に国家が関与してくる法案。官僚統制が強化される内容が盛り込まれている基本法の改正に対して、野党の共闘を報道機関が揶揄するというのはどういうことなのでしょうか。

予め落としどころが分かっていて乱闘や審議拒否をしていた、かつての自社体制下での八百長国会と、現在の熾烈な権力闘争との違いが分からない振りをして、国民を誘導しようとする読売の姿勢にはあきれかえります。もっとも、記者クラブ制度に守られ、報道における「自社体制」が継続している状況では、読売的発想が「常識」なのでしょう。「再販制」に胡座をかく日本の報道機関の堕落を象徴する社説です。

官報になってきた日本の新聞の中でも、最も官報化してきたのが読売です。社名を「ジャパン・プラウダ」ないしは「ジャパン・イズベスチィア」に改名されてはどうか。

我々が旧ソ連人民と同じく、行間を深く読まなければならなくなったこの時代。「プラウダにイズベスチヤ(報道)はなく、イズベスチヤにプラウダ(真実)はない」(かつてのソ連の小咄)、という言葉を噛みしめながら読むことが必要になってきました。

なお、民主党の一部に「よい子」「優等生」を演じたい人たちがいるのも困ったものです。国家のため国民のために、血みどろになって欲しいと思います。

(参照)
平成18年10月22日:「『再販制』が真実を封じ込めているのではないか」


2006/11/21(火) 沖縄県知事選挙・・「あいまい戦術」への信任は翼賛政治につながる

沖縄県知事選挙は、「自公勝利」とされています。沖縄県民が米軍基地問題よりも経済の活性化を選んだとも評されています。

しかし、勝利した仲井真弘多氏は何を県民に約束したのでしょうか。名護市にV字形滑走路を造る政府案に「現行のままでは賛成できない」としながら、県内移設は容認する構えを示しています。これは賛成なのか反対なのか。

安倍政権における「あいまい戦術」と共通するものがあります。「有権者が自分に都合良く解釈してくれるとありがたい」という政治姿勢は、まともな政治家の発想ではありません。リーダーとしては、最も卑怯なタイプです。

選挙中自民党はひたすら隠れていました。結果が良好だったので「勝った勝った」はないだろうと思います。姿勢をあいまいにしておいて、何が信任されたのでしょうか。

あいまい戦術への信任は白紙委任です。選ばれた側は何をやってもいいと判断する可能性があり、横暴な政治になってしまいます。結果として、翼賛政治に道を開くことになるということを指摘しておきたいと思います。沖縄県民は何物であるか分からないものにすがりついてしまいました。


2006/11/20(月) 救急車は有料にすべきである

11月20日毎日新聞に、「全国的に救急車の出動件数が増加を続け、都市によってはパンク寸前にまで追い込まれている。高齢化の影響に加え、緊急性のない出動要請が相次いでいるためだ。… 」という指摘で始まる社説が掲載されています。

救急車は我々にとって、緊急時の生命に関わる事態を救ってくれる命綱です。救急車出動を要請するのは、緊急事態でなければなりません。タクシーに乗って病院に行けば充分なケースでも救急車を呼ぶ不心得者ないしは世間知らずの方々には、自粛してもらう必要があります。

加えて、受益者負担の論理を適用して、有料化を推し進めるべきだと思います。「料金」は、タクシー料金を若干上回る設定でいいと思います。緊急時と認められる場合は、健康保険、国民保険加入の場合の負担ですむような配慮は必要です。緊急性がない場合は、正規の料金を請求します。これにより需給バランスが取れればいいと思います。

高齢化が進めば、救急車の果たす役割はより重要になります。過疎地においては、深刻な課題です。そのことを踏まえ、ある程度の割り切りが必要です。

自家用車で10km離れた病院へ往復する場合のコストを考えてみます。100万円程度の車を10万km使用し、これに保険、車検、修理等の費用を加えた総コストを150万円と仮定します。ガソリン代が往復20kmで200円、車の維持費(総コスト)が1km当たり15円、20kmの走行で300円で、合計500円となります。これに架空の人件費を加算すると、かなりの数字になります。

移動はタダでは済まない。このことを常識として持つ必要があります。「救急車使用料金」10km圏内移送3000円、20km圏内6000円にしたとします。緊急時は負担3割として、各900円、1800円の自己負担となりますが、自家用車のコストと比較すれば、酷な話ではありません。緊急性のない場合は正規料金を取り、繰り返し不心得な利用をする人には、割増率をドンドン高く設定するようにします。

大切な命綱としての救急車が万一の場合に利用できないという事態をなくすためには、以上述べた常識的な対応をした上で、現状よりも充実したサービスの提供を求めていくべきです。病院のたらい回しということがないように、リアルタイムで救急病院の収容能力、科目別の対応能力を把握して上で救急対応ができるシステムが整備されなければなりません。


2006/11/19(日) 官僚統制強化が教育基本法改正の本質

今朝(11月19日)の時事放談(TBS)で堺屋太一氏が述べていましたが、教育基本法改正の本質は、官僚統制強化にあります。「愛国心」をテコに、国が個人の精神的領域に前のめりに関わってくることに対して、警戒をしなければなりません。

現行教育基本法では、「国及び地方公共団体」「国又は地方公共団体」という規定のされ方になっていますが、改正案では従来通りの規定に混じって、「国は」「政府は」という文言が(16条、17条)に登場しています。ここは要注意。

堺屋氏の指摘としてもうひとつ。改正案には、時代の変遷に従ってどのような人材育成を行うべきなのかという視点が欠如しています。近代工業社会に適応できる人材が必要なのか、「知価社会」(知識・知恵が価値を生み出す社会)に適応できる人材が必要なのかという大きな視点が欠落しています。逆に、「愛国心」に光が当たっています。

国のために死ねるイエスマンが必要だというのであれば、平和経済から戦争経済(「戦争という公共事業」で産業振興を行う)への転換に道を開くことになってしまいます。それでいのかどうか。考えどころです。


