投稿写真・レシプロ機.VOL3

このサイトに立ち寄って下さっている
アメリカ・ニュージャージー州在住のKAZさんより、
現地から、現存するレシプロ実機の沢山の写真を頂いております。

ここではKAZさんのコレクションの中から
その一部を紹介します。
どうぞお楽しみ下さい。

チノで撮影した日本機達です。
チノというのは地名になるのでしょうか?
カルフォルニア州のプレインズ・オブ・フェイム
所属のものだと思います。


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(解説も入ってます。)

日本海軍の局地戦闘機”雷電”です。
”雷電国滅ぼす 国敗れて銀河あり”(読み人知らず)
こんな失礼な歌、誰が詠んだんでしょうね。

確かに”雷電”の開発は苦難の連続で、難産を極めたものでした。
十四試局戦として開発指示が1939年に出されてから、1943年の量産開始までの4年の歳月は、他の戦闘機(零戦、疾風3年、飛燕2年)と比べても、長く辛い4年間だったと思います。

何故時間がかかったのかと考えてみると、最大の原因はエンジンでした。
海軍が指示したのは「昭和15年までに審査合格した空冷式」となっていたので、開発中の2000馬力級の新エンジン「誉」は使えず、1500馬力級の大直径エンジン「火星」を使わざる得なかった、というのが苦難の始まりだったのです。

三菱の堀越、曽根技師を悩ませたのは、エンジンの振動問題、視界不良等でした。

終戦間際に一回だけ飛んで墜落失敗に終わってしまった、ロケット戦闘機「秋水」です。
ドイツからのライセンス生産で始まった開発でしたが、
日本の軍部はジェット戦闘機「
Me262」よりも、このロケット戦闘機「Me163」に大きな関心を示したといいます。

不完全なワルターエンジンを搭載した、わずか10分程度しか飛べないロケット戦闘機よりも、将来性のあるジェット戦闘機の開発を優先した方が良かったような気がしますが、ともかくも陸海軍共同開発プロジェクトが強行されたのです。(勿論ジェット戦闘機「橘花」の開発も合わせて強行されました)

迷惑だったのはその設計・製作を担当させられた「三菱」だったようです。
前に述べた「
雷電」の開発、「烈風」の開発、「零戦」の前線からの要求による相次ぐ改修等で、火が付いたように忙しかったのに、ここにきてろくな図面も無いロケット戦闘機の猿真似開発までやらされたのですから、同情するばかりです。

最後の一枚は秋水ではありませんが、なんだかよく解りません。
Kazさんからいただいた写真の中にあったものですが、一式陸攻の残骸でしょうか?
スペースが余ったのでここに貼りつけておきました(^^ゞ

おなじみ「零式艦上戦闘機」です。
写真では解りにくいですが、
ロケット排気管を付けているようなので52型だと思います。

日本機の中で、零戦ほど次々と改造された機種はありません。
零戦と同じように大戦を通して使われ続けた戦闘機に、
ドイツの「
メッサーシュミットBf109」がありますが、
エンジンは着実にパワーアップしています。
すなわち、
E型-DB601-1100馬力F型-DB601N-1175馬力G型-DB605A-1475馬力
最終型の
K型では、DB605-1800馬力となっています。

ところが零戦の場合は機体寸法と強度に対して、これに見合う大出力エンジンが無く、
栄21型1130馬力」エンジンを使い続けるしかなかったというのが悲しいところです。


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