2006/11/18(土) タウンミーティングは「官官対話」、国会は「与与対話」

政府は17日午前の閣議で、民主党の小宮山泰子衆院議員の質問主意書に対し、2001年に始まったタウンミーティングにかかった経費がこれまでに総額19億9094万円に上るとした答弁書を決定しました。「対話」偽装の政府広報宣伝費に20億円。

【タウンミーティング:実態は「官・官対話」 全国調査】(毎日) 
毎日新聞が実施した政府主催のタウンミーティング(TM)に関する全国調査で、これまでに判明した「やらせ質問」などに加え、自治体が職員を大量動員して開いた「官・官対話」の実態も明らかになった。参加者が集まらず「会場を埋める」手段だったようだが、TMのうたい文句「国民との直接対話」は始まる前から形がい化していたことになる。次々に発覚する問題に、ある県の担当者は「組織的な『やらせ』をしたようで恐ろしい」と打ち明けた。

タウンミーティングは小泉政権の公約として全国で開かれた。まず都道府県を一巡。この段階では特定テーマは設けず、その後「地域再生」「市町村合併」「教育改革」などをテーマに開かれるようになった。やらせ質問などが起き始めたのはテーマ設定以降で、回を重ねるうちに熱が冷め出席者動員も行われるようになったようだ。

今回明らかになった県職員を大量動員した青森市での「地域再生」TMは04年6月の開催だ。今年7月に「道州制」をテーマに開かれた大阪市でのTMでは、府の担当者が内閣府から「他県で参加者が公務員ばかりだったタウンミーティングがある。今回は民間人を集めてほしい」と要請があったという。青森のケースの約1年後のこと。担当者は経済団体に声をかけた。

これまでの政府や毎日新聞の調査で浮き彫りになったのは、「国民と閣僚との直接対話」という体面を保ちながら、多くのケースで実際には作為があったいうことだ。

政府が質問案を作成し、下請けの自治体が質問者や参加者集めに奔走する−−。そんな構図に、青森県教委の担当者は「国の指示で断れなかった。加担してしまい申し訳ない気持ちだ」と複雑な心境を吐露した。奈良県橿原市で01年7月に開いたTMの実行委メンバーの一人は「地元の基盤のないところで開こうとした地域で問題が起きているのではないか。(小泉政権)終盤では(自治体が)人集めに苦労していたと思う」と話した。

TMでは最近、質問者への「謝礼金」支払いも判明するなど、内閣府があらゆる手だてを講じて「成功」を演出しようとした跡が見て取れる。青森市のケースは開催自体が自己目的化していたとも言え、無理のしわ寄せを地方が追わされた格好だった。

(コメント)
こりゃなんだ?! 県職員を大量動員するタウンミーティング。やらせ質問と謝金。粉飾だらけのタウンミーティングに多額の税金が投じられました。小泉政権とは、ペテン師内閣だったということです。その内閣の番頭が、現総理。「税金返せ!」です。ついでに、「小泉劇場」の木戸銭も返せ、というお粗末なお話。

国会では、野党抜き審議がなされようとしています。タウンミーティングは「官官対話」、そして国会は与党と与党の対話。自作自演で政治が行われる状態。民意を国政に反映するという民主主義を放棄し、民意を操作して誘導する、煽動政治に変質したということです。

インチキ「タウンミーティング」の責任追及を含めて、国会で野党が出席できる環境を整えた上で、衆議院決議を取り消して、再審議を行うべきです。

国会とは、政府と野党の討論が本体です。与党の質疑などは、野党の質疑の空き時間に行えば充分です。与党が法案に自信を持っているのなら、野党を国会壇上に立たせて徹底的にやりこめればいいのです。大半が与党質疑で水膨れさせた「審議時間」を盾に、審議をし尽くしたなどと言うのは、議会制民主主義の本質を理解しない妄言です。

教育基本法改正審議がこの有様。「教育の憲法」に対して無礼ではないでしょうか。


2006/11/17(金) 教育基本法改正案衆院通過・・内容欠陥+手続欠陥の法案

安倍自民党が牙を剥いてきました。教育基本法改正案が16日、衆院本会議において自民、公明両党などの賛成多数で可決されました。民主、共産、社民、国民新の野党4党は、15日の衆院教育基本法特別委員会で与党が単独で採決したことに抗議して、16日の本会議を欠席。

教育基本法は「教育の憲法」であり、改正に当たっては、憲法改正に準じた慎重な審議と厳正な手続きが必要です。内容面でも、国民が十分納得できるものでなければなりません。然るに政府与党は、国会軽視の強硬姿勢。

改正案では、「愛国心」という国民が反対しづらいキーワードをテコに、国民の内心の領域に国家権力が踏み込んで来ることになります。現在の教育界の悪しき体質として、教育委員会や学校長および個々の教員がヒラメのように「お上」の方を向き、子供の方を向かない点を指摘したいと思います。いじめ問題の根底には、教育関係者が子供と向き合っていないということがあります。これらが教育基本法改正によって、さらに助長される恐れがあります。

手続き面から見ても、教育タウンミーティングでのやらせ問題についてのケジメをどのように付けていくのかが問われます。必修科目履修漏れの問題も審議が尽くされていません。議論すべきことは山ほどあります。手続きに重大な穴があいた状態のままの強行採決です。

内容欠陥、手続欠陥の教育基本法改正案。野党が結束して反対していただきたいと思います。野党抜きで参議院でも審議を続けるとしたら、タウンミーティングも自作自演、国会審議も自作自演ということになってしまいます。日本の民主主義の魂が抜かれようとしている重大局面です。


2006/11/16(木) 和歌山県知事逮捕・・・「危ない橋」が権力基盤

和歌山県知事逮捕。福島の前知事逮捕に次ぐ不祥事ですが、自民党が与党になっている自治体では、大なり小なり、知事は危ない橋を渡らざるを得ません。「危ない橋」が知事の権力基盤という側面があります。

自民党を敵に回して知事を務めようとすると、余程の能力あるいは人気がなければなりません。それがない人物は、自民党と融和を図り、利権を追認しながら力を蓄えるという手法を取る必要があります。和歌山県では、木村知事が県議たちと(利権上の)利害が対立したので、自民党が対立候補を立てる動きもしたようです。

民主党は、政権を取るまで県議会の多数を制することはできません。現在の民主党県議は、恐竜時代のほ乳類同然の力しかありません。保守が強い県での「民主党県連」というのは、選挙が弱い地方政治家の互助会なのです。単独の地盤で県議になれる人はなかなかいませんし、それができる若手なら、国政選挙の方が可能性があります。

真に地方政治を変革するためには、自民党と一線を画する県政を実現するしかありません。これは至難の業です。政権交代→自民党県議の分裂→県政の多数派形成という筋道が一番現実的です。それまでの間、自民党与党スタイルの県政は、「危ない橋を渡ってときどき落ちる」という宿命から逃れられないでしょう。

福島、和歌山は、転落した不運な実例に過ぎません。


2006/11/15(水) やらせ謝金・・「講演(依頼)したときの講師謝礼と同じ」?

【サクラ発言謝礼、25回で65人に 政府「問題ない」】(朝日より)
政府主催のタウンミーティング(TM)で内閣府が事前に発言を依頼したいわゆるサクラの質問者に謝礼金を払っていたと国会で指摘された問題で、塩崎官房長官は15日午前の記者会見で、02〜04年度の3年間で計65人の「冒頭発言者」に謝礼金を支払っていたことを認めた。01年度は「資料が残っていない」という。ただ、塩崎長官は「全く問題視していない。講演(依頼)したときの講師謝礼と同じだ」と説明している。・・・ 

塩崎長官は問題視しない理由について「議論の口火を切ってもらう役割を担ってもらった謝礼金であり、(内閣府から質問内容までも事前に指定した)やらせ質問では全くないと聞いている。手を挙げている人の中から『この人』というのではなく、明確に会の流れの中でお願いをしている人に謝礼を払ってきた事実がある」と述べた。 ・・・

(コメント)
「議論の口火を切ってもらう役割」というのは、聴衆の一員にやってもらったら、立派な「やらせ」です。これがどうして問題ないのでしょうか?

質問内容を事前に指定していたら「やらせ」で、そうでなければ「やらせ」ではないなどと、「やらせ」概念を狭く限定していますが、「タウンミーティング」が全体として仕組まれていたということに変わりはありません。

講師謝礼と同じというのなら、「壇上」にいて、国の側で発言していなければならないはずです。それが聴衆に混じって、一聴衆のような顔をして発言するということが、どういうことなのかが現政権には分からないのでしょうか。

塩崎氏なら、「第五列」という言葉を御存じだろうと思います。敵対勢力の内部に紛れ込んで諜報活動などを行う部隊や人を指します。スペイン内乱の際、4個の部隊を率いてマドリードを攻めたフランコ派の将軍が、市内にも攻囲軍に呼応する5番目の部隊がいると言ったことにに由来します。

「第五部隊」への謝金。「講師謝金」ではありません。


2006/11/15(水) やらせ質問、協力者に謝礼金→「買収」も加わった

【やらせ質問:「協力者」に謝礼金5千円 内閣府が予算化】(毎日) 
教育改革タウンミーティングで、内閣府が運営を委託した広告代理店と結んだ契約に「協力者謝礼金5000円」が予算化されていることが、14日の衆院教育基本法特別委員会の審議で明らかになった。保坂展人氏(社民)が契約書を示しながら「やらせ質問」との関連性を追及。内閣府は関連を認めなかったが、再度の調査を確約した。

保坂氏が示したのは、一般競争入札によって半年〜1年契約で運営を受託した代理店と内閣府会計課との契約書。1回当たりの支出項目に02年度後半から05年度まで、1人分の「その他の協力者謝礼金5000円」が予算化されていた。

内閣府は01年度のタウンミーティング開始時、議論の口火を切る「代表質問」という形式を取っていたことを明らかにしたうえで「代表質問の依頼を念頭に代理店が見積もりを作成したのではないか」と説明。実際に支出していたかどうかも含めて、民間有識者を交えた調査委員会で調べる考えを示した。

(コメント)
タウンミーティングは、小泉政権浮揚に大きな効果がありました。そこに「やらせ」という偽装があった訳ですが、協力者に謝礼金まで支払っていたとなると、「贈収賄」事件にはならないまでも、道義的には「買収」があったという評価になります。

単なる「見積もり」なのか、実際に支給されていたのかについては、徹底的に究明されるべきです。「偽装」+「買収」ということであれば、小泉政権とは何だったのかという話になってしまいます。

「予算獲得の便法として見積もり計上したものであって、実際には謝礼を手渡した事実はない」ということで逃げ切れるのかどうか。

小泉前総理の場合は、「口から出まかせ出放題」の「無責任男」でしたから、多少アドリブが利きましたが、現政権の場合はそうはいきません。官僚総出で国会での質問への回答を用意しないとやっていけない状況であろうと推察されます。もっと「やらせ」を強化しないといけないのに、「やらせ」が発覚したのですから、現場は大変だろうと思います。

「偽装」+「買収」がないと体面が保てない閣僚しか出せない政権が、「教育改革」とはこれ如何に? 「こんな私に誰がした」ということから、教育改革の必要性を演繹する方が説得力がありそうです。

(参照)
平成18年11月12日:「『タウンミーティング』やらせ問題を考える」


2006/11/14(火) 佐藤潤さんのライブin「町家」

伊予市の中心市街地活性化施設・手づくり交流市場「町家(まちや)」では、ときどきコンサートなどのイベントをやっています。11月13日(月)は、昼休みの時間帯に「町家にぎわい弁当」を食べながら、佐藤潤さんの歌声を堪能しました。

佐藤さんは東京の方ですが、愛媛も活動の拠点としており、「町家」では応援しています。CD「あいのくに」(1000円)はお薦め。「町家」で販売予定。


2006/11/14(火) 内閣支持率下落・・真面目な政治を!

【内閣支持率下落53%、無党派と若者離反】(朝日より)
朝日新聞社が11、12日に実施した全国世論調査(電話)によると、安倍内閣の支持率は53%で、中国、韓国訪問直後の前回調査(10月)の63%から下がった。不支持率は21%(前回14%)だった。30代以下の若い年代や無党派層で支持が伸び悩んでいるのが目立つ。 

内閣支持率は女性(55%)が男性(51%)よりやや高い傾向が続く。年代的には50代以上で60%近くにのぼる半面、20代で42%、30代で48%と全体平均を下回る。前回と比べた下落幅は、50代以上より20、30代の方がやや大きい。支持政党別では無党派層の支持率が33%に落ち込んだのが際立つ。内閣発足以来、40%台半ばを維持していたが今回、大きく減らした。 …


(コメント)
朝日以外の世論調査においても支持率は低落しています。先月の衆院補選で、無党派層は自民党候補から離れていました。12日の福島知事選挙においても然り。無党派層が支持しない「人気総理」という、不思議な事態。「虚像内閣」とも言うべき安倍内閣の支持率は、着実に低下するものと見られます。

沖縄知事選挙で自民敗北となると、政局にある程度の影響が出てくるでしょう。来夏の参院選に向けての「レース展開」は、単純ではないと思います。「奇手妙手」の類が出てくるかもしれません。しかし基調として、地方経済はどうなるのか、庶民の生活はどうなるのかということが、一番大きなポイントになるでしょう。

「核武装論」も左右各方面から異論が出てくる状態です。即ち、アメリカが核武装を要求しない限り、核武装はNPT(核兵器の不拡散に関する条約)の破棄、原子力の平和的利用の軍事技術への転用を防止するための国際原子力機関(IAEA)の保障措置を受諾する義務の不履行を意味します。国際的な孤立への道です。軍事技術的にも、核を搭載するミサイルに攻撃が加えられない配慮が必要です。そのためには、偽装を含めてかなりの数のミサイルを配備しなければ、逆に、そこを狙われることでリスクが拡大してしまいます。巨額の軍事予算が必要であり、国民に大幅増税を求めなければなりません。「核武装論」は、「非核三原則」を持ち出すまでもなく、非現実的な話なのです。

けんか腰の発想に国民が付いてこないとすれば、政治を真面目にやるしか道はありません。不真面目な小泉流パフォーマンス政治では、政権が持たなくなっています。参院選は、真面目な選挙、「政治は生活」ということでやって欲しいと思います。それにしても、地方の経済はひどい。日々実感しています。


2006/11/13(月) 四国アイランドリーグに有名選手を!

四国アイランドリーグが地域密着路線で頑張っています。先日テレビでこれが取り上げられていました。

その番組で、ジャーナリスト・玉木正之氏が面白い提言をしていました。名のある選手をレンタルせよというものです。

例えば、元巨人の桑田選手がマンダリンパイレーツで1ヶ月プレーする。あるいは、2軍で調整中の有名選手が「友情出演」する等々。観客動員力は大幅に増してきます。

アイランドリーグの選手たちにとっても刺激になります。「四国」にこだわる必要もないのかもしれません。岡山、広島のチームができて参加する展開になったら面白いと思います。


2006/11/13(月) 「共謀罪」は市民弾圧装置になる

犯罪の「実行行為」に至る前段階である「共謀」が罪になるという共謀罪について、テレ朝・サンデープロジェクトで特集が組まれていました。

市民団体や労組への適用はないという説明にはなっています。しかし、戦前の治安維持法は共産主義者を対象とするという触れ込みでしたが、その後の改正と拡大解釈によって戦争反対者の弾圧、自由主義者の弾圧の武器にもなっていきました。現時点での当局の説明を鵜呑みにはできません。

国際犯罪の防止という立法理由からすれば、国境を越えた犯罪の謀議を対象にすれば足りるはずです。そこで野党は「越境性」の要件が必要であるとしていますが、与党は頑としてこれを譲りません。越境性の留保を付けて条約の批准をすることは、条約の文言に反すると言うのです。

これは本当か。アメリカでは留保を付けて批准しています。そしてそもそも、「越境性」の要件を排除しようとしたのは、移民が多いヨーロッパにおける特殊事情が背景にあります。200万人のイスラム教徒を抱えるイギリスでは、イスラム系グループのテロを予防するにには「越境性」を要件とすると犯罪防止が難しいという事情があります。事情を異にする我が国で留保を付けることが条約の精神に反するものではありません。

国際人権規約にある高等教育無償化を受け入れられないとして留保を付けている我が国が、共謀罪には留保を付けない「優等生」を演じているのは何故か。「共謀罪」が有用だと見ているからです。

即ち、共産党の凋落によって存在感が低下している公安警察の新たな武器になります。「共謀罪」摘発を実効的に行うために、スパイの養成もなされるでしょう。過去に高校生をスパイとして育てた元公安警察官の証言が紹介されました。共産党のスパイとして養成された青年は、その警察官の退職後、苦悩の末自殺しました。証言した元警察官が、公安警察が青年の死を虫けらの死の如く扱ったことへの憤りを語っていたのが印象的でした。

自白抜きに証明しにくいということを考えると、自白偏重(戦前・戦中は拷問)に陥ることにもなります。戦時中の弾圧である横浜事件(冤罪)での拷問は、筆舌に尽くしがたいものだったと言います。

公安警察としては、「共謀罪」容疑で捜索や逮捕ができるだけでも効果ありということになります。後になって不起訴や無罪になっても「やった者勝ち」という感覚でやられると、かなり威力ある弾圧装置になります。懲らしめのための逮捕拘禁。後で不起訴・無罪になっても充分な効果があります。これによる萎縮効果は、相当なものになります。

自民党や公明党が、危険な法律を危険でないと感じる感性になってしまったことが残念です。 

(参照)
平成18年4月25日:「共謀罪・・『疑わしきは制定せず』でありたい」


2006/11/12(日) 「タウンミーティング」やらせ問題を考える

【やらせ質問:安倍氏出席のタウンミーティングでも依頼】(毎日より)
北海道で今年3回開かれたタウンミーティングで、内閣府が北海道庁に対し、「議論が円滑に進むような方を推薦してほしい」と発言者の人選を依頼していたことが分かった。この中には当時、官房長官だった安倍晋三首相が出席した「再チャレンジ」をテーマにしたタウンミーティングも含まれ、今年の道内開催のすべてで人選があったことになる。内閣府は質問者の恣意(しい)的な選別など「やらせ」の有無について調査している。…

(コメント)
これも中学高校の必修科目履修漏れ問題と同じく、公然の秘密が明らかになったということだろうと思います。

この問題については、仕切ったスタッフの方々に同情します。そうせざるを得ない現実があるから、そうするのです。タウンミーティングなどと気取っても、ガチンコでやって厳しい突っ込みが入ったら、どうしようもない事態になるのは目に見えています。

二世三世花盛り。馬鹿息子、どら息子が大臣をやっているのですから、答えられる質問しか答えられないし、うまく議事進行ができなかったら、後で怒鳴りまくられるのがオチです。私が役人でも、「やらせ」に走るでしょう。

ガチンコの「タウンミーティング」をやったとして、何の「交通整理」もしなかったら、声の大きい頓珍漢な人に会場全体が振り回され、参加者全体が気まずい思いをする可能性が出てきます。

そのことを踏まえてなお、何の交通整理もしませんよという手法でいくのか、ある程度の交通整理はさせていただきますという手法でいくのかを、予め参加者に明示する必要があるだろうと思います。

ガチンコでアドリブが利く政治家を選ぶことが先決ではありますが。


2006/11/11(土) 地方都市巡り

地方都市を時間をかけて廻っていく。そんな旅をしてみたいものです。

インターネットや図書等であらかじめ調査して、その都市の姿を想像し、現地の宿に泊まって付近を散策する。できれば、その土地に詳しい人の話を聞きながら、地酒を飲む。

悪代官を懲らしめたりはしないから水戸黄門ではないけれども、「越後のちりめん問屋」の旅をやってみたいと思います。

市議会の視察研修がそれに近いものでした。私の企画がほぼ満額で通ったので、かなり有意義な勉強ができました。これには感謝しています。


2006/11/11(土) 年金制度破綻・・・分かっていた話

【将来の年金「現役収入の50%」困難、厚労相が示唆】(読売) 
柳沢厚生労働相は10日の経済財政諮問会議(議長・安倍首相)で、2004年の年金改革で政府・与党が約束した「現役世代男子の平均手取り賃金の50%を下回らない」という将来の年金給付水準の確保が難しくなったとの認識を示唆した。

12月20日ごろに公表する予定の新しい人口推計で、想定よりも少子化が進み、年金制度を支える世代が減少する見通しとなったためだ。

厚労相は会議で「新人口推計は(年金改革で使われた)02年の前回推計より厳しくなる可能性が強い」と明言した。厚労省幹部も既に「新人口推計は前回より厳しくなる見込みだ」と与党幹部らに説明している。

人口推計は国勢調査に合わせて5年に1度実施している。前回推計は、将来の出生率は1・31で下げ止まり、2050年には1・39まで回復すると推計していた。この推計に基づく年金の給付水準は、2023年に50・2%となり、以後そのままの水準で推移するとしていた。

しかし、現実には05年の出生率は推計を大きく下回る1・26程度まで低下する見通しで、「前回の人口推計の見通しは甘すぎる」との指摘が出ていた。

厚労省は、新人口推計の発表時に、新設する出生率の政府目標の標準値として、年金の給付水準が維持できる1・4程度を掲げる見通し。目標実現の可能性は不透明だが、少子化対策の拡充などを通じて、国民の年金不信の高まりを抑えたい考えだ。

(コメント)
この話は、少なくとも2年前の参院選のときには分かっていました。そもそも「推計」に無理があります。政府が主張する結論に導くために数字をつくっただけです。

国民は厳しい予測を前提に将来設計をすべきですし、政府も年金制度の失敗を認めるべきです。その上で、幸せな老後とは何なのかを考え、制度設計を見直していかなければなりません。

基礎年金制度は掛け金ではなく税金で賄う。上乗せ部分は民営化する。そういう抜本的な改革が必要です。官僚の作文に誤魔化され続けてきましたが、もうそろそろ、「ちゃぶ台をひっくり返す」決意をしないと間に合いません。

90歳を「自活的人生」のゴールとし、それ以降は公的に生活を支えていくことを考えるべきです。90歳までの人生設計は、各人が考える。それまでに貯金は全部使ってください。あとは国が面倒を見ます。この方が、各個人としては将来設計がやり易いはずです。

これを憲法に明記したいものです。

(参照)
平成18年6月3日:「金は90歳までに使い切れ・・『老後のための貯金』をなくす政治を!」


伊予市の谷上山(たがみさん)

2006/11/10(金) 四国山地のお陰

四国は台風が多いというイメージがありますが、それは高知、徳島といった太平洋側の地域の話です。我が瀬戸内は、四国山地のお陰で風雨が緩和されています。

 


2006/11/10(金) 植草一秀氏「現行犯逮捕」から2ヶ月近く

経済評論家・植草一秀氏が9月13日に逮捕されて、2ヶ月近く経ちました。保釈申請が却下され、迷惑防止条例違反の容疑にしては、異常に長い身柄拘束になっています。

長期に渡る身柄拘束の正当な根拠が分かりません。逃亡の恐れでしょうか。著名人であり、逃亡は事実上困難であるし、保釈金を積ませれば事足ります。証人への威迫ということも考えにくい話です。自殺の恐れでしょうか。否認を続けている容疑者が自殺する可能性は低いし、司法がそこまで心配する必要もありません。唯一ひょっとしたらと思われるのが、暗殺の可能性です。

最後の仮定が荒唐無稽であるというならば、拘束の理由は自白しないことへの報復以外に考えにくくなります。そうだとしたら、間接的な自白の強要です。こういう前近代的司法がまかり通っていることが問題です。

しかし疑問に思うのは、「現行犯逮捕」なら、自白などに頼ることはないはずだということです。もっとスイスイ起訴して有罪判決が得られるはずなのに、どうしたのか。

警察情報以外にほとんど報道がないのも摩訶不思議です。被害者こそ報道の嵐から守られるべきですが、「現行犯逮捕」の立て役者の声が聞こえてこないのはどうしてなのでしょうか。世間の関心が高い事件ですから、野心的な報道関係者なら先んじて追いかけるはずです。

先日、別の痴漢事件で逮捕に協力した方について、匿名ながらも、職業・年齢が記載されていました。植草氏を逮捕した人物2名については、おおよその年代しか知り得ません。被害者の声を聞いて反応したのか、直接「犯行」を目撃したのかという、最も知りたい肝腎な事実関係も不明です。植草氏の事務所のパソコンが押収されているようです。どんな関連性があるのでしょうか。

全て警察情報を基に報道がなされています。記者クラブ加盟の報道機関は、独自取材を自粛しているのでしょう。警察発表以上の取材を敢行すると、警察の逆鱗に触れるからだと思われます。

逆鱗?  警察・検察がピリピリしているということです。「現行犯」なのに。普通の事件ではありません。公判間近。どうなるのでしょうか。

(参照)
平成18年9月16日:「『現行犯』とは・・・植草一秀教授逮捕を考える」
平成18年9月17日:「99.99%:0.01%・・・『植草一秀教授現行犯逮捕』を考える」
平成18年9月18日:「『0.01%』を見逃さない緻密な社会が個人を守る」


2006/11/9(木) 牛肉における米国の不誠実

【米国産輸入牛肉に不許可部位「胸腺」混入】(読売)
厚生労働省と農林水産省は8日、大阪港に陸揚げされた米国産牛肉に、輸入が認められていないリンパ組織「胸腺」9キロが混じっていたと発表した。

両省は、出荷したスイフト社グリーリー工場(コロラド州)の牛肉について、国内流通を一時停止するとともに、同日、米国政府に対し、詳細な調査と再発防止措置の実施を申し入れた。米国産牛肉の輸入再開が決まった7月27日以降、輸入条件違反が見つかったのは初めて。

両省によると、10月30日、同工場から輸入された冷蔵牛肉や冷蔵タン760箱(約11トン)の中に、「胸腺」が1箱紛れ込んでいるのを、農水省動物検疫所大阪出張所の職員が確認した。

(コメント)
「やっぱり」。多くの方が同じ感想を持たれたと思います。米国では杜撰な検査しかしないであろうし、杜撰な検査でなければ「ペイ」しないのでしょう。

結局、アメリカの国益に奉仕する形で牛肉輸入再開が行われたということです。日本国民の需要に応えるために行われたものではありません。

日本政府が全頭検査を行って輸入する。これしかありません。耐震偽装問題を見る限り、これもどうだか分かりませんが、米国に頼るよりは安全であると信じるしかありません。

企業が従業員を採用した場合、駄目従業員でも試用期間中は猫をかぶるものです。それすらないのですから、不誠実の極みです。今後が思いやられます。肉の「産地表示」を厳格に願いたいものです。


2006/11/8(水) 子供の自殺と映画「あつい壁」(1970年)

昭和28年。熊本のある小学校。5年生に太田信次という活発な、明るい少年がいました。少年の幸せな家庭は、父親がある日突然、ハンセン氏病の診断をくだされ、ライ療養所に収容されたことから、崩壊しはじめます。

優秀だった兄の信夫は、パン工場の寮に住み込み、働きながら定時制高校に通学することになります。信次は分教場での寮生活。環境の激変にもかかわらず、2人とも生活になじみ、展望を開いていきました。

ところが、分教場の3人の新しい1年生が本校に入学できるようになったことから、PTAはライ患者の子「未感染児童」の入学問題をめぐって、賛成派と反対派に真ッ二つに割れ、反対派は同盟休校をする形で波紋が広がっていきます。 

争議が形の上では収束した頃、慣れない重労働に疲れた母親に、再婚話がもちあがります。それを漏れ聞いてしまった信次は納得できず、動揺します。他方兄は、パン工場の労使紛争に巻き込まれます。ライ患者の子であることを同僚に隠していた信夫は、その秘密を打ち明けることができないために誤解され、窮地に追い込まれます。

そうした最中、信次に突然の死が訪れました。電車に轢かれたのです。その死が波紋を投げかける中で、映画は幕となります。

(コメント)
この映画は学生時代と数年前、2度見る機会がありました。熊本の騒動は実際にあった話です。重苦しい映画ではありますが、若い女性教師と少年との心の触れ合いに、ほっと慰められる場面もあります。

いじめ自殺が話題になる昨今。ふと、この映画を思い出しました。ハンセン氏病になる父親役は、先日他界した名脇役、多々良純。彼は多くの映画・ドラマに出演していますが、彼を見るたびに、この映画のシーンが脳裏をよぎりました。

信次の死は自殺なのだろうなと推測される幕切れです。時代は変わっても、子供が受け止めきれない現実があります。


2006/11/7(火) 反乱としての自殺、自殺予告

文部科学省にいじめを原因とする自殺予告の手紙が郵送されたというニュース。

私が子供の頃、自殺という手段は「想定外」でした。近年子供の世界で、自殺が「選択肢」の1つになっているような気がします。少なくとも、自殺へのハードルが低くなっていることは確かです。過剰報道に起因するところもあるでしょう。

このところ相続く子供のいじめ自殺は、追いつめられた声なき悲鳴であると同時に、これしかないという「反乱」「反抗」の手段なのだろうと思います。

「ドラえもん」という漫画は、ジャイアン、スネ夫、のび太、三者の関係が1つの機軸になっています。いじめっこ(ジャイアン)、追随者(スネ夫)、いじめられっ子(のび太)の関係は素朴なものであって、いじめ自殺につながるような陰湿なものではありませんが、いじめ問題を考える上での参考にはなります。

いじめ問題のキーマンはスネ夫です。スネ夫とのび太は「互換性」のある関係で、ジャイアンとの人間関係が濃厚であったかどうかの違いしかないように思えます。スネ夫の中立化、ないしは、スネ夫とのび太との協調ができれば、三者の力関係は大きく変化し、対等な仲間に転じることも可能です。

この方向への誘導は、文部科学省が考えているような「先発完投型」の教師には無理だと思います。授業とカウンセリングの分業が必要な時代です。「講師」と「ドラえもん」の分業です。

「のび太の反乱」を予防しなければなりません。


2006/11/6(月) 65歳以上の労働と活動の保障を!

【労働力人口、65歳以上増加基調に】(日経記事)  
働く高齢者が増えてきた。総務省の調査によると、65歳以上の労働力人口(仕事をしている人と仕事をする意欲がある人の合計)は7―9月平均で541万人と、四半期ベースで過去最高になった。景気回復を背景に、企業が高齢者の雇用に取り組み始めたため。少子化で働き手の減少傾向が強まるのは必至で、厚生労働省は労働力人口の減少を緩和するよう、高齢者雇用をさらに後押しする方針だ。 

65歳以上の労働力人口は2000年以降、景気低迷もあって伸び悩んでいた。しかし雇用情勢が改善し始めて増加に転じ、05年は年間平均で初めて500万人を超えた。今年9月は551万人まで増えた。 

(コメント)
高齢者人口(65歳以上)が2600万人。5人に1人は働いているということです。もっと増えるでしょうし、また、働いてもらわなければ、社会が維持できません。

問題なのは、それまでのプライドが維持できる職場がほとんどないということです。管理職的立場の人は、単純作業に明け暮れるとなると、自身の人格を否定されたような気分になります。そこは、気持ちを切り替えてやっていけばいいようなものですが、そう簡単ではありません。

NPOなど、ボランティアで頑張るという考えもあるでしょう。しかし、「年金だけでは…」と思う方が大半ではないでしょうか。基本的な生活は年金で賄い、労働を含む社会的活動で若干のお小遣いを手にすることが可能なライフスタイルが面白いのではないでしょうか。ボランティア的アルバイト(ボラバイト)というような領域で、知的ワーカーの老後の生き甲斐を保障する手立てが必要だと思います。

農業の分野で高齢者が活動するというスタイルは、これまでの地域農業を支えてきました。農業後継者の多くは、企業退職後に農業に専念するという形で「参入」しています。この方々が、地域自治の立て役者でもあるというのが、地方の実態です。中小零細農家への所得補償(民主党案)は、地域自治の維持と老後の生き甲斐保障の観点からも読み取っていくべきです。

天下りでガッポリ稼ぐ官僚諸君から、柔軟な発想が出てくるのかどうか。天下りを全面禁止した後の自分の姿を想像してくれれば、柔軟な発想になれるのですが…


2006/11/5(日) 夕張市再建・・・悲壮感ではなく、志高く

【夕張市、再建へ「全国最低」迫られる 職員給与、補助…】という見出しの朝日新聞記事がありました。以下、記事を若干短縮。

「全国最低の暮らし」の設計――。財政再建団体への転落が決まっている北海道夕張市が、大詰めを迎えた財政再建計画の骨格作りでそんな作業を強いられている。

総務省が予想以上の厳しい計画作りを迫っている。来年度から始まる市の財政再建計画では、返済が必要な赤字額は300億円近くにのぼる見通し。市の自由に使える財源規模約45億円の6.7倍で、20年余りの長期にわたる前例のない再建。 

最大の課題は人件費の削減。総務省は給与カット幅の上限が28%と最大級の島根県海士(あま)町の例をあげ、これを上回る給与カットを求めた。 

約270人の職員は、人口などが同規模の自治体のほぼ倍にあたるため、総務省の指示は「最低で半減」。それも「2年間で」という提案。「一気に減らしたら行政が動かなくなる」と市の担当者は言う。勧奨退職だけでなく解雇にあたる分限免職も求める場面も。「職員を減らせなければ、その分給与カットを拡大せよ、となる」と担当者。先月末には、4月に入ったばかりの若い職員が退職、役所内にショックが走った。 

市議の議員報酬の「目標」は全国最低の岐阜県本巣市議会の月額22万円。9月に31万1000円から24万円(議長などを除く)に引き下げたばかり。市民への補助金も例外ではない。「すべての自治体が実施しているもの以外は廃止」というのが総務省の指示だ。 

敬老行事費補助の333万円や障害児保育補助の22万円など、今年度で1億500万円の削減を9月に決めた。来年度からは高齢者のバス料金の補助などもやめる。 

「このままだと市民が出て行くばかり。総務省の言う通りにすれば、夕張は再生できない」。市の担当者がうめいた。 

(コメント)
総務省の指導で音を上げていたのでは、再建は到底おぼつきません。総務省の指導を上回るリストラを断行し、しかもサービス向上に努める。自治体再建のモデルとされるように頑張って欲しいものです。

自治体職員が「大変だ、大変だ」というような話は、民間では当たり前ということが多いものです。記事の内容を見る限り、「倒産企業」の再建案としては当然だと思います。むしろ、甘いのかもしれません。

夕張市職員の皆さんにお願いしたいのは、身を削ってでも福祉の水準を下げないようにするということを積極的に市の幹部に提案することです。議員報酬など、もらっていいのかという疑問を持たなければなりません。議員報酬を生活の糧にしている人以外は、返上するのが筋だろうと思います。

悲壮感を持つのではなく、自治の原点に立ち返り、志高く臨むべきであると思います。志なき者は去れ。「超優良企業」になるための「入場切符」を手にしたのです。地方自治の可能性が試されているのが夕張市です。

(参照)
平成18年6月19日:「自治体の破綻、夕張市の事例」
平成18年7月11日:「夕張市がトップランナーになる条件」


2006/11/4(土) 愛光学園の場合

<中学でも必修の時間不足 愛媛・愛光、県に虚偽報告>などという新聞のタイトルを見て、びっくり。我が母校が、こんな形で取り上げられるとは思いませんでした。

【…愛光中学は、必修科目「技術・家庭」の授業が、学習指導要領で3年間に175時間とする標準時間数を大幅に下回り、82時間になっていることが3日、分かった。… 】【校長は、履修内容が重複する部分は理科の授業で補うなどしたと説明。県に実際より履修時間を多くした虚偽のカリキュラムを報告したことを認め「標準時間は参考に示されているだけ。校長の裁量が認められており問題ないと考えている」と話した。愛光高校も家庭科など必修科目の未履修が判明。愛媛県私学文書課は、同中に詳しい報告を求め、実態を調査する方針。…】とあります。

なるほど、当時の記憶を辿っても、家庭科をやった覚えはありません。根幹をなす科目は必修であるが、そうでない科目は学校の裁量なのだろうとばかり考えていました。
  
当時と今とでは異なるところも多いのでしょうが、愛光の授業レベルは高く、授業についていければ、難関大学でも特別な対策は不要でした。私の場合、中学入学時には理数系が強く、当然大学は理学部系にいくものだと思って高校までやっていました。

ところが慢心とは怖いもので、理数系はやらなくても大丈夫と思っていたら、ウサギとカメの話よろしく、分からなくなってしまいました。コンプレックスを感じていた社会・国語系は先生の話をある程度真面目に聞いていたので、気が付くと、どうもトップレベルに近いらしいことが分かってきました。興味も沸いてきたので、大学進学の志望を問われる段階になって、国立文系を志望することにしました。

学校内は生徒間のいざこざもなく、授業も早く終わるので自由時間が多く、ボンヤリ思索に耽る時間が多くありました。旧制中学のイメージで学校運営がなされていたようでもあります。

家庭科はやっておいた方がよかったのでしょう。と言うよりも、やった方が頭が柔軟になっていいのではないかと思います。人生の選択の幅も広がります。愛光などの進学校には逆風のようですが、気楽にやれる授業時間を確保する方が、むしろ全体の学習効果が上がるのではないでしょうか。 

「人生の後半戦」を戦っている身としては、「中学・高校時代に戻してくれるのなら、補修は200時間でも300時間でもOKだ」と言いたい気分です。教育界公然の秘密が暴露され、例によってマスコミの過剰報道を見聞きしながら(耐震偽装問題はどうなった!)、大変だったが懐かしい中高時代を思い出す今日この頃です。

(参照) 
平成18年10月26日:「必修科目履修漏れは、教育における『耐震偽装』」


2006/11/3(金) 岐阜、福島、和歌山での挫折

岐阜県での裏金問題、福島県での贈収賄。そして談合問題で和歌山県知事辞職。中央に物を言ってきた知事、改革派の知事が、相次いで失脚するという事態になっています。

県知事というのは、ある意味で総理大臣より面白い地位なのだろうと思います。県議会と事を構えない限り、県内では絶対の実力者。敵対勢力を根絶しておけば、「王国」を築けます。望む限り、何期でも可能です。大きな政治的課題で世論が沸騰するということがなければ、メディアも敢えて批判することはありません。

ところが、優秀であれば知事になれるというものではありません。選挙費用は○億円と言います。支持する勢力があったとしても、この費用をどこから掻き集めてくるのかが課題になります。1期目は風雲に乗って「旧勢力」打倒を果たしたとしても、2期目以降は自前の勢力を固めなければなりません。

頂点に立ったことがなければ、そこから転落することの恐怖を実感し、理解することは不可能だろうと思います。地位を維持しようとすれば、必ず淀みが出てくるのは世の習い。「権腐十年」。知事は3期まで。できれば、2期で仕事をやり終えるのが妥当です。米国大統領が2期8年までというのが参考になります。

ルール化は不要です。有権者が許さないという政治的土壌づくりの方が大切だと思います。


2006/11/2(木) 無党派層にソッポを向かれる「人気総理」

10月の衆院補選は、自民党が「大勝」したことになっていますが、実際は五分五分であったと思われます。

自民党にとって深刻なのは、「支持率70%の人気総理」を擁した初陣であるにもかかわらず、無党派層の支持が得られなかったことです。ある調査では、無党派層が民主党に戻ったという結論が出ています。

小泉政権発足直後はそうではありませんでした。5年前の参院選は、森政権下では、「自民必敗」と言われていました。それが小泉政権発足とともに「自民必勝」へと流れが激変しました。世の中の雰囲気が全く変わってしまい、野党候補はただ立ち尽くすのみでした。

今回の補選では、殊勲=北朝鮮、敢闘=公明・創価学会、技能=マスコミが最大の貢献をしましたが、掘り起こした票は「身内」のものでした。創価学会の動員は、延べ100万人とも言われています。

「多国籍軍」結集にもかかわらず、無党派の支持が得られなかったことに対し、自民党内部はかなり焦っているものと思われます。そうでなければ、「復党問題」が出てくるはずがありません。9月の総裁選において、3候補がテレビ出演して演説すると、何故か安倍氏の「視聴率」が一番低かったようです。

「支持率70%」の中味は、「仕方がない」「安倍でもやむを得ない」かもしれません。かなり「上げ底」があるのではないかとの疑念があります。

(参照)
平氏18年10月23日:「自民2勝・・殊勲・北朝鮮、敢闘・公明、技能・マスコミ」


2006/11/1(水) 自民復党問題、「痩せ我慢」の薦め

「踏み絵」を踏んだら復党を認める。郵政民営化に反対し、離党に追い込まれた方々が、この自民党執行部の態度に反発することなく、復党を希うとすれば、政治家としてのプライドもなければ信念もないということになりはしないでしょうか。

参院選目当てであるということが、誰の目にも明らかな復党問題。自民党としては、筋を通しているつもりなのでしょう。しかし、郵政選挙で自民党を支持した有権者としては、裏切られたことになります。これまであった離党・復党問題とは異質であるということを充分認識する必要があります。

福沢諭吉が「痩せ我慢の説」で勝海舟や榎本武揚を批判したことは有名です。勝や榎本の業績は、明治維新以後の転身と栄達によって汚された。強者に媚びない、自主・自立の痩せ我慢の精神がなくなったと、福沢は嘆きました。勝はこれに対し、人の評価は気にしないという趣旨の返答をしています。

今回の復党問題は、自民党よりも復党組にダメージがあります。何故「痩せ我慢」ができなかったのか。ここが終生問われ続けるでしょう。勝海舟のような歴史に刻まれる業績があれば、「人は人」と言い切れるでしょうが、「自民党でないと生きていけない」というのでは、余りにも小粒。「郵政民営化反対」が国益を護る正義の戦いであったと確信されるのであれば、ここは「痩せ我慢」のときです。

(参照)
平成18年10月27日:「自民党造反組復党問題を考える」


玉井彰の一言 2006年11月 四国の星ホーム一言目次前月翌月